哲学者・加藤尚武氏は911テロを受けてアフガンへの軍事作戦を展開したアメリカを批判する文書をつくっているが、少々疑問を覚えるところがあるので、ここで検討してみたいと思う。
(加藤尚武氏の原文「連続テロに対する報復戦争の国際法的正当性は成り立たない」はここで読める)
1 国際法上の「戦争」とは、単に軍事行動が行われたという時点では成立せず、主権国家もしくはゲリラ団体が戦争の意志表示をすることで成立します。今回の連続テロは犯罪であって、戦争ではありません。犯罪として対処すべきです。(典拠:パリ不戦条約)
まず、典拠が「パリ不戦条約」(1928年)になっているが、「戦争」の定義の問題だから、1907年の「開戦に関する条約」第1条で
なくてはならない。なぜ「不戦条約」にしているのか不明である。
それから、「意思表示をすることで成立」としているが、国際法上「戦争」は「意思表示」なしにも成立する。継続的な戦闘関係があるかぎり、それは事実上の「戦争」である。「意志表示」はそれを法的な「戦争」として追認する作業にすぎない。
さて、開戦法規は主権国家を前提にしているから、そもそもゲリラ団体には適用されない。ゲリラ兵が行うのは戦闘行為だが「戦争」ではない。それ以前にアルカイダのようなテログループが「ゲリラ兵」であるかどうか疑問であるが、いずれにせよ「テロ」そのものは主権国家による「戦争」とは見なしえないというのはその通りである。
しかしながら、今回のようなテロを「犯罪として対処すべき」というのはたんなる加藤氏の願望にすぎず、どうすれば防止可能なのかという重大な問題を無視した意見である。単なる「犯罪」として扱うのも一法ではあろうが、はたしてそれで安全を守れるのかどうか。
アルカイダは世界中に拠点を置き、米国にひそかに侵入させたテロリストによって、米国への戦闘行動を行っている。米国が最大限国家の安全を配慮するかぎり、テログループの拠点の破壊と指導者の捕捉ないし殺害を最終目標とするのは、きわめて合理的な判断である。いずれにせよ911テロのようなテロリズムを主権国家としていかに防ぐかというのは、まったく政策論的な問題である。少なくともテロが国際法上の「戦争」でないからといって、ただの「犯罪として対処すべき」理由にはならない。
ブッシュが「新しい戦争」といったのは、このあたりのことが念頭にあってのことだろう。厳密に国際法上の「戦争」の意味でいっているのではないはずだが、加藤氏は文字通りにとって批判をくわえているわけである。
さらにいえば、見てきたように加藤氏は、今回のテロは「意志表示」がないので「戦争」ではなく、したがって「犯罪」としてしか扱ってはならないとしているわけだが、これは実に珍妙な理屈というほかない。
例えばシナ事変は日中とも「宣戦布告」をしておらず、法的には「戦争」ではない。加藤氏の理屈によれば、これは「戦争」ではないので「犯罪として対処すべき」ことになるが、その間シナ側は武力で反撃してはならないことになるのであろうか。武力発生時点で、開戦の意思表示の有無にかかわらず「自衛権」が発動できるのは国際法上の常識であるし、もしそうでなければ、相手が「戦争」であることは意思表示しないかぎりは自衛権も行使できないことになってしまう。これがいかにばかばかしい事態か、少し考えれば誰でもすぐわかることだろう。
2 国際法ではいかなる紛争にたいてもまず平和的な解決の努力を義務づけています。ブッシュ大統領が、連続テロの今後の連続的な発生に対して、平和的な解決の努力を示しているとは言えないので、新たな軍事行動を起こすことは正当化されません。(典拠:国連憲章2条3項、33条)
これは詭弁である。
すでに確認したように、ゲリラ団体もテロリスト組織も主権国家と同列には置かれていない。国際法で取り決めている「平和的な解決の義務」は主権国家同士の話である。加藤氏が典拠としている国連憲章2条3項も33条も当然それを前提している。
だいたい加藤氏はアルカイダのようなテロリスト組織にどのような「平和的」手段を行えというのだろうか。「犯罪として扱うべき」という以上、少なくとも彼らは「犯罪者」であり、場合によっては解決のための強制的手段をともなうはずだが。
かつてペルー公邸占拠事件でも日本政府は口を開けば「平和的解決」といっていたが、これはMRTAの要求通り政治犯を釈放し国外脱出も許すということになる(実際、日本政府はキューバのカストロ首相に亡命受け入れを取りつけている)。しかし、実際には特殊部隊の突入でようやく解決している。
たとえば「海賊」は国際法上、すべての国家において取り締まるべき対象とされており「人類共通の敵」である。現在あらわになってきているのは、「テロリスト」を「海賊」同様の「人類共通の敵」として対処していかないかぎり、どの国家にとっても連続的なテロを防止することはできないということである。ブッシュ大統領が「テロリストの側につくかわれわれの側につくか」という選択を迫ったのは、その意味ではまったく正しい。海賊を取り締まることに反対するひとはまずいないはずだからだ。
3 国際法は、報復のために戦争を起こすことを認めていません。したがって、たとえ連続テロが戦争の開始を意味していたとしても、現在テロリストが攻撃を継続しているのでないかぎり、報復は認められません。(典拠:国連憲章51条)
これも奇妙な論理で、一撃をくらっても攻撃が連続しないかぎりは武力行使ができない、ということになる。これは「報復」という語を用いて読者に錯覚させるトリックを使っているといえる。
そもそも「戦争の開始を意味していた」のならば、攻撃が連続していようがいまいが、自衛権を発動できるはずだが。
たとえば、北朝鮮がミサイルを日本国に打ち込んで被害が出れば、日本国は「自衛権」を発動してそれ以上の攻撃を阻止するために北朝鮮のミサイル基地を攻撃するだろう(現在その能力がないのは置くとして)。国連憲章51条も「武力攻撃が発生した時点」としており、このような自衛権を否定しているとは解しえない。
だいいち加藤説に従うとして、連続とはどのくらいの間隔なのか。北朝鮮が毎月一発づつミサイルを打ち込んできても、「連続」ではないから(?)、反撃してはならないのだろうか?
4 連続テロに対する報復戦争が正当防衛権の行使として認められるのは、現前する明白な違法行為に対しておこなわれなくてはなりません。予防的な正当防衛は、国際法でも国内法でも認められません。連続テロに対する報復戦争を正当防衛権の行使として認めることはできません。(典拠:国連憲章51条)
なぜか「自衛権」といわず「正当防衛権」としている。どうも加藤氏は「国際法」と「国内法」が性格の違うものだということを理解していないらしい。
国際法は基本的に慣習法であり、明文化された条約は国際法の一部を成すにすぎない。たしかに、国連憲章51条では自衛権を「条約加盟国に武力攻撃が発生した場合」に「安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間」に限定している。しかし国連憲章は予防的先制攻撃を明示的に禁止しておらず、これまでの慣習法においては認められていたと考えられるから、加藤氏のいう「予防的」、つまり攻撃を受ける以前に攻撃を阻止するための自衛権の発動が国際法上違法であると断定することはできない。戦争法規はもっぱら、許されないとされていること以外は許されるとされているのであって、明示的に許されているのでないかぎり許されない、というわけではないのだ。
さきほどと同じ例でいえば、北朝鮮がミサイル発射の準備をしている段階で日本がその基地先制攻撃をかけるのは「予防的」自衛権の行使である(実際、防衛庁長官は「可能」としている。技術的に可能かどうかは別だが)。そもそも一発落ちてくるまで手も足も出ない、というのは著しく防御側に不利な取り決めであろう。それゆえ、常識からして国際慣習法は予防的専制攻撃も認めているとしなければならない。
ここでもトリックが使われているともいえ、「自衛権」といわず「正当防衛権」などというのは、正当防衛の条件が狭いことを利用して、自衛権もそのようなものだと錯覚させる意図があるのではないかと疑う。しかし、これは日本の特殊事情から「自衛権」を狭く解してきた政府の責任かもしれないが。
5 国家間の犯人引き渡し条約が締結していないかぎり、犯人引き渡しの義務は発生しないというのが、国際法の原則です。「犯人を引き渡さなければ武力を行使する」というアメリカ大統領の主張は、それ自体が、国際法違反です。(国連憲章2条4項)
これは前提がおかしい。
アフガン攻撃の際、ビンラディンをかくまっていたタリバン政権はなるほどアフガンの九割を実効支配していたが、国連代表権を有していたのは「北部同盟」であり、タリバンは国際的に正式な政権として認められていない。それゆえタリバンの支配地域は無主の地であって、主権のない状態であると考えられる。犯人引き渡し条約とは何の関係もない。
また「引き渡し」要求はたんなる条件提示であり、「それ自体が、国際法違反」ということはない。
まとめると、かりにアメリカのアフガン攻撃が国際法違反であったとしても、このような加藤氏の文書では、国際法的に批判したことにはならない。加藤氏は英文でアメリカにも送っているようだが、国際法にくわしい人間には笑われているのではあるまいか。アメリカの戦争に対して国際法で対抗するという戦略そのものはただしいが、そのためにはよほど国際法や戦争法規を学習して緻密な論理を展開する必要がある。そうでなければ、よくある情緒的な「反戦声明」に国際法学的な衣をまとわせたというだけにおわるだろう。
(橘鬼竹斎:2003年12月5日記)