a novice at wizard

 

 一方クロは、男に続いて町の外れまでやって来ていた。家の姿はあるが、どうやらそれらは全て無人らしく、生きる者の気配というのが全く感じられなかった。

「ここらへんでいいだろう」

 男は、そう言って立ち止まった。

「そう言えばまだ自己紹介をしていなかったな。俺はシグン。お前は?」

「クロ」

「クロ? ……ほう、お前が“あの”クロか。噂はあちこちで聞いている」

「聞いた端から忘れてくれた方が、俺としては嬉しかったんだけどな」

 渋い顔をしながら、クロは言った。シグンがニヤリと笑う。

「そうは言っても、聞く回数が半端じゃないからな……なるほど。お前が相手なら、手加減は無用だな」

「どんな相手でも、真剣勝負で手加減はしない方がいいと思うぞ」

「違いない……では、いくぞ」

 その瞬間、シグンの雰囲気が変わった。リラックスしていた彼の体から猛烈なプレッシャー――殺気が放たれてくる。

「巨斬!」

 と、シグンが呪文を叫ぶのと、

「雷撃」

 とクロが呟くのは、ほぼ同時だった。二人のちょうど中間で、二つのエネルギーがぶつかり合う。互いに互いを食らい合い、同時に消滅する。最初の一撃は相打ちに終わった。

 そしてその間に、クロもシグンも廃屋の陰に身を隠している。魔法の使用可能数は限られているのだ。何もバカ正直にぶつけ合うことはない。

 エルに言った交換というのは、もちろんクロの嘘である。心配――あるいはついて来ようとするのを防ぐため、咄嗟にそう言ったのだった。交換など、本当はそう滅多に行われるものではない。

 魔法使いが魔法使いに話しかける時――それは多くの場合、決闘の申し込みを意味するのだった。

 もちろん申し込まれた方にも拒否権はある。あまり乗り気ではないし、クロもできるなら拒否したかったのだが……シグンは、聞き入れてくれるような人間には見えなかった。さっさと勝って戻るしかない。威力に物を言わせる勝負になればこっちのものだろう……

「っと、いかんいかん」

 慢心めいた気持ちを抱く自分を戒める。さっき、真剣勝負で手加減はしない方がいいと自分で言ったばかりではないか。巨斬とやらは、少なくとも雷撃と同程度の威力を持っている。仮に威力に物を言わせる戦いになったとしても、そう簡単にはいかなかっただろう。

 乗り気でないのは仕方ないが、やる気がないのはいけない。これは命のやりとりなのだから。

 クロはわずかに後退し、崩れた塀から廃屋の敷地内に入る。庭は荒れ果てているが、ちゃんと手入れをしてやればそこそこ見られるようになると思った。どうやらここは、昔の金持ちの家らしい。

 床も柱も半分腐っているような古めかしい木造家屋だったが、土足で家に上がるのは少し躊躇われた。クロは、家に向かって一つお辞儀をしてから庭を通って行く。変なところにこだわりがあった。

 崩れている塀の隙間からシグンを探してみる。が、案の定と言うか、彼の姿はどこにもなかった。どこかに隠れていることは間違いないのだろうが、それが解っているところで何の意味もない。

 この場所の形も厄介だった。曲がりくねった大きな道から、細い道がいくつも出ている。身を隠す場所が豊富過ぎるのだ。全てを吹き飛ばすほど破壊力のある魔法を持っているわけでもないので、地道に探したりおびき寄せたりしなければならない。

「……ったく。めんどくさいな」

 毒づくが、今更何を言ったところで後の祭りだった。他に方法はない。

 とにかく動かなければ始まらない。クロは隙間から慎重に通りを探る。動く影は……ない。いける。

 意を決して、塀の上に飛び乗ったところで、

「双斬!」

 呪文を叫ぶ声が響いた。やはり待ち伏せしていたらしいが――

「雷撃!」

 相手の攻撃には構わずに、声で掴んだ大体の位置に向かってクロは魔法を放った。同時に、当てずっぽうに右前方へ跳躍する。相手が塀から出てきた自分を狙っていたなら、これで多少威力は軽減されるはずだった。雷撃による轟音が周囲の空気を震えさせる。

 家もろとも狙った場所が崩れ、動く影が見えたか否かのところで、

「ぐあっ!?」

 直撃を食らい、地面に叩きつけられた。肩から胸にかけて、大きな傷がつけられている。

「くっ……治癒」

 治療の魔法を唱える。すると傷は、完全とまではいかないが大体の部分は塞がった。血も止まっている。ひとまずは安心である。

 だが、クロにはどうしても解せなかった。狙われた場所から離れたのに、直撃を食らうなどと。自分がどこへ跳ぶかということを予測できたはずがない。まさか、自動追尾でもする魔法なのか――そう思いながら顔を上げ、クロはそれを目にした。

 さっきお辞儀した家の、屋根裏部屋のような場所。そこの窓のすぐ下に、何か刃物で斬りつけられたかのような傷がついていた。

「……ああ、なるほど」

 誰に向けるでもなく呟いた。似たような魔法を以前見たことがある。そして、それをかわす方法も知っている。この攻撃はもう注意しなくていい。

 細い道にいつでも飛び込めるように、クロは壁沿いにシグンのいると思われる方へ歩く。さっき目の端に映しただけだったが、逃げた方向ははっきりと解っていた。

 歩きながら、頭の中で魔法の残りを確認する。雷撃を二発使った。計五発だから、残りは三発。

 クロは雷撃の使用可能数を五発だと考えていた。ちなみに、魔法の平均使用可能数は五発から十発程度。何しろ使いきったら終わりなので、平均値の最低ラインにしてあるのだ。十発試そうとした挙句雷撃を失ったなんてことになってしまったら、目も当てられない。

 攻撃タイプの魔法は雷撃だけではない。雷撃には及ばないものの、破壊力の高い魔法は他にもあった。それを中心に使って行こうと思った……その時。

「双斬!」

 シグンが、またあの攻撃を仕掛けてきた。クロは薄く笑い――前へ跳んだ。背後で、地面が抉られたような音がする。

 シグンの双斬とは、左右から襲ってくるカマイタチである。さっきクロは右前方に跳んだ。右側から来ているカマイタチに突っ込んでいくような形になってしまったのだ。

 同じような魔法を、クロは数年前に見たことがある。エルの命の恩人が使っていたオリジナル『風の騎兵』 もっとも、威力はシグンの方が高いようだが。

 おそらくシグンは風の魔法の使い手なのだろう。威力が最弱であるはずの風の魔法を、雷撃と同等の威力になるまで使いこなしている。双斬も、対処方法を知らなければ危なかった。

 さっさと帰るつもりなんかでいたら、今頃は負けていたかもしれない。わずかに安堵しながら、クロは腕を上げた。

 攻撃タイプの魔法は、大抵の場合動きは直線である。双斬も例外ではない。二つのカマイタチの元。シグンはそこにいる。

「重束」

 大体の場所を狙って、クロは放った。要はシグンをいぶり出せればいいので、当てるつもりで狙う必要はないのだ。

 狙いをつけた場所の家々が、不可視の圧力によって押し潰される。シグンがあそこにいるのなら、これは避けられないはずだった。

「うおっ!」

 案の定、シグンが転がり出てきた。クロはすかさず彼に狙いをつけ、

「双斬!」

 先に呪文を唱えられた。そして、舌打ちする間もなく、

「巨斬!」

 シグンは、もう一度唱えた。

 合成魔法という言葉がある。二つ以上の魔法を組み合わせて一つの強力な魔法とする技の名称だ。クロは単に合体技などと呼んでいるが、今シグンはそれを使ったのだった。左右から双斬、前方から巨斬。逃げ場はない。

「炎牢」

 雷撃でも重束でもなく、クロはこれを使った。攻撃でも回復でもない炎牢は、相手の強力な魔法を封じるためにある。この場合は、直線上の巨斬だった。

 クロと巨斬との間に出現した青い牢獄は、迫り来る風のエネルギーを一瞬で封じ込めた。クロは余裕で前に出る。背後ではまたしても地面が抉られる音。

 二度の攻防を経て、クロとシグンは再び対峙した。形勢はほぼ互角である。シグンは強力な攻撃力を失ったが、クロもまた強力な防御力を失った。

「……さすがに強いな」

 しばらく膠着状態が続いた後、シグンが言ってきた。

「そりゃどうも」

 短くそう返す。会話はそこで途切れ、またお互いに相手の出方を探り始める。

 先に動いたのは、今度はシグンだった。

「双斬!」

 そして、間髪入れずに叫ぶ。

「深斬!」

 言葉だけではどんな攻撃か解らない。クロはとりあえず数歩前へ出て、応戦する。

「重束」

 重束の数は十五回。雷撃の三倍である。この魔法は貴重さの割に使用可能数が高く、クロも重宝していた。範囲は広いし、ほとんどの魔法は封じることができる。攻撃と防御を同時に行える魔法だった。

 ところが――

「な!?」

 まるで深斬とやらは、圧力に屈することなくこちらに迫ってきた。反射的に身を捻るが、避けきれずにわき腹に食らってしまう。

「ぐ……っ!」

 倒れ込む一方で、奇妙な音を聞いた。重束が防がれる音を。

「分斬!」

 まるでシグンを避けるかのように、圧力の力場が真っ二つに分かれているようだった。この攻防は完全にクロの負けである。シグンに傷一つ負わせられず、自分は骨が折れたんじゃないかと思うほどの痛みを味わっている。だが……それでも、クロは笑った。

 巨斬、双斬、深斬、分斬。あと一つで、シグンは手の内を全て明かすことになるのだ。

 己の手の内が全て相手に知られるというのは、戦いでは相当なハンデとなる。五つの魔法から考えられる合成魔法、戦い方。それらを全て推測されてしまうのだ。たった一つでも残しておけば、そうはならない。

 だからクロも、最後の一つは隠している。今まで明かした魔法は雷撃、重束、炎牢、治癒。

 結果だけ見るならば、二人とも四つの魔法を明かしたということで互角である。しかしクロは、自分の方が優位に立っていると確信していた。

 クロは、治癒を除いた三つは全て自分の意思で明かしたものである。使うのが最良だったから使ったのであって、使わないなら使わないでも良かった。

 対するシグンは、巨斬、双斬以外の二つを半強制的に使わされている。巨斬を奪われた彼は、一点に集中させるタイプの深斬で攻撃し、防御の分斬で防ぐしかなかったのだ。中央という穴を塞がなければ、双斬はまるで役に立たない。

 自分の意思と、そうでないものと。心理的にほんの少しだけ優位に立っただけに過ぎないが、勝つにはそれだけあれば十分だった。

 と、その時、巨斬を捕らえていた炎牢が消滅した。クロは笑う。手駒は揃った。勝つための道も見え始めている。後はそれを整えるだけだ。

「……深斬は炎牢で止める」

 クロはいきなりそう言った。シグンが怪訝な顔をするが、それにも構わずに続ける。

「巨斬は雷撃で打ち消すし、双斬はその後にかわせばいい。重束で牽制しておけばあんたは魔法を使いにくいし、分斬なんか隙を突けばどうとでも対処できる」

「? 一体何を――」

 わけが解らないらしいシグン。クロはここぞとばかりにニヤリと笑った。

「そして最後は、俺が持ってる中で最強の魔法で仕留める。言っておくが雷撃なんか比じゃないぞ。あんなもの、俺の最強魔法に比べればただの静電気だ」

「……何が言いたい」

 シグンの顔つきが厳しくなる。対するクロは、まだニヤニヤ笑ったままだった。

「別に。ただ、どっちが勝つかはあんたの五つ目の魔法にかかってるってことだ。あんたの五つ目が今言った予定のどれかを覆すか、俺の最強魔法に対抗できるようなものであればあんたの勝ち。そうじゃなければ俺の勝ち。簡単だろ?」

「……正気か? 自分の考えを敵に教えるなど」

「そうは言うけど、これ以外に何かあるのか? あるなら教えてくれよ。そっちの方向も検討するから」

 ふざけた調子の言葉に、シグンが視線をきつくする。が……返事はなかった。

「ないならいくぞ。あ、そうだ」

 たった今思い出しましたとでも言うように、クロは声を上げた。シグンの余裕のなくなった表情。準備は全てうまくいっている。

 そしてクロは、彼に告げた。

「手加減なんかできないからな。死んでも恨むなよ」

 そして、走り出す。シグンに向かって。

「くっ……双斬! 巨斬! 深斬!」

 シグンが、三つ同時に魔法を放ってきた。双斬と巨斬までは知っているが、更に深斬を加えている。なるほどこれは……防ぎにくい。

 だが、

「甘いんだよ。雷撃!」

 呪文と同時に巨斬が消滅する。更にその向こうには、姿の見えない深斬。

「炎牢!」

 前方に炎の牢獄。それを横に避けて、シグン目掛けて走る。深斬の衝撃は来なかった。

「重束!」

 今度はクロが攻撃呪文を唱えた。強烈な圧力がシグンを押し潰そうとする。

「分斬!」

 気圧されたような表情で、シグンは必死に呪文を唱えた。力場はさっきのように真っ二つにはなるが、これは深斬の突破で威力を軽減されていない分、重い一撃となっている。彼がもたついている間にクロは距離を縮めていった。わき腹が痛むが強引に無視する。

 シグンがようやく重束をさばいた。だが、もう遅い。呪文はもう間に合わない。クロは大きく息を吸い、高らかに叫んだ。

 

「死ねコラ!」

 

 シグンは何もせず、ただせめてもの抵抗のつもりか両手を顔の前で交差させていた。自分達レベルの魔法使いの魔法に、そんな防御は無意味だと言うのに。

「おい。シグン」

 クロは淡々とした声で彼を呼んだ。シグンが恐る恐るといった感じで腕を解く。

 その彼の眼前に、クロは左手を突きつけた。リングのはまっている左手。驚愕と混乱が入り混じっている表情の彼に向かい、数秒間それを続けてから告げる。

「俺の勝ちだ。残念だったな」

「――な? 何を言ってる?」

「何をって……今の数秒の間に、俺が何回魔法を使えたと思ってる?」

 あっさりとそう言われ、シグンはそこは納得したようだった。だが、それでも混乱してしまっている。化かされたような顔で尋ねてきた。

「お前……何をしたんだ?」

「何も」

 クロは短くそう答えた。あまりに淡白な回答に、シグンがわずかに苛立ちの表情を表す。

「どういうことだ!? 俺にはさっぱり解らない。お前は一体何をしたんだ!?」

 怒鳴り声にため息をつき、クロは説明した。

「だから、俺は何もやってない。重束をしのいだ後、あんたが勝手に視界を塞いでいただけだ」

「だ、だが、お前は確か――」

「ああ。あれはただ叫んだだけだ」

 あっけらかんとクロは言った。シグンの唖然とした顔を笑いながら、

「それっぽいことを適当に叫んだだけなんだよ。魔法じゃない。ただのハッタリ、こけ脅し。あんたは要するに、俺にまんまと騙されたってわけだ」

「……てめぇ」

 シグンはしばらく黙っていたが、やがて怒りを孕んだ声を押し出してきた。「お、やるか?」とクロが身構える。が、

「――っ ……俺の負けは誰が見ても明らかだ。くそっ」

 どっかりと腰を下ろし、言いたくない気持ち満々といった声でシグンはそう言った。心では怒り狂っているようだが、頭ではなんとか納得したらしい。一応負けは認めたようだった……不満たらたらという様子ではあるが。

「……じゃあな。俺は帰る」

 強かったとかまたやろうとか、そんな言葉を自分が言うのは、彼の神経を逆撫でするだけのような気がした。クロはそれだけ言って、シグンに背を向ける。

 一度クロが振り返った時、小さくなったシグンは全く変わらない姿勢でそこに座っていた。

 

 そして、二十分ほど後。

 シグンの頭が少し冷えてきたところに、一人の男が現れた。シグンは彼を見上げ、頷く。

「ああ、あんたか」

「ご苦労だったね……その様子だと、負けたのかい?」

 どこか人をバカにするような口調。だが、シグンはそれに怒る気力もないらしい。

「ああ。惨敗だった。さすがと言うべきか……」

「いやいや。なかなかいい勝負だったよ」

「……見てたんじゃねぇか」

 シグンが言うと、男は「おっといけない」と、ふざけた調子で口元を覆った。

「とにかくご苦労。ほら。約束の金だ」

 男は懐から紙袋を取り出し、シグンに渡した。開けて中身を確認する。ついでに、ダメ元で聞いてみた。

「しかし、あんた一体どういうつもりなんだ? こんな高い金払って、あいつと邪魔者抜き観客抜きの勝負をしろだなんてよ……相手があいつなら高額になるのは納得だが、そもそもこんなことをする意味がさっぱり解らねえ」

 まあ、俺は儲かるからいいんだが。金を数え終わり、紙袋に戻しながらそう言った。

 答えては来ないと思ったが、案外簡単に男は白状した。

「ちょっと、彼の弟子に用があってね。そのためには彼を遠ざけておく必要があったんだ」

 あっさりと言われたその言葉に、シグンは耳を疑った。真っ当な用事であれば、クロを遠ざけておく必要はない。そうする必要があるということは……

「あんまり聞かない方が良さそうだな」

「まあ、そうだね。世の中には知らない方がいいこともある」

「あの娘に何かあるのか? 俺が見たところじゃ、特に変わったところはなかったがな」

「彼の弟子であるというだけで、十分“変わったところがある”んだよ」

 そう言われると反論できない。なにせ師匠であるクロは、あの若さで――

「……まあいい。どのみち俺にはもう関係ないしな」

 シグンは紙袋を懐に収め、立ち上がった。何やら怪しい話になってきた。関わり合いになる前に離れた方がいい。

 男は別にそれを咎めもせず、悠然とシグンを見送っていた。

「解ってると思うけど、このことはくれぐれも内密に」

「ああ。下手に喋ってあんたに狙われたくないからな。俺は何も知らない。ただ仕事を頼まれただけだ」

「そうそう。君は世渡りが上手だ」

 男は上機嫌に頷く。シグンは少し躊躇いながら、

「……俺なんかがあんたに言っても、仕方のないことだとは思うが」

「ん?」

 シグンは更に迷う。言うべきか、言わざるべきか――そして、

「いや、何でもねえ。気にしないでくれ」

「? ふーん。まあ、それじゃ」

「ああ」

 男に見送られ、シグンは自分の判断に改めて頷いた。何をする気か知らないが、非力な――魔法を持っているのだから、本当に非力かどうかは疑問だが――少女に良からぬ事を企てるような奴に、これ以上手を貸したくはない。

 シグンは男に、こう言おうとしたのだ。

 あいつ――クロは、本気で自分と戦ってはいなかった。いや、本気には本気だったのだろうが、何と言うか……死に物狂いで戦ってはいなかった。

 つまり、クロの強さにはもう一段階上がある。

 もし、そんなあいつの弟子に何かするつもりなら、相応の覚悟をしておいた方がいい。

 

 夕闇が迫る町の中。エルは、祭りの喧騒と離れた公園で一息ついていた。シュークリームの袋は既にない。ついでに言うと、その後買ったヤキソバとカレーとポテトフライの紙皿も既にない。ただ、タコヤキという食べ物の乗った紙皿は、今もエルの膝の上だった。一つも手をつけられておらず、もうすっかり冷めてしまっている。

 退屈だった。初めは物珍しかったお祭りも、慣れてくるとただうるさいだけの大騒ぎにしか思えなくなっていた。クロがお祭りに参加するのが嫌いな気持ちも、少しは解る。

 お祭りというのは、友達や恋人と一緒に行くから楽しいのだ……いや、恋人と一緒に行ったことはないから解らないけど、つまり気の合う仲間と一緒に騒ぐから楽しいのだ。たった一人では、楽しい時間は限られている。

 クロが早く帰って来ないかなと思った。クロのことだから、帰ってきても宿に戻るかこういう場所で一人お茶でも飲んでるかだろう。数日間一緒にいて、少なくとも彼が皆と一緒に騒ごうとするタイプではないことは解った。

 だからエルは、ここでクロを待っている。

 先に宿に帰るかもしれないが、もしこういう場所にいたら、一緒にこのタコヤキを食べようと思うのだ。冷めちゃったけど。美味しくないかもしれないけど。て言うか多分クロは「不味いな」とかはっきり言うだろうけど。それでもまあ、我慢して食べてくれるだろう。むしろ食べてもらう。嫌がっても口に押し込む。

 そうすれば、このお祭りもまた楽しくなるかもしれない。

 クロがここへ来るという保証はない。お祭りの方を離れて見物してるかもしれないし、やっぱり宿に帰っているかもしれない。ここへ来る可能性は、おそらくかなり低い。

 だが、宿以外にクロが来る可能性のある場所などここくらいしかない。それに、エルも少し涼みたかった。もしクロが来なかったら、それはそれで諦める。タコヤキは……仕方ないから自分で食べる。

「そう言えば、クロはなんでこの町に来たんだろ」

 祭りが嫌いな人間なら、今の時期にこの町を訪れようとは思わないだろう。なぜわざわざここを通るのか。聞いたような気がする。確か――

 エルの思考は、二人分の足跡と影に遮られた。顔を上げると青年が二人、何か世の中舐めきっているような笑みを浮かべてエルを見下ろしていた。片方はすらっとしたチビ、もう片方は大柄のデブ。

「君、エルちゃんだよね?」

 チビの方が、妙に馴れ馴れしく言ってきた。なぜ名前を知っているのかという不信感、馴れ馴れしく名前を呼ばれたという嫌悪感がミックスされて、自然険悪な声になる。

「それが何か?」

「おー、怖い怖い。さすが魔法使いだよねえ、見習いだけど」

 見習いのくだりを強調して、チビ。思わず魔法をぶつけてやりたくなったが、どうにかこらえた。特別な場合を除いて、エルはクロの許可がなければ魔法を使えない。まだ使っちゃいけない。まだ我慢しなくちゃいけない。

「あれ? 何それ、タコヤキ? 一個ちょうだいよ」

 デブが手を伸ばしてくる。エルは反射的にその手を払った。

「ってーな! 魔法使いが一般人傷つけていいのかよ!」

 逆上するデブ。エルも負けじと言い返す。

「魔法使いとかは関係ないでしょ! 初対面の相手の物に触ろうとするからよ!」

「んだてめぇ、偉そうに! 痛い目に遭いたいのかコラ!」

「遭わせてみなさいよ! その前に魔法で吹っ飛ばしてやるから。言っとくけど、自分が危ない場合は使っていいんだからね!」

 デブの顔が真っ赤になったが、さすがに魔法と聞いてはおいそれと手を出せないらしかった。どうやらこいつらは魔法の威力を知っているらしい。脅しにならなかったらどうしようかと思っていたため、エルはそっと安堵する。

 実際に魔法に吹っ飛ばされ、泣きながら逃げ惑うデブ……その姿を想像したら、少しだけ溜飲が下がった。薄く微笑みさえもする。

 だが、それがデブの逆鱗に触れたらしい。思わずといった感じで、怒鳴った。

「っのアマ……! おい、さっさとやっちまえよ!」

「わっ バカ!」

 チビが慌てて制止している。デブの声は自分の後ろに向けられていた。エルが反射的に振り向くと、

「むぐっ!?」

 突然、口に布を押し当てられた。後ろにもう一人いたのだ。デブとチビに気を取られ、そのことに全く気付かなかった。

「んむ……むぐぅ!」

「くそ、おとなしく……おい、手伝えよ!」

 背後の奴――頭の横にハゲがあるので、ハゲ――が身を乗り出してエルをベンチに押さえつけた。揉めていたチビとデブが慌てて加勢に来ようとしている。マズイ。

(も、もう使ってもいいよね!)

 と言うか、今使わずにいつ使うのか。そんな思いを無意識に抱きながら、エルはリングをハゲに向ける。ハゲの顔に明らかな恐怖の色が浮かぶ。

「う……うわああぁぁぁぁああぁぁぁぁあああぁぁぁ!!!!」

 ハゲはむちゃくちゃな叫び声を上げて、片手でエルの口を押さえ、もう片方の手で――エルの腹を殴りつけた。

「か……は」

 これは効いた。効き過ぎた。エルは咳き込み、体をくの字に折ろうとするが、ハゲの手が押さえつけて来ていてそれもかなわない。そうしているうちにチビとデブが近寄ってきて、リングを取り上げられて―――――――――――――

 エルの意識は、少しずつ薄れていった。

(……ク…………ロ………………)

 気を失う寸前に、囁きよりも小さな声で彼の名を呼んだが、

 助けは、来なかった。

 

 ようやく静かになったエルを見下ろして、ハゲは荒い息を吐き出した。

「はあ……はあ……くそ、暴れやがって」

「おい。早く運ぼうぜ」

「ああ……?」

 最後に返事をしたチビが、ふと訝しげに顔を上げる。散々偉そうなことを言っていた割に、いざこうなると急に不安になったらしく、デブが焦った声で尋ねる。

「どうしたんだよ? 早く行こうぜ」

「ああ、いや……何か、誰かに見られてる気がしてさ」

「やめてくれよ。大丈夫、皆お祭りの方へ行ってるだろ」

 この場合褒められないが度胸はあるらしいハゲが、苦笑しながら言った。チビはそうだなと頷き、エルの腕を持ち上げる。

「……でも、けっこう可愛いよな、こいつ」

 足の方を持っていたデブが、突然ボソッと呟いた。その顔は何かを想像しているように見え、チビとハゲは顔を見合わせた後、真剣な顔でハモった。

『やめとけよ。いくらなんでも可哀想だろ』

 デブはそれでも少し考えた後、「だよなあ」と残念そうに同意する。

 可哀想と思うならまず誘拐するなというツッコミを入れる者は、この場に一人もいなかった。

 

 もうすぐ、九時になる。

 宿屋の玄関の前で、クロは腕組みしながらエルを待っていた。

 シグンと戦い終えて町に戻ってきたクロは、まずリング屋のテントに向かった。エルならそこにいるんじゃないかと思ったのだ。ちなみに、その途中で変な爺さんと一緒に客引きをしているピエロに会った。しつこさが消え、代わりに商売に対する真剣さがうかがえた。よく解らないが、心境の変化があったらしい。

 リング屋のテントはなぜか(文字通り)潰れており、代わりにストリートファイトの会場となっていた。店主が負けそうな選手を懸命に励ましていた。何があったのかは知らないが、何かあったのだろう。クロは無言でその場を離れた。

 色々な場所を回ったが、エルの姿はどこにもなかった。まあ、彼女なりに楽しんでいるならそれでいい。そう思って、お茶を一杯買って祭りから離れた公園に向かった。タコヤキが散乱していて、マナーの悪い奴がいるものだと思った。

 夕飯の時間になったら安いレストランに入り、料理を食べた後はコーヒー一杯で粘っていた。ついさっきまで隅の席を占領していて、店員の視線に殺気が混じってきたので出た。ちょうどいい時間でもあったし。

 そしてクロは、エルを待っている。

 エルは、時間は守るタイプだと思う。少なくとも約束を黙ってすっぽかすような人間ではないだろう。出会って数日だがそのくらいは解る。

 しかし、現実に彼女は来ない。時計を見ると九時まであと二、三分。時間に厳しい人間であれば、とっくに来てもいいはずだった。

 エルは今日を楽しんだだろうか。楽しめていたらいいと思う。今日が楽しめなければ、明日もまた楽しめない。明日も彼女には一人で過ごしてもらうことになるだろう。今日楽しめなかったとなると、少し厳しいことになる。

 本当は今日行く予定だったのだが、シグンによってそれは不可能になった。

 エルが今日を楽しめなかったとなると……明日、一緒に連れて行けと言われるかもしれない。それは避けた方がいい。別に連れて行っても構わないが、エルのことを思うなら、木に縛り付けてでも町に置いて行く方がいい。

 気が重い。それもこれも、全部“あんた”のせいだ――クロはそう思いながら時計に目をやり、

 九時を三分過ぎていた。

 エルの姿はどこにも見えない。

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