a novice at wizard

 

 我に返ったのは、それから五分ほど経過した後だった。

「魔法を……強くしろ? つまり――」

 魔法をどれだけ上手く扱えるか。それを見るということだろうか。

「ちょっと、待ってよ。だって……わたし、魔法なんか使ったことないのに!」

 それどころか、見たことがあるのだって数えるほど……と言うか、ぶっちゃけ三回だ。もちろん強くする方法だって知らない。クロもそれが解っていたのだろう。だから『思いつく限りの方法を』という言い方をしたのだ。

 不合格の可能性は、高い。恐ろしく高い。何も知らない自分では、わけが解らないまま消滅させてしまうことになりかねない。そして、だからこそクロはこういう試験にしたのだ。エルを不合格にするために。

「……あのやろ」

 やってやろうではないかと思う。昨日のクロの魔法ほど……とまではいかなくても、それなりの威力にして見返してやるのだ。入門テストを課したこと、後悔させてやる――自分が言い張って半ば無理やりに課させたことはきっちり忘れて、エルはそう決意した。

「えっと、まず言語の設定をしなくちゃね」

 受け取ったリングを指にはめる。サイズが大きいのではないかと危惧したが、人差し指にぴったりはまった。

 風の魔法を封印してあるらしいリングについた宝石は、青く光り輝いていた。

「え〜、おほん。解放言語――」

 

 考えてみれば、この町は今日出るつもりなのだった。

 どうして思い出せなかったのか不思議だった。記憶力は良い方だし、こういうことを忘れることはあまりないのだが。エルの強引さに、つい失念してしまったらしい。

 何にせよ、クロはもう一日この町にいなければならない。必要なものはあらかた買い終えたが、目的がない分、暇になってしまった。

 黙って出て行ってしまおうか。そんなことを考えるが、さすがにそれはフェアではないと思った。経緯がどうあれ、テストすると約束した以上はちゃんとやってやらなければならない。

 まあ、エルには合格の可能性などないのだが。実際に魔法を見るのは昨日で二回目だと言っていた。魔法を強くする――つまり威力を上げる方法など、知りはしないだろう。そんなに難しくはない。むしろ、これでいいのかと思うほど簡単である。が、だからこそ思い当たらないと踏んだ。ある程度時間をかけないと成果は現れない。夜までしか時間がないというのに、そんな単純な方法をいつまでも試しているはずがない……最後にクギまで刺しておいた。ぬかりはない。

 魔法を強くする方法――それは、単純に使うことである。飽きるまで使う。飽きても使う。嫌になるまで使う。嫌になっても使う。とにかく使って使って使い続けること。それが、魔法の威力を高める唯一の手段なのだ。

 要するに慣れだと言う魔法使いも多い。クロもその意見に賛成である。その魔法を使い続けることで、自分がその魔法の扱いに慣れるのだ。そうすれば、まるで己の手足のようにその魔法を使えるようになる。武器と同じようなものである。

 しかし、使い続けると言っても生半可な時間では意味がない。昨日エルに見せた『雷撃』は、あそこまでの威力にするのに三年を必要とした。強力になるに連れておいそれと使用できなくなるということもあるので、毎日ずっと使い続けられる環境であればもっと短時間でできたのだろうが。

 今日一日かけても、エルに渡した魔法は人を吹き飛ばせるか否か――その程度までしか成長できないだろう。相手を殺せるほどにまでなるには時間が足りない。エルは方法が解らずに戸惑うだろうから、実際の威力はもっと低いはずだ。

 もっとも、どんな威力であろうと、どのみちエルを合格させることはないわけだが。約束した以上見てはやるが、不合格を言い渡せばそれで終わりだ。

 魔法使いになりたいという気持ちは、彼女を見ていればよく解る。それに足止めをかけるのは、正直少し気まずい。

 だが、気持ちが変わることはなかった。

 ――そろそろ正午が近い。残り時間は、八時間と少し。

 

「……えうう」

 泣きそうな声をエルは漏らした。正午を過ぎ、タイムリミットは刻一刻と迫って来ている。腕時計を見ると、残り四時間を切っていた。

 強くする方法は相変わらず解らない。色々試してみたが、魔法の威力は全く変わらなかった。午前中一杯をそれに使い、午後からは仕方ないので別のことをやっていた。威力を高めるわけではない。が、何もできないまま時間が過ぎるよりは――ということで採られた苦肉の策。これでダメなら……もう一度、土下座してでも頼むしかない。

「……はあ」

 クロからもらったこの風の魔法は、十年前にエルを助けてくれた魔法に似ていた。と言っても十年前は混乱していて何も憶えていなかったから、ただそう感じただけでしかないのだが。それでも、そのことはエルに少しだけ勇気を与えてくれた。

「……うう。も、もう一回」

 気力を振り絞って、もう一度呪文を叫ぶ。残り時間は三時間強。

 

 そして、約束の夜八時。クロがその場所に行くと、エルは既に来ていた。ボロボロと言うか……何だか、ひどく疲れているような雰囲気だった。

「……大丈夫か?」

 激しい修行を終えた後のように見えなくもなかったが。それでも一応、クロはそう聞いた。するとエルは、

「ちょっと待ちくたびれちゃっただけよ……」

 と、とてもそうとは思えない声音で言い返してきた。

 まあ、強がりを言う体力があるなら大丈夫だろう。クロはそう判断し、無言で頷いて歩き出した。昨日吹っ飛ばした広場の中央へ。地面は、相変わらず黒く焦げたままだった。

「それじゃテストを――」

「その前に、ちょっといい?」

 話を始めようとして、いきなり腰を折られた。少しだけ不機嫌になりながら問う。

「何だよ?」

「わたしにも解るような合格の条件を示してくれない? だって、クロの一存で全部決めちゃうんじゃ、わたしが何やっても不合格させて終わりだもん」

「……」

 まさしくそう思っていた。この小娘、妙なところで頭を使う……そんなことを考えるが、困った。いきなりそんなことを言われても――いや。

「魔法は使えるようになったんだよな?」

「え? うん、一応」

「なら――」

 笑って、クロは告げた。

「一つでいい。魔法を使って俺に傷をつけろ。かすり傷でも何でもいい。それができればお前は合格だ」

「……へ?」

 間の抜けた返事。次いで、慌てたように叫んでくる。

「だ、ダメだよ! そんなことしたら――」

「あ、もちろん俺だって黙って攻撃を受けてやるわけじゃないからな」

 エルを遮って、言う。笑顔の脅し文句を。

「避けもするし、魔法で防ぎもする。昨日言い忘れたけど、魔法で防ぐってのは自分の魔法をぶつけて相手の魔法を無力化することだ。だから当然、自分の魔法の威力が高ければ、防御はそのまま攻撃になる……相手の魔法を吹き飛ばして、そのまま相手へ直撃するんだ。言ってる意味は解るな?」

「え? あ……え? それって、」

「当てないよう努力はするけど……魔法の威力は、低くすることができないからなあ。死んでも恨むなよ」

「――っ!」

 エルの顔が引きつった。クロは更に、見せつけるように左手――リングを掲げた。そのうち一つは昨日見せた『雷撃』である。

「制限時間は三十分。準備はいいな?」

「ちょ、ちょっと待っ――」

「始め」

 何か言おうとしたらしい声を無視して、開始を宣言した。エルが絶望的な表情になる。弟子になるためのテストで命をかけるとは、思っていなかったのだろう。

 もちろん、クロにはエルを殺す気などない。仮にもプロである。魔法を扱い始めて一日目のド素人の一撃など、半分寝ていても余裕で避ける自信がある。当てない自信も同様だ。エルが有効範囲のギリギリ外に来るよう魔法を放つのは、そう難しいことではない。

「どうした? 時間がないぞ?」

 からかうようにそう言う。と、エルがこちらを睨んできた。できるわけないじゃない! と瞳で言っている。

 クロは、わざとらしくため息をつき、

「あのな……考えてみろよ。大会の予選はこれと全く同じことをやるんだ。俺からは手を出さない分、こっちの方がずっとマシなくらいなんだぞ? 反撃を恐れて攻撃できないようじゃ、いつまで経っても勝てやしない」

「……」

 卑怯な言い方をしているとは、自分でも思った。全員が同レベルというわけではないが、大会の予選には大体自分と同じレベルの魔法使いが集まるのだ。こんな、明白過ぎるほど明白な差はない。

 死ぬのは誰だって怖い。ましてやエルは、昨日クロの魔法を見たばかりだ。クロがエルを殺せる力を持っているということを間近で目にしている。恐れない方がどうかしていた。

 このまま三十分が過ぎればいい。それが一番良い。自分が魔法を撃つようなことは、できればあって欲しくない――クロが、そう思ったときだった。

「――か」

 エルがこちらにリングを向け、何事か呟いていた。恐怖のためか、全身が震えている。歯の根が合わさっていないことが、離れた場所にいるクロにも解った。だがそれでも、エルは懸命に口を動かしている。彼女が言おうとしているのは間違いなく呪文だろう。度胸と言うか根性と言うか、彼女のそれには呆れを通り越して感心するしかない。

「……」

 仕方ない。クロはエルの左、雷撃の威力がエルにギリギリ及ばない場所に狙いをつけた。一発撃てば十分だろう。エルの魔法など、余波で簡単に吹き飛ばせる。エルが呪文を言い終わると同時に、自分も呪文を唱える。それで終わりだ。

 ――だが、

「風の騎兵!」

「――え?」

 エルが叫んだその呪文に、クロは一瞬我を忘れた。

 そして次の瞬間、猛烈な痛みが全身を走っていた。

 

 エルの視界の中で、クロは成す術もなく吹っ飛んだかのように見えた。

 と言うか、実際成す術もなく吹っ飛んでいた。反撃も回避もしようとせず、ただぼーっと突っ立ったままモロに魔法の直撃を受けたのだ。

「ふ、防ぐって言ったじゃない!」

 叫びながら、慌ててクロに駆け寄った。もし防がれたらそれはそれで困るのだが、そんなことを考える余裕はなかった。

 午後中使って、せめて扱いだけでも上手くなろうとずっと魔法を使い続けていたのだが……微妙に威力が高まっていなかっただろうか。最初に使った時は、人を吹き飛ばすほど強くはなかったと思ったが。

「クロ! クロってば、返事してよ!」

「……揺さぶるな」

 肩を掴んで叫んでいると、下から弱々しい声がした。

「クロ! 良かった、死んでなかったのね!」

「あれくらいで死んでたまるかよ。あんなの問題にならないほどきついのを何回食らったか知れないってのに……」

 どこか苦渋に満ちた口調でそう言う。何のことか解らずにいると、

「そうだ……エル。その言葉をどこで聞いた?」

「その言葉?」

「呪文だ! いつ、どこで、誰に聞いた!」

 問い詰めるようなその言い方に気分を悪くしながら、エルは答えた。

「前に一回魔法を見たことがあるって言ったでしょ。その時の人が使ってたの」

「……」

 クロは呆けたような表情をしていたが、やがて納得したように頷いた。それまでの彼からは想像ができないようなその様子に、エルはわずかに不安を抱く。

 だが、次に口を開いたときには、彼はもうそれまでと変わらない態度になっていた。

「……あの状況でよく使えたよな。死ぬのが怖くなかったのか?」

「怖かったよ。怖かったけど……魔法使いになれないって考えたら、何も考えられなくなって。気が付いたら使ってたの」

 実際、使えるとは思わなかった。足が震え、声が詰まり、立っているのも辛かったくらいだ。まさか本気で殺しはしないだろうと思ってはいたが、もしも本気だったらという考えが頭を離れなかった。

 その一方で、魔法使いになりたいという気持ちは相変わらず強かった。これをクリアしなければ魔法使い――と言うか、正確にはクロの弟子だが――になれない。二つの思いに挟まれ、いつしかエルの意識は真っ白になっていた。呪文を唱えられたのは、要するにキレたのが理由なのだ。

「……? あれ? ちょっと待って」

 ふと気付いて、エルはそう声を発した。怪訝そうなクロの体に目をやる。どこも軽傷ではあるが、明らかに傷はついていた。

「……傷、つけたよね? じゃあわたし、ひょっとして合格?」

「は?」

「だってクロ、わたしの魔法で怪我してるし! やった、合格よねこれって!」

 言われて、クロも思い出したのだろう。顔に焦りの色を浮かべた。

「ちょ、ちょっと待て」

「油断してたとか、そういう言い訳はなしなんでしょ!」

「それはお前の場合だ! そうじゃなくて、今のは――」

「クロの場合だってそうに決まってるじゃない! でないと不公平でしょ! 負けたんだからおとなしく諦めなさいよ!」

「――っの! 言わせておけば調子乗りやがって。直撃しても殺せないような魔法だったくせに偉そうな口きくな!」

「合格条件はクロに傷をつけることだったじゃない! クリアしたんだから威力は問題じゃないでしょ!」

 この後しばらく、二人は怒鳴りあっていたが――

 条件を満たしている以上、クロはエルを合格にするしかなかった。ただし、問題はもう一つ残っている。

 エルはまだ、両親の許可を得ていなかった。

 

 優しそうな母と、厳しそうな父……エルの両親を見てクロが受けたのは、そんな印象だった。まあ、どこにでもいるような親だと思う。

「――というわけで。わたし、この人に弟子入りすることにしたの」

 クロを伴って家へ向かったエルが、大体の経緯を今説明し終えたところだった。妙な部分を誇張するのではないかと危惧したが、一応彼女が述べたのは事実のみだった。

 両親は不安そうに顔を見合わせている。そりゃそうだろう。娘と大して違わない年頃の、しかも昨日会ったばかりの男が師匠。安心しろと言う方が無理だ。

「今まで育ててくれて、ありがとう。わたし――立派な魔法使いになるから」

 両親が黙っているうちに、エルの中では勝手に話が進んでいるらしい。まだ承諾を得たわけじゃないぞとクロが口を挟もうとすると、それを制するように父親の方が声をかけてきた。

「えーと、クロ君? 話では君が師匠になるとのことだったが……?」

「……まあ。不本意ながら」

「そうか……ちょっといいかな?」

 そう言うと、母親と一緒に席を立つ。別室で、ということだろう。黙ってついて行こうとすると、

「どこ行くの?」

 エルが声を上げた。目を向け、父親は一言、

「お前はそこで待ってなさい。すぐに済むから」

 それだけを口にして、母親と共に部屋を出て行った。

 

 通された部屋は、どうやら父親の私室らしかった。椅子を薦められ、そこに腰かける。

「さて、クロ君。君が娘の師匠になるとのことだったが――その前に一つ。どうしてそんなに傷だらけなんだ?」

 エルにやられた傷だった。と言っても、傷のほとんどは服についていて、クロの身にまでは届いていない。顔に少し切り傷があるくらいだ。どちらかと言うと、吹き飛ばされたダメージの方が大きかった。

「気にしないでください」

「ふむ……まあいい。ところで君は、エルが魔法使いを目指している理由を知っているかな?」

「……いえ」

 心当たりはあったが、確証はない。クロが正直に首を振ると、父親はあっさりと暴露した。

「エルは十年前、魔法使いに命を助けられたんだ。君よりも少し年上のようだった……もちろん、今の君だが。その彼は命の危険はなかったと言っていたが、それでもエルはそう信じている。子供だったから、死を意識するほど怖かったんだな」

「……」

 当たりだった。クロが黙っていると、父親は続ける。

「自分を助けた相手は魔法使いだった――だからだろう。エルは魔法使いという職に対して尊敬にすら近い思いを抱いている。ああ、ありがとう……自分もその職に就けると知った時は本当に喜んでいた」

 母親の淹れたお茶を受け取りながら、感慨深そうにそう言う。「どうも」クロもお茶を受け取り、一口すすった。

「クロ君。一つだけ答えて欲しい。魔法使いというのは――かなり危険な職業なんじゃないか? それこそ、本当に命の危険が伴うほどの」

「……そう、ですね」

 少し考え、クロは答えた。

「別の職に就いていて、資格という意味で魔法使いの免許を持ってるっていうのならともかく……魔法使いとして食べていこうとするなら、当然危険はあります。ついでに言うと、定期的な収入もないから生活はかなり不安定です」

「……やはりそうか」

 安全を取ろうとすれば、魔法使いとしては食べていけない。魔法使いに依頼される仕事は多くの場合危険を伴うからだ。魔法という強力な力を扱えるのが売りなのだから、仕方ないと言えば仕方ないことではあった。

 これはどうやら、思い通りの展開になりそうだった。生活が不安定で、危険すら伴う職業。まともな親なら就かせようとは思うまい。たとえそれが、夢を断念させることであっても。

「……クロ君。君に頼みがある」

 来た。エルを弟子にしないでくれ、だ。これでやっと解放される。予定が一日遅れたが、まあよしとしよう。ちょっと変わった思い出にすればいい。

「エルが一人前の魔法使いになるまで……免許をとっても、きちんと自分で仕事をこなせるようになるまで、どうか面倒を見てやって欲しい。この通りだ」

「解りま……は? い、今何と?」

 一瞬頷きかけ、慌てて言い直した。何か妙な幻聴が聞こえた気がする。

「エルは十年も前から、ずっと魔法使いになることを夢見ていた。親としては何とかそれを叶えさせてやりたい。だが、一人でやらせて危ない目に遭うのも、それはそれで困るんだ」

「まあ、確かにかなり危ないですけど……あの、ちょっと待って。俺は――」

「だから、君に面倒を見てもらいたい。エルが自分の身を自分で守れるようになるまででいいんだ! 頼む!」

「だからちょっと人の話を――」

「仮にも君は娘が選んだ人間だ。解っているとは思うが……くれぐれも、途中で嫌になったからと言って放り出すような真似はしないでくれ。私としても、君の爪を一枚一枚剥がしたり眼球に針を突き刺したりしたくない。せっかくシャバに戻れたのだからな」

「俺の意見は無視か! ――って、シャバ? せっかく戻れたって……あんた一体……」

「――クロ君」

 と、恐れおののいているクロに、今度は母親が言ってきた。慈母のような笑みを浮かべて。

「これも解ってると思うけど、もしエルに変なことしたら……ね? あなたも年頃の男の子だし、ムラムラっときちゃうこともあるだろうけど、命が惜しかったら冷静に行動して」

「……」

 もはや何も言えないクロの肩に、エルの両親は揃って手を置いた。父親は右肩、母親は左肩。それぞれにこやかに笑いながら、クロが痛みを感じるほどに力を込めて、

『エルを、よろしくお願いします』

 

「♪」

「笑うな」

 と、にべもなく一蹴されてもエルの気分は絶好調だった。なにせ、最後の壁だった両親の承諾も昨夜無事得られたのだ。嬉しくないはずがない。クロは何だか暗い顔をしているが、そんなのは知ったことではない。

「全く……何で俺がこんなこと」

「わたしが素人だからって油断したからよ」

 言ってやると、渋い顔が振り向いてきた。

「だからあれは……もういい。疲れた。それよりお前、一応俺の弟子になるんだから言葉遣いってのを覚えろよ」

「えー。いいじゃない別に。クロだってわたしに『お師匠様』とか呼ばれたくないでしょう?」

「そうじゃなくて、人の揚げ足を取るような生意気な口をきくなって言ってるんだ」

「揚げ足も何も、事実じゃない」

「……破門したっていいんだぞ?」

 そう来られると言い返す言葉がない。エルは渋々頷いた。

「はいはい。解りましたもー生意気な口はききません」

「……」

 何か言われるかと思ったが、クロは疲れたようなため息を吐き出しただけだった。さすがにちょっとやり過ぎたかと思い、エルは心なし神妙な口調になって、

「そんなに怒らないでよ。言い過ぎたのは謝るから」

「……もういい。どうせ俺は、一生お前に振り回される運命なんだ」

「あー、そういうこと言う? 人がせっかく謝ってるのに」

「本気で謝ってる人間は、まずそういう言葉を口にしないだろ。もう解ったから何も言うな。ほら、着いたぞ」

 クロはそう言って足を止めた。エルも立ち止まり、着いた店を見上げる。

「……雑貨屋さん?」

「ここで要るものを揃えるんだ。必要最低限だぞ。ちなみに、間違っても携帯ゲームの類は必要ないからな」

「……でも、途中で退屈だったりしない?」

 チェスボードを持って行くつもりだったため、ギクリとしながらそう聞いた。携帯用のチェスボードは家にある。

「歩きながらどうやってやるつもりだ? て言うか、チェスやる暇があるなら勉強しろ。弟子にはもうなっちまったんだから仕方ない。絶対一年で合格してもらうからな」

「わたしもそのつもりだけど……」

 まさか、娯楽の類は全部禁止なのだろうか。一瞬そう思ったが、さすがに否定した。いくらなんでもそんなはずはない。少なくとも、町に着いたときに観光くらいはさせてもらえるだろう。

「あ。そう言えばこれどうする? 返した方がいい?」

 思い出して、ポケットの中からリングを取り出した。クロからもらった風の魔法である。

「いや、お前にやる。どうせしばらくはそれ一つきりだから、この際できるだけ強くしとけ」

「え? そうなの?」

「何が」

「しばらくはこれ一つだけって……魔法を封印する練習とかしないの?」

「練習はするが、実際にリングを使って封印するのは先の話だ――いいから早く行け。変に思われる」

 いつの間にか、店の前でぶつくさ会話している二人を周囲の人は変な目つきで見ていた。クロに背中を押され、エルは転がるように店内へ入った。

 結局そこでは、携帯用の洗面用具だけを買った。

 

「じゃあ、行ってくるね」

「頑張れよ」

「体に気をつけて、クロ君の言うことをよく聞くのよ」

 家の前。エルは、いよいよ両親に別れを告げる。さすがに胸が痛んだ。不安も凄まじく、ともすれば押し潰されそうになる。見ると、両親の目尻にも、うっすらと涙が浮かんでいた。

「これ、お弁当。どこかで食べなさい」

 そう言って、母親が包みを手渡してくれる。

「――ありがとう」

 そう言うのが精一杯だった。それ以上何か言うと、涙が溢れてしまいそうだった。

「クロ君。私達の言ったこと、覚えていてくれているね?」

「忘れたくて仕方ないですが、不幸なことに覚えています」

 父親の言葉にクロは何か妙な答え方をしたが、そのことを気にする余裕はエルにはなかった。

 父親はクロに歩み寄り、彼の右手を両手で握った。

「エルを……よろしく、お願いします」

「……俺の弟子でいる間は、娘さんの身は絶対に守りますよ。約束します」

 クロの声は何だか痛がっているような響きだったが、そのことを気にする余裕もエルにはなかった。

 父親は何度もクロに頭を下げ、それからエルのところに戻ってきた。クロが顔をしかめて握られていた手をぶらぶらさせていたが、もちろんそんなことを気にする余裕はない。

 と、

「……本当に、気をつけて。行ってらっしゃい」

 母親の手が回され、抱きしめられた。優しい声で――この上なく優しい声で、耳元でそう言われた。

 今度こそ、涙をこらえきれなかった。頬に流れる熱いものを感じながら、エルは涙声でもう一度言った。

「行ってきます」

 

 泣きじゃくりながら男のあとをついていく少女は、多分変に思われたと思う。

 だが、溢れる涙は止まることを知らなかったし、クロも「泣くな」とは言わなかった。単に無関心なだけかもしれないが、エルを気遣っているようにも見えた。

 だから、エルは泣き続けた。この際である。流せる涙は全て流してしまおうと思った。

 そして町を離れ、エルのテストが行われた広場の近くまで来たとき、

「ほら」

 クロがハンカチを渡してきた。エルがぐちょぐちょになったハンカチで涙を拭い続けるのを見かねたらしい。無言の態度は、やはり気遣っていたのだ。

「あ、ありがと……」

 礼を言って受け取る。濡れていない手触りが心地よかった。

 それで再び涙を拭っていると、クロが静かに言ってきた。

「二年だ」

「え?」

 疑問の声を発して顔を上げる。クロは前を見たままで、足も止めていない。

「免許を取るまで一年。取ってから一年。死ぬ気でやれば二年でそれなりのレベルにはなれる」

「……大会の予選に出られるくらいに?」

「一次予選ならな。少なくとも、死ぬことはない」

「一次予選……」

 それではダメだった。もっともっと、エリアの代表になれるくらいでなければ。そのくらい有名にならなければ――きっと、“あの人”の耳には入らない。

「……え? それって、クロの弟子でいられるのは二年だけっていうこと?」

 ふと不安になって、そう聞いた。もし一年で免許が取れなかったら、新米のまま放り出されることになる。修行を積んでいるのだから今よりはマシになっているだろうが……

「いや」

 クロは、それを否定した。

「お前の親に頼まれたからな。一人前になるまでは、ちゃんと面倒見てやるよ」

 微妙に砂でも噛んだかのような響きが混じっていたが、エルはただ頷いた。何だかんだ言っても、結局クロは弟子にするという約束を守ってくれた。彼の言葉は信じてもいい。そんな気がした。

 

 広場の入り口を過ぎ、少し歩いたところで、クロは突然立ち止まった。

「どうしたの?」

「……今ならまだ間に合うぞ」

 言われて、気付いた。

 自分達の立っている位置。そこから先へは、エルは足を踏み入れたことがない。小さい頃は魔法に襲われたことでここらへんをずっと恐れていたし、恐怖を感じなくなった頃にはもう、こんな何もない場所まで来ることは滅多になかった。広場へ何回か来たくらいだ。道があるとは言えここらへんは照明もない。一人歩きは危ないし、隣の町とは離れているため、行くことは禁じられていた。

 つまり、ここから先はエルにとって全くの未知の世界。今ならまだ知っている場所に戻れる。今戻れば、両親の元で平和に暮らせる。クロはそう言っているのだ。

 それに魅力を感じなかったと言えば、嘘になる。誘惑は恐ろしく強かった。ここから先の世界について、自分には本で読んだ程度の知識しかない。

 ――だが、それでも、

「ううん。行く」

「……そうか」

 頷いて、クロは再び歩き出した。エルもその後に続く。未知だった世界に、足跡を

一歩一歩残して行く。

 立ち止まるわけにはいかない。

 自分は、魔法使いになるのだから。

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