すごいオープニングだった。久石譲の格好良い音楽を背景にくだらない漫才を舞台袖からのアングルで映す。いったいどういう映画が始まるのか皆目見当がつかない。
北野武といえば演出の手だれだと思っていた。この映画は脚本がすごい。すごいというのはドラマチックという意味ではない。無駄がない、あるいは無駄しかない。
監督はテレビでよくいう。個性のないやつに個性を発揮しろといっても土台無理である。この国の昔には個性のないやつには個性のない生き方があり、それはおかしなことではなかった。
今は違う。
この映画にはいわゆる個性のあるやつはいない。
ただ、それぞれには密度の高い時期がある。
それは個性が環境によって無化されるという意味ではなく、個性がなくても人生は楽しいという意味である。
校庭を二人乗りしながら
「おれたち終わっちゃったのかな」
「馬鹿、まだ始まってねえよ」
人生には始まりなどないという意味である。
個性の定義について述べることが道義であろうが、この映画では、世の中で広く、誤解も思い込みも含めて認識されている意味での個性である。新しい個性について提示するものではない。映画は多くの人に見てもらわなければならないからだ。
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