出来損ないの支配者

 

 一連の出来事の間に、寿命が十年は縮まったと思う。

 麻痺するのにも半ば慣れてしまったような感覚の中、シルフィは思わず閉じていた目をゆっくりと開けた。

 さっきまでチャイルドのいた場所には、案の定、フェイトが一人立っている。床に大穴を空けて、谷間のようなその穴のこちら側に立っている。向こう側の壁は完全に崩れていて、瓦礫の山が築かれていた。

 赤い髪の悪魔の姿はどこにもない。それはそうだろう。フェイトの攻撃は避けられるほどの暇は絶対になかったし、仮に即死は避けたとしても、しばらくは身動きできないくらいの傷は確実に負うはずだ。

「フェイト」

 今ほどこの少年が頼もしく見えたことはない。

 そう思いながらかけたシルフィの言葉に返されたのは、だが、意外なほどに厳しい声だった。

「今すぐ逃げて」

 フェイトは瓦礫の山を睨んだまま、そう言った。

 シルフィはそれを怪訝に思いながら問い返す。

「え? でも、あいつなら今――」

「こんな程度でチャイルドが死ぬもんか。早く逃げて」

 聞いたこともないような厳しい声。

 だが、これほど大きな破壊の痕跡を残すような攻撃に耐えていると言われても、シルフィにはとても信じられなかった。これで死んでいないなら、この世のあらゆる攻撃が効かないことになってしまう。いかに魔王とて、そこまでデタラメではないはずだ。

「で、でも、フェイト。この後、まだ魔族の軍隊が来るんでしょ? そっちの方の対策も――」

 フェイトの言葉をはぐらかすように、シルフィはそう言いかけて、

 “ガラッ……”

 その音がいやに鮮明に耳に残った。

 ハッとしてそちらを向く。崩れた瓦礫の下。原型も留めているはずがないチャイルドがそこにいるはずだった。生きているはずのない男。そう、あの攻撃を食らって、生きていられるわけがない。

 だが、

「何してるの! 早く逃げて!」

「でも、でも、」

「――ッ 早く行け!」

 苛立ちが最頂点に達したかのような、フェイトの怒鳴り声だった。

 怒鳴ることは多々あったが、怒鳴られることは初めてだった。威厳もへったくれもない焦燥を露わにしたその声は迫力こそ皆無なものの、フェイトが怒鳴るという行為そのものにシルフィは身を竦めた。

 と、

「――ラト兄ちゃん!?」

 突然何者かに抱え上げられ、シルフィは思わずその人物を見た。ラトが、俗に言うお姫様だっこの体勢でシルフィを抱えている。気恥ずかしいやら何やらでシルフィはジタバタと暴れるが、ラトはビクともしない。

「お前はどうする?」

 腕の中で抵抗しているシルフィになど目もくれず、ラトはフェイトに問いかけた。

 瓦礫から目を逸らさないまま、フェイトは短く答える。

「ここに残る」

「勝てるのか?」

「分からないけど、僕の他にこいつの相手をできる人がいないから」

 こいつという台詞を、フェイトは瓦礫を睨みつけ、顎で示しながら言っていた。

 ラトは数秒ほど逡巡していたが、やがて吹っ切れたように首を振った。下から見上げるシルフィには、その表情がよく見える。

 歯がゆさ。

 悔しさ。

 情けなさ。

 自分の国を守るのに見ず知らずの少年を頼るしかなく、自分はただ逃げるだけという状況。魔王二人と自分との間にある、巨大過ぎるほどの実力の差。このことが、ラトの自尊心をひどく傷つけている。

 そして、その自尊心を優先してチャイルドに挑みかかっても“邪魔にすらならない”ということ。彼はそれも承知している。チャイルドにとってもフェイトにとっても、ラトは邪魔をすることすらできない矮小な存在。

 だからラトは首を振ったのだ。

 ここはフェイトに任せるしかない。諦めと悔しさの間に揺れながらも、そう判断したのだ。

「頼んだ」

 だからこそ、ラトの口からこの台詞が出たのだ。

「そっちこそ、シルフィを頼んだよ。大切に扱ってよね」

「当たり前だ」

 ラトの決断を受けて、少しだけフェイトの声に余裕が戻った。足手まとい二人がいなくなることに安堵したのだろう。シルフィにとってもラトにとっても複雑なその声だが、実際自分たちは足手まといなので何も言うことができない。

 ただ、

「フェイト」

 シルフィは身を乗り出して、こちらを向かない少年に声をかけた。何ができるわけでもない。それでも何かがしたい。その思いが声となって出た。

 フェイトは無言で親指を立てた。

 シルフィはそれを目に映し、その直後に視界が揺れた。シルフィを抱えたラトが駆け出したのだ。

「……」

「……ラト兄ちゃん」

 廊下へ出て、おずおずと声をかける。厳しい表情のラトには話しかけづらい。

 何と言ったらいいものか。悩んでいると、ラトの方からゆっくりと言ってきた。

「城の中にはまだ人がいるはずだ。お前の両親も」

「? うん」

「全員に逃げるよう言って回るぞ。怪我人がいたら、そのときはお前の出番だ。やれるな?」

 提案と言うより強制のようなその言葉。

 だが、シルフィは頷いた。自分にできること。やるべきこと。それがあるのだ。

「うんっ」

 ラトに抱えられたまま、シルフィは力強く頷いた。

 

 瓦礫の中から腕が飛び出て、次いで笑いを含んだ声がした。

「良かったのかよ? 一番オイシイ役目を持っていかれてよ」

 赤い髪の男が、全く無傷のまま立ち上がる。どうやらシルフィたちはわざと逃がしたらしい。そのことを多少訝りつつも、フェイトは返した。

「言っている意味が分からないね」

「だからよぉ、お姫様を守るなんざ、男なら誰でも一度は夢見るシチュだろうが。しかもあれは比喩とかまがい物じゃない、本物のお姫様だぜ。リアルだぜ? 俺ならあの男をぶっ殺してでも近づくがね」

 ニヤケ笑いを浮かべながらの台詞に、フェイトは苦笑いで返した。

「前々から思ってたんだけどさ」

「あん?」

「お前、調子に乗ると変なキャラを作る癖があるよな。硬派だったり、逆に軽薄だったり。今は何? お姫様フェチの変態?」

 フェイトの言葉を受けて、チャイルドはしばし呆けたように口を開けていた。が、それは段々と笑みを形づくる。ニヤリという擬音が聞こえてきそうな、しかしゾロリと牙のような歯をむき出しにする。

「後にも先にも、それを知るのはお前くらいだろうな。西も南も、俺の癖には気づいちゃいない」

「そりゃそうだろうね。気づいたところで何の得になるわけでもなし。僕だって、長い腐れ縁のうちに偶然思いついただけだし」

 ここにいない西と南の魔王の姿を思い浮かべながら、フェイトは答えた。自分が魔王を辞めたことを、彼らはどう思っているのだろう。ふとそんなことを考える。

 バカなことをと思っているのだろうか。目の前の男と同じように。

「なあ、フェイト」

 唐突に。口調を、フェイトにしか分からない程度に和らげて、チャイルドは口を開いた。

「魔王に戻る気はねえのか?」

「何をいきなり」

「正直よお、お前がいなくなると、張り合いがなくなったみたいで気持ち悪いんだよなあ。お前のいない北なんか雑魚同然なんだよ。次の魔王が出てくる気配もねえし」

「攻めてくるなら受けて立つさ。今みたいにね」

「お前はもう王じゃねえだろうが」

 フェイトの言葉に、睨むようにチャイルドはこちらを向いた。

「自惚れんなよ。王でもないお前が俺に勝てるか。バカじゃねえんだから分かるだろ、魔王として俺に挑まれたら、お前には勝ち目がねえんだよ」

 例えば、大軍を率いられたら。

 例えば、北の魔族の誰かが寝返ったら。

 チャイルドはただの戦闘狂ではない。頭を使い、理詰めで敵を追い詰めようとする。魔王としての冷酷な一面がある。さながらチェスのように、ゆっくりと確実に相手を追い詰めることもできるのだ。

「分かるなフェイト。これは、俺がチャイルドとしてお前に接する最後の機会だ」

 いつになく真剣な表情で。

 剣をぶらりと下げ、構えないままチャイルドは言う。

「最初で最後の忠告だ。魔王に戻れ」

 フェイトはそれをじっと眺める。冗談を交えない瞳がこちらを睨むように見つめてくる。初めて見たチャイルドの一面。それを今、目の当たりにしている。

「……」

 フェイトはしばし沈黙。チャイルドの表情をじっと観察する。

 それから、静かに口を開いた。

「まさか腑抜けになったわけじゃないだろう? 下手な芝居はよせ。笑えもしない」

 チャイルドの提案を一蹴する言葉だった。あまりと言えばあまりな言い草に、チャイルドは目をむく。

 そして――次の瞬間、我慢しきれなかったように笑みを浮かべた。

「良かったぜ。こんな誘いに乗られたらどうしようかと思った」

「ライバルだから対等に戦いたいなんていう上等な考え方を、お前はしないだろ。潰せる敵は潰す。たとえ相手が瀕死の状態でも。それが東の魔王だ」

「それを認めなかったお前が健在で安心した。ところで、芝居に気づいたのはいつからだ?」

「初めから疑ってはいたけど、確信したのは魔王としての戦いなんてものを言い出した時だね。僕とお前がいつ魔王として戦った? 僕たちは一対一で戦っていた。いつもね」

「……そりゃそうだ」

 チャイルドは苦笑を浮かべる。己の失敗に笑みを浮かべる。俯いてクククと声を漏らしながら、実に嬉しそうに、フェイトを見やる。

「潰せる相手は潰す。その通り、それが俺だ。だがな、同じ潰すなら平和ボケした元・魔王より、魔王のままのお前の方がいいって気持ちはあるんだよ」

「嬉しくもないね。元も何もない。僕は僕だ」

「その通り。お前はお前だ」

 チャイルドが両手を軽く広げた。フェイトを迎え入れるように。あるいはフェイトに向かって演説でもするように。崩れ落ちた壁を背に、こぼれるような笑みを浮かべながら口を開いた。

「派手にいこうぜ。二十九回目の殺し合いだ」

 

 エヴリスの超スピードに必死に耐えていたノエルには、向かう先の空が光ったように見えた。太陽の光ではない。包み込むような日の赤ではなく、押し潰すような白い光。ほんの一瞬だったが、見間違いではないと言い切ることはできる。

 どこかで見たような白い光。

 まさか何かあったのかと訝っていると、

「……フェイト様」

 リヴの呟きが聞こえた。

「フェイト?」

「……フェイト様が戦ってる」

 その一言で思い出した。

 見覚えのある白い光。目にしたのはあのときだ。

 ほんの少し前でしかないのに、もうずっと昔のことのように思える。

 魔王の塔に乗り込んだあの日、フェイトが見せた白い雷光。あれが、再び空に輝いたのだ。

「……でも、ちょっと待ってよ」

 フェイトが雷に変化するのは、戦闘状態であるという証である。まさか、聖騎士他イベリアの兵士相手に暴れるほど無鉄砲ではないだろうから、彼が相手にしているのは――

「ちょっと急いだ方が良くない?」

「今より急いだら確実にあなたたち振り落とされるけど、それでもいいのぉ?」

 ジロリと。邪魔者を見るような目つきでこちらを向くリヴ。

「う……。ごめん、今よりスピードは出さずに、でもできるだけ速く……」

「そんな方法があるなら教えてよぉ!」

 

「シルフィ。これは一体どういうことだ? 何が起こっている?」

「いいから早く逃げて!」

「ああ巫女様、我らをお守りくださ――」

「逃げろつってんでしょーが!」

 すがってきた大臣の一人を蹴り飛ばし、シルフィは両親の手を引いて先導するラトの後に続く。城にいる人間は皆ここにいるはずだった。ラトの怒鳴り声を聞いて、怯えた顔をしながらもしっかりとまとまって歩いている。

 本来なら、予期しない事態に陥った人間は混乱してまともな思考が働かない。だがシルフィの、巫女としての言葉はそれ以上に頼もしいようだった。帰ってきたときから薄々気づいてはいたが、長いこと離れていたせいで以前よりも更に神がかりめいた見方をされているのだ。

 そのおかげで、皆は一応冷静でいることができている。普段は大嫌いな巫女の役職に、今だけは感謝しておいた。

 すがってくる大臣たちを蹴り飛ばし殴り飛ばしながら、シルフィは先頭のラトに声をかけた。

「ラト兄ちゃん。どうするの?」

「とりあえず外に出る」

「違う。その後」

「町の主だった者を集めて、対策を立てる。指揮はとりあえず俺が取る。然るべき者が来るまでな」

 なぜか苦虫を噛み潰したような最後の台詞に、シルフィは首を傾げた。

「然るべき者って、ラト兄ちゃん以外に誰がいるのよ。お父さんはとても戦争の指揮なんかできないし。ラト兄ちゃんが最適じゃない」

「彼がいるだろう。フェイト、だったか?」

 ラトの言葉に、シルフィは渋い顔をする。

「あいつは駄目。指揮官とか司令官とか、そういうのには向いてないもの」

「しかし、今現在分かっている戦力の中で最も実力があるのは彼だ」

「あいつが強いのは個人戦よ。ラト兄ちゃんだって見たでしょう、あいつの魔法。敵味方関係なく吹っ飛ばしちゃうじゃない」

 ある程度なら味方を避けて敵だけ攻撃することも可能なはずだ。以前、サイゾウに捕まったあの時、フェイトはそんなことを言っていた。

 だが、さすがに何千もの兵士が入り乱れる戦場でそれをやるのは不可能だろう。

 ラトはしばし虚空に目をやり、押し黙る。瞳が思案から苦渋に色を変える。フェイトの魔法を思い出して、確認したのだろう。フェイトが団体戦には悲しくなるほど向いていないことを。

 考え込んでいたラトが、少しして顔を上げた。反論を思いついたらしい。

「だ、だが、彼は魔族が攻め込んでくることを予期したし、チャイルドという魔王にも詳しかった」

「そりゃ詳しいでしょ。元魔王なんだから」

「……元魔王?」

 訝しげなラトの問い返しに、シルフィはハッと我に返った。そう言えばラトはフェイトの正体を知らないのだ。何かカタギではなさそうだとは思っているだろうが、さすがに元魔王だとは思っていないはずである。

「シルフィ。それは一体どういう意味だ?」

「あー、だから、まるで魔王みたいな奴だってこと。ほら、強いし」

「元っていうのは?」

「へ? あ、えーとね、それはつまり――」

 しどろもどろになりながら、何とか言い訳をひねり出そうと苦心していると、

「!?」

「うおっ!」

 頭上から。

 凄まじい轟音と震動と威圧感が、嵐のように押し寄せてきた。

「これは……」

「フェイト?」

 呟くが、わざわざ確認しなくても、これほどの力を出せるのは彼とチャイルド以外にありえなかった。

 

 シルフィに怒られるかな、と何となく思った。

 チャイルドに初撃を浴びせて雷から姿を戻したフェイトは、その光景をゆっくりと見渡した。

 顔を上げれば、果てしなく続く夜空。

 目線を少し下げれば、眼下に広がるのはイベリアの国。さすがにこれだけ大騒ぎされては眠っていられないらしく、あちこちに明かりが灯っている。フェイトはそれを見て、わずかに申し訳ない気持ちになった。

 本来見えるはずのないその光景を、なぜフェイトは見ることができるのか。

 それはもちろん、視界を遮るはずの壁がなくなったからだった。

 屋根も。壁も。シルフィの部屋の床より上にあったもの。それらは全て、フェイトとチャイルドの一度の邂逅で消し飛んでしまっていた。夜空から星の光が降ってきて、惨状を明るく照らしている。

 これを修復するのは、おそらく数年がかりになるだろう。それほどまでに徹底的に、容赦なく、城の上部は破壊されていた。今更ではあるが、フェイトは上の階に人がいないことを願った。

 これだけのことをしてしまって、シルフィに怒られるかな、と思う。

 むしろ殺されるかな、と思う。

 鬼の形相で自分に食って掛かるシルフィを想像して、フェイトは苦笑した。およそお姫様らしくない少女だとつくづく思う。あんな性格では、彼女の両親やラトはさぞ苦労していたことだろう。苦々しく微笑みながら奔放なシルフィを眺める人々が、フェイトの脳裏に浮かぶ。

 そのうちの一人でありたいと、何気なしに思う。

「――だから、僕は負けないよ。チャイルド」

 ガラガラガラと瓦礫を崩しながら姿を現したチャイルドに、フェイトは言った。

 服や髪の埃を払っていたチャイルドは、きょとんとした表情を見せた。

「だからって何がだ? 前の文もねえのに接続詞なんか使うんじゃねえよ」

「接続詞……。チャイルド、足りない頭を捻って学のありそうな言葉を出したのに悪いけど、はっきり言って滑稽なだけだね」

「そーかそーか、そりゃ悪かった。お詫びにぶち殺してやるぞ、この腐れクソガキ」

 右手で剣を持っていたチャイルドが、更に左手でもう一本の剣を抜いた。

 フェイトはそれと同時に変化。炎へと姿を変え、チャイルドに襲いかかる。長い炎の尾となって、チャイルドの身体を巻きつくように炎に包み――

『……ふん』

 炎となりながら、フェイトは息を吐いた。

 防がれるのは予想していたことではあった。あわよくば服に火がつくことを期待したが、雷の猛攻を傷一つ負わずにやり過ごすチャイルドである。そんな間抜けな真似をするはずもない。

「炎か。さっきの雷よか、目には優しいな」

 余裕のあるチャイルドの声。

 青白い半透明の障壁の内側から、それは聞こえてきていた。

 光の壁は輝きを増しながら、炎となったフェイトを阻んでいる。傷つきもせず、燃え上がることもなく、絶対の防御でチャイルドを守っている光の盾。

 しばしその周囲を探っていたが、フェイトはすぐに諦めた。我慢比べではこちらに分が悪い。

 最初の位置に戻って姿を戻すと同時に、チャイルドを覆っていた障壁も消えた。

「相変わらず忌々しい盾だね」

「お褒めの言葉をどうもありがとうよ」

 即座に返された食えない言葉に、フェイトは小さく舌打ちした。本来ならチャイルドには絶対に聞こえない大きさである。

 が、憎たらしいことに、東の魔王はしっかりと聞き取ったらしい。ニヤリと笑って、口を開いた。

「俺がお前に勝ち越している理由」

「?」

「分かるだろ? 俺にはこの力があるからだ」

 両手を広げて、演説でもするように。剣を握る手にはロクに力を入れてもいない。今ならフェイトではなくても、普通に斬りかかるだけで倒せそうに見える。

 だが、倒せない。

 チャイルドには絶対と言える防御の術がある。先ほどフェイトの魔法を防いだあの障壁。フェイトが、チャイルドにだけは無敵になれない理由。青白い光の盾を生み出す魔法が、チャイルドの切り札なのだった。

 二人の戦いは、実にシンプルなものだ。

 チャイルドは、フェイトが魔法を解いて姿を現す時を狙えばいい。

 逆にフェイトは、チャイルドが魔法を使えない一瞬――攻撃の瞬間を狙えばいい。

 絶対的な破壊力を持つフェイトはもとより、チャイルドの一撃もまた、生身では普通の少年と変わりないフェイトを戦闘不能にさせられる。一撃でいいのだ。先に相手に一撃食らわせること。それが、フェイトとチャイルドの戦いにおける勝利条件だった。

「フェイト。あれ見てみろよ」

 唐突に、チャイルドは話の矛先を変えた。彼が指差す先。横目を使って眺めてみれば、

「……」

 光の群れだった。

 トロイ山脈の山肌一杯に広がる光。発光するオレンジ色の塊が何を示しているのか、フェイトにはすぐに察せられた。

「お前の手下か」

「まあ、そういうことだな。どうするフェイト? 時間はもうそんなにねえぞ。本隊があそこにいるってことは、先頭集団はもうすぐそこまで来てるぜ」

 得意そうに言うチャイルドに、フェイトは鼻を鳴らしながら答えた。

「僕が行って片付けるさ」

「……俺は無視、ね。だが、そうするとお前の大事な巫女がその報いを受けることになるぜ」

「無視するなんて言ってない」

 フェイトは山脈の光群から目を離し、再びチャイルドに向けた。笑みを浮かべていた東の魔王がふと表情を引き締める。こちらの発する空気を感じたらしい。

「お前を倒してから行くさ。簡単なことだ」

「言葉だけ聞けば簡単だわな、確かに。だが――させるかよ」

 言葉と同時に、チャイルドがわずかに前かがみになり、

「――っ!」

 次の瞬間には、目の前に剣があった。頭で考えるより先に身体が変化する。雷となって前方へ、チャイルドの身体があるであろう場所へ、その向こうへ突き抜けるように突っ込んだ。

 が、身体に触れる寸前に出現した光の壁に阻まれる。チャイルドの小さな笑い声。

 だが、フェイトはそれに構わず、盾ごとチャイルドの身体を吹っ飛ばした。

「ぬおっ!?」

 意外そうな声。まだ終わらせない。フェイトは吹っ飛ぶチャイルドの身体を更に追う。青白い障壁が迫り、それに再度衝撃を加える。加速しながら後方へ飛ばされるチャイルド。目の端を掠めた彼の表情は、怪訝からわずかな驚愕へ。

「おい、まさか」

 答える余裕も気持ちも、ありはしない。

 フェイトは更にチャイルドに追い迫り、三撃目。

『――落ちろ』

 フェイトの、そんな言葉の通り。

 三度の攻撃で急激な加速をしたチャイルドの身体は、床の端で止まることができず、虚空へと投げ出された。

 

 床の端で一度姿を戻し、フェイトは落ち行くチャイルドを見やる。表情は判別できないが、風に乗ってくるかすかな声ははっきりと笑っていた。

 フェイトの全力の攻撃を耐えた男が高空から落下したところで死ぬわけがない。少しは手ごたえがありそうで安心したとか、そんな感じのことを一人で高らかに叫んでいるのだろう。

 そんな東の魔王はとりあえず無視し、フェイトはトロイ山脈の方へと目を向けた。オレンジ色の光は当たり前だが健在だ。イベリアの国民も気づき始めているらしく、崩壊直前の城との相乗効果で物凄い騒ぎとなっていた。夜の静けさなどもはや皆無である。皆が外に出てきて、何事かと口々に言い合っている様がよく見えた。

 あちらの方はラトとシルフィに任せようと思った。フェイトが出て行ったところで更なる混乱を招くだけだ。信頼の厚いであろう聖騎士と、神のごとく崇められている巫女。この二人ならどうにか落ち着かせられるはずだ。

 トロイ山脈に近づきつつあるチャイルドの部下、東の魔族たち。

 彼らに対する用意は何もないが、フェイトはあることをアテにしていた。おそらく外れることはないだろうと思う。話すと色々ややこしいことになりそうなのでラトとシルフィには黙っておいたが、チャイルドの部下は少なくとも半数、うまくいけばそれ以上に数を減らすことになるはずだった。

 フェイトがアテにしているのは、他でもない北の魔族たちである。

 フェイトの都合ために戦うことは絶対にないだろうが、自分たちの領域を犯されるとなれば彼らは黙っていないだろう。それがフェイトの読みだった。計算の通りなら、今頃は付近にいる北の魔族が境界線付近に勢揃いしているはずだ。彼らがチャイルドの手下を阻んでくれれば、かなりの時間が稼げる。

 ラトとシルフィに黙っていた理由は、自分の国の近くで魔族の大決戦があると知れば、理屈はどうあれ決して良い気持ちにはならないだろうと思ったからだ。それではまずい。彼らには「自分たちで追い返す」という気持ちになってもらわなければいけない。扇動する者が心の底から主張できないようでは、後に続く者の気持ちもそぞろになってしまう。

 北と東が正面からぶつかり合い、おそらく北の魔族たちは突破される。これは仕方ない。奇襲の強みが向こうにある。ロクに準備も整えられない状態で戦って勝てるほど、チャイルドは甘い編成をしてはいないだろう。

 だがそれでも、意地にかけても東の魔族たちにそれなりの損害は負わせるはず。

 そこに、ラトとシルフィの煽りでやる気になったイベリア国民全員がぶつかって行く。それがフェイトの作戦だった。「だろう」や「はず」が多いのは、急ごしらえなのだから仕方ない。

 しかし、これでも勝率は五分五分といったところだ。そもそも北の魔族が集まってくれなければ成立しない。

 念のためにトロイ山脈まで様子を見て来ようか。そうしたい気持ちも決して弱くない。

 だが、チャイルドのことを考えると、持てる力は可能な限り温存しておきたかった。

 と――

「くおらぁ、フェイト! 降りて来いこのクソガキ!」

 突っ込んだ人家から飛び出てきたチャイルドが、大声と呼ぶのもバカらしいような音量で怒鳴ってきた。どうやらダメージは皆無のようだ。

 予想はしていたからそれはいいとして、姿は豆粒ほどにしか見えないのに声がはっきりと聞こえるとはどういうことなのか。これだけ離れているフェイトに聞こえるということは、付近に行けば相当凄まじいはずである。

 付近の住民を哀れむフェイトは、しかし軽く眉をひそめた。いまだ怒鳴り続けるチャイルドに、人目が集中しつつあるのだ。

 まずいな、と思う。チャイルドの存在が知られるのはリスク以外の何にもならないのだ。外から敵が迫ってきている今、内にも敵がいることは何としてでも隠さなければならない。両方に同時に対処するなど、イベリア国民にはできるはずがないのだから。どちらか一方へ、外の敵へのみ意識を向けさせることが、絶対に必要な条件なのだ。

 いまだ怒鳴っているチャイルド。これ以上放置しておくわけにはいかない。

 フェイトはため息一つ。白み始めた空の下、意識を頭の一点に集中させる。

 身体が熱くなる。灼熱に内側から焼かれるように、熱気が身体の奥から迸る。マグマが噴き出るようにそれらは身体の外へと放出され、それと同時に手足の感覚が徐々に変化していく。独立した器官が消え、身体という唯一の存在が残り、

『――』

 そしてフェイトは雷に変化し、チャイルドに白い矢となって襲い掛かる。

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