魔術大全
| 夜の町に光が満ちる。寝ている人間を一発で叩き起こしかねない強烈な光。が、誰も苦情の声など上げない。今の状況で寝ている人間などいるわけがないのだ。 「……導きたまえ、我が手を引いて。支えたまえ、我が手を取って……」 あどけない少女の声で、全く似合わない物騒な言葉が紡がれる。人間が扱う魔術としては最強に近い詠唱呪文。あえて『人間レベル』の魔術を使うのは、あんまり威力を高くすると町の人間まで巻き添えにしてしまう、という配慮からだろう。 「祓いたまえ、我が行く道を塞ぐもの」 目も眩むほどの閃光が、彼女の手の平に収束する。しかし、まだそれは終わりではない。ここまでは下準備に過ぎず、魔術が本当の効果を発揮するのは…… 「やっちゃいなさい、ルイディス!!」 この世に何らかの現象をもたらす、呪文完成の後。 目の前に羽がある。淡い光を放つ、何で出来ているのか全く分からない、それだけ見れば不気味としか言いようのない羽。まあ、その羽の持ち主を知っているネロは不気味などという感想は抱かなかったが。 「……何? これ」 怪訝な顔をして、ネロは自分に羽を差し出してくる少女に聞く。小柄ではあるがネロよりは背が高い。しかしそれは当たり前で、六歳のネロに対して少女は十六歳である……外見は。 「ん? お守り。なくさないでよ、抜くの痛かったんだから」 「そうじゃなくて、なんでこんなものを差し出してるのかって聞いてるの」 とても六歳とは思えないネロの言い草に、少女、ウリエルはわずかに顔をしかめる。 「こんなものとは失礼な……お守りって言ったら持ち主を危険から守るに決まってるじゃない」 「話題をすり替えないでよ。僕は、“なんで”お守りを渡そうとしてるのかって聞いてるの。分かる? 用途じゃなくて理由を聞いてるの」 「う……六歳のくせに……実は四十歳くらいサバ読んでない?」 「読んでどうするのさ……で、はぐらかそうたってムダだよ。こっそりポケットに入れようとしているみたいだけど、それも諦めなよ」 「……ネロ、可愛くない。全っっ然可愛くないよ」 「ありがとう」 四十どころか四百くらいサバ読んでいてもおかしくなさそうな少年を相手に、ウリエルはやれやれと嘆息した。体良く騙して、という方法は無理だと悟ったのだろう。表情を引き締め、やや厳しくなった声で言った。 「ネロ。黙ってこれを受け取って欲しいの」 「やだ」 「……」 「何でそんな得体の知れない物を黙って受け取らなきゃならないのさ。何かを頼むんなら理由は言う義務があると思うね」 「……クソガキ」 半ば本気で呟いて、ウリエルは盛大にため息をついた。どっかの丘で花でも摘んでいそうなその容姿からくるイメージがガラガラと音を立てて崩れ去る。 そして、またも戦法を切り替えた。今度は怒りを孕んだ口調である。元の容姿が幼いから拗ねているようにも見えてしまうが、それはあまり考えないようにしよう。 「じゃあはっきり言うわよ。わたしは今からあのバケモノに戦いを挑むつもりであんたは邪魔で、でもわたしが勝てるかどうかは分からないからこれを形見として受け取って欲しいってこと。どう? 分かった!?」 今度怯んだのはネロだった。まさかここまではっきり言われるとは思っていなかったのだろう。面食らったような表情で、ぽかんとウリエルを見つめている。 「返事!!」 「は、はいっ!!」 弾かれたように直立不動になるネロを見て、ウリエルはふっと表情を和らげた。クスクス笑いながら言う。 「ネロっていつもそうだよね。こっちがちょっと強く出ると、すぐビビっちゃうんだから」 言われてネロは、顔を赤くしながらそっぽを向く。 その行動は、もちろんからかわれて拗ねたのもある。が、本当はもう一つのことから目を背けるためだった。ウリエルが言ったこと。ネロが、可能性を考えながらもずっと否定してきたこと。 ウリエルもそれを分かっているようだった。分かっていながら、あえて口を開いた。 「さて。理由は言ったんだから、受け取ってくれるよね?」 「嫌だ」 「ネロ……あのね、」 「絶対嫌だ」 ウリエルがため息をついているのは、気配で分かる。それでも目を合わせることはしなかった。正面から向かい合えば絶対に言い負かされる。意地を張るしかなかった。 「……」 「絶対受け取らないからな」 沈黙が、しばらく続いた。そのとき、 『!!』 割と近くから聞こえた轟音に、二人同時に反応した。さっきウリエルが与えたダメージをもう回復したらしい。人間なら一撃で消し炭になるような攻撃がまるで通じていない…… 「あんまりのんびりもしてられない、か」 ウリエルが――なぜか悲しそうに――呟いた。ネロを向き、しゃがんで目線を合わせる。 「お願い。これを持って早く逃げて」 「嫌だ」 「お願いだから……」 「嫌だ」 「……そう」 ウリエルは静かに目を伏せて、俯いた。自分が迷惑をかけていることは分かっているネロには、その表情がひどく気になる。 「ウリエル……その……」 「ネロ」 呼ばれて見ると、ウリエルは顔を上げてネロを見ていた。静かに微笑んでいる。そんな表情を、出会ってから一度も、まだ二ヶ月と少ししか経っていないが、一度もネロは見たことがない。 ネロが言葉に詰まっているうちに、ウリエルは静かに言った。 「ごめんね」 「!?」 言葉の意味が分からず問いただそうとして、ネロは気づいた。体が全く動かない。息はできるが、全身が金縛りにあったように硬直している。 (やられたっ!!) (目も動くから)ウリエルを睨みつけ、ネロは視線で文句をつける。それを無視して、ウリエルはネロのポケットに羽を押し込んだ。 (この野郎っ!! フェアじゃねぇぞおいコラ!! 聞いてんのか!!) 「何を言ってるのかは分からないけど……」 かがんでいた身を起こしたウリエルは、いつもの人を食った笑みを浮かべていた。 「何が言いたいのかは大体分かるつもりよ。ごめんね。でも、こうでもしないとネロ、あんた言うこときかないでしょ」 (当たり前だっ!!) ネロの声が聞こえたわけではないだろうが、表情から読み取ったのだろう。ウリエルは苦笑して続けた。 「ハドリックには話を通してあるから、彼のところに送るね。彼は有名だから、弟子になって損はないわよ? 少なくともこんなトコで得体の知れない天使と一緒に暮らしてるよりはずっと有意義なはず」 (勝手なこと言うなっ!! 僕はウリエルと暮らして損だなんて思ったことは……一度も……) 読心術の心得でもあるのか、ウリエルは小さく笑って「ありがとう」と言った。そして、 「じゃあね。ハドリックにはその羽を見せればいいから。修行サボっちゃだめよ?」 そう言って、何かの祝福のつもりなのか、少年の額に軽く口付けをする。 異性だの何だのを気にする年齢ではないが、それでもネロは照れを感じた。山ほどあった言いたいことを一瞬忘れる。我を取り戻したときには、ウリエルは詠唱を始めていた。 「その道行くは、羊の子。迷いの森の真ん中で、ひたすら歩む羊の子」 呪文に伴って、ネロの周囲が光を放つ。と言ってもさきほどのような白い光ではなく、青い光である。 (くっそ) ネロは、多なら魔術を使える。だが、ウリエルに比べれば足元にも及ばない。その彼女はおそらく本気で金縛りをかけただろう。そうであれば、ネロに成す術はない。 「迷える道を抜けるため、神が灯した道しるべ……セイウンス」 最後の呪文によって完成した魔術が、ネロを包み込む。青い光はいっそう輝きを増し、同時にウリエルの姿が薄れていく。 (おいコラ!! せめて最後に何か言わせろ!!) 悔し紛れにそう思ったが、どうやら通じていなかったらしい。ウリエルはネロの気など知らずに……あるいはわざと無視して、笑った。 「終わったら、すぐに追いかけるから」 そう言う彼女の背中には、紛れもない、純白の羽が見えた。 ……そして十年。ネロは一度も、ウリエルの姿を見ていない。 |
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