出来損ないの支配者

 

 とても暖かい光が微かに見える。シルフィの回復魔法。こんなに気持ちいいなら回復以外のときでもマッサージみたいな感じでやって欲しいなあと、フェイトはどこか余裕な思考を巡らす。

 チャイルドに負けた。

 少なくとも、一対一の勝負では完璧に負けた。これから始めるのはフェイト対チャイルドではなく、史上最小規模ではあるが、東と北の戦争だ。

 かつてはどちらかが死ぬまで決着はつかないとか言っていたが、フェイトは思う。チャイルドと自分。強いのは、チャイルドの方だ。

 それでもいいと、そう思えた。

 自分が最強である必要はない。守りたいものを守ることができれば、最弱だとしても構わない。強さで全てが決まるのは、魔族たちの話だ。自分はもう魔族じゃない。

 魔族。

 家族を奪った奴ら。だから憎い。それは確かだ。強力な魔法を持って生まれたというだけで、家も家族も友達も、全て取り上げられた。怒るなという方が無理だ。そんなことをされたら、誰だって怒るに決まっている――と、理屈ではそうなる。

 ただ、フェイトは口で言うほど、魔族の連中が憎いわけではなかった。

 当たり前と言えば当たり前だ。フェイトは生まれてすぐ魔族にさらわれたのだから、家や家族や友達の記憶などあるわけがないのだ。奪われるには前提として与えられていなければならない。フェイトは、奪われるものなど最初から持っていなかった。

 では、真に奪われたのは、誰か。

 ――リヴ。

 フェイトと、北の主だった魔族しか知らない事実。彼女もまた、奪われた“人間”だった。幼い頃、魔王としての日々に癇癪を起こした自分の慰みとして連れてこられた少女。今でこそ忘れているようだが、彼女には奪われる記憶があった。幼いながら、両親や家族、友達というものを持っていた。だからこそ最初の頃は泣いてばかりいた。お父さんは? お母さんは? ここ、どこなの――?

 一番辛い役目を押し付けられたのは。

 一番苦しい思いを強いられたのは。

 最高権力者である魔王より、更に辛い立場に置かれたのは。

 謝らなくちゃと、そう思う。

 リヴに謝らなくてはならない。彼女の境遇を周囲のせいにして、自分の非を認めなかったこと。大人しく魔王をやっていれば良かったものを、わがままを言ったせいで連れてこられてしまった少女に。

 目を開ける。

 額に汗を浮かべながら、砂の中の針でも探すかのような真剣な表情で、シルフィがこちらを見下ろしている。

「ちょっと、フェイト。まだ動いちゃ――」

「大丈夫だから、聞いて。時間がないからこのまま説明する」

「?」

「――」

 口を開きかけて閉じる。フェイトは何度も頭に繰り返し浮かべた作戦を、再び頭の中に浮かべる。何しろ綱の上を指一本で逆立ちしながら進むような内容なのだ。はっきり言って無謀。無茶。ギムルに話したときは呆れられたし、おそらくシルフィはしばらく理解もできないだろう。

 だが、これしかない。

 リヴを助けてチャイルドも倒すには、もうこの方法以外にない。文句があるなら代わりに案を出せと、誰にともなくフェイトはそう言った。

「どうしたの?」

 首を傾げるシルフィに軽く微笑みながら、フェイトは作戦を伝え始めた。

 シルフィの表情が、驚く。

 話を聞いているうちに、その表情に疑問の影がさす。

 そして最後の方に至って、ぽかんと口をあけて呆然としていた。

「……え、あの、フェイト。色々言いたいことはあるんだけど……それで大丈夫なの?」

 言いたいこととやらを一まとめにした言葉だろう。要するに、全く信用できず安心できないということだ。そりゃそうだろうなと自分で思うフェイトとしては、苦笑するしかない。

「多分、大丈夫」

「あ……そ、そうなの?」

「うん。まあ、楽勝って言えないのは確かだけど。勝てるよ。それは間違いない」

「……」

「質問、何かある?」

 尋ねながら、フェイトは思う。

 今の言葉は嘘だ。絶対勝てるとはとても言えない。勝率は正直に言って、低い。

 だが、フェイトはあえて嘘をついた。本当のことを言ったところで不安にさせるだけなのだ。見え透いていたとしても、嘘をついて安心させた方がいい。

「……一つだけ、質問ってわけじゃないけど」

「いいよ」

 傷はもう大方塞がっていた。

 だが、シルフィは治療をやめない。どうやら傷を治すだけではなく、失われた体力まで回復させるつもりのようだ。これで彼女の出番は終わり――というわけにもいかないので、彼女自身の体力も多少は残しておいて欲しいだが、それでも可能な限り自分を動けるようにしてくれるつもりらしい。

 ありがたい。正直、傷を塞がれただけではまともに動くことも出来なさそうだったのだ。

 そんなフェイトの思いを知ってか知らずか、シルフィは治療を続けながら言った。

「事が終わったら、一回会いにきて。リヴちゃんも一緒に」

「それはいいけど、リヴも? 喧嘩したりしない?」

「しないわよ。勝てないもん。えっとね、ちょっと、あの子に言いたいことがあるから」

「うわー、怖。言いたいことだって。ちょっとあの子に、だって。……頼むから、殴ったりしないでよね」

 割と本気で言った言葉に、シルフィの目が半眼になる。

「わたしは一体どんなキャラよ。殴ったりしないわよ絶対殴り返されるもの。勝てない喧嘩はしない主義なの。……そうじゃなくてね、あの子に言われたことに答えるの」

「前半は無視するとして、なに? リヴに何か言われたの?」

「フェイトには関係ないの。いいから黙ってあの子を連れてくればいいのよ」

 そう言われると何となく、のけ者にされたようで気分が悪い。

 だが、フェイトはあえて何も言わずにおいた。ここでいつまでも与太話をしていられる状況ではないし、後でリヴに聞いてみれば分かることだ。

 ……もっともリヴの場合、フェイトに対するとき以外の言動は割と無責任なので、適当なことをちょっと言ってみただけで、何を言ったかなどとっくに忘れている可能性もあるのだが。

 体力はもう、動けるほどには戻っていた。

「シルフィ、もういいよ。後は自分のために残しておいて」

「ん」

 シルフィは一つ頷き、最後に一際強く光を輝かせた後、すっと手をフェイトの上から引いた。光が消え、心地よかった感触が失われる。

「ああ、至福の時が終わる瞬間」

「なにアホなこと言ってるのよ。ほら、キリキリ立ってキリキリ動く」

「一応僕、怪我人なんだけどな……いやうん、分かってるよ。分かってるって、そんな甘いことを言っていられる状況じゃないってことは」

ジロリと睨んできたシルフィに苦笑いを向けながら、フェイトは身体をゆっくりと起こした。鈍痛はまだ多少ある……が、先ほどまでの意識が遠のくような痛みはもうない。さすがシルフィ。神だ奇跡だと崇められ、戦闘バカ三人の回復を一手に引き受けていただけのことはある。

「どう?」

「ぜんぜん平気。すごい効果だよ」

 シルフィの問いに、フェイトは軽く腕を振って答えた。

 とは言っても、チャイルドと戦っていたときのように変化を連発するようなことはできそうにない。雷になるとしたら、後三、四回が限度だろう。さすがのシルフィも精神力は回復できないようで、身体は万全なのにどこか気だるいという、寝起きにも似た症状がフェイトの身体を支配していた。

 だがまあ、三、四回も変化できるなら十分だろう。首をコキコキ鳴らしながらフェイトは思う。自分が再びチャイルドと戦うならともかく、今回の作戦はそういうわけではないのだ。

 そう。

 チャイルドと戦うのはフェイトではない。

「さあ。それじゃ始めよう。ギムル」

「おう」

 周囲を警戒していた虎男が、首だけをこちらに向けてくる。

「僕はもう行くから、お前もシルフィを連れて準備を始めてくれ」

「了解。……まったく、またこうしてお前の命令を聞くことになるとは思わなかったぜ」

 愚痴のように呟くギムル。だが、表情こそ渋いものの、その口調には楽しげな響きも混じっていた。

「ギムル」

「あん?」

「ありがとう。正直、お前が僕の言うことを聞いてくれるとは思わなかった。さっき会ったとき、心の中では殺されるんじゃないかってビクビクしてたからね。……本当にありがとう」

 それは、フェイトの本心だった。

 あの塔で、彼らに対してしたことが間違っていたとは思わない。が、悪いことをしたとは思っていた。自分のわがままで物凄い迷惑をかけた。特にギムルのような普通に良い奴をも裏切ってしまったことに対しては、わずかにではあるが、フェイトは心を痛めていた。ギムルは絶対に自分を恨んでいるはずで、のこのこ顔を出したりしたらその瞬間に八つ裂きにされる。ここでシルフィを見つけるまで、フェイトはずっとそんな思いを胸に抱いていたのだ。

 このイベリアの地。ラトはもう手一杯だし、シルフィは行方不明だったし、リヴやアレスたちはとっくにここを離れているし、さりとて一人でいてはいずれ死ぬ。そういうわけでギムルに頼る以外になく、仕方なく彼の前に姿を現したのだが、素直に認める。あれは、自分が今まで渡ってきた橋の中でも最大級にヤバイものだった。

 だが、彼は絵空事にも近い自分の作戦に頷き、回復のためにシルフィを探し出してもくれた。感謝してもしきれない。彼がいなければ、今の状況はもっとずっと絶望的なものになっていただろう。

 そのことに対して、フェイトは今の自分に出来る精一杯の感謝の意を示したのだが……

「……なんで二人してバカみたいに口を丸くしてるのさ」

 ギムルはもとより、シルフィまでもが口をぽかんと開けて、幽霊でも見るような目でこちらを見ていた。

「いや、だって……」

「……お前が礼を言うなんてよ、天変地異の前触れかって……」

「シツレイな。僕だって人に感謝するときくらいあるんだよ」

 一年に一回くらいだけどね、という言葉は、胸の奥にしまっておく。

 ギムルは咳払いをして、仕切りなおしのように、

「まあ、なんだ。万が一にも、今のが吉兆であることを願う」

「なにその万が一って」

「だってお前、魔王だし。そんな奴の言葉が吉兆なわけあるか」

「お前が否定してどーするの。大体、そう言うお前は魔族じゃないか」

「何の関係がある」

「別に何の関係もないけど」

「だったら――」

 不毛な言い争いが勃発しようとしたところに、シルフィの制止が割り込んできた。

「結論の出ない言い争いしてる場合じゃないでしょ! ただでさえ時間ないんだから、どうでもいいことで時間を無駄にするな!」

『……はい』

 フェイトとギムルは、同時に頷いた。

 

 五匹目までは、順調だった。

 だが、六匹目のドラゴンが、倒れる間際に爪を苦し紛れに繰り出した。三匹も四匹も同時に相手にしていたリヴに、全くの不意打ちだったそれを避けるのは不可能だった。少女の細い肩が薙がれて、掠っただけのようだったのに恐ろしい量の鮮血が飛び散って、そこから状況は一変した。

「……くっそ」

 アレスの舌打ちが聞こえる。

 しんがりを務めるゲッソーの雄叫びが聞こえる。

 少しずつ弱く細くなっていくリヴの息遣いが、耳元で聞こえる。

「リヴちゃん。しっかりして!」

 リヴを背負って走りながら、ノエルは小声で叱咤する。大声で励ましたいところだが、ノエルの息すらもう切れていた。リヴが傷を負ってから、ずっと荒野を逃げ続けているのだ。頭上からグレンの笑い声が聞こえる。殺そうと思えばすぐにでも殺せるくせに、それをしない。なぶり殺しにでもするつもりらしい。

 悔しかった。

 せめてあの憎たらしい小男だけでも、道連れに殺してやりたいのに。

「ぐおおおおおおおおおおおおおお!!」

 ゲッソーの声。彼とアレスが、時折舞い降りては一撃を見舞っていくドラゴンの相手をしているのだ。ノエルは武器も持たず、ひたすら走る。リヴを背負いながら、身を隠せる場所を探して走り続ける。

 リヴが主戦力となり、アレス、ゲッソーが周囲を固め、ノエルが後方からグレンを狙って指揮を乱す。この陣形でドラゴン五匹を葬ったときは、ひょっとしたらいけるかと思ったのだ。だが、要のリヴが倒れた今、逃亡以外の選択肢は残されていなかった。

 背中のか細い身体から、熱い物が伝わってくる。リヴの血が止まらない。ただでさえ小柄なのだ。これ以上の出血は命にすら関わる。エヴリスの力は役に立たないのだろうか。フェイトは? この娘を守るべきあの少年は、何をやっている?

 この程度の傷、シルフィがいれば――

 死を待つ以外にない重傷をシルフィが治す様を、ノエルは何度も目の当たりにしている。アレスの傷。ゲッソーの傷。ノエル自身の傷。それ以外にも、旅路を共にした数多の冒険者たちの怪我。シルフィは全て治してのけた。彼女に治せない傷など、ノエルが知る限りではなかった。

 背中のリヴを意識しながら、この程度なら、と思う。

 傷そのものは肩にある。致命傷ではない。シルフィがいればたちどころに治してくれる。どうにかしてイベリアにたどり着くことが出来れば。そうでなければ、フェイトか誰かがシルフィをここに連れてきてくれれば――

「……」

 浮かんだ考えを、ノエルは頭を振りながら捨てた。イベリアへ向かうのをドラゴンの背に乗っているグレンが見逃すはずがないし、フェイトが都合よくシルフィを連れてくるわけもない。起こることはない奇跡を悠長に願っていては、いずれ殺されてしまう。

 奇跡を願うくらいなら、次の行動を考える。

 生き残るために絶対に必要な思考回路だ。

 だが、ここは見渡す限りの荒野。身を隠す場所はない。グレンを仕留めてドラゴンの動きを乱そうにも、あのムカつく男は遥か上空のドラゴンの背にいる。ノエルの矢でも、あそこまでは届かない。

 グレンを乗せたドラゴンが降りてくることは、絶対にない。あの男は用心深くて臆病だ。自分の身が少しでも危険になるような真似をするはずがない。

 ……絶対絶命というやつかもしれない。ノエルの口元に苦笑が浮かび、頬に一筋汗が流れる。

 ドラゴンはどんな方法で殺しに来るのだろう。牙で食いちぎるのか、炎を吐いて焼き尽くすのか。後者ではどうしようもないが、前者ならまだ、喉にナイフを突き立てでもすれば相打ちには持ち込める。

 もうこの際、全員で生きて帰ろうなどという考えは捨てるべきだった。誰かが犠牲にならなければいけない。相打ち覚悟で挑むしか、頭上の化け物に太刀打ちする術はない。

 せめて、リヴだけでも助けてあげたいと思う。

 この小さく弱々しい少女だけでも、生きて帰らせてあげたいと思う。

「……リヴちゃん。聞こえる?」

 小声で、絶え絶えになりながら、ノエルは背中の少女に問いかけた。意識があってくれないものか。そう願いながら。

「……ぅん」

「!」

 弱々しい、それでも、確かな返答。ある程度まで回復しているのか、震動と騒動によって強制的に目覚めさせられたのか、それは定かではない。が、何にせよ、彼女が意識を取り戻してくれた。

 これで、伝えられる。そう思いながら、口にした。

「今から私たちがドラゴンを足止めするから、その間に、出来るだけ遠くに逃げて」

「……え?」

 アレスとゲッソーの了承をとっていないが、まあ、あの二人なら賛成してくれるだろう。

「多分、何匹かはそっちに行くと思う。正直、わたしたちだけじゃ一匹相手にするだけで精一杯だから、あんまりフォローはしてあげられないけど……それでも、リヴちゃんなら絶対にうまく逃げられる」

「ちょ、ちょっと待って。わたしは――」

「フェイトに会いたいんでしょ?」

 止めに近い一言だった。

 それを言った瞬間にリヴは押し黙り、怪我の痛みすら忘れた様子で「フェイト様……」と呟いた。純粋そのものな響きが可愛らしく、その中に混じったほんの少しの怯えが痛々しい。どうやらまだ、フェイトが自分のことを憎むようになるのではないかと疑っているようだ。ノエルは微苦笑。ささやかなアドバイスを送る。

「あのね。前、アレスがフェイトに聞いてみたことがあるの」

「?」

「魔族の中に、友達はいたのかって」

 あの日。

 まだフェイトが仲間になって間もない頃。シルフィが人質に取られた、雇い主が実は黒い仕事に手を染めていて娘がそれを告発しようとしていて、という、何だか忙しかったあの頃。

「フェイトはなんて答えたと思う?」

 リヴは致命傷でこそないものの、それでも無視できないほどの怪我を負っている。余計な体力を使わせるわけにはいかない。返答を待たず、ノエルはすぐさま答えを口にした。

「女の子が一人いたって、そう言ったわ」

 一緒にいると楽しかったと、そう言った。

 自分の前だけでは割と普通で、思い込みが激しい部分もあったが、基本的には素直だったと、そう言っていたフェイトの表情。ノエルは覚えている。

 ひどく懐かしそうな、そして嬉しそうな微笑みを。

「フェイトが魔族を嫌ってるのは、多分間違いじゃないと思う。実際、塔を吹き飛ばしたしね」

「……」

 背中から、心細げな沈黙。

「でもね」

「?」

「他の魔族はともかく、あなただけは、フェイトの中では例外のはずよ。そうじゃなきゃ、友達だなんて言わないもの。嫌ってるなら、あなたのことを私たちに教えたりしないもの」

「でも――」

 反論させない。二の句を継がせない。伝えなければいけないことがあるのだ。ただでさえあまり時間がないのだ。

 嫌われるかもしれないというリヴの悩み。こればかりはフェイトだけでは解決できない。第三者が、第三者の視点で見た意見も含まなければ、リヴは納得できない。

 その第三者となるのは、他でもない、自分たちだ。

 リヴと過ごした時間がほとんどないシルフィではない。もちろん、彼女の悩みの種そのものであるフェイトであるはずがない。彼女やフェイトと時間を共有した自分たちだけが、彼女に伝えられることがある。

 口を開く。第三者の視点で見た意見を、そのままに伝える。

「この先だってずっとそう。私たちよりも、シルフィよりも、フェイトはあなたのことを一番大切に想ってるはず」

 イベリアに向かう道中。魔王を辞めたときにリヴを置いてきたことを、フェイトは後悔していた。

 自分を慕う少女を捨てるような真似を一時でもしたことを、悔やんでいた。

 思う。あの姿を見れば誰だって確信する。シルフィだろうとノエルだろうと、もちろんアレスでもゲッソーでも、リヴと同じ立場にあったのが他の誰だったとしても、フェイトはあそこまで悔やまない。

 リヴだからこそ、なのだ。

 フェイトが最も大切にしているのは、背中にいる小さな女の子だ。間違いない。魔王という暗い時代の中で、ただ一人だけ大切だと思えた相手。その気になればいくらでも好き勝手やれる今とは違う。何をすればいいのか分からなくて、悩んで迷っていた頃。そんな時に出逢った相手というのは、フェイトにとって、これから出会う誰とも違う価値がある。

 何度でも断言する。

「フェイトがあなたを捨てるなんて、ありえない」

 根拠などはいくらでもある。何度でも何度でも、納得させるまで言い切ってやる。

「あなたがフェイトを一番大事に思ってるように、フェイトも、あなたを一番大事に思ってる」

「それは、今は――」

「これからもずっと」

「……」

 きっぱりと言い切る。反論は許さない。無理やりにでも納得させてしまえばこっちのものだ。どうせ、傍から見れば杞憂としか言いようのない悩みなのだ。力技だろうが何だろうが構いはしない。

「もし、フェイトがあなたを捨てるときが来るとしたら」

 冗談めかして続けた言葉に、リヴが背中ごしにビクリと震えた。予想通り、実に単純極まりない反応だ。

 昨日まで彼女に抱いていた、人形のような印象はもうなかった。今のリヴは無感情でも無表情でもない。

 最後の最後だが、彼女の素顔を見られたことを、ほんの少しだけ嬉しく思った。

「それは、あなたが先にフェイトを捨てたときね。他に誰か大事な人が出来たとき。そのときは、ひょっとしたら――」

「そんなこと、ぜったいない」

 きっぱりと、リヴは断言した。

 ノエルは苦笑が抑えられない。こういうことだけは妙に強情な口調になるのは、やはりそれだけフェイトを慕っているからなのだろう。呆れるほどに一途な態度は、彼女が抱いているのが単なる思慕や恋愛感情ではないことを表していた。

 フェイトにとって彼女が救いであったように、彼女にとっても、フェイトの存在は救いだったのだろう。屈強だったり化け物だったりする魔族の中にいた、ただ一人の歳の近い男の子。気持ちは分からないでもない。

 今はまだ、リヴはただ、フェイトを一心に慕っていればいいだろう。

 他人の介入などなくても、転機は必ず訪れる。フェイトが魔王を辞めることを決心したように。それがフェイトとリヴを別つことになるのか、それとも二人はずっと一緒にいるのか、それは誰にも分からない。

 確かなのは、その転機を迎えるためには、彼女は必ず生き延びなければならないということだ。

「なら大丈夫。あなたたちはずっと一緒にいられる」

 リヴは、こうして背負われているよりも自分で走る方が何倍も速い。怪我をしているからノエルが背負っているだけだ。逃げ切る確率だけを考えるなら、リヴを一人先行させた方がいい。

 だが、今のリヴは戦うことができない。走るだけで精一杯だろう。彼女に語りかけながらノエルは考える。戦うのは自分たちの役目だ。彼女だけは何としてでも逃がす。一秒でも長く時間を稼ぐためにはどうすればいいか。どうすればグレンの注意をリヴから逸らすことが出来るか。どうすれば――

 その時だった。

「――来るっ!」

 背中から、突然鋭い声がした。

「っ!」

 頭上から、ドラゴンが一斉に降下してきたのだ。グレンが高らかに叫んでいる。よく聞き取れないが、死ねとか殺せとか、そんな感じの言葉を口にしているのだろう。ようやく嬲るのに飽きたらしい。

 この期を逃す手はなかった。グレンが近づいてくる。最初で最後のチャンスだ。ここで奴を仕留めれば。自分が死んでもアレスとゲッソーが仕留めればいい。二人のうちのどちらかでもいい。とにかくグレンだけは殺す。奴さえいなくなれば、頭さえ潰してしまえば、リヴ一人でも逃げ切れる可能性はずっと高くなる。

 その時、打ち合わせをしたわけでもないのに、男二人と目があった。

 全く同じことを考えていた目だった。頼もしくなって、思わず微笑む。やっぱりこの二人は最高の仲間だ。この二人と、シルフィと、フェイトにリヴも。彼らと仲間でいられたことを、自分は、ノエル・クライナは誇りに思う――!

 背中に回していた腕を解いて、ナイフを腰から抜き放った。放り出されたリヴの体重が消える。怪我人に対する扱いとしては最大級に酷いものだが、この際だ。仕方ない。

「リヴちゃん――」

 逃げて! と、そう叫ぼうとして、

 

「……ありがとう。少し、元気出た」

 

 耳元で、そんな声。

 肩に生まれる、小さな小さな衝撃。

 目の端を、黒い服が風のように横切っていく。

「リ――」

 誰よりも速く、ノエルよりもアレスよりもゲッソーよりも速く、小柄な少女はグレンに向かって地を蹴っていた。

 最後の最後、ただ一人の少年以外には決して口にすることのなかった、親しみを込めた声で礼を言った。

 

 リヴにとって、フェイトの命令は絶対だった。

三人を守れと言われたなら、何が何でも守るべきなのだった。言いつけを守らなかったらフェイトは自分に失望する。それが不可抗力なら許してはくれるだろうが、それでも三人の死を、フェイトは必ず悲しむだろう。

 自分のせいでフェイトが悲しむなど、リヴにとってはあってはならないことだった。

 守れと言われたなら、何をしてでも守るしかない。

 例えそのせいで、自らが命を落としたとしても。

 そのために、フェイトが嘆き悲しむとしても。

 

「リヴちゃ――」

 ノエルの声が聞こえる。

 フェイトが仲間と認めた彼ら。つい昨日までは、どうしてフェイトが彼らと一緒にいるのか分からなかった。彼らがフェイトの仲間でいるなど、分不相応もいいところだと、そう思っていた。

 別に、今になってその思いが変わったわけではない。フェイトの仲間など非力な彼らには相応しくない。その気持ちは変わらない。

 だが。

 自分は、彼らのことがほんの少しだけ好きになったと、リヴは思う。

 フェイトの仲間と認めることは出来ないけれど、自分の仲間くらいになら、認めてやってもいいかもしれないと思う。

 フェイトが彼らに見出した価値を、自分もまた見出せたのかもしれない。

 そのことを、リヴは物凄く嬉しく思う。

 フェイトと同じ思いを持てたことを、たまらなく嬉しく思う。

 顔を上げる。あと数歩の距離を隔てたところに、グレンの恐怖に歪んだ表情がある。

 風に薙がれるたびに、肩の傷が悲鳴をあげる。だが、利き腕ではないだけマシだった。顔が痛みに歪むのは抑えられないが、悲鳴を我慢できないほどじゃない。ドラゴンの身体を蹴り、憎き相手の喉を見据える。爪をほんの少しだけ食い込ませてやればいい。それで終わる。変化する暇など与えない。殺す。フェイトを裏切り、そして今もちょっかいを出す害虫。フェイトが相手をするまでもない。この程度の奴は、自分が始末すればいい。

 あと一歩。

 あと一歩で終わる。そう思った直後――横合いからいきなり突き出された爪に、胴体を貫かれた。

「――っ」

 頭が真っ白になるような衝撃。肉薄していたグレンとの距離が、際限なしに遠くなる。背後から聞こえる悲鳴はノエルのものか。怨嗟の叫びは、アレスかゲッソーか。フェイトの声は聞こえない。聞けたならいいのに。悲鳴でも絶叫でも、たとえ笑い声だったとしても、フェイトの声を聞けたらいいのに。

声が聞きたい。姿が見たい。傍に居て欲しい。今すぐここに来て欲しい。

 いつものように、頭を撫でて、笑いかけて欲しい。

 怯えの中に勝利の歓喜を宿した、冷や汗だらけのグレンの表情。

 それを映しているリヴの瞳が、段々と闇に染まる。遠い世界のもののような鈍痛。意識が徐々に薄まっていく。

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