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人種 〜続き〜 さてはて、前回からかなり時間が経ってしまった・・・・ かといって、そんなに自分の考えが変わるようなお題ではありませんね、 人種問題。 社会学の授業で印象に残っていたある生徒の発言で、 「私の姉は、養子としてもらわれてきたため、 両親や私と肌の色から目の色、顔の様子などが全く似ていない。 (ようは違う人種ってことです) ある日、家族で外食して食べ終わったあと、ウェイターが、 ”こちらの方だけ(姉を指して)別の会計の方がよろしいですか?” そのとき、初めて、姉が受けていた知られざる区別、差別について 気が付いた」 彼女にとっては、幼いころから姉として一緒に育ってきた人なのだから、 気付かなくて当たり前なのかもしれない。 ましてや、離婚、再婚なんて当たり前のこの国のことだから、 そうして見た目の違いで家族じゃない、ということは 判断しづらいし。 でも、そんなアメリカでもやっぱり、見た目の違いで「区別」されることは あるんだなぁと思わされた出来事だった。 もちろん、自分がここにいて、区別、好奇の目、無視、そういったものを 受けないわけじゃないけど。 「アメリカ人」として生まれ育った人達の中にも、 心の中に、見た目による区別差別が存在するんだってことが なんとなく新鮮だった。 前にも書いたけど、 どうしても見た目の違いとか、出身地、国籍、話す言語、 そういうもので人をカテゴリーに入れてしまうのは、 避けられない事だと思う。 カテゴリーに入れてしまえば、自分の中で対処がしやすくなるから。 人種による区別、性別による区別、そういうものって、 ホントは突き詰めて考えたら、なんでそうなっちゃうの?ってことだらけだと思う。 でもそれが今の社会のあり方で、それが「普通」のこと、「当たり前」のことになっているから、 変えていくのは大変なことなんだけどね。 必修で取らされた社会学の授業では、 こういう感情的になりやすい話題を、 事象として捉えて、 「こういうものが社会には存在しています」 とだけ学ぶ。 結構ストレスだった。 だって、自分が日本人であること、女であること、そういうのって、 すべてこの社会に生きてるから存在する私のステータスなわけだから。 そのステータスについてまわる「役割」みたいなものに 振りまわされてるんだって思うと 確かに、差別とかそういうものが意味の無いものに思えてくるけどね。 あ〜久し振りに難しい事書いてしまった・・・・・・・・・・・・・ 自分でもまとまっていないのがよぉ〜〜〜くわかる。(汗汗 しかも、人種 から 社会学 についてになってるよーな気がするしね。 でも、ある意味、あの授業は私にちょっと違う方向から光を当ててくれたので、 一度書いてはみたかったんだよね。 人種 については、まだまだ考えろって感じですかね〜 |
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