最終更新 2003/04/13 20:48:12

ブレイブフォース

 世界が、滅びようとしていた。

 人類は、科学の力で混沌の門をこじ開け、魔法を復活させた。しかしそれは、かつて混沌の海に沈んだ邪悪な神々を復活させることでもあった。

 人類がその過ちに気づいたときには、既に魔神イジュルとダナーグが南極に降り立っていた。邪神の後継者イジュルと、かつての世界の支配者ダナーグ。二匹の魔神は、瞬く間にファルコジュール大陸を滅ぼした。多くの緑で覆われた、『美しき母』の別名を持つ大陸は、わずか数週間のうちに焦土と化したのである。

 しかし、魔法の復活に伴い、北半球と南半球を分断する『嵐の壁』もまた復活していた。始終強い嵐に覆われた一帯。かつては人類の南半球への進出を妨げてきた、天然の巨大な壁。現時点で人類が頼れる、唯一の防壁である。世界中の軍艦が嵐の壁の前で、壁を越えてきた魔獣を迎え撃った。しかし、当然すべての魔獣を防げるわけではなく、北半球でも魔獣による被害が徐々に増加していった。

 南半球が魔神の軍勢の手に落ち、イジュルが巨大で醜悪な城を建てたころ、『平和の地』ハイルディアでサミットが招集され、『聖神復活計画』が決議された。世界中に散らばる聖神の魂を集め、今再び聖神をこの世に降臨させようという計画である。

 聖神の魂、ブレイブフォース。遥か昔、邪神を滅ぼした聖神もまた力尽き、その魂は世界に散らばった。それは、世界のありとあらゆる物に浸透し、今もなお、その力は続いている。その力を多く宿した人間は聖人と称えられ、大地は聖地と呼ばれる。大きなブレイブフォースが引き起こす現象を、人々は『奇蹟』と呼んだ。

「ねえ、やっぱり行くの?」まだ少女と言っても良い年齢の、白いブラウスの良く似合うその女は、愁いを帯びた瞳で男を見つめた。

 湖を眺めて座っていた男は、ゆっくりと振りかえった。「……フィアナか」声で誰かは特定できたが、太陽を背に立っている彼女の表情は良く見えなかった。

「……今、ブレイブフォースがどれだけ金になるか、知っているだろう? 魔獣のせいで物価が上がって、今や一日一食の食事がやっとだ。魔獣がここまでやってくる前に、餓えで村が滅んじまうぜ」

「そうだけど……」フィアナは男の背を見ながら、一歩進み出た。背中まである長い栗色の髪が、ふわりと揺れた。「物を売ってしばらくは凌げるわ。聖神様が復活なさるまでの辛抱よ……」

 その言葉に、男は首を振った。「物が売れるのも今のうちだけだ。……なあに、国が組織する発掘隊に参加するだけだ。すぐに帰ってくるさ」

 もっとも、南半球との貿易が途絶えた今、すぐに食糧危機が訪れるのは目に見えている。いつまで金で食料が買えるかも疑問であったが。

「ジン……」フィアナが男の名を呼んだ。「……でも、リジェンダの辺りは魔獣が多いって聞いたわ」そしてフィアナは、ジンの隣りに腰を下ろした。

「ちゃんと護衛として軍も同行する。大丈夫だよ」ジンはそう言って微笑み、フィアナをそっと引き寄せた。

 そして二人は、長い口づけをかわし、草の上に倒れ込んだ。

 リジェンダとは、ここエルーダより千キロメートルほど南に下ったところにある地方の名である。昔は鉱山が多いことで有名だったが、次々に鉱山が閉鎖されるとしだいに寂れていった。だが今、ブレイブフォースを多く含む聖鋼石を掘り当てるための発掘隊が編成されていた。これは、国家としてもひとつの賭けであった。しかし、小国にできることなど、この程度しかなかったのである。

 フィアナは、ブラウスのボタンを付け終えると、ジンの胸にもたれかかった。「ジン……無事に帰ってきてね」そう言うフィアナの髪を、秋の訪れを告げる風が、そっと撫でていった。

「ああ。半年はかからないさ」そしてジンは、フィアナをそっと抱きしめた。「新年祭に合わせて式を挙げよう」

「うん」フィアナは、夕焼けにオレンジに染まった湖を見つめた。「……私ね、この湖が好き。……この山も、この国も……そしてこの星も。……ねえ、きっと成功するよね、世界は……終わらないよね」

 フィアナのその言葉に、ジンは再び彼女を抱きしめ、髪を優しく撫でた。「ああ……きっと、大丈夫さ。昔、世界が魔神に支配されたときだって、人類は勝ったんだ。今回だって、きっと……」

 リジェンダには、数多くの男が集まっていた。作業空間や配給される食糧の問題もあるため、簡単な体力テストが行われ、来て早々帰らなければならない者も多かった。

「なあ、聞いたか、グライツの話」同じ班に編成された男が、ジンに話しかけた。

 今は休憩中である。仮設されたテントの中で、交代で休みを取っている。

「いや……グライツ帝国がどうかしたのか?」グライツ帝国とは、ここラスカーダラ大陸の西側で最大の帝国である。現在は賢帝レイアと呼ばれる女帝が国を治めている。

「ラシュナ神国に戦争を仕掛けたらしい」

「なんだって? こんなときにか」

「ラシュナ神国はその名が示す通り、ラシュナ教の聖地だ。当然、ブレイブフォースも多い。あそこのブレイブフォースだけで計画が遂行できると言う学者もいるらしい」

「……だが、ラシュナ神国はブレイブフォースの提供を拒んだ。聖地としての機能を失えば、奇蹟が起こせず、神国はその威信を失う。……そういうことか」ジンは男の話の先を読んでそう言った。

「ああ。それに、聖者の中にも自分の地位に固執する奴がいるらしい。……馬鹿な話さ」男が吐き捨てるように言う。その男の胸元に光る聖印のネックレスは、彼がラシュナ教徒であることを示していた。

「……そろそろ寝よう。疲れを取らなきゃ、明日がしんどいぜ」ジンは毛布を頭までかぶり、言った。

 二ヶ月後。既に北半球でもいくつかの大国が滅ぼされていた。

 リジェンダでは、かなりの量の聖鋼石が掘り出され、計画の中心地、ハイルディア島の中央神殿に送られた。しかし、ジンたちの作業は未だ続いていた。先の見えない、辛い仕事であった。

 そのころ、魔神ダナーグは、かつてこの世界を支配していたころの居住地であるハイルディアを目指して進軍していた。連合軍は、その力を結集して魔神の手勢を迎え撃った。しかし、ダナーグ直属の魔人や魔獣は桁外れに強く、戦闘機は飛竜に落とされ、戦車は地竜に潰され、といった感じであった。

 そして更に一ヶ月が経った。世界最大の大陸、ラスカーダラをまっすぐに北上し、ついにダナーグはラスカーダラ大陸の北端に位置する、レシアヴァンド帝国を滅ぼした。海を挟んで、ハイルディア島である。

 魔神ダナーグに目前に迫られ、ブレイブフォースが足りるかどうかという不安を残しつつも、ラシュナのブレイブフォースを最後に、連合議会はついに決定を下した。聖神復活の儀式の開始である。

 連合軍も、最後の力を振り絞り、魔神ダナーグの軍勢を防いだ。

 三日三晩続いた儀式が終わり、司祭たちの最後の祈りが重なる。

『降臨せよ!』

 直径数十メートルの魔法陣から、眩い光が天に昇っていく。天を貫く光に、ハイルディアの人々は計画の成功を確信した。

 しかし。

 すべての光が天に吸い込まれた後、そこには静寂だけが残った。

 そして、絶望の中、連合軍は敗れ去った。ハイルディアは、再び支配者の王座へと戻ったのである。

 王は、闇の中、満足げに笑みを浮かべた。

 降臨の儀式が行われていたそのとき、ジンたちは巨大な聖鋼石の前に立っていた。最初は、小さな聖鋼石だと思われたそれは、いくら掘り進めてもその全容を現わすことはなかった。それは、鉱石というレベルではなかった。鈍く明滅を続けるそれは、まるで神の鼓動を伝えているかのようであった。

「まるで、神の心臓みたいだ……」

 そうジンが呟いた瞬間、それは眩い光を放った。山の外にいた者には、天から降り注ぐ光が見えた。そして次の瞬間、山は跡形もなく消え去った。人々も、作業用の機械も、すべてが消え去り、後には巨大なクレーターだけが残った。

「う……」ジンは頭を抑え、立ち上がった。「なんだったんだ……今のは」そして周囲を見渡す。

 周囲の状況を見て驚く前に、ジンは理解していた。儀式の失敗を。儀式でひとつにまとめられたブレイブフォースは、空を渡り、ブレイブフォースの結晶とでも言うべき、あの岩に吸い込まれた。そして、もっとも近くにいたジンに、そのすべての力が流れ込んだのである。

 光に吸い寄せられるように、飛竜の群れが飛来した。その羽ばたきで森を震わせ、ジンに向かって一直線に飛んでくる。そして咆哮。灼熱の空気の塊が、ジンを襲う。ジンの背後の岩がどろりと溶けた。しかし、ジンはなんともない。

 ジンはふわりと浮き上がった。無数の衝撃がジンを襲うが、ジンも、ジンの着ている服も、なんの影響も受けていない。

 ジンが手をかざすと、一振りの光の剣が現れた。なにかが光っているわけではない。それは、神の力を示す、純然たる光だった。憎き神の光に興奮した飛竜たちには、逃亡するという考えは浮かばなかった。

 そして、勝負は一振りでついた。並みの岩よりも硬い飛竜たちは、数十メートル離れた場所で振られた剣の力で、すべて塵と化したのである。

 次々と襲い来る魔獣を倒しつつ、ジンは近くの街へと向かった。既に誰ひとりとしていない、無人の街。確かラウゼンという名の街だったはずだ。ぼろぼろに破壊されたビルや家は、焼けているものも多い。恐らく、飛竜か火竜のブレスであろう。

 駅前に転がっていた新聞を拾い上げる。三日前の日付け。三日前までは、まだこの国には余裕があったということだ。ただし、新聞とはいっても、基本的には「魔獣の軍勢が何処を攻めた」とか、「○○国が滅んだ」とか、そういった類の暗い話しかない。ページ数だって、四ページしかない。つまり、一枚ということだ。

 その新聞に目を通し、ジンは硬直した。

『エルーダに巨大軍隊蟻大発生。住民の生存はほぼ絶望的』

 巨大軍隊蟻。体長十五センチメートルを越える蟻で、魔力を帯びた外骨格は鉄よりも硬い。巣を持たず、群れで移動する。生きているものも死体に変え、食料とする。その対象は人や獣、ときには子竜にまで及ぶ。彼らが通った後には、動くものはない。幾つかの地方では、子どもを叱るときの脅し文句として、巨大軍隊蟻が出されることもあった。

 ジンはひとり、故郷を歩いていた。エルーダ市の外れにある小さな村。村の北にある湖の名を取って、カルンと呼ばれていた。

 巨大軍隊蟻の通った後には、噂に違わずなにひとつ残っていなかった。木造の建物は粉々に破壊され、カルンにはあまりないが、コンクリートの壁も削られ、所々に穴が空いていた。

「骨まで喰らう、軍隊蟻……か」自分の、崩れた家に戻ってきたジンは、ぽつりと呟いた。いくつか血痕は確認できたが、死体はひとつもなかった。入り口の周辺に家具の残骸らしきものがあるということは、巨大軍隊蟻が襲ってきたときには、家の中に追いつめられ、逃げることもできない状態だったのだろう。

 フィアナの家にも寄ってきたが、同じような状態だった。

 今、この星の上には、何人の人間が生き残っているのだろうか。

 あの日と同じ場所で湖を眺めながら、ジンはそう考えていた。秋に入ったばかりだったあのときとは違い、冬の湖はかなり冷える。だが、今のジンにとっては、暑さも寒さもなかった。

 家族も友人も、そしてなによりフィアナのいない世界に、なんの価値があるのか。

 不完全とはいえ、神の力を手に入れたジンは、数百年は生きるだろうと自ら悟っていた。自ら死を選ぶことも考えたが、そこにもまた価値は見出せなかった。

「…………」

 俺はいったい、どうすれば良いのだろう。

 そう思い、天を仰いだジンは、ふと懐かしい感じを覚えた。父の、母の、友人たちの魂が、大気に、大地に、湖や森に溶け込み、世界と一体となっていた。

 そして……。

 ……フィアナ。

 君はもう死んでしまったけれど、存在が消えてしまったわけじゃない。

 君は、君が好きだと言ったこの星になったんだ。

 ならば、この星を守るのも悪くはない。

 そして、ともに生きてゆこう。

 すべてが終わったら、俺も君と一つになれるだろうか。

 すべてが、終わったら……。

 そして、神の力をその身に宿した、ひとりの青年の旅が始まった。