出来損ないの支配者
| 吹っ飛ばされたグレンが意識を取り戻せば、自分の砦は見るも無惨な姿に変わり果てていた。あちこちが焼け焦げ、明かりは全て消し飛んでいる。あちこちで響く不気味な音。この洞窟の崩壊すらも近いかもしれない。 そして―― 「グレン。目が覚めた?」 「……魔王様」 フェイトが見下ろしてきていた。その顔には微笑が浮かんでいる。 一見すれば、それほど怒ってはいないようにも見える。 だが、それは正解で間違いだ。この魔王は怒らない。叱らない。咎めない。 笑顔で頷いて……その上で相手を消し飛ばす。 この若い魔王が本気で怒るときはどんなときなのか。興味はあったが、もうグレンにそれを確かめる時間はなさそうだった。 「やってくれたね。まさか僕が帰ったその直後に彼らを襲うとは思わなかったよ」 「……なぜ、戻ってきたのですか?」 問えば、フェイトは肩をすくめて。 「君は一応仲間を想っているようなことを言った。彼らのために仲間が殺されていくのを放ってはおけないってね。僕はそういう気持ちが好きだから、褒めてあげようと思ったんだ。何か望みがあるならできるだけ叶えてあげようとも考えてたんだけど……残念だよ」 あまりにも皮肉なフェイトの言葉に、グレンは思わず失笑した。 フェイトの言葉に従っていれば、望む地位が手に入れられたかもしれなかったのに。自らそれを棒に振ったのだ。命すら失うという、最悪の形で。 「あいつらは? 逃がしたのですか?」 「逃がしたって言うか勝手に逃げたよ。全員意識なんかほとんどなかったし、グレンが捕まえた女の子は完全に気絶していたみたいだけど。他の三人はさすがだね。無意識のうちにここから離れようとしていた」 「……あなたは」 「ん?」 これだけは聞いておかなければならなかった。 どうせ死ぬのだ。もはや何を聞くのも怖くない。グレンは半ばヤケになりながら、問いを口にした。 「あなたはどうして、そこまで人間の肩を持つのです?」 「……」 ほんの一瞬。 ほんの一瞬、フェイトの目が細められた。突き刺さるような視線に晒される。死を覚悟したはずのグレンの身体が震える。死ぬとか生きるとか、そんなものは関係なしに与えられる恐怖。 だが、それも一瞬のことだった。 次の瞬間には、フェイトの目は元の状態に戻っていた。楽しげな無感情。常に笑っているようで、目だけは全く笑っていない。 単純なようで真意はさっぱり掴めない、謎の多い魔王の目。 「聞き返すけど、グレン」 「はい?」 「僕が、自分の正体を知らないとでも思ってるの?」 正体。 魔王の正体。それを聞いた瞬間、グレンの身体は戦慄する。 「なっ……なぜ、それを……」 「自分が特異な存在だってことはよく分かってる。他の魔族とは何かが違うってことを自覚しないほど、僕は愚かじゃない。それで色々調べてみたら……嫌になったよ。君は……君たちは、そういう考えでもって僕を今まで育ててきたわけだ」 フェイトの瞳が再び変わる。無感情の中に感情が露わになる。 魔族に対する憎悪。グレンに向けているのは憎しみ以外の何物でもない。 湖面のように静かな瞳に、どす黒い炎が燃え上がる。 「魔王…さ、ま……それは、」 「言い訳は聞きたくない。聞けば聞くほど不愉快になる」 「し、しかし……」 「言い訳したってどうにかなるものでもないだろうに。それとも、僕が調べたのは全部でたらめなの?」 答えられない。 その問いには、グレンは答えられない。フェイトの言っているのは紛れもない真実。魔王の秘密。魔族がずっとひた隠してきたこと。 魔族は魔法を使えない。 特殊能力、身体能力の代償として、魔族は魔法を失った。魔族の中で魔法が使える者は過去には一人も存在しない。これからの未来も、おそらくそれは変わらない。魔族とは魔法を失った種族なのだ。 ただ一つ。東西南北にそれぞれ一人ずつ君臨する、魔王という例外を除いて。 北の魔王フェイトの魔法は、グレンの特殊能力と非常によく似ている。己の存在を変化させる魔法。ただし、グレンが別の生物に変化するのに対し、フェイトは実体を持たないものへの変化なのだが。 残りの東、西、南の魔王の力は、北の魔族であるグレンは知らない。グレンだけではなく、魔王フェイトを除くどの魔族も知りはしないだろう。魔族は個人主義だが縄張り意識というものはあり、互いに切り札である魔王の秘密を何としてでも隠し通そうとする。 ただし。魔王の力に共通している部分は一つ。 魔王とは、四人全てが魔法使いであるということ。 人間の間ではフェイトが魔王――最強の魔法使いとして通っているが、実際は同レベルの魔法使いが少なくとも三人はいることになる。居場所と存在が明らかになっているのがフェイトだけという、ただそれだけの話なのだ。 魔法を使えるはずのない魔族の頂点に立つ、魔法使いである魔王。 それが指し示す事実はたった一つ――魔王本人にすら、むしろ本人にこそ隠してきた事実。フェイトはそれを突き止めたと言っているのだ。 「……では、なぜ何も知らない振りをして魔王を?」 フェイトの問いに対する無言の否定。その上でグレンは尋ねる。 フェイトは、静かに笑った。 「一つは、一応まがりなりにも僕を育ててくれた君たちに対する恩返し。まあ、そもそもの元凶が君たちなわけだけど、それは置いといて、ね。もう一つは……僕が今人間の社会に行っても、適応なんかできっこないってこと。誰か案内してくれる人がいなきゃならない。ずっとそれを探してたんだ」 探して、いた。 過去形ということはつまり、今はもう見つけたということ。 「まさか……あの三人が?」 「四人だよ」 さりげなく訂正されるが、グレンはそんなことは構いはせずに声を荒げた。 「何を考えているのですか!? 人間の……しかも、あんな奴らの手を借りようなどと!」 「あはは。グレンは絶対そう言うと思ったんだ」 からからと笑うフェイト。笑い事ではない――そう、再び声を上げようとして、 「そう。グレンなら絶対にそう言う」 フェイトの言葉が、まだ続いていた。 「僕が魔王を辞めることを、君は絶対に許さない。何としてでも止めようとする。ウチの塔にいるゴンザレスと一緒にね。君たちだけじゃない。北の地域に住む全ての魔族が、僕に反対するだろうさ。最悪僕を殺してでも止めようとするに決まってる」 「……それを分かっているならば、なぜ?」 その問いに、わずかに俯いていたフェイトは、顔を上げた。 「分からないかな? グレン」 実に楽しそうな、その瞳の光。 この魔王のこれほど愉快そうな目を、グレンは初めて目にする。良くも悪くも純粋な色。無邪気でいて残酷な声。 「分かっているから僕はここにいる。全員で束になられたら面倒だから、今のうちに各個に倒しておくんだよ。僕に反対を唱えられる人材を……君のような魔族をね!」 それは、哄笑を含んだ叫びだった。 自分の計画が着々と進んでいる。フェイトはそれに対して無上の喜びを感じている。 そして、グレンはそれを覆す力を持っていなかった。 「まあそういうわけで。悪いけど死んでね、グレン」 「くっ……」 魔王直々の死刑宣告。 他の何よりも確実な死を告げるその言葉は、グレンに重くのしかかる。こんな場所で、魔王の裏切りを知ったまま身を滅ぼすとは……! フェイトの身体が変化する。雷にもなれる彼の前で、グレンの変化は全く意味を成さなかった。鳥になろうと狼になろうと、雷の前には止まって見える。今まで幾度となく見てきた、フェイトに背を向けて逃げ出した者。瞬いた次の瞬間、彼らは黒い炭と化していた。 今回は自分が、その運命をたどる。 どうにかしたいが、どうしようもなかった。 「……我々を裏切って、ただで済むと思うな。計画が成功しようとしまいと、お前は遠からず八つ裂きにされるだろう」 「あらら。僕が裏切ると知った途端に敬語やめるんだね。まあ、別にいいけど」 肩をすくめて、フェイトは言う。 「でも、僕が君たちを裏切るなんてのは筋違いもいいところだよ。僕は元々君たちの仲間じゃないんだから。今までずっと、自分でも知らないうちに裏切り続けていた。それにようやく気づいて、いるべき場所に帰る……それだけだよ」 「黙れ、裏切り者。育ててもらった恩義も忘れて――」 「恩義、ねえ」 底冷えのする声が、再度響いた。 「別に何をどう言おうと構わないけど、できればそんな押し付けがましい言い方はやめてくれないかな? て言うか、僕を育てたのは君たちが望んだことでしょ? こんな生意気に育って嫌気が差したのかもしれないけど、それって自業自得でしょ? それなのに『恩義』とか言われてもね」 「……っ」 あくまで邪悪で、それでいて無邪気なフェイトの声。 余裕綽々といったその態度に、グレンは思わず我を忘れかけ、 『おいおい。いくらなんでも親代わりの相手にそりゃねえだろうよ、フェイトよぉ』 声が響いた。 「……何だ?」 聞き覚えのない声をグレンは訝る。フェイトを呼び捨てにするような奴の声など、そう簡単に忘れるわけはない。初めて聞いた声だと見て間違いはなさそうだが、一体誰のものなのか。見当すらつかない。 呼び捨てにされたフェイトは、と見れば、 「……何の用?」 さっきまでの余裕はどこへやら。 全身に緊張をみなぎらせて、グレンの方など見てもいない。戦闘態勢一歩手前と言っても過言ではないほどの雰囲気を身にまとっている。 フェイトをここまで本気にさせる相手はそう多くない。グレンの知る限りでは、三人しかいない。 すつまり、フェイトと同じ魔王のみ。彼らの他に、フェイトと互角にやり合える者など存在しない。 「もー少し好意的な返事してくれたっていいじゃねぇかよ。せっかく尋ねてきてやったんだぜ?」 今度の声は場所を特定できた。 ――グレンの、後ろから。 「――!」 いきなり現れた気配に、反射的に振り返った。ついさっきまでネズミ一匹いなかったはずだった場所。しかし今は、これでもかと言うほど圧倒的な空気が肌で感じられる。前と後ろ――すなわちフェイトとその男に挟まれるような位置で、グレンはその男の姿を見た。 二十歳ほどの長身の青年。 燃えるような赤い髪に、服がはちきれそうな筋肉。それを血で染めているような赤いコートで覆っている。腰には二本の剣をぶら下げていて、両の手はコートのポケットに突っ込んでいる。 そして、その目。 悲しみや苦悩などとは無縁のように見える、愉快そうな光を放つ瞳。 フェイトが喉の奥でクツクツ笑うような笑みならば、その男は大声を上げて笑い飛ばすような笑みだった。 「――チャイルド」 忌々しげなフェイトの声が、振り向いていたグレンの背後から聞こえた。 噂には聞いたことはある。四人の魔王の中でも随一の戦闘力を誇り、一対一では並ぶ者がいないと言われている東の魔王。炎のような赤い髪。血のような深紅のコート。振るわれる二本の剣。彼の戦う姿を目にして生き延びた者は、片手の指の数にも足りない。 フェイトが多対一の戦いに長けているのならば、この男は一対一の戦いに長けている。 暴れまわることを何より好む、派手好きの戦闘狂。 それが――魔将、チャイルド。 「お前がグレンか。話はときどき聞いてるぜ。自己中野郎ばっかりなフェイトんトコの中で、数少ない仲間意識を持つ奴だってな」 見た目だけなら気さくな青年なチャイルドは、見た目に違わない底抜けに明るい声でそう言ってきた。 「は、はぁ」 「何かピンチじゃねぇの。子供の反抗期……つーか、飼い犬に手を噛まれたって感じだなこりゃ」 「チャイルド」 一体何が起こったのか分からないグレンの後ろから、フェイトがチャイルドに呼びかける。余裕の色が面白いほどに掻き消えた声。この赤毛の男は、その場にいるだけでフェイトを緊張させることができるのだ。 チャイルドは面倒くさそうな目つきでフェイトを向いて、 「あん?」 「どうやって北の領域に入ったのか知らないけど、死にたくないならさっさと帰ることだね。君の悪ふざけに付き合ってやれるほど、僕の機嫌は良くない」 「どうやってってお前、普通に歩いて来たんだよ。楽なもんだったぞ侵入は。境目の警備の奴なんか、一人も気づかないでいやがる。一回根性叩きなおした方がいいんじゃねぇか?」 「ご忠告はありがたいけど、あいにく領域の境目には、警備の奴なんか最初から置いてないんでね」 それを聞いて、チャイルドはガクリと肩を落とす。 「何だそりゃ? 緊迫感のねぇ奴だなオイ。それともアレか、警備なんか置かなくても勝つ自信はあるってことか? 面白ぇ、俺とお前、北と東。俺たちの先代の先代の先代の先代の……何代前か忘れちまったがとにかく大昔から続いてる因縁に、俺たちで決着つけるか?」 「北と東が本気でぶつかって、どちらが勝つにしても、総力戦で消耗したところを横から叩かれるだろうさ。西か南か、あるいは人間たちにね。滅びたくないならやめた方がいい」 しかし、フェイトはその後を続けた。 「でも、僕たちが殺しあう分には特に問題はないね。魔王はまた探せばいいことだし……どちらが最強か、はっきりさせておこうか?」 チャイルドの顔に、実に愉快そうな笑みが浮かぶ。 「どちらが最強か、だ? 確かに俺とお前は何度もぶつかって来たが、最強は俺に決まってんだろうが。大量殺戮しか能のないボンクラのくせしてよ」 「これまでの君と僕との戦いは、二十八戦中十勝十四敗四引き分け。僕が負け越してる」 「俺が勝ってんじゃねえかよ! 最強がどっちかなんざはっきりしてるじゃねえか!」 「……なら殺してみろよ」 ポツリと、フェイトはしかし挑発するように呟いた。 「なに?」 「最強なんだろ? だったら殺してみろよ。どちらかが死なない限り君と僕は互角のままだ。魔王同士の力は拮抗していることになってるし、負けを認めるなんてのは、お互いの性格からしてありえないからね」 「……要するに、アレか。相手を殺すことでより強い方をはっきりさせるしかないってことか」 「そういうことだね」 チャイルドの表情に、変化が現れた。 さっきまでの豪放なものから一変、口に手を当てて考え込んでいる。頭の方は物凄い速度で回転しているのだろう。完全に置いて行かれているグレンでも、そのくらいのことは分かった。 それにしても、何という会話だ。 どちらが強いかはっきりさせるために殺し合う。それも、世界の四分の一を支配している魔王同士が。冗談ではない。そんなものに巻き込まれたが最後、グレンなど刹那に消し去られるだろう。 そもそも、チャイルドはなぜこんなところに来たのだ。 二十九回目の決闘を申し込みに? 今度こそフェイトを亡き者にするために? あるいは……ただの悪ふざけなのか。もしそうならとても正気とは思えない。が、この男ならありえるとも思えた。本気のフェイトを前にして笑っていられるだけでも、チャイルドという男の底の深さは十分に知れる。 そのチャイルドは数秒考え込んでから、呆気なくこう答えた。 「やめとくわ。今日はお前とやり合いに来たわけじゃねーし」 実にあっさりとした答えに、フェイトの方が毒気を抜かれたような表情になる。 「そう? 魔将チャイルドともあろう者が、果し合いの申し込みを断るとはね」 「勘違いすんなっつーの。他に用があんだよ、俺は」 「互いにいがみ合う同士の相手の領域に、何の用があるのさ」 皮肉な調子もわずかに混じってはいるが、フェイトの問いは大方が純粋な疑問でもって発せられていた。 それはそうだろう。チャイルドが用のある相手など、北の領域にいるのはフェイトくらいだ。フェイトと決着をつけるために来た――それ以外に、チャイルドの言う『用件』とやらが全く思いつかない。 フェイトとグレンの怪訝な視線を浴びる中で、チャイルドはあっけらかんと言い放った。 「引き抜き」 「……は?」 ポカンと口を開けるフェイト。 この魔王のこんな顔など初めて見るが、グレンは思う。おそらく、自分も似たり寄ったりな顔をしているのだろう、と。 引き抜きというチャイルドの言葉。何を? と思うほどグレンもフェイトもバカではない。優秀な人材を勧誘しに来た。そう、言葉の意味は理解できる。 だが、 それを口にした人物と、その人物がいる場所とを考えると、それは全く現実味を帯びていない言葉へと変化する。 チャイルドは北の領域の魔族にとって宿敵とも言える相手。それは言うまでもない。 その相手から「俺のところに来ないか」と持ちかけられたところで、応じる者などいるはずがないのだ。何かの策略なのだろうか。フェイトやグレンを惑わして、何かするつもりなのだろうか。 赤毛の男は、内面をおくびにも出さない、鉄面皮のような笑みを浮かべている。 その笑みを真正面から受けているフェイトは、ややあってから口を開いた。 「……具体的に、誰を?」 「俺が言うと思うか?」 「うん」 「なぜ?」 軽い問答の後、フェイトは静かに言葉を放った。 「もうとっくに知れているから。自分の目的をあっさりバラしたってことは、そうしても問題ない段階まで事が運んだっていうことだ。僕が何か策を弄する間もなく連れて行ける奴となると、一人しかいない」 「ふん……まあ、そんなところだろうな」 チャイルドがニヤリと笑い、フェイトは嬉しくもなさそうに息をつく。 話の展開に全くついて行けないグレンは、一体誰を誘うつもりなのかとチャイルドを見て、 「というわけでグレン。お前、俺と一緒に来い」 いきなり話を振られた。 「は、は!?」 「は? じゃねーっての。お前どうせここにいてもフェイトに殺されるんだろうが。だったら、俺のところでやり直してみねぇか? 少なくともあいつのところよりは未来があるぜ」 「し、しかしそれは――」 「俺のところに来れば命と最低限の権利は保証する。働き次第で地位も金も思いのままだ。それに引き換え、フェイトのところは……どうなんだ?」 チャイルドがフェイトへと顔を向ける。 引き抜こうとしている相手の現上司に向かって、お前の提示する職場の環境はどうなのかと聞いている。魔王の台詞ではないし、引き抜こうとする者の台詞でもなかった。チャイルドという男がどうにもつかめず、グレンは半ば呆然としたまま、尋ねられたフェイトへと目を向ける。 「……別に」 フェイトは、肩をすくめながら言う。 「グレンがどこで働こうと、僕には関係ないよ。聞こえたと思うけど、僕はもうすぐ魔王を辞めるし。連れて行きたいなら勝手に連れて行けば?」 「そうじゃねえっての。分かんねぇ奴だな。お前のところに残ったらどうなるのか、それを示せっつーことだよ」 「死ぬことになるね。バラされると困るから」 あっさりと。 グレンの選択肢を事実上一つに絞るかのようなフェイトの答え。それを聞いて、チャイルドは呆れたように言った。 「張り合いにもならねえな。おいグレン、どうする? 俺と一緒に来るか? あいつのところに残って死ぬか?」 「し、しかし――!」 「しかし何だよ。別に強制はしねぇけどよぉ……どっちが得かなんて、考えるまでもねぇだろうが。生きるか死ぬかの選択だぜ? 死にたいのかよ?」 チャイルドの言っていることは正しい。 フェイトはやると言ったら絶対にやる。ここに残ることを選択したら、その瞬間にグレンを消し炭にしようと襲い掛かってくるに決まっている。そのことを分かるくらいには、グレンはフェイトの性格を知っている。 しかし、それでも踏ん切りがつかない。 チャイルドについて行くということは、これまでの自分を完全に捨てるということだ。 今まで過ごしてきた場所に、もう二度と帰れない。そのことを思うとさすがに二の足を踏んだ。世界中を渡り歩くような種族には無縁の感情だが、あいにくグレンはそうではない。生まれ育った場所に対する執着くらいは持っている。 できることなら、この北の領域で一生を終えたい。そう願う気持ちは決して弱くなかった。 だが。 横目でフェイトを見る。淡々としているその目は全く笑っていない。腕を組んで、あくびをかましているチャイルドの方を睨んでいる。 グレンのことなど、見てもいなかった。 自分とでは比べるのもバカバカしい。色々な意味で、それだけの価値がチャイルドという男にはある。それは分かっている。 フェイトがどうやら己の秘密を知り、そのためにグレンや主だった北の領域の魔族を怨んでいるらしいことも、知った。 だが、それでも。 自分のことを見向きもしない魔王。 あれだけ尽くしておきながら、魔王の独断であっさりと消されてしまうところだった自分。 前者があまりにも恨めしく、後者があまりにも惨めだった。 「……分かりました」 苦虫を噛み潰す思いで、グレンはそう告げた。 「おお! よく決断したな、グレン!」 やたら嬉しそうなチャイルドの声。グレンはそちらを見ようともせず、軽く息をついたフェイトを睨みながら続けた。 「ただし、一つだけ条件が」 「あん? 何だ?」 「……今日、魔王さ――いえ、フェイトが逃がした人間四人。私の手で八つ裂きにさせてくれると約束してください」 その言葉に、それまで無反応だったフェイトが目をむいた。 「お前なあ……気持ちは分かるがよ、あいつの目の前で言うこたあねえだろうが」 「どうせあなたの下につくなら、フェイトをどん底まで叩き落したいのですよ。私に屈辱を与えた報いとしてね」 「……なんかモロ悪役の台詞だなオイ。ま、別にいいけどよ……たかが四人、好きにしろ。フェイトは俺が抑えてやる」 その言葉が、終わるか否かの刹那―― 「!?」 グレンは首を物凄い力で掴まれて、そのまま後方へ引っ張られた。引っ張られたと言うよりは吹っ飛ばされたと言う方が正しいほどの衝撃だったが、首にある感触は紛れもない誰かの手。 フェイトなわけはないから、チャイルドのそれに他ならなかった。 グレンがそう思った直後、洞窟全体を揺るがすような轟音。今日一日で何度も聞かされた。 フェイトの魔法による、破壊音。 「あーぶねぇなオイ、フェイト。いきなり襲い掛かるってのは反則なんじゃねぇか?」 「彼らに手出しはさせない」 姿を現したフェイトのまとっている雰囲気は、本気になった魔王のそれだった。 口から吐き出された声は氷のように冷たく、常にまとっている余裕が欠片ほども見出せない。持てる力の全てを、ただ破壊のみに使い尽くす――それを決心した表情。 それは血の雨が降ることすら許されない、完全な消滅の予告。 おそらくこの世で最も多くこの表情を見てきたであろうチャイルドは、自身も笑みを消して呟いた。 「分かってんのか、フェイト。俺はともかく、お前が本気で暴れたらこの洞窟全体が崩れるぜ?」 「それは好都合だね。僕の攻撃が当たらなくても、君たちを消すことができるってわけだ」 「洞窟が崩れたくらいで俺が死ぬか、アホが。そうじゃねえよ。グレンは俺の方についたが、ここにいる奴らは変わらずお前の部下だろうが。殺す気か?」 「うん」 至極あっさりと、当然だとでも言うようにフェイトは頷いた。 さすがに呆気に取られたチャイルドを見て、フェイトはやれやれとため息をついた。 「チャイルド、君は何を聞いていたの? 僕は魔族が憎い。僕を魔王に祭り上げた連中は特に、それ以外の奴もそれなりに。グレンを殺そうとするのだって、理由の半分はそれなんだよ。部下が死ぬ? けっこうなことだね。僕が人間社会に復帰したとき、それだけ世界は過ごしやすくなってるわけだから」 薄ら笑いすら浮かべて紡いでいる言葉。 だが、言葉の端々に見え隠れするのは、強烈な憎悪と怒り。 憎みあう形でフェイトを睨んでいたはずのグレンが圧倒されるほど、それはとてつもなく強い力を持っていた。 「チャイルド」 言葉の一つ一つが含む、刃で斬りつけるような力。 チャイルドさえもが動かない。おそらく、彼も目にしたことは一度もないのだろう。怒りこそすれ、憎むことなど今まで一度もなかったフェイト。彼が初めて露わにする感情。それはあまりにも強烈で、それ故かあまりにも禍々しかった。 「最初で最後の忠告だ。死にたくなければそこをどけ」 「……」 フェイトの言葉に、チャイルドはしばし無言。 フェイトをまじまじと見つめながら、口を開いては閉じるということを繰り返している。その顔には、何かを思案する表情を浮かべている。 まさか自分を見捨てるのではあるまいな――ほんの一瞬そう危惧したグレンの横で、赤毛の男は軽く俯きながら、 「……そこをどけ、ねえ?」 面白そうに、呟いた。 「それってつまり、グレンもろとも俺をどうにかするのは不可能ってことだよなあ。どかすよりもまとめて片付けた方が手早いもんなぁ? お前がキレてんのなんか初めて見て、それなりに珍しかったけどよ……墓穴掘ったな、フェイト」 日に油を注ぐような、愉快そうな口調。横で聞いているグレンの方がハラハラする。こんなことを言って大丈夫なのだろうかと思った。チャイルドとグレンをまとめて攻撃することはできなくても、 「まさかそれで勝ったつもりじゃないだろうね? 一緒には無理だけど、君一人なら問題ない」 そう。その通りだ。 一体どうするのかとグレンが見れば、チャイルドは緊張感の欠片もない笑みを浮かべたまま、 「やれんのかよ? クソガキが」 この期に及んでまだ挑発する。さすがに怒りを隠しきれなくなったフェイトが、聞くだけでも恐ろしいような声を発する。 「やって欲しいの?」 「やってみろ。ただし――」 チャイルドは言いながら、片方の手をグレンに伸ばし、 「ぅぐ!?」 いきなりの衝撃。 チャイルドに突き飛ばされ、グレンは洞窟の中を無様に転がった。一体何をする。そう怒鳴ろうとし、その直前にチャイルドの怒鳴り声。 「行け、グレン! こいつは俺に任せて、とっとと東の領域に入っちまえ!」 とんでもないことを言い出した。 ちょっと待てと思う。北の魔族であると認知されている自分が東の領域などに入ったら、その瞬間に全方位からの集中攻撃に遭ってしまうではないか。 それを口に出そうとするが、その前にチャイルドが再び怒鳴ってきた。 「境界には俺の部下が待機してる! だから行っても大丈夫だ! 早く行け、こいつ相手に防戦一方ってのはけっこうキツいんだからな!」 逃げても大丈夫だというのは分かった。 だが、それでも迷いが捨てきれず、グレンは周囲に目をさ迷わせる。その中でたまたま合ったのは――フェイトの視線。 逃がさない。そう宣言しているかのような色。 次の瞬間、グレンは魔王二人に背を向けて、狼となって駆け出した。 逃げて大丈夫なのか。後ろから殺されはしないか。そんなことを考えている暇もない。ただ、フェイトから少しでも遠ざかるために。そのためだけに背を向けた。 「待――」 「余所見すんじゃねえぞ、フェイト!」 フェイトの制止の声と、それをかき消すチャイルドの叫び。 洞窟特有の反響を残しながら、その声は遠く遠く、砦の中を行き渡った。 結論から言おう。 無事と言っていいのかどうかはともかく、グレンは東の領域に逃げ延びた。 フェイトとチャイルドがその後繰り広げたであろう戦闘を見た者はいない。 二人の魔王は生き延びて、片方はその数ヵ月後に魔王を辞めた。 戦闘の音を聞きつけたかもしれない、あの砦にいた魔族たち。 彼らは崩れた洞窟の中で息絶えている。全員が即死だったわけではないだろうが、生き延びた者も発見されることはなかった。いかに魔族と言えど、数ヶ月も飲まず食わずで生きていられはしない。 そして。 あの事件の渦中にいた、四人の人間たちは―― |
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