出来損ないの支配者
| シルフィが帰ってこない。 良好とは言い難い雰囲気は察していたものの、悩みまでは気付いていなかったアレスたちである。当然のことながら、全員が、朝食の席にも姿を現さないシルフィを不審に思っていた。 何かあったのだろうか。 そういう空気が場を満たしているものの、誰も口に出そうとしない。シルフィが非力なのは、あくまで本格的な戦闘での話だ。そこらにいるようなチンピラくらいなら、シルフィでも術の一つで一蹴できる。町中でトラブルに巻き込まれたとしても、よほどのことでない限り、自力で抜け出して来れるはずだった。 シルフィではどうにもならないような事態が、町中でそうそう起こるはずもない。頭の片隅で、三人ともそう思っていた。何かあったのは確かなのだろうが、少し遅れてしまっているだけだろう。そうとしか考えなかった。 それを否応なしに改めなくてはならなくなったのは、昼食の時間を過ぎてからだ。 「……絶対におかしい」 三人が集った部屋の中で、アレスはそう切り出した。ゲッソーもノエルも、何の話かは承知している様子である。 「何か理由があっても、黙っていなくなるってのは、考えられねえよな……そういう性格じゃないしよ」 「誘拐でもされたかしら……でも、あの子ならそこらの誘拐犯なんか返り討ちにできるだろうし……」 ノエルの思案顔。彼女の言葉はつまり、そこらの誘拐犯ではない輩に誘拐された可能性を示している。国の追手に見つかったのか、あるいは全くの第三者か。 「追手なら、俺たちにも何らかの接触があるはずだ……何しろ巫女様を連れ去った重罪人だしな。そうでなくても、それらしい一団が来ればさすがに分かるだろうし……」 昨夜までは、確かにそんな集団はいなかった。真夜中に移動することなど考えられないから、来るとすれば昨日。だが、それらしい集団どころか、昨日は集団の旅人自体来なかった。 とすると、追手という線は消していい。 「怪我人でもいて、そいつの治療にかかりっきりってのは考えられねえか?」 ゲッソーが言う。確かに、シルフィの性格ならそういうこともありえるが、 「いくらなんでも遅すぎるでしょ。疲れて動けないってのも考えられないことはないけど、治した瞬間にシルフィが倒れるような重傷の人間が、朝っぱらからいるわけないし。それはないと見ていいと思うわ」 ノエルの反論ももっともではあった。擦り傷くらいの怪我人ならいるかもしれないが、その程度の怪我などシルフィには物の数に入らない。かと言って、全力を注いでようやく治せるような大怪我をした人間など、こんな朝からいるはずもない。 つまり、 「じゃあやっぱり……誘拐、か?」 とても信じられないという顔のゲッソー。実は、シルフィのことを一番目にかけていたのは、ノエルでもアレスでもなく、熊のごとき大男である彼だったりする。体格ゆえに昔から生傷が絶えなかった彼にとって、回復役というのは非常に貴重な存在であるらしい。今はまだ無理だが、そのうちシルフィがダンジョンにも同行するようになれば――とでも考えているのだろう。 確かに、貴重な人材ではある。成長すればどのパーティも欲しがるような人間になることは間違いない。それはアレスも分かっているし、彼女に期待していないと言えば嘘になる。 だが、期待はあくまで期待だ。 シルフィが最後まで旅の仲間でいることは、おそらくないだろうとアレスは思っている。今は何やら意固地になっているようだが、もう、そう長くはない。次か、その次か、そのまた次か。いずれにせよ、近いうちに彼女はどこかに留まることになるだろう。 なぜなら、彼女の旅の目的は、何をどう言おうと興味本位でしかないからだ。 旅をするというのは並大抵のことではない。冒険者であれば尚更で、町に着けずに野宿などしょっちゅうだし、いつ襲われるとも知れないダンジョンでは、眠れぬ夜を過ごすこともザラにある。興味本位で旅に出た者が、そういった環境に耐えられるはずがない。むしろ、よくぞ一年耐えたものだと感心さえしたくなる。 ここ最近のシルフィは、誰が見ても明らかに限界近い。次かその次くらいで、アレスは彼女に言うつもりでいた。君はここに残った方がいい、と。 素直に頷くならそれで良し。拒否したとしても、力ずくで置いていく。 どんなに素質があろうと、旅に耐えられなければ足手まといなだけだ。厳しいようだが、仕方ない。 ノエルには既に話してある。ゲッソーにはまだだが、今夜にでも話そうと考えていた。渋い顔はするだろうが、拒みはしないだろうと思った。ゲッソーは頑固ではあるが、筋の通った話を聞き分けられないようなバカではない。 ……だが。 そういった話は、全てシルフィを見つけた後だ。 「……とにかく、一通り町を探してみよう。ありえないとは思うが、どこかで迷っていることもあるし」 探してみないことには始まらない。ノエルとゲッソーが頷いたのを見て、アレスは扉に向かおうとして、 「――誰だ」 気配に気付いた。 扉の左手。部屋の隅。三人以外はいるはずのない部屋の中、そこには一人の子供がいた。短く髪を刈り込んで、帽子を被った少年。小鹿のような手足に、幼さの残るあどけない顔に、 ガラス玉をはめ込んだかのような、無機質な色の瞳。 子供ではない。どうやってここに入ったのかとか、ここにいる理由がないとかそういう問題以前に、こんな目をした子供がいるわけがない。薄っすらと微笑んでいるのがまた不気味さをかもし出している。こんな子供が実際に一人でもいるなら、断言できる。アレスは本気で世界の未来を危ぶむ。 「ほう。さすがに並の人間とは違うらしい」 子供らしからぬしわがれた声で、彼は言った。アレスはいつでも剣を抜けるよう、柄に手をかけたまま待機。ゲッソーとノエルもそれぞれ臨戦態勢をとっている。少しでも妙な動きを見せたなら、問答無用に斬り捨てる。 それを見て、少年は――笑みをより深くした。 「そんなに緊張しなくても、ここで事を構える気はないよ。それに、いいのかな? 私を殺したら、君たちの仲間のあの娘が永遠に帰って来なくなるぞ」 驚かなかったと言えば、嘘になる。 嘘になるが、驚愕を露にするほどのことでもない。誘拐されたことも、可能性の範疇に入れていたのだから。 シルフィは並大抵の相手には誘拐などされない。騙されて自分からついて行くというのも、意外に賢い彼女には考えられない。にも関わらずさらわれたなら、それは―― 「お前、魔族か」 「ほほ。察しが早いと助かる。その通り。小さいながら、ここら一帯の地域のボスをやっている」 「シルフィをどうするつもりだ、てめぇ」 憤慨を必死に抑えているような声で、ゲッソー。大丈夫かと思う。今の彼の状態では、ちょっとした挑発にも乗ってしまいかねない。 少年だか老人だか分からない魔族は、言葉が本心ならば、ここで暴れるつもりはないらしい。アレスは、とりあえずその言葉を信用することにした。どちらかと言うとゲッソーの方に注意を向けておく。 魔族は、笑いながら答えた。 「あの娘と言うよりも、用があるのは君たちの方だ。彼女は君たちに接触するための口実に過ぎない。だから危害は……まあ、できるだけ加えないようにしよう。と言っても、ウチは血の気の多い奴ばかりだから、今この瞬間あの娘が無事だという保証もできないがね」 実に愉快そうな笑み。 一瞬、今すぐ斬り捨ててやりたい衝動にかられる。が、アレスはそれを歯軋りしたくなる思いで押さえ込んだ。挑発に乗ってはこちらの負けである。最低でもこいつのアジトの場所だけは聞き出さなければ、シルフィを助けに行くこともできない。 「俺たちに何の用だ」 「おお、怖い怖い。そんなにあの娘が大事なのかな?」 「さっさと言え!」 「――口ばかり達者な、役立たずの小娘。そんなに怒る価値のある人間なのかね? あれは」 怒鳴ろうと開いた口は、しかし、声を発することはなかった。 今、こいつは何と言った? 「意外か? まさか、魔族の全てが行き当たりばったりに人間を襲うような輩だとは思っていまい? 相手の情報くらいは集めて当然。ここ数ヶ月、君たちをじっくり観察させてもらっていたのだよ」 こちらが相当面食らった顔をしているのか、魔族の笑みは本当に楽しそうである。アレスからゲッソーへ視線を移し、 「君はあの娘に何か期待しているようだが、早急に諦めた方がいい。見たところ、お互いに秀でたものを持っているが、それを打ち消しあってしまっているようだ。元々の相性が悪いのだな。成長してどうにかなる問題でもない」 「余計なお世話だ!」 思わずといった感じの、ゲッソー怒鳴り声。しかし、それはある意味、魔族の言葉がその通りであることを示していた。確かにシルフィの能力は、アレスたちの中ではあまり意味を持たない。 シルフィの力は、補助や回復が必要なメンバーがいてこそ活躍するものである。役割をそれぞれ分担し、互いをフォローしつつ戦うような集団――その中でなら、シルフィは目覚しい活躍を見せるだろう。何せ、回復と補助の両方を担当できるのだから。 しかし、アレスたちの戦い方は、力で持って叩き潰すというものである。回復も補助もあったものではない。 相性が悪い。その言葉は、実に的確に、すれ違い気味な今の雰囲気の原因を指していた。 「……何の用だ、と聞いている」 図星を言い当てられた悔しさを飲み込みながら、アレスは苦渋に満ちた声で言う。 「はっきり言おう。君たちは、邪魔なのだ」 「なに?」 意味をつかみ損ねて、アレスは聞き返す。魔族は茶化すようなことはせず、答えた。 「良い感じで暴れてくれて、実にけっこうなことなのだが。そろそろ君たちを目障りだと思う連中が出てきてね……まあ、そう言う私自身が、その連中の筆頭格なわけだが。そこで、結論が出たわけだよ。邪魔者は排除してしまえ、とね」 「……要するに、俺たちを消したいわけか? なら、どうしてこんな回りくどい真似を?」 邪魔であるなら、大軍を率いて潰してしまえば済む。それをせず、わざわざシルフィをさらいまでした理由が分からなかった。 「と言ってもね。私を含めて、私の部下は皆個々の戦闘力があまり高くない。君たち相手だと、返り討ちにされてしまう可能性があるし……それに、私はそういった泥沼的な戦い方が嫌いだ。やるならスマートに勝ちたいのだよ。自らの手を汚さずにね」 何が言いたいのか分からない。アレスがそう言うと、魔族は「これは失敬」と微笑み、こう言った。 「あの娘を私の住処に監禁しておくから、取り返しに来るといい。場所は教えよう。制限時間は特にないが、そう長い間あの娘が無事でいられるとは思わない方がいい。こちらは罠や集団で歓迎する。彼女を助けて、私を倒すことができれば君たちの勝ち。君たちが死んだら、私たちの勝ち。簡単だろう?」 「……」 ほんの一瞬だけ、考える。 考えるが、どのみち選択の余地などなかった。シルフィを人質に取られている以上、こちらとしては従うしかない。 背後を振り向き、ゲッソー、ノエルと一度だけ目配せし合ってから、アレスは魔族に問うた。 「で、場所はどこだ?」 余所者のアレスたちが言うのも難だが、何せド田舎の町なのである。周囲は森と山に囲まれ、規模だって村が精々なものでしかない。それでも町と呼ぶのは、住人たちが「町だ」と言い張るせいでしかない。 ともかく。 町の入り口から出て左に曲がると、山脈へ一直線の道がある。そこを真っ直ぐ進むことしばし。山の中腹に差し掛かったところに、何が書いてあるのかも、何を示しているのかも分からない、腐りきった木の看板がある。 それが、目印だ。 鬱蒼とした木々が立ち並ぶ森の中。道なき道を歩いて少しすると、視界は急激に開けてくる。隣の岩山に入るのだ。そこまで来れば、あと少し。 真っ直ぐ歩いていればすぐに見える。洞窟の入り口。魔族たちの住処で、罠と集団が間抜けな獲物を待ち構えているであろう場所。シルフィはあそこにいる……まだ、生きているならば。 「とりあえず、作戦でも立てておくか?」 普段は作戦も何もなく、ただ三人で突入しているだけなのだが。さすがに、待ち構えられている今回の状況で、それをやるのはあまりに無謀だと思った。アレスは洞窟の入り口を観察しながら、二人にそう問いかける。 「作戦っつってもなぁ……立てようがないんじゃねえか?」 ゲッソーの首を傾げながらの言葉。なるほど、確かに。敵地に突っ込んでいくときの作戦など、奇襲くらいしか存在しない。そして今回は奇襲などできようがない。 「ん〜、あ、待って。何かシルフィが言ってなかった? 戦うときの常識だ、とか言って」 思い出したように、ノエル。そう言えば何か言っていたような気もするが、正直聞き流している部分が大半だった。よく憶えていない。ノエルも同様らしく、「何だったかなあ」と眉根を寄せている。 だが、ゲッソーだけは、シルフィの言うことをちゃんと聞いていたようだった。 「あれだ。戦うときには、できるだけ三人が固まってろってやつ。バラバラになって各個撃破されたんじゃ、どうしようもないだろうって」 「……なるほど」 普段ザコを相手にしているときは興味もなかったが、この状況だと、ずいぶんと的確な忠告に聞こえる。今度からはもうちょっとちゃんと聞いてあげよう――そう密かに決心して、アレスは口を開いた。 「それじゃあ、行くか。シルフィの忠告通り、できるだけ全員固まっているように」 作戦と呼べるレベルの対策ではなかったが、それは仕方ない。頷き合って、洞窟の入り口に目を向ける。 見張りの姿は、見当たらない。 情けないことこの上ない。穴があったら入りたいというのは、多分今のような心境のことを言うのだろう。 使用頻度はそれなりに高そうな牢屋の中で、シルフィは文字通り頭を抱えていた。目が覚めてから数時間。その間、魔族どもの嘲りの声に耐えつつ、考えていたのはひたすら自分への責め言葉である。あんな簡単な罠にみすみすかかるなど、正気とは思えないミスである。正装をしている時点で、おかしいと気付くべきだったのだ。何か行事があるわけでもないのに、そんな格好をしているなどと。怪しさ抜群ではないか。一人でいたのがそもそもの不注意だったのかもしれない。ロクな戦闘能力もないくせに。ちょっとくらい雰囲気が気まずいからと言って、一人で外に出たりするからこうなるのだ。 普通に考えれば何の問題もない行為も、今のシルフィには全て自分のミスに見えてしまう。暗鬱になった人間が陥りやすい現象である。 「あーもう……わたしのバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ……」 「……早口言葉の練習かな? 見事なものだ」 半分からかい。半分は本当に感心しているような口調。そんな声の主は、心当たりがある。ここのボスだと言うあの魔族だ。 「……何の用よ。お金なら貸さないからね」 「少なくとも君よりは私の持ち合わせの方が多いと思うが……や、まあ、そんなことはどうでもよろしい。いやね。君のお仲間がどうやら来たようなので、それを伝えておこうかと」 「アレスたちが!?」 自分では「そんな!」というつもりで言ったのだが、どうやら魔族は歓喜の声と取ったらしい。ニヤリと笑って、告げてきた。 「あまり期待はしないことだ。彼らとてしょせんは人間。然るべき対応で臨めば、決して倒せない相手ではないからな。君は自分の身を案じていた方がいいと思うぞ。血気盛んな奴が、ここには大勢いる」 「大勢いる割には、今のところ誰も手出しして来ないけど……なんで?」 皮肉ではなく、純粋な疑問だった。戦闘能力が皆無な自分など、とっくに殺されていてもおかしくない状況である。そんなことを考えるのは憂鬱以外の何でもなかったが、事実は事実であるし、一度思ってしまうと忘れるのが困難である。この際なので、聞いてみることにしたのだ。 魔族は、笑った。 「美味いものは後にとっておくという嗜好の奴も多いものでな」 ということはつまり、シルフィは美味いものに分類されているらしい。まあ、不味いと言われるよりは嬉しいが(いや、全然嬉しくないが)一体どういう意味での美味いなのか。純粋に食べる意味でなのか、それとも…… ……いっそ一思いに殺してくれた方が、ありがたいかもしれない。嫌な想像が脳裏をよぎり、そんなことを考えてしまう。 「……」 「どうした? そんなに悲観することはないぞ。大人しくしていれば、少しは長く生き延びられるかもしれないからな」 ふー、と息を吐く。死ぬことなど、考えていても仕方ない。もっと建設的な思考を巡らさねば。 魔族の言葉を意識の外へ追い出そうとする。別のことに思考を集中させる。 アレスたちの助けは、考えない方がいい。向こうは向こうで、魔族の総攻撃をさばくのに精一杯だろうから。シルフィは自分の力でここを脱出しなければならない。 まず、この牢屋の鍵が開くかどうか。 イエス。こんな魔方陣も何も使っていないようなチンケな牢屋、術を使えば数秒で開けられる。 牢屋は開いた。次。見張りの手を逃れ、脱出することは可能か。 ノー。目くらましを使えば見張りくらいはいけるだろうが、他にもいるであろう魔族全てを欺くことは不可能。外へ脱出することは難しい。 それに、自分が外へ逃れても、それがアレスたちに伝わらないのでは意味がない。既にいない自分を助けるために彼らが奥へ進んでしまうという状況は、間抜けもいいところだ。かと言って、自分と彼らの間に、遠距離でも使える通信手段などない。 結論。最善の案は、合流すること。そのためには機会を待つ。アレスたちが戦闘を開始すれば、状況に何らかの変化があるはずだ。今はそれを待つ以外にない。 と、そこで、ずっと無視していた魔族の声が、耳に滑り込んできた。 「どうした? 今になって怖くなったのか? イベリアの巫女様ともあろう者が情けない」 「……っ!? どこでそれを知ったのよ!?」 聞かずにはいられなかった。シルフィの出奔は、イベリア国内でも国外でも完全極秘情報として扱われているはずである。一体、どこからそんな情報を手に入れたのだろうか。 だが、魔族の方も確信はしていなかったようで、 「やはりそうか。何、イベリアの巫女が姿を消したのと、お前があの三人組の仲間になった時期が、ぴったりと一致するのでな。回復魔法の使い手がそうゴロゴロしているわけもないし、ひょっとしたらと思ったのだ。そうか、お前があの有名なイベリアの巫女か……」 感慨深げに頷いている。何やら嫌な予感が、シルフィの背筋を走る。 「……回復魔法の使い手。滅多に手に入らないレア物だな。他の人間と同じ扱いをすべきではないか……?」 「ちょ、ちょ、ちょっと! 何勝手なこと呟いてんのよ! どんな扱いをする気よあんた!?」 「魔王様に献上するか? あの方は人間がお好きだから、喜ぶかもしれん……そうすれば私の株も上がるというもの……」 「魔王に献上!? 冗談じゃないわよ! そんなことになったら自殺するからねわたし!」 魔族どもの王、魔王。全ての戦士たちの最終目標にして、悪の権化。そんなものの慰み者になるなどと、巫女と言うか人間としてのプライドが許さなかった。 「まあ、そう早まるな。命は助けてやろうと言うのだ。悪い話ではないだろう」 魔王のお気に入りになった自分を早くも想像しているのか、魔族は不気味な猫なで声で話しかけてくる。 「魔王様は人間を気に入っている。お前のことも、おそらくは客人として歓迎するだろう。これは大変名誉なことだぞ?」 「何が名誉よ! 見え透いた嘘つくんじゃないわよ! 魔族のボスが人間を気に入ってるですって!? だったら何なのよあんた達の行動は! 気に入ってるならどうして手下に人間襲わせるのよおかしいじゃない!」 何を言ってるんだこいつ? という魔族の顔。演技ではない。本心から疑問に思っている表情だ。 にやにや笑うならともかく、そんな顔をするのは妙である。シルフィは怪訝に思い、尋ねようとして、 「――っ!?」 シルフィと魔族は、同時に同じ方向に顔を向けた。 「今の……?」 「……まさか、あの三人か?」 はたして、あの三人だった。 シルフィに言われた通り、バラバラにならずに、お互いが一定距離を保ったまま奥へと向かっている。 牢屋の類がどこにあるのか分からなかったので、意識だけは残しておいた魔族にさっき問い詰めておいた。最奥より少しズレたところ。シルフィは、そこにいるらしい。とりあえずは生きているようなので、アレスたちはほっと息をついた。 だが、シルフィが自分たちをおびき寄せるための餌なのであれば、その役目はもう終わっていることになる。急がなければ手遅れになってしまう。 三人の走る速さはほぼ一緒だ。ので、特に意識しなくてもペースを合わせることはできた。アレスとゲッソーが前に出て蹴散らして行き、その後ろでノエルが生き残った奴を片付けて行く。基本的な形は普段と同じだが、今回はそれを陣形のような形で実行している。 その効果は、目を見張るものがあった。 今回のような敵味方入り混じっての乱戦の場合、最初は役割分担ができていても、そのうちにバラバラになって、それぞれ好きなようにやるようになってしまうのが常だった。だが、こうして距離を意識しているだけで、三人の陣形は全く崩れずにいる。互いに互いをフォローし合えるので、驚くほど効率がいい。 ものの数秒で、もう何回目か分からない襲撃をさばいてのけた。体力にはまだ十分に余裕がある。いつもなら、こうも何回も襲われると、さすがに回復をしなければ体力が追いつかなくなると言うのに。 ここまでやられてはグウの音も出ない。シルフィの言葉は確かに有効なものだったと、認めざるをえない。 シルフィにしても、まさか実体験に基づいての発言ではなかっただろう。本か何か、誰かが言ったことをそのまま口にしていただけに過ぎないだろう。だが、それにも関わらず、彼女の発言はこうして現場を体験してきた自分たちの役に立っている。 それだけ勉強を怠ってきた――そういうことだ、とアレスはわずかに自嘲する。経験に勝る知識はない。それはそれで事実だが、経験だけが知識なのかと言うと絶対にそんなことはない。そんな当たり前のことに、目を背けていた。これまで何とかなったから、今更何かを学ばずとも、これからも何とかなるだろう。そう思っていた。 だが、シルフィの言葉がなければ、この状況では今よりもずっと苦戦していたに違いない。 基本的に勉強というものが苦手な自分たちでは、このことには一生気付けずに終わっていた。勉強家であるシルフィだからこそ、付け焼刃の知識であるにせよ、こういうことを知ることができたのだ。少々、あの少女を過小評価していた。力も、知識も、技術も、全ては“学ぶ”ことで身につくものだ。シルフィは、その基本を着実に押さえていたのだ。おそらく、毎日毎日、自分たちが寝入ったその後に。 「――い、おい。アレス。何考え込んでんだよ」 ゲッソーの声。 反省していたアレスは、その声で我に返る。 「いや……少し、シルフィのことを侮っていたな、と思った」 「? ……ああ、この戦い方か。確かに効果はすげぇなあ。まだピンピンしてるぜ、俺たちは」 アレスの細身の剣とは違う、大振りの剣を掲げながら言う。彼の剣は斬ると言うよりなぎ払う方が向いているのだが、その大きさの分だけ余計に体力を食う。巨体と相まって目立つため、三人の中でも最も狙われ易いのが彼だった。それ故に、体力の消耗が最も激しい。ところが今日は、本人が言った通り、今もなお力が有り余っているようだった。 アレスとノエルがフォローするという、ただそれだけの変化だと言うのに。 「シルフィに謝らないとな。今まで、無視し続けていたこと」 何となく言ったのだが、二人とも同意してきた。謝って、彼女に接するときの態度を改めなくてはならない。完全な仲間とまでは行かなくても、対等の存在として。自分たちが力ならば、彼女は頭なのだから。 そのためには、一刻も早く、ここから助け出すことだ。 「……来たな。ノエル、数は分かるか?」 「……ざっと三十ってところかしら。足音が段々増えてきてるわね。それだけ警戒してもらえているってことかしら?」 ノエルが、足音の数を数えながらそう言う。それは、警戒もするだろう。本来ならとっくに始末できているはずの相手が、今尚快進撃を続けているのだから。 「じゃあ、さっきの通りに。できるだけ狭い道を選んで戦うんだったな?」 「ああ。確かそう言っていた」 シルフィがそう言っていた、ということである。ゲッソーが彼女の言葉を覚えていたのは幸いだった。 狭い道……なるほど。その言葉の意味が、アレスにも掴めてきた。 と言うか、戦いの初歩の初歩なのだが。そんな簡単なことも考えなければ分からない自分に苦笑して、アレスは剣を構える。向こうからやってくる、様々な種類の魔族たち。空を飛んでいるもの、巨大な武器を持っているもの。どうやらこの洞窟にいる魔族はかなり数が多いようで、同じ奴が何度も出てくるということが一度もなかった。 ……まあ、相手が同じであろうと違っていようと、何の関係もないことだが。 「――蹴散らすぞ」 その言葉と同時に、戦闘が再び始まる。 「何をやっているんだ、一体! 何だこの体たらくは!」 シルフィの目の前で、グレンと名乗った魔族のボスが怒鳴っている。予想もしなかったアレスたちの奮闘に、どうやら待ち構えていたはずの魔族の方が混乱してしまっているらしい。 「一方から攻めてもダメなら、囲んでしまえ! ……何? それでも無理だったと!? 何をやっているんだ、お前らは!」 確かに、囲んでしまった方が有利には違いない。ケタ外れの戦闘力を持つアレスたちでも、囲まれてしまってはさすがに苦戦するはずだった。にも関わらず撃退したとなると、これは―― (わたしの言葉、覚えていてくれたのかな……) 淡い期待とともに、シルフィはそう思わずにはいられない。 「〜〜っ もういい! 倒すのが無理なら、あの場所へ誘導しろ! そのくらいはいくら何でもできるだろう。……できるな!?」 「は、はい、も、もちろん!」 「だったらすぐ行け! これ以上俺を怒らせるな!」 さっきまでの冷静な態度はどこへやら。一人称すら変わり、すっかり激昂してしまっている。どうやら、自分の思う通りに事が進まないと途端に苛々する性格らしい。部下の方も、気の毒に、すっかり縮み上がってしまっている。 「……何だ、その目は」 と、興味深く魔族二人のやりとりと見ていたことに気付かれたのか、グレンがジロリとシルフィの方を睨んできた。今にもとって食われそうな、獰猛な目になってしまっている。 だが、シルフィがいるのは牢屋の奥。グレンからはとても手が届かない。そのことを再確認して、シルフィはわざと挑発するような口調になる。 「別にぃ? ただ、ちょっと予想外のことが起きたくらいで情けないなぁ、と思って」 グレンの怒りの的になっていた魔族が、半分だけ安堵した顔をする。怒りの矛先が逸れたからだろう。だが、もう半分は……何だろう。シルフィに対する哀れみのようにも見えれば、途方もないバカを見ているような感じでもある。 別に、計算もなしにやっているわけではないのに。そう思っていると、 「……命が助かりそうだと思ったら、途端に調子付いたか? 言っておくが、お前など殺そうと思えばいつでも殺せるんだぞ?」 「へぇ? どう殺すの?」 ここで牢屋を開けてくれれば、その瞬間に目くらましを使って脱出してしまえる。アレスたちに暴れられている上、シルフィにまで逃げられては、とても平静ではいられないはずだ。頭が冷静さを失ってしまえば、指揮系統は乱れに乱れるはず―― シルフィの思考は、そこまでだった。 「こう殺すんだ」 そう言った直後、グレンの体が消えた。 「――え?」 事態への理解が数秒遅れる。その間に再びグレンが姿を現した――牢屋の、内側に。 何が起こったか全く分からないシルフィに、グレンの太い腕が伸びてくる。とっさに身を捻ろうとしたが、遅い。首を掴まれて、宙吊り状態にされる。 首の骨が、ミシリ、という、嫌な音を立てる。 「う……っ」 「分かったか? 殺そうと思ったとき、俺はお前をこう殺す。だから――精々、大人しくしているように。私としても、できる限り穏便に済ませたいのでね」 口調がガラリと変わった。 シルフィを痛めつけたことで多少は気が紛れたのか、グレンは元の紳士ヅラに戻り、シルフィを丁寧に地面に下ろして背を向けた。ビクリと震える部下に「すまなかったね。つい、取り乱してしまった」と爽やかに言い放ち、指示を再開する。 「……ケホ、ケホ」 ここまで来ると、二重人格に近いものがある。息を整えながら、シルフィはそう思う。 首を触ってみると、跡が残っているような感触があった。あまりの気味悪さに、思いっきり顔をしかめる。消えるといいのだが。 「三人にかける時間が少し長引いただけだ。異常は何もない。さっきも言った通り、あの部屋に誘導してくれ。元々そのために作った部屋なのだしな」 「は、はい」 「迅速に事に当たってくれ。何、恐れることはない。猿山の大将を決めるのならともかく、我々は知能のある人間と魔族」 ニヤリ、と笑ったのだろう。顔が見えないシルフィにも分かるほど、声に変化があった。 「恐れることはない。勝負で重要なのは、手駒の数と思考だ。どちらに関しても、勝っているのは我々だよ」 強く同意する――してから、自分が同意してどうすると、シルフィは己を責めた。せめて自分が「違う」と言わなければ、一体誰が三人の味方をすると言うのか。 そんな思いにとらわれていたシルフィは、グレンの次の言葉を聞き逃した。 「……それと、この娘を眠らせて、別の場所へ移動させておけ。力しか能のない奴らよりも、こいつの方が厄介だ。回復魔法に加え、どうも妙な術を使えるようだからな……絶対に合流させるな」 少し何かを憶えたところで、しょせんは多勢に無勢である。大群で待ち構えている魔族たちを相手に、そういつまでも優勢でいられるはずがない。 快進撃が続いていることを、不審に思うべきだったのだ。きっかけはいくらでもあった。魔族たちが急に後退気味になったこと。今まで囲みながら攻めて来ていたのに、現れては消えるという、まるでやる気のない戦い方になったこと。時には逃げ腰にすらなっていた。他にも細かい違和感はいくらでもあった。明らかにおかしかったのだ。 アレスたちは、そのことごとくを見逃した。 調子付くことは猿でもできる。猿でもできることが人間にできないはずがない。三人は見事に調子に乗って、このまま行けば案外簡単にシルフィを助けることができるかも、と考え出した。 バカ丸出しである。 ここは一から百まで相手のテリトリーであり、しかも冒険者や戦士を迎えうつような造りになっているのである。そんな、子供が描いた落書きのごとき考えがまかり通るはずがない。 中途半端に知恵のあるネズミほど扱い易いものはない。初めは簡単なトラップで油断させておいて、然る後に必殺の罠に誘い込む。別に、魔族側とて最初からそう考えていたわけではない。彼らにとっても、最初の一撃が必殺であったはずだった。アレスたちは、その第一撃目は退けた。そこまでは良かったのだ。 しかし、結果を見れば、アレスたちは見事なまでに必殺の罠に誘い込まれていた。 「……何かおかしいわ」 最初に気付いたのは、ノエルだった。彼女は、三人の中でかろうじて罠の類の経験がある。 「何かって、何がだよ?」 「分かったら最初から言ってるわよ。分からないけど、何かおかしい」 ゲッソーの問いに、我ながら苛ついている口調で答える。シルフィならば何か閃いてくれるかもしれなかったが、この場にいない少女に期待しても仕方ない。 「……」 「何だよ。急に呆けた顔しやがって」 「……ううん。私、けっこうシルフィのこと頼りにしてるのかもなあ、って」 迷いなく浮かんだ最初の顔がシルフィであることに、ノエルは自分で驚いていた。確かにこの男二人はアテにもならないが、だからと言って、最も頼りにできないと思っていた少女をアテにするとは。 ……そう言えば。戦闘時にはまるで足手まといだったために、つい役立たずのように見てしまっていたが、頭を使うような場面では、一番頼りになっていたのは彼女だったかもしれない。頭の出来が自分たちとは違うのだと思う。 今更気付くのもどうかしているのだが、何しろ先入観というのは大したものなのである。一度役立たずと認識してしまうと、それはなかなか覆らない。いなくなって初めてそいつの重要さに気付く、とは誰の言葉だったか。全くその通りだ。 「……ねえ、アレス。シルフィのことだけど」 現金なものだ、と自分で思う。 だが、彼女の重要さがわかった今、手放すのはあまりに惜しい。力がないのが何だと言うのだ。シルフィは、それを補って余りある物を十分に持っている。 シルフィさえ良ければ、このまま自分達と―― ――懐かしい、それでいて戦慄させられる感覚。 「――跳んで!」 とっさにそう叫ぶのが精一杯だった。 が、さすがは百戦錬磨とでも言おうか。アレスもゲッソーも、ほとんど条件反射の勢いでそれぞれの方向へ飛び退っていた。それを一方で確認しながら、ノエルは敵の姿を探す。たった今自分達がいた場所に、雨のように降り注いできた火矢。微かに見える跡を、細めた目で辿る。 ――左斜め上。 頭でそう判断すると同時。右手で腰のナイフを掴み、空中で体を捻って投げる。威力がない上一本限りでしかないが、それでいい。今から対応しようとしても、どうせロクな反撃もできぬ間に逃げられるのがオチである。一矢報いることで、せめて相手の意表を突ければ上等というところだ。 かろうじて見えた敵の頭では、予定通り身を引いたのか、ナイフに驚いたのか、どちらなのかは判断できなかった。 そして、ノエルにしても、そんなものを判断している余裕はなかった。 「……」 「? どうした?」 アレスが尋ねてくる声も、ほとんど耳に入らない。 自分達の行く道。一本道で、横道に逸れることも、物陰に隠れることもできない造りになっている。 そして、天井近く。かなり高い場所に、窓が左右にいくつも開いている。素人でも分かるだろう。その窓と、この道の意味。 隠れることも逃れることも叶わないネズミを、左右の高みからなぶり殺しにする仕掛けなのだ、ここは。単純で、しかし空を飛べない人間相手にはかなり効果の高い罠だった。 まずい。この形はまずい。いかに超人じみた戦闘能力を持っていても、それが相手まで届かないのでは意味がない。飛び道具を持っているのはノエル一人だけだし、防御に関しては、素人とは言わないが決して秀でてはいない三人。絶望的なまでに手の出しようがない。 「一旦戻った方がいいかしら。ここ、出口があるのかどうかも分からないし」 罠に出口を作る必要はない。ここが対侵入者専用の場所なら、そのうち行き止まりになってしまう可能性もある。窓のある場所まで登れないこともないが、そこには敵がうじゃうじゃ待ち構えているのだ。死にに行くのと大差ない。 入り口が塞がれていなければいいが……ノエルがそう考えている、そのとき。 「……おいおいおい。何か嫌な音が聞こえねえか?」 ゲッソーが、珍しく冷や汗を流しながら言ってきた。 言われて、アレスとノエルは耳をすませる。音? 一体―― (……ロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ……) 何か、とてつもなく巨大なものが転がってくるような。 あまり見たくないな。冷や汗を流しつつ笑顔で固まっているゲッソーと、はっきりと顔を引きつらせているアレスを見て、ノエルは背後を振り返ることに躊躇いを感じる。 が、振り返らなければ何も見えはしない。見なくても分かるような気がしないでもないが、肩越しにチラッと“それ”を目にして、 「……何ボーっとしてんの逃げるのよ早く!」 三人が、全く同時に駆け出した。 大岩が転がってくる。古典的にもほどがあるような罠だが、剣や弓ではどうしようもないことも事実。よほど頑張って削ったのか、岩玉の大きさは通路の幅とほぼ同じである。 そして、 「あ! この野郎、調子に乗りやがって!」 窓からの襲撃が再び始まる。雨のように降ってくる矢をなぎ払いつつ、ゲッソーが頭上に向かって怒鳴る。が、その姿は仲間であるノエルから見ても負け犬の遠吠え以外の何者でもない。 ノエルでさえそう見えるのだから、敵である魔族たちが大笑いするのは当然のことだった。 さっきまでいた所とは違う場所で、シルフィは頭を抱えていた。 何とも間抜けだ、と自分で思う。 グレンが立ち去り、これ幸いと脱出計画を練っていたら――そこから先が分からない。分かるのは、何らかの術で眠らされたのだろうということだけ。それが分かったところで何の意味もない。ただ、自分の愚かさ加減に嫌気が増すばかりだ。 今度こそ、本当に、外に出るのは不可能になってしまった。 何しろ出口が分からない。完全に閉ざされてしまったらしく、光の筋一つ見えない。光球を作り出す術を、今ほど欲しいと思ったことはなかった。あればあったで便利な術だろうけど、それほど使うとも思えないし――そう考えたため、憶えていないのだ。過去に戻れるなら、そう考えた自分を殴って蹴って引っ叩いて、一時間ほど説教してやりたい。 どれくらい時間が経ったのか、それすらも分からない。 頭がおかしくなりそうな完全な暗闇の中、シルフィが考えているのは、自分を助けに来た三人のことだ。まだ死んでいないだろうか。罠にかかったりしているのではないか。今、この瞬間に殺されようとしているんじゃないか。嫌な想像が頭をよぎる。実際はその場でブチ殺されるのだろうけど、頭の中にそのイメージがついて回って離れない。死刑台に次々と引き出されて行く三人の姿。 頭を抱える。暗闇がイメージをより強くする。 「みんな……」 自分さえいなければ、こんなことにはならなかったのに。 弱い自分が人質にとられたりしなければ、あの三人が危険に晒されることはなかったのに。 「ごめんね……わたし、もう、迷惑だよね……」 分かりきっていたことだった。今までずっと目を背けて、それでも視界の端から離れなかったこと。役立たずであった自分。小うるさいだけの存在。いなくてもいい、むしろいない方がいい。何の役にも立たなかった挙句、迷惑までかけてしまうくらいなら。 「ごめんね……もう、わたしはこれっきりでいなくなるから」 聞かれることのない謝罪が、シルフィの口から漏れだす。 これっきりにしようと思った。誰が何と言おうと、もう自分では、あの三人と一緒に旅をするのは無理だ。彼らが何と言ってくれても、こっちが精神的について行けない。 あの三人と離れてしまったら、もう二度と、旅をすることはできない。それが怖くて離れることができなかった。何だかんだと言い訳して、ずっとくっついて来た。 でも、それももう―― (……迷惑かどうかは、君が決めることじゃないと思うけどなあ) 「――?」 今の声は? 思わず周囲を見回すが、全ては闇に包まれている。誰かいるのかどうかも分からない。が…… 「だ……え、だって、ここは……」 ここの扉(があるとするなら)は、一度も開いていないはずだ。こんな暗闇の中に光が射し込めば、嫌でも気付く。まさかシルフィが目覚める前からいたのだろうか。誰が? 何の目的で? どうして今まで待っていた? (ああ、僕のことは気にしないでいいよ。ここに来たのもただの気まぐれだし、君の前に姿を現す気もないから) 「気にするわよ! 何なのよあんたどこから喋ってんの!?」 (ここ) その言葉は、突然の轟音にかき消された。 「――っ!」 世界の音が、消えたような気がした。 無音という状態など初めて体験する。視界が白い。目も耳も機能を失って、吹き込んできた空気が肌全体で感じられる。強烈な熱波。全身が焼き尽くされるんじゃないかと思うような、強烈な風。 その中で、(じゃあね。頑張って)という、謎の声が発した謎の激励。お前は誰だ? そう問おうとして口を開いても、自分が何か物を言ったのか、それすらも分からない。 目が、次第に見えてくる。そして―― 「な……」 目の前の壁が、ぽっかりと口を開けていた。 淵が黒々と焼け焦げている。木ならともかく、岩であるはずなのに。 それより、まさか今の音は、岩の壁を吹き飛ばした力の音だったのだろうか。家一軒は丸々入りそうな、こんな巨大な穴を? 声の主が? どんな力を持ってすれば、こんな芸当ができると言うのか。アレスたちでも、ここまで大それたことはできまい。そもそも人間業ではない。人間にこんな真似ができるはずがない。 人にあらざる者の技。 そう、まるで、魔王のような―― 「……って、そんなこと言ってる場合じゃないか」 シルフィはぶるぶると頭を振り、ロクでもない考えを振り払った。あの声の主は、今考えるべきことではない。最後の台詞は別れを示すもの。ならば、もう向こうから接触して来ることはないだろう。 重要なのは、これからどう行動するか。旅をやめるやめないは、とりあえず一時置いておく。 目の前に道が開いているのだ。進まない道理はない。 急がねば、大音を聞きつけた魔族たちがやってくる。シルフィは立ち上がり、キョロキョロと周囲を警戒しながら岩牢を脱出した。 |
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