石井克人監督の前作「鮫肌男と桃尻女」では、ストーリー上の無理を引け目を感じつつ誤魔化していたが、この「パーティ7」では陽的に、キャラクターの愚鈍さに原因を求めるようになった。あるいは、無理のあるストーリーそのものをギャグにしている。
シナリオは「鮫桃」と似ている。ヤクザの組からカネを掠めた男が組の人間に追われる。ガイリッチーの「ロック、ストック&トゥースモーキングバレルズ」と「スナッチ」の関係を意識してのことか。
「パーティ7」では、力のある撮影監督を招いたらしいが、撮影された画と脚本の間に違和感があった。その違和感が面白いのか。
覗き部屋と覗かれている部屋の絡みがない。最後に垣根が崩れてドンちゃん騒ぎになるというオチでパッとはじけて終わりだ。覗き覗かれる関係の断絶さと無関心が現代を象徴するのか。
「鮫桃」の女の子はなんという名前か忘れたがとても愛らしい女優だったのに、「パーティ7」の女は、あごが張り、無遠慮な厚い唇が梅雨どきの台所のように湿っぽく、表情のない眼差しは荒んでいる、まったく感じるところのない女優である。例えば井川遥のように(彼女はいいのだが)、分厚い唇が流行っているのか。岡崎京子とかやまだないとといった辺りの女性漫画家は分厚い唇の女を描く。その影響か。浅野忠信演じる覗き男のように異質な人間しかわからない魅力なのか。
永瀬正敏はほぼ万能の俳優だと思っていたが、この作品では居心地の悪さがあった。それはヤクザの三下のわりに年を食ってしまったというだけではなく、台詞が心底笑わせようとしていない。これは脚本が悪いのか、演技が悪いのか。その点堀部の演じる兄貴分はあまりに滑らかだった。この俳優がお笑いコント出身だからかもしれない。この映画は、いわばコントなのだろう。
演技が溶解せずにダマになっているという点では、原田のキャプテンバナナもそうだ。この場合その違和感は、ベテランの原田を起用したことからして意図的だろう。そういう前提でも馴染まないものがあった。
「鮫桃」はテーマがお笑いではなかったが、この「パーティ7」はそのタイトルが示すように、おかしくて、楽しく愉快な映画を目指している。つまり、「鮫桃」では味付け調味料であったおかしさを「パーティ7」では前面に押し出し、真正面から提出している。多分それはうまくいかなかったのではないか。
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