出来損ないの支配者
| 案内された先には、シルフィとかいう名の、イベリアの巫女が一人で突っ立っていた。 「……で、罠はどこだ?」 「……。なんで知ってるの?」 自分ではなくギムルに問いかけている。どうやら、フェイトを介して知り合ったらしい。なぜギムルが人間に協力しているのか疑問だったが、なるほどこういうわけだったのだ。 よくよく見れば、何やらおかしな場所だった。 周囲が瓦礫の山であることは変わりないが、今自分たちが立っているところには石ころ一つない。まるで闘技場にいるような光景に、チャイルドは静かな疑問を抱く。 こんな場所はありえない。城などという巨大な建造物が崩壊した跡地に、これほどの広さが開けているなどということは。 何かある。 そしてその何かを、チャイルドは知っている。嘆息しながら思う。要するに、ここが罠の要なのだ。彼らが仕掛けた罠は、こういう空間が必要なのだろう。 だからわざわざ用意した。 瓦礫をどかして、わざわざ場所を準備したのだ。 (……まあ、拍子抜けではあるがな) 周囲を目だけで見回しながら、そう考えた。数を集めるという点は間違っていないが、素人が大半を占めるこの構成は大失敗だと判定する。 周囲の瓦礫の陰から、無数の気配が息を殺していた。 全員が何かに殺気立っており、うざったいほどの視線を向けてきている。何を考えているのかは、呆れるほどに明白だった。 狙いうちだ。 自分を取り囲むようにしている彼らは、武器か何かを手にしているのだろう。集団で殴りかかる隙をうかがっているのだ。おそらくいるのは百人を超える。この小さな空間を囲むように、それだけの視線と気配が輪を作っている。 有効な手ではある。十人や二十人程度なら蹴散らすことなど造作もないが、百人ともなるとさすがに無傷では済まないだろう。 魔法さえ使わなければ。 絶対の防御が自分になければ、この罠を潜り抜けることは出来なかっただろう。 だが、自分には絶対の防御がある。 幾多の死線を潜り抜け、フェイトの変化をも耐え切った無敵の盾がある。素人が百人程度集まったところで、大した脅威ではなかった。 (残念だったな、イベリアの巫女) シルフィに向かって心中で語りかける。この集団が襲い掛かってきたら、あいつは真っ先に殺してやろう。巫女がやられて絶望する連中の顔は見ものだと思うし、それに彼女にとっても、仲間が次々と死んでいく様を見ないで死ぬ方が幸せだろう。敵には容赦しない主義だが、相手は女だ。これくらいの気遣いはしてやってもいいだろうと思う。 前を歩くギムルが立ち止まり、くるりとこちらを振り返った。 それと同時、物陰から一人の男が出てくる。盾と剣を装備したいかにも騎士然とした男。シルフィの部屋にいた聖騎士の生き残りだ。静かな殺意がこもった目で、こちらを睨んでくる。 (ほう……) 心地良い。チャイルドは思わず息を漏らす。 大量虐殺だけしか取り柄がないフェイトでは、こんな空気は発せられない。射殺すような視線。沈黙を強制させる雰囲気。武器を持ち、身体を晒して敵と生死のやり取りをしてきた者だけが持てる空気が、聖騎士から感じられた。 フェイト相手では絶対に味わえなかった感覚に、我知らずチャイルドは笑う。 「……お前、名前は?」 「? ラトだ」 わずかに怪訝そうに眉を歪めながら、聖騎士――ラトは答えた。チャイルドは更に笑い、言葉を発する。 「いいな、お前。巫女の部屋で会ったときは腰抜けとか言っちまった気がするが、ありゃ取り消しだ」 「……一体何を――」 「お前を剣士として認めるっつってんだよ」 言いながら、己もまた剣を抜く。 左右の腰から、幾多の敵を葬ってきた双剣を引き抜く。 「認めた上でお前を殺す。覚えておけ、聖騎士ラト。――お前を殺すのは、東の魔王、チャイルドだ」 一度言ってみたかった台詞を口にしながら、チャイルドは笑みが抑えられない。フェイトとの戦いは正直物足りなかったが、そのおかげでこいつと戦えるなら、それはそれで満足だと思った。どうせフェイトのことだ。既に巫女と再会して、命は取り留めているだろう。この先いくらでも戦う機会はある。 今は、こいつと。 剣士として、こいつと戦いたい。 「ラト」 「? なんだ?」 「取引だ。巫女も含めて、ここにいる全員を見逃している。が……その代わり、俺と勝負しろ。一対一だ。巫女にも、そこの虎にも、ゴキブリみてぇにわらわらいやがる周りの連中にも、一切手出しさせるな」 自分をコケにしくさった巫女の小娘を嬲り殺してやりたいという気持ちも、ないわけではない。 だが、今はそれよりもこの騎士と戦いたいという欲求の方が強かった。剣士としてならこいつと自分は互角。本能が、積み重ねた経験が、そう告げてきている。 魔王としての、魔法使いとしての最強の敵はフェイトだ。 だが、剣士としては、目の前にいるこの男が今まで出会った中でも間違いなく最強だ。戦いたい。戦って、勝ちたい。この男と戦えるのなら、巫女のことなどもうどうでも良かった。 「どうする? 安心しろ、俺も魔法は使わねえ。純粋に剣士としての勝負だ」 「……さっきの言葉、嘘じゃないだろうな?」 「あん?」 「俺がお前と戦えば、ここにいる全員を見逃す。嘘じゃないだろうな?」 隠していたはずの伏兵の存在を暴かれても、この男は大して驚いていなかった。それどころか、こうして彼らの存在を自ら認めている。 ばれている以上、隠し通そうとしても意味がないということか。 伏兵というのは、隠れていてこそ意味がある。知られていないからこそ価値がある。存在を察知された隠者に、何の意味があろう。 どうやら本当に彼らの秘策はこの伏兵作戦だったらしい。残念と言えば残念だ。もっと物凄い罠でも用意してあるのかと思ったのだが、実際は即座に察知される程度のものだった。 まあ、いい。チャイルドは軽く肩をすくめる。しょせんは咄嗟に思いついただけの、間に合わせのような作戦なのだ。緻密に練りこまれた罠など用意できるはずがない。この舞台を整えただけでも見事と言ってやるべきだ。 そう。闘技場のようなこの場所を。 剣士としての戦いに相応しい場所を用意しただけでも、彼らの存在は無駄ではなかったのだ。湧き上がる喜びを隠すつもりもなく、チャイルドは上機嫌に言った。 「嘘じゃねえさ。俺は強い奴と戦いたいだけだからな。お前と戦えるなら、あとの雑魚には用はねえ」 遠まわしに雑魚呼ばわりされて怒ったのか、ギムルが一歩こちらに踏み出してくる。 が、それより早くラトが口を開いた。 「いいだろう」 「ラト兄ちゃん!?」 さすがに驚いて巫女が声をあげているが、ラトはまったく意に介さない。 「これだけは約束しろ。俺が勝っても負けても、皆には絶対に手を出すな」 「剣士として約束しよう。俺はもちろん、後からやってくる俺の軍隊にも、お前の仲間には絶対に手を出させない」 「……お前」 口元だけでわずかに笑って、ラトは言った。 「不本意ではあるが、個人的にはフェイトとやらよりも、お前の方が好感が持てる」 「アイツは俺と違って、性格が悪いからな」 チャイルドもまた笑って、双剣を構えた。 「だが――褒めたからって手加減はしねえぞ」 「する余裕が、お前にあるのか?」 盾と剣を構え、ラトが挑発するように言ってきた。 「ラト兄ちゃん! ちょっと待って、それじゃ――」 慌てて駆け寄ろうとしてきた巫女を、ギムルが押さえつけている。それでいい。この一騎打ちに割り込もうものなら、何よりも先に斬り捨てていた。手は出さないと言ったが、邪魔してくるなら容赦はしない。 周囲など、不要。 自分と相手。この二者だけがいればいい。 「いくぞ――ッ!」 小さく呟き、チャイルドは地を蹴る。 同時に、視界の先でラトもまた動いた。 小柄な身体が鮮血を撒き散らして、ゆっくりと傾いでいく。 ドラゴンの爪が貫いたのはわき腹でこそあったものの、先の戦いで既に傷を負っていたリヴにとっては十分致命傷だった。 肉を切り裂かれ、赤い雫を撒き散らして、ドラゴンの手から投げ捨てられるように落下するリヴ。 グレンはそれを、恐怖と安堵と、ふつふつと沸き起こってきた歓喜が入り混じった気持ちで眺めていた。 「……くっ」 口元が自然と歪む。 笑いがこみあがるのが抑えきれない。あのリヴを。クソ生意気な、フェイトに取り入ることしか取り柄のない小娘を、とうとう倒してやった。 落ちていくリヴに向かって、思う。 ――さあ、這いつくばれ。 倒れ伏せ。この私の目の前で。 「リヴちゃん!」 だが、リヴが地面に激突する寸前。横合いから飛び込んできた人影が、小柄な身体を抱きとめた。さっきまでリヴを背負って逃げ回っていた女だ。身を投げ打つようにしてリヴを拾うが、勢いそのままに地面を転がっていった。 リヴにはこれ以上、かすり傷一つだって負わせない――そう言うかのように、小柄な身体を庇いながら。 まったく、忌々しい。グレンは舌打ちし、その女もろともリヴにとどめを―― 「ッ!?」 横合いから、突然銀閃が走ってきた。 言いようのない悪寒が全身を駆け巡る。射抜くような眼光に晒されて、グレンは思わず立ちすくんだ。膝を折ることすら許されず、その場から足が動かない。 その一閃が剣による斬撃だと理解したのは、ドラゴンの爪が男の一撃を止めた後だった。後ろからも物音がする。振り返れば、大柄な方の男が、こちらも巨大な剣をドラゴンに受け止められているところだった。 「――ッ!」 二人は声にならない叫びをあげ、更に幾度も斬撃を繰り出してくる。 否、これは斬撃などという生易しいものではない。 斬ろうとなど、この二人はしていない。 叩き潰す。目の前の敵を、跡形もなくなるまで徹底的に叩き潰す。そんな思いが、二人の気迫が、突き刺さるような空気となってグレンを襲った。 「つ……」 我知らず、グレンは叫んでいた。 「殺せ! こいつらを今すぐ殺せぇ!」 周囲のドラゴンがいっせいに反応する。幾つもの爪が二人の剣士に襲い掛かる。だが、両者ともそれを避けようとしない。それどころか見てもいなかった。真っ直ぐに、それぞれが双眸でグレンを捉えている。 死を覚悟しているわけではなく、死を意識していない。命と引き換えにしてでも、という考えすらない。敵を倒すこと。殺すこと。それだけしか頭にないのだ。 寒気がした。 凍てつくような視線に晒され、グレンは思わず息を呑んだ。斜め下から銀色の光が跳ね上がり、同時に上からも猛撃が襲い来る。 死ね、と、異口同音に、頭の奥に直接その言葉が叩き込まれた気がした。 だが、その両者とも、グレンに剣を届かせることは出来なかった。 突如として、グレンを含めた三人を背中に乗せたドラゴンが暴れ出したのだ。バランスを崩した二人の剣は、グレンの身体を掠めて虚空へと泳いでいく。バランスを崩したのはグレンも同様だが、今の攻撃を回避しただけでも十分だった。 二人にとって、今のはおそらく必殺の一撃だったはずだ。 歓喜の笑みが抑えられなかった。自分という男は、なんと幸運なのだろう。次撃がないのなら、こちらからの追撃はいくらでも繰り出せる。自分の命令一つでドラゴンは奴らを切り裂く。 落ちていく二人の男を眺めながら、グレンはちらりと、リヴと女の方を見やった。さぞかし絶望しているだろう。そう思った……の、だが。 リヴは既に意識がないらしく、女に抱かれて虫の息だ。それはいい。 女はこちらを、呆然としながら見ていた。 だがそれは、最後の好機が失敗に終わったことに対する絶望ではなく。 目の前の光景に目を疑っているような。救いの神でも見ているかのような、そんな表情だった。グレンは眉をひそめる。気に入らない顔だ。なぜ、あの女は絶望しない? だが、しばらくしてグレンは気づいた。気づかざるをえなかった。 足元のドラゴンが、ピクリとも動かないことに。 遥か上空を旋回していたはずのドラゴン軍団が、東の領域最強の部隊が、逃げ惑い、悲鳴をあげていることに。 そして、それらを嘲笑うかのように、白い光が渦となって、ドラゴンを全て飲み込んでいく光景に。 「―――――――――――――――――――――――――――――ッ!!!!」 耳を覆いたくなるような絶叫が響いた。 一瞬で灰も残さず消し飛ばされた、ドラゴンたちの断末魔の悲鳴だった。 目を焼き潰すような閃光が消え去った後――上空には雲ひとつなく、明るさを増した空だけが広がっていた。 そして、グレンは耳にする。 「……リヴ……?」 あまりにも弱々しく、あまりにも頼りなく、あまりにも不安そうな、魔王と呼ばれていた少年の声を。 フェイト。 元北の魔王は、女に抱かれたリヴを目に呆然としている。 こちらに背を向けて、無防備に突っ立っている。 「……リヴ」 ぽつりと、小さく呟く声が聞こえた。 目の前の光景が別世界の出来事であると、まるでそう言うかのように。 そしてその声に、グレンは我を取り戻した。 リヴの死はフェイトが最も恐れていたであろうことだ。誰よりも、何よりも、この光景はフェイトに重くのしかかっている。 そして、だからこそグレンにとってのチャンスは、正に今なのだ。 逃げるなら今しかない。フェイトが自失している今しかない。地面に転げ落ちた男二人の目もフェイトに注がれている今なら、確実に逃げられる。 ここにくる途中、ギムルあたりが大慌てで寄せ集めたのであろう北の魔族たちが、東の軍団を迎えうっている光景が眼下に望めた。戦力差は歴然としていたから、もうすぐ東の軍はやって来るはずだ。フェイトはそのうち彼らの相手をしなければならなくなる。自分を追う余裕はなくなる。 ……まあ、リヴを失ったフェイトに、軍と戦うほどの気力があればの話だが。 フェイトがここに来たということは、ひょっとしたらチャイルドは負けたのかもしれない。だが、東の軍隊によってフェイトが殺されるなら、それもまた一興だった。 何にせよ、いつまでもここに留まっているわけにはいかない。今を逃せば次の機会など永遠になくなる。鳥にでも変化して、早くここを離れなければ。 「……お前か?」 グレンは、逃げることだけを考えて、既に意識は背後に向かっていた。 だから、フェイトが独り言のように呟いたその言葉が自分に向けられたものだということに、すぐには気づくことが出来なかった。 「お前か? グレン」 「……は?」 フェイトの目が、こちらに向けられた。 ゾワッと、全身があわ立った。 睨んできているわけではない。それどころか、威圧感も何もない瞳で、フェイトはただこちらを眺めている。だが、それが逆に不気味で仕方なかった。リヴを、この世で一番大事な存在を傷つけた自分を、どうしてそんな目で見ることが出来るのか。 「お前が、リヴを、傷つけたのか?」 一言一言、区切るように言ってくる。 だが、何もない。欠けているのではなく、存在していない。最後に会ったときに見せていた凄みが。言葉の端々に見え隠れする、戦慄するような笑みが。絶対の強者が見せる余裕が。何一つなくなっている。 それなのに、恐ろしい。 あのときのフェイトに可愛げを感じるほど、今のフェイトが恐ろしい。怒りがないのが不気味だった。威圧しない。怒鳴らない。睨まない。それが恐ろしくてたまらない。 これが、本気。 おそらくはチャイルドにすら見せたことのない、心底からの怒りを露わにしたフェイト。 グレンはそう感じ取り、だから―― 「じゃあ、当然死ねるよな? グレン」 そう言われたときも、諦観の念しか頭に浮かぶことはなかった。フェイトの身体が変化する。白き閃光。一瞬で終わらせてもらえるだけでも幸運なのかもしれない。そんなことを考えながら、 視界が、真っ白に染まる。 腕の中のリヴは、かろうじて息があった。 外傷自体は大したことはない。……いや、ドラゴンの爪に引き裂かれ、更に貫かれたのだから十分に大したことはあるのだが、傷自体は致命傷というわけではない。肩はもとより、貫かれたわき腹も、幸い臓器の類には達していないようだった。 ただ、失血が凄まじい。 止血をしてはいるのだが、赤黒い血液は泉のようにあふれだす。流れ出た血の分だけ、リヴの生命は確実にすり減っていく。今すぐ止血しなければ命に関わる。 と言っても、こんな荒野の真っ只中、都合よく止血の手段などあるわけもない。 シルフィの回復魔法があれば何とかなるだろうが、彼女は遠く離れたイベリアにいる。 「……ノエル」 何か手段はないか――そう考えるノエルの頭上から、先ほどまでグレンに向けられていたものからは想像もつかないような、弱々しいフェイトの声がした。 ……閃いた。 リヴの傷を塞ぐ方法が、失血を食い止める手段が、一つだけ思い浮かんだ。フェイトの魔法があれば可能だ。 だが……これは、残酷すぎる。下手をすればフェイトがリヴを殺すことになりかねない。そんなことになったら、今でさえ崩れ落ちそうなこの少年は、もう二度と立ち直れなくなるかもしれない。 しかし、これ以外にリヴを助ける方法は、少なくともノエルには思いつかなかった。 「……助ける方法、一つだけある。それにはフェイト、貴方の力がいるわ」 試すように言ってみれば、フェイトはすぐさま食いついてきた。 「何でもする。何でもするよ。何でもするから、だから――」 リヴを、助けてくれ。縋るような瞳でそう言ってくる。 ノエルはそれを真っ直ぐに見つめながら、口を開いた。 フェイトにとっては、おそらく死刑宣告よりも重い言葉を。 「なら、リヴちゃんの傷を焼くの」 「……え?」 茫然自失の体。何を言われたのか理解できないのか、あるいは理解したくないのか。だが、時間が経つにつれてフェイトの瞳に徐々に理解の色が広まっていき、それが完全に広がりきった瞬間、悲鳴のような声が放たれた。 「なにを馬鹿な――ッ!」 怒りの気配が伝わってくるが、ノエルは容赦しない。容赦したところで状況は変わらない。現実を突きつけて、受け止めさせること。それがノエルに出来る、唯一のフェイトの手助けだ。 「言っておくけど、冗談なんかじゃないからね。今すぐ血を止めないと命に関わるの」 「エヴリスは――」 「エヴリスでも追いつかないみたい。この肩の傷は少し前にやられたものだけど、全然塞がる気配もないもの。ひょっとしたら、リヴちゃん自身が弱まっていることで、魔法の効果も薄れてきてるのかも――」 そこまで言った時点で、フェイトに胸倉を掴まれた。 「なんで、そんなに、冷静なんだ?」 相手をひれ伏させる声。相手を屈服させる視線。かつて多くの魔族を震え上がらせていたであろう、凄みと威圧に満ちた姿がそこにある。 ただ、確実に以前と違うのは――それが怯えを隠した仮面であるということに、即座に気づかれる点だ。 「答えろよ。目の前にいたんだろ? 目の前でリヴが傷を負ったんだろ? だったら、どうして、お前はそんなに冷静なんだ?」 駆け寄ってこようとするアレスとゲッソーを手と目で制し、ノエルはフェイトの瞳を真っ直ぐに見つめる。フェイトの言葉が突き刺さるような痛みを伴ってくる。そう。自分は間近にいた。一番近くにいながら何も出来なかった。それは事実だ。 だからノエルは、こう言った。 「それで? やるの? やらないの?」 「――!」 謝罪でも、反駁でもなく。ただ事実を突きつけた。 ここで自分が泣いて許しを請えば、あるいはフェイトの言葉に激昂して言い返せばリヴが助かるというなら、いくらでもやり合ってやろう。ノエルとて言いたいことはいくらでもある。そんなに大事な娘なら、なぜ傍にいて守らなかった? なぜイベリアに残った? チャイルドとかいう魔王など無視して、一番大事な存在をただ守っていれば良かったのに。 リヴなら大丈夫とでも思ったか。 あるいは、長年の宿敵と決着をつけようとでも考えたか。 バカバカしい。その傲慢な思い上がり、勘違いのツケがこれなのだ。お前に私を責める権利などない。そもそもリヴがこんな状態になった理由を、無謀にも怪我をした身体でグレンに向かっていった理由を、お前は分かっているのか。 お前が彼女をしっかりと抱きとめてれば、こんなことにはならなかったのに。 言いたいことは、いくらでもあった。 だが、そんなことをしても状況は好転しない。 ならば自分がすべきことは、ここで感情に任せてフェイトと口論を始めることではない。少しでも冷静な部分を残している者として、彼にやるべきことを、やらなければいけないことを示さなければならないのだ。 「……ふざけるな」 フェイトが、うめくような声を出した。 “魔王としての表情” その仮面が、剥がれ落ちる。 「ふざけるな。ふざけるな……ふざけないでくれ……僕に、僕に、リヴの――」 胸倉から離された手を逆に掴む。逃げることは許さない。許すわけにはいかない。今ここで彼が逃げてしまったら、誰もが不幸になってしまう。 「リヴちゃんを助けに来たんでしょう?」 たった一言で、フェイトは石になったように硬直した。 リヴを助けたい気持ちは彼とて変わらない。むしろここにいる誰よりも強いはずだ。助けに来たのだろうと言われれば、否定するわけにはいくまい。 フェイトが怯えている理由は、一つだけ。リヴが死んでしまう可能性。 とにかく血を止めないことには活路が開かない。布で縛る程度では追いつかず、傷口を縫うことも出来ないなら、焼く以外に方法はない。そして、この場で扱える火といったら……当然、フェイトの変化である。 もちろん、直接フェイトが炙るわけではない。そんなことをしたら傷ごとリヴは燃えカスになってしまう。実際にやるのはノエルのナイフだ。これをフェイトが熱して、傷口に押し当てることになる。 だが、その光景だけでも、彼にとって拷問にも等しいだろう。そのことは、もちろんノエルは承知している。 しかし他に方法はない。助けを呼ぶ時間すらない今、そうしなければリヴは助からない。それがとどめとなって死んでしまう可能性はもちろんあるが、このまま放っておいて見殺しにするよりは……。 助けたいなら。守りたいなら。覚悟を決めてもらうしかない。 「見たくないなら目を逸らしてもいい。耳を塞いでいてもいい。でも……お願いだから、逃げないで」 腰からナイフを引き抜く。戦闘に使わなくて良かったと、心から思う。血や泥で汚れたものを傷口に押し当てるわけにはいかない。焼くこと自体決して安全とは言えない方法だが、刀身が綺麗ならまだ安心できる。 「フェイト」 「……」 ややあって、 「……分かった」 小さな声で、フェイトはそう言った。 ノエルはナイフを抜く。 「フェイト……お願い」 フェイトは黙って頷き、己の身体を炎へと変じた。ナイフをかざす。傷口を焼くのは初めてではないが、それほど経験豊富というわけでもない。実はどれくらい熱すればいいのかも分からない。正直なところ、勘に頼るしかないのだった。 炎に炙られてこちらの手まで焼けてくる。走る激痛に思わず顔をしかめる。と、それを察したのか、炎が揺れてわずかに遠ざかった。ノエルは苦笑し、告げる。 「変な気を回さないで、貴方はそのままでいなさい。ナイフから離れちゃ意味ないんだから」 炎は躊躇うように揺らいだ後、その場に静止した。再びナイフを近づけようとする。と、 「これを使え」 横合いから、革の手袋。ノエルの手には少々大きめのそれを、アレスが差し出してきていた。 「……あと、そんなに長く熱する必要はねえ。俺が合図するから、それまで待ってろ」 その後ろから、ゲッソーがのっそりと言ってくる。 「分かるの?」 「お前らと会うまでは、自分の傷を焼くのなんか、珍しくなかったからな」 ぶっきらぼうに言い、炎の中に目をこらした。苦笑する。何だかんだで弱い者、特に女子供には気を遣うゲッソーである。リヴを何としてでも助けたいという気持ちは、フェイトに負けないくらい強いのだろう。 「――よし」 しばらくしてボソリと呟かれた言葉に頷き、ノエルはナイフを炎から離す。銀色だった刀身は見るからに熱を持ち、革の手袋ごしにも熱さが伝わってくるかのように思えた。 「……じゃ、やるよ」 アレス、ゲッソー、炎から戻ったフェイト。三者が三様に頷くのを見届けてから、 「……ッ」 剥きだしにしたリヴの傷口に、ナイフの刀身を押し当て――。 「――ん、ちょっと待ちたまえ、君たち」 気が抜けるような軽い声は、虚空から突然響いてきた。 フェイトの立てた作戦は、最初からいくつかの分岐があった。 物陰に隠れた人々にチャイルドが気づかないようなら、そのまま合図と同時に一斉攻撃を加える。 だが、もし途中で気づく、あるいはその素振りでも見せた場合は、彼らは単なる雑音役になるはずだった。“実際は攻撃しない”とまではチャイルドは考えられない。なぜなら、人々からは今にも攻撃を仕掛けそうな殺気がいつまでも放たれ続けるから。敵を欺くにはまず味方からという。いつ合図がくるのか知らない彼らは、戦いが終わるまで攻撃の合図を待ち続けているのだ。 ……気の毒な話ではあるが。 雑音となった彼らの役目は、チャイルドの気を紛らわすことなのだ。実際に攻撃する必要はないし、むしろしない方がいい。いつ攻撃を仕掛けてくるのか。その意識がチャイルドの頭の片隅にあるだけでも、戦いの行方は大いに変わってくる。 実際に戦うのはギムルとラト。そして、シルフィが術で援護する。決して深追いはしない。一撃で仕留めることは考えない。三対一で、じわじわとチャイルドの体力を削っていく。フェイトとの戦いで多少なりとも体力は消耗しているはずだから、そこを狙う。 そのはずだった。だからこそ、ラトは瓦礫をわざわざひっくり返して、片手剣と盾を持ち出したのだから。 だが、現在繰り広げられているのは、三対一の卑怯極まりない持久戦ではない。 ラト対チャイルド。 双剣の魔王と最後の聖騎士の一騎打ちだった。 魔法などなくとも、チャイルドの力は凄まじかった。 息を切らしながら繰り出される双剣が、なぜこんなに重いのか。嵐のような剣戟を前に、ラトは防御に徹するのが精一杯だった。盾を持ち出したのは本当に幸いだった。小回りがきかない両手剣では、この連続攻撃は防ぎきれなかっただろう。 こちらの攻撃を差し挟む隙すら、ほとんどない。チャイルドが攻撃する間に、一撃を返すのがやっとだった。しかしそれすらチャイルドは避ける。そしてまた、数十回に及ぶ斬撃が襲いかかってくる。 絶対の盾。チャイルドの魔法。使わないのではない。この程度の戦いでは、使う必要がないのだ。 互角だなどと、冗談ではない。 ここまで圧倒的な実力差のある相手とは、いまだかつて対峙したことがない。 それに。戦いの最中で、ラトは気づいたことがあった。 「――ふっ!」 左。剣閃が目の端をかすめていく。半ば反射的に剣を突き出せば、鋭い金属音と衝撃が同時に腕に伝わってきた。 二人とも片手剣ではあるが、ラトがただ身体を守るために剣を出したのと違い、チャイルドは確実に相手を仕留めるために一撃を繰り出してきている。勢いを制御しきれない。剣だけでは防ぎきれない。弾かれる……っ! だが、ラトの手から剣が離れる寸前に、チャイルドはすっと剣を引いた。同時に繰り出されるもう片方からの突き。慌てて盾で迎え撃つ。まともに正面から繰り出された攻撃だ。幸い盾を貫通するほどの威力はないらしく、高らかな金属音の後、二人の動きが一瞬止まった。 「ッ!」 同時に後ろへ飛び退る。意識から吹っ飛んでいた周囲の声が蘇ってきた。ギムルの罵声。シルフィの叫び。周囲を囲う人々のため息すら聞こえてくるようだ。 チャイルドが最初の剣をあっさりと引いたこと。 次撃の突きを、盾で防御しやすい真正面に繰り出してきたこと。 その突きが、盾を貫くほどの威力を伴っていなかったこと。 この三つの幸運のうちどれか一つでも欠けていれば、ラトの命はなかっただろう。こんな命拾いを、この短い決闘のうちに既に数十回は経験していた。 ――いや。肩で息をしながら、ラトは心中で呟く。 偶然ではなく、必然だったのだ。 あのままではラトを殺してしまうから、チャイルドは初撃の剣をあっさりと引いた。 防いでくれなければ困るから、チャイルドは突きをわざわざ真正面に繰り出した。 貫通しては意味がないから、盾を貫かないように力を加減した。 余裕の笑みが全てを物語っている。自分と同じく肩で息をしてはいるものの、その表情にあるのは疲労ではなく歓喜。あの魔王はまだ本気ではない。本気を出すつもりすらない。 今行われているのは、彼にとってはただの遊びだ。 下手の者を嬲る。時折わずかに隙を見せ、食いついてきたところを叩く。今チャイルドが見せているのは、遥か高みから相手を見下ろす、絶対に揺るがない勝者の位置にいる者の笑みだ。 「どうした? まだやれるだろ?」 左手の剣で肩を叩きながら、おどけた調子で言ってくるチャイルド。命がけの勝負にそんな雰囲気を持ち込むなど、普段のラトだったら激昂しているところだ。死力を尽くす者同士、相手に誠意を見せるのは最低限のマナーだと。 だが、この男を相手にしていると、そんなことを考えていた自分が馬鹿らしくすら思えてくる。 命がけの勝負に、マナーもへったくれもあるものか。 勝負に必要なのは誠意ではなく、力。精神論など何の役にも立たない。獅子のごとき気迫があったところで実力がなければ負ける。逆に、死人のように覇気のない者でも、実力さえあれば無敵となる。 そのことを、理解はしていた。 けれど、納得はしていなかった。 ふざけた者より真剣な者の方が強いと、実力のない獅子が実力のある死人に勝つこともあると、そう思っていた。 それが間違いであると、どうしようもない勘違いであると、ラトは今、チャイルドに教えられた。 「もう終わりなのか?」 猫が鼠を嬲るような声。この男がその気だったなら、自分はもう何回死んでいるのだろう。十回や二十回ではない。 少なくとも、百回は死んでいると思った。 「もう終わりなら、仕方ない。お前を殺して――」 と、 チャイルドは不意に、不安そうにこちらを見つめているシルフィに目をやった。 「やっぱり、あの巫女を殺すかな」 「なっ――!?」 そんな馬鹿な、と思った。 「約束が……違うぞ! 俺が戦えば誰にも手出しはしないと、お前はそう言ったはずだ!」 「そりゃしたけどよぉ。フェイトや西の魔王あたりならともかく、俺は死人との約束守るほど律儀な性格じゃないんでな」 ニタニタ笑いながら、挑発めいたことを口にする。 「ふざけるな!」 「よーしよし、その調子だ。頑張れよ。お前が俺を楽しませている間は、あの巫女は無事なんだからな」 「なっ……」 機嫌良さそうに口にされた言葉に、愕然とした。それはつまり、自分がチャイルドに勝たない限り、シルフィは殺されるということではないか? だが、あれだけ手加減されて防戦一方だというのに、ここから勝てるわけがないではない。 無茶だ。 機嫌がいいからなのか、元々の性格なのかは知らないが、この魔王はとんでもない無茶を言ってくれる。 「それは……」 やめてくれと、そう言おうとした。 戦う気はもうなくなっていた。絶対に勝つことのない戦いなど、誰がやる気になるだろうか。せめてシルフィだけでも助けたい。だが、どうやって? 命乞いなどしたら、あの魔王のことだ。即座に不機嫌になって、シルフィを殺そうとするに決まっている。 どうやったら、助けられる? どうやったら、あの少女を、守りきれる? 「……どうした? 急にしおれた顔しやがって」 ラトの変化を、チャイルドは目ざとく察知した。 「やる気がなくなったってんなら、無理やりにでも出させてやるぞ」 そう言ってシルフィの方を向く。少女がビクリと震えるが、赤毛の魔王は構わずに歩を進める。一歩、二歩。少しずつ距離が縮まる。シルフィは動かない。逃げろと言いたいが声が出ない。片方の剣を持ち上げるチャイルド。やめろ。やめろ。やめてくれ―― 「――その辺にしておこうよ、チャイルドさん」 場の雰囲気にそぐわない能天気な声は、その場に唐突に響き渡った。 チャイルドが歩を止めて、ゆっくりと振り向く。 ラトに――ではない。 いつの間にかラトの隣に現れていた、まだ子供と言っていい年齢の少女に。 「調子に乗ると何もかも壊したくなるのって、悪い癖だよ。フェイト君がいなくなったんだから、その辺ちゃんと自制しないと。お友達いなくなっちゃうよ?」 実にフレンドリーにチャイルドに話しかける、その少女。背中まで伸ばした亜麻色の髪。おっとりとした喋り方。とてもこんな場所には似合わない。シルフィも、シルフィの危機に思わず立ち上がった周囲の人々も、突然の出来事に唖然としている。 ただ、ギムルとチャイルドだけは、違った反応を見せていた。 チャイルドは白けた表情で少女を見つめ、ギムルはといえば、地獄に神を見たような目で、少女の名を呼ばわった。 「あなたは……ひょっとして、ルリ様? 天候と災害を操りし西の魔王!?」 「えーっと、フェイト君のところの人かな? そんな大袈裟な紹介されるほど凄くないんだけど……いちおー、そうです。チャイルドさん以外は初めまして。西の方で魔王をやっている、ルリといいます」 唖然とするしかない一同の前でペコリと頭を下げる少女。こちらの気持ちを代弁するように、チャイルドが口を開いた。 「何しに来た? お前みたいな小娘が来る場所じゃねえぜ、ここは」 「わたしもできれば来たくなかったよ。今日はせっかくスズちゃんが来る日だったのに……でも、チャイルドさんが暴れてるってルシファーさんに聞いたんだもん。わたし魔王なんだから、来なきゃいけないんだもん。そうだよ、チャイルドさんが暴れるのが悪いんだよ」 拗ねたように文句を言う様は、まるっきり見た目通りの子供である。 「で、だから何しに来たんだ?」 それには構わず、再度チャイルドが問いかけると、 「あ、そうそう。えーっとね、ルシファーさんの提案なんだけど……」 同じ頃。 「……どうしてあんたがここにいる?」 南の魔王ルシファーに、フェイトは半眼になりながら問いかけた。 リヴの傷口にノエルがナイフを押し当てる直前。闇から染み出したこの男が、それを止めたのだ。 「どうしてとは酷いな。こうしてリヴ君の治療もしてあげているというのに」 傍らには、闇に包まれるようにしてリヴが横になっている。この闇の衣こそルシファーの魔法。生命力の架け橋となっていて、相手の生命力を吸い取ることも出来れば、逆に自分の生命力を分け与えて回復させることもできる。 シルフィに会うまでは、彼がフェイトの知る唯一の回復魔法の使い手だった。もうリヴの心配はいらない。彼女は助かる。そう考えると、どっと疲れがこみ上げてくる。 だが、まだ休息を得るわけにはいかないようだった。 「リヴのことは感謝するよ。でも、ここは北の地域だぞ? 隣り合わせでもない南を支配するあんたが何の用だ?」 「いやなに。チャイルド君がここに攻め入っていると聞いてね。北がどうなろうと知ったことではないが、東の勢力が広がるのはちょっと困る。そこで、ルリ君と一緒に慌てて駆けつけたわけなのさ」 歯に衣を着せない物言いは、相変わらずだった。リヴの傍らでぐったりとこちらをうかがっているアレスたちの視線を感じながら、再度問う。 「それで? それだけじゃないんだろう?」 「うむ。実はね、君が突然魔王を辞めたことは、もはや北だけの問題では済まなくなっているんだよ。魔王不在の北の地域のあり方について、世界各地で色々と意見が飛び交っている。それこそ、我々魔王の統治すら危ういというほどにまでね。西なんかは特に、内乱が勃発しそうな勢いらしい」 知らなかった。 西といえば……と、ほえほえとした性格の魔王を思い出す。人間として暮らす妹のことを何より大事に思っている少女だ。彼女に迷惑をかけてしまっているのかと思うと、さすがに苦い気持ちがあった。 「そこでだ」 ルシファーは、そんなフェイトの心を見透かしたように、口を開いた。 「一度、四人で集まらないかね? それぞれがそれぞれの裁量で動いてばかりでは、まとまるものもまとまらなくなる。ちょうど今、ここには四人の魔王が揃っていることだし。せっかくだから心の内をぶちまけ合おうじゃないか」 魔王四人が、一堂に会する。 聞いたこともない話に、フェイトは一瞬、足元がよろけた。 |
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