| 「あんた、この世のものでも、あの世のもでもないね」 と、イチメと名乗った娘が言った。 リョウは、雑貨店の店から出たあと、その夜泊まる宿屋を探して、シュクバの町の大広場に行った。大広場の真ん中にはクスノキの巨木があり、それにたどり着くよう、道が四方からつながっている。 夕暮れ迫る時刻、クスノキを囲んで、行商人や大道芸が声を張り上げて商売に励んでいた。どこか異国で効果があったというイボ蛙の油、決して刃がすり減らない包丁、大剣を胃袋まで飲み込む男や、百発百中のナイフの使い手たちがいた。これまで旅をしてきたリョウにとっては、さして珍しいのもではなかった。どこの町のどこの大広場でも似たような辻の者たちがいたからだ。 幼い頃のリョウは、リョウの育った町、トドロキの大広場で、こういった行商人や大道芸を見るのが好きだった。 見たこともない道具や食べもの、薬、摩訶不思議な技術を巧みな口上で売りさばく様を眺めたり、人間業とは思えない芸を、瞬きする間も惜しんで見入っていたものだった。あるときには、ナイフ使いの技に魅かれて、大人になったら大道芸人になりたいと思ったことすらもあったほどだった。けれども、成長するにつれ、辻で売られる物に多くの偽物があることや、大道芸にはカラクリがあることを知るようになって、すっかり興味を失ってしまった。旅に出てからは、行商人や芸人のつらく厳しい暮らしぶりを見かけるようになり、彼らの必死の売り声や芸の数々を見るのが、なんだか心苦しくなることすらあった。 リョウは、人ごみでごった返す広場の端をすり抜けながら宿屋を探した。宿屋は旅人や流れ者が多く集まる広場のそばにあることが多い。 そのとき、女の声がした。 「あんた、あの世のものでも、この世のものでもないね」 驚いて振り返ると、占いを生業としているらしい娘が呼びかけたのだった。娘の右目には刃物で傷つけられたような痕があり、眼球を失ったのか落ち窪んでいた。かつてはたいそうな美人であっただろうと思われる。しかし、醜い傷痕のせいか、薄気味悪い笑みを浮かべていた。巫女風の白衣に赤い刺繍の縁取りをした衣装を着ていたが、端々が擦り切れて、まともな占いなど期待できそうにもない。リョウは、辻占い特有のカマかけには慣れていたので、無視して通り過ぎようとした。 「あたしもあんたと同じ。この世のものでも、あの世のものでもない」 娘は去ろうとするリョウの背中に、なおも声をかけた。娘の言葉が気にはなったが、ただの客引きの言葉に過ぎないかもしれない。それにしても醜い顔だ。指も関節が浮き上がるほど痩せている。ほとんど食べられないらしい。リョウは少しばかり娘を気の毒に思い、占ってもらってもらおうと思った。 リョウは踵を返して娘の前に立った。娘は、リョウが何を占ってもらおうとしているのか聞きもせず、薄汚れた水晶玉に手をかざして呪文を唱えたあと、玉の中を覗き込んだ。 「あたしはイチメ。生贄にされそうになって“贄の儀式”から逃げ出したの。あっちで火を吹いている男に拾われて大道芸の一座に入ったんだけど、もう、うんざりなんだよ。あんた、あたしと一緒に逃げてくれない?」 それは占いでもなんでもなく、イチメの懇願だった。いままでにも、いろんな男にそう言ってきたのかもしれない。リョウは少し身体をずらして、火吹き男を盗み見た。髪の毛をそり落とし、上半身裸。腰に獣の皮を巻いていた。大道芸の火吹き男としてはよく見る姿だった。すべての財産を金銀の環にし、腕や足首にはめていた。肌身離さず持っているということか。 イチメは水晶玉をさすりながら、いかにも占いをしている風を見せかけて、リョウに話しかけ続けた。 「あたしは、選ばれた巫女だった。その前は奴婢だったの。生贄を捧げる娘を決めるときに、くじであたしが選ばれの。右目をえぐり取られて、半分は神様のものになった。そのときからあたしは、奴婢でもなく、誰のものでもなくなった。やっと自由になれたのに、殺されて神様のものになるのが嫌だった。だから逃げ出したの。生贄が逃げ出したその年、カンナミ村は大干ばつになったんだって。それはあたしのせいになった。一人じゃ逃げ切れないから芸人一座に入って占い師になったんだけど、あの火吹き男のやつ、上がりが少ないと殴る蹴るなんだよ。これじゃ、また奴婢に逆戻りだよ。あたしはもう、この世のものでも、あの世のものでもないんだから、誰のものにもなりたくはないの」 そこまでいうとイチメはリョウを見上げた。右手を差し出している。 「あたしを連れて行って」 リョウはたった一つ目になったイチメの顔を見つめて考えた。彼女の身の上は確かに不幸だった。リョウも“贄の儀式”については聞いたことがあった。白羽の矢で選ばれた奴婢は、生贄となる刻印を身体のどこかにきざまれ、巫女となる。神殿の奥に閉じ込められて一年間肥え太らされたあと、壮大な祀りがとり行われて神に捧げられるのだ。つまり、殺されて、内臓の一つ一つをえぐりとられて皿に盛られる。 けれども、自分は今、ウルガを追う旅の最中だ。ただでさえ危険で過酷な旅だというのに、女を連れてなど、とうてい無理な相談だと思えた。 娘は、リョウが考えあぐねているのに気づいたのか、リョウの右目を指差して言った。 「あんたにはあたしが必要よ。あんたには俗を見てしまう右目がある。本物を選び出すには右目は邪魔なんだよ。あたしは左目しかない。本物しか見えない。その証拠に、あんたが大事に背負っているその矢筒の石は、偽物だよ。なんと言われてカスをつかまされたのか知らないけど、歯で噛んでごらんよ。ついでに指輪の石も偽物だよ」 リョウはイチメの言うように靭(ゆぎ)の石を歯で噛んでみた。石は難なく割れた。丸めた粘土に黒い上薬が塗られているだけだった。 イチメは間が持たないと思ったのだろうか、火吹き男の様子をうかがって、かたわらにあるカードを切って並べはじめた。 「せっかくだから、これからあんたを占ってあげるよ。あたしの占いは本物だよ」 イチメは無駄口をやめて真剣な表情でカードを並べはじめた。辻占いがよく使う絵札に似ていたが、少し違うようにも見える。真ん中を伏せて、その回りに4枚のカードを表にして置いた。 「上は逆さまの王、あんたの父親は死んだ。右は囚われの王妃、あんたの母親は誰かに連れ去られたんだ。左は逆さまの塔、あんたは祖国を失っている。下は大河、あんたの旅は川に流されるように、標のないさすらいの旅」 そうして、真ん中の一枚をめくった。杖をかざした白ヒゲの男の絵だった。 「預言者」 イチメは、にやりと笑ってリョウを見上げた。預言者とはイチメ自身を指すのだろう。もしかしたら、このカードが真ん中になるようにイチメが仕掛けをしたのかもしれない。けれどもリョウは、上下左右の絵札の意味は本当だと思った。父の死、よく分からない母の消息、トドロキから去り、当て所のない旅。 再びイチメが右手を差し出した。リョウがイチメの手を取ろうとした瞬間、腕に金銀の環を何重にもはめた太い男の手がリョウの手首をつかんだ。 「兄さん、イチメの身体は、一晩、2万エンダーなんだけどね」 火吹き男は、そう言ってリョウを押し戻した。左手には松明を持っており、ことと場合によってはリョウの衣服に火をつけかねない形相だった。イチメはうつむいて唇を噛んでいた。「また、奴婢に逆戻り」といったイチメの言葉が、リョウの胸に突き刺さる。 リョウは風斬剣を抜き、火吹き男の腕を太刀先で払いのけた。手首のところで断ち切られた男の右手が、イチメの頭を飛び越した。金銀の環が派手な音をたてて石畳の上を転がる。その音に気づいた他の大道芸たちが、ナイフや剣を手にしてこちらに向ってくる。 「人さらいだ! 誰かあの男を捕まえてくれ!」 リョウはイチメの手をしっかり握って駆け出した。何事かと集まってくる野次馬を掻き分けて、二人は薄暗くなった通りを目指して疾走した。 気がつくとぼくは、自分の部屋の自分の机に座っていた。ぼくには時々そういうことがある。頭の中でリョウの物語を考え続けていると、ぼくの身体は無意識に動いて、勝手に学校へ行ったり、家に帰ったりする。その間の記憶は全然ないけど、ちゃんと目的地についているんだから、別に困らない。 ぼくは自分の机に座って、毎月買っている月刊誌『ムー』を広げていた。この雑誌は、世界中の不思議な現象や、その時代にあったはずがない高度な技術の遺跡・オーパーツや、伝説の都市の話が載っている。ぼくはマヤ文明のページを開いていた。 ピラミッドのような石の建造物の真ん中に、長い階段がある。大きな羽飾りをつけ、身体を赤や白に塗っており、杖か槍のようなものを持った男が階段の最上段に立っていた。それが神主だと書いてある。その横には、金の装飾具をつけた王家の人々が並んでいて、生贄が殺されるのを、なんだか、とても暢気そうな感じで眺めていた。生贄となった人が、両手を合わせて高く掲げ、命乞いのような仕草をしているけれど、短剣を持った男が生贄の胸にそれを突き刺している。生贄となった人の足元には血が飛び散っていた。 どうしてこんなことをする必要があったのか。マヤの人々は、自分たちの都市を神に守ってもらうため、生贄を捧げたのだと雑誌には書いてある。この神様は怒るととても怖くて、大雨を降らせたり、雷を落したりする。ぜんぜん雨を降らせないときもある。そういうときは生贄を殺して、神様に捧げるのだ。 誰かが死なないとやっていけない王国って、なんなんだろう、とぼくは思う。それは、いじめられっ子がいることで、クラスが一致団結できるのと同じことなのかもしれない。 ぼくがいるから、4年生までいじめられっ子だったデブの太田が、景山や浦部の仲間に入ることができた。太田はぼくをいじめて景山や浦部たちを喜ばせることができるようになったからだ。いびり方が中途半端だったとき、太田は景山からケツを蹴られることがあることを、ぼくは知っている。ぼくがいじめられてやることで、太田に仲間ができて幸せになった。太田の幸せは、ぼくのお陰。少しは感謝してくれてもよさそうなものだ。 生贄はいいな。殺されはするけど、少なくともマヤの人々から感謝されるんだから。 玄関のドアが開いて、誰かが入ってきた音がする。時計を見ると、もう6時半になっていた。お母さんだろう。ぼくは『ムー』をしまって算数のノートを広げた。 このところのお母さんはひどく苛ついている。ぼくが勉強もしないで、遺跡だのオーパーツだのを読んでいるとあからさまに嫌な顔をする。理由は分かっている。ケイゴが有名私立高校に合格したからだ。 しばらくするとお母さんがぼくの部屋をノックして入ってきた。 「望(のぞむ)、今度の週末、世田谷のおばあちゃんのところへ行くから。おばあちゃんの誕生日なんだから、望も行くのよ。いいわね」 「うん」 ぼくは、おばあちゃんの家に行くのが大嫌いだった。おばあちゃんは優しくて、ぼくの好きそうなご馳走やちょっとした玩具を用意してくれたりするんだけど、あそこには、ケイゴの亡霊がいる。ケイゴはぼくが一度も会ったことがない、ぼくの兄弟だ。 ぼくに母親違いの兄さんがいることを知ったのは、5年生のときだった。夜中にトイレに行きたくなって廊下へ出たら、リビングからお母さんの怒鳴り声が聞こえてきた。ぼくが寝たあとに、両親が喧嘩をすることはよくあったけど、その夜はいつもよりお母さんの声が普通じゃなかった。ぼくはトイレの電気を消したまま入って便器に座り、できるだけ音をさせないようにして用をたした。2人の話し声が入るように、ドアを少し開けておいた。 「どうしてうちが40万円も負担しないといけないの? 毎月5万円も養育費を払ってるうえに、まだ請求されるなんて納得いかないわよ」 「何度も言ってるだろう。40万は学費だ。それに今回は入学金の半分と前期分の学費だけだから、都合20万円じゃないか」 「そうは言っても、これから毎年30万円も追加になるなんて、あんまりだわよ。年間90万円も送ってたら、こっちの生活がガタガタになっちゃうわよ。どうしても私立でないとダメなの? 都立の進学校で充分じゃない」 「けど、お前、開成だぞ。俺だって誰でも入れるような私立だったら反対もするが、ケイゴはそうとうな努力をして合格したんだ。それを父親からの援助がないからって諦めさせるわけにはいかんだろう」 「だけど、こんなんじゃ、何のために働いてるのかわかんなくなっちゃう。むなしくなっちゃわ」 お母さんの声は泣き声に変わっていた。ぼくはお母さんが好きで働いているわけじゃないことは、なんとなく分かっていたけれど、クラスのほかの子にも仕事に行っているお母さんはたくさんいたし、どこの家もみんな同じだと思っていた。でも、うちは事情が違った。ケイゴに送金するため、お母さんが働いてきたのだと、ぼくはそのとき、初めて知った。 お父さんの苛ついた声が聞こえた。 「お前だって、離婚の条件を決めるとき、慰謝料300万と毎月5万円の養育費、それに学費の折半ってことで、納得したじゃないか。それをいまさら嫌だと言えるわけがないじゃないか」 「それはそうだけど、あのときは、私立高校に行くなんて思いもしなかったんだもの。私立大学ならしょうがないかなとは思ったけど。」 2月の終わりくらいだったと思う。トイレの中はひどく寒くて、ぼくは小刻みに震えていた。 おばあちゃんの家には、ぼくの知らない子どもが来ているのではないかと思うことが何度もあった。使い古した玩具があったり、いとこたちにはいないなずの男の子の写真が、おばあちゃんの寝室にこっそり飾られていた。それに、お父さんとおばあちゃんだけでこそこそ交わされる会話の中に「ケイゴ」という名前が何度も出ていた。それは決まってお母さんのいないときで、お母さんが来るとその話はすぐに打ち切られるのだった。 ケイゴは、ちゃんと生きているはずなのに、おばあちゃんの家では、まるでそんな子どもはいないかのように扱われていた。どうしてぼくに隠しているのかわからない。ただ、口に出してはいけない名前なんだということだけ判る。ぼくはそういう空気がとてつもなく嫌で、何度か、「ぼくはもう、ケイゴがお母さん違いのお兄さんだって知ってる」と言ってしまおうかと思ったことがある。でも、おばあちゃんもお父さんもお母さんも、一生懸命隠しているみたいだから、言いそびれてしまう。 ケイゴが、おばあちゃん家に来ているときは、ぼくの名前も触れてはいけない名前になっているんだろうか。 お父さんが一人で週末に出掛けるときは、ケイゴと会っているときなんだろうか。 そのとき、ぼくは「そんな子どもはいないかのように」扱われているんだろうか。 ぼくは、望まれて生まれてきたんだろうか。 そんな風に考えると、ぼくは、自分の名前がとても嘘臭く感じる。 ケイゴからお父さんを奪って生まれてきたのに、「望」なんて、ありえないじゃないか、と。 |