序の一


 9月の末に沖縄へ行った。4泊である。
 関西埋め立て島空港から飛行機に乗った。この世に生を受けて22年と半年を経ているが、初フライトであった。それに加えてアメリカの旅客機自爆テロである。複雑な心境にならざるを得ない。
 夜、いつも見るニュース番組はその日、冒頭から台風の被害を映しつづけていた。台風という出来事を侮るわけではないが、物語としては、どこそこで冠水したとか、住民が避難したとか、想像するに容易なニュースであることが多く、自分が住んでいるところから遠いのであれば、興味をもてないのは当然だろう。贅言であるが、台風は貴重な水をもたらすのであり、被害ばかりではない。
 というわけで、せっかちにチャンネルを変えた。変えた先はNHKだった。偶然NHKだったのか、2チャンネルを押す傾向がぼくにあるのか、知らない。
 NHKは今年(2001年)から夜の10時にいわゆる報道番組をやるようになった。以前は11時からだった。キャスターも違っていた。本番中、スタッフに物を投げつけたりして悪評の高かった男と、未婚の久保純子がニュースを読んでいた。久保純子は活舌は悪いが魅力的であった。彼女は、ぼくがニュースを見るようになったきっかけかもしれない。それが電通の男と結婚してしまった。
 で、その番組が終わり、ニュースステーションにぶつける形でがらりと編成を変えた。どういう意図だったのか、久米がどう思い、彼の視聴率がどうなったのか、そこまでぼくは知らない。(こないだの週刊新潮によれば、いま現在のメインキャスターの狸顔の男は視聴率低迷の責任をとって、3月いっぱいで辞任するらしい。NHKも大変である。これは森田さんが席を奪い取る形になるが、しかたないだろう。)
 話がだいぶ逸れてしまったが、NHKは煙を噴出すビルを映していた。第一印象はなんだか知らないがひどい事故らしい、と思った。話を聞いていると飛行機がぶつかったらしい。どんくさいなと思った。しばらくすると二機目が隣のビルにぶつかった。それでもぼくは数十秒くらい珍しい事故だと思っていた。ニュースはいまいち混乱していた。どうやら誰かが意図的にやったのではないかと、わかってきた。
 もうひとつだけわき道にそれるが、ニュースステーションの久米はこんなときに限って休暇を取っていた。いつも一生懸命な渡辺真里へのご褒美である。またわがままな久米に罰があたったのである。せっかく帯で番組を持っていながらこのニュースを読めなかったのは痛恨であり、情けない。久米はどこに行っていたのか知らないが、慌てて帰ってきた。
 その日は1時くらいまでニュースを見つづけてしまった。そのテロのニュースを見ながら、不図あと二週間ほどすれば自分が飛行機に乗ることになっているのを思い出した。行き先は沖縄である。日本国内であるが、米軍の基地がたくさんある。微妙なところである。
 まず心配したのは政府からの指導なり、航空会社の自主的判断なりによって飛行機が飛ばなくなってしまうのではないか、ということだった。さらに空想が膨らんで、日本が戦争に巻き込まれて、とても危なくて、いずれにせよ飛行機が飛べなくなってしまうのではないか。これはニュースを見ながら、不覚にも興奮してしまい、冷静さを欠いていたのである。
 とするとぼくの払い込んだ前払い金一万二千円なりはどうなってしまうのか。僕はその前の日に飛行機のチケットを取りに、学校の中にある旅行会社にいっていた。旅行会社の窓口に口をきくのも初めてであり、ゆえなく緊張し、伝えるべき注文はなんなのか、要領を得ない口ぶりになった。ぼくの要望は、往復の日にちと、ホテルの確保だけで、その他は何も決めていなかったからだ。
 その当日は雨で蒸し暑く、半地下のその営業所は居心地のいいものではなかった。しかし、応対するお姉さんはとても粘り強く、親切にしてくれた。お姉さんがどこかへ電話をつないでいる間、ぼくは所在なげに店内を見渡す。壁に従業員の勤務時間表が貼ってあった。お姉さんの名前を胸につけた名札(左胸ではなく、両胸の間、つまりボタンを留める穴にその名札は通してあった)で確認すると、表で探した。いちばん下に名前があった。お姉さんは店で最も新しい人なのかもしれない。
 勤務時間は午後五時半までとなっていた。もうすぐ五時半である。ぼくのせいで彼女は残業しなくてはならないかもしれない。それでは申し訳が立たない。ひょっとすると彼女は、勤めの終わりに厄介な男につかまってしまったと内心舌打ちしているのではないか。
 店内は暑かった。9月なのに暑さが消えない。額を汗がすべる。お姉さんの鼻の頭も光っている。ようやく話がついて、チケットもホテルも予約が取れた。今日はとりあえず前払い金を幾ばくか払わなければならない。彼女は言った。
「一万二千円になりますけど、お持ちですか」
聞きようによっては人を貧乏人扱いする刺激があるかもしれないがそれにはわけがある。彼女との応答のはじめに提示された物件の値段が五万を超えるのを見て、ぼくは「今日はあんまりお金持ってないんですけど」と、告白していた。言外に、今日は様子を伺いに来ただけで、決断するかどうかはわからない、という意思を込めたつもりもあった。そのせいで交渉がぼんやりしたものになり、店内の湿度も上がった。
 一万二千円をかろうじて払い、出ようとすると、サンダルを履いたインド人がやってきて、別の女の店員に「Can you speak English?」と訊いた。その背の高い女の店員はすらすらと英語を話し始めた。ぼくはあらかじめこの店を侮っていた。

 テロのニュースから一夜が明けて、日が昇った。新聞はかろうじてテロを報じていた。一面の煙突のようなビルの写真はテレビから取り込んだものであった。新聞はこのたびの報道で、テレビに大きく水を開けられている。テレビはどのチャンネルもテロだ。娯楽番組を見たいと思う人が報道番組を見たいと思う人より少なくなっていた。この間もコマーシャルはあるタイミングで挿入されつづけた。地方局はしかたなくいつもどおりのプログラムだった。そっちに視聴者がなだれを打って集中するという現象が起きてもいいではないか。普段はあれほど娯楽番組を見ているのだ。
 テレビではいつまでもテロだが、どうやら沖縄に行くことは支障がないという気分が横溢していった。テレビばかり見ていられない。明日はテストなのだ。こんなときにテストなんかしてていいのか。いいに決まってるだろ。明日のわが国の繁栄のためにテストを受けねばならない。

 やがて沖縄へ向けて出発する時間になるのだが、初めて飛行機に乗るものにふさわしい散漫な不安はやってきた。そこへテロが加味されるだけだ。同じ飛行機にアラブ人が乗り合わせる情景はしかし思い浮かばなかったが、特徴のない日本人の男が前のほうの席でスチュワーデスや乗客を巻き込んで異常な力を発揮している様子はイメージできた。この日本人はなぜわざわざ飛行機の中でトチ狂っているのか、よくわからない。きっとアメリカのテロを成し遂げたアラブ人に触発されたのだろう。イスラム教徒でもなんでもないこの日本人がとにかく激励をうけて、多分個人的な理由でこういうことをする。そのときどうすればいいのか。そんなことを考えながら空港へ向かったわけではない。その他に考えることはありすぎた。

 飛行機の時間に合わせて、下宿を出られるように朝起きた。荷物の準備はできていた。適当な電車の時間をぼくは殊勝にも調べていた。その電車に間に合うようにバスに乗らなければならないのだが、バスの時間は調べてなかった。ままよと歩いて二三分のバス停へ向かった。バスが来るまで15分ほどある。不本意だが、致命的な待ち時間ではない。
 あと二三分でバスがくるだろうというころ、携帯電話の充電装置を持ってくるのを忘れていることに気づいた。そこで取りに帰るべきか考える。今すぐ走っていけば間に合わなくはない。しかし、荷物を抱えている身であり、走るととんでもなく疲れるだろう。荷物はベンチに置いて自由な体で走っていこうか。ぼくは放置してあるカバンを盗んでいく奴などいないだろうと思うほど、他人を信用することができない。好意的に考えても警察などに届けられたりしたら困る。しかしいくら良心的に見てもこの重い荷物をわざわざ警察まで運んでいく人間がいるだろうか。ポリボックスは500メートルほど行かないと存在しない。
 荷物は重いということを考えれば、盗む奴もいないのではないか。荷物の内容も、盗まれる側からすれば痛恨であるが、盗む側からすれば魅力的とはとても思えない。しかし、ひょっとすると、盗むのが面倒だからといって、その辺の道端にカバンの中身をぶちまけて立ち去っていくクソヤロウはいるかもしれない。
 とにかく放置していくのはリスクが多い。そこでぼくの隣に一人分席をあけて座っているおばあさんに目を向けた。この人に監視しておいてもらおうか。このおばばはどう見てもカバンを盗みそうではない。そこで問題なのはぼくが走ってとりに帰っている間におばばが乗るバスが到来するとどうなるのかである。おばばの責任感が強く、しかし気が利かなければ、盗まれないように用心して荷物を預かってバスに乗ってしまうかもしれない。ぼくはおばばを追いかけなくてはならなくなる。おばばを探し出すことは果たしてできるのだろうか。最も考えられるパターンはやさしいおばばがバスをひとつ見送ってぼくが戻ってくるのを待ってくれていることである。まさになんとお礼をいっていいのかわからない。
 もし携帯の充電装置が旅行中なければどういう被害が生じるだろうか、考えてみれば、それは些細なことではないか。携帯の電源を入れっぱなしにしておいた場合、ぼくの携帯は夜中になると自動的に電源が切れ、朝になるとひとりでにまた電源がつくようになっているため、節電されて旅行の間、バッテリーが切れることはないだろう。しかし、もし頻繁に携帯を使用すれば、電池はあえなく消耗する。頻繁に、というが普段でもめったに使わない携帯を沖縄にいって使うなどということがありえるだろうか。こちらからかけるとするとやはり本土の人間にかける用事が出来する可能性を考慮せねばならないが、よほど重大な事件がおきない限り、たとえばうっかり見逃してしまったNHKスペシャルの再放送の録画を誰かに頼むとか、そんなことがない以上、電話代の心配はいらない。しかし現地に知り合いはいない。誰かと新たにお知り愛になる可能性は否定できないが、そのつもりで沖縄にいくのではない。次に、かかってくる場合を考えると、これは電話代の心配はいらないのだが、自分が沖縄にいることをいちいち説明する必要が生じるかもしれない。もともと電話で話すのが苦手な上に、内心電話代のことを気にかけながら愛想を込めてリゾート地沖縄の様子を尋ねてくる話者に対してご機嫌な返事をしなくてはならない。いずれにせよ、電源をいれて携帯を生かしておくことがこの上なく大事というわけではない。むしろ干渉を意識的に排除することが旅行するものの姿としてふさわしいのではないか。そうである。意識的であることが重要なのだ。旅行というのは積極的に非日常性を手に入れる行為である。だから携帯の電源を切断するということにことさら意味を持たせなくてはならない。
 それから書き忘れていたが、この問題を考えるにあたって、不動の前提条件があったのだが、それはぼくの携帯はメールが使えないということである。メールなら料金は一定である。また非日常性を害されずに済むかもしれない。旅行先から手紙を書くことはすでに伝統性を備えている。しかし、非日常性と通信の関係は、伝統などといっても怪しい。またあとで触れることになろうか。
 ということを考えると充電装置をとりに帰るのは徒労である。しかし忸怩たる思いは残るのだが、それを一笑にふすためにも、ひょっとして沖縄の電化製品は本土とは規格が違うので、持ち込んでも使えないのではないかと、見当はずれなことを考えてみた。

 やがて、丘の向こうから姿を現した絶滅寸前の野生ブタのように悠然と市バスが接近する。
 ぼくの荷物はバスケットボールが二個入るかはいらないかの大きさの黒いカバンと、釣り竿一本だった。釣り竿は縮めた長さでちょうど杖ぐらいで、太さは直径2センチ弱、いざ目的を果たさんとすれば、5メートルと少しまで伸びる。カバンは充分重く、釣り竿は杖にして歩くわけにはいかず、片手をふさぎ、街中を移動したり、交通機関の手続きをする際など、頭痛のようにうっとうしい。
 また梅田を釣り竿を手にして歩いているものなど他にいない。ギターケースやラクロスのあの粗雑な虫取り網のようなラケットならまだしも、釣り竿である。
 ただ、実際には他人が釣り竿を持っていようが虫取り編み持っていようが、忙しい道を行く人々の眼には入らないらしい。それより、やはり一定以上の握力を常に作用させつづけることの煩わしさのほうが立ち塞がる。枷を嵌められているようなものである。右腕、あるいは左腕にストレスを感じつつ、思い浮かべるのは「ねじ式」の、右手で左腕を抑えて病院を探して歩き回るあの男である。

 「ねじ式」の原作はかなり以前に見たので内容はほぼ忘れた。かすかに思い出されるのは、三色くらい用いて描かれた、なんともいえぬ豪華さと、憂鬱さと、切羽詰った感じである。
 映画は、最後のほうはともかく、前半は原作をずいぶん逸脱していると思う。まず典型的な恋愛劇に始まり、それに疲れた男が自殺をはかり、それで英気を養って、渓流へ釣りに出かけ、また疲れてしまって、昔を思い出しにストリップ小屋にいき、関係を持ったことのある女がやりくりする海辺の食堂を訪ねたりする。睡眠薬を飲みすぎて長く眠り、目がさめるまではストーリーがよく転がって、また演出の奇妙さに大いにうけたが、後半は原作漫画の熱烈な思い入れのみで、退屈を禁じえない。
 原作の世界を実際に動かして現出せしめることの快感はただならぬものであろうが、見ているほうはストーリーがほしい。いやストーリーはあった。海で泳いでいた男が、メメクラゲに左腕を刺されて血管が切れてしまい、それをつないでもらうために病院を探す。なかなか見つからない。切れた血管から血が流れ出てしまうので、右手でつまんで血管を塞いでおかなくてはならない。海辺の町には目医者はたくさんあるが、外科がない。ようやく見つけた医者はしかし、女の産婦人科医だった。だから治せないのだが、とりあえずお医者さんごっこをすることにした。絡み合ううちに女医は男の左腕の患部をねじで占めて、コックをつけた。血の流れは止まり、要するに傷は治った。お医者さんごっこで動脈切断という大怪我が治るのだから、医学を皮肉っていると見えなくはない。その見方よりも、男は単にお医者さんごっこがしたかったのだろう。しかも、いざお医者さんごっこをはじめれば、それもどうでもよくなり、ただの交接をやり始めてしまうのだ。



序の二
 というペースで書いていると一向に旅が進まない。
 そのことにはたと気づき、重苦しい疲労がぼくを襲い、筆が止まって書きっぱなしになっていたのを、何とか決着をつけようと発奮して再開するまでに、3ヶ月ほどたっている。つまり、沖縄旅行は9月の下旬に実行され、住処に帰ってきてから、あるいは沖縄にいるときから、沖縄のことをしたためておくべきだろうと思い、それでも書き始めるまでに一月ほどかかった。書いてみると、こういうのは思いつくままに書くべきだという気持ちで書いたのが悪かったはずだが、きりがなくしかも何を書いているのかわからない。
 めんどくさくなって書くのをやめていたのだけど、書いたほうがいいのにという気持ちは依然としてあり、だから沖縄の記憶がみるみるうちに薄れていくのが心痛だった。
 そして四分の一年ほど過ぎて、決意を新たに続行するに及び、真摯に反省し、書き方を変えることにした。
 反省を活かして項目ごとに分けて書くことにした。
 テーマごとに書くとなると、どういうテーマに分けられるのか、案出しなくてはならなくなった。で、思いついたのは、飛行機、風土、社会、沖縄人、そして総論的な旅である。たったこれだけか。しかしこれ以上思いつかない。一つの物事を系統に分割していく作業は、論理能力が試される。ぼくにはそれがないのか。書くべきある事物があり、それは一体どの項目に分類されるのか、あるいは新しい項目を派生するのか、ぼくにはその判断がつけられない。たとえば上に挙げた沖縄の項目でも、他に教育とか、風俗とか、海など思いついても、大きく考えれば、社会あるいは風土に分類されてしまう。もっといえば社会も風土に含まれるかもしれない。要するに一様な思考をしてしまうのだ。
 とにかくこの四つか五つの項にしたがって書く。旅という項があるけど、これはいわばその他のようなもので、分類学でも、うまく整理するには、その他という入れ物をこしらえるのが、秘訣だという。


飛行機
 さて飛行機である。
 すでに述べたと思うが、ぼくは飛行機にこのたび初めて乗った。ヘリコプターにも気球にも乗ったことがなく、長時間中に浮くのは初めてだったのだ。 
 想像力が少しでもある人間なら不安にならざるを得ない。落ちれば死ぬのである。
 さらに間の悪いことにニューヨークでハイジャック・アンド・自爆テロがあり、否応にも不安をあおる。
 落ちる心配より、飛行機に乗り遅れる心配がまずある。見慣れぬ時刻表などめくり、その危険を回避した。問題さえおこらなければ、二度の乗り継ぎはかなりスムーズにいくはずだった。
 電車は思惑通り、離陸の一時間半ほど前に関空の埋め立て島に滑り込んだ。
 普段は電車に乗るときは本を読むのが癖なのだが、せっかくの旅行なのだし、そういうせわしないことはやめようと自戒し(カバンの中には数冊の本が入っていたが)、窓の外など眺めていた。それだけで心が豊かになるようだった。ぼくは近畿地方を走る行きの電車の中で旅を満喫してしまった。
 特に関空島へ渡る海の上を行くとき、興奮は絶頂に達していた。
 興奮冷め遣らぬまま、空港に入り搭乗手続きを試みた。空港は案の定巨大な建築物であった。もしJRの駅のようだと困惑するだろう。鉄道の存在価値を軽視するものではないが、それはまっとうな偏見だと思う。
 しかし、手続きを済ませたあとに思うのは、空港のその図体にかかわらず、機能はシンプルなように思った。これほど大きな建物が必要なのだろうか。まあ、空港は犯罪の匂いのするところである。潜在的犯罪者の悪気を消沈するためのガ体なのか。それとも旅行者の気分を盛り上げる演出なのか。
 ぼくはいくらか圧倒されながら、全日空のカウンターへ向かった。航空各社のカウンターがずらりと並んでいる。横並びである。カウンターで手続きは機械で済ませろ、とたらい回しにされた。この感覚は銀行で経験済みだ。ぼくは電子画面に向かって手続きをした。お預けになるお荷物は? 釣竿、とぼくは言った。
 荷物を預けるにあたって二つの不安があった。間違って他の飛行機に運び込まれはしないかということ、それと釣竿のことだった。ぼくはいやな汗をかいて荷物預かり所の前まで行った。湿ったシャツがべっとりと胸にはりついていた。(昨夜やや睡眠が短かったこともあり)身体がだるく、脚がむくんでいた。まるで(旅先沖縄の)曇り空をそのまま飲み込んでしまったような気分だ。
 ぼくが手に持っている1メートルの棒は釣竿に見えるだろうか。とにかく危険なものに見えなければいい。それより、釣竿もって沖縄に行く男は不可解ではなかろうか。人の列に並ぶでもなく思案にくれ、立ちすくんでいた。
 よほど立ち振る舞いが悪かったのだろう。係員の女性が近づいてきて、「大丈夫ですか?」と心配そうにぼくに声をかけた。女性はぼくのさおを手にとり、顔を近づけ、仔細に眺め、重さを量るように上下に動かした。そして縮めたさおの先には、ゴムのカバーがついていて、女性はそれを引っ張った。そのカバーはそんなに引っ張るものではない。まったく扱いなれていない。ぼくは萎えた。
「大丈夫。魚を釣るだけだから」とぼくは言った。
 釣竿とカバンは金属探知機を経て、カウンターの奥へ消えていった。
 出発までにはしばらく時間があったので、空港のレストランで昼食を食べた。850円のそば定食。それから空港内の書店で沖縄の案内書を立ち読みした。小さなガイドブックにはぼくの求める情報は出ていなかったが、沖縄の名産や現地の事情や気候について、基礎的な知識は本当なら前もって得ておくべきだった。沖縄の戦後の歴史といくつかの歌を別にすれば、沖縄という南国についてぼくは多くを知らなかった。甲虫の種類や、民事再生法の手続きシステムについて多くを知らないのと同じように。
 アラビアンテロ以降、厳しくなったのであろう身体検査を受けて、ラウンジに出た。窓の向こうには、旅客機がすぐそばに見える。飛行機内と空港の空間はアコーデオンでつながっている。飛行機は思ったより小さい。小さすぎるのではないか。
 ラウンジに出ている人びとは逆光で影に包まれている。
 落ち着かない感覚だった。世界は現実性の核を喪失していた。色は不自然で細部はぎこちなかった。背景ははりぼてで、星は銀紙でできていた。接着剤やくぎの頭が目に付いた。しょっちゅうアナウンスが聞こえた。「日本航空、485便、東京行きにご搭乗になるお客様・・・」。ぼくは売店でハイネケン・ビールと、ソルトピーナツの袋を買った。顔の汗を拭いてビールを少し飲むと、いくらかまともな気持ちになった。そしてまた少しだけビールを飲んだ。
 
 いざ飛行機内へ乗り込むにおいて、電車の自動改札のごとくチケットを箱に滑り込ませる。電車と違うのは傍らに女性職員が立ってお辞儀をしてくれることだ。
 思ったより小さい、遊園地の乗り物を大きくした感じの、飛行機の内部は、やはり狭かった。心持背をかがめつつ、自分の席を探す。前から5行目の右、通路側。入り口が近い。これは逃げるとき、有利かもしれない。
 2行前の席は、非常口に接していて、その扉に、この席に座った人は緊急時には乗客の誘導を手伝ってくれと書いてある。自分以外の客が脱出してからじゃないと逃げられないらしい。あくまでボランティアで。ぼくは自分の席がそういう意味を帯びていなくてよかったと思った。
 もし事故がおき、自分の席がボランティアシートだったなら、気の小さいぼくはその指示書のとおり、先に逃げず、機内に残ってしまうだろう。他の乗客がスムーズに流れればいいが、たとえば年寄りが、もたもたしていて、気の弱いぼくは「はよいかんかい」などと、手を貸すかもしれない。その1分か2分の違いで燃料に火がつき、ぼくは逃げ遅れるかもしれない。
 もし、その鈍重な年寄りが「私はほっといて先に行ってくれ」といったら、どうしよう。あるいは、年寄りを助けるにしても、助け方があるだろう。肩を貸す、おんぶする、引きずる。腕を引っ張ったとき、身体の傷んだ年寄りの肩が脱臼したら、ぼくは助けたにもかかわらず、責め苦を味わうのか。
 そもそも、飛行機が大破炎上する事故なら、葛藤に悩むまもなく、あの世いきだ。

 考え始めると不安になるので、座席の使い方を学習し、気を紛らせることにした。
 前の席の背もたれの後ろに網があり、そこに雑誌のようなもの、ナイロン袋、イヤホンなどが入っている。消毒済みイヤホンを取り出し、ひじのせの内側に差し込んだ。しかし、音が出ない。ちゃんとささっていないのか。力を込めて、押し込んでみた。ひじのせがぐらぐら揺れる。まだ音が出ない。ボタンをいろいろ押してみる。そのとき、間違って、呼び出しボタンを押してしまった。
「どうかなさいましたか」
スチュワーデスの人だ。まだ離陸もしてないのに、呼び出されて迷惑なはずだが、彼女は一点の曇りもない笑顔だった。
「いや、あの、まちがってしまって、すいません」
飛行機に乗るのは初めてなんです、とはさすがに恥ずかしくていえなかった。しかし、すいません、となぜか謝っていることからして、すでに情けない。彼女も、こいつ初めてか、と内心気づいてしまったかもしれない。
「いえいえ、大丈夫ですよ」
ぼくの顔を覗き込むように、目線を低くして、フォローしてくれる。ああっ、髭を剃ってくるべきだった。ぼくは、この飛行機が墜落するのではないかという不安と、スチュワーデスに醜態をさらしてしまった恥ずかしさで、いよいよ混乱が深まった。とりあえず、シートベルトをしてみた。乾いた音を立てて、金具が閉じた。こんなもんで大丈夫なのか。「大丈夫ですよ」頭の中で、その声が再生される。

 乗客は次々入ってくる。この調子なら満員かもしれない。怪しいやつがいないか、観察してみる。いかにも、モラトリアムな男子学生4人連れが楽しそうに談笑している。
(こいつら、アホなすねかじりを演じながらも、実はハイジャック企んどるんちゃうか)
別の席に、サングラスをかけた白髪混じりのボブヘアー女が、心持頭をもたげて黙考している。
(こんなオバはん、赤軍派におったんちゃうか)
飛行機に乗り慣れた感じで、英字紙に目を落とす外国人、多分ビジネスマンが、あくびをした。
(おっ、外人や。なに人やろ。イタリア人かな。アラブ人ちゃうやろな)
通路を挟んで斜め後ろに豊かな艶のある髪の女が、イヤホンに耳を傾けている。そのカジュアルな服装と、隣の男との没交渉ぶりからして、女の一人旅らしい。
(どこへ行くのだろう。ああ。沖縄か)
じろじろ見ていると女と目が合いそうになった。慌てて目をそらす。ぼくの隣の客はまだこない。他の席はあらかた埋まっている。入り口に目をやると若い女が入ってきた。
(ひょっとして)
女は搭乗チケットの番号を確かめながら、だんだん近づいてき、ぼくの横を通り、やがて後方へ去っていった。
(惜しい)
顔をしかめていると、スチュワーデスがこっちを窺っている。この飛行機の中でもっとも怪しい人間は、あるいはぼくだったかもしれない。落ち着かなくてはならない。
「すいませんけど、隣座りますんで」
男が言った。
「はい、どうも。ぐう」
立ち上がろうとしたら、腹にベルトが食いこんだ。
「大丈夫ですか」「ベルトはまだ早かったかな」
ベルトの金具はまた乾いた音をたて、外れた。

 飛行機が動き始め、スチュワーデスの機内放送が始まった。先刻、透き通った笑顔でぼくを魅了した彼女がチーフらしく、マイクに向かってしゃべっている。「アテンションプリーズ」の発音は完璧だ。その顔からは笑顔が消え、真剣な、疲れた表情が現像している。
 しかし、笑顔はすばらしかったのだ。スチュワーデスになるには笑顔の訓練を受けるに違いない。そのとき仕込まれる笑顔は、友達と喋っていて笑う笑顔ではないはずだ。プロフェッショナルな型である。しかし、彼女は笑えといわれて、笑ってみると、どうしても普段の笑い顔が出てしまう。
「そんなんじゃ、疲れるでしょ。もたないわよ」
先輩スチュワーデスはアドバイスしてくれるが、うまくいかない。彼女の笑顔は、そういう感じの笑顔なのだ。つまり、生身の自分を隠すことができない、正直な性格の人なのだ。
 ぼくは彼女のようなスチュワーデスと乗り合わせることができて、嬉しく思った。
 もし飛行機が墜落しても、彼女と一緒なら甘んじてあきらめよう。
 乗客にそこまで思わせることができたなら、スチュワーデスの鑑である。

 客席前方のモニターが滑走路を映した。飛ぶための加速が始まるのだ。
 ジェットエンジンの発する音が高ぶる。がくっという衝撃とともに、慣性力が背中をシートに沈めていく。
 しばらくすると、床が持ち上げられた。急いで高度を上げていく。上昇しながら右へ旋回していく。関空の埋立地が窓から見える。陸から四角いヘルニアのように突き出ている。
 そのまま雲の上に出て、四国の上を沖縄まで飛んでいく。
 このような鉄の塊が空を飛んでいるのである。嘆息した。もう一度離陸してほしかった。
 スチュワーデスがまた客室に姿をあらわし、活動し始めた。酒が出るという噂を耳にしていたが、ジュースしか出なかった。ぼくはチーフから2杯のオレンジジュースを紙コップで頂いた。もちろん彼女は例の自然な笑顔である。
 モニターがNHKの昼のニュースを放映していた。ラムズフェルド米国防長官がアフガニスタンに対して、容赦しない、と力説している。音声はイヤホンから流れる。イヤホンのコードはビニルバイプらしきものでできており、捩れて折れると音が止まった。糸電話のようなものだろうか。NHKニュースはなかなか洒落ていたが、音声をクラシックのチャンネルに変えた。聞き覚えのある曲だ。人材派遣会社のコマーシャルで使われている。OLが公園のブランコに座って昼食の弁当を食べていると、天のほうからこの曲の冒頭がちらりと聞こえる。気のせいかと思っていると、また曲が聞こえる。そしてOLは電話ボックスに駆け込む。このコマーシャルはとても面白い。この曲をチャイコフスキーが作曲したと、飛行機の中で知った。ただし、曲名は忘れた。

 飛行機は常に細かく振動している。この揺れは珍しい感覚ではない。電車に乗れば、もっと揺れる。パイロットが放送で挨拶をして、ついでにこれから低気圧の影響で激しく揺れるが、動揺するな、と注意を促した。飛行機は確かにがたがた揺れたが、車で未舗装の道を走っているときのほうが揺れる。天井は低いけど、電車よりは広い。他の客たちは静かに座っている。ぼくはやがて飛行機になれた。少し練習すれば、操縦もできそうな気がした。というより、操縦桿を握って、空中を自在に移動できれば痛快だろうと思った。
 クラシックチャンネルは一通り曲目を消化して、また同じ曲を流し始めた。少し眠くなってきた。神経が疲れているのがよくわかった。普段ならコロリと眠りに落ちるところだが、それほど苦労せずに覚めていることができた。興奮しているのだろう。
 帰りの飛行機では、ずいぶん眠った。帰りは客も空いていて、窓際の席を選べた。隣は空席だった。ちょうど窓の外に主翼が張り出していた。主翼は不精な中年のおっさんのカローラのように汚れていた。また、短く見えた。未来少年コナンは飛行機の翼の上で、敵と戦ったが、彼は縦横無尽に駆け巡っていた。そのイメージからして、狭い翼だ。しかし、この薄汚れた翼が、鉄の塊を浮かせているのだと思えば感動的だ。
 飛行機のことで後悔していることがある。往復2回のっておきながら、果たせなかった。それはトイレだった。トイレぐらい行けばいいのだが、尿意が危機的レベルに達することがなかったのと、忘れたころには誰かが入っていて、使用中ランプが点いていた。それから、飛行機内を散歩してやろう、操縦席も覗けるかもしれない、などと甘いことを考えていたが、そういう雰囲気ではなかった。

 2時間半のフライトの後、飛行機は沖縄に着いた。着陸も面白かった。地面すれすれのところをある程度飛んでいるわけだが、もう着陸したかな、と油断していると、ドスンと意表をついて滑走路とぶつかる。
 以前、映画館で北野武の「菊次郎の夏」を見たときのこと、映画が終わり、幕が下りると、後ろのほうから拍手が聞こえてきた。映画に感動した婆さんが手をたたいていたのだ。拍手は婆さん一人だけだった。他の客はぞろぞろ出口に集合している。婆さんは、受付のお姉さんを相手に、しきりに映画を誉め、また感謝していた。
「たけしの映画、今までのやつはしょうもなかったけど、これはよかった、ほんまに」
よほど感動したのだろう。一刻も早く、誰かに感動を伝えたかったのだ。受付のお姉さんは、少し困惑した様子で、微笑んでいる。
 飛行機が沖縄に着陸したとき、ぼくは、あの婆さんのように拍手するべきだったかもしれない。しかし、ぼくは飛行機に乗ったくらいでいちいち喜んだりするのは田舎モノだよ、まったく、という面持ちで、外に出た。スチュワーデスさんは、いずれにせよ笑顔で見送ってくれるのだった。
 







目次へ