出来損ないの支配者
| 気が焦るのは仕方ないと思う。こうしている間にも、いつチャイルドがここへ来るか分からないのだ。救いを求めて周囲に寄って来る人々。ウザイなどと思ってはいけないと、シルフィは自分に言い聞かせる。彼らは無力だ。自分以上に無力なのだ。この状況で自分に縋ろうとするのは、仕方のないことなのだ。 「ちょ、ちょっと、皆聞いて!」 叫ぶ。が、声は全員に行き届かない。前の方にいる数人はその一言で口を閉ざすのだが、後ろに方にいる連中の騒ぎが収まらないのだ。それにつられて、一度は黙った連中も再び口を開く。地獄のような悪循環。 「巫女さま、これは一体どうなってるんですか!?」 「さっきいた赤髪の男は、何者なんですか?」 「雷は? 何か凄い雷で城が……まさか、あれも赤髪の男が!?」 恐慌にかられた言葉の嵐。耳鳴りと頭痛でシルフィの頭が麻痺しかける。いけない。ここで自分が倒れるわけにはいかない。何とか、どんな手段を用いてでも、彼らに説明しなくてはならない。 フェイトの作戦の要は、他ならない、彼ら無力な国民なのだから。 「シルフィ――」 後ろからラトが声をかけてくる。自分が声を放って黙らせようかと、そう言っているのだろう。いつものように。「巫女さまのお言葉が下る! 静粛にせよ!」 何回聞いたか知れない、ラトのその言葉。 嫌だった。人形のようなあの役割を欠片でも演じるのは、もう絶対に嫌だった。 こんな状況で言う、わがまま。 だけれど、こんな状況だからこそ、とも言える。混乱の極みの中。今更何が後から加わったところで大した問題ではない。 自分は人形ではないのだと、絵に描いたような巫女様ではないのだと、宣言するなら、今しかない。 シルフィは首を横に振り、ラトに否定の意を示した。 「――」 大きく息を吸う。 その直後、シルフィは、あらん限りの力で大喝を放った。 「黙らっしゃいッ!」 巫女が放った一喝はだからなのか、あるいは、人形のようにただ微笑んでいただけの少女が、人格が変わったかのような大声を放ったからなのか。どちらかは分からないし、どちらでも良かった。黙り込んだ人々の群れ。言葉もないらしいラトの気配が背後に。静寂が、波紋のように広がっていく。 コホン、と一つ咳払いをし、シルフィは口を開いた。 「さっきの雷はわたしの友達の力だから。安心して」 人々の表情に安堵が広がった。彼らの目下最大の脅威は、城を全壊させたあの雷の正体だったのだろう。 晴れやかな顔をする彼らに向けて、更に続ける。 「でも、あれよりもっと強いやつが、今、この国にいる」 『……!』 皆がはっとしてこちらを見る。何人かは心当たりがあるのか、不安げに瞳を震わせていた。雷を食らっても微動だにしない、燃え盛る炎のような赤い髪を持つ男。城を壊した後、フェイトとチャイルドは地上で戦っていたのだ。目撃者がいても不思議ではなかった。 「名前はチャイルド。……魔王よ」 その言葉に、すかさず群集の一人が反論してきた。そう。フェイトが健在なのは、自分たちの一行と、限られた一部の者しか知らない事実。彼らの間では―― 「ま、魔王は倒されたはずです!」 この騒ぎの全ては、あのときから始まったのだと思う。 フェイトが――魔王が倒された。その報が世界中を駆け巡った。ずいぶん昔のことのように思える。勢いだけは凄まじかった、フェイトと出会ってからの日々。 「倒されたのは……」 あのとき、倒されたのは―― 「……倒されたのも、魔王。でも、今ここにいるのも、魔王」 魔王は二人いるとか、そういう意味の言葉ではなかった。 あのとき確かに『魔王フェイト』は倒されたのだと、シルフィは思う。 どちらも魔王とはどういう意味かと、人々が視線で問うてくる。どう説明していいのか分からなかった。フェイトのことを知らない彼らに対してフェイトがどうしたと語っても、全く意味がないだろう。 「……魔王は、二人いたの」 人間として世界に出たことが、『魔王』としてのフェイトを変えた。 「一人は倒した。けど、もう一人は今ここにいる」 フェイトはもはや魔王ではなく、ただの一人の人間に成り下がった。 「それを倒すのは――わたしたちの役目」 かつての宿敵を倒すことよりも、妹のような少女を救うことを優先させる。それが『今』のフェイトなのだと、シルフィは思う。 「わたし一人でも、ラト――兄ちゃんでもない。皆で力を合わせなきゃ、ここにいる魔王は倒せない」 言葉の通り、ここにいる全員だ。多ければ多いほどいい。多すぎて困ることはない。……と、フェイトは言っていた。確かにと思う。実力者が大勢集まるとなると問題事も出てくるが、指示に従うだけの素人ならば、数はいくら多くても構わない。別に給金を払うわけでもないのだし。 ましてや、フェイトの立てた作戦では尚更だった。人数が多ければ多いほど成功する確率は高くなる。 シルフィの言葉がよほど意外だったのか、群集がどよどよとざわめいている。シルフィは小さく嘆息して、再び口を開いた。早く説得しなければならない。チャイルドは今のところギムルが引きつけてくれているが、いつこの集会に気づくか知れたものではないのだ。この場を襲撃されたら勝機は完全に失われる。 「ちょっと皆――」 「――聞いてくれ」 その声は、背後から聞こえた。 「……ラト兄ちゃん?」 説得はお前の仕事だ。そう言って今までずっと黙り込んでいたラトが、ズイ、と前に出てきた。声を張り上げようとして息を吸い込んだままのシルフィを押しのけ、人々に向かって語りかける。 「正直に言おう。この国にはもう、聖騎士は俺一人しかいない」 『……!』 正直に言っていいのだろうか、そんなこと。シルフィはわずかに不安になる。元々士気はあまり高くないというのに、これ以上削いだりして大丈夫なのか。 だが、考えもなしにラトがこんなことを言うはずもない。何かあるのだろう。シルフィは、とりあえず黙って見ていることに決める。 そんな思いを余所に、ラトは更に言葉を続けた。 一体何を言いやがるのだコイツはと、シルフィすらそう思う言葉を口にした。 「この国は、おそらくもう終わりだ」 驚きのあまり声も出ず、シルフィはただ、紡がれ続けるラトの言葉を追っていた。 「城が壊れた。町も壊れた。国を守る兵士もいない。この事実、遅くても明朝には、この地を狙う王たちの耳に入ることになる。必ず攻め込まれ……そして、負ける。戦い続ける力をこの国はもう持っていない。ひょっとしたら、戦うことすら出来ないかもしれない」 宗教国家イベリアが、終わる。 歴史の上から、その姿を消す。 ハっとなって群集の中を見る。父も母もあの中にいるはずなのだ。さぞかし激怒していることだろうと思ったのだが……幸いと言おうか不幸と言おうか、二人の姿は見えなかった。 「み、巫女さまのお力は――」 群集の中から声が飛び、それに賛同する声もまた、響く。 「……そうだ……そうだ、そうだ! 巫女さまの力なら!」 「神に選ばれたお人なんだ! 魔王を倒すくらい――」 無茶を言ってくれると思う。倒せるものならとっくに倒している。倒せなかったから今ここにいる。と言うか、ついさっき、惨めに逃走してきたばかりなのだ。その事実を伝えたら、彼らはどんな顔をするだろう。 驚愕か、あるいは絶望か。見てみたい気もしたが、ラトの言葉の方が早かった。 「巫女――シルフィには、戦う力なんかない」 「……」 名前を、呼ばれた。 公の場で、初めてラトに、名前を呼ばれた。 たかが聖騎士が巫女を呼び捨てにした。その事実に頭がついていかないのか、人々が静まり返る。ラトの声が響く。沈痛な、そして静かな声が響く。 「シルフィは戦えない。少なくとも、剣を持って敵に立ち向かうような真似はできない。そんなことは……いや、ともかく、何もかもをシルフィに頼ろうとしないでくれ。彼女は神じゃない。ちょっと特別なだけの人間だ。出来ることと出来ないことがある」 ラトの放った言葉によるどよめきは、しばらく収まりそうになかった。 あの中には両親もいるのかもしれない。というか、確実にいるだろう。それでも出てこないのはなぜだろうか。ラトの言葉の通りだと思っているのか、それとも……。 散々物凄いことを言っておいて、ラトまだ口を閉ざさない。 「魔王を倒す作戦には、多くの協力者が要る」 ようやく話は本題に入る。が……シルフィがそう思った瞬間、またどこか妙な方向へ向かい始めた。 「だが、さっきも言った通り、シルフィは神じゃない。魔王に襲われて死ぬ危険は当然ある」 『……!』 今までで最大のざわめき。 「……襲われる危険を承知で、それでも、俺たちに力を貸してもいい。そう思える人間だけ……十五分後に、向こうの広場へ集まってくれ。考える時間をほとんど与えられないが、本当なら今すぐにでも魔王を倒しに行かなければならないんだ。悪いが、十五分で結論を出してくれ」 “向こうの広場”にて、シルフィとラトは、二人並んで地べたに座り込んでいた。 お互いに口をきかない。 状況が状況だから……というより、先ほどのラトの弁舌にどうコメントしていいのか、お互いに分からなかったからだ。気まずい。シルフィとしては別に責める気などないのだが、では何と言っていいのかと考えると……気まずい。 「……なあ」 そんなとき、ラトがポツリと尋ねてきた。 「卑怯な真似だったと思うか?」 疑問というより、半ば確認のような、その問い。 思う。もしフェイトがこの場にいたなら――はっきりと頷くだろう。卑怯だね、と。 だが、ほとんど他人と言ってもいいフェイトとは違い、シルフィにとってのラトは幼い頃から兄のような存在だったのだ。面と向かってお前は卑怯だ、などと言えるはずもない。 「えっと……」 しかし、かと言って否定することもまた出来ない。卑怯な真似であったことは確かだからだ。表向きだけ否定したとしても意味はない。 「……卑怯って言うなら、わたしも同じだよ」 散々躊躇ってから、シルフィは小さくそう答えた。ラトは何も言わない。 自分たちは、義務を放棄した。 ラトは、国民を最後まで騙し通すという、聖騎士としての義務を。 シルフィは、最後まで神の化身のように振舞うという、巫女としての義務を。 明かしてはならない事実をラトは明かし、シルフィは傍らでそれを黙認した。 すなわち――シルフィがただの人間でしかないことを、国民に知らせてしまったのだ。あれは、あれだけは絶対にやってはいけないことだった。最後の最後まで、欺き通さなければいけないことだった。 全能を演じること。 奇跡の体現者として振舞うこと。『奇跡の巫女』を存在させ続けること。それがシルフィの義務であり、またそれを真実として押し通すことがラトの義務だった。 今頃、人々は思っているだろう。なぜ今になってそんなことを、と。 今まで騙し続けてきたのなら、最後まで騙し通すべきなのだ。それが、滅び行くこの国の上に立っていた者としての、最後の使命なのだ。 それすらも、自分たちは放棄した。 奇跡の巫女など最初からいなかったと、そう宣言した。 ――ここにいるのはただの人間。ただの少女。だからあまり頼るな。 思う。自分がもし国民の立場だったら……その場でブチ切れて、したり顔でトンチンカンなことをぬかした聖騎士と巫女を袋叩きにするだろう。そんなことを今更明かして何になる。罪滅ぼしのつもりなのか。それとも最後に真実を教えようという、くだらない自己満足なのか。ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな―― ひょっとしたら、誰かがたった今、自分たちを殺してやろうと狙っているのかもしれない。 来るなら早く来いと思う。ラトがどう出るかは分からないが、自分は逃げも隠れもしな―― 「……巫女さま」 本当に来た。 一瞬ドキリとしたが、振り向いてみれば、そこにいたのは十歳ほどの少年だった。 あれ? と思う。どこかで見たような気がするが、思い出せない。ここにいるからにはイベリアの国民であるのは間違いないが、特定の人間と親交を持つような生活をシルフィはしていなかった。顔を覚えられるほど誰かと親しくなったことはない。 国民とシルフィとの接点は二つだけ。巫女として彼らの前に姿を見せていた謁見の際と……ほんのたまに、ラトが非番のときに見張りの兵士の目を盗んで町に遊びに行ったときのみ。 ――そういえばアレスたちと会った日も、ラト兄ちゃんが非番でいなかったときだったっけ。懐かしい思い出が不意に心をよぎり、だが直後に、少年の声で現実に引き戻された。 「巫女さま、戦えないって本当か?」 「……うん」 自分の瞳を真っ直ぐに見つめてくるこの少年は、何と思っているのだろう。 欺き続けてきた巫女を。嘘で固められた奇跡を。 今になって、まるで意味のない真相の告白をした自分たちを、どう思っているのだろう。 ……いや。 どう思うも何も。いきなり過ぎて、誰もが何も考えられなくなっているはずだ。自分だったらその場でキレるとさっきは思ったが、それは事情を知っていることが前提。何も知らない国民たちがいきなりそんなことを聞かされても、何かができるわけがない。 殴ることも怒ることも、全てが終わり、物事をゆっくりと考えられるようになってからだ。今はまだ、誰も何も分からないに違いない。 この少年はおそらく、事情を確かめに来ただけなのだろう。両親に言われたのかもしれない。巫女さまにちゃんと確かめて来いと、そう言われ―― 「なら――」 「?」 「なら、俺が巫女さまを守ってやる!」 ボっと顔を赤くしながら、少年はいきなり高らかにそう宣言した。 「……」 「……へ?」 「へ? とかゆーな!」 腕をぶんぶん振り回して、絶句したシルフィとラトに抗議してきた。何なのだろう、この少年は。シルフィとラトは顔を見合わせて首を傾げる。その様子に怒ったように、少年が更に言い募る。 「巫女さま戦えねーんだろ!? だから俺が守ってやるって言ってんだよ!」 「……えーっと、あの……」 誰なのだろう、この少年は。シルフィは本気で疑問に思う。 言動から察するに、どうも自分に対して単なる巫女以上の価値を見出しているようなのだが、その理由が全く思い当たらない。まさか惚れられた? いやいや、まさかまさか。この少年はまだ十歳そこそこ。十七歳の自分には……まあ可能性がないわけではないが、それでもちょっと無理があるような気がする。 では、何だ? この少年は、如何なる理由でその台詞を吐いている? 「えっと……ごめんね」 「何が?」 「わたし、君が誰だか分からないんだけど……」 少年が傷つくかもしれない。その可能性があることは分かっていたが、彼の素性を知らないことにはラチが明かない。 少年は、一瞬キョトンとして、 「……あ、それもそうか。巫女さまあのとき忙しそうだったもんなぁ」 「あのとき?」 「ほら、巫女さまが病気になるちょっと前のお恵みとき」 お恵みとは、シルフィの魔法で国民の病気や怪我を治して回ることを指す。ちなみにこの行事はシルフィが一番嫌いだったものだ。何しろ疲れる。一日中魔法を使いっぱなしで、しかも国全体を回るのだから一週間や二週間では済まない。奇跡の力を知らしめるためだか何だか知らないが、はた迷惑な行事を作ってくれたものだあのクソ親父――と、死体のようにベッドに横たわりながら、当時のシルフィは何度も何度も思っていた。 その、巫女本人にとっては悪夢のようだった行事が、一体何だというのか。 「あのとき、巫女さまティーナの足を治してくれたろ」 「ティーナ?」 「俺の妹。怪我して、ずっと片足が動かなかったんだけど、巫女さまの力ですぐ治っちゃったんだぜ! 他にもいっぱい人がいたから、巫女さま忘れちゃったんだろうけど」 ……と言われても、少年の言う通り、何百人何千人といた国民の中でその少女だけを覚えているなど、不可能な話だった。怪我も病気も大したことはないのに魔法を見るためだけにやって来るような人間も中にはいたので、とにかく相手をする数が半端ではなかったのだ。 「あー……そう、なんだ」 「……やっぱり忘れてんだ」 少しだけ寂しそうにそう言いながらも、少年はニッと笑い、 「でも、巫女さまはティーナを治してくれたんだから。今度は俺が巫女さまを助けるよ」 ヘヘ、と照れくさそうに少年は笑う。その笑みが心強いと思いつつ、しかしシルフィは、頭の片隅で考えていた。この少年は、戦力にはなりえない、と。 十歳そこそこの子供。とてもではないが、戦わせられない。確かに旅に出た当初は、シルフィも少年と大して変わらない年齢だったが、それでも回復魔法や術を使えるという利点があった。 この少年にはそれすらない。 気持ちは、とても嬉しい。 だが、気持ちだけで乗り越えられるほど、今の状況は甘くない。他人を戦力として、数値として見る必要があるのだ。 「あの……」 黙っているのは、簡単だ。 黙って彼に武器を渡して、そうかありがとうじゃあ戦ってくれ、と言うのは簡単だ。 だがそれは、死ねと言うのと同じことだ。 国民を直接チャイルドと戦わせるわけではないが、それでも間近にいてもらうことにはなる。魔王の脅威に晒されるほどの距離にはいてもらうことになる。 幼い少年の、頼もしい決意。 それは果たして、魔王の前でも挫けずにいられるか。面と向き合って立っていることが出来るか。目の前に迫ったら、武器を向けることが出来るのか。 逃げろと言われて、逃げることが出来るのか。 そういったことを思うと、シルフィは正直不安を感じてしまうのだった。いかに決意が固くとも、それを砕こうとする恐怖の方が強い場合もあるのだ。 「あのね……」 どうそれを伝えればいいものか、悩みながらも口を開こうとする。 が、 「俺だけじゃないんだぜ」 少年はなぜか誇らしげにそう言い、背後を示した。広い空間。この広場へ通じる道。城の残骸があちこちに散らばっている、イベリアの崩壊を表しているかのような場所。 そんな場所に向かって、少年は叫んだ。 「みんなー!」 『……あ』 シルフィも、ラトも。全く同時に絶句した。 声に応えるようにして、何十人もの人々が、瓦礫の陰から姿を現したのだ。男もいる。女もいる。子供もいれば老人もいる。誰もかれもが笑みを浮かべながら、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。 「巫女さま、覚えてないだろうな」 少年がかけてきた言葉の意味は、さすがに理解できた。 「……じゃあ、あの人たち、全員……?」 「そ。巫女さまに治してもらった人たちか、俺みたいに家族を治してもらった人たち」 腰に手を当てて強く頷く少年。先ほどの集会よりはさすがに少ないが、それでも予想を遥かに上回る人数がそこにいる。十人くらい集まれば奇跡的と思っていただけに、これには驚かずにはいられなかった。 「皆で話し合って、決めたんだ」 「というか、話し合う前から決まってたような気もするけどね」 少年の背後から、可愛らしい声がする。見ると、人々の中から飛び出してきた少女が、少年の腰にしがみついていた。 「国は滅ぶかもしれないけど、わたしたちは巫女さまに助けてもらったから」 少年の妹――ティーナという名らしい少女が、ニコリと微笑みながら言う。 「貴女がお恵みの期間を死に物狂いで頑張ってくれたから、私たちはここにいるのです」 群集の中から歩み出てきた老人が、柔和な笑みで頭を下げてくる。 「……というわけで、せめて最後に恩返しをしよう、ってことになったんだ」 群集の中の青年が発した言葉に、人々が一斉に頷いた。 「お、恩返しって……わたしは別に、大したことは――」 ……けっこうしていたような気もするが、一応の謙遜としてシルフィはそう言う。 人々は互いに微笑み合い、彼らを代表するように、少年が再び口を開いた。 「恩返ししたいから、俺たちはここにいるんだよ」 「巫女さまがどう思ってても、巫女さまはわたしたちの恩人だから」 「どの道人手は要るのでしょう? だったら、どうぞ自由に我々を使ってください」 「で、でも、」 「――死ぬかもしれないんだぞ?」 シルフィの言葉の後を継ぐように言うラト。その通りだ。死ぬ危険があるからこそ、やる気のある人間だけでいいと彼は言ったのだ。ここまで集まるなど想像もしていなかったのだろう。 ラトも、両親も、おそらく城中の『巫女』を知る誰も、予想もしていなかったに違いない。ただの宣伝にしか過ぎなかった『神の奇跡』が、まさかここまで人々に浸透していたなどと。 「……そりゃまあ、死ぬのは嫌だけどさ」 少年が苦笑しながら頷き、 「言われなくても、危ないと思ったら逃げますわ、俺ら」 背後から、厳つい顔の男が笑いながら言う。 「でも、放っておいたら巫女さん、アンタが死ぬわけだろ? それもなんか後味悪いしよ。どうせならアンタも助けて、全員で逃げようかって。な?」 ボサボサの髪をした老人が、微笑みながら人々に問いかける。 人々が、一斉に頷いた。 「……シルフィ」 もはや何も言えないシルフィに、ラトが声をかけてくる。口を開けと、彼はそう言っている。口を開いて、声を出して、彼らが待ち望む言葉を発しろと言っている。 巫女として。最後の瞬間まで、彼らの望む姿であるように。 シルフィとして。多くの人々の好意を一身に受けた者として。口にすべき言葉は、ただ一つ。 口を、ゆっくりと開く。大きく息を吸い込む。 「……ありがとう」 だが、出た言葉は小さく、か細かった。 嬉しすぎて、声が出ない。 この数時間で、潜り抜けた死線の数が倍増した気がする。 それほどまでにチャイルドの相手は難しく、ギムルにとっては冷や汗ものだった。頭の上を剣線がよぎるたび、顔の横から突きが飛びでるたびに、寿命が縮むような思いを味わう。フェイトのやつはよくこんなのを相手に互角に戦えるなと思う。さすが、腐っても北の魔王だ。 まあ、雷や炎への変化という反則技を行使するフェイトですら、互角に戦うのがやっとな相手、という見方も出来るのだが。 動きの速さには割合に自信がある方だ。北の魔族で自分ほど速く動けるのはエヴリスを体内に宿したリヴ一人だけだし、瞬間的な速さなら彼女ですら敵ではなくなる。速さで自分の上をいくのは、世界中を探しても、雷に変化したフェイトだけだと、そう思っていた。 だが。 自分の上を行く存在が、ここにいる。 魔王であるからには、こいつは人間のはずだ。 フェイトから聞いたこいつの魔法は、絶対の防御壁であるはずだ。身体能力は、筋力や速さは、並の人間以上には絶対になれないはずだ。 それなのに。それなのに。 「『どうしてこいつは、俺よりも速い?』」 背後から聞こえた声に、ビクリと身体が震えた。 チャイルド。 追いついて来ている。自分の全速力に余裕でついてきている。そのことが、ギムルの心を乱させる。 シルフィによって一時は獣のようになっていたチャイルドだが、追いかけっこをしているうちに冷静さを取り戻したようだった。今では逆に、ギムルの方が揺さぶられている。猫に弄ばれるネズミのような心境だった。 「……そう思ってる顔してるぜ?」 「っ そうかよっ!」 振り向きざまに、爪を一閃。銀光の筋のような己の爪が、チャイルドの喉笛へと吸い込まれていく。普通の人間なら反応もできず、引き裂かれた後も尚、事態を理解できずに呆然とするほどの速さ。 だが、 「無駄だ」 チャイルドの身体に触れる直前。薄皮一枚分の、しかし絶対的な隔たり。防御壁が青く輝く。 「ぐっ!?」 実際にそこに壁があるわけではないから、岩石に叩きつけるような衝撃はない。 だがその代わり、まるで雷にでも打たれたかのような痛みと熱が腕を侵してきた。この防御壁はただの壁というわけではなく、敵の攻撃を弾き返すような力を持っていたのだ。手傷を負わせるほどではないが、次撃を一瞬躊躇うほどの衝撃はある。 それだけで十分だった。 戦闘においては、とりわけチャイルドと自分という速さが主体となる二人の戦いでは、ほんの一瞬の停滞が致命傷となる。 剣が、二本の刃が上下から襲いくる。片方はわき腹を狙ってくる。片方は頭を狙ってくる。避ける? 無理だ。防ぐ? どちらを? 致命的にならないのは、少しでもダメージが少ないのは―― 「――っ」 頭上から迫り来る剣を、両手を交差させて防いだ。ギムルの体毛は、その気になれば岩を削るほど堅くすることが出来る。骨までは達するにしても、腕を切断するには至らない。一瞬の迷いのうち、ギムルはそう踏んだ。 「……ふぎっ!」 我ながら間抜けな声だと思う。 歯を食いしばってやってくる痛みに耐えようとしたが、覚悟を決めない間に初撃――頭上からの一閃が舞い降りた。腕の骨がへし折れそうな気がする衝撃。岩をも削る体毛の盾が呆気なく突破され、直接剣を食らった左腕から血が噴水のように噴き出る。 痛みというより、そのあまりの重さに、頭が思わず白くなる。 そして、その次の瞬間、二撃目がやってきた。 防ぐ盾も何もなく、凶刃は呆気なくギムルの身体を貫通する。 「か…は……」 来ることは分かっていたが、想定していたよりもずっと重く鋭い一撃だった。後ろに吹き飛ばなかったのが不思議でならない。身体が千切れなかったのが奇跡としか思えない。 どちらが致命的かなど、関係なかった。 チャイルドの一撃だということが、既に致命的なのだ。 「まあ、よく頑張った方だ。少なくともフェイトよりはずっと面白かったぜ」 膝から崩れ落ちるギムルの頭上から、そんなチャイルドの声がする。 面白かった。 その言葉は、過去形。もうギムルと戦う意思はないという表現だ。 ――ここで、終わりか……。 出来ればもう少し生きたかったがなあ、と、わずかに未練めいた思いを心中で呟いた。少なくとも、リヴの無事な姿を見るまでは生きていたかった。 かつての自分。 フェイトを魔王として祭り上げようとしていた、自分。 塔を全壊させて同胞を大量に殺して、その上で仲間が欲しいだの何だのとほざいているフェイトを許したわけではない。このイベリアで死に掛けの彼と再会したとき、今なら殺せると、そう思わなかったと言えば嘘になる。 それをしなかったのは、ひとえにリヴの存在故だ。 フェイトが死ねば、彼女は悲しむ。フェイトを殺せば、自分は彼女に恨まれる。ギムルは、それが嫌だった。 ギムルがリヴの世話役となったのはまったくの偶然だ。くじ引き。“少なくともリヴを衝動で殺すようなことはしない”と判断された者でくじ引きを行い、その結果当たりを引き当てたのがギムルだったという、それだけの理由なのだ。 最初は、どうして自分がこんな真似を、と思った。何しろ当時のリヴはわずか三歳。頭の中身は赤ん坊と大差ない。両親の庇護の元からいきなり魔族の巣窟に連れてこられて、混乱していない方がおかしいというものだった。 とは言え、泣き喚くリヴの相手を押し付けられたギムルにとっては、それだけではとても納得できるものではなかった。そもそもリヴを連れてくることにもギムルは反対だったのだ。“人間をさらう”というのは魔族最高の秘密。そう易々と行えることではない。下手をすれば人間に感づかれる恐れもある。 反対派だった自分が、どうしてこんなガキの世話をしなければいけないのか。当初はそんな思いで頭は一杯だったのだ。 だが、フェイトに殺されるのも嫌なので渋々リヴの世話をしているうちに、少しずつ彼女のことを気の毒に思うようになってきた。 毎日泣いていた、幼い、幼すぎる少女。 フェイトが心配そうに様子を見に来るたび――同じ人間の容姿を持つ彼を、唯一の味方と思ったのだろう――背後に回ってギムルから隠れていた少女。 ギムルの怒りを持続させるには、彼女はあまりにも無力すぎた。 そして、連れてこられて一ヶ月ほど経ったとき。フェイトに何か言われたらしいリヴは、いつものように二人して黙っている部屋の中で、蚊のなくような声でこう言ったのだ。 『……リヴ、です』 少女に名前を名乗られたのは、ギムルがフェイトに次いで二番目だった。 その瞬間から、ギムルにとってリヴは、厄介な人間のガキではなく、守るべき幼子となったのだ。 ――もっとも、お前にとっちゃ俺なんか、どうでもいい存在だったみたいだけどな。 リヴはどこまでも、フェイトしか見ていなかった。 ギムルがいくら彼女を楽しませようとしても、彼女が笑みを向けるのは、フェイトしかいなかった。おそらく、今もそれは変わっていないだろう。 だが、それならそれでいいとも思う。そもそも勝手な都合で彼女を拉致してきた自分たち魔族が、今更何かを望むことなど出来るはずがない。 フェイトが魔王を辞めたのは、あるいはギムルにとっては、都合のいいことだったのかもしれない。 リヴを本来の生活に、人間として生きる道に戻してやれたのだから。 「……何満ち足りた顔してんだ、お前?」 気がつけば、うっすらと笑みを浮かべていたらしい。チャイルドはとどめを刺すのも忘れて、怪訝な顔をしてこちらを見やってきていた。 「何でもねえよ」 目を閉じて、諦観の念をこめて言ってやる。どのみち、チャイルドの引きつけ役を担った時点である程度死は覚悟していた。 北の魔族の代表的な立場にいる以上、勝手に乗り込んできて暴れているチャイルドを見逃すわけにはいかなかった。 まさかフェイトや人間の手を借りることになるとは思ってもみなかったが、まあ、チャイルドを倒せるなら何でもいい。ここで大ボスを倒してしまえば、後に来る東の軍勢との戦いが凄まじく楽になる。 大慌てで召集をかけた北の迎撃軍が頑張っているのか、チャイルドが率いていた東の軍勢は、今のところ姿を見せていない。 ――早くしろ、人間。 シルフィとラトとかいう人間二人の顔を思い出す。もう、自分はあまり時間を稼げない。あまり手間取っている暇はない。早く合図を……準備完了の合図をくれ。 それを見なければ、死ぬに死ねない。 気が焦り、ギムルは我知らず視線を横に滑らせた。合図がくるなら、そちらの方向の空。まだか――と、そう思った直後、 「なにを見てる?」 気づかれた。 まずい。まだ悟られるわけにはいかない。慌てて目を元に戻り、チャイルドの方に向き直る。 「何でもねぇよ。早く殺せ」 「……怪しいぞ、お前」 チャイルドはおもむろに、双剣を鞘に納めた。一体何を? ギムルが怪訝に思ったのは、しかし一瞬だった。 次の瞬間。チャイルドの腕が、ギムルの首を締め上げていた。 「……ぐっ」 「何か企んでやがるな? 何だ? あっちで一体何をやってる?」 「……無様、だな」 どうせ殺されるのだ。憎まれ口の一つや二つ叩かなければ損というもの。圧迫される呼吸に喘ぎながらも、ギムルはチャイルドを睨んで嘲笑う。 「東の…魔王ともあろう者が……ずいぶんな怯えようじゃないか……」 「なに?」 「何を企んでるかって……? 教えて、やろうか?」 にやりと笑う。チャイルドが腕の力を緩める。密かに安堵の息をつきながら、続けた。 「フェイトだよ」 「?」 「イベリアの巫女が、フェイトを治してる。もうすぐだ。もうすぐフェイトは完全に――」 その瞬間。 まるでギムルがその言葉を口にするのを待っていたかのように、待ち望んでいたシルフィからの合図が、白け始めた夜空に輝いた。 雷光が、高く遠く、遥か彼方まで走っていく。 冷静に考えれば、フェイトの変化にしては弱々しい。実際あれはフェイトではなくシルフィが放った術なのだから、弱々しくて当たり前なのだが。そもそもこれは攻撃用の術ではないし、更に厳密に言えば雷ですらなく目くらまし用のただの光云々と言っていたが、細かいことはどうでもいい。 チャイルドを騙すことが重要なのだ。 雷光=フェイト。 チャイルドの頭には、絶対にこの方程式が出来上がっている――確信に満ちた声で、フェイトはそう言っていた。 なるほど確かに。三十回近い殺し合いを繰り返してきた宿敵の、最も得意とする技なのだ。雷に限らず、光を見れば条件反射で相手のことを思い浮かべてしまうものなのかもしれない。 と、話を聞いたときは、そう思ったが。 改めてシルフィの術を目にして、ギムルはその考えに疑問を抱く。光は確かに白く、上天へ向かう様はフェイトの変化に見えないでもない。フェイトの変化と比べると力強さも足りないが、即座にバレるほどというわけでもない。 だが。 あの光には、足りない。 変化したフェイトが持つ圧倒的な存在感が、見ているだけで壊されるような気になる強烈な威圧感が、あの光には欠けている。 ……しくじったか? チャイルドにフェイトの不在を知られても、作戦そのものが破綻したわけではない。 だが、フェイトがどこかにいる、自分の隙を窺っているとチャイルドが思っているのといないのでは、成功率は全く違うものになってくる。チャイルドがフェイトの存在を多少なりとも気にしていなければ、戦闘力で圧倒的に劣るこちらはあまりにも不利だ。 「……今のがフェイトか? それにしちゃ、妙に弱いな」 さすがに、魔王だ。 そう簡単には騙されない。むしろ疑いを持ってすらいる。ギムルは舌打ちしたい気持ちを精一杯抑え、内心の焦りが表に出ないよう渾身の力で表情を制御する。 「気になるなら見てこいよ」 「……」 一瞬の沈黙の後、チャイルドはニヤリと笑った。 「俺があそこに行かないと困るのか?」 「っ!?」 「何か企んでんだろ? 罠でもあるのか? ここか? さっき光った場所か?」 一瞬でバレた。まずい。どう否定していいのか分からない。いや、おそらく否定したらますます怪しまれる。罠があるということを、チャイルドはもう確信しているようだ。 「あ、いや……」 「さっさと教えろよ。引っかかってやるからよ」 「別に罠とかは……あ?」 間抜けな顔をしていたのだと思う。 何しろ、こちらを見たチャイルドの笑い声は凄まじかった。腹を抱えて地面を転がらんばかりの勢いで爆笑するチャイルド。今なら不意打ちしても倒せるんじゃないかと思ったが、あまりのことに身体が動かなかった。 「……だからよぉー」 散々笑い倒した後、チャイルドは涙目になって、 「お前らがわざわざ俺のために用意した罠なんだろ? だったら引っかかってやるのが礼儀ってもんだろうが」 「いや、まあ、引っかかってくれるならこっちとしても助かるんだが……」 自分が何を言っているのか分からない。 チャイルドが何を言っているのかも分からない。 「俺は心優しい東の魔王だからな。罠ごと敵を吹き飛ばすフェイトとは根本的に器が違うんだよ」 こんなところでも、フェイトのことを見下したりして。 「さっさと案内しろよ。どこだ?」 「あ、や、こっちです……」 思わず敬語になって、ギムルは先に立って歩き出した。何やってるんだろう俺。そんな思いが頭をよぎる。 と、 「やい! フェイト!」 背後で、チャイルドが声を張り上げた。 「俺はここにいるぞ! これから罠にかかるからな! 心して隙をうかがえ! 最後のチャンスだ、今度こそ俺を殺しにこい!」 この場にいないフェイトに対して、チャイルドは叫ぶ。 フェイトはまだここにいる。自分との決着をつけずに逃げるはずがない。そう確信している。 それは宿敵に対する、唯一にして絶対の信頼だった。 ――フェイトの方は、それをあっさりと裏切ったけどな。 思う。決着をつけなくていいのかと問うたとき、フェイトは言った。チャイルドが最強でいいと。自分にはもう、最強の座よりも大切なものが出来たからと。 仲間と得た代わりに、フェイトは強さを失った。 命がけの、生と死の狭間のような生活の中で研ぎ澄まされていたものを、そこから逃れると同時に手放したのだ。いまだそこで生活しているチャイルド相手にフェイトが勝てないのは、ある意味必然なのだった。 一人では誰もチャイルドには勝てない。フェイトが勝てなかった時点で、この場に集まれる者の誰も勝てないのは明らかだ。 ――だから、皆で勝とう。 ――ここに集まれる皆で、たった一人の最強を倒そう。 姑息な手段だ。 卑怯な真似だ。 それがどうした、と思った。こっちには守るものがあるのだ。自分には北の魔族が、フェイトには仲間が、シルフィやラトにはこの国が。勝つためなら、何だってやってやろうではないか。 「おい、まだか?」 「もう少しだ……」 後ろからの声に、ギムルは更に強く思う。 勝つためなら手段は問わない。悪役にでも何にでも、なってやろうではないか。 |
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