出来損ないの支配者
| 晴れ渡った空がある。 魔王がいなくなって早や一週間。人々の暮らしは以前と何の違いもないが、それでも心なしか明るくなっているようにも思える。互いが笑顔を見せ、小鳥は歌い、花は咲き乱れ、 そして今日も、町にシルフィの怒鳴り声が響き渡る。 「一体何度言ったら分かるのっ!」 日常茶飯事となりつつある光景に、周囲の人々はもはや目を向けることすらしない。最初の頃は散々注目を浴びて恥ずかしい思いをしたものだが、これはこれで耐え難いものがあった。さりげない拒絶。係わり合いを避けるかのような一定の距離。自分だって別に好きで怒鳴っているわけではないのに。 「シルフィ……そんなに怒ると、変な人だって思われるよ?」 「誰のせいよ!」 まるで他人事のように言ってきたフェイトを、シルフィはうんざりしながら叱り付ける。 人間界の常識を教え込もうとして、今日で五日目。買い物のやり方等は案外すぐに憶えたので、これなら一ヶ月経たなくても社会デビューさせることもできるんじゃないか――そう思ったシルフィだったが、今ではそんな気持ちを欠片も抱くことはなかった。 フェイトは、良くも悪くも真面目だった。 最初は三日前のことだろうか。買い物中、ふと目を離したスキにフェイトがいなくなり、シルフィを大いに慌てさせた。魔法を禁止してはいるものの、常識というものが欠けているフェイトを野放しにしたら何が起こるか分かったものではない。 幸い、外に出たらフェイトはすぐに見つかったのだが……そのとき彼がしていた行動が問題だった。 多対一の一方的な暴力を止めていたのだった。 それだけならばいい。変なことに首を突っ込むのは感心しないが、シルフィとて「これからは気をつけて」くらいで済ませただろう……ただそれだけならば。 問題は、その暴力を行っているのが、まだ十歳にも満たない子供だということだった。 別にイジメを容認しろとは言わない。シルフィだって、見かけたらちょっと割り込んで注意くらいするかもしれない。聖職者の親に育てられたためか、そういったことを放っておけない性格なのだ。 だが、フェイトは注意したわけではなかった。 いきなり「大勢で一人を相手にするのは卑怯だよ」と言って、いじめている側の子供を殴ったのだった。 「だって悪いのは……」 「子供のケンカに口出しするのがそもそも悪いの!」 「いや、ケンカじゃなくてあれはどう見てもイジメ……」 「うるさい!」 あーだこーだと言い訳してくるフェイトをぴしゃりと叱り付ける。真面目なのはいいのだが、立場や状況を考えるということを全くしないのだった。今はまだイジメを止める程度にとどまっているからいいものの(本当は全然良くないのだが)これが見知らぬ人の家庭の事情に口出しするようになったら……考えただけで恐ろしい。 そうなる前になんとかフェイトの頭を改革しなければならない――シルフィはそう決断し、重々しい口調で言った。 「あのねフェイト。人間っていうのは世代別に生きてる世界が違うの」 「二十歳にも満たない小娘の台詞じゃないような気がするなあ」 「うっさい。……とにかく、子供とわたし達じゃ世界が違うの。フェイトが良かれと思ってやったことでも、向こうにとっては世界を乱す迷惑者でしかないの。分かった?」 「……りょーかい」 本当に分かっているのかイマイチ不安な表情だが、フェイトは一応頷いた。が、こんな問答は今日が初めてではない。一体どう言えばいいのか、何回言い聞かせても同じ事を繰り返すのだった。 「……あのさあ、フェイト」 「?」 ダメで元々……そんな気分で言ってみた。 「いじめられてた子には、フェイト以外の味方がちゃんといるんだよ。何もわざわざ首つっこむことないんじゃないかな。それにあの子だって、助けられてばかりじゃなんにも変わらないだろうし……放っておくっていうのも、大事だと思うよ」 「……」 意外なことに、 その言葉を、フェイトはやけに重く受け止めたようだった。シルフィは「あれ?」と首を傾げる。大したことを言ったつもりはないのだが。 「……分かった。今度見かけても、放っておくよ」 「え? う、うん」 奇妙に重くなった雰囲気の中、シルフィは困惑気味のままに頷く。 「ところでさ」話題を変えようとしているような、フェイトの声。「アレス達仕事を探すって言ってたけど、具体的にはどうするの?」 「ん? えっとね。たまにお金持ちの人が募集してたりするのもあるけど、大体は斡旋所でもらうかな。面接を受けて、それに受かって初めて仕事をすることになるの」 「僕の……魔王の塔に行ったのは?」 「あれは仕事じゃなくて、何て言うか、冒険? 自分達で勝手にやってることなの。だから、仕事ならタダでもらえる薬とかアイテムとかも全部実費。場所が場所だから、アレス達ほぼ全財産を使って準備万端にして行ったみたいね。だからお金がなくて、仕事をしなくちゃいけない、と」 「結果は惨敗だったけどね……でもさ、何でそんなことするの?」 突然の質問の意図を理解できず、シルフィは首を傾げる。フェイトは「だからさあ」と言って、 「意味ないじゃん。塔を攻略しても名乗り出ないなら有名にはならないし、お金も入って来ないんでしょ? 何でそんな疲れるだけで意味のないことをやったのかな? まさか、宝箱でも期待してたとか?」 「宝箱はないと思うけど。そうね、アレス達が欲しかったのは、」 と、不可解そうに答えを待っているフェイトに向かって、 「フェイトの首じゃないかな」 「……え?」 一瞬で引きつった顔。まあ、無理もない。狙われてるのが自分の首だなんてことは、さすがに予想していなかっただろうから……と、そんなことを考えながら、シルフィは淡々と言った。 「だって、欲しいものがお金でも名声でもないとしたら、あと残ってるのは敵の親玉の首くらいでしょ? それで何をするつもりだったのか知らないけど……アレス達にとっては、強い敵に挑むっていうのに意味があるんじゃないかな。バカだから」 「バカ……そ、そんな風には見えなかったよ?」 「付き合ってればそのうち分かるよ」 先輩風を吹かせながら、シルフィは少しだけ得意になりながら告げる。フェイトの困惑顔は珍しいので(大抵この顔をするのはこっちだ)見ていてなかなか楽しいものがあった。 だが、さすがに命がかかっている問題でいつまでも楽しんでいるわけにもいかない。どう反応していいのか分からないらしいフェイトに、微笑みながら言ってやった。 「まあ、今はもうそんな気はないと思うよ。少し揉めはしたけど、フェイトのことを仲間にしてもいいって認めたんだもん。怖がってるのもそのうち忘れるよ。何事も気にしないのが三人の長所で短所だから」 「気にしない気にしない」と励ましてやる。フェイトは苦笑して、ふと通りの向こうに目をやった。 「噂をすれば。ゲッソーとノエルが来たよ……あれ? でもアレスがいない」 「え?」 言われてそちらに目をやると……確かに何だかそれらしい二人組は見えるが、シルフィには赤の他人と見分けがつかない。 「フェイト、目、良いんだね」 「魔王だったからね」 「関係あるの?」 「全然ないよ。……やっぱりいないや。どこかで寄り道してるのかな?」 ようやくシルフィにも二人を判別できるようになってきた。フェイトの言う通り、アレスの姿がない。 「また誰かに一目惚れでもされたのかな?」 「そんなにモテるの?」 意外そうなフェイトの言葉に頷く。 「うん。だって、見た目だけならアレスって相当良いじゃない。行った先の町で必ず一人は釣り上げるよ。最高記録は七人」 「そりゃ凄い。それならわざわざ魔物退治なんかしなくても、ホストでもやれば十分お金貯まるんじゃない?」 「暴れるのが好きだから……ノエル! ゲッソー! ここ、ここ!」 手を挙げて合図すると、向こうも手を振り返してきた。二人ともなぜか弱々しい苦笑を浮かべている。面接に落ちたのだろうか。 「おかえり。どうだった?」 尋ねると、二人は顔を見合わせて軽くため息をついた。やはり落ちたらしい。三人とも腕は確かなのだが、だからと言っていつも仕事を斡旋してもらえるとは限らない。 仕方ないよ、しばらくはアレスにホストやってもらおう――フェイトの案をいつの間にか決定事項にして、シルフィは二人を励まそうとするが、 「仕事は決まったんだけどね……まあその、何て言うか」 ノエルが、複雑そうな口調でそう言った。 それを見てシルフィは不思議に思う。仕事が決まったのはいいことではないのだろうか。確かに暗殺依頼とかなら手放して喜ぶわけにはいかないだろうが、そういう仕事は最初から請けないようにしている。さすがになりふり構わず仕事を求めるほど切羽詰ってはいない。 「決まったけど……何? アレスがいないのと関係あるの?」 「まあ、ね……詳しいことは依頼主の家に行ってから話すわ。ついて来て」 「? わたし達も行っていいの?」 「ええ」 年齢的に信用のないシルフィ達が一緒でも問題ないらしい。依頼主ということは斡旋所ではなく金持ちからの仕事なのだろうが、一体どういうことなのだろう。 シルフィはフェイトと顔を見合わせ、お互いに首を傾げながらノエルの後について行った。 アレスは、困っていた。 それもすごく困っていた。 自分の見た目がかなり良いことは自覚している。そのために行った全ての町で女の子に一回は告白され、その度に彼女達を泣かせる羽目になったのだ。自分は旅をしている。それを止めるつもりはないし、道中は危険だから連れて行くこともできない、と。一度だけ監禁してでも自分を止まらせようとした女がいたが、それはノエル達が警察に通報してくれたおかげで事なきを得た。 しかし、 今度ばかりは、通報してもらうわけにもいかないだろう。何と言っても相手は権力者の娘であるし、アレスも監禁されているというわけではないからだ。 仕事の内容は、一ヶ月間屋敷を悪漢及び魔物から守ること。期間、給料ともにうってつけだったため、迷わず名乗りを上げたのだが…… 「アレス様……リサは貴方にめぐり合うために生まれてきたのです……」 とまあこのように、依頼主の娘に一目惚れされてしまったのだった。結果的にはそれが採用を決定したわけではあるが、何しろ依頼主からの冷たい視線が痛くて仕方ないし、リサというらしい娘は「一緒にいられないなら死んだ方がマシですっ!」と命を盾にアレスを止まらせようとするしでロクなことがない。 だから、ノエルとゲッソーがシルフィとフェイトを連れて帰ってきたときは、正に地獄に神を見た気分だった。 男三人に女二人。割り当てられた二つの部屋の片方で、一行は緊急会議を開いている。 「また釣り上げちゃったね」 他人事のようにシルフィが言うと、アレスが文字通り泣きそうな顔で睨んできた。シルフィにははっきり言って冗談にしか聞こえないが、本人にとっては死活問題であるらしい。 「俺だって、好きでこんな状況になってるわけじゃない……」 「……無意識にこんな状況作るほうがよっぽどタチが悪いと思うけどなあ」 疲弊しきった声のアレスの反論を、しかしフェイトが呑気な口調で叩き潰す。けっこうなダメージを受けたようで、ただでさえ影を背負っていたアレスの背中が更に暗くなった。 「お前ら、その辺にしといてやれ。あんまりやると本気で立ち直れなくなる」 さすがに哀れに思ったらしく、ゲッソーがため息をつきながらアレスの擁護に回った。熊のような外見のため、彼には今のアレスのようなある意味幸せな状況というものが全く望めない。それでも嫉妬のしの字も見せずにアレスをかばうゲッソーを、シルフィは密かに漢だと思っている。 そんなシルフィの隣で、ノエルがやはりため息をつきながら、 「まあ、放っておけばそのうち飽きるでしょ。聞いたところによると、こんなこと大して珍しくもないみたいだから。この間は旅の吟遊詩人で、その前は本屋の若い店員で、そのまた前は刀傷の一つや二つ持ってそうな強面の中年だったって言うから。そのうち捨てられるだろうから安心なさいな」 「捨てられるっていう表現はしないで欲しいんだが……うん、まあ、そうだな。そのうち何とかなるだろう」 がっくりと落ち込んでいたアレスが、わずかに生気を取り戻す。その横からフェイトの声。 「いざとなったらゲッソーと恋仲だとでも言えばいいしね」 「お前は一回死んでこい……さて。依頼主に正式な挨拶をしておこうか。シルフィとフェイトもとりあえず顔だけ見せておいた方がいいな」 動けるようには一応なったらしく、アレスがよろよろと立ち上がる。おぼつかない足取りでふらふらと扉に向かい、 「あ……」 と、フェイトが何事か言おうとして、 「ん? どうしたの?」 シルフィが尋ねた声は、しかし扉の向こうから響いた大音声にかき消された。 「アレス様! お話は終わったのですね! では今すぐに祝言の準備を――」 背中まで伸びた銀髪に、青い瞳。同性のシルフィでさえ見惚れるような美少女が、油断しまくっていたアレスに抱きついた。 「な、ど、どうしてそこに!?」 「……扉の向こうにその子が待機してるから、先頭はノエルにした方がいいって言おうとしたんだけど……遅かったかな?」 混乱しているアレスを眺めながら、フェイトがポツリと呟く。 「遅くないって感じてるなら、今すぐ頭の中をお医者さんに見せた方がいいと思うな」 マイペースな彼の言葉に、シルフィは半ばうめき声のような返事をした。 依頼主であるこの家の主人は、何と言うか、いかにも「金持ち!」といった風情の男だった。白髪交じりの初老近い歳であろうにも関わらず、自分の娘といちゃつくアレスに人間の一人や二人はそれだけで殺せそうな視線を投げかけている。横からは熱烈なラブコール、前からは殺人光線。その二つを同時に受け、哀れアレスは戦ってもいないのに死にそうになっている。 「……この二人が、さきほど言ったシルフィとフェイトです」 瀕死のアレスに変わり、ノエルが前に出てシルフィとフェイトを紹介する。シルフィは丁寧にお辞儀し、横で頷く程度の礼をしたフェイトの頭に手を伸ばして無理やり下げさせる。 (なにすんのさ) (うるさいっ お世話になるんだからちゃんと頭下げなさい) 小声でぼそぼそ言い合っていると、依頼主の咳払い。 「ロイだ。屋敷の中では自由にくつろいでもらっていいが、割り当てられた部屋以外には決して出入りしないで欲しい。いつどこに重要な客が来るか分からないからね。何か入用があったら、使用人達に遠慮なく申し付けてくれていい」 「あ、はい。ありがとうございます」 「どうも……じゃなくて、ありがとうございます」 足を踏んづけたら、フェイトは素直に言い直した。物分りは割といい。 「……君達は姉弟かね?」 さっきからフェイトの世話をやいているシルフィを訝ったのか、ロイが多少興味深そうに聞いてきた。問われてシルフィは一瞬慌てる。そう言えば、フェイトの立場をどう説明するか全く決めていなかった。 何と答えていいものか迷っていると、 「ええ、まあ。でも、その子はちょっとワケありで……昔の記憶がほとんどないんです。ですから、歳の近いシルフィが面倒を見ていまして」 ノエルが助け舟を出した。勝手に記憶喪失にされたフェイトは何だか不満そうだが、確かにそれなら人間社会の常識を知らないのもある程度は誤魔化せる。 「……なるほど」 何か突っ込まれるかと思ったが、ロイはそれだけ言って興味を失ったように目を逸らした。他人の事情を詮索するのがはばかられたのか、単にどうでもいいだけのことなのか。 いずれにせよ、確かなのは逸らされた視線の先に瀕死状態のアレスがいることであって、 「で? そこの少年が記憶喪失なのは分かったが、君はうちの娘と一体どういう関係なのかね?」 シルフィ達の見守る中、アレスがビクリと体を震わせた。どういう関係も何も、今日初めて会った間柄に過ぎないのだが……ロイは、そんなことには頭が回らないようである。娘にたかる害虫をどう退治しようか頭の中でプランを練っているのが、手に取るように分かった。 「いいいいえ、あの、そのですね……」 見ていて可哀想になるほど狼狽するアレス。身の潔白を証明するにはリサの方から勝手にくっついて来ていることを言えばいいのだが、相手はその娘の父親である。「おたくの娘さんが悪いんです」などと言ったら、明日の朝日を拝める保証さえなくなってしまう。 「何かね? 言いたいことははっきりと言いたまえ」 横で聞いているシルフィでさえ恐ろしいのだから、直にこの声をぶつけられているアレスにかかるプレッシャーは想像を絶するものがあるだろう。気の毒に……とシルフィは心の中で合掌する。 と、そのとき、 「いや、その、ですね……」 何とか必死に言い訳を探そうとしているアレスが、助けを求めるように何故かシルフィの方を向いてきた。そんな哀願するような目で見られても困る。まあ、ノエルとゲッソーもさりげなく目を逸らしているし、フェイトにいたっては面白そうに笑っている始末。他に頼れる相手がいないのはよく分かるのだが。 放っておくのはあまりにもアレだし、解決しないことにはヘルプの視線が痛くて仕方ない。シルフィは半ばやけになりながら、思いついた端から言葉を並べていく。 「え、え〜っと、その……ほら! 万が一屋敷が襲われた場合、一番危ないのって主人よりもその子供っていう場合が多いんですよ。だから一応護衛ということで……」 「? 君は素人なのではないのかね?」 「うぐ……い、いえ、長いこと一緒に旅してますから、そういうのも自然に憶えちゃったりした次第でありまして……」 しどろもどろに言い訳しながらも、何とかロイの注意を自分に引き付けることに成功する。この間にアレスでも誰でもいいからリサをどうにかしてくれれば……と、シルフィがそう考えたとき、 「お父様」 アレスの横で、爆弾が爆発した。 声を発したのはもちろん、今回のトラブルメーカーことリサ嬢である。 「わたくしとアレス様は運命の赤い糸で結ばれた、言うなれば出会うべくして出会った者同士なのです」 「……」 片方にとってはずいぶんと過酷な出会いであるが、運命などという言葉を持ち出されては何も言うことがない。言葉を否定するあらゆる反論をぶつけても、それらは全て「これは運命なのです」で片付けられてしまう。世の中には便利な言葉があるものである。 「お父様。短い間でしたがお世話になりました。リサは今宵、アレス様の元へ行こうと思います」 「は!? ちょ、ちょっと待ってください!」 脈絡のなさすぎる展開に、さすがに慌ててアレスが声を上げる。が、リサはそれを「まあ、わたしったらはしたない」と笑顔で流す。呆れるほどの力技である。と言うかこの娘さん、話の進め方が他人より若干早い。ちょっとでも気を抜くとたちまち置いていかれそうになる。 リサには腕を組まれ、ロイからはいよいよ鋭く硬くそして冷たくなった視線を浴びせられ、アレスの顔色が冗談では済まないものになっている。そろそろ本気で止めに入った方がいいかもしれないと、シルフィはそっと背後に立っているフェイトに声をかけた。 「……フェイト。催眠ガスか何かになって、あの子ちょっと眠らせてよ」 「……いきなり何を無茶言うかな。そんなのに変化できるわけないよ」 「とにかくどうにかして話を止めさせて。今のアレス、さすがにギャグの域を超えかけてる。誰にも気付かれないようにどうにかしてよ」 「どうにかって言われても……じゃまあ、ちょっと手荒なことになるけど」 シルフィの死角、フェイトの左手がそっと動いた気配がして、 「……? う、うわ! 火事だ!」 ロイの叫びにつられて目をやると、そこには少しずつ燃え始めている観葉植物があった。ロイの私物らしいが、それがゆっくりと、だが確実に火に包まれていく。 「……フェイト君の魔法第四弾。霧、風、雷に続いて……名づけて炎」 「名づけるも何も、そのまんまじゃない」 呆れた声でため息をつきながら、それでもシルフィはそっとフェイトに感謝しておいた。 フェイトの起こした火事騒ぎのおかげで、なんとかあの場はやり過ごしたものの…… はっきり言ってアレスは限界に近かった。リサに言い寄られるだけならまだいいのだが、父親であるロイからのプレッシャーが凄まじい。町の見知らぬ娘に惚れられることはあっても、依頼主の娘に惚れられるのは初めての経験である。今までと同じようにあしらっていいものか分からない。居心地の悪さに耐えかねて、とうとう後をシルフィ達に任せて、買い物と言い訳しながら屋敷を逃げてきてしまった。 「……それで、なんで僕が一緒について行かなくちゃならないの?」 連れ出してきたフェイトが尋ねてくる。アレスはため息をつきながら、言った。 「相談したいことがある」 「ん?」 「……あの子をどうにかする方法はないか?」 あの子とはリサのことである。実はこの買い物にも、ついて来ると言って駄々をこねられていたりした。「男じゃなければ危ない場所にも行きますから」と止めてくれたゲッソーやノエルには、感謝しきれないほど感謝している。 アレスの藁にもすがるような言葉に、しかしフェイトは怪訝顔。 「どうしてそういうこと僕に聞くかな?」 「……やはり、分からないか」 「いや、て言うか、そもそも人と接したこと自体ほとんどないし」 そう言われてみればそうだった。適応能力が恐ろしく高かったために失念してしまっていたが、フェイトにこんなことを聞いても答えられるはずがない。 「どうして僕なのさ? シルフィは経験少なそうだけど、ゲッソーとかノエルなら何か言ってくれるんじゃない?」 武器屋の表に飾られている『魔王剣』を面白そうに眺めながら、フェイトは問うてくる。ちなみにこの魔王剣とやら、何だかよく分からない魔方陣の描かれたお札をべたべたと貼られていて、その上鎖でがんじがらめにするという何ともインチキ臭い『魔除け』を施されている。 魔方陣とは元々ダンジョンなどの床で使用される、通常とは異なる空間を生み出すための図柄である。そのほとんどは魔物のために描かれたものであって、断じて魔除けの効果などないはずなのだが……些細なことに突っ込んで店主の立場と心証を悪くしても意味がないので、アレスは黙っておくことにした。それに今の自分は、魔方陣などに構っていられる状況にはない。 フェイトはゲッソーやノエルに助言を頼めと言ったが、実はあの二人もこの手の話題にはあまり詳しくないのだった。何しろ異性と語らうより魔物を退治していた方が楽しいといった連中である。あの二人にただの一度でも恋人がいたかと考えると……一人もいなかったに違いないという結論に達する。当たり前だ。斧やら弓矢やらを持ってモンスターを倒しまくる恋人など、誰が欲しがるというのか。 「一ヶ月か……」 その間あの娘のアタックと父親のプレッシャーを感じ続けるのかと思うと、アレスは本気で逃げ出してしまいたくなる。だが、まがりなりにもプロである以上、そんなことをしては今後の信用が危ぶまれる。 「……お前とシルフィはあの子と歳が近いだろう。なんとか仲良くなって、少しでも俺から遠ざけてくれないか?」 「ん、いいよ。動機がなんだかアレだけど、まあこの際だしね」 安請け合いするフェイトが、なぜか非常に頼もしく見えた。 ……一方。 「うふふふふ……」 不気味な笑いを漏らしているのは、自室に放り込むようにして閉じ込められたリサ嬢である。アレス達の前で見せた姿とはずいぶん違う。何と言うか、目が違う。 アレス達の前では、恋に生きる純真な少女の瞳をしていた。 今のリサは、獲物を狩る狩人の目をしていた。 「アレス様……この町で、よりにもよってこの私から逃げようだなんて。お気の毒に……この町で私の知らない場所はないというのに」 リサはかつて――かつてと言ってもほんの五年前まで――この町のガキどものボスの座についていた。男勝りの気性、こっそり習っていた格闘技のおかげでケンカをしても負け知らず。妙なカリスマ性まである上に金も持っている。ボスの資質はこれでもかと言うほどあったのだった。 大して広くもない町のあちこちを飽きるほど探検していたので、リサの知らない場所などこの町にはどこにもない。男じゃなければ危険だという場所がないことももちろん知っている。それがアレスが自分から逃げようとしてついた嘘だということも。 ではなぜおとなしく部屋に戻ったのかと言うと、シルフィはともかく、ノエルとゲッソーにはとてもじゃないが勝てないと判断したからだった。無理に通ろうとして監視をつけられてはお手上げである。退くべきところで退いて、次のチャンスを待つ……すなわち、 窓から脱出できる、自分の部屋に閉じ込められるときを。 リサの部屋は二階にある。まず下へ降りるためにベッドのシーツその他のありったけの布類を縛り、あらかじめ用意してあった靴に履き替える。服も動き易いものに着替えてから、即席ロープの端をベッドの足に縛り付け、窓から外に垂らした。 「……少し地面と離れてるけど……ま、いいでしょう」 二メートルほど長さが足りなかったが、まあ飛び降りれない高さというわけでもない。リサは一つ頷き、窓から身を乗り出した。 「よっと……んしょ、んしょ……」 ここしばらくこういう行為とは無縁だったせいで、体が少しナマってしまっている。だが、昔取った杵柄と言うか、二、三歩降りるだけですぐに感覚がよみがえってきた。これなら墜落の危険はないだろう。ロープもどきが切れない限りは。 一階の窓の上あたりまで降りたとき、ふと二階――自分の部屋から声がした。聞き覚えのある少女のもの。アレス達にくっついて旅をしているという、シルフィとかいう子だ。 「リサさーん……家政婦の人にこれ持ってってくれって頼まれて……あれ?」 まずい。開かれた窓、そこから垂れているロープもどきを見れば、どんなバカでも状況を理解できてしまうだろう。急がねば急がねばとリサは慌ててロープを伝い、窓の真ん中あたりまで来たところで、思い切って飛び降りた。それと同時にシルフィの怒鳴り声。 「あー! な、何やってるんですかぁ!」 「ごめんなさいね! 私はアレス様のところへ行きます!」 「アレ……! そ、それはダメです……って! ああもう!」 シルフィは焦ったような声を出す。やはり、アレスが危険な場所へ行くなどというのは嘘だったらしい。そもそも、ただのオマケでしかないらしいフェイトといった少年を連れて行くあたりでもうおかしいのだ。そんなに危ないなら、彼ではなくてあの熊みたいな人を連れて行くに決まっている。 今から追いかけて来たところで追いつけはしない。旅人とリサではさすがに向こうに分があるだろうが、土地勘に関してはリサが圧倒的に有利だ。庭の茂みに隠れながら、町の雑踏に紛れてしまえばそこから後はどうにでも…… 「……って! じょ、冗談でしょ!?」 あまりの驚きに、思わず地の台詞が飛び出してしまった。実はお嬢様口調は猫被りのときに使っているだけで、普段はこういう普通の喋り方をしていたりする。 で、リサが一体何に驚いたのかと言うと、 「待ちなさーい!」 シルフィは窓から身を乗り出し、何の躊躇もなくそこから飛び降りたのだった。しかも、信じられないことにしっかり足で着地して、あろうことかそのまま走って追ってきたりする。 「な、なによあの子!?」 シルフィの足は予想よりもずっと速い。リサも決して遅いつもりはなかったが、やはりお嬢様やっていた自分とアレス達にくっついて修羅場を潜り抜けてきた(こともあるだろう、一度や二度くらいは)シルフィとでは住んでいる世界が違うということか。ものの数秒もしないうちに、シルフィはリサとの距離をつめてきた。 (このままじゃ……仕方ないわね、ごめんねシルフィさん!) 心の中で一応謝り、リサはいざというときのために隠し持ってきた煙玉を取り出した。一度使えば、十秒ほど半径五メートル以内を文字通り闇に包む。まだ町で遊んでいた頃に手に入れたものだ。護身用として持ってきたのだが、仕方ない。 「えい!」 「わっ!?」 投げた煙玉は狙い通りシルフィの頭に命中し、そして彼女を中心に煙を広げていく。これで時間を稼げる。身を隠してしまえば、無数にある屋敷の出口を知り尽くしている自分を捕まえる術はない。リサはそう考えてほくそ笑み、 「乱扇舞!」 煙が広がった直後に響いたシルフィの声に、笑みのまま固まった。煙が見る見るうちに消し飛ばされていく。どうやら、シルフィを中心に風が巻き起こっているらしい。普通はありえない現象なのだから、さきほどのシルフィに言葉によって引き起こされたのだろうが…… 「術を……使えるの? だって、ただの素人なんじゃ……」 リサは、唖然としたまま呟く。 才能でしかなく、それ故使用者が限られている魔法と違い、努力次第で誰にでも使える力――それが術である。魔法ほど強力ではないし、使用する際にキーワードとなる言葉を唱えなければならないが、何しろ誰にでも使えるということで一般には術の方が親しまれている。 ただし、誰にでも使えると言っても、術を使うにはそれ相応のものが要求される。キーワードを憶える記憶力、術を使うときのための集中力、そして、使えるようになるまでの数年間、地味で面白みにも華にも欠ける訓練と勉強にひたすら耐える精神力。少なくとも「使ってみたいなあ」程度の覚悟では話にもならない。 冒険者にくっついて旅をしているだけの少女が、術などを使えるはずがない。魔法より劣ると言っても、達人が使えば人を殺すくらいは容易なほどの力が出るのだ。あの状況で咄嗟に術を使用できるあたり、かなり使い慣れている。本当にただの素人なのだろうか? と、リサがシルフィのことを怪訝に思っていると、 「……捕まえましたよ。何をやってるんですか、貴女は」 いつの間にか近づいてきたシルフィが、自分の肩をさりげなく、だががっちりと掴んでいた。 彼女の力が強いのか自分が非力なのか、肩を掴むシルフィの細腕は、いくら振り払おうとしてもピクリともしない。もう一度煙玉を使おうかとも考えたが、その程度で彼女が手を離すとも思えない。それに、仮に離したとしても、また術を使われて終わりだろう。無駄使いでしかない。 ……と、なれば、 「……シルフィさん……お願いです、離してください」 泣き落としにかかった。お嬢様として長年猫被ってきたリサにとって、瞳を潤ませるのなど朝飯前だ。男に媚びるつもりはないが、女としての武器は最大限利用するつもりである。ちなみにこれに騙された男は、二十人を下らない。 が、相手も女である場合は、どうやら勝手が違ったようで、 「ダメです。帰りますよ」 「ちょ、ま、待ってっ!」 シルフィはあっさりと却下して、こちらの手首を掴んで屋敷へ引き返そうとする。だが、さすがに強引に引きずるほどの力はないようで、二、三歩たたらを踏んだ後にリサは踏ん張って抵抗することに成功した。 「待って! ちょっと話を聞いて!」 「うちのアレスを口説きに行くんじゃないんですか?」 「それはまあその通り……ああ! 待って引きずらないで! どうしてさっきより力が強くなってるの!?」 シルフィは巧みに重心を入れ替えて、なんとかリサを引っ張って行こうとする。一方のリサは半ば座っているような格好になりながらの抵抗。不毛な争いが数十秒ほど続き、 「まったく! あのですね、この際はっきり言いますけど、迷惑なんです! あなたに言い寄られるのは!」 たまりかねたようなシルフィの叫びに――しかしリサは、動じることなく言い返した。 「そんなことは百も承知です!」 「だったら――へ? 今なんて……」 唖然とするシルフィの隙をつき、リサは即座に彼女を押し倒した。成す術もなく仰向けになるシルフィに馬乗りになり、上から見下ろすような格好で、 「お願いです。私の話を聞いてください」 位置関係も手伝ってか、シルフィは割と素直にコクコクと頷いた。 |
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