Are you happy?
| 「君、今幸せ?」 広い世の中女の子にかける言葉など無数にあるに違いないが、この問いかけはさすがに珍しいのではないかと思った。 剣道の試合を終えた帰り道。人気のない道を歩いていた雛山唯にそう声をかけたのは、中学生くらいの少年だった。ニコニコとした笑顔が眩しい。唯は半眼になりながら、馬鹿みたいな笑いを浮かべる少年に答えた。 「あんたがそうやって話しかけるのをやめてくれれば、何倍かは幸せになるでしょうよ」 「つれないね。せっかくこうして人気のない場所を選んで話しかけてあげたのに」 皮肉が通じた気配もない少年。ため息をつきつつ、不思議に思った。記憶にある姿とずいぶん違う。“七百年前”のこいつは、こんな軽い調子など微塵もなかった。 何か心境の変化でもあったのだろうか。唯は訝りながら問いかけた。 「こんなところで何やってるのよ、“魔王”」 姿形ついでに性格は違えれど、発する空気は紛れもない、前世での宿敵のそれだった。 前世で魔王だった少年は、ひどく嬉しそうに答えてきた。 「ああ、憶えていてくれて良かったよ。久しぶりだね“勇者” 前世の君は逞しくて目つきもキツイ美女だったけど、今の君は小柄な身体に大きな瞳が可愛い美少女だよ」 「死刑宣告の方がいくらかマシな褒め言葉をどうもありがとう。で、前世で散々世界を荒らしまくった魔王様が何の用?」 「魔王魔王って言うけど、今の僕にはちゃんとした名前があるんだからね。賀川祐介。それが僕の名前。よろしく、雛山唯ちゃん」 「死にたくないならわたしの質問に正確に明確に答えなさい。何の用?」 ドスをきかせながらジロリと睨んで言うが、悔しくも魔王――祐介の描写の通りだった前世と違い、今の姿ではあまり迫力がないのだった。むしろ虚勢を張っているような印象さえ受けるのかもしれない。現に祐介は「可愛い、その無理に睨もうとする仕草は凄く可愛い!」と悶えている。 だが、唯が布に包んだ竹刀の柄に手をかけた時点で、さすがにこれ以上は身が危ないと判断したらしい。 「迎えに来たんだよ」 「は?」 「僕、今日からしばらく君の家に居候することになったから。確か君高校二年生だったよね? それじゃ僕より三つ年上だ。よろしくね、唯姉ちゃん」 「は?」 「今日の夕飯はハンバーグだって。唯姉ちゃんの好物なんだよね? 僕もハンバーグは大好きなんだよ。早く帰ろう」 「は?」 十三世紀の末。 ハーメルンで笛吹き男が子供を拉致っていた頃、別の場所では勇者と魔王が熾烈な争いを繰り広げていた。 勇者は言った。お前は世界にとって害悪であると。 魔王は返した。ならば私が存在する意味は何だと。 三日三晩にも及ぶ激闘の末、勝者は――どちらでもなかった。 勇者も魔王もその力が尽き果て、勝敗のつかないまま、死闘はうやむやとなった。もはや指先も動かなくなり、倒れ伏した地面の上で、二人はこんな短い会話を交わした。 『世界にとっての悪にしては、なかなかの力を持っているようね』 『お前こそ、利己的な正義を振りかざす割には、腕の方は悪くない』 『残念ね。あなたが魔王なんていうゴミ以下の存在として生まれてさえいなければ、歴史に名を残す英雄になれたでしょうに』 『俺も残念だ。勇者などという吐き気を催す肩書きさえなければ、お前はずいぶんと良い女だというのに』 ここで両者はふっと笑い、互いに手を伸ばして、拳をコツンと打ち付けあった。 『次は私が勝つわ』 『俺の台詞だ』 しかし、その約束が果たされないことはお互いに分かっていたのだろう。激しい死闘の結果、二人の身体はもはや限界を超えていた。“次”がいつなのか。そんな時がそもそも来るのか。勇者も魔王もそのことは決して口にはしなかった。 それから更に、一日が経過しようとしていた。 もはやまともな意識さえ残っていない勇者は、同じような状態の魔王にこう問いかけた。 『……あなたは今、幸せ?』 魔王はしばらく黙っていたものの、やがてぼんやりとした声で返した。 『……少し前までは、幸せというものは言葉としてしか知らなかった。生まれたときから決められていた破壊の運命。お前たちの言う友も家族も持たず、敵からも仲間からも恐れられる日々。毎日毎日ただそれが繰り返されるばかりだった。意外に思うかもしれんが、俺はほとほと嫌気がさしていた。魔王としての宿命に』 『……』 『だが、今俺は、幸せだと思う』 『なぜ?』 『俺の運命を壊してくれたお前と、ただ一人俺に正面から向き合ってくれたお前と、こうして一緒にいられるからだ』 冗談ではない、と勇者は思った。魔王の幸せのダシにされたのではたまらない。そう思った。 だが、それでも、なぜか悪い気分ではなかった。 仰向けに転がっていた勇者と魔王の見上げる向こうには、満天の星空が浮かんでいた。 二人は一緒にそれを眺め、やがて静かに目を閉じ、そして同時に動かなくなった。 「絶・対! 断固反対!」 夕飯を終えた後の食卓で、唯は苦笑している父親に詰め寄った。右手の人さし指で祐介を示しつつ、左手で父親の胸倉を掴みあげながら怒鳴る。 「何考えてんのよお父さんは! 何でよりにもよってこんな奴を!」 「こらこら、唯。初対面なのによりにもよってとか、こんな奴とか、そういう言い方をしちゃいけない。祐介君に失礼だろう」 「あ、僕は別に気にしてな――」 「黙ってろ!」 「……」 口を挟みかけた祐介を一喝し、唯は改めて父親に向き直る。 「どういうことよ! お父さんの友達が海外転勤で、その人の息子のこいつ――この子は日本に残りたがったっていうのは分かるけど、どうしてうちに来るの? 普通親戚の家とか行くんじゃないの?」 「いやそれが、どうしてもうちに来たいと言い張って聞かなかったそうなんだ」 「言い聞かせてよ! 親のくせに!」 「唯。いいだろう、別に。それに祐介君の親戚は北海道や鹿児島や、とにかく遠方に住んでいる人ばかりなんだ。そんな遠くちゃ、外国と大して変わらないだろう?」 「変わるわよ! 思いっきり日本国内でしょ!」 バシンッとテーブルに手を叩きつけ、問答無用とばかりに言い放った。 「とにかく! わたしは絶対、こいつの同居なんか認めないからね! 明日の朝までとは言わないけど、三日以内には絶対に追い出すから!」 それだけ言い捨てて、唯はずんずん歩いて部屋を出た。後ろから父親の声がするが、それへの返事とばかりに扉を強く、半ば殴りつけるようにしてビシャンッと閉めた。家全体が揺れたような振動。静寂の中、二階の自室へ向かおうとする。 すると、とりなすような声がした後、扉を開く小さな音。足音が自分を追って部屋を出てきた。 唯は階段の途中で足を止め、追ってきた人物に振り返らないまま声をかける。 「今のわたしの後を追うだなんて、本当に殺してほしいわけ?」 我ながら実に冷え冷えとした声。しかし、祐介はそれを意に介することすらしない。 「昔ならともかく現代で僕を殺したら、君や家族の未来は真っ暗になるよ。悪いことは言わないからやめた方がいい」 「あんたをどうにかしなきゃ、どのみちわたしの未来は真っ暗よ」 魔王。自分にとっての宿敵。そんな奴が同居するなど、到底許せることではなかった。 だが、祐介はその言葉にもトボけた返事をする。 「そういうこと決め付けるってのはどうかと思うんだけど」 「じゃあ違うとでも――っ」 思わず怒鳴ろうとして、振り返ったところで唯は言葉に詰まった。 祐介が浮かべていたのは、不思議なほど優しい微笑みだった。 「違うよ」 「……何が」 居心地が悪いような、複雑な思い。それを心の奥に隠しながら問い返した。 「僕はもう魔王じゃない。君がもう勇者でないように」 「だから何?」 「僕たちはもう、争う必要がないってこと」 あっけらかんと祐介はそう言った。 唯はその姿を、不思議と言うより不気味に思う。確かに互いに勇者でも魔王でもなくなったとは言え、前世では宿敵であった相手同士なのである。必要がなくても人は争う。そんなことが分からないほど、愚かではあるまいに。 唯がそんな思いを抱いた直後、祐介は唐突に口調を切り替えた。 「で、今日は僕、もう疲れたからこのまま寝るけど。朝になったら玄関で寝ていたなんてのはやめてね。お願いだから」 そう言って、トントンと階段を上がって来る。一瞬混乱していた頭が瞬時に活動を再開した。 「ちょ、待ちなさいよ。何で上がって来るのよ」 「だって、僕の部屋も二階にあるし」 「二階にあるのはわたしの部屋よ!」 「違うよ。君の部屋の隣にあったでしょ、物置部屋が。昼間のうちに掃除して、今日からあそこが僕の部屋」 至極当然とばかりに言われ、唯は一瞬返す言葉を失った。その間に祐介は唯を追い越し、気のせいか妙に軽い足取りで階段を上がっていく。 何? どうしてよりにもよって魔王が? 何の必要があってうちに来るの? 様々な疑問が頭の中を渦巻く中、頭上から祐介の声。 「おやすみ、唯姉ちゃん」 「〜〜〜〜っ!」 殺せないまでも殴ってやろうかと、目をむいて振り返れば、祐介は一段飛ばしで階段を駆け上がってしまっていた後だった。「じゃーね」と振られる少年の手が見える。 唯は、静かに目を見張る。 かつては唯の二の腕を片手でへし折りそうだった手は、今では唯のそれと同じくらい、下手すると一回り小さいものになってしまっていた。 「……」 強烈な存在感を放つ空気にばかり気を取られていたが、よく考えれば、あれほど強大だった魔王の面影は、少なくとも外見上は欠片も残してはいなかった。どちらかと言えば細身の身体に、同年代の少年よりも低そうな身長。今なら正面からの取っ組み合いでも唯が勝つだろう。昔は、そんなことをすればたちまちこちらの全身の骨が砕かれていただろうに。 ……弱くなったんだな、あいつ。 そう考えたら、何だか急に怒る気が失せてきた。 わたしも今日はもう寝よう。疲れた頭でそう思う。 唯は前世の記憶を取り戻したわけではない。物心ついたときにはもう分かっていた。自分の前世は勇者であったと。 小さい頃は両親や親戚によく言ったものだ。自分は昔、魔王を倒した勇者だったと。 当時は笑い話で済んでいたが、十七にもなった今そんなことを言ったら本気で心配される。ので、唯は自分の前世のことは誰にも喋っていない。両親にも親戚にも、学校の友達にも。 ただ、密かに感じ取ってはいた。かつての宿敵。蘇った魔王の存在。 中学一年生くらいからだったと思う。突然現れた魔王の気配。勇者としての力をそのまま受け継いでいた唯は、いつ自分を襲ってくるかと常に警戒しながらの中学校生活を送った。そして卒業。高校入学。何事もなく一年が過ぎ、怪訝に思いながら二年目の半ばに差し掛かったところで―― 「まさか目の前に現れるなんてね……」 窓際の自分の席。外を眺めつつ弁当箱をつつきつつ、唯はため息とともに呟いた。 何らかの形で接触して来るだろうとは思っていたが、堂々と自己紹介までしながら姿を現すとは思っていなかった。それも雛山家の居候として。 いまだ魔王は宿敵だと思っていた唯にとっては、警戒するなと言う方が難しいというものだ。 祐介が何を考えているのか分からない。それが、目下最大の唯の不安である。浅い眠りの続いた昨夜も、祐介が襲撃して来る気配はなかった。それどころか、唯が出かける頃にようやく起きてきて「いやーよく寝た」と欠伸をかましていたほどだった。演技では絶対に出せない、熟睡していた人間特有の雰囲気をまといながら。 それどころか、出かけようとする唯を見て「あ、行ってらっしゃい、唯姉ちゃん」と声までかけてきた。無視するのもどうかと思って「……行ってきます」とだけ返しておいたが。 わけが分からない。まさか本気でただの居候というわけではないだろうが、祐介の頭の中が読めない。そのことで唯は苛立ちを募らせていた。 「ゆいー。何怖い顔してんのー?」 我知らず眉をしかめていたらしい。級友のサキが顔を覗き込んできた。唯はとりあえず祐介を意識から外し、下から見上げてくる顔に笑いかける。 「ん、何でもない」 「そう? なんか嫌な奴に偶然会っちゃったような顔してたけど」 妙に勘が鋭い。アハハハハと適当に誤魔化しつつ、唯はふと窓の外を見―― 「……」 そのまま、固まった。 「ゆい? どしたの?」 首を傾げてくるサキに何でもないと首を振りながら、唯は半分驚き半分ため息をつきながら、横目で再度窓の外を確認した。よくもまあ飽きないものだと感心する。 唯が魔王をいまだ敵だと認識している理由の一つが、これだった。 『ゲハハハハハハ! とうとう見つけたぞ、勇者! 貴様の首はこのギャスプ様がもらったぁ! ゲハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!』 翼の生えた猿のような外見のそいつは、どこからどう見ても、魔物以外の何者でもなかった。 大体一週間に一度くらいの割合でやってくる、弱体化し、普通の人間には見えも触れもしなくなった魔物たち。勇者の能力の一つなのか唯は彼らのことが見え、しかもどういう理屈か、一般人には手出しできない彼らも唯には手出しできることが判明していた。 それだけならまだいいのだが(全然良くないが)これも一体どういう理屈なのか、唯を傷つければ傷つけるほど、彼ら魔物の力は膨れ上がるようになっているようだった。おかげで、唯を殺害し往年の力を取り戻そうとする魔物が後を絶たない。長年返り討ちにしてきたおかげで最近はそう頻繁ではなくなってきているが、最初の頃は悲惨だった。何しろ昼夜問わずやって来るので、ロクに眠れもしなかった。 『大人しくしておけば痛みはない! さあ、覚悟はいいな! 第二の魔王となるべく生まれた俺のために、生贄となるがいい!』 窓の外で騒いでいる猿モドキを横目で眺めつつ、唯はチラリとサキの姿を確認。箸を落としてしまったらしく、文句を言いながら屈み込んでいる。 チャンスだ。 『行くぞ!』 勢いをつけてこちらに突進しようとする猿モドキ。窓ガラスを割られる前に、唯は人さし指と中指を揃えて剣印を作る。そしてそれを窓の外、太陽に向けた。燦々と光が降り注ぐ。昼食直後に体育のあるクラスにとっては悪魔の所業に等しいこの光だが、唯にとっては文字通り天の恵みだった。 「――来ないで、ブサイク」 ポツリと呟いて、剣印をサッと下へ向けた。 その瞬間―― 『死ね、勇しぎゃあ!?』 今にも窓ガラスに突撃しそうだった猿モドキが、突如として天から伸びた光の刃に串刺しにされた。巨大な刀身は猿モドキの身体を貫き、大地へ突き刺さる手前で消失している。誰もその剣には気づかない。唯一人だけが眺めている光景。 猿モドキは、声を出す間も与えられず、貫かれた腹部を中心に消滅した。 猿モドキの破片が空中を漂い、やがてそれも砕けて消える。それと同時に、現出した光の剣も消え去った。 「……ふう」 “光”を己の剣とする、勇者だけが持つ力。 この力のおかげで、太陽が出ている昼間である限り、唯はどんな魔物にも負けはしない。夜も懐中電灯やペンライトを最低三本は身の回りに用意してあるので、襲われてもすぐに対応できるようになっていた。 とは言え、できるなら襲撃はやめて欲しいものだ。 昨日祐介に会ったときは、とうとう親玉がやって来たのかと思ったのである。それで警戒していたのだが、昨日や今朝の様子を信じる限り、どうも祐介はこのことを知らないようだった。それに今の猿モドキは第二の魔王とか言っていたし、おそらく彼はこの件にはノータッチなのだろう。 だが、相談すれば何らかの解決方法があるかもしれない。何しろ祐介は魔物たちの元親玉だ。いい加減魔物の相手も嫌になっているし、魔王の雷名でも使って大人しくさせてもらえば―― そこで、唯はハッとした。 祐介に相談事を持ちかけるなど、正気の沙汰ではない。あいつの前世は誰だか忘れたのか。生まれついての宿敵だ。確かに今はそうではないが、かつてそうだったという事実は簡単には消せはしない。 何という馬鹿なことをと思う。昨夜の眠りは浅かったため、どうも思考が鈍っているようだ。 「……ゆい。本当に大丈夫?」 頭を振ってため息をつく唯を見て、サキは本気で心配そうに問いかけてきた。 唯の部屋に勝手に入り込んでいる祐介は、プレステやらXBOXやら、妙に女の子らしからぬ物体を目に苦笑していた。格闘ゲーム、特に武器を使うゲームがお気に入りらしい。鬼武者やら侍魂やらが、攻略本と一緒に散乱している。 男らしいとまではいかないが、唯の部屋は実にシンプルなものだった。その上妙にきちっとしている。あれはここ、これはそこ。小物一つ一つにまで定位置があるようだった。きっちり掃除されているから余計にそう見えるだけなのかもしれないが、いずれにせよ、主の性格を如実に現していることは確かだった。 何事もきっちりしていなければ気が済まない。 中途半端が許せない。 味方とは決して言えず、だが敵でもなくなってしまった祐介の扱いに困っていることからもそれが分かる。どっちでもないという相手が苦手なのだろう。背景の一部でしかないような他人はともかく、近しい人は敵か味方に区別しておきたいのだ。 了見が狭いなあ、と思う。 だが、それらを全てひっくるめて、祐介は唯のことが好きなのだ。 拒絶されようとも。怒鳴られようとも。彼女の反応、仕草、様子。全てが祐介にとっては目の保養となる。 昨夜の恐慌状態も、こんな風に彼女は怒るのかと、眠れぬ夜の中でずっと思っていた。 そして今朝声をかけたとき、彼女が一応という風にしてきた返事。祐介は、その様子を見ながら笑みを漏らさぬよう必死にならなければいけなかった。 どう扱っていいのか分からない。だから戸惑う。とりあえず返事はするものの、それが良いことなのかも分からない。前世の彼女では決して見られなかったその仕草は、見ていて悶えるほど可愛らしかった。 思い出し笑いを浮かべながら、祐介はしかし、わずかに反省する。 今朝のような唯が基本であると考えると、昨夜はどうやら混乱状態に陥っていたらしい。展開について行けず、パニックに陥ってしまったのだ。まあ、宿敵がいきなり居候になると言われては無理もない。さすがに驚かせすぎた。 唯が帰ったら、一度ちゃんと話し合おうと思った。幸い唯の両親は今日は帰らない。親戚の家で何かあったらしく、朝方来た電話に二人とも慌てて出かけてしまった。だから今夜は唯と二人きり。胸がときめく。 彼女は馬鹿ではない。根気良く話して聞かせれば、きっと理解してくれる。祐介はそう確信していた。自分はもう魔王ではなく、彼女はもう勇者ではない。彼女も頭の隅では、そのことを分かっているはずだ。 始めはギクシャクするだろうが、そこらへんは時間が解決してくれるだろう。居心地の悪い思いをしながらも、どこかで惹かれ合う二人。――王道だ。 再度ニヤニヤしかけた祐介は、しかし次の瞬間、目を細めて窓の外を見やった。 「……なんだ、お前は」 二階にある唯の部屋。 足場などないはずの外から、一人の男がこちらを覗きこんでいた。細面に怜悧な瞳。血のような色のローブを着ているそいつ。見覚えはあるが、すぐには思い出せない。 「なんか昔いたなあ、お前みたいな奴。なんだっけ、ふ、ふ……フジヤマ?」 『フレディです、魔王陛下』 特に意見を述べることなく、フレディは慇懃に頭を下げた。祐介はポンと手を打つ。 「そーそー、フレディ。僕の手下の中でもずば抜けて根暗だった奴。そーか、お前生きてたのかぁ」 さすがにピクリとフレディの眉が動いたが、不満を口に出してくるようなことはなかった。 『おかげさまで。魔王陛下もお元気そうで何よりです』 「一回死んで生まれ変わったのは、元気そうって言うの?」 『それはともかく』 フレディは祐介の言葉をさらりと流し、問うてきた。 『こんなところで何をなさっているのですか。魔王陛下ともあろうお方が、勇者の部屋で不気味なニヤケ笑いを浮かべているなどと。罠でも仕掛けているのですか? 七百年前の屈辱、あなたを葬った勇者への報復として』 「一緒に勇者も死んだんだから、屈辱って言い方はないでしょ。別に罠なんか仕掛けてないよ。ただこう……部屋の香りも可愛いなあって」 『……そうですか』 「うん。で、何の用? それだけ言いに来たの?」 『それだけと言えばそれだけですが。魔王陛下、罠を仕掛けているわけでもないのなら、そんなところに長居は無用です。さあ、行きましょう』 「どこへ?」 『どこへ、ではありません。勇者を倒し、今度こそ我々魔族が世界を支配するのです』 その言葉に、祐介はスッと目を細める。 フレディはそれに気づいた様子もなく、己の心中をぶちまける。 『今や我々の存在は、この世においてとても希薄なものです。生物には触れることもできない。このままではいずれ消えるしかないと、数百にまで数を減らした我々は諦めの境地にいました。しかし、勇者です。皮肉にも勇者の存在が、我々に残された最後の希望なのです』 「……どういうこと?」 『勇者に傷一つつけるだけでも、我々の存在はより大きなものとなっていくのです。ならば、殺してしまえばかつての力を取り戻せる。これは想像に難くないことです』 「そうだね。で、それをわざわざ僕に言う理由は?」 『お分かりになられないはずはありませんが、あえて申しましょう。貴方に勇者を殺して欲しいのです。我々では束になっても無理でしょうが、魔王陛下、貴方なら』 「嫌だ」 輝くような瞳に、祐介はにべもなくそう言った。もう話すことはないとばかりに踵を返す。フレディの慌てたような声が背後から聞こえる。 『ま、魔王陛下! どういうことです!?』 「僕はもう魔王じゃないし、彼女はもう勇者じゃない。今更君たちのために力を使おうとは思わない。そんな話は聞くだけでも不愉快だ。僕の前には二度と出てくるな」 『それは……し、しかしっ!』 「忠告してやるけど、今後は一切彼女には手を出さないことだ。かすり傷の一つでもつけてみろ――僕が直々に、お前らをこの世から消し去ってやる」 「……」 フレディが、沈黙した。 構うことなく扉を開けようとした祐介は、しかし微かに不審に思った。この程度で諦めるような奴だっただろうか。記憶をひっくり返すが、どこかに違和感がある。 「フレ――」 振り返った祐介の目の前に、五指を揃えて突き出すフレディの姿があった。 『死ね、腰抜け』 酷薄な笑みを浮かべたフレディを目の当たりにしながら、祐介は視界の端に、自分の喉を突き刺さんと襲い来る腕を映す。 衝撃が、身体を駆け巡った。 |
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