HERO

 

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 桜花の能力で調べた結果、山咲は繁華街の中をぶらついているようだった。

 繁華街の只中で地図と睨めっこしながら歩く桜花を、道行く人が不思議そうな目で見ている。その彼女の手を引きながら歩く神楽もまた、少なからぬ好奇の視線に晒されていた。

 手を引くくらいなら、地図から目を離させればいいのに。そう言っている。心の中で。読心能力などない神楽でも、そのくらいは分かった。

 だが、桜花が今地図から目を離すわけにはいかない。

 地図から山咲と自分たちの位置を確認している桜花は、彼の正面に出るための道を模索しているのだ。何しろあちこち曲がる相手らしく、正面に回るのが大変らしい。

「神楽さん。そこの電気屋の角を左」

「おう。――和哉。電気屋を左だ」

『分かった』

 スーツの襟につけた小型無線機に喋れば、一人他人の振りをして先行する和哉の声が聞こえてきた。

 和哉がまず山咲と立ち合い、出来るならその場で支配する。

 それが無理な場合、可能な限り長い時間、山咲を足止めしておく。その隙を見て神楽が彼を始末する。それが今回の作戦である。

 こちらを信用していない和哉を代表にするのは不安ではあるが、かと言って桜花にやらせるわけにはいかないし、神楽が出ても勝率は低い。何しろ、触ればほぼ確実に対象を無力化できる能力なのだ。騙し、罠、何でも使わなければ勝ち目はない。

「神楽さん」

 後ろで上げられた声に、神楽の身体が反応した。

「やったか?」

「このまま真っ直ぐ行けば、薬局の前で須藤さんと山咲がすれ違う。その一つ手前がケーキ屋、二つ手前が洋服屋」

「うし。和哉、聞こえたか? 薬局の前だ。俺らは二つ手前の洋服屋で待機する。無茶はするなよ」

『了解』

 通信終了。神楽は目を細め、前を行く和哉に神経を集中する。まさかとは思うが、和哉を認識した瞬間に山咲が彼に襲い掛からないとも限らない。

 歩くこと数分。

 前方に薬局が見えた。

「あれか?」

「――うん」

 地図から顔を上げ、桜花が頷いた。顔を上げたということは、もう地図を見る必要がないということだ。

 和哉と薬局の距離が狭まってくる。二つ手前の洋服屋とやらも確認した。

 和哉が薬局の前に出る。

 神楽は頭に叩き込んだ山咲の情報を引き出した。長身、大柄。サングラスに白いジャケット。筋肉質で、間近で見るとなかなか迫力がありそうな体躯だった。目つきは悪い。サングラスがあるからこれは推測だが、多分間違ってはいない。

 白いジャケットのグラサン大男。

 通りの向こうへやっていた目線に、引っかかる人影。

「っ! ビンゴ……ッ 桜花、でかした」

「これが仕事だもの」

 頭を撫でてやると、桜花はくすぐったそうに手を払いのけた。

 正しく情報通りの男が、和哉と今にもすれ違う。洋服屋の前で物色している振りをしながら、神楽は横目で二人の様子をうかがった。

 和哉が呼び止めたらしい。山咲が足を止め、和哉の方を振り返る。サングラスの中の瞳が険を増している。想像だが多分間違っていない。

 薬局の前で立ち止まり、言葉を交し合う和哉と山咲。とりあえず速攻で襲われる可能性は消えた。神楽は安堵し、小さく息を吐――

「ッ!」

 山咲が、突然こちらを向いた。

 吐きそうだった息が思わず喉に詰まった。いきなりこちらを向くなどと、心臓に悪い真似をする。

 目を逸らしたのは、和哉が支配をかけようとするのを避けるためだろうか。

 わざわざ話しかけてきたのだ。和哉が能力者、少なくともその関係者であるとは山咲も推測しているだろう。だが、まさか目の能力者だということはバレていないはずだ。

 これまでに目の能力者に会ったことがあるのかもしれない。他人と数秒間目を合わせることのないようにと、経験でそれを回避しているのだとしたら、和哉の支配能力は期待しない方がいい。

 どこから仕留めるか――そう考えていると、

「お……おい、おい」

 山咲が、ずんずんこちらに迫ってくる。

 話し合いはどうなったのか。終わったにしても、和哉が全く襲われもしていないのはおかしい。そう思って少年の方を向けば、

「……あの野郎」

 小さな笑み。

 口元に浮かぶ、はっきりと神楽に向けられた笑み。

「桜花、逃げろ」

「え?」

 神楽が影になって、和哉の笑みは見えなかったらしい。近づいてくる山咲に不安を隠せない桜花に、神楽は更に言った。

「あいつ裏切りやがった。逃げろ――早く逃げろっ!」

「で、でも――」

「行けっ!」

 怒鳴り声に、ようやく桜花は踵を返した。駆けていく足音が遠ざかる。

 それを見て、山咲も歩を早めた。急ぎ足から駆け足へ、そして完全に走り出す。

 野郎、やっぱり狙いは桜花かっ!

 和哉の入れ知恵だろう。探索能力を持つ桜花をまず始末する方が、山咲にとっても彼にとっても有利なのだ。戦闘要員である神楽だけでは、標的を探し出すのは不可能だから。

「させるかよっ」

 山咲の行く手を阻むように、神楽は道の中央に立ちふさがった。即座に睨みつけてくる眼光。山咲もまた、こちらが敵だと認識したようだ。

 数秒を必要とする神楽の能力を使うには、あまりにも時間がなかった。能力に比べると威力は地ほどにも落ちるが仕方ない。神楽は懐から、昨夜和哉に向けた拳銃を取り出し、山咲に向け――

「邪魔だ」

「……速っ!?」

 山咲に向ける前に、巨大な手に銃身を握られた。さらにその手が力を込める。と言っても、握りつぶすというほどではない。ぎゅっと軽く力を入れる。たったそれだけのこと。たったそれだけのことだった。

 だが、

「熱っ くそ!」

 たったそれだけのことで、神楽の銃は溶かされた。思わず銃から手を放し、どろどろの液状となった鉄から身を避ける。

 と、

「!」

 横からきた。

 山咲の回し蹴りが、溶けた拳銃に意識を向けてしまっていた神楽の頭に直撃したのだ。それが分かったとき神楽は既に空中から地面に叩きつけられていた。目が回る。口に中に血の味が広がる。

 ここまで一秒と半。時間稼ぎにもならない。

 身動きができない。

 歯がゆい思いのまま、遠くで上がる桜花の悲鳴を聞く。

「大丈夫?」

 からかうような少年の声。

 和哉だ。

「……てめぇ」

「これに懲りたら、二度と俺たちに手を出さないことだね。別にさ、世界を揺るがすような大事件を起こすつもりはないんだから。街角で毎日起こるような、その程度のことをするだけだよ」

「……ならいいのかよ」

「ん?」

「……街角で起こる小さな事件なら、何してもいいってのか?」

「……」

 和哉の顔から笑みが消える。

 それに向けて、神楽は言葉を吐く。どうしようもない怒りが湧いてくる。こいつは、この馬鹿は――

「事件が起こるってことは、誰かが迷惑するってことなんだよ。何かが犠牲になるってことなんだよ。例えそれが小さなことでも、悲しむ人間は必ずいるんだよ! その程度のことも分からねえのか、お前はっ!」

「……」

「チリも積もれば山になるんだよ! お前のせいで泣かされた人間は、最初はごく少数だろうさ。でもな、その数はどんどん増えていくぞ。お前に泣かされる連中は、お前が止めない限り増えていくぞ。日本中が泣き出したら、お前一体どうする――ぐあっ」

 神楽の叫びは、途中で遮られた。

「うるさいな、お前」

 桜花を捕まえて戻ってきた山咲が、腹を容赦なく踏みつけてきたのだ。胃の中が逆流するなどというものではない。胃そのものが踏み潰されるような感触。たまらず、神楽は苦悶の声を上げる。

 桜花は、

「……」

 蒼白な顔をして、だがじっと立ったままだった。

 それはそうだろう。首を、後ろから山咲に掴まれている。奴の武器は掌から発する灼熱の高温。少しでも身動きをすれば、どうなるかは分かりきっている。

 安心しろと笑いかけたいが、ただでさえ頭を思いっきり蹴られた上に腹まで踏まれては、さすがに表情を作る余裕がない。

 周囲の人間が「け、警察を……」と言っている声がする。ありがたい。国家権力が来るとなれば、山咲も神楽にばかり集中するわけにはいかないだろう。

 だが、

「……もう懲りただろう、こいつも」

 警察の前に助け舟を出したのは、意外にも和哉だった。

 まがりなりにも名を知っている相手が目の前で虐げられている様を見るのは、さすがに愉快ではなかったらしい。

「あんたを追うことは二度とないように言っておくからさ。そろそろ解放してやってくれよ」

 さすが、ヤクザやチンピラを相手に渡り合ってきただけのことはある。へりくだりながら意見を言う姿勢が実に様になっている。

 山咲はしばし無言で和哉を見ていたが、やがて最後に一踏み(神楽はここで胃液を口の中に感じた)その後にようやく足を退けた。割とあっさり終わったのは、情報をくれた和哉に一応の恩義を感じていたからか。

 和哉の小さな安堵の息と、神楽の大きな安堵の息。その二つの後――二人は、同時に目をむいた。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。その子も放してやってくれよ」

 桜花を連れたまま立ち去ろうとする山咲に、和哉が慌てて声をかけた。

 泣きそうな顔で、しかし悲鳴を上げることも許されない桜花がこちらを向く。助けに行ってやりたいが、身体が思うように動かない。不本意だが、神楽は和哉に望みを託す。

「こいつは連れて行く」

 にべもなく告げる山咲に、和哉は食い下がった。

「いや、確かに探索能力を持ってるのはその子だけど、一人であんたを相手には――」

「関係ない」

「……え?」

 ジロリと、

 山咲の睨みが、和哉に向けられる。

「男、女。今まで何人も殺してきたが、子供は初めてだ。知ってるか? 溶かす感触は、相手によって全く違う。子供を溶かしたらどんな感触なのか、興味があるんだよ」

「でも、でも、その子は何も――」

「うるさいな……お前も溶かされたいか?」

 その一言で、和哉が言葉に詰まった。

 押し黙る少年に、大男は言う。

「本当は男の子供も試したいんだよ。お前を見逃すのは、こいつらのことを教えてくれたからだ。俺が許している間に黙れ」

 そこまでだった。

 昨夜の神楽のそれとは違う。本物の脅し。本物の殺人鬼の脅迫。和哉は物も言えなくなり……神楽は未だ、立ち上がれない。脳がぐるぐる揺れている。

 桜花が助けを求める瞳をこちらに向けてくる。

 神楽も和哉も、それに応えることができない。

 

 神楽がどうにか回復したのは、それからだいぶ後だった。

 山咲は桜花を連れて、その辺のバイクをあろうことか持ち主本人の目の前で強奪した。そのまま走り去って、行く先はまるで掴めない。

「……悪かった」

 しばらく後、和哉がぽつりと言ってきた。

 まさかこんな展開になるとは思っていなかったのだろう。先ほどとは別人のように見えるほど、気落ちしている。瞳は気の毒になるほど弱々しい。

 神楽はそんな彼に、短く返した。

「こっちこそ悪かった」

「え?」

「いきなり殺そうとして、その翌日にはいきなり協力しろと言って来る。お前からすればそりゃ無理な話だ。最初にお前に無理を要求したのは俺だ。調子に乗って説教までしちまったが……悪かった」

「……」

「でも、さっき俺が言ったこと。少なくともあれは間違ってないぞ。馬鹿じゃないんだ。分かるだろ?」

「……ああ」

「ならいい」

 それだけ言って、神楽は立ち上がった。

「さて……桜花を助けに行くか。望み薄だが」

「……やっぱり薄いのか?」

「わら半紙が分厚く見えるくらいにな。何しろ場所が分からん。別の探索能力者がここに来るまでは、まあ、最低でも数日かかるだろうからな」

「……」

「まあ、お前にはもう関係のない話だ。忘れろ。じゃあな」

 あまりぐずぐずしている時間はない。バイクの走り去った方角を頼りに、聞き込みを繰り返しながら行く先を絞って行くのだ。記憶があやふやな人間もいるだろうし、別のバイクと間違って認識されていたら一巻の終わり。気の遠くなるような作業だが……やるしかない。

 手遅れになる前に、もう手遅れかもしれないが、桜花を助けなければ。

 とりあえずバイクの持ち主に話を聞こう。そう思って神楽は放心したままの若い男に近寄ろうとし、

「――分かるぞ、場所」

 背後から声。

 振り向けば、先ほどまでの通り、弱々しい瞳の和哉がいる。

 だが、その目の中に小さく強い光があるのも、また事実だった。

「俺の能力なら調べられる」

「……他人を支配して、道を聞くのか? 普通に聞いても別に隠したりはしないと思うぞ」

「そうじゃない」

 と言って、和哉は空に指を向けた。

 その先を追って、神楽もまた空を見上げる。夕焼けに紅くなった空。縦横に走る電線の上にいる無数の黒い影。

 カラスだ。

「……まさかお前」

「もう少しだけあんたに協力する」

 和哉はそう言って、小さく笑った。

 

 山の中。小さな廃屋。

 登山客はおろか持ち主にも忘れ去られているような、オンボロ小屋である。

 そこは山咲の、万が一のための退避場所の一つだった。

 殺人をしているのだ。いずれ何かの手が伸びてくることは分かりきっていた。そのときのために、あちこちに隠れ家を用意しているのだが。

「……まさか、お前みたいな奴がいるとはな」

 口の端を小さく吊り上げて見やる先は、部屋の隅。うずくまってじっとこちらを睨んでくる桜花。

「そこらへんは蜘蛛が出るぞ」

「!?」

 慌てて立ち上がり、周囲を不安そうにおどおどと見回す。その様子が滑稽で、山咲は小さく声を上げて笑った。

 桜花は悔しげに顔を歪めながら、それでもさきほどより中央に近い位置に座す。

 その弱々しい睨みを正面から受けながら、山咲は言葉を続けた。

「探索能力、か。考えてみれば確かに、あってもおかしくない能力だ。お前みたいなのがあと何人いるのか。……考えるとげんなりしてくるぜ」

 だが、と続ける。

「とりあえずお前を殺せば、一人は確実に減るわけだ」

 腹ごなしもした。

 人目につかないよう、そして自分が好きな時間だからということで夜を待っていたのだが、今は深夜零時近く。空は雲一つない満月。申し分のない夜だ。

 立ち上がる。

 桜花が思わずという感じに身体を震わせ、小さく退避した。それに合わせて山咲も動けば、小柄な少女が更に後退する。

 一歩の距離は数十センチ。そんなちまちまとした追いかけっこが数秒続き、

 限界は桜花の方にきた。

「行き止まりだな」

「……っ」

 絶望とは、こういう表情のことを言うのだろう。

 さっきまでいた場所にまであっという間に追い詰められた桜花は、恐怖と怒りがない交ぜになった表情で山咲を睨んでくる。

「そこらへんは蜘蛛が出るぞ」

 その言葉にも反応がない。当たり前だと思いつつも、先ほどの仕草が見られないのを山咲はわずかに残念に思った。

「さあ」

 掌に軽く力を込める。

 最近は見なくても感覚で分かった。掌が少しずつ熱くなり、やがてそれは地獄のような熱を帯びる。血の色とも赤とも違う、灼熱の色が掌に浮かぶ。

 桜花の表情に残っていた抵抗心――怒りが、消し飛ぶようになくなった。

「あ…あ……」

 呆気ないものだと思う。

 頑なに口を閉ざしていた少女は、今や恐怖で身体を震わせ、まともな命乞いすらも出て来ない様子だった。このまま放っておいたら失禁でもするのだろうか。それを見るのも一興かもしれない。山咲はふと、そんなことを考える。

 失禁させて今日は見逃して、明日散々そのことで辱めてから殺す。それでもいいかもしれない。どうせここには誰も――

 カタッ……

 背後で物音。

 閉ざされた扉から、音がする。

「?」

 不審に思って、首だけ振り向いた。動物か何かだろうか。そう思っていると――

「邪魔だっつの!」

 怒鳴り声とともに、昼間の少年――和哉が扉を蹴破ってきた。

「……お前」

「す……須藤、さん」

 地獄に仏を見た。そんな声で和哉に縋る桜花。

 和哉はそちらの方を見て、

「ごめんっ 本当に悪いことした! 待ってて、すぐ助ける」

 一体何があったのか。昼間とは明らかに様子が違う和哉を、山咲も桜花も怪訝に見つめる。

 二人の視線が向けられる中、和哉はおもむろに、懐からナイフを取り出した。

「一応、子供一人で何年も生きてきたわけだからね。こういうものの扱いも、それなりに慣れてはいるんだよ」

 戦闘の意思。

 そうとって、山咲は静かに気を引き締める。

 桜花に向けていた身体を和哉に向ける。五秒で終わる。そう思った。ナイフの扱いに多少慣れているから何なのか。多少なんてものじゃないほど荒事に慣れているはずの神楽といった男があっさり敗れる様を、こいつは見ていなかったのか。

「なあ」

 和哉が声をかけてくる。

「自首するつもりはないか? それなら許してやる」

「……馬鹿か、お前は」

 思わず尋ねた。どうして自分が自首などしなくてはいけないのか、理解に苦しむ。

「ないの?」

「当たり前だ」

「どうしても?」

「くどい」

「……そう、か」

 残念そうに軽く言い、和哉は突然構えを解いた。戦闘意思の解除。一体何を考えているのか。何らかの能力を持っているのかもしれないが、和哉から攻撃の気配はない。警戒すべきなのは相手を支配するタイプの能力だが、目の能力はサングラスなどの遮蔽物があると効果がないのは実践済みなのだ。

 何を待っている。そう考えると同時に、ふと思った。

 ――神楽という男は、何処へ……?

 

「残念だ」

 山咲が思ったのと、頭上から神楽の声がしたのとは、ほぼ同時だった。

 

「――あ?」

 山咲は思う。

 なぜ、自分は宙を舞っている?

 なぜ、自分はこんなにも軽い?

 なぜ、身体の感触が消えた?

 なぜ、自分の身体を、眼下に眺める?

 そしてなぜ――神楽の爪が、ありえないほど伸びている?

 肉食獣どころではない。

 剣と言ってもいいほど長く伸びた爪は、神楽の両脇にだらんと下げられている。滴っているのは血だ。桜花でなければ和哉でもない。神楽自身であるはずがない。となれば、

 俺の血か。

 俺の首が、あの爪で刎ね飛ばされたのか。

 それを認識すると同時に、山咲の意識は暗転した。

 

 黒く長く伸びた神楽の爪。漫画にでも出てきそうなそれに、和哉は一瞬絶句した。

 なるほど、確かに戦闘向きの能力だ。

 神楽はおそらく、力はほとんど入れていないだろう。何しろ爪である。力など込めようがない。力を込めようがない武器で人の首を刎ねたということは、それだけ切れ味が凄まじいのだ。

 自身の身体に爪を触れさせないよう注意している神楽の様子からもそれが分かる。

 と、

「和哉。桜花の様子を見てやってくれ」

「?」

 どうして自分が。そんな思いで神楽を見る。

 彼女にとって自分は裏切り者であるわけだし、ここは神楽の方がいいのではないか。そういう視線を送る。と、神楽は慎重に肩をすくめて、

「今の俺が他人に近づけるわけないだろ」

 なるほど納得。屈強な大男の山咲が一撃で首を刎ねられたのだ。小柄で華奢な桜花が、あの爪に触れて無事に済むはずがない。

「あー、その……大丈夫?」

 しかし。

 彼女が捕まった原因は間違いなく和哉にある。それを自覚している以上、普通に接していられるわけもないのだった。何となく目を逸らしながら尋ねる。

 桜花は。

「……」

「? どこか怪我でも――」

 言いかけて、和哉は気がついた。眉をひそめながら神楽に言う。

「外に出よう」

「あん? なんで?」

 和哉は黙って桜花と自分の足元を示した。

 山咲の首が転がっている。

「あー……了解」

 背中に神楽の返事を聞きながら、和哉は桜花を支えながら外へ向かった。重なりまくった心労に、桜花はまともに立つことすら難しくなっているようだった。

 外。

 雲一つない夜空に、満月がポツリと浮かんでいる。山と言っても登山客が訪れるような場所である。星空は、予想していたほどには見えていなかった。

 桜花が落ち着いてきたところで、神楽が口を開く。

「桜花。和哉に礼言っておけよ」

「?」

 何故に? そんな表情で、桜花は神楽を見た。

「この場所を探り当てたのは和哉なんだよ。いや、正直驚いた。便利な能力だとは思っていたが、まさか人間以外にも通用するとはなあ」

「おかげで生傷だらけになったけどね」

 自らの二の腕を見ながら、和哉は苦笑混じりに返した。数えるのも億劫なほどの傷が、外気に触れて傷みを訴えている。

 カラスにつけられた傷だ。

 縄張りがあるかもしれないと思っていたが、幸いなことに、山咲の隠れ家はあの周辺にいたカラスの縄張りの中だった。それでこれほど早く来ることができたのだ。

 相手の知能の有無が無関係なのは、以前犬や猫で実証済みだった。カラスを一匹捕まえ、和哉の能力で支配する。後はそいつに道案内を任せればいい。

 むしろ道案内させるまでが大変だった。当然暴れるので、二人がかりで押さえつけてようやく支配したのだ。

「……ありがとう」

 ポソっという感じで、桜花が言った。

 和哉はそれに苦笑する。彼女の身になれば、それも無理はない。なるほど助けが間に合ったのは和哉のおかげだが、捕まったのも和哉のせいなのだ。礼を言ってもらえるだけでも上等だと考えるべきだろう。

「どういたしまして。それじゃ、俺はこれで」

「待てコラ」

 ひょっとしたら流れで見逃してくれるかと思っていたが、やはり甘かったようだ。

 神楽の声に、和哉は振り返らず答える。

「殺されるか、死ぬか。その二択?」

「まあ、そうだな。何しろお前の能力は強力過ぎる。見逃すわけにはいかん」

「……」

「……と、昨夜の俺はこう言った」

 その言葉に、和哉は振り向いた。

 こちらに銃も爪も向けず、ただ座ったままの神楽がそこにいた。

「今夜の俺はこう言おう。お前、俺たちと組む気はないか?」

「……は?」

「神楽さん?」

 二人の疑問符を受けながら、神楽はニヤッと笑う。

「正直に言おう。殺すには惜しいんだよ、お前とお前の能力」

「後者だけだろ、欲しいのは」

「前者もだ。例えばの話、桜花や俺がその目を持ったところで、活用できるとは思わない。お前が持っているからこそ、その能力は活きるんだよ」

 勧誘されているのだろうか、これは。

 褒められて悪い気はしないが、何しろこの男の言うことである。どうしても疑ってしまう。

 それが和哉の顔に出ていたのか、神楽は更に言ってきた。

「裏なんかないって。お前が必要なんだよ」

「……」

「いや、本当に。カラスの件を見て感心した。捻くれた根性も俺の説教で一応修正はできたみたいだし、お前だって俺たちに付きまとわれるよりは一緒に働く方がいいだろ? 言っておくが給料いいぞ」

「神楽さん。本音は?」

「お前が入ってくれればもうお前を追い掛け回してウロウロしなくて済むし、情報収集はお前に全部押し付けることができるだろ。特に後者が重要だ」

「……」

「って桜花、お前何言わせる!」

 今のは、わざとやったんじゃないのだろうか?

 桜花をがくがく揺さぶろうとし、自分の爪を思い出して押し止まり、仕方ないので怒鳴っている神楽を見ながら、和哉は考える。確かに神楽の言うことは正しい。彼らの仲間になれば、もう追い掛け回されなくて済む。妙な仕事はさせられるようだが。

 情報収集を全部押し付けられるのは御免被りたいが、それ以外は特に悩むべき事もない。

 それに、

 

――例えそれが小さなことでも、悲しむ人間は必ずいるんだよ!

 

 神楽の言葉が脳裏に蘇る。自分のこれまでの行動を振り返る。見ないように、思い出さないようにして来たことを。

 人を陥れた。

 人を騙した。

 それによって悲しんだ人間が、果たして何人いただろうか。

 変わりたい。そう思う。

 過去の自分を振り切りたいと、そう思う。

 この男となら。

 この二人となら。

“正義の味方”なんてことを真面目にやっている彼らとなら、ひょっとしたら変われるかもしれない。和哉はそう思う。

 もっとも、

「わたしが捕まったのは神楽さんのミスだもん。上の人に報告するからね」

「だーっ! 手前ぇ、脅す気か!」

「来月の頭にミスターチルドレンのアルバムが出るんだけどー」

「買わねえぞ。絶対買ってなんかやらねえからな!」

 もうしばらくは、二人の間に和哉が入り込むことはできないようだ。

 

「なあ、ところでその爪。いい加減に戻せよ。危ないから」

「お前は伸びた爪を、好き勝手に戻すことができるのか?」

「……ひょっとして、短くすることはできないのか?」

「だから言ったろう、取り返しのつかないことになるって」

「……」

「神楽さん、手ぇ出して。棒ヤスリで削るから」

「お、すまねえな桜花」

「それで来月のアルバムなんだけど」

「買わないぞ」

「……」

「コラッ 棒ヤスリを懐に仕舞うんじゃねえスタスタ俺を見捨てて行くんじゃねえ! おいコラ、桜花……っ 分かったよ買ってやるよ! 買えばいいんだろ!」

「まずは小指からね」

『速っ』

 


 

あとがき

というわけで新作短編、HEROです。いかがでしたでしょう。
バイトまであと二十五分。かなり急ぎながらこれ書いています。

ちなみに最後の台詞のみの箇所は完全に僕の趣味です。ベタだろうが何だろうが、好きなんだよ!
というわけで、この箇所に『寒いです』とか突っ込み入れないように。

次回の短編は何でしょうねえ。悪魔5かもしれませんし、別の新作かもしれません。

まあそれはともかく、よろしければ感想お願いします。

 

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