a novice at wizard
| 今日も今日とて石投げである。 来る日も来る日も続く石投げの練習に、夜たまに行われるクロの講義。それが、エルの魔法使い見習いとしての修行内容だった。 別に石投げが無意味とは言わない。使う機会はそう多くないが、使う機会に使えないのでは魔法使い失格――というのはクロの言葉だが、エルも心からそう思う。『やらない』と『やれない』では、当然ながら意味が違う。そんな情けない魔法使いでは、あの人に会わせる顔がない。 だ・が。 石投げの練習だけをしたところで、やはりあの人に会わせる顔はない。大体、自分は魔法使いの見習いであるはずなのに、魔法を使った練習がないのはおかしいのではないか。石投げも知識も必要だとは思うから、別に魔法の練習だけをやらせろとは言わない。ただ、一日の練習メニューの中に加えて欲しい。 その要求を、エルは石を八十七個投げたところでクロに突きつけた。ちなみにここまでの成功数は……十二回。これでも最初の頃よりは各段に進歩したのである。 「要するに、魔法で遊びたいわけか?」 間違ってはいないが、表現が悪い。エルはムッとしながら訂正した。 「そうじゃなくて、魔法に触れた方がいいんじゃないかって思うの。習うより慣れろとも言うし」 「触れた方がいいって……雷撃とか炎牢にか? 別に構わないが、手がなくなっても知らないぞ?」 「その触れるじゃない!」 思わず叫ぶと、クロはしれっとした顔で「冗談だ」と言った。しかし、にやけた笑い顔ならまだ救いがあるが、こいつの場合は本当に淡々と冗談を言ってくる。笑えないどころではない。何だか、バカにされたような気分だった。 機嫌の悪いエルを宥めるように、クロは聞いてくる。 「魔法を使ってみたいのか、それとも他の魔法を見てみたいのか。どっちなんだ?」 「……魔法を肌で感じたいの。何て言うかなあ、これが魔法だー! って感じを味わいたいって言うか」 「また曖昧な注文を……つまり、こういうことか?」 クロは喋りながら、手を上げた。 「え? こういうことって――」 「雷撃」 カッ! と光がその場を支配し、続いてズガァァァァァとドガァァァァァァの中間のような轟音が聞こえた。鼓膜が破れるんじゃないかと思うほどの、それはそれは凄まじい音。前に見た時は音なんか聞こえなかったのに。少しは進歩しているってことだろうかと、無意識に考える。 「……」 光が収まり、耳が元に戻ってきたところで、エルは自分の横を見た。 「……なにこれ」 エルの真横……本当にすぐ横の地面が、真っ黒に焦げてしまっていた。一度見たことがある。クロの雷撃を食らった直後の地面は、ちょうどこんな感じだった。 「クロ……まさかとは思うけど、わたしに向けて雷撃を撃ったの?」 自分でも驚くほど怒りのこもった声だった。が、クロはまるで気にした様子もなく、 「肌で感じただろ?」 「限度があるわよっ!」 ぬけぬけと言われた言葉に、反射的に怒鳴り返した。体が震えてくる。恐怖が今になってようやく押し寄せてきたのだ。クロの手が、あとほんの少しでも右に寄っていたら……今ここに、自分という存在はなかったに違いない。 「感じたわよ! 感じまくったわよ! 魔法と一緒に死の気配までたっぷりとね!」 「そりゃ良かったな。滅多に感じられるものじゃないぞ」 「感じたくもないわよ! 自分の弟子に向けて魔法を撃つなんて、一体どういう神経してるの!?」 「別にお前に向けてたわけじゃないだろ。お前の横だ。ギリギリ当たらない場所を、ちゃんと狙ってたさ」 「同じよ!」 きっぱりと言いきる。と、クロは大げさにため息をついた。 「じゃあ、お前はどうすれば満足なんだ? 魔法で遊びたいわけじゃない。見たいわけでもない。肌で感じたいって言ったからそうしてやったら、それにも怒り出すし……具体的に何がしたいのか言ってみろよ」 「それは……だから……」 言葉に詰まった。具体的にどうしたいのかは、考えていなかった。ただ漠然と『魔法使いっぽいことをしたい』と思っていただけであって……感覚的にはクロの言う『魔法で遊びたい』が、一番近いかもしれない。 ただ、そんなことを言うと「じゃあ最初に頷けよ」とでも言われるのは明白である。自分がクロの立場だったとしても、言うだろう。そう言われるのは少し悔しい。何か別の表現がいい。何か、何か―― 「……決闘」 「あん?」 「決闘の練習がしたい。だって、魔法使い同士は会ったら決闘するものなんでしょ? わたしも練習した方がいいよ」 「別に会ったら必ずしも決闘ってわけじゃないが……それは置いとくとしても、正気か? お前の魔法で、」 エルの横。黒く焦げた地面を指さし、 「それとやりあうつもりか? 断言してもいいけど、死ぬぞ?」 「べ、別にいきなり雷撃とやるつもりはないわよ。一個くらいあるでしょ? 捕ったばかりで使ってない魔法」 「いや。ない」 あっさりと、クロは否定した。 「嘘? 一個も?」 「ああ。お前に会う前に、連盟に渡しちまったからな」 「連盟に? どうして」 「どうしてって……お前、魔法使いが普段どうやって金を稼いでるか知らないのか?」 突然聞かれ、エルは「えっ?」と間抜けな声を返した。それとこれと何の関係が――そう言う前に、クロが呆れたような声を上げた。 「あれだけ魔法使い魔法使い言っておいて、俺から本までもらっておいて、そんなことも知らなかったのか? それはお前……やる気あるのかって聞きたくなるぞ?」 「し、知ってたわよ! 何の関係があるのか解らなかっただけで!」 「じゃあ言ってみろ。そもそも魔法使いってのはどういう仕事だ」 「え、えっと……魔法使いっていうのは、あちこちを旅して魔法を捕るのが仕事。その捕った魔法は、魔法使い自身が使うもの以外は全部連盟が引き取る。連盟では魔法を使って色々実験してて、引き取った魔法に応じての報酬を魔法使いに支払う。珍しい魔法ほど報酬は高くなる……だっけ?」 「最後の「だっけ?」がなけりゃ、ほぼ満点だ」 クロはやれやれと息を吐き、「解らないか?」と聞いてきた。そう言われても何が「解らないか?」なのか、それがまず解らない。聞き返そうとして、 「あ……そうか」 思い当たった。クロが捕ったばかりの魔法を一個も持っていないのは、連盟に渡した――要するに換金した直後だからなのだ。 「そういうことだ。だから、今お前の相手をすることは残念ながらできないんだよ。そのうち何か捕まえたら、その時は嫌って言うまで相手してやる。今は石を投げろ」 機嫌をとるように言われては、エルも強く出ることはできない。まあ、約束してくれたならいいかと自分を納得させようとして、 「……あれ? でも、クロには炎牢もあるよね。あれを使って、テストの時みたいに当てられたら勝ちみたいなことはできないの? クロはただ防御してるだけ、みたいに――」 「さあ! ほれ! 石を投げろ石を! 無心に、がむしゃらに!」 突然、慌てたようにクロが立ち上がった。エルの背中を押して無理やり石に向かわせようとする。 「ちょっと! ひょっとして、単にめんどくさいだけなんじゃないの!?」 「地道な修行が上達への一番の近道なんだぞ。さあ投げろ。最終目標は半径二センチだ。頑張れ!」 「何で小さくなってるの!」 と、口答えをしたからでもないのだろうが。 その日は、いつもより五十個ほど余計に石を投げさせられた。 「肩が痛いよぉ……」 いつかと同じセリフを口にする。少しは慣れてきたと思ったのだが、さすがに五十個の追加は厳しかった。大体、クロには女の子の体を気にかけるという感情がないのだろうか。そう聞いてみると、 「魔法使いになりたいんだろ?」 と、当然のように返してくる。そう言われると、エルは何も言い返せない。 「もう少しで宿に着くから、そこまで我慢しろ。確か風呂があったはずだから」 「ほんと?」 「お兄さん、どうですか? 今なら安くしときますよ」 突然声が割り込んで来たが、クロは全く気にせずに続けた。 「ああ――あれ? 風呂があるのは向かいの宿だったかな?」 「何それ」 「お兄さん。ちょっと、とりあえず見るだけ見てくださいよ」 また声が割り込んで来たが、クロはまた無視する。 「ここに来るのも一年ぶりだからなぁ……ちょっと記憶が曖昧なんだよ」 「へー……去年も来たんだ」 「お兄さん。ちょっと!」 「ああ。墓参りって言ったろ? 毎年命日には――」 「あ、お嬢ちゃん。ちょっと見てきませんか? 絶対面白い――」 「さっきからうるせぇんだよてめえは!」 たまりかねたように、クロはそう怒鳴った。矛先をエルに向けた変な人――と言うのも、ピエロの格好をしていたからだ……アクセサリー屋なのに――が一瞬ビクリとし、そこはかとなく険悪な色の混じった愛想笑いを浮かべる。 「やだなあ。聞こえてるんじゃないですか」 「無視された時点で諦めろっての! しつこくついて来てんじゃねぇ!」 再び怒鳴るクロ。気圧されたのか、ピエロは愛想笑いのまま頭を下げ、店――露店の方に戻っていった。 「ったく。これだから今の時期のこの町は嫌いなんだ。ああいうバカが毎年必ず一人はいる」 「……んー」 クロがお兄さんだったのに、自分はどうしてお嬢ちゃんなんだろう。そんなことを考えながら、エルは言った。 「まあ、仕方ないんじゃない? お祭りなんだし」 そう。この町は今お祭りの真っ最中だった。ここらへんで流行っている宗教では、ちょうど今の時期に神様が何もない地上に降り、動物を、植物を、そして人間を作ったとされている。それに感謝するお祭りが、毎年開かれているとのことだった。 とは言うものの、町の人間達が本気で感謝しているのかどうかは……怪しいものだった。あちこちで飲めや歌えやの大騒ぎ。町のそこら中に露店が並び、ちょっと目を向けただけで今のように声をかけてくる。単に大騒ぎする口実が欲しいだけなんじゃないかとエルは思う。多分、あながち間違いではないだろう。 クロはまだ何かぶつくさ言っている。毎年毎年同じような目に遭っているのだろうから、怒りたくなるのも理解できないではない。だが、クロはもう少しさっぱりした性格なような気がした。こんな、いつまでも根に持つというのは彼らしくない。 「……ひょっとして、お祭りとか嫌いなの?」 ふと思って、そう聞いた。クロは前を向いたまま答えてくる。 「遠くから眺めたり、音を聞いたりしてる分にはいいけどな。自分が参加する気にはならない」 「……それって、つまんなくない?」 「楽しみ方は人それぞれだろ」 即答された。どちらかと言うと自分が参加する方が良いエルは、そんなものかと半信半疑ながら頷く。 「嫌なら来なければいいのに。回り道すればいいでしょ?」 「できるならとっくにやってる。まだ言ってなかったか? 知り合いの墓があるのは――」 クロが何か言いかけた、その時だった。 「魔法使いか?」 突然、クロでもエルでもさっきのピエロでもない声が後ろから聞こえた。まずエルが立ち止まり、次いでクロが振り返る。 まだまだ数はあるが、それでもいくらか露店の少なくなってきた道。宿屋のある通りが近くなってきたからだろうか。そんな場所で、彼はエル達を呼び止めたのだった。 長髪に髭を生やした、四十半ばの男性。エルの父親と同じくらいだろう。黒い服に黒いマント。指にはさりげなくリングがはめられており……いかにも魔法使いという感じである。厳つい顔つきで、古豪とか古強者とか、そういう言葉を連想させる。 男の目は、エルがはめているリングを見ていた。 「あ、いや、わたしは魔法使いじゃないんですけど、リングははめてても別にいいって言うか――」 「魔法使いは俺だ。こいつは見習いだよ」 あたふたと言い訳するエルを遮り、クロが前に出た。自然、エルを男から庇うような格好になる。 「何か用か?」 「何か用か――だと? 解っているだろう」 男は可笑しそうに笑う。解っているだろうと言われても、少なくともエルには何のことだかさっぱり解らない。そう言おうとすると、 「……そうだな」 と、これまた当然のようにクロが頷いた。どうやらこの場で解っていないのはエルだけらしい。わずかな疎外感があるが……ここで聞くというのも間抜けな話なので、渋々黙り込んだ。 「少し待ってくれ。とりあえず荷物だけ置いておきたい」 「ああ」 クロが言い、男が応じる。クロはさっさと男に背を向け、エルを促して歩き出した。何がどうなっているのか解らない。 「クロ。ねえ、何がどうしたの?」 「ん……ちょっとな」 聞いても答えてくれない。何かまずいことになったのだろうかと不安になる。ひょっとして、何か危ないことになって、このままクロと別れることになるんじゃないだろうか。 それはないとは思いながらも、考えが頭を離れない。 クロは明らかに適当と思われる宿を選択した。道を少し歩いて、目に入ったところに入ったのだ。宿泊料金が前回泊まったところよりも高い。だが、風呂はあるし部屋もそこそこ綺麗なので、ちょっとした贅沢と思えばそれでいい。問題は―― 「クロ! どういうことなの!?」 部屋に入るなり食って掛かった。クロはなぜかリュックの中からリングを取り出している。指につけているいくつかのリングを外し、代わりに取り出したものをはめ、それからようやく答えた。 「そんなに気にしなくていい。ただの交換だから」 「気にしないわけ――交換?」 怒鳴りかけてから、クロの言葉に疑問符をつけて返した。クロは指から外したリングを荷物に戻している。 「ああ。お互いに譲ってもいいものを出し合って、相手の出した中に欲しいものがあったら交換する――それだけだ。別に悪党に袋にされるとかそんなんじゃないから安心しろ」 「なんだ……あれ? 魔法は全部支部に預けちゃったんじゃなかったの?」 「全部ってわけじゃないさ。必要になりそうなものとかをいくつか予備として持ってる。それを出すんだ」 「ふーん」 「まあ、交換って言っても、実際に魔法を見なきゃ欲しいものかどうかは解らないからな。町中で魔法を使うのは危ないから、俺は一旦町を離れるぞ」 「解った……って、その間わたしは何してればいいの?」 含みのある声で、そう聞いた。クロもそれに気付いてはいるらしく、じとっとした目でこちらを見ている。 「ここで待ってろ……って、何だその不服そうな顔は」 「別にぃ」 「……解ったよ。今から自由行動だ。夜の九時にここの玄関前集合」 「やった♪」 はしゃいだ声を上げる。クロはため息をつき、立ち上がった。 「じゃあな。もう一度言っておくが、ちゃんと九時には帰って来い。変な奴に絡まれても自分で何とかしろ。解ったな?」 「うん。あ、わたしお風呂入って来るね」 「ちゃんと解ってんのか? お前」 どこかで聞いたような会話に既視感を覚えながらも、エルは大して気にせずにリュックを漁った。クロが心なし疲れたような足取りで扉に向かう。 「行ってらっしゃーい」 華やいだ声で言うと、小さく「ああ」という返事が返ってきた。 適応能力が高いのか、単に能天気なのか。旅に出た時めそめそ泣いていたとはとても思えないエルの豹変ぶりを、クロは半分呆れながら考えていた。ちなみに個人的には、確実に後者だろうと思っている。 「……まあいいか。ずっと泣かれっぱなしよりはマシだ」 わざわざ声に出して自分に無理やり言い聞かせた。このことをいつまでも考えている余裕は、少なくとも今はない。 宿を出て少し歩くと、男はさっきとほとんど変わらない場所で立っていた。道の中央に仁王立ち。通った人間は何事かと思っただろうと、何となく考えた。 「お別れは済んだか?」 練習でもしているのだろうか。妙に慣れた言い方で、男が聞いてきた。 「行ってらっしゃいとは言われたな」 「もっとちゃんとしたお別れをしてきた方がいいだろう。待っててやるぞ?」 余裕の表情。だが、それは「お前は死ぬぞ」と言っているのと同じだった。そして――それを実行するのが誰なのかも。 明らかな脅し文句に、クロは全く動じることなく答えた。 「別にいいさ。死ぬ予定はないからな」 「そうか」 それを聞いても、男は頷いただけだった。この程度のハッタリなど、日常茶飯事とは言わないが、驚くには値しないのだ。男にとっても、クロにとっても。 本来なら、この辺で終わるはずだったが―― 「知らないぜ? それが最後の言葉になっても」 「……何だって?」 男が意味ありげに呟いた言葉を、クロはよく聞き取れなかった。妙にしつこいと思いながら聞き返すが、 「いや、何でもない……ついて来な。少し先にちょうどいい場所がある」 男はそう言って背を向けた。訝しげに首を捻りながらも、クロは黙って後をついて行く。二人とも特に気負うこともなく、魔法の交換をするだけと言われても全く違和感のない様子だったが、 交換であれば、先ほどのような会話は無用のはずだった。 前回の宿ではフィーリアとの出会いがあったが、今回は本当に貸し切りだった。誰か気の合う人がいるといいなぁと思っていたから、これには少しがっかりした。 「まあ、嫌な人がいるよりはいいけど」 呟きながら服を着る。ところで、前回の宿でクロはお風呂入ったんだろうか。何の脈絡もなくそう考えるが、エルの見ている限りでは入った様子はなかった。 「……あ、朝入ったんだよね、うん。早起きしたから、わたしが寝てる時に」 声を固くしながら、自分に言い聞かせた。そうでもしないと不安だった。 部屋に鍵をかけて、受付に預ける。お祭りなど久しぶりなので、気分が高まっていた。 そう言えば、故郷もちょうどお祭りがやっている時期だ。学校の友達にはお別れを言っている時間がなかった。家まで自分を迎えに来て――旅に出たことを知ったら、どんな顔をするだろう。 「……」 不意に郷愁の念にかられた。慣れてはきたものの、気を抜くとすぐに帰りたくなる。クロには知られていないだろうが、エルは時折襲ってくるこの感情と毎日のように戦っていた。 いけない。泣けてくる。 歯を食いしばって、涙をこらえた。泣いてはいけない。泣いたら立ち止まってしまう。 目をゴシゴシと擦って、顔を上げた。目の前に広がるのは祭りの喧騒。あの中に紛れれば、この気持ちも少しは晴れるかもしれない。そう思って、エルはその中に踏み込んだ。 ぱっと見ただけでも色々な店がある。服にお菓子、人形。上半身裸の男性が曲芸を披露しているかと思えば、遠くではさっきのピエロが熱心に客を呼び込んで、その度に怒鳴られている。やはり、どう考えても神様に感謝しているとは思えない。 だが、余所者のエルにとっては、知りもしない宗教の厳かな儀式よりもこちらの方が楽しかった。しかもここのお祭りの規模と言ったら、故郷のお祭りの比ではない。町ぐるみでの催しなのだろう。右を向いても左を向いても、前を向いても後ろを向いても。全てがただ一色で塗り潰されていた。魔法使いを目指さなければ、ここに来ることもなかっただろう。 あの人は、自分に色々なものを与えてくれる。エルはふとそう考えた。 そもそもエルが魔法使いを目指すのは、もう一度あの人に会いたいからである。十年前に命を助けてくれた恩人。そして……エルの、憧れの人。 トーナメントで勝ちたいというのも、有名になればあの人の耳にも入るかもしれないと考えたからだった。あの人と同じ魔法使いとして、あの人と再会したい。それがエルのやりたいことであり、涙をこらえられる理由である。その思いがあったから、テストの時に恐怖を跳ね除けることができたのだ。 新たな出会い、発見、強い意思。全てが、あの人に出会わなかったら持つことのなかったものだ。 もし出会わなかったら、自分の人生はひどく味気ないものになっていただろう。あの人は自分の人生を変えてくれた。 「……そう言えば、どうしてクロはあの人の話を避けるんだろ」 独り言を呟く。クロがあの人の知り合いだと判明して以来、エルは何度となくあの人の話をせがんだ。ところが、クロはその度に腹が痛いだの眠いだの気分が悪いだの方角的に良くないだの、色々な言い訳をしてはエルの頼みを受け流していた。しかも、言葉の内容はふざけているくせに顔は真剣そのものなので、深いところに突っ込みにくい。 あの人のことが実は嫌いだとか、そういう雰囲気もなかった。わけが解らない。 今夜も聞いてみるつもりではあるが、聞き出せるだろうか。あまりしつこいと不機嫌そうな顔になるし、こちらがどんなに落胆した表情を見せても気にかける素振りすらない。 ただの知り合いなら、話を拒むことはないだろう。何かがあったのかもしれない。他人に話したくはない何かが、クロとあの人との間に。 「……ま、いいか」 確認するように呟いた。考えても仕方ない。せっかくお祭りに来ているのだ。楽しまなければ損というものだ。 集合時間――たった二人なのに集合と言うのも妙な気はするが――は夜九時。夕飯を食べるには少し遅い時間である。多分、自分で好きなように食べろということだろう。店に入るなり、屋台で少しずつ色んなものをつまむなり。後者はあまり行儀が良くないが……何、今日くらいは無礼講だ。それに、そういう食べ方に実は少し憧れていたりする。 小腹も空いた。何か美味しいものでもないかと、それとなく辺りを見回していると、 「……あ」 甘ったるい匂いが漂っていた。普通の人は少々甘過ぎると感じ、苦手な人は吐き気をもよおし、甘党の人だったら目を輝かせる、そんな匂い。すぐ近く……と言うか、エルの真横だった。 シュークリーム屋だった。 エルは超の字がつく甘党である。とりわけシュークリームには目がない。色々と気になる年頃なので泣く泣く我慢しているが、一度でいいから山ほどのシュークリームを食べてみたい。ガキと言うか単純と言うか、お前ももう十六なんだからそろそろそういった子供っぽい妄想からは卒業しろよと言うか、とにかくそんな夢を密かに持っているのだった。 「どうお嬢ちゃん。甘くて美味しいよ」 覗きこんでいるエルに気がついて、店員が声をかけてきた。そりゃ辛かったらシュークリームじゃないわなぁとかそういったくだらないツッコミも一瞬頭をよぎったが、 「えっと……じゃあ、十個お願いします」 太るぞお前。 ……といった野暮ながら鋭いことを言ってくれる人間は、あいにくこの場にはいなかった。 購入したシュークリームの入った袋を抱えながら、エルは再び目を雑踏に向ける。さっきのピエロと目が合った。が、一瞬で向こうが目を逸らしてしまう。彼は今、少なく見積もっても七十年以上は生きているお爺さんに説教されていた。人の迷惑を知れ。どういったものを見て欲しいのかはっきりしろ。お客を強引に呼び込むのではなく、お客が自然に集まって来るような店を心がけろ。大体わしの若い頃は…… 「……がんばれー」 小さく声援を送りながら、しかし目は逸らしてその場を通り過ぎた。 袋に手を入れて、シュークリームを一つ取り出す。顔がにやけるのが抑えられない。すれ違った人が不気味そうにこちらを見ていたが、それでも無理だった。どうしようもない。 「いただきまーす」 我ながらもの凄く嬉しそうな声で言い、食べ始める。ぱくぱくと四口ほどでたいらげて、 「ん、美味しい」 続いて二つ目。これもあっという間に食べ終わってしまう。三つ目、四つ目……いくらでも入るような気がした。 「幸せー……ん? あれは……」 ふと、大きなテントの下に、ここ最近のうちに見慣れたものがあることに気付いた。かごの中に無造作に入れられている。自然と、自分の指に目がいった。 リングである。エルの足は無意識にそちらを向いた。 リングの入ったかごは一つではなかった。何十個もあって、それらが区別もなく並べられている。魔法を売っているわけではないだろう。魔法というのはそれなりに希少なもので、こんなに多くバラ売りできるようなものではない。 テントには何人かの客がいたが、誰も魔法使いではないようだった。リングではなく、アクセサリーとして見ているらしい。 しかし、リングを手にとって騒ぐまではいいのだが、値段が書いてあるらしい紙を見た瞬間に白けた表情になるのはなぜだろう。まるで、話にならないとでも言いたげな表情である。 怪訝に思いながら、エルはふと値段の書かれている紙を見て――目を疑った。 ちっぽけなリング。確かに宝石はついているが、決して大きいものではない。それに、これは魔法使いにとっては商売道具なのだ。アクセサリーとしての指輪とは違う。自分のお小遣いでも手は届くはず――エルはずっとそう思ってきた。町にはリングを売っている場所がなかったため、正確な値段は解らなかったのだ。 祭りのテントで安売りされているリングは、一個の値段が今エルの抱えているシュークリーム十個の倍以上だった。 「り、リングってこんなに高いの!?」 悲鳴じみた声を漏らす。と、それを聞きつけたのかテントの主が振り向いた。三十代後半と思しき、髭を生やした暑苦しそうな男性だった。 「ん? なんだお嬢ちゃん、魔法使いか?」 エルのリングを見て、店主はそう聞いてきた。エルは慌てて首を振る。 「い、いえ違います。見習いです」 「ほー。見習いね……だが、リングの値段も知らないってことは、見習いになってまだ間もないんじゃないか?」 「……はい。まだ数日です」 多少赤くなりながら答えると、店主は「がはは」と実に漢っぽい笑い方をした。 「そうかそうか。だがなお嬢ちゃん。こんなテントじゃなくてちゃんとした店で売ってるリングは、これの十倍はするんだぞ?」 「じ、十倍!? そんなに高いんですか!?」 「ああ。こいつらはもう古くなって、魔法を捕れるかどうかも解らないんでな。そういうのを集めてまとめて売りさばいちまおうってことなんだが……そんなもんに金払うような魔法使いはいないんだよなあ。よほどの貧乏ならともかくよ」 「はあ……」 想像を遥かに超える高額でのやりとりに、エルはため息を漏らした。魔法使いがそんなに金のかかる仕事だったとは……ん? ちょっと待てと思う。こんな高価な、しかも魔法を封印してあるリングを簡単に自分に与えるクロは……ひょっとして、物凄い金持ちなんじゃないだろうか。自分とほとんど変わらない若さなのに。 「お嬢ちゃん、どう? 一つ買ってかないか? おまけしとくからさ」 考えもしなかったことに驚愕していると、店主はいきなりそう尋ねてきた。 「へ!? い、いえ、けっこうです。まだ必要ないし、お金もあんまり……」 「……にしちゃあ、ずいぶんいいもの持ってるように見えるけどな?」 エルの抱えるシュークリームの袋を意地の悪い視線で示しながら、店主。 「こ、これは……その……」 からかわれていることに気付きながらも、エルは彼の期待通りの反応をしてしまう。とうとう、俯いたまま何も言えなくなった。顔が焼けるんじゃないかと思うほど熱い。 エルにとって永遠にも等しい一瞬の後、店主が苦笑したような声をかけてきた。 「悪かった悪かった。ほら、これやるから機嫌直せ」 顔を上げると、店主はなんと、リングを一つこちらに差し出してきていた。エルは慌てて首を振る。 「い、いいですよ! そんなもの頂けません」 「いいからいいから。どうせほとんど買う奴はいないんだ。一つくらいなくなったってバレやしないよ」 「でも……」 「いいからとっとけって。将来魔法使いになったら、ウチに買いにきてくれればいいからよ」 その言葉に、きょとんとして店主を見る。彼はニカっと笑ってこちらを見ていた。真っ白な歯がよく見える。 エルはしばらく考え、やがてそろそろと手を出した。 「すみません」 「おう……そう言えば、お前さんの師匠は何ていうんだ? 有名なのか?」 リングを渡しながら、店主は思い出したように聞いてきた。クロが有名だという話は聞いたことがない。 「有名じゃないと思います。わたしとほとんど年変わらないですし」 「そうするとずいぶん若い奴なんだな。名前は?」 「クロっていうんですけど」 「ほー、クロ……クロ!?」 突然、店主は大声を出した。 「ひゃっ……な、何ですいきなり」 「す、すまねえ……いや。そんなことよりお前さん、本当に“あの”クロの弟子なのか?」 「どのクロのことを言ってるのか解りませんけど……黒い髪と黒い目をしてて、雷の魔法とかを持ってて……」 こともなげにそう言うと、店主はいよいよ目を丸くした。まるで、声をかけた相手が物凄い有名人だったとか、そんな反応のようだった。 「クロのこと知ってるんですか?」 そう聞くと、店主は即座に頷いた。 「知ってるも何も、クロって言やあ――」 彼の言葉はしかし、そこで途切れた。 「うああああああ!?」 そういう叫び声とともに、一人の男が店に突っ込んできたのだった。どうやら、いつの間にか喧嘩が起きていたらしい。その男を殴ったらしいマッチョが、余裕の表情で店の方を眺めている。 リングは案の定、地面のあちこちに散らばってしまった。回収は相当困難だろう。 「な――」 「な?」 何事か呟いた店主に、エルが聞き返す。クロが何なのだろうか。そう聞こうとする直前、 「何すんだコラてめぇ!」 「ひっ――ご、ごめんなさい!」 反射的に謝ってしまったが、その時にはもう、店主はエルのことなど見ていなかった。怒りのオーラを立ち昇らせて、マッチョに向かってのっしのっしと歩いていく。店主が殴られるんじゃないかと一瞬危惧したが、どうやらマッチョにも自分が悪いという自覚はあるらしく、なんだかんだと言い訳しながらも店主に手を上げることはしない。 店主VSマッチョの舌戦に目を奪われていると、 「……っけんじゃねぇぞ!」 「ひえ!?」 突っ込んできた男が、怒りに目を血走らせて立ちあがった。店をめちゃくちゃにしたのは彼なのだから、店主からすれば彼の方こそ「ふざけるな」なのだが。 案の定、店主は怒りの矛先をその彼に向けた。マッチョと違って冷静ではない彼は店主に殴りかかろうとするが、それはマッチョ以下数人の勇気ある通りすがりに押さえられる。 (こ、怖い……ここ怖いっ!) 乱闘になりつつある場所に言い知れぬ恐怖を感じ、エルは急ぎ足でその場を離れていった。 |
よろしければ感想をお願いします。