なんにせよ、これが新生活というものに違いなかった。窓際に吊るしておいた洗濯物を片付けながら、夕暮れ色に染まっていく街並みを眺める。ここからの景色はすごくお気に入りで、景色で部屋を選んだといっても大げさじゃなくて、少し開いた窓からは子供の声や近くの交通量の多い道路を行き交う車の音、そして風のざわめきが聞こえてきた。ちょっと、お腹がすいた。ある日の夕方。家を出て一人暮らしを始めてから、二週間と数日が過ぎた。大学は向こうのを受ける。そんな言葉を彼女の口から耳にしたのは、高校生活もあと半年を残すのみになった秋の日のことだった。「それ、本当なの?」夕食後、話があるといって部屋を訪ねてきたシェリーに私は詰め寄った。彼女は本当に済まなそうな顔をして、だけどこのアメリカから我が家にホームステイに来た愛しき友人は全然悪くなくて、私がただわがままを言ってるだけだって自分でもわかってた。だから、余計に止められなかった。「高校出たら部屋借りて一緒に生活しようって、約束したのに」シェリーは途端にしょんぼりとした表情になる。普段は可愛いとすら思うそれも、そのときだけは無性に癪に障った。お互い黙り込む。気まずい沈黙が流れて、それに耐えられなくなった私がトイレに行くといって部屋を出た。無駄に広い家の中を適当に歩き回る。部屋に戻ってきたとき、そこに彼女の姿はなかった。シェリーのいない自分というものを、想像したことはほとんどなかった。だた彼女がそこにいて、私がここにいる、いつのまにか、それが当たり前のようになっていた。親友という言葉では言い表せない。本当の姉妹のようにというのともちょっと違う。そんな特別な関係に溺れて甘えてるうちに、月日は矢のように銃弾のように流れていた。どんな出会いにも、別れは来る。そんな当たり前のことを、考えすらもしなかったのだ。あるいは、逃げていたのかもしれなかった。もしそうなら。私は無意識のその行動を、無責任に憎んだ。同じ家に住んでたって、いくらでも顔を合わせないことはできる。登校のときと、食事のとき。それ以外はお互い、なんとなく避け合ってたと思う。謝らなきゃと思っても、気持ちの整理と受験勉強で時間はあっという間に過ぎていった。ふたりに、会話の少ない日々が続いた。「あんた、最近シェリーとなんかあった?」街中の喫茶店。琉衣さんに少し深刻そうな顔でそう言われて、さすがに少し焦る。そして、今の二人の状態はとんでもない時間の浪費だということに気付いた。同じ家に住んでる受験生同士、互いに助け合って大学合格を目指すべきなのかもしれない。模試も近いが、最近はシェリーとの食後の勉強会もあまりしていない。そういえば、ここまで割と順調だった私とは逆に、シェリーは模試の結果があまり芳しくないらしい。それなら、レベルを下げればいい。なんなら日本の大学に入ればいい。家までの道のりはオレンジ色で、そんなことを少しでも思ってしまう自分がいた。でも、そんな気分はあっさりとどこかに消え去った。門の前で、シェリーにばったり会った。私と目が合うや否や、シェリーは袋を持った右手を慌てて体の後ろに隠した。だけど私は見逃さなかった。とても見覚えのある、あのビニール袋は。その、中身は。「いちご大福」「……ファ、ファイナルアンサー?」「いえす」それから私たちは、部屋で一緒に受験勉強をした。ためしに問題を解いてみてもシェリーの結果は散々で、ここ最近の彼女の元気のない表情はなにも私とのことだけが原因だったわけじゃなかった。「千里、最近勉強教えてくれなかったカラ」だからいちご大福なの? と訊くと。だって、千里の大好物だから。なんで今いちご大福なの? 千里、こわい顔してたから。いちご大福で、勉強を教えてもらおうと思ったらしい。思わず笑いがこみ上げた。お茶目で、ちょっとだけ図々しくて、それがなんだか可愛くて。ごめんね、と真面目な顔で私が言ったら、シェリーは大福を口にくわえて「ふぇ?」と変な声を出した。それがおかしくて、私はまた笑った。「手紙、書くから」ロビーの椅子に並んで座って。割とお約束なセリフをシェリーは言った。私は頷いた。そう、手紙を書こう。別れていても、紙に綴った思いが海を越えて飛んでいく。せっかくそんな時代に生まれたのだから。だから、何も心配なんてないのだ。横目で見たシェリーはなんだかそわそわと落ち着かない。それで私はちょっといたずらっぽく。次に会うときはカッコいい男のルームメイトを紹介するからね。はにかみながら耳元でそう呟いたら、シェリーは顔を真っ赤にした。新たな地に胸を躍らせる人々のざわめきが聞こえる。空港のロビーにアナウンスの声が響く。
BACK / HOME