a novice at wizard

 

 クロ達が屋敷に着く、少し前。

 エルは背の低い木に必死の思いでよじ登り、枝葉と闇に隠れながら息をひそめていた。一分はもうとっくに過ぎている。シュロスも、おそらく森に入ってきているだろう――自分を殺すために。

 怖くないと言えば嘘になる。それどころか、膝は今でも笑っているし心臓だって飛び出そうなほどバクバクいっている。歯の根だってずっと合っていない。数日前、クロのテストを受けた時など比較にならないほどの恐怖だった。

 呼吸が自然に荒くなる。ここに登ってからまだ数分しか経っていないが、その時間がエルには無限にも等しかった。今のところはシュロスの影も形も見えないが、いつ見つかるかと思うと泣きそうになる。

「クロぉ……」

 我ながら情けないほど怯えた声で、エルは小さく呟いた。来てくれるだろうか。時間に来なかったから先に寝ちゃってるんじゃないだろうか。自分が殺されそうになった時、助けてくれるだろうか――あの人のように。

 それとも、ひょっとして、自分など見捨てて旅を続けてしまうのだろうか。お荷物がいなくなってせいせいしたとばかりに、また一人で旅に出てしまう。一瞬でもそう考えたら、それはどんどん現実味を帯びてきた。そもそもクロは自分を弟子にすることを嫌がっていた。厄介払いをするなら、これは絶好のチャンスだ。

 実際は、クロはもう屋敷に向かっているのだが、そんなことを知る由もないエルは絶望的な気分になった。自分一人ではシュロスには絶対に勝てない。姿を隠してくれている夜の闇のいつかは明けるし、飲まず食わずではどのみち長くはもたない。近いうちに限界がきて、そして――

 物事を悪い方悪い方へと考えてしまう。これではいけない。そんなことをしていても、状況は悪くなる一方である。自分から行動しなければ、勝機は生まれない。

 エルは静かに深呼吸する。これをどうにかするのはとんでもなく難しい。だが、自分がやらなければ誰もやってはくれない。

 目を閉じ、大きく息を吸い、吐いて、目を開けた。怖くてたまらないが、自分から一歩を踏み出す決心はついた。

 ――と、

「?」

 目の前に、何かぼんやりした光がある。よく見るとそこは奇妙だった。暗闇と言っても、月や星の光で枝葉は確認できる程度には見える。にも関わらず、そこは完全な闇だった。そこだけ黒い絵の具で塗り潰したかのようだった。

 ぼんやりした光には見覚えがあった。数日前にクロに教えられた、魔法の核。昼間では気付きもしないし、夜でも注意していなければ見落としそうな弱々しい光が、暗闇の中で淡く輝いていた。

「どうしたの?」

 エルはなぜか、その暗闇に話しかけた。魔法には意思などない。だから話しかけたところで返事など絶対に返ってこない。傍から見れば滑稽以外の何でもない姿だったが、それでもエルは言葉を紡いだ。

「わたし、魔法使いだよ? そんなところにいると、捕まえちゃうよ?」

 古ぼけたリングを取り出して見せる。そもそも生物ではないのだから、そんなことをしたって何の意味もない。頭ではそれが解っているが、エルは止めようとは思わなかった。

 突然、暗闇がすっと横に移動する。何事かと思っていると、そっちの方から声が聞こえた。

「……さて。どこへ行ったかな?」

 シュロスの声だった。思わず上げかけた悲鳴を、かろうじて飲み込む。どうやら木の上のエルには気付かなかったらしく、シュロスはそのまま通り過ぎて行った。

 その間、暗闇の魔法は、シュロスからエルを庇うかのように移動していた。

「……わたしを守ってくれてるの?」

 尋ねるが、当然返事はない。エルはごくりと唾を飲み込み、ゆっくりと口を開いた。

「あのね……わたし、あと少ししたらここを降りようと思うの。で、山を降りて町まで逃げる。途中で見つかったら……勝てるわけないと思うけど、それでも戦うつもり。でも、わたしは生きていたい。生きて魔法使いになりたい。そのためには、力が要るの」

 リングを手の平に置き、それをゆっくりと差し出す。特訓の成果か、この距離ならリングを投げて核に当てる自信もあるが……エルはそれを選ばなかった。

「もしあなたさえ良ければ……わたしの夢に、力を貸して」

 暗闇は、しばらく動かなかった。エルは辛抱強く待ち続ける。もしこれで暗闇が去っても、それは仕方のないことだと思った。自分は選ばれなかった。それだけだ。

 だが――暗闇はゆっくりと動き、己の核をリングに触れさせた。宝石が一瞬輝き、直後に暗闇は消え去る。

「……ありがとう」

 エルは呟いて、リングを愛しげに指で撫でた。それから気付く。自分で何とかすると決心した矢先に、いきなり力を借りてしまった。

「まあ、いいよね」

 この魔法は、自分からエルに力を貸そうとしてくれたのだ。ならばありがたく借りればいい。変な意地にこだわっていては、シュロスの手から逃げることはできないのだから。

「さて。どうやって降りよう……と、その前に。あなたの呪文を決めなきゃね」

 指にはめながら考える。どうせなら風の騎兵と似た感じの言葉がいい。暗闇だから『闇』 闇の何とかだ。闇の、闇の――

「……うん。決めた」

 場違いなほど弾んだ声。エルは一つ咳払いをして、

「解放言語――闇の守護神」

 リングがもう一度輝く。これで解放言語は決定した。

 しかし、言ってから少し大げさかと思った。騎士くらいにしておいた方がいいような気がしたが、解放言語は一度設定するとやり直すことはできない。それに、守護神というのも決して間違いではない。シュロスの目から自分を守ろうとしていた姿は、守護神そのものだった。

「よろしくね」

 エルはリングに軽く口づけし、地面をじっと睨んだ。町へはどう降りていいのか解らないが、屋敷に戻れば地図くらいはあるだろう。上手くシュロスの目を誤魔化すことができれば自分の勝ちだ。とにかく、力がある限りあがいて見せる。

 エルは慎重に枝を伝い、一番下の枝からは思いきって飛び降りた。両手両足をつけ、なんとか着地。少し足がしびれているが気にしない。

「えっと、お屋敷の方角は……」

「あっちだよ」

 確認する前に、親切な人が指で示してくれていた。エルは振り向いて、

「あ、ありがとうございます」

「いえいえ。どういたしまして」

「それじゃあ、わたしはこれで――」

 くるりと方向転換し、お屋敷に向かおうとする。捕まってた部屋に地図があるかどうか……そんなことを考えていると、

「君は、ボクをおちょくっているのかな?」

 道を教えてくれた親切な人――シュロスが声をかけてきた。泣いちゃおうかなーとか思いながら、首だけで振り向き、

「そんなつもりは全くないんだけど……ノリで見逃してくれないかなーなんて……あはは」

「すまないね。ボクは、そういうノリはあまり得意じゃないんだよ」

「あ、そうなんだ……えーっと、もしかして殺る気満々?」

「もちろん」

 その返事を聞くや否や、エルは脱兎の如く駆け出した。木々の間を蛇行しながら走る。こう見えても足にはそれなりに自信があった。狙いをつけさせず、このまま振り切ってしまう作戦だ。

「混沌なる破壊」

 シュロスの呪文が聞こえた。走りながら振り向くと――真っ赤に燃える火の玉が、途中でぶつかった木をへし折りながら真っ直ぐに飛来してきていた。

「いやああああああ!?」

 悲鳴を上げて逃げ惑う。考えてみれば、トーナメントに参加するような魔法使いはクロの雷撃と同程度の魔法を持っているのだ。たかが木の壁、あってもなくても同じようなものなのだろう。

 しかも速い。数秒のうちに、火の玉はエルとの距離をぐんぐん縮めて来た。あれの直撃を食らったら間違いなく死ぬ。大木をへし折るような威力の魔法に、大木以下の強度であるエルの骨が絶えられるはずがない。

「何でわたしがこんな目に……とう!」

 エルは精神の保てる限界まで火の玉を引きつけ、ぶつかる直前に真横に跳んだ。火の玉は標的を見失ったまま地面に突っ込み――爆発した。

「え――きゃあああああああああああああああああああ!!」

 衝撃波をモロに食らい、エルは成す術もなく吹っ飛んだ。テストの時自分の魔法を食らったクロはこんな景色を見ていたのかとか、どうでもいいことを考えているうちに、きりもみ回転して顔から地面に激突する。

「……あう」

 あまりの痛みに、それだけうめくのがやっとだった。力の限りという決心が早速揺らぎそうになるが……今更後には引けない。やれるところまでやらねば。

 立ち上がり、木に手をついてよろめきながら歩き出した。後ろからシュロスの、それはそれは愉快そうな嘲笑が聞こえる。

「無様だな。何もできずただ逃げ惑うしかないとは。クロにも見せてやりたいよ、今の君の醜態を」

「風の騎兵!」

 さすがにカチンときて、振り向き様に放った。だが、

「そんなものが効くと思うのかい? 混沌なる破壊」

 シュロスが再び火の玉を放つ。ダメだった。エルの魔法は火の玉に呆気なく蹴散らされてしまう。魔法の錬度が違い過ぎた。

「きゃう!」

 真横に着弾した火の玉が、再び爆発。どうやらわざと外したらしい。また吹き飛ばされながら、エルは気付いた。こうやってじわじわと嬲り殺すつもりだ。趣味の悪い奴である。

「う……」

 痛みをこらえながらエルは必死で考える。力が足りないなら頭で補うしかない。風の騎兵では、シュロスにはとても太刀打ちできない。闇の守護神はどんな魔法かまだ解らない。試すのは命がけになる。

 シュロスが、楽しそうに言ってきた。

「それが君の唯一の魔法なのか。あのクロが弟子にしたくらいだからどれほどのものかと思っていたが、どうやらただの素人のようだね。正直がっかりだよ」

 いちいち人の神経を逆撫でする奴である。エルは木にすがりつくようにして、怒鳴り返した。せめて口でくらいは一矢報いてやる。ほとんど助からないであろうことが実感として湧くと、不思議と恐怖が完全に消え去っていた。

「クロをあんたなんかと一緒にするんじゃないわよ! 自由を奪ってからでないと女の子一人襲えない臆病者のくせに! クロはね、わたしと一つ屋根の下で寝てても、一緒に野宿してても、興味を全く示さない変人なのよ! 子供じゃないんだからそんな状況で起こりそうなことくらい想像できるわよ! そのことも覚悟の上で家を出たの! バカみたいじゃない! 一人で恥ずかしがって断ったら気まずくなるかもとか優しくしてくれるといいなとか、そんなこと一晩中考えてたわたしは何なのよ!」

 頭がオーバーヒートして、自分でも何を言っているのか解らなかった。ただ、シュロスの顔を見るに、ろくでもないことを言っていたのは間違いないらしい。エルは一人で赤くなり、ほとんどヤケクソで叫んだ。

「とにかく! クロはあんたなんかとは格が違うのよ格が! この変態! ヒッキー! でもって――」

「だ…黙れ!」

 決めの言葉を言う前に、シュロスに一喝された。思わず黙り込むエルを、顔面蒼白になりながら凄まじい目つきで睨んできている。

「……君は、見た目はなかなかいいから、体はできるだけ傷つけずに殺してボクの新しいオモチャにするつもりだったけれど……やめだ。ここで殺す。跡形もなくね」

「わたしもその方がいいなー。死んだ後まであんたの変態趣味に付き合わされるよりは」

「減らず口を……混沌なる破壊!」

 火の玉が三度エルに向かって飛来する。シュロスの怒りが影響したのか、心なし大きくなっているように思えた。

 エルは大きく息を吸い、吐く。死が目前に迫っていて、自分に残されたのはついさっき捕った――いや、“仲間に加えた”ばかりの効果も解らない魔法。絶対に勝てはしない。だが、心は冷静だった。

 左手を上げ、呪文を唱えた。一度でいいから、あの人にもう一回会いたかったなと考えながら。

 

「闇の守護神!」

 

 直後、目の前に再びあの暗闇が出現した。それはエルを守るように、火の玉の前に立ちはだかる。吹き飛ばされて終わりだろうが、それでもエルはそれを頼もしいと思った。

「新たに魔法を手に入れたのか。だが、そんなものにできることなどないよ!」

 シュロスの声。言われなくても解っている。火の玉が暗闇に直撃し、エルは目を閉じて訪れる死を受け入れようとする――が。

 衝撃は来なかった。痛みもなく一瞬で死んだとしても、押されるくらいの感触はあってもいいはずだと思うのだが。もう死んだのだろうか。今から死ぬのだろうか。後者だったら嫌だなと思いながらエルはゆっくりと目を開け……また閉じて、また開けた。

 そこで見た光景は、幻覚ではなかった。

 暗闇が覆い被さるように広がって、火の玉を食らっている。赤色の光球は徐々に侵食されていき、やがて完全に飲み込まれた。

「……うそ」

 ポツリと呟くが、それだけでは終わらなかった。暗黒の玉となっているエルの魔法は一瞬膨れ上がり、その直後、飲み込んだ火の玉をシュロスに向けて放った。

「な!?」

 シュロスもさすがに驚いたようで、悲鳴を上げて横に跳んだ。だが、遅い。自らの放った火の玉の爆発で、シュロスの体が木の葉のように舞う。

「……凄い」

 偶然出会った魔法が、まさかこんな力を持っているとは。自分の悪運にエルは驚く。

 だが、わずかな可能性が見えてきた。あの火の玉をはね返すことができるなら、よほどの威力でない限り攻撃は効かない。

「小娘が……っ」

 呪詛の声。見ると、シュロスはエルと大して変わらないような様子で、よろめきながら立ち上がっていた。右手が焼け爛れている。火の玉が直撃したようだった。

「うわー……」

 エルは顔をしかめて、目を逸らした。気の毒だとは思うが、元々火の玉を放ったのは彼なのだ。自業自得である。

「許さん……許さんぞ貴様ぁ!」

 これ以上はないと思っていたのに、今の彼の言葉にはさっきまでとは比べ物にならないほどの憎しみがこもっていた。魔法の威力とかそういうのを抜きにしても、その迫力だけでエルは怯んでしまいそうになる。

「な、何よやる気? 言っとくけどこっちには――」

「黙せよ人形!」

 エルの狼狽した脅し文句に聞く耳持たず、シュロスはあの呪文を唱えてきた。こちらも慌てて応戦する。

「や、闇の守護神!」

 暗闇が再び出現する。どうやら、シュロスは冷静な判断力を失ったらしいと思った。あの魔法がはね返されてしまったら終わりである。これで、終わり。シュロスの動きは封じられ、自分の勝ちだ。まさか勝てるとは思っていなかった。勝利の微笑みを浮かべかけて――

(……あれ?)

 気が付くと、エルの体はピクリとも動かなくなっていた。バカな。自分は確かに魔法を使った。それなのに、なぜ?

「ふん……君が素人で助かったよ」

 嘲るような声で、シュロス。

「精神を攻撃する魔法は、同じく精神を守る魔法でしか防げないんだよ! そんなもので防げると思ったのかい?」

(――っ!)

 知らなかった。そもそも精神をどうこうする魔法そのものを見たことがなかったから、そんなこと考えもしなかった。

 暗闇の魔法は一度火の玉を防いでいる。精神を守る魔法でないことがバレている。これでは勝てない。まずい。また形勢が逆転してしまった。今はまだ魔法が出ているから攻撃されていないが、この闇が消えてしまったら――

 消えた。エルの頭が真っ白になる。

「君はよく頑張った。ご褒美だ……一瞬で殺してあげるよ」

 シュロスが、左手をこちらに向ける。

「混沌なる破壊!」

 巨大な火の玉。それが、どんどん目の前に迫ってきている。今度は目を閉じることもできず、エルは赤い光を見つめながらああ、死ぬのかなどと考えて、

「雷撃」

 聞き覚えのある声と轟音。そして閃光に、遅過ぎると腹を立てた。

 

 目前まで迫っていた火の玉は、次の瞬間には完全に消え去っていた。紙一重だったが、どうにか間に合ったようだった。

 これでエルの両親に殺されることはなくなった――と、クロは心の中で安堵の息を吐いた。エルは満身創痍だが、こんなものは旅の途中でいくらでも治せる。彼女は恐怖のためか、突っ立ったままピクリとも動かない。

「あー、悪い。何しろ町からここまでが遠かったから、ちょっと時間食っちまった」

「……」

 エルの返事はない。

「それに、爆発音を頼りに森の中を探し回ってたのはいいけど、音が反響して方角が解り辛くてな。まあこうして間に合ったことだし、結果オーライってことで」

「……」

 エルの返事はない。クロは訝しげに眉をひそめ、

「何やってんだエル? カカシのモノマネか? だったらそんな棒立ちじゃなくて、ちゃんとこう両手を広げて――」

「んなわけないでしょ!」

 突然、我に返ったかのようにエルが怒鳴ってきた。あっちこっち怪我してはいるが、この元気ならそう心配はいらないだろうと考える。

「人を変な問題に巻き込んどいて何がカカシのモノマネよ! おかげで二回も死ぬかと思ったんだからね! 師匠法違反で訴えるわよ!」

「んな法律はなかったと思うぞ。ところで問題って何のことだ?」

 冷静に尋ねると、エルはビシッとクロから見て左前方二十五度の方向を指さした。首だけ動かしてそちらに目をやると、青白い顔の痩せた男が、目を見開いてこちらを見ていた。なぜか右手が焼け爛れている。

「おま……おまえ……おまえは……」

「誰だあの変態?」

 とりあえず治癒で傷を治してやりながら、聞く。エルは傷が見る見る塞がっていくのを目を輝かせながら見ていたが、クロの問いにはっと顔を上げた。

「シュロスっていうの。わたしを誘拐した人で、クロともう一度戦いたいんだって」

「その通りだ!」

 突然、シュロスがくわっと反応して声を荒げた。

「そこの小娘をわざわざ連れてきたのは正にそのため! さあクロ、今一度ボクと戦え!」

「の前に、いくつか聞きたいことがある」

 冷静極まる言葉に、シュロスが拍子抜けしたように膝を折る。エルと彼の両方に尋ねるように、クロは言った。

「あの屋敷の人間はどこへ行った? 俺達はあそこの女主人が犯人だと思ってたんだけどな」

 それを聞いて、エルの顔が強張った。何か知っているらしい。だが、シュロスの方が先に言ってきた。

「あそこに住んでいた女? ……ああ、心配しなくていい。ちゃんと可愛がってあげているから。他の奴らはクビにしたよ」

「……エル。前半だけ翻訳頼む」

 言葉の意味が解らないのでそう聞くと、エルは怒りのこもった声で説明した。

「あそこに住んでいた女の人は、あいつの魔法で体の自由を奪われて、薬で人格を壊されたの。あいつはそれで――」

「解った」

 皆まで聞かないうちに制止する。今の説明で、大体のことは理解できた。次の質問を口にする。

「それと、お前誰だ? もう一度戦いたいってことは、前に一回会ったことがあるんだよな?」

「……」

 シュロスとやらは、無言だった。ただ、言葉にならない何かをこちらに向けて発しているような気がする。試しにエルに言ってみた。

「翻訳できるか?」

「自信ないけど……殺す、殺す、殺す、殺スコろすコロすコロスコロスコロス……じゃないかな」

 律儀に漢字と平仮名と片仮名まで使い分けで表現する。なるほど。確かに今のシュロスから発せられているオーラは、そんな感じのものだった。よく解らないが、どうやら自分はよほど酷いことを言ったらしい。

「……そうか。君は、ボクのことを憶えていないというわけだ」

「ああ。悪いな」

 否定しても仕方ないので、頷く。シュロスは不気味な声で呟き続けている。

「ボクも一つ聞くが、ひょっとして記憶喪失とかじゃ……ないだろうね?」

「違う」

「そうか……そうかそうか。君は、自分のせいで貶められた人間など眼中にないというわけだ」

 全く身に覚えがないことを言われ、クロは困惑しながらエルを見る。あいつ頭大丈夫か? とジェスチャーで聞くと、もう末期症状だと思うとジェスチャーで返してきた。

 ところが、どうやらシュロスはこれを見ていたらしく、

「ふざけるなっ!」

 叫んで、左手を掲げた。右腕が使い物にならなくなり、全身に傷を負いながら立っている。その根性は見上げたものだったが……クロはため息をつき、冷たく静かに言った。

「解った。お前が誰か解らないが、とりあえず戦ってやるよ……でもその前に、最後に一つだけ答えろ」

「何!?」

「エルに怪我させたのは、お前か?」

 振り向いて、きょとんとした顔のエルを見ながら尋ねた。傷は大分癒えているが、完全には消えていない。まだ残っている傷がやたらと痛々しかった。

 シュロスは、

「ああ、そうだ」

 こともなげに頷いて、バカにするように叫んだ。

「それがどうした? そいつは魔法使いだろう。自分からこの道を選んだんだ、文句を言われる筋合いは――」

「うるせえ」

 シュロスを遮って、クロは告げた。

「何が自分からこの道をだ。見習い小突き回して喜んでるような奴が偉そうに語ってんじゃねえよ」

「な――」

「それに、今のこいつは俺の弟子だ……やられた分は返させてもらうぞ」

 クロは無造作にシュロスに近寄って行く。とてもそうは見えないが、これは臨戦の体勢だった。と、その時、後ろからエルの声がした。

「クロ! 気をつけて。あいつ、何だか知らないけど人の体の自由を奪う魔法を――」

「エル」

 シュロスから目を離さないまま、言った。

「お前さっき、誰かが変人だとか何とか大声で叫んでたろ……頑張ったから今回は許してやるが、次はないと思えよ」

「あ、聞こえてたんだ……ってそうじゃなくってぇ!」

 何事か叫んでいたが、もう耳には入れなかった。わざわざ言われなくても、シュロスが屋敷の女主人――シリスにしたことを聞いた時点で、どういう魔法かはわかっている。

 互いの距離が縮まる。シュロスは、歪んだ歓喜の表情を浮かべていた。どうやらこの男、人格その他の問題はともかくとして、自分と再戦するという執念だけは凄まじかったらしい。そこだけは認めてやるかと思い――そして、クロとシュロスは同時に動いた。

「混沌なる破壊!」

「重束!」

 火の玉が圧力に押し潰される。シュロスの笑みが見える。一撃目は通常の攻撃を仕掛けておいて、間髪入れずに例の魔法を使う気だろう。

「黙せよ人形!」

 呪文が聞こえた。それと同時に、クロも叫ぶ。

「雷撃!」

 ほぼ同時。だが、ほんの一瞬だけシュロスの方が早い。クロの体が金縛りにあったように動かなくなる。

(ああ、なるほど。こうなるわけか)

 そんなことを考えながら、シュロスの体が飛ばされて木に激突するのをクロは至極冷静に観察していた。クロの動きを封じた後に避けようとしたのだろうが。

(雷より速く動けるわけねーだろ、バーカ)

 ピクピクと痙攣しているシュロスを眺めながら、クロは魔法が解けるのを待った。雷撃は外してある。おそらく、フィーリアが言っていた魔法の売買も彼の仕業だ。死なせてしまっては後で色々とうるさく言われることになる。

 こういうこと――つまり、魔法を食らってでも相手を倒そうとすることは滅多にない。クロは自分が思っていた以上に、シュロスに対して怒りを感じていたようだった。

「く、クロ!」

 エルが駆け寄ってくる。彼女が到着したと同時に、ちょうど金縛りが解けた。効果はそれほど長くない。シリスはこの魔法で動きを封じられていたとのことだったが……おそらく実際は、縄か何かで拘束されていた時間の方が長かった。この魔法の実験台としても使われていたのだろう。シュロスという男、つくづく趣味の悪い奴である。

 だがまあ、それももう終わりだ。怪我はないかとしきりに聞いてくるエルの相手をしながら、クロは欠伸をかみ殺した。

 本来なら、今はもう、寝ている時間なのだった。

 

「エルさん。大丈夫でしたか?」

 屋敷に戻ると、ずっと待っていたらしいフィーリアが駆け寄ってきた。屋敷の扉が壊れているのが気になるが……無視することにした。どうせシュロスかクロの仕業だろう。

「はい。ごめんなさい、心配させちゃって」

「いいんですよ。無事に帰って来てくれたんですから」

 その言葉と同時に、フィーリアに抱きしめられた。わずかに驚きながらも、なんだか心地いいのでそのまま身を預ける。微かに香水の香りがした。なんだか姉ができたみたいだと、心のどこかで思う。

「あいつのリングと免許、回収してきたぞ」

 ポケットに入っていた分を含めたシュロスのリングに、魔法使いの免許。両方を袋に入れて、クロがフィーリアに渡した。これで、万一シュロスを縛っている縄が解けてしまっても安心である。

「ここから南へ真っ直ぐ行ったあたりの木に縛りつけてある。餓死しないうちに回収してやれよ」

「はい。クロさん、ご苦労様でした。それじゃ、帰りましょうか」

 フィーリアは袋を手にペコリと頭を下げて、エルを放す。エルは慌てて言った。

「あ、あの、屋敷の中にシリスっていう人がいるの。その人も――」

「その人なら私がさっき見つけました。とりあえずベッドに横にしてありますので、クロさん。運んで来てもらえますか?」

「ああ」

 軽く返事をして、クロが屋敷の中に入っていく。間もなく女性を一人おぶって戻ってきた。それを見て少し安心する。彼女をあのままにするのは、あまりにも忍びなかった。

 前にエルとフィーリアが話しながら、その後ろをシリスを負ぶったクロがついて歩く。そうすること一時間。まだまだお祭りの真っ最中らしい町の光が見えてきた。もう二度と見れないかと思っていたので、少し嬉しい。わずかに涙さえ浮かんだ。

 その時、クロが唐突に言ってきた。

「エル。明日なんだけど、またしばらく一人で遊んでてくれないか?」

「……えー」

 誘拐された相手にそんなことを言うのか――そういうニュアンスを込めてやると、クロが苦い顔をした。

「ちょっと用事があるんだ。本当は今日の午後行くはずだったんだけど、変な奴に絡まれちまったから。悪いな」

「用事って、何?」

「墓参り」

 エルは、口を丸くした。

「言ってなかったか? 町の郊外が墓地になってんだけど、俺の知り合いの墓はそこにあるんだよ」

「そうなんだ……うん。解った」

 お祭り嫌いのクロがなぜこの時期にこの町を訪れるのか不思議だったが、そういうことだったのだ。にしても、本当に凄い偶然である。人の命日をこう言うのは不謹慎だが、正に絶妙のタイミングだ。

「ごめんなさい。わたしがご一緒できればいいのですけれど。明日は仕事が入ってしまいまして……」

「あ、いいんです。一人でも十分楽しめますから……ところでクロ、いつ頃帰って来るの?」

 問うと、クロは虚空を見上げて考えながら言った。

「午前中一杯はかかるからなあ。帰って来るのは昼過ぎになると思う」

「ふーん……あの、さ」

 エルは少し歩く速度を落とし、クロの隣に並んだ。彼だけに聞こえるよう、声を落として囁く。

「……何で声が小さくなるんだ?」

 不思議そうにクロは聞いてくる。エルは、フィーリアの微笑ましそうな視線を感じながら、

「べ、別にいいでしょ。どうなの?」

「? 解った」

 わけが解らないといった顔をしながら、クロはそう返事をしてくる。それを見て、エルは「よし」と頷いた。なぜだか、これを言うのにひどく勇気を必要とした。シュロスに啖呵をきった時以上に。

 祭りの喧騒が、遠くから聞こえてくる。

 深夜の町は、もうすぐそこだった。

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