峠の歌

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      辻元氏にウテナの影を見る

 

 数々の政界疑惑を追及してきた辻元清美氏が、秘書給与還流の件で議員辞職してから二週間になる。還流発覚後の辻元氏を見ていて、五年前にテレビ東京系で放映された寓話的アニメ「少女革命ウテナ」の主人公が目に浮かんだ。少々長くなるが、まずは作品の流れを紹介したい。
 主人公ウテナは、幼い頃に一度だけ会った「王子様」に憧れ、自分も男の格好で学校へ通う十代の少女である。彼女の学校では、主に男の人たちが決闘を繰り返し、アンシーという女生徒を奪い合っていた。アンシーも自ら決闘に立ち合い、その勝者の思うがままになっている。ウテナは決闘に参加する巡り合わせとなって勝利する。「今日から私は、あなたの花です。」と当然のことのように言うアンシーの心を、ウテナは解放しようとする。その後、アンシーを狙う男たちは、次々とウテナに闘いを挑んでくる。ここに、女性が女性を守って闘うという「奇妙な」状況が出現する。
 一方、ウテナ自身をあくまで守られる女性として見ようとする男たちも登場し、徐々にドラマの歯車を回してゆく。アンシーの兄、暁生(あきお)もその一人である。彼は気高く闘うウテナを「いい女」と称し、彼女の心を惹きつけようと試みる。彼女もまた、婚約者のいる暁生に近づいてはいけないと思う気持ち、そして「いい女」ではなく「王子様」であろうとする心に引き止められつつも、慕情を募らせる。
 結末近くになって、ウテナは暁生と決闘をすることになる。それは自らの自立のための闘いか、それともやはりアンシー解放のためだったろうか。しかしいずれにせよ、たとえば暁生の「君だって、婚約者のいる俺を拒まなかった。」という言葉が、彼女の拠って立つ大義を掘り崩してゆく。
 ちょっとした大きさの書店に足を運べば、アダルト書籍のコーナーが必ずと言っていいほど設けられている。本のタイトルや宣伝文句を見ると、信念を持って生きる女性を口説いて堕落させる、といった内容らしいものが少なくない。そうした本の需要があるのは恥ずべきこと、と言ってしまうのは簡単だ。目を向けねばならないのは、読者たちが本当に、堕落させること自体に喜びを感じているのか、ということである。むしろ自分が気高さに対して懐いていた憧れを、そのままの形では維持出来ず、裏返しにした形で持ち続けているのではないか。
 暁生は、そうした裏返しの憧れを持つ人物といえる。かつてウテナの生き方に導きを与えた王子様の、なれの果てが暁生だったのである。アンシーも兄と歩みを共にした挙げ句、人々に暗黒の闘いをさせる元凶として振る舞う所まで、沈み込んでしまった。もともとの部分に正真正銘の気高さへの希求があっただけに、よけい救われないのである。アンシーを救おうとしたウテナもまた、救われないラストシーンを迎える。
 今回辻元氏を見舞った出来事が、「少女革命ウテナ」の中に描かれるような男性女性という問題と、直接の関連のないことはもちろんである。しかし、氏の姿にはウテナの影が色濃い。それは本人の言動よりも、ある政治家が「いつも自分だけ正しいようなことを言っておいて」という批判をしたのを、考え合わせた方が分かりやすいだろう。
 法治主義を否定するつもりは毛頭ないが、そもそも、ありとある法律を守ることなど神技に近い。ここに凶悪犯を知っている人がいるとする。それを警察に告発しても、事実であると証明されなければ、虚偽告訴や名誉毀損の罪を被(かぶ)ることになりかねない。逆に、告発しないでおけば、犯人蔵匿(ぞうとく)の罪になる場合がある。このように我々は、どちらからしても悪者にされ得る世界に住んでいるのである。しかしだからといって、本当の気高さを捨て去るわけにはいかない。それこそ、誇りにかけて。
 辻元氏は、「王子様のなれの果て」になってしまうであろうか。あるいは、守るべきものを守り抜くだろうか。まさしく現在、岐路に立っているはずである。それは大きく見れば、政治に理想を託そうとする全ての人の岐路でもある。

(2002年9月の追記 − 辻元氏以後も、何人かの政治家が議場を追われました。その多くが自分なりの信念に従って活動する人であった点は、気にかかります。)