出来損ないの支配者

 

 お願いだから、アレスたちには手を出さないで欲しい。

 涙ながらに懇願して、シルフィはようやく、それだけをラトに約束させた。

 できれば国の皆や両親には帰国を隠して欲しいとか、と言うかもう国には帰りたくないとか、自分にも自由はあるとかそういうことも言ってみたりしたのだが、それら全ては却下された。隠していたのでは連れ帰った意味がない。シルフィが帰ることを、国民の皆が望んでいる。王族は自由と引き換えに楽な暮らしができるのだ云々……

 別に王族として楽な暮らしなどしたくはなかったが、とにかくシルフィがいないと国が不安定で仕方ないらしい。巫女一人の不在で不安定になるような国が間違っているという気がするが、そんなことを今言っても始まらない。

 とにもかくにも、一度シルフィが帰って国を安定させるのが最善なのだ。

 シルフィとて、生まれ育った祖国を滅ぼしたいとは思わない。渋々ながら帰国を了承したのは、それが理由でもある。

 もう一つの理由は、言わずもがな、リヴの一言だ。

 置いてきたものを捨ててきなさい――どういう意味なのか、さっぱり理解できない。

 ……嘘をついた。本当は、しっかり分かっている。

 国を捨てろと言っているのだ。

 置いてくるのではなく、捨ててくる。逃げ隠れするのではなく、堂々と歩けるように。ラトのように追いかけてくる者を、ただの一人も出さないように。

 ……そう。魔王の塔を破壊して、やりすぎなほど後腐れのないようにしたフェイトのように。

 言いたいことは分かる。確かに今のままではアレスたちやフェイトに迷惑がかかるし、自分のことなのだから自分で決着をつけなければいけないのだろう。誰も何とかしてくれはしない。これは、シルフィの問題だ。

 国は捨てる。

 巫女も辞める。誰が何と言おうと、自分はそう決めた。

 そう言ってやればいいだけのことだ。監禁されたりするかもしれないが、巫女に戻る気にはもう二度となれないだろう。あんな暮らしに……変わることのない退屈そのものの暮らしに、自分はもう耐えることができない。

 ……できないのだが。

「……えーっと」

 感激を通り越して目が潤んでいたりする両親以下国の主だった者たちの視線に晒されていると、なかなかそういうことも言いづらいわけで。

「あーまあ、何て言うか……ただいま? いやまあ、またすぐ行くと思うむ!?」

 へらへら笑いながら言いかけたシルフィの口を、後ろからラトが塞ぐ。耳元で聞こえる小さな声。

「余計なことを言うな。今はただ帰ってきたことだけ報告すればいい」

「……」

「分かったな?」

 分かるわけがない。余計なことも何も、どのみち巫女として復帰するつもりなどないのだ。またすぐ出て行くと言って何がいけないと言うのか。

 と言うか、ラトと言い両親と言い、シルフィのことは巫女としか見れないのだろうか。妹、娘の帰国を喜んでいる素振りなどまるでない。全ては国のため。神のように崇められた巫女が帰ってきたことにしか、価値を見出していないように思える。

 ……いっそのこと、アレスと結婚しちゃったとでも言えば、諦めてもらえるだろうか。シルフィの頭の中に、一瞬そんな邪念がよぎる。

「……」

 少し考えてみたが、やめておいた。仮に言ったとして、この場の皆の反応は腹がよじれるほど可笑しいものになるだろうが、その後アレスが本気で命を狙われることになる。一応は宗教国家なだけに、神聖な存在を汚した者に対する罰則は凄まじいものがあるのだ。

 その他にも、魔王の仲間になることにしたとか(間違いではない)色々考えてみたが、どれもこれも状況を打破するには至らないものばかりだった。今は仕方ない。下手に刺激を与えるよりも、おとなしく従っていた方がいいだろう。

 シルフィが頷いたのは、そう考えたためだった。信用したのかどうかは分からないが、ラトは手を離す。

「まあ、とりあえず帰ってきました……不本意ながら」

 最後の台詞はボソリと呟いただけだったため、ラトの手が再び動くことはない。

「うむ。おかえり、シルフィ……必ず帰って来ると信じていたぞ」

 ラトがいなければ、それは裏切られていたはずなのだけれど。父親の台詞に、シルフィは皮肉にそう考える。

「帰ってきて早速だが、国の者にも姿を見せてやってくれ。お前の帰国を皆が待ち望んでいたのだ」

「あー、あの。パパ……じゃなくて父上。さすがに疲れてるんで、今日はできれば休みたいなー……なんて思ってるんだけど……」

 公式の場(つまり今だ)でも普段の口調が許されるという、異例の特権を持つシルフィだが、さすがに国王のことをパパ呼ばわりするのはタブーとされている。父上と呼ぶだけでも特別なのだ。本来は、陛下と呼ばなければならない。

 で、そのパパこと父上こと国王陛下は、

「む……むう。まあ良かろう。無理をして倒れられたりでもしたら元も子もないからな。お前の部屋はそのままにしてあるから、今日はゆっくり休むといい」

「はーい」

 皆まで聞かずに返事をして、シルフィはさっと踵を返した。こんな堅っ苦しい場所に長居は無用である。おぼろげながらなんとか憶えている城の地理を頼りに、かつての自分の部屋へ向かおうとする。

 と、

「……なんでラト兄ちゃんがついてくるの?」

 広間を出て、廊下を歩く途中。背後の足音にシルフィは振り返る。

「お前の術に対抗できるのは、俺くらいのものだからだ……分かってると思うが、また逃げられるわけにはいかないんだよ。ったく、俺だって疲れてるのに」

「休めばいいじゃん」

「お前のせいでできないんだよ」

 うんざりした口調から察するに、ラトの役目は、どうも部屋への見送りだけではないらしい。シルフィがぐっすり眠る間も、彼は起きてシルフィのことを監視しなければならないようだ。ご苦労なことである。

「こんな疫病神、今更見つけるからよ」

「俺も今心から後悔してるよ」

 いい気味だ。なんだか、久しぶりにスカっとした気がする。

「……何をにやけてる。あのな、言っておくが、お前の仲間が助けに来るなんてのは考えない方がいいぞ。検問を設けて、それらしい奴らは片っ端から捕らえるようにしてしまうからな」

「……そんなことして、アレスたち以外の人から恨まれたらどうするの?」

「元々この国には検問があるし、ここに来る戦士の類も多くない。お前がくっついて行った連中……男二人に女一人だったか。これだけ条件があれば多少は絞れる」

 現在では、そこに更に少年が一人加わっている。リヴが仲間入りするなら少女も追加だ。ラトの言った条件のうち、最後の項目は確実に通過できるだろう。

 もちろんそんなことは口にしない。何事もなく通過できるならその方がいいし、それに、相手があの五人では検問の兵士が気の毒だ。彼らの強行突破を防げる者など、この世界中を探してもそう多くはいないと思う。

 それに、アレスたちや、つい最近までシルフィ自身が常識というものを叩き込んでいたフェイトはともかく、リヴは危ない。勢い余って相手を殺してしまう様が、リアルに想像できる。フェイトが一緒にいれば大丈夫だとは思うが、万が一ということもある。

 ……待て。

 そうすると、リヴもまたフェイトやアレスやゲッソーやノエルと同じ、猪突猛進タイプのバカだということだろうか。ちょっと待てちょっと待て。そうすると、その手綱をとるのは一体誰なのだ。フェイト? いや、あれも根本的にはその他の四人と何ら変わらない性格だから……

「シルフィ? いきなりどうした? 疲れたようなため息ついて」

「……んー? 手のかかるのがまた一人増えたのかなぁ、と思って」

 怪訝顔のラト。シルフィはそれに苦笑して、

「こっちのこと。もう行こ。本当に少し疲れてるの」

「ああ……そうだ、シルフィ」

「何?」

「おかえり」

 唐突に。

 いきなり何を言うのかと、シルフィは思わず振り返る。ラトは、久しぶりに見る微笑みを浮かべながら、

「誰にも言われてなかったろ。せめて俺くらいは言ってやらないとな」

「あ……うん。ただいま」

 何となくそう返す。と、頭一つ分背の高いラトの手が、シルフィの頭の上にポンと置かれて、

「まあ、どのみちあいつらがここに来るまではしばらくあるんだ。せめてその間くらいはゆっくりしてもいいだろう? ここはお前の家なんだから」

「……うん」

 シルフィの返事に「よし」と満足げに頷き、ラトは前に立って歩き出す。

 ……しばらく見ないうちにずいぶんと冷たくなった。昔はあんなに優しかったのに。

 再会したときシルフィがラトに抱いた印象は、そんなものだった。さっきまでそれは変わらなかった。

 だが、今はこう思う。

 ラトは、少しも変わっていない。

 

 シルフィの故郷は、半鎖国状態の宗教国家である。

 清く正しくを地で行く国民ばかりのおかげで、旅人の評判はかなり高い。とにかく物価が安く、魔方陣を使った特殊な道具も数多く売っている。検問が厳しいことが唯一の難点だが、それによって治安が保たれている面もあるので、ごく稀に入国拒否される重装備の戦士たち以外からは特に文句も言われていない。

 イメージカラーは白。町も隅々まで舗装されていて、治安もほぼ万全。夜盗や追いはぎ、強姦魔などが絶えない他の国と比べると、正しく天国のような国である。

 ただし。

 この国の成り立ちは決して穏やかなものではない。むしろ、他国よりも流れた血の量は格段に多いと言える。宗教には反乱分子がつきものだが、この国は全て武力によって鎮められていた。

 暗殺、拷問、処刑。宗教国家と言えど、歴史を紐解けば、そんなことは当然のように行われている。

 他国と違うのは、それが現在でも秘密裏に行われている点だ。教えに疑問を持つ者、宗教国家という国のスタイルに異を唱える者。そういう者たちは皆、火種のうちにもみ消される。徹底的に、容赦なく。

 巫女であるシルフィが表なら、そういった汚れ役を請け負う者たちはさしずめ国の裏側。どういった連中なのかは国の臣しか知らない。聖騎士の影の仕事とも言われているし、公式には存在しないはずの集団がいるのでは、とも言われている。

 血塗られた歴史を現在進行形で持つ国。

 それがシルフィの故郷。宗教国家、イベリアである。

 

 検問があるのは半鎖国状態なのだから当然として、最近はやけにそれが厳しくなっている。

 もちろんその理由は、シルフィを取り戻しに来るであろうフェイトたちを捕まえるためだ。シルフィは、フェイトたちであれば強行突破など朝飯前であると考えている。実際その通りだ。人間の中でも屈指の実力者が三人に、ケタ違いの破壊力を持つ魔族が二人。名前もロクに出てこないような兵士に止められるわけがない。

 だが、それでも。暴れて無理やり入国したとなれば、ラトの耳にも当然入る。警戒はより厳重になり、フェイトたちはシルフィを取り戻すどころか、自分たちの存在を気取られないようにするのに精一杯になる。

 これが、ラトの考えた作戦だ。検問で捕まえられるならそれで良し。突破されたとしても、とりあえず現在位置は把握できるという二重の罠。

 ただし、これにはある一つの条件が必要不可欠である。

 ――フェイトたちが来るのは、検問を張った後でなければいけないということだ。

 

「……まさかこんなに早く来るとは、さすがに思ってないだろうね」

 “イベリア国内にある”宿屋の一室にて。フェイトは満足げにそう言った。

 シルフィとラトが帰国してから、一週間が経過した現在。それはつまり、フェイトたちが入国してから五日後ということになる。フェイトの言葉通り、これはラトもシルフィも、予想すらしていないことだった。

 何ゆえこんな超高速の移動ができたのかと言えば、

「リヴがいてくれて助かったよ。エヴリスじゃなければ、こんなに早く来ることはできなかった。ありがとう」

「えへへ……どういたしましてぇ」

 フェイトに頭を撫でられて、すこぶる上機嫌の少女、リヴ。彼女――正確には彼女と共にいるエヴリスが、一行を背中に乗せて夜な夜な移動していたのだった。人間など比べ物にするのもバカバカしい機動力。人間の足では数ヶ月かかるはずの道のりを、わずか二日で走破してしまったのである。

 夜闇の化身、エヴリス。

 その名の通り、夜にのみ姿を現す巨大な野獣である。彼らに昼間の世界はない。夜から夜へ、世界中を渡り歩く希少種。

 ただし、エヴリスの場合は少々事情が異なる。

 彼は仲間と違い、夜を求めて移動するということをしない。ある契約の下、昼間は仮宿の中で眠っているのだ――すなわち、リヴの体内に。

 リヴの魔法。他の生物を自らの体内に寄生させることで、その生物の能力をそのまま使えるようになるというもの。

 傷を負い、休息が必要だったエヴリス。非力で特技もなく、力が欲しかったリヴ。二人のニーズがピッタリと一致した形の出会いだった――と、フェイトは聞いている。確かに、リヴの魔法はリヴ一人ではほとんど使い物にならない。エヴリスにしても、昼間の世界で生きていけない体で、治療のための休養というのは無理な相談だったのだろう。それを考えると、リヴとエヴリスは、正に天の配剤のようなコンビに見える。

「また逃げるときも頼むと思うから、よろしくね」

「……」

 フェイトの言葉に、リヴはしかし困ったような顔をした。

「フェイト様ぁ。でも、あの子は……」

「分かってるよ。別に今すぐ連れて行くつもりはない。最終的な決定はシルフィに任せるし、ここに残るって言うなら、そのときはおとなしく帰るつもりだよ」

 シルフィのことについては、シルフィ自身に全て決めさせるということで一応は決着した。残された者――この国の人間を擁護するリヴはそれでも不満そうだったが、シルフィにだって選ぶ権利はあるということで、フェイトがどうにか納得させた形である。

「僕とリヴで奇襲を仕掛けて、シルフィさらって逃げるのが一番手っ取り早いんだけど……それだとシルフィの意思が全く含まれないし、それ以上にこの国へのダメージが大きすぎるからね。仕方ないけど、地道に少しずつ計画練るしかないか」

 フェイトがその気になれば、こんな国など一晩で滅ぼすことができる。と言うか、変化状態のフェイトに対抗できる者がそもそもいないのだ。形を持たないものと戦う方法など、人間は持っていない。魔法封じの魔方陣にさえ気をつけていれば、変化状態のフェイトは文字通り無敵なのである。

 雷にでもなって一晩中暴れていれば、それだけでこの国は滅びたも同然の状態になるだろう。エヴリスが姿を現せる夜ならば、シルフィの奪還……もとい、ほぼ確実に破壊されるであろう城からの救助はリヴに任せることができる。あとはアレスたちと合流して、何事もなかったかのように旅を続ければいい。

 たった一晩で事が済む、最も簡単で後腐れのない方法だ。国そのものを壊してしまえばさすがにシルフィを追うどころではないだろうし、復興できた頃には、シルフィを追いかける手がかりなど跡形もなく消えうせているだろう。

 ただ、これをやると、シルフィ自身から蛇蝎の如く忌み嫌われることになるのが目に見えている。シルフィを助けに来て、そのシルフィに拒絶されるのでは、本末転倒もいいところだ。

 まあそういうわけで、問答無用のテロ行為という選択肢は、満場一致で最初に消えたのだった。

 次点の策として、サイゾウたちのところでやったように、フェイトが連絡係となって脱出計画を練るというものもあった。

 だがこれは、シルフィの傍にピッタリと張り付いている男――ラトによって阻止されていた。何しろこの男、隙というものがない。一度など、空気に変化して城内を探っていたフェイトの方に目を向けてきた。さすがにバレはしなかったが……ほとんど皆無になっている気配を察知するなど、とても人間とは思えない芸当である。

 シルフィの前で姿を現したとしても、あの男にはすぐに察知されてしまうだろう。さすがは聖騎士と言うべきか、ラトはどうも、アレスたちとタメを張る超人らしかった。

 以上の理由により、当面の間は情報収集という形で、一行は町の中に潜伏している。アレス、ゲッソー、ノエルの三人は現在町で聞き込み中だ。フェイトとリヴは「常識に欠けている恐れがある」ということで、お留守番なのである。

「人間ってのは面倒だね」

「本当ですねぇ」

 留守番の理由が実はとんでもない侮辱であることにも気付かず、魔族二人は呑気にそんなことを言い合っている。

 

 曰く、これでやっと国も安定するだろう。

 曰く、巫女様が回復されたようで、本当に良かった。

 曰く、何となく雰囲気が変わったような気がするけど、まあ、病み上がりだからだろう。

 曰く、病弱ハァハァ。

 

 最後の奴はどうもあの後路地裏に連れ込まれていたようだが、そんなのはゲッソーもノエルも知ったことではない。

 それとなく聞き込んだ結果、どうもシルフィは、病気で臥せっていたということになっていたようだった。さすがに「逃げ出しました」などとは言えなかったようだ。ラトとか言う聖騎士がシルフィを探していた旅も、表向きはシルフィの病気を治せる名医を探していた、というものだったらしい。

 とにかくシルフィは帰還、もとい病気から復活したわけで、国の人間は一様に「これで国は安泰だ」と喜んでいる。前回訪れたときも似たような感じではあったが、今回はそれに輪をかけた妄信ぶりである。

 まあ、妄信と考えるのは、巫女とされていたシルフィの本性を知っているからであるが。

 無理やりついて来たものの、最初の一ヶ月ほどのシルフィは借りてきた猫状態で、はっきり言ってしまえば邪魔以外の何物でもなかった。思っていたものよりも旅がずっと辛いものだということもあったのだろう。ふらふらになりながらついて来るのが精一杯で、そのたびにノエルが言ったものだ。「送って行くから、辛いのなら帰ったらどうか」

 頑なに拒否され続けたことは、今でもはっきり憶えている。体力も実力も経験もないくせに、意地と頑固さだけは一人前で、ついでに言うと、アレスもゲッソーもノエルも、世間知らずの少女を一人置き去りにできるような人間ではないことを見抜いていたようだった。変なところでずる賢い娘なのだ。

 一ヶ月が過ぎ、二ヶ月が過ぎ。半年ほど経ってからだろうか。旅にも慣れて、シルフィは徐々に一行の中で目立ち始めてきていた。回復タイプの魔法に、ある意味魔法よりも珍しい術の使い手。才能は元々持っていた。急成長する要素は、十分過ぎるほどあったのだ。

 そして、その頃からである。シルフィが巫女の仮面をかなぐり捨てて、本性を現し始めたのは。

 遠慮というものを抱いていたとしても、半年も経てば完全に消え去る。シルフィを食い止める術はもはやどこにもなかった。三人一斉に突撃しようとすると、敵の反撃より先にシルフィの罵声が飛んで来たものである。真っ向からぶつかって行くだけなどと、お前らはサルか。例え砂粒以下の脳みそしかなかったとしても、少しは働かせろ。

 一人一人の力は強大なのだから、真正面からぶつかるなどということをしなくても、三方向から攻めればもっとスマートに勝てるはず。素人でも考えられる戦法であるし、数秒で蹴散らせるようなザコ相手にスマートも何もあったものではないという考えもあるのだが、怒れるシルフィに反論する術をノエルたちは持たなかった。前者を言えば「じゃあお前らは素人でも考えられるようなことすら思いつかなかったのか」、後者を言えば「そんなことを言っていて、いきなり強敵に出くわしたらどう対処するのか」 そう返ってくるのは目に見えている。

 はっきり言ってしまえば、やはりシルフィは、邪魔者だったのだ。それまでの自分たちのやり方にケチをつけ、妙な戦い方に無理やり移行させようとするうざったい奴。彼女の回復や援護が加わったことで戦術の幅が広がったのは確かだが、別にやり方を変える必要などどこにもなかった。

 無視しようと思えば無視できたし、どうにかしてしまおうと思えば、こちらは大の男が二人に女傑が一人。非力な小娘一人、どうにでもできたはずである。

 それをしなかったのは、三人なりの理由があるからだ。

 ノエルは、シルフィのことをうるさくも可愛い妹のように見ていた。わがままに付き合ってやっているつもりだった。面と向かって話し合ったわけではないが、おそらくアレスもゲッソーも、似たような感情を抱いていたはずである。

 シルフィの方がどう思っていても、ノエルたちの中では、シルフィはお客様のままだった。旅の途中で消えるであろう顔。国に連れ戻されるか、どこかの町に止まらせるか。いずれにせよ、旅が終わるそのときに、彼女の顔はないものと考えていた。

 ――あの日、あのとき、あのことがあるまでは。

「ねえ、ゲッソー。憶えてる?」

「あん?」

「あの日のこと。ほら、シルフィが初めて――」

 ……時間は、二年ほど前までさかのぼる。

 

 月の光も星の光もない、曇り空の夜だった。

 シルフィ十四歳。アレスたちに無理やりくっついて来て、そろそろ一年が経過しようとしている。旅にもようやく慣れてきて、口出しできるくらいには知識も増えて、さあやるぞ、と熱意溢れる時期である。

 本来ならば。

 ところが、今夜シルフィは、夕飯もそこそこに寝室に引き上げてしまっていた。アレスたちには疲れたと言ってある。実際、疲れていたのは確かだった。

 だが、本当の理由は、別のところにある。

 最初のころから感じてはいた、どこかよそよそしい、アレスたちの雰囲気。

 当たり前のことではある。いきなりくっついてきたお邪魔虫を相手に、好意的に接しろと言う方が無理な話だ。ここまで連れてきてくれただけでも、上辺は仲間として扱ってくれるだけでも、感謝しなければならない。それは分かっている。

 分かってはいるが、そういった理屈で割り切れるようなものではないことも事実だった。

 ノエルに帰ったらどうかと言われて、心が揺らがなかったと言えば嘘になる。思った以上に旅は辛いし、このまま迷惑をかけ続けるよりは……何度もそう思った。

 面と向かって言われたわけではないが、戦闘には参加できず、後ろでチョロチョロやっていたり、口を出したりするだけの役立たず。たまに回復役をこなしたりもしたが、何しろあの三人では、戦闘で傷を負うことなど滅多にない。シルフィなど、いてもいなくても大差ない存在なのだった。

 今日も、そうだった。

 ……帰ろうか。この一年の間に数え切れないほど頭をよぎった言葉が、再び顔を出してくる。暗い室内で、毛布に包まって、入り口に背を向けるようにして――

 ――扉の開く音。

 シルフィの心臓が跳ね上がる。落ち着け。ここは二人部屋だから、ノエルが戻ってきただけなのだ。何でもないことだ。このまま寝た振りをしたまま寝入ってしまえば問題ない。

「寝てるのか?」

 予想に反して、聞こえてきたのはゲッソーの声だった。

「みたいだな。本当に疲れてたのか?」

 こちらはアレスの声。“本当に”とはどういう意味だろう。まるで、シルフィが嘘をついているかのような……

 まさか、という思いが、一瞬浮かんだ。

 そのまさかだった。

「何となく私たちのこと避けてるみたいだったけど……気のせいだったかしら。今日のこと気にしてるのかと思ったけど」

「まあ……しかし、実際はあんなものだろう。元々素人なんだ、あまり期待する方がどうかしてる。最初のころと比べれば、かなり成長したしな」

「回復魔法は貴重なんだがなぁ。これでもうちっと力がありゃあ……いや、無理か。力と引き換えに手に入れたのが術なんだろうからなあ」

「……あまりうるさくしない方がいいな。俺たちも、もう寝よう」

 扉の閉まる音。

 一人が――ノエルが部屋に残っている。着替えでもしているのか、衣擦れの音がする。静寂の闇の中、その音はやけに耳に響く。

「……っ」

 泣き声を漏らさないよう、必死だった。

 

 なんとか仲間として認めてもらおうとして、良く言えば積極的な、悪く言えば厚かましい態度をとり続けて一年。限界が来たのだろうか。これ以上何をどうしても、この雰囲気を解消することは不可能なのだろうか。

 結局一睡もできなかった。ふらつきつつ歩みながら、シルフィはそんなことを考える。朝から気分が重く、アレスたちは元より、誰とも顔を合せたくない気分。だったら部屋で寝た振りこいていればいいというものだが、一応「大丈夫ですっ」という態度を見せておかないと、今度は心配という迷惑をかけることになる。

 何を考えても、と言うかむしろ、考えれば考えるほど暗鬱になる。はぁーっと盛大なため息をつきながら、こんな日は決まって運が悪いのよねえ、などと思う。例を挙げれば、ラトと喧嘩した日の翌朝には謁見の際に反乱分子の襲撃を受けた。両親に怒られた日の翌日は、気晴らしにとお忍びで町に行ったことがバレて更にこっぴどく怒られた。

(そう言えば、この間死にそうな目に遭った日も、寝覚めが悪かったんだな……)

 はは、と力なく笑って、シルフィは再びため息をつく。顔を合わせたくない。できることなら今日一日ベッドの上でウダウダごろごろとしていたいが、そんなことが通じるはずもないし、通じたらそれはそれでもの凄く嫌だし、そもそも口に出した時点で自分は一行のメンバーでいる資格を失う。

 ところで、気落ちしている人間というものは、得てして周囲が見えていないものだ。シルフィだけが例外というわけはもちろんない。俯き加減で歩いている人間が、目の前に現れた人影に気がつくはずがない。

「おはよう」

 だから、そう言われるまでアレスの存在に気がつかなかったとしても、それは仕方のないことなのである。

「うひゃあああ!?」

 朝っぱらから近所迷惑な声が、狭い廊下に響き渡る。

「ああああああれアレあれアレス!? どどどどしたの、こんなところで!?」

「……。いや、別に、部屋から出てきただけなんだが」

 困った顔で言われて見れば、確かにそこにはアレスとゲッソーの部屋の扉がある。アホらしいにもほどがあるような失態にシルフィは赤くなり、「あははははそうだよね部屋から出てきただけだよねわたし一体何言ってるんだろうね」と、「本当にな」としか言い返せないような、言い訳になっていない言い訳を口にする。

 シルフィとしては、今はアレスたちとは顔を合せたくない。この場は穏便にスルーして、散歩とでも言って外へ出てしまおう。朝食まではまだ時間がある。しばらくは一人でいられるはずだ――そう考えたとき、

「……んー。おう、シルフィか」

 狙っていたかのようなタイミングで、ゲッソーが扉を開けて出てきた。今起きたところなのか、欠伸をしながら豪快に目を擦っている。冬眠から覚めた熊のような印象。

「あ……お、おはよう、ゲッソー」

 挨拶をするシルフィの声は、微妙に一歩引いている感じがしたりする。

 実を言うと、シルフィはゲッソーが苦手である。そりゃ一年近く一緒にいるわけだし、苦手といっても、「できれば関わりたくない」とかそういったものとは全然別のものではある。単に比較の問題で、本当の実力はともかく見た目はまあ普通のアレスとノエルに比べ、ゲッソーは何しろでかい。上目遣いどころではない、見上げなければ顔も見れないほどの体格差。いわゆるマッチョであることも加え、他の二方と比べると近寄りがたい雰囲気があるのだった。

 それが見た目から来る偏見だということは、もちろん分かっている。だからこそ普通に挨拶も話もする。が、理屈では解決できない部分があることも事実だった。

「よく眠れたか?」

「あ、うん……」

 ごめん。ちょっと外の空気吸いたいから。

 そう言いたい気持ちは山々であるが、いきなりそんなことを言って逃げ出したら、避けているということがバレてしまう。それはいけない。雰囲気を心苦しく思っているのは自分だけ(だろう、多分)なのである。下手な真似をしては、アレスたちにまで同様の思いを抱かせてしまう。

 まるで示し合わせたかのように鉢合わせた男二人だが、まさか本当に示し合わせてなどいないはずだ。このままさりげなく、少し雑談でもした後に「ちょっと外出てくるね。朝ごはんまでには戻るから」とでも言ってやりすごせばいい。

 早くしなければノエルまで出てきてしまう恐れがある。シルフィは、さりげなくさりげなくと念じつつ、口を開いた。

「ごめん。ちょっと外の空気吸いたいから」

 できるだけ顔を合わせないよう、不自然ではない程度に早足に、シルフィは男二人の脇をすり抜けていく。首を傾げている様が視界の端にチラリと映るが、強引に意識の外に追い出す。

 雑談ができるくらいなら、最初から悩んでなどいないのだった。

 

 冷たい空気が心地よい。まだ少し残っていた眠気も吹き飛んだような気がする。

 目下睡眠中の町を、シルフィはぶらぶら歩いている。時折すれ違うジョギングのお兄さんや、体操しているお爺さんらと会釈しつつ、向かうのは町の中央にある小さな噴水だ。特に目的もない場合、シルフィはそういう場所に行くことにしている。

 悟られては、いなかったと思う。

 こう言っては何だが、あの二人は鈍感である。鈍感という文字には“バカ”とルビを振っても差し支えない。いや、表向きは普通の人間なのだが、時々アホかと思うようなミスを平気でやらかすことがあるのだ。そのために大怪我をしたことも何度かある。こいつらよく今まで無事に旅をして来れたなと思ったのも、一度や二度ではない。

 ちなみに、その時だけはシルフィの魔法が大活躍するわけだが、そもそもシルフィの魔法を使うというのは、誰かが怪我をしているというのとイコールである。手放して喜ぶことはできない。

 それはともかく、アレスたちは基本的にバカの部類に属する人種だ。昨夜の会話を聞くと、シルフィが何かおかしいことは察されてしまっている。だが、どうおかしいのかまでは気付かれていない。「疲れているだけ」くらい思われていないはずである。

 もし、この上何か気遣いでも受けたら、そのときはもう限界だと思った。適当に理由をつけて、どこかの町で暮らすなり何なり、とにかくアレスたちと離れることを選ぶことになるだろう。そう考えると、彼らの鈍感さは非常にありがたい。

 ……ありがたく、そして引導が渡してもらえないという点では、非常に嫌らしい。

 こんな、どう転んでも悩むしかないのなら、いっそのこと離れてしまってはどうか? という考えはある。大分前から持っていた。実際そうしようと決意したことも何度もあるし、もっともらしい理由も五つばかり用意してある。

 だが、本当にそうしたことはなかった。だからこそシルフィはここにいる。

 シルフィは思うのだ。ここでアレスたちと離れてしまったら、もう二度と、自分は外の世界に出ることはない。実力的には十分であっても、精神的に無理だろう。旅を続けたいと思うなら、なんとかこの状況を打破するしかないのだ。

「……」

 ……現在思わしくない状況下にある人間がそうするように、シルフィも昔を思い出す。まだ巫女をやっていた頃。ラトの目を盗んで町に遊びに行って、そこでアレスたちと出会ったのだ。色々な話を聞かせてもらった。それが、国を捨てさせるほどにシルフィを惹きつけた。話を聞くだけではない。自分自身が体験してみたいと思わせられた。

 そして国を捨て、実際体験して――待っていたのは、情けも容赦もないような“現実”だった。

 当たり前の話ではある。世にも珍しい回復魔法を使えようと、その上術まで使えようと、しょせんは外の世界を知らない箱入り娘に過ぎない。それも、不自由なことなど何もない暮らししか知らない王族である。そんな奴がいきなりプロの冒険者たちにくっついて行ったところで、足手まとい以外の何かになれるわけがないのだ。

 最初のころは、歩くだけで精一杯だった。戦闘などできるはずもない。後ろの方で、戦う前から息も絶え絶えで、三人が戦うのを見ているしかなかった。

 少しは旅に慣れてきて、それでもチマチマと術を使ってサポートする以外にやることがない。しかも、そのサポートも役に立っているとは言いがたいのだ。普通の場合なら援護役も必要となるのだが、とにかく三人の攻撃力がケタ違いのため、旅の途中に出てくるような魔物など数秒で一蹴してしまう。ダンジョンには危ないからと言って連れて行ってもらえない。

 前述の、シルフィが活躍できるような大怪我だって、戦闘ではなく事故によって負ったものが大半なのだ。

 結論として。現在のシルフィは、いてもいなくても大差ない、むしろ守らなければならない分足手まといな役立たず、という位置にいる。

 そんな状態を自覚までしている今、出会ったときに聞いた魅力的な冒険など、できるはずがなかった。

 自分が未熟なだけならまだしも、あの三人には援護や回復といった要素がほとんど不要であるという事実がきつい。それはつまり、シルフィが今後永遠に必要にならないことを意味しているのだ。知らず知らずのうちにため息が出る。

 ……帰るのやだなぁ。暗鬱な気持ちでそう考えていると、

「お嬢ちゃん」

 背後から、声をかけられた。

 振り向く。真っ白な髪に髭の、いかにもといった感じの笑みを浮かべた好々爺が立っていた。朝っぱらから正装である。

 今の今まで、背後に誰かいることすら気付かなかったのに――軽く驚くシルフィに気付いているのかいないのか、老人は話しかけてくる。

「何か悩み事かね? 私で良ければ相談に乗るが?」

 ……どうやら、さっきからため息をつきまくりながら歩いていたシルフィを見ていたらしい。

 好意はありがたかったし、実際相談に乗ってもらおうか、とも思った。が、時計を見ると、そろそろ戻らないといけない時間である。走らなければ間に合わないほどではないが、何かを打ち明けたりするには全然足りない。

「ありがとう…ございます。あ、でも、もう戻らなきゃいけないんで」

 ペコリと頭を下げて、脇を通り過ぎようとして――再び、老人の優しい声。

「それでは困るなあ。君には一緒に来てもらわないと」

「――え?」

 振り向く暇は、かろうじてあった。

 相変わらずの微笑みを浮かべた老人が目に入って、それきり、シルフィの意識が途絶えた。

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