出来損ないの支配者

 

『父は、どういうわけか仕事の書類を机の引き出しと金庫の中と、分けて入れているんです。見たことはないのですが、おそらく金庫の中に……』

 そういう情報を聞き出した時点で、アレスはリサを部屋に戻した。あまり長く一緒にいるとまた何かロイにねちねち言われそうだったからだ。あの男は娘のことは溺愛している。得体の知れない男など、おそらく近づけたくもないだろう。

 その娘に裏切られるというのは何とも皮肉な話だが、どうもロイのことを好きになれないアレスは、同情する気にはなれなかった。

「金庫はロイの仕事部屋……つまり俺たちが彼に会っていた部屋にあった。壊してしまってもいいが、あまり大きな音を立てるのはまずい。それに何より、書類が盗まれたことがすぐに露見してしまうようでは意味がない」

 ゲッソー、ノエル、そしてフェイトを前にして、アレスは説明する。ロイの犯罪を暴くことについては、誰も反対することはなかった。どうやらシルフィを見捨てるという発言が反感を買ったようだ。あれがなければ、ひょっとしたらノエルあたりは反対していたかもしれない。

「そこでノエル、お前の出番だ」

「ええ」

 こちらを向くノエルに、言う。

「今日の夕食のワインに、リサ君は眠り薬を入れておいてくれたらしい。いつかは分からないが、ロイは早いうちに寝てしまうはずだ。忍び込んで鍵を盗み出せ」

「分かったわ」

「……それは、僕の方が向いてるんじゃない?」

 思案顔でフェイト。確かにフェイトの能力なら、鍵を盗み出すのもノエルより成功率が高いだろう。だが、

「ノエルは元狩人でな、気配を消したりするのには慣れている。鍵を盗み出すなど造作もないだろう。お前にはお前でやってもらうことがあるんだ」

「なに?」

「シルフィに言って、向こうのリーダー……サイゾウとかいったか? 彼と会って伝えて欲しい。俺たちはそっちに協力するとな」

 いきなり言っても信じないだろうが、盗み出した書類を渡せば大丈夫だろう。ロイを裁くなら、自分たちよりも彼らの方が適任だと判断した結果だった。

 アレスたちとしても、裁判やら何やらで面倒ごとを背負い込むのはごめんである。元々ロイをどうにかしたいのは彼らなのだ。内部から手引きしたのはリサだとでもしておけばいい。こっちはシルフィを返してもらって、また旅を続けられればそれで満足なのだった。

 路銀の方は……まあ、どさくさに紛れてここから持ち出してしまえばいい。ちょっとくらい構わないだろう。

「俺とゲッソーは、特にやることがないから待機だな」

「うい……ったく、何もやってねぇのは俺だけじゃねえか」

 ゲッソーという男を表現するのに最も適している言葉は、『熊のような大男』である。アレスよりも頭一つ分大きいし、シルフィやフェイトに至っては彼の胸くらいまでしかない。その体格から想像できるように、得意技は馬鹿力から繰り出す渾身の一撃。何でも、丸太を一撃で真っ二つにしたとかしなかったとか。しかも片手で。

 粗野で戦闘好き。酒はやるが煙草はやらない。特技はなぜか裁縫。ゲッソーは、まだアレスがノエルと二人だけで旅をしていた頃に仲間になったのだが、それ以前も彼は一人で旅をしていたらしい。裁縫の技術はそのとき身につけたとのことだが……アレスは似合わないと思った。ノエルは似合わないと言った。シルフィなんか「イメージが崩れる……」と露骨に顔を歪めていた。あのときのゲッソーは、そこはかとなく落ち込んでいたように見えた。

 フェイトはどういう反応を見せるだろう。笑い転げるような気もすれば、感心するような気もするし、実際に見るまで信じようとしない気もする。と言うかどんな反応を見せてもおかしくない。それはつまり、アレスがフェイトについてほとんど何も知らないということを示していた。

 まあ、だからというわけでもないのだが、アレスはふと尋ねる。

「フェイト、そう言えばお前、魔族の友達みたいなのはいたのか?」

「なんで?」

「いや、あの塔にいた連中は、友達とかそういう間柄じゃなさそうだったからな……いくら魔族が個人主義だからと言っても、気の合うやつくらいいたんじゃないか? 別に答えにくいなら無理には――」

「答えにくいってわけでもないよ。そうだね……一人いたかな。友達とはちょっと違う気もするけど、女の子が」

 意外な甲斐性である。アレスは男友達の話をしていたのだが、別に女友達でも悪いというわけではない。「どんな子だ?」と、どうせ暇なので少々深く聞いてみる。

「どんな子って言われても……そうだね。僕の前では割と普通の子だったかな。ちょっと思い込み激しい部分もあったけど、素直だったし。一緒に遊んだりとかそういうことはあんまりなかったし、そもそも会うこともそんなに多くなかったんだけど。それでも一緒にいるときは楽しかったな。少なくともあの塔にいた連中よりは」

 そりゃまあ、あの塔にいた連中は揃いも揃ってモンスターしていた奴ばかりだったし、あんなむさくるしい場所にずっといたとなれば、どうやら同い年くらいらしいその少女が心のオアシスになったことも理解できないではない。フェイトとて年頃の少年だ。ジジイやら人外やらに囲まれているよりは、女の子と一緒にいた方が楽しいに決まっている。魔族よりも人間に近い性格なら尚更である。

 しかし、今の言葉には一つ気になるところがある。

「僕の前では割と普通――ってどういう意味だ? 他のところじゃ猫でも被ってたのか?」

「いや、そういうわけじゃない。歳が近い僕が一番仲良かったのは確かだけど……正確に言うと魔族の前では、かな」

「人間の前では違うのか?」

「違うって言うか――」

 フェイトが言いかけたとき、ノックの音が室内に響いた。アレスは顔を上げて返事をする。扉を開けてきたのは……リサ。

「失礼します……アレスさん、父が寝室に。もう間もなくです」

「そうですか。分かりました……ノエル」

 声をかけると、ノエルは頷く。気を引き締めたのが表情で分かった。

「フェイト、向こうの説得はお前に任せる。……魔王の口技でなんとしてでも丸め込め」

 魔王のくだりは、リサには聞こえないように小声で言った。フェイトは頷き、その次の瞬間にはもう姿を消している。早速向かったのだろう。

 と、その様子を見て、リサが怪訝そうな声を上げる。

「フェイトさんがやるんじゃないんですか? 私はてっきり……」

「フェイトには、シルフィを捕まえた連中に、こちらは協力をするつもりでいると伝えてもらいます。お父さんをどうにかするのは、俺たちよりも彼らの方が向いているでしょうから」

「……それは分かるんですが、それを伝えるなら書類もそのとき一緒に渡してしまう方が良かったんじゃないですか? そっちの方が説得力ありますし、信用してもらい易いでしょう。それに、書類はこちらの手元に残しておくよりも向こうにある方が安全です。わざわざ出し惜しみする必要もないように思えるのですが……」

「……」

 素で気付かなかった。

 見ると、ノエルとゲッソーは「あっ」という顔をしている。自分も多分似たような顔だろうとアレスは思う。向こうに行ったフェイトも、サイゾウかシルフィか、あるいは向こうにいる全員に指摘されて、遠からず自分たちと同じ顔をすることになるだろう。

 この場にいないシルフィの「……バカ」という呟きが、何となく聞こえた気がした。

 

 ……疲れた。

 アレスたちと旅をしてもう二年以上になるが、最初のころはついて行くだけで精一杯だったが、それでもこれほど疲れた記憶はない。修羅場や死闘もそれなりにこなしてきたが、自分の足で立ち上がれなくなるほどではなかった。

 そんなシルフィは、今、サイゾウに背負われて部屋へ向かっている。苦労の甲斐あってアレスにやられた彼は一命を取り留めた。まだ完全回復したわけではないが、安静にしていればそのうち元気になるだろう。

「ありがとな……本当に。何て礼を言ったらいいのか……」

 多少涙ぐんでいたりする声で、サイゾウはさっきからしきりにそんなことを言ってくる。敵である彼にそう言われると調子が狂うというものだが、それを言う気力ももはやなかった。精根尽き果てて、意識はもう夢の世界と現実を行ったり来たりしている。

「……眠たかったら寝てもいいぞ? 別に変な真似はしない」

 されたって抵抗する力もない。夢見心地にそう思いつつ、シルフィは口を動かそうと奮闘した。言い返すためではない。言っておかなければならないことがあるのだ。

「部屋……わたしが起きる…で……誰も…………入ら…で」

「……分かった。お前から何か言うまで、誰も入らせない」

 その言葉と同時に、サイゾウが立ち止まる。部屋についたのだろう。扉が開けられる音、歩く振動が再開する。

 今度はそう長くなく、数歩のところでシルフィは何か心地いい場所に横たえられた。ベッドに寝かされたのだろうと、もはやまともな思考が機能していない頭がぼんやりと考える。

「ありがと……ごめん…ね」

 意識が眠りの底へ落ちていく前に、最後にこれだけしぼり出した。

「は?」

「ウチの……バカのせいで…………………」

 アレスのせいでサイゾウの仲間の彼が死にかけたことを謝りたかったのだが、最後まで言う前に、シルフィの意識はふっつりと途絶えた。

 

 ――いつごろからだろう。巫女である自分に嫌気が差したのは。

 シルフィは夢を見ている。幼いころの夢。まだ自分の国で、両親とともに暮らし、巫女として崇められていたころの夢。

 決められた将来に不満があったわけではない。特に親に反抗したいという気持ちもなかった。変わらない毎日。巫女として人々に崇められ、厳格な両親と息苦しい日々を過ごし、お忍びで町へ行って、術を使って悪戯するのを唯一の楽しみとする一生。決して良くはないが、別に悪くもないと思っていた……たまたま町に立ち寄った、アレスたちに会うまでは。

 彼らと出会って、シルフィは外の世界を知ってしまった。自分を巫女と崇める人々を煩わしく思うようになってしまった。変わらない毎日を、それまでずっと続いてきてそれからもずっと続いていくと思っていた日々を、苦痛と感じるようになってしまった。

 それが良いことだったのか悪いことだったのか、シルフィには分からない。

 ただ、結果としてシルフィは家を飛び出し、半ば無理やりのようにアレスたちにくっついて旅をするようになった。国では今も大騒ぎだろう。捜索隊も出されていると思う。ただでさえ巫女という重要な立場だった上、シルフィ本人は特技としか思っていない回復魔法も、『神の奇跡』として大々的に宣伝されていた。シルフィは奇跡の体現者として、国民の信心を一身に背負っていたのだ。

 もし捕まったら、彼らはまずこう聞いてくるだろう。どうして国を出たりしたのかと。

 理由は色々ある。外の世界を知ったこと。自分に寄せられる信心が煩わしくなったこと。変わらない日々が苦痛になったこと。だが、もし答えるとするならば、

 ――退屈だったから。

 変わらない日々が、人々の信心が、あまりにも退屈だったから。だから巫女をやめた。アレスたちにくっついて行ったのは、旅を知らない自分は彼らに色々教えてもらう必要があると思ったから。そして何より――仲間が欲しかった。自分を巫女として見たりしない仲間が。

 ……? どこかで聞いたような言葉だ。

 そんなに昔のことではない。むしろつい最近。突然現れて、今のと全く同じことを言った少年がいた。退屈だった。仲間が欲しかった。だからやめた――魔族の王を。

 ……自分が彼を仲間に入れるのに反対しなかった理由は、ひょっとしたらこれなのかもしれない。

 彼が――フェイトが言っていることが、シルフィにはよく分かったから。彼の言葉は、かつての自分の言葉だったから。

 

 ――自分を呼ぶ声で、目が覚めた。

 シルフィはうっすらと目を開ける。今何時だろう。部屋の中は真っ暗で、小さな窓から入ってくる星と月の光だけが光源となっている。更にその光をフェイトが遮っているものだから、真っ暗闇と大差ない状況だった。

「シルフィ……生きてる?」

「……布が出てないんだから、ちょっとは警戒しなさいよ」

 まだ寝ぼけている頭を振りながら、シルフィはベッドから立ち上がる。少し探ったら、靴はすぐに見つかった。それをはいて窓に近寄る。

「今何時?」

「明け方近く。まだ暗いけど、もう少ししたら空が白んでくるよ。ところでどうかしたの? ぐっすり熟睡しちゃって。ずいぶん疲れてたみたいだけど」

「アレスにやられた彼の治療をしてたの。思ったより傷が深くて……力使い切っちゃった。本当はもう少し休みたいんだから……」

 治療はかなり深夜までかかっていたから、今が明け方近くとなると、二、三時間くらいしか寝ていない計算になる。まともな睡眠時間にも足りない。立ち上がれはしたが、足元はふらつくし頭は未だに朦朧としている。フェイトは何らかの用件があって来たのだろうが、正直言って明日じゃダメなのかという心境だった。

「ふーん……でも、悪いんだけどさ」

 明日じゃダメらしい。申し訳なさそうなフェイトの声。

「サイゾウを連れて来れない?」

「……サイゾウを? ここに?」

「うん。話したいことがあるんだ」

 どうやらアレスたちの方も意見をまとめたらしい。まさかフェイトの能力で暗殺することに決めたんじゃ――ほんの一瞬そう思ったが、考え直した。この部屋の中では魔法は使えないし、わざわざ自分を介すのだから、いくら何でもいきなり吹き飛ばすような真似はしないだろう。

「分かった。ちょっと姿を消して待ってて」

 フェイトが変化するのを見届けてから、シルフィは扉に向かう。内側からノックすると、少しして向こうから開かれた。

 顔を出したのは、怪我人にとりすがっていた彼だった。シルフィも蹴飛ばしたので顔を憶えている。

「あ、さっきはどうも……」

「ああ、目が覚めたのか。何か飲むかい?」

 やけに優しい態度でそう聞いてくる。彼はどうやらあの怪我人の親友のようだ。サイゾウ同様、仲間の命の恩人であるシルフィに感謝しまくっているのだろう。シルフィが彼を蹴飛ばしたことは、忘れているのか気にしていないのか知らないが、何も言ってはこない。

「ううん、飲み物はいいんだけど。サイゾウを呼んでくれない?」

「サイゾウを? 何か欲しいものがあるなら、俺が持ってくるぜ?」

「そうじゃないの。ちょっと、今後について話をしたいなあって思って」

 嘘は言っていない。

「ふーん……まあ、いいさ。まだ起きてるだろ。ちょっと待ってろ」

 男はそう言って駆け出して行く。見張り役は彼の他にもう一人いて、手持ち無沙汰となったシルフィは、残った一人に何となく笑いかけてみた。

「ど、どーも」

「……」

 完璧に無視された。眉一つ動かそうとしない。無愛想な人だ……一人で笑った自分の馬鹿さ加減をごまかすために、そんなことを考える。

 二つ分の足音は、それから間もなく聞こえてきた。

「もう起きたのか……お前、意外に回復早いな……で、話があるって?」

 感心しながら聞いてくるサイゾウに頷き、部屋の中へ招き入れる。扉を閉める前に、サイゾウを呼んでくれた彼に声をかけた。

「ありがとね」

「いいさ。また何かあったら言ってくれ」

 もう一人とは違って笑みを浮かべながら、彼は軽い調子でそう言った。シルフィはペコリと頭を下げ、部屋の中に戻った。サイゾウは手馴れた様子で明かりをつけている。

「話って?」

「んっとね。わたしじゃなくて……フェイト」

「お久しぶり」

 獄中の囚人のごとく鉄格子に取りすがりながら、フェイトがサイゾウに声をかけた。

「なっ、お前――」

「しーっ! 静かにして!」

 大声を上げかけるサイゾウの口を、シルフィは慌ててふさぐ。他の者に来られるのは思わしくない。騒ぎになれば、話し合いどころではなくなってしまう。

「別にケンカ売りに来たわけじゃないよ。話をするだけだから」

 鉄格子の向こう側から、フェイトがそう言う。シルフィもそれに合わせてコクコクと頷いた。サイゾウはかなり疑わしげな目つきでシルフィとフェイトを交互に見ていたが……一応話だけでも聞こうと思ったのか、しばらくして頷いた。

 それに安心して、シルフィはふらふらと手近な椅子に腰かけた。ただでさえ体力の少ない状態である。少し動いただけで、また立つこともおぼつかなくなってしまった。

「シルフィ。何があったか知らないけど、疲れてるなら寝ていいよ? あとは僕がやるから」

 オノレが頼んでおいて「何があったか知らないけど」などとほざくとはいい度胸だ――と、一瞬考えないでもなかったが、シルフィは黙ってその言葉に甘えることにした。フェイトに頼まれなくても治療はしただろうし、文句をつけるだけ体力のムダだ。椅子に身を預け、一応意識は失わないようにしながら、フェイトとサイゾウの会話に耳を傾ける。

「話がある……と言ったな? もちろん、ロイを町から追い出すためのことなんだろうな?」

 サイゾウとしては……サイゾウたちとしては、それが絶対に譲れない条件のようだった。ロイを町から追い出す。唯一にして不変の、彼らの目標。

「んー、多分、そうなんだろうね。少なくとも、妙な真似は止せ、みたいな説得をしに来たわけじゃないよ」

「そりゃ何よりだ。で、具体的に何を言いに来たのか、そろそろ話してもらいたいな」

「僕たちは、あんたたちに協力することに決めた」

 

 サイゾウは固まった。

 

 シルフィも固まった。密かに睡魔と闘っていた意識が、この一瞬だけ睡魔を蹴り飛ばした。

 

 そんな二人の様子などお構いなしに、フェイトは続ける。

「ちょっと事情が変わったんだ。僕たちもロイには愛想を尽かした。あのリサって子もね。んで、まあ目的は一緒なんだしせっかくだから協力しようかということに――」

「ま、待て、ちょっと待て。話が見えない。誰が誰に愛想を尽かしたと?」

「僕たちとロイの娘のリサが、ロイに愛想を尽かしたの」

「どうして?」

「リサは元々、あくどい仕事をしてる父親を良く思ってなかったみたい。多分、町を追い出すんじゃなくて、きっちり罪を償ってほしいって思ってるんだろうね。ま、それは僕たちには関係ないからどうでもいいんだけど……で、僕たちの方は、ちょっとロイと揉めちゃってね。あんな奴もう知らん――って言うか、むしろ敵? まあ、色々あったわけだよ、うん」

 どういうわけだか知らないが、単細胞四人組のことである。ロイに自分――シルフィは見捨てるとでも言われて怒ったのだろう。

「だが……お前たちが俺たちの仲間になるという証拠はあるのか? ひょっとしたらロイの指図かもしれないだろう。俺はお前とは一度戦っているし、お前がロイのような奴に与するとは思わないが……他の皆は、それでは納得しないだろう」

 当然の疑問をサイゾウは口にする。フェイトたちが味方だという証拠などないのだ。シルフィという人質もいるし、そうそう下手な真似はしないだろうとは、サイゾウの仲間たちも思うことができるだろう。だが、完全に味方になったかどうかとなると……怪しいと考えざるをえない。シルフィでさえそう思う。

 どうするのだろうとシルフィがフェイトを見ると、彼は何でもないといった口調で言った。

「リサの協力で、僕たちはロイから何か世間に知られたらマズイ感じの書類を手に入れられそうなんだ」

「……ほう?」

 その言葉を聞いて、サイゾウが少しだけ興味のありそうな声を出す。

「今頃はもう奪うのに成功してるんじゃないかな。それを渡したら信用してくれるよね?」

「まあ、そうだな。俺たちを欺くための芝居だとしても、それが本物なら公にするリスクの方が高すぎるだろう。だが……どうして持参して来なかったんだ?」

「僕が出たときには、まだ奪えてなかったんだよ」

「別に奪ってから来ても不都合はないだろう。人質のこいつも、一週間は安全だと約束されているんだから。……どうも気になるな。何か隠し事でもあるんじゃないか……?」

 疑わしげなサイゾウの声と、小さく聞こえたフェイトの「あ……」という呟き。シルフィにはよく分かる。フェイトが書類を持参しないでここに来た理由。アレスたちがそれに何も言わなかった理由。リサは……多分、その場にいなかったのだろう。

 何も考えていなかった。それだけだ。思い立ったら即行動が基本の彼らに、それ以外の理由などあるはずもない。

 しかし、サイゾウも少し疑い過ぎなんじゃないかとは思った。今持たずに来ても、後から持ってくるなら別に構わないではないか。そんなに過敏にならなくても、陰謀など絶対にありはしない。

 不穏な空気となったフェイトとサイゾウの間に入るように、シルフィは口を開く。

「まあまあ、二人とも。要するに、その書類があればいいってことでしょ? それならフェイトが後から持ってくればいいんだから、ここでケンカすることないでしょ?」

「……そういうことだね」

「……お前がそう言うなら、まあ」

 意外に素直に引き下がる二人。特にサイゾウは、シルフィが言うなら仕方ないとまで考えているようだ。今のところは敵である相手にそこまで信頼寄せていいものかと、逆にシルフィが思ってしまう。

「じゃあ、今日はもうお開きにしよう? これ以上話すのは無理でしょ」

 とっとと眠りたいという本音もあったが、実際これ以上話を進めるのは不可能だとシルフィは思った。サイゾウとフェイトの間に信用という文字がほとんどない以上、どんな話をしても意味がない。

「……分かった。今日のところは帰るよ」

「うん」

 鉄格子ごしに聞こえる声に、シルフィは頷く。フェイトも小さく頷いて、今度はサイゾウに向き直った。

「で、いつごろどこへ来ればいい?」

「そうだな……本物の入り口は分かるよな? 明日の昼ごろ、適当な花でも持ってそこへ来い。皆には伝えておく」

「花?」

「一目で花と分かるものなら、何でもいいさ。ここに花持参で来る奴なんかいないからな。ただ、あんまり目立たないのも困るから、できるだけ見た目が派手なのを選べよ」

「はいはい。それじゃ、そろそろ行くね。明日のお昼ごろだね?」

「ああ」

 最後に確認をし、サイゾウの短い返事が終わるころには、もうフェイトの姿は消えていた。せっかちな奴である。

「俺ももう寝るか……じゃあな。お休み」

 サイゾウは欠伸をしながら、部屋を出て行った。彼も疲れているのだろう。無理やり引っ張ってきてもらったが、ひょっとしたら彼も寝る直前だったのかもしれない。だとしたら悪いことをした――そう思いながら、シルフィは椅子から立ち上がって、数歩ふらふら歩いた後ベッドに倒れこんだ。意識がたちまち眠気に侵食されて行く。

 ――明日起こる惨劇を、そんなシルフィはまだ知る由もない。

 

 薄闇色の世界の中を、少女が凄まじい速度で移動している。元々薄暗い森の中が、少しずつ明るさを手に入れつつあった。夜明けはもう間もなくだった。

「……」

 少女は移動しているが、その意識は眠りの底に沈んでいる。移動しているのは正確には少女自身ではなく、少女を背中に乗せて疾走している闇色の生物だった。文字通り目にも留まらない速さにも関わらず、ただでさえ走りにくい森の中で、木の葉一つ揺らすことがない。もしここに人間がいたとして、その彼の目の前を生物が通り過ぎたとしても、全く気付かれることなく行き過ぎて行くだろう。動くことによる周囲へのわずかな影響さえも、その生物にはありえなかった。

 ――夜闇の化身、エヴリス。その生物の存在を知る一握りの者に、その生物はそう呼ばれていた。

「……ん」

 エヴリスの背中で、少女が目を覚ました。振動など全くなかったから、目覚めたのは単に朝になったからだろう。

「もう朝……え? エヴリス、どうしたの?」

 声など発されてはいない。だが、少女にはエヴリスの声が聞こえるようだった。少女は話を聞いているかのように(実際話を聞いているのだろうが)耳を傾けていたが、少ししてその表情を歓喜に染めた。

「ありがとうエヴリスぅ……! それで、どのへんなの? ……もうすぐ! すごいすごぉい!」

 声なきモノに尋ね、声なき返事を聞いて歓喜する。傍から見れば不気味な光景だったが、この場に他の人間などいなかったし、いたとしてもエヴリスの背中に乗る少女を視認することは不可能だった。

 少女はしばらくエヴリスの背中ではしゃいでいたが、ふと気がついたように、白み始めている空の一角に目をやる。

「もうすぐ太陽が出てくるねぇ……エヴリス、もういいよ。お疲れ様。あと少しなんでしょう? それくらいは、自分で歩くよ」

 少女は愛しげに闇色の肌を撫で、そう言った。エヴリスはほんの少しだけ躊躇ったようだったが、やがて承諾したらしい。

 ――そして次の瞬間、エヴリスの姿は消え去った。瞬き程度の余裕さえない。この世のモノとは思えない超高速で移動していた夜闇の化身は、その名に従い、夜明けとともに完全に姿を消した。

 突然消えたエヴリスの背中から、少女が投げ出される。が、少女は慌てることなく空中で数回転し、ふわりと地面に着地した。相当な衝撃を受けているはずなのに、痛みを感じている様子さえない。

 ゆっくりと立ち上がり、エヴリスが向かっていた方向に向けて、少女は笑みを作る。

「やっと見つけましたよぉ、フェイト様ぁ」

 

 ふと思ったのだが、フェイトに書類を持たせたとして、果たしてそれはちゃんと変化させることができるのだろうか。

「物なら平気だよ。あんまり大きいのは無理だけど、書類くらいならどうにでもなる」

 本人がそう言っているのだ。自分たちが疑っても仕方ない――そういうわけで、アレスは昨夜ノエルが奪取してきた書類を、封筒に入れてフェイトに託した。聞いた話によると、シルフィはどうやらかなりまいっているらしい。早く助けて休ませてあげなければ、と思う。

 まさかその原因が、自分がサイゾウたちの仲間を切り伏せたせいだとは、思いも寄らないアレスである。

 それと平行して、撤収の準備を始めておいた。荷物をまとめていつでも旅立てるようにしておく。シルフィが帰ってきた時点で、もうこの屋敷には用がない。後のことはサイゾウとリサでどうにかするだろうから、表向きは無関係であるアレスたちはいる意味がないのだ。

 部屋そのものの居心地はいいし、食事だって悪くはない。雇い主がアレでなければ良かったんだが……と、アレスは苦笑する。

 そのとき、ノックの音が響いた。

「はい?」

 返事をすると、入ってきたのはリサ。まとめられた荷物を見て、意外そうに目を見開いている。

「もう……行ってしまうのですか?」

「ええ。フェイトが書類を渡して、シルフィが帰ってくれば、もう俺たちがここにいる意味はなくなりますから」

「そうですか……ところで、本当に良かったんですか?」

 リサは、自分の勝手な都合に巻き込んだと言って、ロイが提示した金額に勝るとも劣らない金を出してきたのだった。路銀はもちろん欲しい。その金を受け取れっていれば、この後の旅はずいぶん楽になるだろう。

 だが、

『そんなお金、受け取れませんよ。これから大変なのは俺たちじゃなくてあなたでしょう。身を守るためにも、それは取っておいた方がいい』

 と、断ったのだった。『今更そんな偽善者ぶらなくても』などとほざいていたフェイトがノエルとゲッソーにタコ殴りにされていたようだが、そこらへんはアレスもリサも知るところではない。背中に回されていたアレスの手が親指を下に向けていたのも、もちろん妖精さんの作り出した幻だ。

「いいんです。俺たちは、こう見えても金にはシビアですよ。必要なら要らないなんて言いません。俺たちが要らないと言ったら、それは本当に要らないんです」

「……ありがとうございます」

 嘘が通じたかどうかは分からない。多分、バレていたと思う。だが、リサは黙って頷いた。わざわざこちらが何か言うことはない。

 そう思っていると、リサは不意に妙なことを尋ねてきた。

「ねえ、アレスさん……あなたは、旅を終わらせるつもりはありませんか?」

「は……?」

「町から町へ渡り歩いて、トラブルの元凶がこう言うのも何ですけど、今回のようにトラブルが起こってお金も思うように手に入れられなくて。旅を止めたいって思ったことはないんですか?」

 真剣な目で問うてくる。よく分からないが、リサにとっては重要なことのようだった。アレスは少し考え、答える。

「俺一人だったら、多分、すぐにでも止めようと思ってしまうでしょう。あなたの言うように、旅はつらいですから」

「……」

 続きがあることを察してか、リサは何も言わない。真摯な表情で待っている。

「でも……俺は一人じゃない、四人で旅をしているんです。そうすると不思議なもので、止めたいと思っても、もう少し頑張ってみようという気になるんですよ」

「だから……今は旅を終わらせようとは思わない、と?」

「ええ。いつか、俺たち四人がバラバラになるか、怪我なり歳なりで旅のできない体になるか……もしくは、どこかで死んでしまうか。どうなるかは分かりませんが、そうなるときまで、続けようと思います」

 思うままに答えると、リサはなぜか少し残念そうな顔で「そうですか……」と呟いた。

 それを訝りながら、アレスは逆に尋ねる。

「ところで、あなたは今後どうするんですか? この町に居づらいなら、近くの町まで一緒に――」

「いえ。わたしが生まれたのはこの町ですから……あの方、サイゾウさんでしたか? 彼に口添えしてもらって、どこかで働かせてもらおうと思います。お前も出て行けって言われるかもしれませんけど……」

「そうですか……安心してください。そんなことを言うようなら、俺たちが黙っちゃいませんよ。あなたの協力があってこそのあの書類でしょう。感謝して当然、追い出すなんて真似をしていいはずがありません」

 力づけるようにそう言うと、リサは嬉しそうに目を細め……いきなり身を預けてきた。突然の不意打ちにアレスは戸惑う。自分に惚れていたのは、演技ではなかったのか?

「……ありがとう、私の我がままに付き合ってくれて。あなた達がいなければ、私の計画は成り立ちませんでした」

 小さな声で囁いてくる。まるで、緊張の糸が切れたかのような言葉だった。引き剥がそうとしていたアレスはこの言葉に手を止める。

 やはり、父親の罪を暴くということに、深い抵抗と罪悪感があったのだろう。理屈ではどうしようもない感情とずっと戦って、もはや取り返しのつかない今になって、ようやく吹っ切れることができたのだ。

「アレスさん……最後に、あなたに言っておきたいことがあるんです」

「何です?」

 されるがままになりながら問い返すと、リサは上目遣いに、微笑みながら呟いた。

「あなたを好きになったのは演技だったと言いましたけど……実は、まんざら嘘でもなかったんですよ?」

「……は?」

 言葉の意味を理解するころには、既にリサは体を離していた。微笑みながら、わずかに残念そうな表情で、

「旅に行かないで私と一緒にいて欲しいって、そう頼みに来たんですけど……無理みたいですね。お邪魔しちゃってごめんなさい」

 何も言えないアレスをよそに、リサはさっさと扉へ向かう。廊下へ出て、扉を閉める直前に、彼女は一言こう言った。

「さようなら、アレスさん……私が、初めて本当に好きになった人」

 いつまでもお元気で。その言葉が、アレス一人が突っ立っている部屋に残される。

「……は?」

 女性に関しては百戦練磨のアレスだが、今回は何の反応もできなかった。

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