出来損ないの支配者
| フェイトは、目を疑っていた。 何かの冗談ではないかと思う。昨日来たばかりの、サイゾウたちのアジト。山中にある古い建物。森の中に巧妙に隠れていて、最初に見たときは王族か何かの隠れ家だったのではないかと思った。 古いながらも威厳のあったその建物は、今、半分近くが崩壊していた。何か強大な力に抉り取られたかのような傷跡。爆発とかそういった感じの破壊ではない。そう……巨大な獣に、噛み砕かれたかのような。 だが、それだけならば、フェイトは別に慌てたりはしない。何があったんだろうとは思っても、それはサイゾウたちがどうにかすべきことであって、自分が手を出す必要は全くないのだから。 問題なのは、昨日シルフィを訪ねた場所が、その崩壊部分の一部であることだった。 「……っ 何があった! サイゾウ、どこ行った!? 誰かいないのか!?」 姿を現し、開口一番にそう怒鳴る。破壊されたのは建物の半分。何人かは巻き込まれているだろうが、そうでない者もいるはずだ。特にサイゾウは瞬間移動の魔法を使える。例え頭上にガレキが降ってきても、彼ならば逃げられるはずだ。 「おい! 誰か――」 「うるさいっ 怒鳴らなくても聞こえてる!」 フェイトの叫びを遮るように怒鳴ってきたのは、焦燥を露にしたサイゾウだった。建物の中から走り出てくる彼に、フェイトは食って掛かる。 「怒鳴りたくもなるだろ! 何があったんだよ! シルフィは!? 無事なんだろうな? 巻き込まれたなんて言ったらただじゃおかないぞ!」 「落ち着け! 今探してる! 俺たちだって何が起こったのかまるで分からないんだ!」 「何が起こったのか分からないって……お前らのアジトだろ!?」 「変な奴がいきなり襲って来たんだよ! かろうじて見てた見張りが言うには、お前の仲間のあの娘、あいつがいた部屋に真っ直ぐ突っ込んでったらしいんだ。たった一撃でこれだけやられた! もう俺には何がなんだか分からん、お前こそ心当たりはないのか?」 「あるわけが……」 あるわけがない。そう怒鳴ろうとした直前に……フェイトの頭に、一人の少女が浮かび上がった。押し黙り、もう一度よく崩壊部分を見てみる。削り取られたかのような破壊の跡。一撃でこの破壊力。この二つの条件を満たす者が一人いることを、フェイトは知っている。 「……そいつはひょっとして、小柄な女の子じゃなかった?」 「女の子かどうかは分からないが、見た奴の話を聞く限り、少なくとも大柄じゃなさそうだ……心当たりがあるのか?」 サイゾウの問いに、フェイトは頷いた。 「多分ね。悪いけど、後でアレスたちのところへ行ってくれないかな。……シルフィは僕が連れて帰る」 「連れて帰る? っていうことは、生きてるのか!? どうして分かる?」 「分かるよ」 もしも彼女なら――フェイトは、頭に浮かんだ少女のことを思い出す。小柄で、無邪気で、自分にだけはよく懐いていた少女。 彼女であるとすれば、いなくなったシルフィも含めて、今のこの状況の全てが説明できた。そして、彼女がその後どうするのかもフェイトには分かる。確信めいた思いとともに、フェイトは答えた。 「もしあの子なら、僕を怒らせるような真似をするわけがない」 ……時間は少し前にさかのぼる。 熟睡していたシルフィは、突然襲ってきた轟音に叩き起こされた。目を開けば最初に映ったのは床で、ベッドから放り出されたのだと理解したのは、顔面から着地して素晴らしい痛みを味わっている最中だった。 「な、何よこれ! フェイト!?」 鼻っ面を押さえながら顔を上げる。とてつもない衝撃に、咄嗟に思い浮かんだのが、そういった行為が最も得意そうな少年の顔だった。 だが、呼べども叫べども元魔王は姿を現さない。破壊の音だけが途切れることなく響き、そのたびにシルフィのいる部屋も衝撃に揺れた。崩壊するのが時間の問題であるというのは、一目瞭然だった。 とにかく、ここから逃げ出さなければ。そう思って、シルフィが出口に向かおうとした瞬間、 「――!」 天井が崩れてきた。呆然と見上げる中、小柄なシルフィの体など簡単に押し潰してしまえそうな巨大なガレキが幾つも降ってきて―― 「――もー、何ぼーっとしてるのよぉ」 間延びした少女の声とともに、シルフィの眼前で、ガレキが粉々に消し飛んだ。 「あなたが怪我をしたら、わたしがフェイト様に怒られるんだからぁ。気をつけてよねぇ?」 闇の中にいれば溶け込んでしまいそうな、真っ黒な服を着ている。そのくせ肌は雪のように白い。紫色の髪に、紅い瞳。シルフィよりも四、五歳は年下に見える少女が、そこに立っていた。 「……誰?」 いつの間に部屋の中に入ってきたのかも分からないし、そもそもこんな場所にいることすら不自然である。シルフィは思わず、疑問をそのまま口にした。 少女は、年に似合わない妖しい微笑を浮かべて、告げる。 「わたしはリヴ。本名よりも“夜闇の仮宿”の方が有名なんだけどぉ……どっちでもいいよねぇ。どうせ知らないだろうしぃ」 勝手に納得して、少女、リヴはさっさと話を切り換える。 「そんなことより、あなたに聞きたいんだけどぉ。フェイト様を知ってるよねぇ? 今、どこにいるのぉ?」 「フェイト……? ……あなた、まさか――」 「そう、そのまさか。わたしは魔族。フェイト様とおんなじ。あなた、見かけによらずけっこう察しがいいのねぇ」 からかうような笑いを漏らしながら、リヴはそう言ってくる。シルフィはふと怪訝に思う。見かけによらずというのはどういう意味だとか、そういうことも考えないでもなかったが、それよりもフェイト“様”とは何なのか。そりゃあれでも一応元魔王なのだから、様呼ばわりする奴が一人二人いてもおかしくはない。だが、理屈ではそう分かっていても、やはりあの男が様付けで呼ばれることに違和感があった。 「……ねえ、あなたフェイトの何?」 「……」 尋ねてみるが、リヴは答えを返さない。 首を傾げて、頭一つともう少し分背の小さい、彼女の顔を覗き込もうとして、 「――!?」 いきなり吹っ飛ばされた。全く何の対応もできず、シルフィは背後の壁に叩きつけられる。ただでさえ弱っていた体が悲鳴を上げて、口の中に血の味が広がった。 「……っつぅ」 ガレキの山に倒れこんだと同時、リヴの、一応は怒りを抑えている声が聞こえる。 「あなたは何様? フェイト様を呼び捨てにして、その上わたしをフェイト様の“何か”呼ばわりするなんて……人間のくせに、あなた生意気。殺して欲しいの?」 何をいきなりキレているのか見当もつかないが、はっきりしているのはリヴが魔族であるということと、少なくとも自分を簡単に吹っ飛ばせるくらいの力は持っているということだ。怒らせてはまずい。多分、この少女はその気になったら本気で自分を殺そうとする。 シルフィはそう考えて、慎重に口を開いた。説得しようとかそういうつもりはない。下手にそんな真似をしたらそれこそあの世へ直行してしまうし、そうでなくてもまた怒らせる可能性は多分高い。ここはシルフィ自身の言葉を伝えるよりも、 「……わ、わたしを傷つけたら、フェイトに怒られるんじゃなかったの……?」 リヴが自分で発した言葉を、そのまま口にした。 またフェイトを呼び捨てにしたことで、リヴは一瞬眉をひそめる。が、その直後にふと怪訝な顔になり、見る見るうちに「しまった」という感情が露になった。 「あ、あぁ! ちょ、ちょっと、何勝手に怪我してるのよぉ! フェイト様に怒られちゃうよぉぉ!」 自分で吹っ飛ばしておいて「勝手に怪我してる」とはずいぶんな言い草だが、とりあえず怒りの矛先をずらすことができて、シルフィはほっと安堵の息を漏らした。 一方、リヴは安堵する余裕など欠片もないようで、泣きそうな顔でオロオロと周囲をせわしなく見回している。さっき見せた冷酷な表情が嘘のようなうろたえぶりだったが、どちらかと言わなくても可愛らしい少女の外見。キレて他人を脅すよりも、こうした仕草の方がよほど似合っていた。 その様子に苦笑して、シルフィはつい口を開いてしまう。 「大丈夫よ、そんなに大した怪我はしてないし……フェイトには怒らないよう言っておくから。ね?」 と、言ってしまってから、万死に値するような失言に気がついた。慰めるような、リヴ風に言うなら『生意気』な言葉。三度フェイトを呼び捨てにし、しかも今度はあろうことか子供扱いまでしている。 ……死刑確定? 顔から血の気が引いていくのを感じながら、シルフィは固まった頭でそう思う。が、 「……本当ぉ?」 涙をためた上目遣いで、リヴはか細い声で一言そう言った。シルフィの言い方など気付きもしかなった様子だ。フェイトに怒られるのがよほど怖いらしい。 まあ確かに、キレたらあれほど怖い奴もいないだろうけど……だが、普段のフェイトを考えれば、怒ると言ってもそんなに大したことはしないような気がする。一体何が怖いのだろうかと、シルフィは不思議に思う。 今のリヴになら聞いても大丈夫かもしれない。そう考えて、シルフィは尋ねようとして、 「……やっぱりダメ」 そんな言葉に遮られた。 「ダメ? 何が?」 「あなたが何を言ったって、フェイト様が本気で怒ったら関係ないんだもん! フェイト様が他人の意見なんか聞くのは、本気になってない証拠なんだもん! フェイト様は、本気になったら誰が何を言おうと聞く耳持たないのよぉ!」 そう叫んで、リヴは頭を抱えてうずくまる。あの男の一体どこがそんなに怖いのか、シルフィはやはり不思議で仕方なかった。確かに、リヴが言うような傍若無人な部分はありそうだし、他人の意見など笑顔で聞き流すのは、フェイトの世話係と務めていた身としてうんざりするほど分かっている。だが、『怒ると怖い』というイメージは全く湧いてこなかった。 まあ、シルフィはリヴが知っているであろう、魔王としてのフェイトを知らない。ひょっとしたら、魔王をやっていた頃のフェイトは、事あるごとに本気で怒ってリヴを震え上がらせていたのかもしれない。 「あの……そんなに怖がらなくても、フェイトならわたしが何とかするから。あいつを一発で黙らせる言葉、ちゃんと知ってるから」 ガタガタ震えているリヴに、シルフィはそう声をかける。 まさかとは思うが、フェイトが激怒してリヴをどうにかしようとする可能性も……まあ、多分絶対に確実にないだろうけど、完全にないとは言い切れない。もしそうなったときは、シルフィはフェイトにこう言うつもりでいた。 『もしその子に傷を一つでもつけたら、もう絶交だからね!』 仲間欲しさに魔王を辞めたフェイトである。目下唯一と言ってもいい人間の知り合いにそう言われれば、さすがに少しは考えるだろう。 救いの言葉にすがるような目をするリヴを、シルフィはもはや憎むことはできなかった。吹っ飛ばされたのはかなり効いたが、まあ子供のやったことだし、と納得してしまう。こんな、建物の半分近くを破壊するような登場の仕方も、子供のやったことと思えば…… 「……ところで、どうしてこんなに派手な登場したの? 普通に正面から入って来れば良かったのに」 自分の他にも負傷者は確実にいるであろうこの状況は、さすがに『子供のやったことだし』では通らなかった。シルフィは少し目を細めて尋ねる。 ……だが、リヴは返事をしないどころか、そもそも聞いていなかったとしか思えないようなことを口にした。 「……逃げちゃお」 「は?」 「……フェイト様に見つかる前に、あなたの怪我を治すの。それまでフェイト様から逃げるの! うん、もうそれしかないよね!」 「いや、それしかないよねって言うか、わたしの質問に答えてよって言うか、フェイトが相手じゃどこに逃げたってムダな気がするって言うかひょっとしてずっとそれ考えてたの?」 「つべこべ言わないのぉ! ほら、早く早く、フェイト様が来る前に!」 「そもそもあなたフェイトを探しに来たんじゃ……って、ちょ、ちょっと待っ――」 問答無用にリヴはシルフィの腕を取り、信じられないような力でぐいぐい引っ張って行く。だが、シルフィがいた部屋は外に地面がないわけで、地面に着くには数十メートル下までダイブしなければならない。 当然、リヴは端で足を止める。一体どこから逃げる気だろう。まさか、飛べたりするのだろうか……シルフィがそう考えていると、 「――エヴリス、行くよぉ!」 「……へ?」 リヴは大声で叫ぶと同時に、虚空へと身を投げた。 当然、シルフィの腕は掴んだままである。 「い――いやああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!?!!??!」 今までアレスたちと一緒に大抵の危険は経験してきたが、さすがにダイビングはやったことがない。ぐんぐん迫り来る大地がやけに鮮明に見えて、ああもうすぐ死ぬのかなどと思う暇もなく頭の中が真っ白になって、 ドォンッ! という衝撃に、思わず目を瞑った。そのまま、襲ってくるであろう痛みを待つ。 ……が、痛みはいつまで経ってもやってこなかった。 代わりに、強烈な風が感じられた。恐る恐る目を開けると、 「……ぅえ? うえええええええええええぇぇぇぇぇぇ!?」 景色が、猛スピードで後ろにすっ飛んでいった。 リヴはシルフィを掴んだまま、凄まじい速さで森の中を駆けていた。そこらの獣なんか問題にもならないような速さ。信じがたいことだが、着地した衝撃など物ともしていないらしい。 ところで、シルフィはまだリヴに腕を掴まれたままでいる。つまり地面に足がついていない。荷物よろしく引っ張られている。当然、リヴが左右に動くたびに、その何倍かの幅でシルフィは左右に揺さぶられることになるわけで、 「いえあえあああああああああえあああああああああああああ!?!?!!!!?!!」 一度など、大木の木肌が目の前を通過した。つま先にかすった感触が妙に印象に残り、シルフィが感じた恐怖はそのまま悲鳴となって口から出る。 「……もぅ、うるさいなあ」 呆れた声でリヴが言ってきたが、そんなものを気にする余裕があるなら、そもそも悲鳴など上げていないというものだ。 「だだだだだだだだだだってぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!! ちょっと一回止めて止めて止めてぇぇぇぇええ!?」 「やだよぉ。そんなことしたらフェイト様に追いつかれちゃうじゃない」 「ひいいいややああああああああああああ!!」 実際のところ、どんなに速く走ったところで、風や雷になれるフェイトが相手では全く無意味である。素直に謝った方が、まだ害が少ないだろう。少し考えれば分かることだが、そこらへんはまだ子供と言うか、リヴは思いつかなかったようだった。 と言うか、このまま走り続けてもし自分が木にぶつかったりしたら、さっきの襲撃など問題にならないような怪我を負うと思う。むしろ死ぬ。ほぼ確実に即死する。そういうことをシルフィは言いたいわけだが、風圧が邪魔でなかなか声が出ない。 その間にもリヴは木々の合間をぬって走り続け、着実にシルフィの寿命を縮まらせていく。恐怖で寿命が縮まるというのが真実ならば、この数秒間で十年は縮まっただろう。 「ちょっ……お願っ……止め……ってぇ!!」 もはや言葉になっていないのは自分でも分かった。こんなことでは、リヴは絶対に止まってくれない。 ――と、思いきや、 「……」 「うひゃえ!? な、ど、どうし――」 「静かにして」 リヴは突然立ち止まり、反動で前へ飛び出そうになったシルフィの口を掴んで止めた。 いきなりのことに頭がついていかないシルフィに、リヴは小声で告げる。 「誰かいる。……一人じゃない。少なくとも、十人以上」 「え? で、でも、ここって森の中よ?」 「そんなこと言っても、いるんだから仕方ないでしょぉ。少し見てくるから、絶対にここを動かないで。逃げようとしたら殺すからねぇ?」 さりげない脅し文句を置いて、リヴは音もなく、森の中へ姿を消した。 それをしばらく呆然としたまま見送った後、シルフィは不意に膝をついた。展開の速さに体も頭もついて行けていない。少しでも休んで、状況を整理したかった。 手近な木に背を預けて、座り込む。 息を吐き、まず現在の自分の状態を確認する。体力は大分回復してはいたが、まだまだ本調子というわけにはいかなかった。体を動かすのにも、わずかな気だるさを感じる。 今の状態で、あのリヴという少女から逃げられるか――答えは笑ってしまいたくなるほど明白だった。仮に絶好調のシルフィだったとしても、あの驚異的なスピードから逃れる術など持っていない。 おまけに、彼女は建物を半壊させるような攻撃力まで持っているのだ。多少の小細工など物ともしないだろう。 結論。フェイトが気付いてくれるまで、リヴには従うしかない。アレスたちではリヴは絶対に言うことを聞かず、流血沙汰の大惨事になることが必至だ。あの少女を穏便にどうにかできるのは、おそらくこの世でフェイトただ一人。 ……それにしても、リヴは一体フェイトの何なのだろう。恋人という線は……年齢差やリヴの言動から考えて、ないと見ていい。むしろ、ひょっとしたらそれほど近い関係ではなかったのかもしれない。何しろ、魔王の塔にいなかった。近しい立場の者なら、塔に一緒に住んでいたはずだ。 たまに訪ねてくる妹のような存在……そんなところだったのかもしれない。外見が人間の魔族など、シルフィはフェイトとリヴしか知らない。色々と肩身が狭い思いもしただろう。二人の間には、言葉に表せない仲間意識でもあったのではないだろうか。 それこそ、本当の兄妹のような――シルフィがそう思った、そのときだった。 すぐ横の茂みが、ガサガサと音を立てた。シルフィはハっとして身構える。リヴが帰ってきたのか、それとも、彼女が言っていた者たちの誰かなのか。 こんな場所にいる時点で、カタギでないことは容易に知れる。ひょっとしたら、シルフィにとってあまりよろしくない相手かもしれない。 術を使えば多少は抵抗できる。時間を稼げば、リヴが戻ってきてくれるだろう――そう考えながら、茂みから姿を現した人影に対峙する。 「……あ?」 「……え?」 シルフィとその相手は、同時に間抜けな声を上げた。 知った顔である。焦げ茶色の髪に、幼い顔立ちの青年。これでもシルフィより三つ年上で、二十歳を待たずに階級職に就いているという、エリート中のエリートである。 「……ラト兄ちゃん?」 「シルフィ? どうして……」 ラト・ラッツォ。 聖騎士の称号を持つ、シルフィの兄のような存在。 シルフィが故郷に残してきた、数少ない大切な人間の一人である。 「な、なんで? なんでラト兄ちゃんがこんなところに?」 わけが分からないまま、シルフィはそう問いかけた。聖騎士が、こんな田舎の森の中にいる――これは異常なことなのだ。 よほどのことがない限り、聖騎士は国の外には出ない。文武両道を極めた希少な人材を、おいそれと外に出すことはできないというのが理由だ。聖騎士は、一人一人が他国の将軍並の実力を持っているのである。 宗教国家であるシルフィの故郷は、聖騎士の力がある故に他国の侵略、干渉を受けずにいる。元々小さな国なので、力がなければたちまちのうちに近隣の大国に飲み込まれてしまうのだった。名実共に、国の守護の要なのである。 聖騎士であるラトが、こんな森の中をウロチョロしていていいはずがない。一体如何なる理由でここにいるのか、シルフィは困惑しながら考えて、 「なんでって……お前を探しに来たんだよ。この先の町にそれらしい娘がいると聞いたんだが、まさかこんな場所で会うとは思わなかった」 嘆息しながら答えを言い、ラトはシルフィの手を取った。 そして、そのまま引っ張って行こうとする。 「え?」 「え? じゃない。国の皆に心配かけやがって。帰るぞ」 帰る。 どこへ? などと聞くまでもない。そうだ、聖騎士が国を出てまでやらなければならないことなど、考えられるのは一つしかない。 ――巫女を探し、連れ戻すことだ。 「ら、ラト兄ちゃん! ちょ、ちょっと待って! わたしは――」 「やかましい。冒険ごっこはもう十分だろう。あまり軽率な真似をするな。お前は国の巫女なんだぞ」 「ぼ、冒険ごっこ……? 何それ!? 別に遊びのつもりで国を出たわけじゃないし、大体巫女になりたいだなんてわたしは一言も言ってないじゃない!」 「お前がどんなつもりだろうがな、国の皆はそんなこと関係ないんだよ。お前仮にも王族だろう!? だったら、きちんと責任を果たせ。お前は巫女で、椅子に座って微笑んでるのが仕事なんだよ。今までずっとそうして来ただろう。これからもそうすればいいだけの話だ」 そうしている間にも、ラトは有無を言わせぬ口調でシルフィを引きずって行く。抵抗してはいるのだが、旅に出てから半ば当然のようについた体力も、同じように鍛えてある男の前では全く無意味だった。 「ラト兄ちゃん! 待ってよ、わたしはもう――」 なんとか止まってもらおうと口を開き、その声に反応するかのように、ラトが急に足を止めた。 ようやく話を聞いてもらえるのか。そう思ったシルフィだが、実際は違った。 ラトの前に、小さな人影が立ちはだかっていたのだ。 「……リヴ…ちゃん?」 ちゃん付けで呼んだりしたらまたキレられるかな……などと思いながらも、他の呼び方が思い浮かばないのでそう呼ぶ。幸い、リヴはそんなことを気にすることはなかったが。 「その子をどうするのぉ?」 「……誰だ、お前は。ただの子供じゃないな」 ラトは一旦シルフィの手を離し、腰の剣に手を添える。鋭く誰何しながら、リヴのことを睨みつけている。 が、リヴは無表情でそれを受け流して、 「わたしが先に質問したの。ねぇ、その子をどうするの?」 「……家へ連れて帰るだけだ。お前には関係ないだろう、そこをどけ」 こんなところで時間を使ってはいられない――そういった意思が丸分かりのラトの言葉だった。 シルフィはしめたと思う。自分が連れて行かれることを、リヴは許さないはずだ。戦闘になってしまっては困るが、ともかくこれで少しは時間が稼げる。その間に何とかラトを言いくるめなければ―― 「……そぉ」 「へ!?」 リヴは静かに呟いて、あっさりと道を譲ってしまった。 「ちょ、リヴちゃん!?」 当然のように歩き出すラトに引きずられながら、シルフィは藁にもすがるような思いでリヴの方を見る。 リヴは、冷めた目でこちらを見て、 「……あなたは、帰る家を残してるの?」 「……え?」 唐突にそう問われ、シルフィは返事に窮する。その間にも、ラトにどんどん引きずられ、リヴとの距離は広がってしまう。 「もしそうなら、あなたにはフェイト様と一緒にいる資格も、旅をする資格もない。これからも旅を続けたいなら……まず、置いてきたものを捨ててきなさい」 最後に聞こえた言葉は、意味不明の説教だった。 風になって探索することしばし。森の中で一人ぽつねんと立っているリヴを発見したのは、それなりに時間が経ってしまった後だった。 「リヴっ!」 姿を元に戻して、呼びかける。一瞬呆けた顔をしたリヴは、たちまちのうちに表情を歓喜に染めた。 「フェイト様ぁ!」 こちらから向かうまでもなかった。持ち前の凄まじいスピードでリヴは一気に距離を詰めてきて、避ける間もなく首にしがみついてきた。この少女と会うたびにいつも思うのだが、もう少し加減というものを学んで欲しい。今回は外れたようだが、たまに彼女の腕がモロに首を直撃することがあり、呼吸困難に陥ることがしばしあるのだ。まだ小柄だからいいものの、成長してそれをやられたら確実に死んでしまう。 「フェイト様ぁ、お久しぶりですぅ!」 「あ、うん、うん、久しぶり……なのはいいんだけど。リヴ、ちょっと聞きたいことがある。分かってるね?」 バカ力そのままに首を絞めてくるリヴを苦労しながらなんとか引き剥がして、フェイトは少女を軽く睨んだ。 リヴも、自分がしでかしたことを思い出したのだろう。「あ……」という顔になって、次いで誤魔化すような笑みを浮かべる。可愛らしいものであるが、それなりに長い付き合い。そんなものでは気も逸らされることはない。 「サイゾウたちのアジト……って言っても分からないか。リヴがぶっ壊したあの建物。幸い死者は出てなかったみたいだけど、怪我人はいるみたいだよ。説明してくれるよね、どうしてあんなことをしたのか」 「え、え〜っとぉ〜……」 「僕が、意味もなしに何かを壊したりすることを嫌ってるのは知ってるよね?」 「は、はいぃ……あのあの、仕方なかったんですよぉ。最初はわたしも穏便に壁をちょっとぶち抜くだけにしておこうかと思ったんですけど、見張りの人に見つかっちゃって……それで慌てて、つい……」 「つい、ね」 「はいぃ……」 「……」 「……」 「……何か言うことは?」 「……ごごごご御免なさいぃぃぃぃ!! はは、反省してますから、許してくださいフェイト様ぁ!」 ペコペコとしきりに頭を下げるリヴ。自分の前ではいつもこんな感じだけど、シルフィには多分偉そうにしてたんだろうなと思いながら。そのシルフィが今のリヴを見たら、きっと目を疑うんだろうなと思いながら、フェイトは周囲を見回して、 「……シルフィは?」 「もうこんなことはあと一回か二回くらいだけにし……はい? しる……?」 「ああ、僕の仲間の女の子。一緒にいたんだよね? トイレにでも行ってるの?」 そう言いながらリヴの顔を見て、フェイトは軽く驚いた。 さっきまでの態度が嘘のように、リヴは冷たい顔をしていた。 「……あの子なら、連れて行かれましたよぉ」 「……え? ど、どういうこと?」 予想もしていなかった答えに、フェイトはつい問い詰めるような口調で尋ねてしまう。が、リヴはリヴでそんなこと知ったことではないように、 「わたしもよくは分からなかったんですけどぉ。どうも、あの子の家族か何かみたいでした。家出娘を連れ戻しに来たとか、そういうのじゃないですかぁ」 「ないですかぁ、って……リヴ、それを黙って見てたの? どうして!?」 「戻れる家族を残しておきながら旅をしようだなんて、舐めているにもほどがあると思ったんです。だってそうでしょ? フェイト様は、旅をするために魔王の地位も住む場所も全て捨てたのに、あの子はそれを残してるんです。許されることじゃないですよぉ」 「……リヴ、シルフィは別に――」 「別に……何ですか? フェイト様、あの子と会ってからまだ一ヶ月も経ってないんですよ? 庇えるほど何かを知ってるんですか? 旅をする理由とか家を捨てた理由とか、そういうのを全部知ってるんですか?」 ……いつになく噛み付いてくる。 自分の言うことには大体無条件で頷くリヴにしては、珍しいことだ。しかも、リヴにはほとんど無関係のはずのシルフィのことで。 「……リヴ、他にも何かあるんだろ?」 「……」 リヴは、しばし下唇を噛んだまま黙っていた。 「……わたしは、残された方の気持ちがよく分かります」 そして突然、そう言ってきた。 「あの子を連れ戻しにきた男の人の気持ちが、わたしには分かるんですよぉ……フェイト様ぁ。大切な人に置いていかれるのって、凄くつらいことなんですよぉ? どうして置いていかれたんだろうとか、わたしのこと嫌いになったんじゃないか、とか、色々嫌なことを考えちゃうんですよぉ。……フェイト様ぁ」 フェイトを見上げたリヴは、瞳に涙をためていた。 うっすらと涙をためた瞳が、フェイトを真っ直ぐに見つめてくる。リヴの泣き顔など何度も見てきたが、今のリヴはそのどれよりも悲しそうで、不安そうだった。 「……どうして、わたしを置いて行ったりしたんですかぁ? わたしのことは……もう、嫌いですかぁ?」 悲痛な声の問いかけ。 もちろん、フェイトはリヴを嫌いになってなどいない。置いて行ったのは、魔王を辞めて人間として生きるというヤクザな選択に、彼女を巻き込むようなことはしたくなかったからだ。自分と違って、彼女は魔族としての生活に疑問を感じてなどいない。それまで通りの生活の方が、彼女は幸せになれる。そう思ったのだ。 まさか、彼女の中を占めている自分が、ここまで大きいとは思わなかった。 今更ながら後悔するフェイトに、リヴはそっと抱きついてくる。さっきのような勢いも力もない、心細い抱擁。 「……フェイト様がいなくなってすぐ後、エヴリスと一緒に探し回ったけど……フェイト様はわたしなんかよりずっと速いし、世界は広いから、もう二度と会えないんじゃないかと思って……そう思ったらすごく寂しくなって、泣きそうになって……」 必死に抑えてはいるようだが、それでも分かる。……涙声だ。 「……言うことなら何でも聞きます。口答えも、文句も、何も言いません。死ねって言うなら今すぐ死にます。だから……だから、わたしを置いて行かないでください……」 自分は、そんなに悪いことをしたのだろうか。 自分の選択は、この少女をこれほどまでに悲しませるものだったのか。思いもしなかった展開。幸せになって欲しかったからこそ、道を分かったはずなのに。 ……魔族の中で唯一心から笑い合えた、たった一人の――僕の、妹だったはずなのに。 「……ごめんね、リヴ」 フェイトはリヴの頭を撫でながら、静かに言った。 「約束する。僕は、もう二度と、君を置いて消えたりしない」 リヴがその言葉に顔を上げる。呆けたような表情はすでに涙と鼻水でぐしゃぐしゃに汚れていて、 その直後、それは更に汚れることになって、 「……フェイト様ぁ!」 森の中に、少女の声が木霊した。 |
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