この映画の主人公はバートン・フィンクという脚本家である。彼はニューヨークで活動していた。魚屋の話が新聞で絶賛される。彼は民衆を描こうとしている。その民衆の作品を見て金持ちの連中が「感動した」と誉めるのを苦々しく思っている。彼は純粋で、まったく新しい演劇を生み出そうと考えあぐねている。評判の彼を見て友人はハリウッドへ行くことを薦める。この辺り日本人には実感が湧かない。「金を稼いでから自分の好きなのを書けばいいさ」彼はハリウッドへ行ってみることにした。
ハリウッドは変な人間ばかりがいるという印象が見られる。この辺りも日本人にはわかりにくい。バートン・フィンクは薄暗いホテルに泊まっているが、これは要するに彼の民衆指向にあった安ホテルということがいいたいらしい。
彼は志は大きいが雇ってもらっているのはB級の映画会社である。同じユダヤ人の社長からなんでもいいからプロレスラーの話を書けと急っつかれている。しかし彼はプロレスラーの話など書いたことがなく書こうとも思わない。筆がまったく進まず彼はノイローゼになっていく。純粋な人間がごちゃごちゃした商業社会で押しつぶされていく様子を描いているが、決して彼に同情的ではない。何せ、B級映画なのである。生首の入った箱を机の上に置いてようやく書き上げた作品も没になる。唯一の救いは刑事が一人「なかなかいい話だ」と感心してくれたことだけだ。
で隣に住む太った男である。フィンクは彼と仲良くなる。フィンクは彼に話を聞いてもらう。しかし、彼の話を聞こうとはしない。フィンクは民衆を声を汲み取るんだ、といってるわりには人の話を聞かない。しかし、太った男もまんざらではないようで部屋を訪ねてきてくれる。彼は実は殺人鬼である。フィンクは殺人鬼に救いを求めていたのだ。刑事から彼が殺人鬼だと知らされてもまだ彼と話をして慰められたいと考えている。フィンクはどうしても彼に惹かれるのだ。それは二人とも狂った人間どものなかにいて平気でいることが難しく、また人間を開放してやろうと考えているからだ。フィンクはストーリーを作ることによって、殺人鬼は殺すことによって。殺人鬼は自分の家に帰っていき、フィンクは腑抜けのようになってしまった。
この映画は総じてよく分からない。難しいのかつまらないのか。フィンクが作品を完成させた喜びのあまり踊り狂っているが、あんなに楽しそうに踊っている人を見たことがない。そこはよかった。
部屋に飾ってあった水着の女の絵と同じ景色に出くわすが、一体どういう意味なのだろう。
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