出来損ないの支配者

 

 アレスたちが死に掛けているのも、無理からぬことではある。むしろ、よくぞここまで耐えたものだと賞賛してもいいほどだ。並の人間ならば、ここまでの行程で十回以上死んでいる。

 重傷こそ負っていないものの、体力はさすがに限界が近かった。大岩との追いかけっこは、行き止まりとなっていた壁を駆け上ることによって凌いだが、そんなアクロバットをいつまでも演じていられるはずもない。大岩の玉は一つきりらしく、あれ以来鬼ごっこをさせられていないのが、唯一の救いだった。

 窓からの攻撃は依然として続いている。状況は、悪くなる一方だった。

「くそっ 降りてこいてめぇら!」

 悔し紛れにゲッソーが怒鳴るが、そんなことを言ったところで、魔族どもを喜ばせるのがオチだった。本人もそれを分かっていて、それでも言わずにはいられないのだろう。アレスはもちろんそれを分かっているし、おそらくノエルも同様だろう。

 だが、誰も、何も言わない。

 何か言ったところで現状が変化するわけでもないし、何より、そんなくだらない言い合いに費やせる体力などなかった。

 一丸となって突き進む作戦も、こうなっては意味がない。的が固まっていようとバラけていようと、向こうにとっては同じことだ。ただ適当に攻撃すれば、どれかが当たるのだから。罠、地の利、数――あらかじめ向こうが持っていた優位が、ここに来て絶望的なまでに現われてくる。

 負けるかもしれない。

 久しく味わっていなかったその気持ちを、アレスは思い出していた。敗北への恐怖。それは、死への恐怖へと直結する。

 どんなに強い力を持っていようと、死ぬのは怖い。むしろ、怖いからこそ強い力を持っていると言った方が正しい。

 懐かしい感じさえする、“怖い”という感情。すっかり忘れてしまっていた。怖さを感じさせる相手に、これまで会って来なかったから。それほどまでに、自分達は強くなったから。

 結果的にそれが、自分達を慢心させることとなったのだ。

 死など恐れるものではない。なぜなら、自分達とは無関係のものだから。

 旅をする以上、死は常に隣り合わせだ。頭ではそれを分かっていた。だが、本当に隣にあるものとして肌で感じていたかと言うと……疑問が残る。

 その報いが、これなのかもしれない。

 死が常に隣にあることを忘れた、自信過剰な冒険者たちへの報い。それを注意してくれた人間がいたのに。死を恐れろと、死に対する警戒をしろと、そう言ってくれた少女がいたのに。

 直接言われたわけではないが、シルフィの言っていたことは、つまりそういうことだ。

 陣形や戦略。考えること。それらは全て、死を免れるためにあるのだから。

 もう遅いのか、と思う。

 もう手遅れなのだろうか。慢心した罪は、死で償うしかないのだろうか。

 ……もし、

 もし手遅れでないのならば、自分はもう一度――

 謝って、許しを得られたら、今度こそ、あの少女と一緒に――

 ……遠くから、爆発音が聞こえた。かなり離れていそうな反響音だったにも関わらず、振動がここまで伝わってくる。

 窓の上でこちらを見下ろしていた魔族たちが、さすがにざわめき始めた。それを見ながら、アレスは思う。

 やり直しは、きくかもしれない。

 思いながら、壁を一気に駆け上がる。魔族たちはまだ気付いていない。皆、突然の爆音に気を取られている。

 その背後に、飛び上がった。窓の淵に足をかけ、同時に斬りつける。一番手前にいた二人の背中。確かな手ごたえとともに、魔族二人の背中がパクリと割れる。

 倒れながら噴出された、人間と同じ赤い鮮血を、アレスはあえて避けない。

 血をかぶる。

 ドシャア、と地面に崩れ落ちる音に、他の魔族たちが一斉に振り向いた。

「あ、お、おい! 奴らが――」

 遅い。

 上がってきた――口の形から判断するに、そういうことを言おうとしたのだろう。だが、あまりにも遅すぎる。アレスは腰を落とし、

 次の瞬間、真正面にいるそいつに向かって、跳んだ。周囲の世界が凹凸を失い、色だけとなる。見る見るうちに迫ってくる魔族の体。何の反応もしていない。こちらの方を見てもいない。それまでアレスがいた位置を見つめている。

 わずかに、彼の目が見開かれた。アレスが消えたことに気づいたらしい。

 そしてその直前に、アレスは既に彼の腹を切り裂いていた。勢いがそのまま残っている剣は、たまたま範囲内にいた他の魔族の体も斬りつけていく。

 アレスが止まったとき、彼の背後には、一本の道ができていいた。

「……」

「おい……てめぇ!」

 周囲をぐるりと見回すと、魔族たちが、なぜか怒り狂いながら自分を見つめている。一瞬で仲間を葬った自分に対して、憎しみでも抱いているのか。それとも、嬲り殺されるだけのはずだったネズミの反抗に、腹でも立てているのか。

 上等だ、と思った。

 これは戦い。死ぬ覚悟も、殺す覚悟も持っていなければならない。死んでも文句は言えないし、殺しても文句を言われる筋合いはない。それが当然だ。

 だが、

 敵に対して憎しみを抱く。それもまた、当然のことだ。

 だからアレスは、こう言った。

「お前たちが何を怒っているのか知らないし、興味もない。ただ、憎いなら来い。逃げはしない。殺したいなら殺せ。もっとも……できたらの話だが」

「――っ!」

 憤怒の形相。魔族でも感情を露わにすることがあるんだな、と思った。

 魔族にも感情があるなどという考えは、そう言えば今まで持ったことがなかった。どうせ敵対するのなら、感情を持っているよりも、殺戮好きの人形を相手にしている方が精神的に楽だから。

 相手もまた死を恐れ、苦しみ、逃げ出したくなるのかと思うと、こっちとしても殺しにくい。

 そう思ったのは、一瞬だった。

 その一瞬を置いて、彼らがアレスに殺到し、

 前にいた者はアレスによって斬り捨てられ、中ほどの者は巨大な剣によって叩き潰され、後ろにいた者は片端から矢で射られた。

「……挑発するようなこと言うなよなあ。上がってきたらお前、一斉に攻撃されていやがって。ちょっと焦ったぞ」

 巨大な剣を肩に担ぎながら、嘆息しつつそう言うゲッソー。ノエルは向こうで微笑んでいる。

「いや、まあ、大丈夫だっただろう」

 アレスは、そう答えた。

「俺は逃げ足には自信がある」

「情けねえ話だなオイ」

「……まあ、お前たちが上がってくる頃を見計らって挑発したわけだがな」

 ポツリと付け加えた言葉に、ゲッソーは一瞬きょとんとして、次に苦笑。黙してはいるが、その笑みが無言の肯定となっている。

 向こうで、ノエルが「……嘘ばっかり」と漏らしていた。

 微笑を返した後、アレスはゲッソーから視線を逸らす。

「さて。そろそろ本当にシルフィを助けに行こうか。まだ生きていてくれればいいが」

 視線の先では、別の道へ続く穴が開いている。

 

 グレンが怒るのも、まあ無理もないことではあった。何しろ、謎の大爆発でシルフィには逃げられる、ついでにアレスたちにも罠を突破される、部下の数も着々と減っていくで、凶報ばかりが相次いでいる。自分たちが絶対的に有利な場所で戦っているにも関わらず、だ。

 シルフィの予想した通り、グレンは思い通りにならないと途端に不機嫌になる性格である。

 その憤怒の睨みを向けられた新米の部下は、哀れにもガタガタと震えている始末だった。

「で、ですから、爆発の原因は全力で捜査していますので、今少しお待ちをと……」

「何がお待ちを、だ……ここはどこだ? 俺たちの砦だぞ!? ここで起こったことが分からなくてどうする!?」

 とって食われそうな恫喝。新米君が「ひっ」と更に縮み上がる。

「いいか、あと十分だ。十分以内に原因を突き止めろ。もしできないなら……俺が直々に出向いてやる。役立たずは嫌いなんだよ……」

「そ、そんな……」

「返事は!?」

「わ、わわ、わわわかりました! しし、失礼します!」

 挨拶もそこそこに、部屋を飛び出していく新米君。その背中を憎憎しげに睨みつつ、グレンは煮えたぎる頭で考える。謎の大爆発。あれから形勢が一気に逆転してしまったのだ。シルフィは今も逃げ回っているし、アレスたちは暴れまくっている。

 天然の洞窟をそのまま使っているから、ここはそれほど入り組んだ迷路になっているわけではないのだ。合流される可能性も、そこそこ高かった。そうなると……かなりまずい。勢いに乗っているあの突撃バカ三人組に回復されては、奴らの疲労を待つという策さえもが潰えてしまう。

 こうなれば……

「俺が直接行くか……」

 それが一番、手っ取り早いかもしれない。

 自分ならば、あの三人が勢いに乗っていようと関係ない。シルフィと組まれると厄介だが、各個撃破する分には何の問題もなかった。真っ向からぶつかるのは気に入らないが、仕方ない。

 グレンは椅子から立ち上がり、さっき新米君が出て行ったばかりの扉へ向かおうとする。

 

「行っちゃうの? グレン。せっかく遊びに来たのに」

「!! なっ!?」

 

 それは背後から突然聞こえた。場違いなほど能天気な、少年の声。

 慌てて振り向く。と、そこには予想した通りの人物。

 雪の高原にある塔に君臨する、最強の魔法の使い手――魔王、フェイト。いつもチョロチョロくっついているはずの小娘は、今日はいない。

 何だってまたこんなときに。そう思った。が、グレンはそれをおくびにも出さず、笑みを浮かべて魔王に向き直る。

「これはこれは、魔王様。どうかなさいましたか?」

「んー。近くまで来たんでちょっと寄ってみたんだけど。邪魔だった? 何だか忙しそうだし」

「いえいえ、滅相もない。ネズミが少し暴れているだけですよ。何の問題もありません」

「そう?」

「ええ」

 首を傾げる仕草は少年そのものだが、対するグレンは、一言一言に気を使う。

 何せ、自分の今後はこの少年の機嫌一つで決まってしまうのだから。嫌われて降格と言われればどこか地方の田舎へ回されてしまうし、逆に気に入られれば、更なる地位が与えられることになる。他の魔族どもはあまり関心がないようだったが、グレンは違った。地位を与えられ、より大きな権力を有することが、彼の喜びだった。

 できるだけ好印象を与えておかなくてはならない。グレンはそう判断して、猫なで声を出す。

「お茶でも飲んで行かれますか? あいにく用意はありませんが、少し待っていただければすぐに調達して来ますので」

「いきなり何を不気味な声を出すかな。いいよ、ちょっと立ち寄っただけだから。わざわざ走らされるヒトも気の毒だしね」

「それは残念」                                                              

 本当に残念だ。自分をアピールする絶好のチャンスだったのだが。

 密かに歯噛みするグレンの目の前で、フェイトがふと呟いた。

「……僕のせいでこんな騒ぎになったのに、ご馳走になんかなれないしね」

「は?」

「あ、いや、こっちのこと」

 慌てて顔の前で手を振るフェイト。顔には愛想笑いなんかも浮かんでいたり。グレンは怪訝な顔で「はぁ」と頷く。何か、僕のせいでこんな騒ぎに、とか聞こえた気がしたのだが……。

「お茶はいらないけど、でも、ちょっと聞く事ができたかな。教えてもらえる?」

「何なりと」

「今何やってるの? ずいぶん騒がしいけど」

 遠くに聞こえる怒号と悲鳴。それを、フェイトは訝しげに虚空を見上げながら聞いている。そりゃ気にもなるだろう。ちょっと遊びに来たつもりの場所が、戦争でもやっているかのような有様になっていたのだから。

 人間にコケにされていると知られるのは、よろしくない。グレンはそう考えた。

「いえ。恥ずかしながら、人間どもに少し手を焼いていまして……何、すぐ片付けますよ」

 忘れていた。

 フェイトが、魔族とは思えないほどの人間びいきだということを。

「……そんな、害虫でも退治するみたいな言い方はないんじゃないかな」

 微かな、本当に微かな不機嫌な色。

 フェイトの声に混じったそれは、注意深い者が意識を集中して、ようやく拾えるようなものだった。普通に会話している分には、気づけるはずもない。

 それなりに注意深いが集中してはいなかったグレンは、その色を見逃した。

「そうは言いますが、奴らはここに乗り込んできて暴れているわけですから……虫かどうかはともかく、確実に害は成しています」

「……その暴れている三人は、仲間の女の子を助けに来たんじゃないの?」

 グサリと来た。

 なぜそれをフェイトが知っているのか。その思いを顔に出さないように必死になった。咄嗟に顔色を取り繕い、それでも、隠せたかどうかは分からなかった。

「そ、それは……」

「グレンがどういうやり方をしても、それはグレンの自由だけど。仲間を助けに来た人たちを『害を成す者』だなんて言うのは違うと思うよ。害を成されるようなことをした方が悪い」

 まずい。

 フェイトの機嫌を損ねつつある。グレンは、ようやくそれに気づいた。

 人間びいき。フェイトは、下手をすると仲間である魔族よりも彼らを優遇する。その態度に苛々するときもあるが、それでもフェイトは魔王であり、自分の上司なのである。ここは我慢だ。グレンはそう自分に言い聞かせる。

 フェイトは『言葉が悪い』と言っているだけであり、行動や作戦に口出しされているわけではない。こちらが折れれば、それで済む話だ。

「……失言でした。お許しを」

「うん。……ああそうだ。グレン、もう一つ聞いていい?」

「はい?」

「どうしてあの人たちを連れてきたの? わざわざ人質までとって」

 なぜそんなことを気にするのか。不思議な気がしないでもなかったが、グレンは正直に答えた。

「奴らは、この一帯で頭角を現しつつある冒険者どもです。既に同族が何人もやられています。やられっぱなしでは沽券に関わりますのでな。報復と、他の人間に対しての見せしめの意味を込めて、ここで潰すつもりです」

「なるほど。それ、却下」

「分かりま……はい? あ、あの、魔王様。今何と?」

 何か、とんでもない命令をされた気がした。自分の耳が信じられず、グレンは思わず聞き返す。聞き間違いであればいい――そう願いながら。

 神とやらは、どうやら魔族には決して微笑まないらしい。

「だから却下。あの人たちを潰すのは許さない」

 聞き間違いではなかった。

「なぜです!? あ奴らを放っておいたら、いずれ貴方をも脅かす存在になりかねません! 今のうちに――」

「僕が負けるとは思えないけどねえ。どんなに強くても、しょせんは人間だし……まあ、それはともかく。殺しちゃうのはもったいないよ。まだまだ色々やってくれそうな感じだし」

「もったい……し、失礼ながら、貴方は一体何を考えているのですか?」

 呆然としながら問えば、フェイトは実にあっさりと答えてくれる。

「退屈しのぎだけど?」

 

 攻撃が全くできないというのは、やはりかなりのハンデだった。何しろ、魔族と鉢合わせるたびに回れ右してひたすら逃げなければならない。角に隠れてやり過ごしたり、振り切れるまでひたすら走ったり。そこそこ体力のついたシルフィだが、そんなことを繰り返せばいい加減疲れてくる。

 何度目とも知れない邂逅の後、シルフィは物陰にうずくまりながら息を整えていた。自分が今どこにいるのかも分からない。アレスたちと合流するどころか、生きて外に出られるかどうかも怪しかった。

 アレスたちに会えたら、何を置いてもまず謝ろう。シルフィはそう心に決めている。攻撃しかしない三人を叱咤していたが、この状況に置かれて、攻撃力というものがいかに重要かを思い知らされた。守るだけでは、勝てはしないのだ。

 攻撃なんか。自分にはないものを持つ三人を妬みつつ、心の中でそう思っていたのも事実だ。自分の言っていたことが間違いだとは思わない。だが、言いすぎの感があったこともまた確かだった。

 謝って、もう旅はやめよう。そう思った。これ以上あの三人に迷惑はかけられない。国へ戻るなり、どこかの町で暮らすなり、とにかくこれからは一人になる。当分の間は、もう誰も頼れない。

 それも仕方ない。

 身の程をわきまえず国を飛び出して、三人に迷惑をかけた。そんな愚かだった自分に対する報いだ。

 身の程をわきまえること。自分の立場を自覚すること。

 それが分かったことが、せめてもの救いだ。払う代償は決して小さくない。だが、得るものが何もないよりはマシだった。

 

 ……それでも。

 ……彼らが許してくれるならば、ひょっとしたら、まだ旅を続ける可能性も――

 

 思わず浮かんだ考えを、シルフィは頭を振って振り払った。この期に及んでまだそんなことを考えるのかと、自分で自分に呆れる。未練がましいにもほどがある。

 息は、だいぶ整った。

 今度こそ、アレスたちに会えますように――シルフィはそう祈りながら立ち上がり、

 声がした。

「……小娘」

 しわがれた、恐ろしく不機嫌そうな声。あまり知っていたくないが、あいにく知ってしまっている相手の声。

 グレンだ。

 よりにもよってラスボスに見つかってしまった己が不運を呪いながら、シルフィはアレスたちに心の中で謝罪する。ごめんなさい、どうも謝れそうにない。ラトにも謝っておく。あんなに優しくしてくれたのに、国を飛び出すような不良娘でごめんなさい。ついでに……両親にも謝っておいた。不出来な娘でごめんなさい。貴方たちの望む巫女――人形に、わたしはなれませんでした。

 そして、あの声。

 牢屋をぶち壊してくれた、あの声の主。一度でいいから会ってみたかった。お礼を言っておきたかった。

 けれど、それら全て、本人の前で言うことはできない。

 戦闘能力のない自分では、この場を切り抜けることは不可能だろうから。まさか目くらましなどというものが通じはすまい。一応、仮にもボスなのだし。

 だが……

「呼んだ?」

 シルフィは、振り向いた。

 勝ち目はないけれど、それでも粘ってみよう。そう思った。踵を返し、ともすれば震えだしそうになる足を必死の思いで抑える。正視すら躊躇われるグレンの表情。やけに怒っている。シルフィが逃げたから、というだけではなさそうだが……一体何をそんなに怒っているのか。シルフィは一瞬首を傾げる。

 が、その直後、一人で納得した。

 アレスたちがまだ暴れているのだろう。それならば彼のあの表情も説明できる。そしてそれは、自分にとっては吉報だ。

 グレンが苦虫を噛み潰している間は、アレスたちは大丈夫だということだから。

「ずいぶん渋い顔してるわね。頭が痛くて仕方ないんじゃない?」

「……頭痛の種のうち、一つはここで潰れるがな」

「そう? わたし、こう見えても結構強いよ?」

「ふん。見え透いたハッタリだ。お前に戦闘能力がないことくらい、私が調べていなかったとでも思うのか?」

 予想はしていたが、やはりそこらへんもきっちり調べられていたらしい。シルフィは心中でそっと舌打ち。眉でもひそめてくれればまだつけこめたのだが、はっきりと断言されてしまった。

 事実その通りなので、戦闘能力云々に関して、シルフィは何も言い返せない。

 だが、それでも口を開くのはやめない。

「強いっていうのが、単純に攻撃力が高いって意味だとは限らないよ。わたしには、攻撃力のなさを補えるほどの頭があるもの」

「どれほど頭が良くても、攻撃力なしでどうやって相手を倒すのだ? 聞かせてほしいものだ」

「貴方の頭上を崩して生き埋めにするとか。わたしがやれないと本気で思える?」

 挑発と、不安を少しでも掻き立てさせようとする言葉だった。実際にはそんなことできはしない。

 そしてそれを、グレンは一発で見破ってくれた。

「嘘を吐くならもう少し考えることだな。洞窟の天井を崩す力があるなら、それをそのまま相手にぶつけた方が早い」

 まったくもってその通りだ。

 グレンの言うことに、シルフィはつい同意してしまった。確かに、それほどの破壊力があるなら、そのままグレンを攻撃した方が手っ取り早いし威力も高い。生き埋めにするのは、例えば攻撃の効かない相手の動きを封じるような場合だ。

「……だって、貴方攻撃が効かないじゃない」

「……いや、効くぞ?」

 効くのかよ。思わずツッコミを入れながら、シルフィは心中で再度舌打ち。当てずっぽうで言った今の言葉が当たっていれば、グレンをこれ以上ないほど動揺させることができただろうに。

「そ、そのことを確かめただけよ? いいのかしら、そんなことを明言しちゃって」

「……どうでもいいが、もう少し往生際というのをわきまえたらどうだ? はっきり言ってみっともないぞ」

「うっ……悪役のくせに主人公っぽい台詞使っちゃって。あんたなんかねー、親玉の機嫌を損ねた挙句どこかに追放されて、そんでもって親玉を裏切ったはいいけど結局悲惨な最期を迎えるのよ! そうに決まってるんだから!」

 グサ、という音が聞こえた気がした。

 あくまで、気がしただけだ。

 だが、グレンの表情は、明らかにシルフィの言葉が突き刺さったことを示していた。「あれ?」とシルフィは首を傾げる。これこそ正真正銘の悪あがきのつもりだったのだが……どうやら、何か心の傷に触れてしまったらしい。

「……私の心の傷を抉った上に引っかいて挙句握りつぶすとは……たかが人間の、しかも小娘にしてはやってくれる……」

「いやー、本当にただの当てずっぽうなんだけど……て言うかそこまで深刻なダメージをあんたが受けたことに驚いたわ。何があったか知らないけど、よほど酷い経験をしたみたいね」

 わなわなと震えるグレンを見ながら、一体彼に何があったのだろうと思う。上司とケンカでもしているのだろうか? 魔族とは言え、縦社会の複雑さは人間と変わらないらしい。アホな上司にも付き合わなければいけないのだろう。彼のような中間管理職は、立場的に非常に辛い。

「……こいつを見逃せ、だと……ふざけるな。あんたは直接管理しているわけではないからいいとしても、魔族たちから奴らを何とかしろという苦情が山と寄せられてきている……この地を治める立場になってみろと言うのだ……下にも上にも文句を言われ、私に一体どうしろと言うのだ……っ!」

「……」

 何だか知らないが、やけに怨みのこもった声をぶつぶつと漏らしている。ある意味、牢屋の中で締め上げられたときよりも恐ろしい。

 とりあえず、グレンはこっちを見ていない。この隙に何とか逃げ出せないものか――シルフィは、足を一歩、そーっと後ろに踏み出して、

 ギロリ。

 グレンに睨まれた。左足を一歩後ろにつけた体勢のまま硬直する。

「逃げられると思うか」

「思わないでもないかなー……なんちゃって」

「そうか」

 突然、グレンはにっこりと笑みを浮かべた。

 シルフィが今まで見てきた笑顔のどれよりも爽やかで、純粋で、そして飛びぬけて凶悪だった。

「では殺そう」

「何でそういう結論になるかな!?」

 叫ぶと同時に、シルフィは背を向けて一目散に逃げ出した。向き合っていても殺されるだけ――そんな、確信めいた思い。状況が状況なだけに、それは従うに足る本能の叫びだった。

 だが、前を向いていようと後ろを向いていようと、グレンにとっては何の関係もないことなのだろう。嘲るような調子で、

「逃がすか」

 その声はなぜか、シルフィの頭上を追い越して行った。グレンの言葉なら後ろから聞こえるはずである。回り込まれたならグレンの姿が見えなくてはおかしいし、大体頭上というのはどういうことだ。頭を混乱させながら、シルフィはとりあえず上を向く。

 鳥がいた。

 なぜ洞窟内に鳥が? そう思うのと、その鳥がグレンへと変化したのは、同時だった。

 ――変化能力!

 自らの身体を別の生き物に変化させる力である。魔法とは異なる、一部の魔族だけが持つ特殊能力らしかった。らしかったと言うのは、魔族に知り合いなどいるわけがないから確証を得られないためだが……要するに狼男らと似たような感じだと思えば、少なくとも納得はできる。

 それはともかく。

 完全に回り込まれて、尚、シルフィは走るのをやめない。

 ただ、唐突に身体を前に倒した。地面に手をつき、同時に叫ぶ。

「地裂!」

 地面が割れた。狙い過たず、大地の裂け目はグレンの足を飲み込む。ほんの一瞬、グレンの体勢が揺らぐ。

「ぬ……っ」

 うめくグレンの横を、勢いのままに跳ね起きたシルフィは駆け抜けようとする。

 だが、それを黙って見過ごしてくれるほど、グレンは優しい相手ではなかった。

 グワっと伸びてきた手が、シルフィの首をつかむ。咄嗟のガードも間に合わず、シルフィは完全に喉を押さえられた状態のまま宙吊りにされる。足が地面から浮き、息が急速に苦しくなる。呼吸が……できない。

「う…くっ……」

 何か術を唱えようとは思うのだが、いかんせん、首を押さえられていては声が出せない。まずい。少しずつ、少しずつ意識が遠のいていく。視界が徐々に暗くなっていく。

「小娘が……」

 グレンが、更に力を強めてくる。首の骨が悲鳴をあげる。窒息死する前に骨をへし折られてしまいそうだ。首が痛みを訴え、身体の各部から感覚が失われていく。ミシミシとヤバげな音が、耳の奥で微かに聞こえる。

 ――こんな奴に。

 シルフィは、かすむ視界の中でグレンを見る。

 ――こんな奴に、負けたくなんかないのに。

 シルフィを人質にとらなければ、アレスたちに挑むこともできない卑怯者。それにまんまと騙されて人質にされてしまった自分。情けなかった。あまりにも、あまりにも情けなさ過ぎる。

 仮に、今アレスたちが助けに来てくれたとしても、この状態はとてもじゃないが見られたくない。シルフィとしては色々頑張った結果宙吊りにされているわけだが、アレスたちはそうは思うまい。何だか知らないが世間知らずの小娘がまた何か危ないことになっている。仕方ない助けてやるか――実際この通りに思うのかどうかはともかく、似たような感想を抱くのは間違いない。

 まっぴらだ。

 せめてこのくらいの危機は自分で逃れられなければ、一時とは言えアレスたちと旅路をともにしていた者として失格である。あんな雑魚を仲間にしていたのかと、アレスたちの顔にも泥を塗ることになる。それだけは、絶対にさせない。

 シルフィは、ほとんど感覚がなくなった手を、自らの身体に当てる。

「……何だ? 神へ祈るか? 堕ちた巫女よ」

 嘲るようなグレンの声。堕ちた巫女のくだりなど、微かに笑いすら含まれている。

 上等である。堕落の一度や二度経験せずに、冒険者が務まるものか。

 半ばもうろうとした意識を手繰り寄せ、必死の思いで集中する。身体に当てた掌に、暖かい力が注ぎ込まれる。

 生まれ持った巫女の力。神の使いとまで崇められた、シルフィの切り札。

 ――回復魔法。

「――女の子の首を、いつまでも握ってるなぁ!」

 瞬間、活力の戻った体全体をバネにして、シルフィはグレンの喉めがけて足を振り上げる。

「ぐっ!?」

 いかに強力な魔族と言えど、気道を直接蹴られたダメージはそれなりに大きいらしい。グレンはよろめき、拘束が緩んだその隙にシルフィは無我夢中で脱出した。地を蹴り、グレンの腹を蹴り、グレンの腕に爪を立てる。

「ぐっ……このっ!」

「ぅわ!」

 さすがにたまらなかったのか、グレンはシルフィを突き飛ばすようにして解放した。彼の身体が岩のごとき硬さでなかったことを神に感謝しながら、シルフィは地面に尻もちをつく。

「――ッ まさか回復魔法を自分にも使えるとはな……とことんセオリーに違反する奴だ」

「セオリーって何よセオリーって! 自分の怪我を治せない医者なんかいるわけないでしょ! それと同じよ!」

 怒鳴るが、しかし実は息も絶え絶えである。

 当然のことなのだ。シルフィに限らず、魔法というのは己の体力を使って発動させる能力。例えばシルフィが自分に回復魔法をかけたら、怪我が治る代わりに疲れるのである。今回のように、体力を一時的に跳ね上げるような真似をした場合……魔法の効果が切れた後に、跳ね上げた分だけの体力を一気に消耗してしまう。

 ましてや、酸欠で視界も怪しくなっていたのだ。今のシルフィは、尻もちをついたまま立つこともままならない。

 あのまま首を締め上げられているよりは、事態はずっと好転しているわけだが……それでも、最悪か最悪一歩手前かの違いでしかないのかもしれない。動けないのでは何の意味もないのだ。

「この……人間ごときがッ!」

「ごときとか……うわー、何か一昔前の雑魚キャラみたい……」

「黙れ!」

 魂をも揺るがすようなグレンの怒鳴り声。シルフィに向かって、足を踏み出して――

「地裂!」

 その踏み出した足を狙って、シルフィは大地を割った。上半身を支えていた手がふらつく。地裂はそれほど体力を食わない術なのだが、今のシルフィでは何を使っても状態が悪化してしまう。

「ぬぐっ……おのれぇぇぇぇぇぇぇぇぇ! もう許さん! この世に生まれてきたことを後悔させてくれるッ!」

「あはははは! 絶体絶命なのに何か凄いイイ気分ー!?」

 どうせ死ぬならもうヤケだとばかりに、シルフィは悲鳴にも似た哄笑という、わけのわからない声を上げた。自分でも自分の頭が少しおかしくなっているんじゃないかと思うが、どうせもう死ぬので関係ない。

 さよならアレス。さよならゲッソー。さよならノエル。散々迷惑かけてごめんなさい。シルフィはこの場にいない三人に向かって懺悔し、心の中でもう一言。安心してください。貴方たちの手を煩わせていた小娘は、あと数秒後にはいなくなります。

 わたしの死体を見て、きっと貴方たちは哀れむだろう。気の毒に、と思うだろう。ひょっとしたら悲しんでくれるかもしれない。自分たちがあと少し速ければと、後悔してくれるかもしれない。

 そんな風に思ってもらえたなら、それはどれほど嬉しいことか。

 死んでくれてせいせいした。そう思われて当然のことをしてきたのに。

 ほんの少しでも同情してくれたなら、他には何もいらない。それを望むのすら贅沢な身なのだから。

 貴方たちに出会えたのは、わたしにとって最大の幸運だった。

 わたしに出会ったのは、貴方たちにとって最大の不幸だった。

 それももうすぐ終わる。

 今までありがとう。――さようなら。

 一人別れの言葉を紡ぎ、シルフィは目を閉じる。極限が迫ると周囲の時間の流れが遅くなるというのは本当だったのだなあと、そんなことを考えながら。死ぬのは痛いのだろうか。苦しいのだろうか。本来なら苦痛も何もなく訪れるとされている死だが、グレンによってもたらされるとなると、あまりアテにはなりそうにない。生まれてきたことを後悔させるとか言ってたし。何かものすごーく苦痛を伴うやり方で殺されそうな気がする。嫌だなあと思う。こんなことならもう少し歯に衣を着せておくんだった。

 せめて倒れる衝撃だけでもなくそうと、シルフィは地面に寝転がった。これで避けられるなどとはさすがに考えてはいない。自分の上をグレンが走り過ぎて行ったなら、それはそれで笑える図ではあるが。そこまでアホではないだろうし、仮にそうなってもシルフィには逃げる体力がもうない。それに、踏みつけられるのもできれば御免こうむりたいところだった。

 最後の最後までこんな考えが巡る自分の頭に、少し感心してみたり。

 その直後、シルフィの身体を突き飛ばされるような衝撃が襲った。

 ああ、死んだ。そう思った。

 ……。

 そう思って、しかし、頭の中にふと疑問が生じる。

 たったこれだけで、人というものは死ぬのだろうか? たかが突き飛ばされたくらいの衝撃で? これでもう死んでいるなら苦痛がなくて万々歳だが、肌から伝わる感触、湿った空気、何か微妙な異臭が常に漂っている洞窟特有の雰囲気は、シルフィに自分がまだ生きていることを明確に告げている。

 大体、突き飛ばされたような感触とはどういうことだ。

 自分は横になっているのだから、衝撃が来るとすれば上からしかない。基本的に上から下への攻撃は威力が大きい。これを食らったのなら突き飛ばされたでは済まない、もっと「ぐえっ」とか悲鳴が漏れていてもおかしくないはずだ。

 考えても考えても、結局わけが分からない。

 仕方ないので、シルフィは目を開けた。まさかグレンが目を開けるのを待っているのではあるまいなと、わずかにそんなことを考えつつ。だったら嫌だなあと思う。自分が攻撃されるのを、この目に焼き付けられるわけで――

 目を開けたシルフィの眼前には、ある意味グレンの顔よりも意外なモノがあった。

 股間である。

 シルフィの顔は広げられた足に挟まれるようになっていて、結果的に、細身の男の股間が顔の上に来るような構図になっている。

「……」

 コメントしづらい複雑な思いを、シルフィが味わっていると、

「大丈夫か?」

 聞き覚えのある声に、ふと顔をずらしてそちらを見やる。

 ほっと一息ついたような感じのアレスが、微笑を浮かべていた。

「倒れたお前がバカでかい蜘蛛に襲われていたものだから、一体何があったのかと思ったぞ。だが……なるほど、変化能力か」

 蜘蛛。どうやらグレンは、蜘蛛に変身して自分を襲おうとしていたらしい。自分より遥かに大きい蜘蛛に襲われる様をつい想像してしまい、シルフィは眉をしかめた。蜘蛛を目にして悲鳴を上げるほどお嬢様でもないが、生理的な嫌悪感はどうしようもない。

 が、生まれてきたことを後悔させるとはまさかこのことだろうか。効果がないとは言わないが、ダンジョンのボスが画策したにしてはあまりにもセコかった。もう少しマシなことを考えろと言いたい。爪をはぎ指をねじ切り、この世の苦しみという苦しみを全て与え尽くす――せめてこのくらいは考えて欲しいものである。

 助かったと思った途端、シルフィの頭はグレンへの嘲笑へと矛先を向ける。

「……シルフィ。その、何だ。その何か他人を小ばかにしているような顔はやめた方がいいぞ。変に思われる」

「え? あ、そんな顔してた?」

「思いっきり」

「顔に出まくってたぞ」

 シルフィの頭上――つまりアレスの背後から、二つの声が言葉を返してきた。見るまでもない。ゲッソーとノエル。二人とも安堵したような苦笑を浮かべつつ、こちらを覗きこんできている。

 あれ? と思った。

 彼らの顔から、今までのような自分から一歩距離を置いている感じが消えている。ぎこちなさは未だ消えない。だが、これまでとは明らかに何か違う。わだかまりが払拭されたかのようだった。

 ここに来るまでの間に、神の啓示でも受けたのだろうか。

 訝るシルフィに、ノエルが同じく怪訝な声で尋ねてくる。

「ところで、あなたいつまで寝転がってるの?」

「あー、うん。大した理由じゃないんだけど……力使い果たしちゃって。今、ちょっと立てないの」

 首を動かしてノエルの方を向くくらいなら何とかなるが、立ち上がって己の足で歩いたりするのはまだ無理だった。体が鉛の塊にでもなったかのように重い。起きながら寝ているような、そんな奇妙な感じだった。

 シルフィの頭上で、ノエルの呆れたようなため息。

「力を使い果たしたって……そんなになるまで抵抗してたの? あのね、動けなきゃ意味ないでしょうが。あなたの力じゃ相手を倒すことなんてできないんだから」

「あ……うん」

「『あ、うん』じゃないの。もうちょっと力の使い方を考えなさい」

 怒られた。いつになく厳しいノエルに、シルフィはわずかに首をすくめ……そして、気づいた。

 戦いの中で、こちらが彼らに何か言うことはあっても、彼らがこちらに何か言うことはこれが初めてだということに。

「……ねえ」

「ん?」

「……どこかで頭でも打った?」

 ノエル、「はぁ?」と眉をひそめる。至極当然の反応だが、シルフィとてギャグで問うたわけではなかった。どこかで頭でも打って、何か人としての根幹部分に支障が生じたのではないか。根っ子の部分での改変が起きたような気がしてならない。そうでなければ、こんな豹変はありえないと思う。

「何かとても失礼なことを考えてるようだけど、私は至って正常よ。ほら、邪魔だからこっち来てなさい」

 首を傾げつつ、ノエルは動けないシルフィをずるずる引きずって行く。

「いた、痛っ でこぼこが痛いって言うか思いっきり頭打ってる打ってる! せめて頭は持ち上げてよ痛っ!」

「え? ああ、ごめんごめん」

 たった今気づきましたとでも言わんばかりの言葉。シルフィは上半身を抱えられ、ようやく一息つく。足の方も何かあちこち擦りむいている感はあるが……まあ、黙っていようと思う。

 こうしてもらうことが、何だかとても嬉しかった。

「何不気味なニヤケ顔浮かべてるの。あなたって意外に妄想激しいタイプよね……ほら。どうせ動けないだろうけど動くんじゃないわよ。足手まといだから」

 壁にもたれかけたシルフィに、浴びせられるのは容赦のない事実。

「……ひどい」

「ひどくないの。余計なことしないでここで見てなさい。すぐに終わるから」

 グサグサグサ。再会したノエルはやけに手厳しい。今までは遠慮していたらしい台詞をビシバシ言ってくる。そりゃもう、むしろ誇張し過ぎなほどに言ってくる。数秒の間に二度も役立たず扱いされるほど、自分は戦闘に向いていないのだろうか。そう考えると少し落ち込む。

 引きつった笑いを口の端に浮かべるシルフィ。ノエルの嘆息が聞こえる。

「分かりきったことでしょーに。あなたが直接戦うのには向いてないってことは」

「うん。そうなんだけど……やっぱり面と向かって言われるとショック大きいなー、なんて……」

 あるいは、と思う。あるいはノエルたちも、自分と同じことを考えているのかもしれない。すなわち、一緒に旅をするのはここまでだ、と。

 当然だと思う。ここまで迷惑をかけられて、それでも尚一緒にいることを許すなど、あるはずがない。もしそうならとんだお人よしだ。誰かがついていてやらなければいけないほどの、どうしようもないお人よしだ。

 今も一緒にいる時点で三人がお人よしなのは確定事項だが、さすがにこれ以上はないだろう。

 ノエルがいつになく厳しいのは別にシルフィのためでも何でもなく、ただ今まで言いたくても言えなかったことを、ここぞとばかりに言っているだけに過ぎないのだ。

 ゲッソーとアレスは、何か言いたいことはないのだろうか。シルフィは、地面で悶えているグレンを睨む二人に目をやる。グレンはアレスに攻撃されたのだろう。よほど勢いよくアレスとぶつかったのか、のた打ち回って苦しんでいる。

 言いたいことがあるなら、きっちり言ってくれていいのに。シルフィは二人の男の背中を見ながらそう思う。

 そう思っているところに、ノエルの言葉。

「あなたが直接戦う必要なんて、どこにもないのよ」

「え?」

 何か微妙に予想と異なった物言いに、シルフィは軽く目を見開く。

 言葉を告げたノエルの表情は、静かな微笑。

「戦うのは私たちがいるから、あなたは何もしなくていいの。後ろで援護してくれればそれで十分。回復魔法と術。それがあなたの強みでしょ?」

「そ、それはそうだけど……でも」

「でも?」

「……わたし、勝てなかったし」

 グレンを相手に、傷一つ負わすことができなかった。逃げられもしなかった。それが、シルフィの心に重くのしかかる。

 後方援護が強みとノエルは言ってくれたが、それは半分正解で半分間違いだ。前へ出て戦うことができないから、後方へ回る以外にやれることがないのである。

 自分に力がないのが恨めしい。

 自分にもっと力があれば。アレスたち並とは言わない。せめて普通の冒険者と同じくらいの力があれば、もう少し役に立てるはずなのに。

 密かに歯噛みしていると、ポンと頭に手が置かれた。

「あのね。何か勘違いしてるみたいだから言っておくけど、貴女が一人であいつに勝つ必要はどこにもないの」

「?」

 言葉の意味が一瞬分からず、顔を上げる。

「ここに入るまで分からなかった私が言えた義理でもないけどね」と、長い前置きをしてからノエルは続ける。その顔に浮かぶのは、優しげな苦笑。

「確かに攻撃はからっきしだけど、その代わりにあるのが回復魔法と術。私たちが攻撃に特化しているのと同じ。貴女が攻撃が出来ないって言って悩むのは、私たちが術や回復魔法を使えないって言って悩むのと同じ。私たちがそう言ったらどう思う? 何をバカなことを、って思わない?」

 そう言われればそんな気もする。シルフィはコクリと頷く。

 ノエルもまた一つ頷いて、

「貴女が攻撃をする必要はない。私たちが回復や術を考える必要がないのと同じように。だって、私たちには貴女がいる。貴女には私たちがいる。足りないものは誰かが補ってくれるから」

 そこで、ノエルはわずかに言いよどんだ。

「?」

 訝るシルフィに、「何を今更って感じだけど……」という小さな呟きが聞こえた。目線を逸らしたノエルの顔に浮かぶのは緊張でも躊躇いでもない。気まずさは近いが、それでも何か違う。

 頭の中身は割と豊富なシルフィであるから、こんな顔を形容する言葉も一応知ってはいる。

「どのツラ下げて」と自分で思っている。小説だったらそんな風に描写される表情だった。

 しばらく躊躇っていたノエルは、しかし決心したように一つ頷いて、まっすぐシルフィを見つめてくる。シルフィはそれに気おされるようにわずかに身を引き、次の瞬間固まった。

「何のために、私たちが四人でいると思う?」

「……え? それは、」

 何のためとかそういう問題ではない。自分が勝手にくっついてきたから、四人はここで一緒にいる。ただそれだけの話だ。

 そう言おうとしたシルフィだが、ノエルに遮られた。

「自分がくっついて来たからとか、そういうのはナシね。それじゃあ私たちが今ここにいる理由が説明できないでしょ?」

「見捨てるのは後味が悪いからじゃないの?」

 思ったことを、思った通りに述べてみた。

 シルフィにしてみれば、まあ普通はそういう理由だろうという、何気ない一言。

 だが、ノエルには結構効いたようである。一瞬きょとんとし、次いで「うわー……」と顔を歪める。何と言うか、盛り上がっていた宴会を台無しにされた参加者のような、そんな顔。

「ときどきサラリとキツいこと言うわね、貴女って」

「え? あ、ごめん」

「核心を突いてるだけに反論しづらいわ」

 その顔のまま、シルフィの言葉が核心を突いていることをあっさりと認める。

 それを、シルフィは少し残念に思う。

 貴女が大切な仲間だから――そういう言葉も、少しは期待していたのだ。この期に及んで未練がましいとは自分でも思うが、彼らと一緒に、今度は本当に仲間として旅ができる。それは、これまでの決意なんか蹴り飛ばしてなかったことにするのに値する。

 本当に旅をやめたいわけじゃない。

 できるなら、続けていきたい。

 だがそれは、彼らに迷惑だからという理由で、閉ざそうとしていた未来。

 でも、

 もし、彼らが一緒にいることを許してくれるなら――

 ……やめよう、と思った。

 ノエルが「後味が悪いから助けに来た」ということを認めた時点で、その未来はやはり閉ざされたままなのだから。

「……でもね。それだけってわけじゃないの」

「?」

「途中から気が変わったわ。私たちは、貴女を――」

 怒号が、突然響いた。

 弾かれたようにそちらに目を向けるノエル。少し遅れてシルフィがそちらを見れば、

 背中。

 ゲッソーだろうかアレスだろうか。吹っ飛ばされたらしい背中が、目前に迫ってきている。このままだとわたしにぶつかるなあ……などということを明確に考えたわけではないが、シルフィは反射的に目を閉じて、その直後に抱き上げられた。

「うわ!?」

 閉じた目を思わず開ければ、視界は一変している。流れるような世界の中で地面を転がる男二人が見えて、怒り心頭なグレンが遠くにいた。見上げれば、そこにあるのはノエルの顔。あの一瞬の間に、シルフィを抱き上げて退避したらしい。

「ちょっと男ども! 危ないでしょーが! この子は今動けないってこと分かってんの!?」

「……それは悪かったが、俺たちの身体の心配はなしか」

「そんなもの気にするくらいなら、夕飯のメニューでも考えていた方がマシよ」

 ひどい言い草であるが、これはノエルがアレスとゲッソーを信用している証拠だ。

 羨ましい。抱き上げられたままやはり身動きができないシルフィは、やれやれと立ち上がる男二人を見てそう思う。多少やられても心配する必要はない――そう思ってもらうことができるのが、たまらなく羨ましい。

「夕飯のメニューねえ。それはいいが、まずはあいつを倒すことから考えないか?」

「だからさっさと倒しなさいよ。私はこの子のボディーガードやってるから」

「せめて弓矢とか使ってくれよ」

「嫌よもったいない。作るのは面倒くさいし買うと高いし。矢ってけっこう貴重なんだから」

 ……。

 一瞬浮かんだ疑念を、シルフィは頭の中に溶かして忘れた。心配する必要がない。そう思っているからこその言動だ……多分。

 声の調子からして実は本気で嫌がっているとか、そういうことではないはずだ……きっと。

「シルフィ何? そのどんよりした目つきは」

「……別に」

 生返事をして、ふと思い出した。グレンの持つ特殊能力。

「そうだ。あのね、グレンの力なんだけど」

「グレン?」

「あのボスキャラ! 変化能力を持ってるみたいだから気をつけて――って!」

 遅かった。

 コウモリにでもなったのか、アレスとゲッソーの同時攻撃を食らう直前、グレンはその姿を消した。二人の攻撃が空振りに終わり、グレンはどこへ行ったのかと慌てて周囲を見回している。

 頭上でノエルが目を走らせるのを見ながら、シルフィは考える。

 洞窟内で変化できる生物の中で、最適なのは何か。

 洞窟の中は薄暗い。魔族全員夜目が利くとは限らないらしく、道は蝋燭で照らされてはいる。だが、それでも見えにくいことに変わりはない。

 これを利用しない手はない。

 暗闇の中からの奇襲。それ以外に考えられないと言うか、まともにぶつかってはグレンに勝ち目はないのだ。アレスとゲッソーの戦闘能力は並ではない。彼らを倒すなら、一撃離脱の奇襲を繰り返すのが最善なのだ。

 そうすると、変化する動物は――

 ……タシッという足音が、背後から聞こえた。

「ノエ――」

 ノエルの動きは言葉よりも速かった。シルフィの身体を片手に持ち替え、もう片方の手で腰のナイフを引き抜いた。逆手に構えて闇の向こうにいるグレンに向けて、

 咆哮。暗闇の中から飛び出す黒い影。

 それが、ノエルの腕に飛びついた。

「くっ――!?」

 あっさりとナイフを避け、そいつはノエルの腕をがっちりと捕らえる。間近で見て初めて判別できた。グレンが変化したそいつ――巨大な狼。

「――このっ!」

 ノエルは腕ごとグレンを壁に叩きつけるが、ビクともしない。腕の痛みが半端ではないのだろう。振り回し方に力強さがまるでない。

 このままではまずい。シルフィは咄嗟に叫ぶ。

「ノエル! わたし離して!」

 片腕で自分を抱えたままでは、さすがにどうにもならない。両腕で何とかなるという保証もないが、片腕で対処するよりは遥かにマシなはずである。ノエル本人が危ないのだ。シルフィに構っている場合ではない。

 ノエルはほんの一瞬だけ逡巡し、

「――ごめん! アレス!」

 その声とともに、身体があっさりと放り投げられる。

 細身に見えるノエルだが、片腕でシルフィを軽々と投げる力はあるのだ。あるのではないかと思っていたが、本当にあるとは思わなかった。わずかな驚きとともに、流れる風を感じて、

「っと!」

 アレスに受け止められた。力強い腕が、がっしりとシルフィの身体を掴む。

 その横を、巨大な風が横切っていく。

「ノエル!」

 ゲッソーの掛け声。それに呼応するように、ノエルが振り回していた腕をゲッソーに差し向ける。

 巨大な斧が、筋肉の隆起した豪腕によって振りかぶられて、

「吹っ飛べぁ!」

 傍から見ても恐ろしい一撃が、グレン目がけて放たれる。

 ――いや。

 それより早く、グレンがノエルの腕を離して再び変化した。姿がない。またコウモリか何かになったらしい。

「くそっ」

 舌打ちが近くで聞こえる。片腕でシルフィを支え、もう片方の腕で剣を構えながら、アレスが周囲を見回している。変化能力は反則もいいところだ。身体のサイズすら操れる上に、今のように相手の視界から消えれば頭上も背後も思うままに――

「! アレス、上!」

 アレスの顔を見上げていたシルフィだからこそ気づいた。アレスの頭上で変化を解いて、ナイフを構えたグレンの凶悪な笑み。アレスが上を見て驚愕する。間に合わな――

 ――轟音。

 洞窟全体が崩壊しかねないような、凄まじい衝撃。

「な、な――」

 何これ!? と、そう叫びそうになったところで、再度聞こえるあの声。

(ごめんね。僕がもう少しこいつを見ておけば良かった)

 こいつが、この衝撃と爆音と熱風の犯人か。

 シルフィを助けたことといい、やけに友好的な物言いといい、敵ではなさそうである。だが、一体何者なのだこいつは。どうして爆音と衝撃と一緒に現れる。これほどの凶暴な力の中で、どうしてこいつの声だけははっきりと聞こえる。

 薄れる意識の中で、シルフィは何とか問いを発する。

「――誰、なのよあんた……」

(……僕の名前は――)

 その言葉を、最後までは聞けなかった。

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