「今日、何時から行こうか?」
「何時からでも。早い方がいいけど」
 ――部室の外から、他人のはしゃぐ声が聞こえる。
 今日はクリスマス・イヴ。聖なる日。
 だけど――
「一人きりのイヴ……。今年も……」
 決して羨むつもりはないのだが、ついつい廊下を手を組んで歩く恋人たちに険悪な視線が向いてしま
う。
 彼女は短い髪を無理に掻き上げ、そして――やはり無理に力を込めて笑った。
 木枯らしで一度、窓が大きく跳ねた。
「一時、か……」
 終業式が終わったのもしばらく前のこととなり、帰路につく生徒も少なくなっている。
「今頃は――」
 胸が、切なくなった。考えても、どうしようもないことなのに。こんなところでじっとしているだけ
では、何も始まらないと知っているのに、つい考えて――頭が悪い方へ悪い方へとばかり向いてしまう。
 と、そんなとき。
 かつん、かつん、かつん――
 廊下から、靴音が聞こえてきた。そして、部室の前、扉の前で止まる。
(もしかして!)
 思わず、胸が躍る。自分にできる精一杯の笑顔をつくって、彼女は扉が開くのを待った。
 だけど、入ってきたのは――
「なんだ、まだいたの?」
 ――ただのクラスメートの女の子だった。入ってくるなり、その少女は持っていた本を机に置くと、
「何くらい顔してるんだ? ――ま、だいたい見当はつくけどな」
 暗い気持ちが、より強くなるのが自分でも分かった。そして、おそらくそれは顔に現れているであろ
う、ということも。
「今日はクリスマス・イブだものな。世間ではみんな楽しそうに町に繰り出してるよ」
「…………」
 満月の一日前の狼男とはこのような心境なのだろうか。そんなことが彼女の頭をかすめる。
「おい見て見ろよ。あそこのカップルなんかすっごく幸せそうだぞ」
 硬く瞼を閉じて、決して開かぬようにすることを試みる。手近な凶器を探さないために。
「そーだ。どうだ、お前もこれから私と一緒にこの神聖な日を祝いに街で楽しく過ごさないか?」
「……るさい……」
 もう。
 限界だった。
 彼女はついに、去年の戒めから押さえつけていた本性を解き放った。
「さっきからうっさいわ、お前は! 今日がどんな日で、ウチがどんな存在かっちゅうことを忘れとん
かいな!」
 彼女――城外高校新宗教部部長であり、神でもあり(自称)、また新宗教の教祖でもある神野愛は今
までの鬱憤を晴らすように、
「今日はな、キリ○ト教やいう邪教の教祖を崇めるために日本国民全員で祝うという最悪最低の日なん
やで!」
「違うと思う」
「ああああああっ! もう虫唾が走るわっ! これに対抗して、ウチの誕生日の十月二十六日も記念日
とすることを求めるっ!」
「しかも中途半端な日だし」
「この日は……そやな、他の宗教に対して国民が信仰心を抱いていないことを確かめるために、男は牛
に、女は豚に乗ってデートをし、夜はその乗ってきた畜生どもの血を啜り肉を貪り食いつつ愛を語り合
うという酒血肉林の宴を催そう!」
「何処の怪しげな民族宗教よ……」
 ただでさえ暗い新宗教部部室(無論学校非公認なので、ここは図書室を勝手に部室と決めているだけ
だ)に文字通り暗雲がたちこめた。
「文乃、あんたの言いたいことは分かってるわ」
「ふうん、一応分かってるのか」
「確かに豚と牛の組み合わせはカロリー高そうやもんなあ」
「やっぱり分かってないし……」
 疲れたようにその少女――本多文乃が漏らす。
「でもな、牛は高級品やさかい、資金源としてはちょうどいいと思うんよ」
「牛を飼って売るつもりかい!?」
「だって寺院も建てたいし」
「牛や豚を売って神聖なる寺院を建てる宗教って、いったい……」
「そないなこと言いおるけどな、寺院のない宗教が何処にあるんや!」
「それ以前に、信者のいない宗教が何処にあるのよっ!」
 シン、と図書室が静まりかえった。
「ず、図星やわ……」
 そう。いくら精力的に活動していても、何故かいっこうに信者が集まらないのだ。これはやはり――
「やっぱり高校生相手だけにではなく、対象年齢をアダルトな年齢層にまで広げて活動するべきやろか?」
「うーん、根本的に何かが違うような……」
 しかし――
 神からのクリスマス・プレゼントかどうかは知らないが――
「あのー、すいません……」
 かちゃり、と寒風の中を一人の女の子が図書室に入ってきた。
 二人の「なんだろう?」と問う目がそちらを向く。
「えっと、新宗教部って、こちらでいいんですよね……?」
 聞いた途端――二人の心臓の鼓動は止まった。ついに来るべきものが来た、と。
「そ、そやけど? 入部届けかいな?」
「んなわけないだろ! いわゆるガサ入れってヤツだな。さ、どーぞどーぞ。散らかってますけど」
「な、何言うとんや! ウチにやましいところは一つもあらへん!」
「ほほう。それでは、この間のS君の脅迫事件にも関与していないと?」
「あ、あれは――あれは……」
「え、えっと、あの、よろしいでしょうか?」
 話がだんだんヤバイ方向に流れ始めたため、その子は慌てて二人の間に割って入った。
「私、103HRの植村と言いますが、実は新宗教部に入れてもらいたいと思いまして……」
「なに! その若さで人生を捨てる気かっ!」
「黙っとき! うんうん、ええ心がけや。私は救いを求めてくるモンには寛容なんや。喜んで迎えるで」
「ありがとうございます!」
「信じられない……」
 本多は自分の心情を非常に端的に、ストレートに表現してみせた。
「ねえ、植村さん? どんな辛いことがあったの? ダメだぞ、一度しかない人生、もっと慎重に送ら
ないと」
「文乃! あんたはウチに何か恨みでもあるんか!――あ、植村さん、これ、入部届けと、我が宗教の
簡単な教え、それとお布施に関する条項です。よく読まずに、この入部届けにしっかりと名前と住所、
それとできたら銀行の口座名あたりも書き込んでおいてや」
「はい」
 その植村という女の子はざっと文書を一読すると、すらすらとなんの躊躇いもなく記入し始めた。
「ち、ちょっと待て! いいのか、それで? 親が泣いてるぞ! まっとうな宗教は他にいくらでもあ
るんだぞ!」
「……別に構いません。自分で決めたことですし」
「うんうん。信者の鏡や」
「え、えっと……そうだ! 恋人とか、好きな人とかいないのか! その人が今の君を見たらきっと悲
しむぞ!」
 植村はそれを聞き……泣いているような顔で、微笑んだ。
「恋人には…………フラれました」
「え?」
「今頃他の女と街を歩いているはずです。だから……もう私にはここしか頼るところがないのです」
 そう言って窓の外、クリスマス一色に染まった街の色を恨めしそうに見る。
「で、でも……」
 説得の――それに準ずる言葉を、出さなければならないと本能が告げる。しかし、本多にはもう、説
得の言葉が思いつきはしなかった。
「うんうん、分かるわぁ、その気持ち。そうやって人はクリスマスを嫌いになっていくんやわぁ」
 少しズレた感覚を持って、神野は涙を流していた。だがそれからすぐに立ち直り、
「ところで、入部届け書けた?」
「あ、はい……」
 整然と、美しい筆跡で書かれた名前。それを見て神野はは感慨深げに、
「ようやく! ようやく信者A号の誕生や!」
「A号……?」
「いや、信者一号とか言ったら悪の秘密結社みたいでいややな、と思って」
「それじゃあ、信者は全員で二十七人しか集めない予定なのだな?」
「……さあ、信者一号、張り切っていこか!」
「名前で呼んで欲しいのですが……」
 この雰囲気に――と言うよりも、世の中に疲れ切ってしまった声で植村が抗議するが、当然のことの
ごとく二人は聞いていなかった。神は常に、庶民の声などにいちいち耳を傾けぬものなのだ。
「さあ、それではいよいよ帰依の儀式や! これが終わればあんたもウチの教えに入れて、この世の辛
いことから救われるで!」
「はい」
「確か悩みは、恋人が秘書の女とデキてあんたを弄んだ挙げ句、あんたのことを捨てて恋の逃避行をや
らかし会社も乗っ取って消えてしまい、残ったのは家のローンと莫大な借金と犬のタマだけ、ってこと
やな?」
「そういった壮大なストーリーはありません」
「なんやつまらん」
 ぶつぶつと文句を言いつつ、神野は――勝手に置いてあるのだが――図書室の本棚から経典(自費出
版。またの名を同人誌)を取り出し、右手を天に向かって掲げた。
「ん、ともかく分かった! どんな苦しみであれ、私に向かって祈りなさい。そうすれば、すべては救
われます」
「はい」
 ただ揺れる振り子のに、呟く。何かを――期待もせずに待ち侘びて――待ち望んでいる――そんな人
間が共通に持っている憂いを浮かべて。そんなとき。人は概して、神という目に見えないものに頼るも
のだ。特に、そう、今日のようなクリスマスの日には――特に。
「それでは祈りと儀式を始めるでー」
 神野の左手が、植村の額に添えられる。そして、厳かな声で、彼女は――
「晴美!」
「――え?」
 突然、野太い声が図書室に飛び込んできた。そして、一つの大柄な男の体も。
「晴美……」
「あ……智也…………」
 それまでとは違った大気の緊張が走る。その智也と呼ばれた男は植村の元へつかつかと近づいてくる
と、
「晴美……ゴメン!」
「え……?」
 彼は周りを――図書室を見ながら、
「俺、気づかなかった。お前のことをこんなになるまで……お前がこんなとこに来るようになるまで傷
つけていたなんて……」
「智也……」
 ううん、と植村は涙ぐみながら小さく首を振った。そして、一歩、小さく彼に歩み寄りつつ、
「もういい。私もここに来たのは本気じゃなかったの。――正直言うとね、困らせてやりたかったの」
「…………?」
「あなたが私と一緒にイブを過ごせない、なんて言うから……。でも、ここに私がいれば、あなたがた
とえどんな用事があろうと、きっと私のことを迎えに来てくれる、って思ったから……」
「晴美……」
 二人は人目をはばかることなく強く抱き合った。
「ごめん……」
「ううん。私の方こそ……」
「――それじゃあ、行こうか」
「うん!」
 幸せそうに二人は腕を組んで図書室の扉をくぐり――
「あ、そうだ! ちょっと待って!」
 とっとっと、と軽快に植村は呆然として固まっている神野の元へ歩み寄ると、
「ただ今を持ってこの部活から退部させていただきます。お願いします。退部させて下さい」
 ビリビリ、とひったくるようにして入部届けその他諸々を破き捨て、足で踏みつける。
 それから最後に、とびっきりの笑顔で、言った。
「じゃあーねー! いいクリスマスをねっ☆」
 
 そして。
 二人が去った後の図書室では。
「ま、収まるところに治まった、と言うところだな」
 冷静に見ていた本多が帰り支度をしながら、窓の外を見つつ分析する。窓の外には、相も変わらず、
幸せそうな声で溢れている。
 本多は去り際に、神野に向かって軽く手を振りつつ、楽しそうに言った。
「今日はクリスマスだもんな。お前も幸せな一日を送れよ」

 クリスマス――それは、大半の人が幸せになれる日――

「クリスマスなんて大っ嫌いいやあああああああああっっっっ!」
 今年のクリスマスを境に。神野愛によるクリスマス=ハルマゲドン計画が推し進められていくのだっ
た。

サンタクロースは神の使者!?