ガバッと開いた空の下をドバーンと歩く。
それだけで、世界が自分達だけのものになっているような気がした。無敵だった。
『たい焼き娘は二度夢を見る』
たい焼き屋のオヤジが、死んだ。
夕暮れに包まれた商店街。いつもの屋台のある場所に、白いワゴン車があった。たくさんの人だかりが出来て、そばには救急車が止まっている。
屋台は、ぐちゃぐちゃに潰れていた。
それを見た瞬間、あゆにはどうしようもないくらいにわかってしまった。
たい焼き屋のオヤジが死んだ。
しばらく、呆然としていた。けれど、失うのは初めてじゃないからかもしれない、割と早く我に返ることが出来た。
だから隣の主婦達の会話を聞き逃すこともなかった。
「無免許の上に、お酒飲んでたらしいわよ」
なんだ。あれ、なんつーか、ふざけてんのだろうか。
復讐だ。決定。たい焼き100個積まれてもこの決定は覆りません。
あゆは居合い抜く侍のようにリュックから携帯電話を取り出す。天使のストラップが揺れた。
「あ、名雪さん?」
夕焼けが潰れた屋台をオレンジに染めるのを眺める。あゆは一度目を閉じて、そして開いた。
「華音町ねこ焼きまんクマさんガールズ、今夜名雪さんの部屋に集合だよ」
「了解、だおー」
電話の向こうで間の抜けた声がする。さっきまでこいつ寝てたなとあゆは思った。
説明しよう。
華音町ねこ焼きまんクマさんガールズとは、月宮あゆ、水瀬名雪、美坂栞、沢渡真琴、川澄舞の5人からなるアイドルグループ……違った、本人達曰く、マフィアもびっくりの犯罪組織である。名前は5人で仲良く決めた。ねこの部分が名雪のアイデアだったり焼きの部分があゆのアイデアだったりする。
活動内容は主に盗みと殺し。嘘。基本的にはバカなことしかやらない。栞にペチャと言った祐一にみんなで復讐したり、真琴の肉まんを盗み食いした祐一にみんなで復讐したりといった具合である。他にも香里をストークする北川を半殺しにしたりなど、幅広い活動を行っている。
団長は創始者でもある栞。名雪はけろぴーを推薦したのだが、多数決の結果2対3で惜しくも敗れた。ちなみに2対3の2は名雪と舞だ。かえるさん。
作戦中、メンバー同士はコードネームで呼び合う。
あゆあゆ。
なゆちゃん。
しおりん。
まこぴー。
まい。
まいに至っては本名となんら変わりないわけだが、それで困ることなど滅多にないから大丈夫。
アジトは水瀬家二階の名雪の部屋。作戦会議は夜に行うことが多いが、部屋の主が寝ていてもメンバーはお構いなしにベランダから侵入する。そして大抵の場合、会議室はただの修学旅行の女部屋と化す。
ただ、今回は違った。
なによりあゆの表情が、真剣なのだ。
やるときはやる。
それが華音町ねこ焼きまんクマさんガールズだ。
名雪は布団の中ではなく床に座って会議に参加した。どのみち半分寝ていたのだが。
真琴はマンガを読まなかった。会議の内容などまるでわかっていないようだったが。
舞はいつもより積極的に会議に参加した。頷いたり首を振ったりだけでなく自分から意見を出した。
栞は、燃えていた。彼女が中心になって計画が立てられた。ドラマみたいだとか考えていたのだろう。人が死んでるのにちょっと不謹慎だが、まあしょうがない。彼女が燃えてくれたおかげですんなりと計画が決まったのだから。
こうして朝日が昇る頃には皆それぞれの家に戻った。あゆは布団の中で、隣に寝ている真琴のいびきを聞きながら今夜の作戦に思いをはせていた。
ふいに、たい焼き屋のオヤジの顔が浮かんだ。笑顔だ。歯は今にもキラーンと光りそうだ。60を過ぎてるのにたい焼き屋に定年など無いと言って訪れる人々に焼きたてのたい焼きを贈り続けていたオヤジ。
絶対に、成功させてやる。あゆはオヤジの笑顔に誓った。
やるときはやる。
それが華音町ねこ焼きまんクマさんガールズだ。
数メートルの間隔で光る街灯が足下を薄く照らす。遠くから犬の遠吠えが聞こえる。絵に描いたような午後11時。
何てことのない住宅街の中、目の前に建っているのはこれまた何てことのない五階建ての普通のアパート。しかし、それは今は堅牢な要塞に見えた。あゆ達五人がまさに今これから忍び込もうとしている建物だ。
「いよいよだね」名雪。
「ここが犯人の家のはずです」栞。
「ねぇ栞ちゃん、ボク昨日からずっと思ってたんだけど……なんでそんなことわかるの?」あゆ。
「今は作戦中だからしおりんって呼ばなきゃ駄目ですよあゆあゆ。ちなみに情報提供者は倉田先輩です」栞。
「佐祐理は、金さえあればなんだってできるんですよーって言ってた」舞。
「そんなことどーでもいいからっ。ほら、円陣組むわよぅっ」真琴。
うぐぅ、どうでもよくはないと思う。あゆがその言葉を発する間もなく4人は住宅街の道路の真ん中で円陣を組み始めた。
あゆにとって、彼女らのこのおおらかさというかいいかげんさというかは羨ましいものだった。自分はどうしても弱気だし細かいところ気にするし、だから今までの作戦でもあまり活躍したことがない。というか、ほとんど何もしていなかった。
「ほら、あゆちゃんもはやくっ」
「あゆあゆですよ、なゆちゃん」
「あ、ごめんしおりん」
「ていうか、もうやめようよこのあだ名……意味無いし」
「あだ名じゃなくてコードネームですよ、まこぴー」
「真琴はまこぴーじゃないっ」
でも、今回は決意が違うんだ。
「ほら、はやくしないと日が昇っちゃいますよっ」
「……うんっ」
あゆが輪の中に加わる。おもむろに栞が声をあげた。閑静な住宅街に響くことのないように抑えて、でも力強く。
「華音町ぉ〜!」
「ねこ!」「焼き!」「まん!」「…クマさん」
「「「「「ガールズぅ〜!!」」」」」
わぁー。かけ声と共に、散った。
各々の役割はこうだ。
まず舞が見張り役。作戦を邪魔するものが現れたら何人たりとも容赦なく切り捨てる。
栞は指令係兼侵入経路の確保。アバカム並のピッキング技術で玄関のドアを開けて後は携帯で指令を出す。
名雪はターゲット補足係。陸上部一の俊足と長距離選手ならではのスタミナを生かし、逃げる目標をどこまでも追い続ける。
捕らえたターゲットをこらしめるのは真琴の役目だ。毎夜毎夜祐一相手に鳴らしたイタズラ師の腕が最大限に生かされる。
そしてあゆは、タックル係だ。タックルをする。
幾度となく祐一に浴びせたタックルの嵐。その威力を欲する場合のみ、彼女の出番はやってくる。タックルでドアをこじ開けたり、タックルで犯人を吹っ飛ばしたりなどの活躍が予想されるぞ。ちなみに、栞が鍵の付いたドアを開けれなかったことも、名雪が追いついたターゲットを捕らえられなかったことも、今まで一度も無い。
栞の手が止まった。
「開きましたよ」
そういって栞はノブを捻る。やけにあっさりと侵入できるものだ。
ドアの隙間から光が漏れる、なんてことはない。中には誰もいないのだから。
犯人はもうすでに捕まっていて、ただ、自分の手で何かをしてやりたかった。
後悔させてやりたかった。
何気なく飲んで何気なく運転して、何気なく死んだのだ。こんな理不尽なことがあるだろうか。
後悔させてやりたかった。
けれど人の心というのは、案外変わりやすいものかもしれない。
手始めにと荒らし始めた部屋の中。妙な歓声を上げながら舞持参の木刀で全部を滅多切りに。
壊した。この部屋という空間をつくる、ありとあらゆるものを、あゆは壊しつくした。
崩れ落ちる。割れる。吹っ飛ぶ。
夢中だった。いや、狂っていたのかもしれない。なにかが壊れていく音を聞いていると気分が爽快になる。誰だってそうだ。誰だって。今、自分は何を壊しているのだろう?わからない。なぜだろう、見えない。見えない──
──見ていた。
部屋の中を縦横無尽に駆けめぐり踊るように破壊活動をするあゆを、ただ、4人は見ていた。見ていることしかできなかった。
いつまでも続くような時間。だけど、終わりは唐突にやってきた。
ただただ舞い続けていたあゆが突然動きを止めた、その足下には。
壊れた写真立てが、あった。
写真立てといえば当然、立て掛けられているのは写真だろう。写真立てに飾る写真といえば。そんな連想ゲーム。その結果。
あゆは、ひどく散乱した部屋を、無言で片づけ始める。
「みんな、ごめん」
「ボクが言い始めたことだけど」
「もうみんなを巻き込んじゃった後だけど」
「ほんとに、急にだけど」
「でも、やっぱりボク、こういうのはいけないと思ったんだ」
「だって、きっと」
「犯人の人は、十分な罰を受けてるよ」
「ボク自身はなにもできないけど」
「でも、ボクはそれで我慢しなくちゃいけないんだって、気付いたんだ」
「……今更だけど」
「悲しいのはボクだけじゃないんだから」
「それに、もしかしたら」
「犯人の人も、後悔してるかもしれない」
「自分のしたことを、今のボクと同じように」
「だから、もういいと思ったんだ」
それっきり。黙々と片づけを続けるあゆ。
そして、4人は何も言わずにそれを手伝ってくれた。
仲間思いのイイ奴等。
それが、華音町ねこ焼きまんクマさんガールズだ。
あゆは、床に落ちた壊れた写真立てをもとの位置に戻すと、こっそりと泣いた。
数メートルの間隔で光る街灯が足下を薄く照らす。遠くから犬の遠吠えが聞こえる。絵に描いたような午前1時。
何てことのない遊歩道を、みんなで突っ走った。
みんな、笑っていた。何がそんなに楽しかったのかはわからない。でも、バカみたいに笑いながら競走した。競走が楽しかったのかもしれないし、笑ってる自分が楽しかったのかもしれない。
なにかを吹っ切った気分になっていたのかもしれない。
自分たちさえ口を閉ざせばあっという間に世界は静寂に包まれるだろう。世界が、自分たちだけのものになっている気がした。
輝く星なんて気の利いたものは何一つ無い暗黒の空の下。笑い続けて、走って。
──何かに躓いて、転んだ。
「──嬢ちゃん、お嬢ちゃん」
街の喧噪と、甘い匂いに包まれて。たい焼きの屋台の椅子の上で。
「あれ、ボク……寝てた」
「随分気持ちよさそうにいびきかいてたよ、あんた」
からかうようにオヤジがいう。あゆは顔を赤くして俯いた。口の端からよだれが垂れたのを慌てて拭う。
「ほら、せっかくのたい焼きが冷めちまうよ」
確かに、あゆの右手には袋に包まれたたい焼きがあった。かぶりつく。
「うぐぅ、もう冷めてる……」
「ははっ」
オヤジは豪快に笑った。あゆはうぐぅともう一度唸ると、おもむろに話し始めた。
「ねぇおじさん。ボク今ね……」
一瞬だった。
すぐ側で車のクラクションがけたたましく鳴ったかと思うと、目の前のオヤジは屋台ごと横にすっ飛んでいった。
なにが起こったのかまるで理解できない。
ただ、騒がしい人の声を聞きながら。何もない目の前の空間を、あゆは見つめていた。
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