2.表現の自由について


「表現の自由」などという口はばったいことをいうのは趣味ではない。 こういう言葉をやたらふりかざす人間にはろくなやつはいないものな のである。みなさんの周りにもいるでしょ? 何かというと法律だの 憲法だのを持ち出して話を断ち切っちゃうやつが。
しかしながら、最近「批判」や「批評」に敏感になって、権力的にふ るまうひとの姿があまりに目につくので、ひとこと申しのべたくなっ た次第。
「表現の自由」の益の一つには、やはり相互批判に基づく、言説全体 の質の向上というものがあるだろう。ひとに批判されうるとわかって いればいいかげんなことは言わないものだし、批評する側も慎重にこ とをすすめなければならないから、その相互効果でおのずと言論全体 の底上げがなされるわけだ。
と、ここまではいいのだが、問題なのは普通ひとは、そういうことはあ くまで(何かの)専門家同士の話であって、素人の表現はそれとは別 の次元のことであると考えていることだ。
なるほど、たしかにある知識に間違いがあっても、専門家でないひと に対してまで、正確さや厳密さを要求するのは酷というものである。 しかし、もっと一般論として、素人だからといって、いっさい批評の 対象にはなりえないと考えるのは正しいのだろうか。
評論家の呉智英はかつて、批評に聖域をつくらないとの主旨のもと、 「読者投稿」をもその対象に取り上げて論じていた。その意味すると ころは、やはり言説全体の規範意識を低下させないためであろうと私 は解する。
とりわけインターネットの世界では「聖域」のなさがきわだつ。よく 考えねばならないが、公開空間に自己の「表現」を載せることができ ること自体が大変な恩恵である。可能性としては、世界中のひとが見 てくれるのだ。かような過分ともいえる権利を得たのだから、それに 見合う義務を果たすのは当然ではないだろうか?
つまり、ネットに文章を上げた時点で、みなに見てもらえる恩恵を受 け、その権利を得ることに同意したのだから、逆にそれについて誰か らでも「批評」される可能性を引き受けるという「義務」がただちに 発生するのだ。
もちろん、一般のサイト作成者が、いちいち「批判」のごときものに つきあわねばならないとは私も思わない。ただ、少なくとも、web上 に文章を公開するにあたっては、誰にどのような批判を受けることを も覚悟しておくべきだ。そのことについては素人と玄人の区別は無効 である。素人は素人なりに、いいかげんなことは言わないように努力 すべきだし、かりにひとになにも言われたくなければ、権利を放棄し てはなからweb上に文書を晒さないことである。
ましてや、実際に「評論」を売りにしているような人物が、その言説 を批評されたからといって、すぐに法律を持ち出して相手の口をふさ ごうとするようなみっともない真似はすべきではない。日本は全体主 義国家ではないのだ。そして、インターネットは「表現の自由」を守 る最も民主主義的な空間であるべきはずなのだ。
(20021203:Tachibana Kichikusai)


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