魔術大全
| 空を見ていた。 わずかに開いている窓から、空を見上げていた。 夕暮れの赤が眩しい。もうすぐ日が暮れる。また、目的を果たせないまま今日が終わる 一体何なのか、自分でも分からない目的。昔は分かったのかもしれないが、今となってはもう何も分からない。 それでも探し続けるのは、それが大切なことだと知っているから……そして、それしか自分がやることがないから。 ……お休みなさい、今日のわたし。 また頑張ろう、明日のわたし。 着いたときには日が暮れていた。手に持った地図に目をやり、南北が思いっきり逆であることに気づく。だから安物の地図は嫌なのだ。製作者が、既存の地図をちょっと真似ただけのまがい物である場合が多いから。 ……そりゃ、金を出し惜しみして安物買った自分だって悪いんだけれど。 ……。 忘れよう。そう思った。 とりあえず宿が必要だった。森で半日迷った挙句に野宿などしたくない。金は惜しいが仕方ない。 安堵と悔恨、その他もろもろの感情が混じったため息をついて、 ネロはその町の入り口を見上げた。アーチ上の門に、飾り立てた文字でこう書かれている。 『オクロック』 ――別名、時計台の町。 「すんません、こういう者なんですけど」 「ああ? ……あーあー魔術師殿か。ようやく来てくれたのか……にしちゃあ、随分若くないか? まだ二十歳前だろ?」 「学校の課題の一つで……まずは生徒が様子を見に来るんです。あ、もちろん生徒の手に負えない場合はすぐに先生たちに報告が行くんで、安心してください」 「なんだそうか。じゃあ、君は下見ってわけか」 「ええまあ。あの、ところで穴場みたいな宿とかってあります? あちこち回ったんだけどどこも一杯で」 「ああ……災難だったね。ちょうど祭りの時期なんだよ」 「ああ知ってます。確か収穫祭でしたよね? その日だけは町の住人だけに伝わってる郷土料理を観光客に振舞うっていう」 「そうそう。毎年好評でね。最近じゃあ、この時期はちょっとした都市並みの人が集まるくらいで。悪いけど、宿は諦めた方がいいな」 「そうですか……どうしようかな……」 「……」 「……」 「泊めてくれたっていいじゃねぇかよ!!」 完璧な夜となったオクロック。町長宅で先程のような会話を交わし、見事に宿無しとなったネロは時計台に向かう道中でひたすら愚痴っていた。 結局、町長はあの後「じゃあ、よろしくお願いしますよ」と言って扉を閉めてしまったのだ。魔術師とは言え身分はしがない学生のネロ、「泊めてくれ」などと厚かましいことを言えるはずもなく、仕方ないので時計台で一夜を明かすことにした。中を観光客用に改造した時計台は、『人目がない、屋根がある、風がない』をとりあえず保証されているのだ。 それに、今回この町に来たのだって、この時計台が原因なのである。運が良ければ明日には帰れるかもしれない……そう思って、そう思い込んで無理やり自分を納得させる。 ネロの通う魔術師育成専門学校に舞い込んだ依頼は、一週間以内になんとかしてくれという非常に急なものだった。町曰く「時計台に魔物が出るので観光業に支障が出る」 普通は一ヶ月か二ヶ月は間を置くものだ。魔術師にだっていろいろ都合があるし、その町専属というわけでもない。そこを、学長の知り合いだということで無理矢理割り込んできたのだ。学校内でこの「スケジュール」に携わる人間は、一人残らず予定表の大幅修正を余儀なくされた。 そうまでして来てやったというのにこの仕打ちというのは、如何なものかとネロは思う。 「ったく、こっちは課題だから金出ないんだぞ!? そりゃ旅費とかは出るけどノーギャラで魔物なんつー危ない奴を相手にするんだぞ!? 一晩くらい泊めてくれたっていいじゃねぇか、て言うかあの野郎ぜってー疑ってた、ぜってー俺のこと信用してなかった。見てろよ、明日の朝起きる頃には全部終わらせてやるから。卒業後は是非とも町に、って言いたくなるほど鮮やかに解決してやるから。それを鼻で笑って蹴ってやるあのヒゲ親父め」 町長の、伸ばすでもなく剃るでもない中途半端な無精ひげを思い出し、ネロは思いっきり悪態をつく。とりあえずあのヒゲを一本一本引っこ抜くことを想像して気分を紛らわせ、そうしているうちに、 「……これか?」 午後五過ぎを指している大きな時計が、目の前にあった。 ギィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ……バタン。 「……」 一寸先は闇とよく言うが、この場合一寸どころか紙一枚分向こうだって闇である。 考えてみれば当たり前のことだ。夜中は使わない観光用の通路に、わざわざ明かりを灯す必要性がない。窓は幾つかあるが今夜はあいにく雲が出ている。昼間は観光客のために灯してある無数のランプも今はその役割を果たしていない。 ため息を一つ。 『……リトルライト』 ポツリとネロが呟くと同時に、彼の周囲が光に包まれた……と言うか、闇の中にポツンとした光が生まれた。もちろん魔術によって生まれた光であるが、大して大きい魔術でもないから全体を照らすには全然至らない。 それでもまあ、足元を照らす分には不自由しない。これで我慢することに決める。 入ってすぐの場所には階段があった。螺旋状になっていて、壁に町と時計台の歴史、柵で隔てられた中央の吹き抜けに、なんだかよく分からないオブジェが吊るされている。釣り糸を固定している天井はそのまま時計の部分に通じており、そこから先は関係者以外立ち入り禁止となっている。 目的は正に、その時計部分である。そこに魔物が住み着いていて観光客を脅かしているらしい。ただイタズラをするだけという、はっきり言って雑魚だ。学生でも十二分に通用する。つまるところ棍棒でだって倒せる相手なのだ。 そんなののために魔術師を呼ぶな、と言いたいところだが呼ばれたものは仕方がない。魔物と名のつくものなら、素人は何だって怖いのだろう。 しかしまあ、雑魚だろうが何だろうがとにかく魔術師として呼ばれたのである。一応プライドというものもある。さっさと退治して帰るのが一番の方法だった。そのためにちゃんと鍵も借りてきている。 あとは最上階まで上って、魔物をとっとと退治するだけだった。 ……そう。退治するだけ…… 「……自動で運んでくれるようなものは……」 独り言を言いながら周囲を見回すが、そんな都合のいいものがあるはずもなく。 「……登るしかないか」 天国まで続きそうな、果てしない螺旋階段。 ネロは再びため息をついて、一歩目を踏み出した。最上階まで登る前に夜が明けそうな気がする。それほど長く、果てしない。 気を紛らわせるために壁を見る。オクロックと時計台の歴史が図とともに解説されており、どうでもいいような人物名や全く知らないような戦乱に巻き込まれたこと等がある。地元の学校は、おそらく多分絶対に、卒業するまでに一回は生徒をここに連れてくるのだろう。町の歴史なんぞ今を生きる生徒諸君にとっては何の意味も持たず、学校へ戻った後の感想文だって『ぼくたちのまちにあんなれきしがあったなんて、はじめてしりました。おどろいています』とかそんな感じが関の山だろう。 ざまぁみろ、と思う。もっと苦しめ、俺のように。 何を見てもネガティブ思考になる。それもこれも町長のヒゲ親父がいけないのだ。わざわざ出向いてくれた相手に対して宿の一つも提供しないとは。何も小遣いをくれとは言わない。豪華なメシもなくていいし美人の女の子でサービスしてくれなくてもいい。 ただ、寝る場所くらいは与えてほしい。切実にそう思う。こんなトコまで来たのに、何が悲しくて時計台で眠らなければならないのか。自分が一体何をした? 何も悪いことはしていないのに、なんでこんな場所で寝なければならないのか。こんな埃まみれの場所で、普段は観光客の靴が乗っかってるような階段でそうちょうどこの子みたいにボロ雑巾のように、 「……?」 ちょっと待て。頭にそう制止をかける。 今、自分は一体何を見た? 問題の場所は行き過ぎてしまった。ゆっくりと振り返る。目を擦りたい衝動を抑え、少しずつ明かりに照らしていき、 暗闇の中で目が合った。 本気で悲鳴を上げた。 「うわうわううあわああわうわうわわわうああうわわわあわあああああ!!!!」 めちゃくちゃに駆け回って、足をとられて階段の上ですっ転ぶ。段差で頭を打って一瞬死ぬかと思い、すぐに起き上がって大慌てで呪文を連想し、 『ウイングフレア!!』 叫ぶと同時に、羽の形をした炎が空中に出現する。それら全てに意識を傾け、さっき目が合った得体の知れないモノに対して放つ。燃え盛る炎の群れが階段を照らしながら、一直線に目標に向かっていく。 放ってしまってから考える。立ち入り禁止だからここには誰もいないはずだ……いや、それならお前はどうなんだと言われると返答に困るけどとにかく本当は入っちゃいけないはずだ。自分だって町長に鍵をもらったからここにいるわけで、自分以外の奴がいるならそれは不法侵入以外の何物でもない。『ウイングフレア』は人に向けて放つにはちょっとアレかなって威力の呪文だけど、犯罪犯すような奴なんだしここは魔物が出る場所なんだからいる方が悪いわけで、ちょっとこんがり焼いちゃったところで別に気にはならな、 炎に照らされた目標は、女の子だった。 ネロは持てる力の全てを賭けて、炎の羽に急制止をかけた。おい止まれさっさと止まれ!! その子に火傷一つでもつけたらただじゃすまさないぞっ!! ……自分の放った魔術に対して、ただですまさないも何もないのだが。 ぎりぎりで何とか間に合った。少女は炎の発する熱に怯えたような反応を示したが、幸い肌も髪の毛も服も無事だ。最悪の場合ハラキリを考えていたネロはほっと安堵のため息を吐き出す。 今の騒ぎでネロの出した光は消えていた。少ししてからそのことに気がついたネロは、今度は多少大きめの呪文を口にする。 『ラージライト』 時計台の内部全て、というわけにはいかないが、それでも随分明るくなった。少なくとも、少女の顔を確認する程度には…… ……自分の目が眩んでいる。いきなり光を出したことを少し後悔したが、それでも段々慣れてきた。うっすらと目を開けてみると、ネロよりも暗い中にいた時間が長いためか少女はまだ目を閉じている。 多分、と言うか絶対寝ていたに違いない。肩で切り揃えた茶色の髪には寝癖がついていて、眩しい半分寝ぼけ半分に目を擦っている。大体、座っている位置からして毛布の上なのだ。起きて面倒にならないよう、荷物をまとめて近くに置いてあるのだ。断言できる。この少女は間違いなく寝ていた。 ……だからどうだ、というわけではないが。逆に言えばそれ以外何も分からないので、とりあえず分かることだけ断言してみたのだが。 まあ、あとは少女自身に聞けばいい。ようやく目も慣れてきたらしく、うっすらと開けてネロを見ている。 ……こんな目をどこかで見たことがある。どこだったろうとネロは考える。そう昔ではないはずだ。確か外だったと思う。晴れた日に、師匠連中や友達と一緒に何かをやった。何だったろう…… 思い出した。 ウサギ狩りだ。少女の目は、ちょうど捕まえたときのウサギに似て、 「ちょ、ちょ、ちょっと待って誤解しないで!! そりゃいきなり魔術を使ったのは悪かったけど俺もかなり驚いてたし結局当たらなかったんだから結果オーライってことでどうだろうと思うんだけど」 少女がますます怯えの色を濃くさせる。身を守るように毛布を引き寄せ、ネロから逃げるように後ずさりする。 「いやまあその、確かに寝てるトコにいきなり光当てられてその上攻撃されたんじゃそりゃ驚くだろうけど……えっと……その、ごめん」 下手に言い訳するより素直に頭を下げてしまったほうが早い。ネロは下手に言い訳をしてからそのことに気づき、俯く程度に頭を下げた。 「……」 顔を上げる、と、多少は和らいだものの少女はまだまだ警戒心を見せている。困った。何か安心させるような手立てはないものか。 「……あ、そ、そうだ。これ見てこれ」 そう言って懐をまさぐる。取り出そうとしているのは学校の身分証明書であるペンダントだ。魔術師の象徴である六芒星を象ったシンプルなデザインだが、これを持っている=正規の魔術師であるという証明なのである。例えるなら、手帳を見せて「俺は警察官だから安心していいよ」と言うようなものだ。 ……一生懸命考えたのだから、『肩書きで安心させて油断したところを……というのは詐欺の常套手段ですよね』などと言ってはいけない。 「え〜っと……あ、あったあった。はい、これ」 服の中に入れていた手を拳状で引っ張り出し、手を広げて六芒星のペンダントを少女に見せる。 「……」 怪訝そうな顔をしていた少女だったが、幸いこれの意味することは知っていたらしい。徐々に理解の色が顔中に広がっていき、完全ではないものの警戒心はだいぶ和らいだ。 あと一押し、と妙に計算高くネロは考える。あと一押しでこの娘は落ちる――!! ……自分で考えたことに、一瞬自分でビビりながら、 「……お、俺ネロっていうんだけど……君は?」 「……レン」 ポツリというよりボソリと呟かれたその言葉を、名前だと認識するのに数秒かかった。 「あ、ああ、レンね……珍しい名前だね」 印象は悪くないが、あまり聞かない名前である。ちなみにネロは生まれて初めて聞いた。 「……ここに泊まるつもりだったの?」 「……」 コクン、と頷く。 「宿とかは?」 「……」 ふるふると首を横に振る。ダメ……ではない。おそらく部屋がなかったという意味だ。 つまりは自分と同じクチなのだろう、とネロは思った。村に着いたはいいが宿が一軒も空いておらず、仕方ないから雨風を凌げるこの時計台にやってきたのだ。 「君だけ? 他の人は?」 「……」 否定の動作。名前を言ったとき以外声を発していない。よほど無口な人間らしい。 「そう、か……」 一旦質問をやめて考える。どうやらここにはレンというらしい少女一人きりのようだ。ということは、自分が何かすべき相手はこの少女のみである。 人を脅かすだけの超弱小な魔物に人間をどうこうする力があるとも思えないが、万が一ということもある。ネロとしては、できればここにいて欲しくない。 というわけで、 「あのさ……この時計台には魔物がいて、大丈夫だとは思うけどもしもってことがあるから、できればここに泊まるのはやめて欲しいんだ」 ネロはそう告げた。 少女、レンは少し困ったような顔をして、またほんのわずかに口を開く。 「でも……行くところが……」 そうである。ここを追い出されたら宿無しの身としては少々辛いだろう。そのことはネロにもよく分かる。だから、 「大丈夫。泊まるトコはあるから」 「あー、気持ちいい……」 沈むようなベッドの感触をしばし堪能する。洗い立てのシーツが心地よい。このまま意識を委ねれば五秒以内に確実に眠れる。 町長宅である。外からの客が多い町長の家は当然客を泊める部屋もある。そのことは知っていたが図々しく「俺を泊めてくれ」とも言えず、最初は諦めて時計台に向かったのだが。 さすがの町長も、「宿がないって言うこの娘を泊めてやってくれ」と言われれば断るわけにはいかなかったようだった。当然だ。『こんな寒空にか弱い少女を一人放り出す気か。この娘が町の暴漢に襲われたらあんたどうするつもりだ責任とれんのかアァ? コラ』といった感じのことをねちねちと言われ続けたら、誰だって泊めてやろうという気になる。 そして、 レンを泊めるとなるとネロだけ泊めないというわけにもいかない。『とっとと魔物を退治しに行け』という感情たっぷりの「魔術師殿もお泊りになられますか?」という言葉に、ネロは何の躊躇もなく言い切った。 「じゃあ、お言葉に甘えて」 ヒゲ親父めいい気味だ、である。 「公衆浴場ですか」と言いたくなるような風呂に入り、「人生最後の晩餐ですか」と言いたくなるような食事を終え、「あなたと僕、人間としてどこが違うんですか」と言いたくなるような部屋に案内され、 同い年くらいのなかなか可愛らしいメイドさんが「御用があれば何なりとお申し付けください」と言って部屋を出て、しばらく。 この先二度と泊まることはないであろう部屋の中で、ネロは何をするでもなくゴロゴロしていた。 やることがない。 まさか「暇だから」という理由でメイドさんを呼ぶわけにもいかないだろう。かと言って……まあその……いわゆるヨトギのために呼ぶような身分でもない。 さっさと寝るに限る。明日は朝から出かけなくてはいけないのだ。しかも、多分楽勝だろうが一応正式な依頼なのだ。体力はあるに越したことはない。 ベッドに横になって目を閉じる。寝間着なんつー洒落た物は持ってないからシャツと色褪せた長パンツだ。部屋の中で激しく浮いているが気にしない。 三秒経った。既に意識は眠りの底へ向かっている。思考は既に停止している状態で、あとは時の流れに身を委ねるのみ…… 四秒。 明日の朝食は朝の八時からだと聞いた。学校に比べれば馬鹿みたいに遅い。今は十一時だから、一時間眠れなくて朝に身だしなみをチェックする時間を考えても七時間前後は眠れ、 「!!」 飛び起きた。慌てて部屋の時計を確認する。 ……指している時間は、やはり午後十一時。 ……単に、この部屋の時計が狂っているだけだろう。そうは思ったが、一応念のため、他の部屋も見て回ることにする。眠気は既に吹き飛んでいて、立ち上がって気合を入れて、 扉ががちゃりと開いた。向くと、さっきのメイドさんである。 彼女は顔を真っ赤にさせて、 「あ、あの……ご主人様が、夜のお相手をしてあげなさいって……」 ……なんでそういうことにばっかり気を使うんだあのヒゲめ……そう思ったが、今はそれどころではない。おろおろしているメイドさんに、 「ちょっといい?」 「は、はい?」 「この部屋の時計は合ってる?」 メイドさんはきょとんとした顔をしたが、すぐに、 「はい。時計は毎日確認していますから、狂うなんていうことはないです」 「……分かった」 それだけ言ってネロは支度にかかる。防寒用であり魔術師の基本スタイルである白いローブを羽織り、首に六芒星のペンダントをかける。万が一のときのために、一応荷物の中から『切り札』を出してポケットに入れる。 あっという間に魔術師スタイルとなったネロは、ポカンとしているメイドさんに向かって、 「町長に伝えておいて。俺が戻るまで、絶対に時計台を解放しないように。もし丸一日経っても戻らなかったら、すぐに学校の方へ連絡するようにって」 「は、はい」 わけも分からず頷くメイドさんの横を通り抜け、ネロは外へと向かう。予想が正しければ、あの時計台は想像以上に危険な状態になっている。 ……自分の考えを反芻する。時計台に入ったのが五時。その後レンを見つけて、彼女と話したのは精々三十分だ。それから外へ出て、町長の家へ来るのには十分程度しかかかっていない。夕食はどう考えても一時間以上も食べていない。風呂も同様。部屋で最初に時計を見たのは十時四十分で、次に見たのは十一時だった。 ……合計して、最大でも三時間。 魔術師は時間に関してはかなり正確である。数時間程度なら余裕で時計とタメを張れるし、「どんなことをどれくらいやったか」を後からでも数分違わない正確さで思い出すことができる。 なぜか。 理由は一つ。『こういう場合』があるからだ。 時計台も屋敷の時計も狂っていない。そして、時計台で見た時点では五時で屋敷で見た時点では十一時。そして、その間自分は三時間分しか行動していない。 では、残りの三時間はどこへ行ったと言うのか。 何度も何度も思い出すが、断言できる。三時間分もの見落としなどありえない。 つまり、 時間が狂っているのだ……おそらく、あの時計台の中が。 そうなると、もうこれは生徒の手に負える問題ではない。時間を操るなど相当高いレベルの魔物だ。教師の中でも最上級クラスの人間が動く必要がある。 自分がやることと言えば、あとは一つ。 実際に時計台の中に入って、予想の裏付けを取ることだ。 時計台の中では、おそらく三十分で三時間半の時間が流れている。 だから、千八百秒を中で数えて外が三時間半――移動の時間を考えて、二時四十分になっていれば、予想は正しかったということになる。 何もせずにひたすら千八百秒数えるというのは魔術師であっても辛い作業だが、ぐだぐだ言っている暇はない。時間を操作するというのは、地味だが最も困難とされる魔術の一つ。世界を構成する『法則』に関与するわけだから、何が起きるか分からないし何が起きても不思議ではない。 最悪の場合、世界の崩壊すら考えられる。 既に寝静まっている町長宅を出て、公園に使えそうなばかでかい庭を通って正門へ向かう。鍵がかかっているだろうが、 『トゥルーゲート』 歩みを止めないまま呪文を口にし、塀に真っ直ぐ突っ込んでいく……と、 まるで塀が幻でできているかのように、ネロの体が塀をすり抜けた。 今しがたすり抜けた塀に背を向けて、時計台の方向を確認する。観光客が賑わう時期ためか、ただの住宅地であるこの場所もまだ眠っていない。 浮かれた馬鹿が忍び込むような真似をしないことを祈りつつ、ネロは時計台に足を向け、 「ネロ」 後ろから呼び止められた。誰だろうと思う。この町で名前を名乗った相手は町長くらいだが、あのエロヒゲが自分を呼ぶときは『魔術師殿』だ。そうすると、 「……レン?」 振り向くと、そこにはやはりレンがいた。少ない荷物の中にでもあったのか、少々大きめの黒いコートを着込んでいる。いつからいたのか知らないが、青くなっている顔を見るについさっき来たばかりというわけでもなさそうだ。 ……誰にも気づかれずにどうやって外に出たのかは気になったが。そんなことは後回しだ。 『フレアボール』 手の平大の小さな火球を創り出す。主に暖房として使用するこの球を持ってレンに近づき、体の間に挟むように浮遊させる。 「……あったかい」 レンが、安堵したような息を漏らす。よほど寒かったらしい。 「寒いんだろ? 中に入ってないと」 まだ本格的な冬にはなっていないものの、夜はかなり冷え込む季節である。 「何してたんだ? こんなところで」 この寒い中、娼婦だってマッチ売りだってこんな風の吹く道に立ったりはしない。ましてや、こんな家しかない場所に来る人間など滅多にいない。 夜中に自分を見つめなおす習慣でもあるんだろうか、とネロが考えたとき、 「……待ってた」 と、レンは素晴らしく簡潔に答えた。 「待ってたって、俺を?」 「……」 コクン。 来るかどうかも分からない、と言うかかなりの確率で来ないであろう、数時間前に会っただけの他人を? 「何で俺が来るって思った?」 「……」 何も言わず、何も示さない。「ノーコメント」と言いたいらしい。 「……悪いけど、俺ちょっと急ぐから」 気にはなるが、今はそれにかまけている場合ではない。レンを家に入れるために、もう一度呪文を唱えようとして、 「……一緒に行く」 「……え?」 唐突に呟かれた言葉に振り向く。レンは、ネロを真っ直ぐに見つめて、 「……時計台。わたしも一緒に行く」 ……俺、時計台に行くなんて言ったっけか? 疑問に思うが、それは置いておいてとりあえずネロは告げた。 「ダメだよ、悪いけど。連れては行けない」 当初予定していた雑魚ならまだ「じゃあ、離れたトコで見物しててよ」という余裕もあったが、そんな余裕をかませるほど悠長な状況ではなくなった。 「……一緒に行く」 「だから、ダメ」 「……行く」 「ダメって言ったら、ダメ」 尚も食い下がるレンに辟易する。押しは弱いが粘りがあり過ぎる。精神的に未熟な自分では、なし崩し的に認めてしまう恐れがある。 それは絶対にダメだ。いけない、それだけは避けなければいけない。 ……どんな手を使ってでも。 「……一緒に行くの」 「……レン」 ごめんね、と呟いて、 『スリープダウン』 その一言で、レンは気を失った。崩れ落ちる体を支える。思ったより重いが、それでも抱き上げるのに何の苦労もしない。 『トゥルーゲート』 すり抜けの呪文を口にして、 彼女の部屋が分からなかったので自分にあてがわれた部屋にレンを寝かせ、ネロは大急ぎで外へと飛び出した。 レンは、起きても自分を追ってこないよう、例のメイドさんに言ってある。最後の手段として荒縄も用意させておいたから、まず心配はいらない。 気を引き締める。まさか、学校の課題でこんな世界レベルの問題にぶつかるとは思わなかった。 明日の朝になれば魔術師の連盟に連絡が行き、凄腕の魔術師がすぐに飛んできてくれる。自分の役目はそこで終わりだ。 ……逆に言えば、明日の朝までは自分一人で対処しなければならない。 パンッと頬を叩く。 顔を上げる。 町の明かりに照らされて、狂った『時間』がそこにある。 |
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