魔術大全
まあ、年に一度のお祭りである。川に飛び込もうが真夜中に大声で歌おうが、大抵のことは大目に見るとする。 しかし、 時計台の扉をぶち破ろうとするのは少々問題がある。年季が入りすぎて鍵がかかっていなくてもなかなか開かない鉄の扉は、鍵がかかっているのだから無論ちょっとやそっとでは開かない。だがだからと言って、鉄の棒やら何やらを使って無理やりこじ開けようとするのは如何なものか。見ると全員が二十歳かそこらだ。酒が入って浮かれ気分なのは分かるが、やってることは犯罪だし何よりそこにいられると凄まじく邪魔だ。 『スリープ・ダウン』 この一言で全員を眠らせたネロは、崩れ落ちたヤンキーどもの亡骸を越えて進む。預かりっぱなしだった合鍵で扉を開けて、ギギギギギと軋む音に顔を歪ませながら中へと入り込む。扉くらい替えろ。 入る前にローブを見下ろす。白いローブは魔術師の証ではあるが、今回は目立って邪魔なだけだ。そこで、 『カラー・ブラック』 白いローブが真っ黒になった。物の色を変える、初歩の初歩の初歩の初歩のそのまた初歩くらいに簡単な呪文。その割に便利なので、ネロはけっこう気に入っている。 ……もっとも、気に入っているのとはまた別に、この呪文には思い入れがある。この呪文は学校に入る前、今の師匠に師事する以前にある少女から教わったものだ。他のいくつかの初歩呪文と一緒に、ネロにとって特別な呪文となっている。 ふと昔を懐かしんで、慌てて気を引き締める。懐古趣味に浸っている場合ではない。 バタン、という音とともに、周囲が真っ暗闇になる。 『フォルス・ゲート』 別のバカどもが来ないために鍵をかける。実際は鍵をかけるのではなく扉を開かないようにする呪文なのだが、まあ結果としては大差ない。 さて。 明かりはつけない。下手につけたら「なんだあいつは?」と不審がられる可能性もあるからだ。扉の軋む音で既にいるのはバレているかもしれないが、それでも何の音沙汰もなければ「中を覗いてすぐ帰った」と受け取ってくれるかもしれない。 もう一度開いて閉じれば確実だろうが、こういう特殊な空間はできる限り外と繋げない方がいいのだ。今まで普通に開放していたのかと思うとゾっとする。よく何も起こらなかったものだ。 目を閉じる。 意識を集中させ、頭の中で千八百秒を数え始める。1、2、3、4…… ………………………………………………………………………………………… ピクリ、と彼は反応した。 誰かが入ってきた。そのまま中で留まっている。何をするでもなく。ただ、そこにいる。 何をしている? 外は祭りの真っ最中である。酔っ払いが中に入って、そのまま寝込んでいるのか……そう思って、すぐに否定した。ここは鍵がかかっていたはずだ。 さっきまでも一人いた。十代半ばほどの少女で、単に夜を明かすために入ってきたらしいから大目にみていたところを、同じくらいの少年がどこかへ連れて行った。 どちらかがまた戻ってきたのだろうか。そう思い、舌打ちする。 少女の方であればいい。彼女は単なる宿代わりにここを使っていただけだ。朝にそれとなく起こしてやれば、何の疑いも持たず出て行くだろう。 だが。 少年の方はまずい。光球に炎の羽……間違いなく魔術師だ。時間に関しては時計並の正確さを誇る魔術師がここの秘密に気づかないわけがない。いや、ひょっとするともう気づいていて、今いるのも確認するために戻って来た少年かもしれない。 それはまずい。まだ秘密を知られるわけにはいかない。 「……」 彼は静かに決心し、バッグの中から半透明の卵を取り出した。 微妙な変化。 三百十二秒まで数えたところで、ネロは閉じていた目を開けた。時計台内部の空気が微妙に変化している。具体的にどこかが変わったわけではないが、異質なものが混じり始めた。 「……」 組んでいた腕を解き、それとなく周囲に気を配る。唱えるべき呪文を連想。『ウイング・フレア』はまずい。威力はあるが、派手だから隠れて使うのには向いていない。 と言うより、呪文を使うこと自体気が進まない。『魔術師一人で一個大隊相手に出来る』と言われるほど魔術は強力だ。ネロだって、大隊は無理でも中隊くらいならなんとかする自信がある。小隊であれば余裕だ。 が、その強力さ故に魔術は隠れて戦うのには向いていないのだ。隠密行動で魔術師が使う呪文など、『トゥルー・ゲート』やその他くらいのものである。 では、どうするのか。 まあ、簡単な発想ではある。使えないなら使わなければいいだけの話だ。 ……ミもフタもない言い方であるが、実際そうなのだから仕方がない。 その代わり…… ネロは懐に手を伸ばし、おもむろに剣の『柄』を取り出した。魔力を込める、と、 音もなく、真っ黒な刀身がそこから伸びた。魔力で作り出した特製の剣である。柄も黒くて刀身も黒い。闇の中で隠れて行動するにはうってつけの武器である。 ただし。 いくら剣の形をしていようとそれは魔力の塊であり、そこに『物質』として存在しているわけではないから物を斬ることは不可能である。だから、相手の剣を受け止めるということだってもちろん出来ない。 この剣の効果は、物理面ではなく精神面にある。この剣で相手を斬った場合、刀身の形をした魔力は相手の精神に影響してその構造を破壊する。破壊された構造は自然には絶対に修復しないから、本人が魔術師や僧侶、巫女などである、もしくはそういう味方が近くにいない限りは、斬られた相手は精神的に死ぬことになる――まあ、要するに魂を斬って廃人にさせる剣なのだ。人間だけでなく魔物などにも有効である。 血も流さないし外傷もない。仕損じても痛みで悲鳴を上げられることもない。この剣は、まだ魔術師が暗殺などの裏家業を主としていた頃に開発されたというのが通説であるが、案外その通りである可能性が高い。 自分の足くらいの長さの剣を軽く構え、ネロは周囲を警戒する。気配を探るなどという芸当は出来っこないので、 『アラウンド・ウェブ』 魔術で『網』を広げる。この網の範囲内であれば、『どこ』に『何が』あるのかが一発で、 ――真上。 「!?」 着地の体勢とかそういうものを考える暇もなく、ネロはただ避けるために前方に跳んだ。勢いのまま体を起こし、階段を駆け上がる。 危なかった。あと数秒遅れていたら、やられていた。 背後から追って来る気配はない。『網』に気づいたのだろうか。何にしても『網』にかからないということは近くにはいないということなので、ネロは一旦立ち止まる。 まさかいきなり襲ってくるとは思わなかったが、これで確証は取れた。単に人を脅かすだけであれば自分を襲うはずがない。この時計台は何かある。おそらくは、予想通りのものが。 ゴクリ、と唾を飲み込む。 緊張するな、というのは無理な話だった。ともすれば震え出しそうな体を、鋼の意志で制御する。 全く、何だってこんなことをしなくてはいけないのか。自分が任されたのは人を脅かす魔物の退治であって、時間の操作などという大事件ではないはずだ。そんなものを一介の学生が手掛けていいはずがない。たまたま他の魔術師がいなかっただけで、本来なら自分の出番はないはずなのだ。 通りすがりの凄腕魔術師でも来てくれないだろうか。そうすれば自分の役目はそこで終わりだ。後はその彼に任せて、自分はとっとと学校に戻ってのんびりと、 ……首を振る。ありえない可能性を考えても仕方ない。 ここに自分しかいない以上、自分がやるしかないのだ。実戦は何も今回が初めてではない。今までこなしてきた課題の中に、襲い掛かってくる魔物や犯罪者はそれなりにいた。 その彼らを倒した末に、今の自分がいるのだ。恐れることはない。今相手をしている魔物が特別強いわけではない。完全な不意打ちだった最初の一撃で自分を仕留められなかったのだ。はっきりいって弱い。それこそ、当初の予定だった雑魚ほどに。 真っ向からぶつかれば、勝つのは絶対に自分だ。 ――『網』に、飛行する何かがかかった。自分を翻弄するように周囲を飛び回っている。 恐怖心がないと言えば嘘になるが、それがかえって程よい緊張感になっている。 ふと思い出して、ポケットに手を入れる。出掛けに突っ込んでおいた『切り札』 幾度もネロを救った、最強の『お守り』にして『武器』 これがある限り、自分の負けはない。ネロはそう確信する。それだけの理由がある。 ――来た。背後からだ。 ポケットから手を出して相手を確認。こっちの体めがけて突っ込んで来る。突進するのが武器の魔物のようだが、単純な攻撃だけに威力は高い。 が、所詮それはただの体当たりだ。たとえ学生でも、戦闘訓練を受けた魔術師の敵ではない。 相手が迫ってくる。なかなか速いが反応できないほどではない。ぎりぎりまで引きつけないとこちらの剣も届かない。待つ。ひたすら待つ。あと少し、もう少し、あとちょっと―― (……今!!) いきなり体を横に倒し、振り向き様に剣を振るう。闇の中、相手の姿は確認できない。刀身が刀身だから手ごたえなんてものもない。ただ『網』の感覚を頼りに、ここだと思う一点にタイミングを合わせて―― 時間を少しだけ戻し、ネロが時計台に向かった少し後。 時計をぼんやりと見ながら、ネロの世話を任されたメイドさん――ハカリはそっとため息をついた。 安堵のため息である。 主人である町長から夜の相手を命じられたときは、正直この世の終わりかと思った。反論しようにも、主人の命令は絶対である。辞めるのには最低二週間かかる。泣きそうになったが、「脂ぎった中年親父でないだけマシだ」と自分に言い聞かせた。それにひょっとしたら少年の方から断ってくれるかもしれない。微かな希望を抱いて、彼の部屋に訪れて…… まあ、結果的には望みどおりになったわけだ。自分の純潔は守られたし町長の方も「向こうから断ったのでは……」と納得した。明確に「お断りします」と言われたわけではないが、同じようなものだろう。 ただ、と思う。 あの時の、少年の表情。部屋に案内する際に見せていた気だるげな様子が欠片もなくなった凛々しい横顔。 鬼気迫るものすら感じられて少し怖かったが、感想を一言で言うならこれに尽きる。 『格好良かった』 惚れたかもしれない。 時計がどうたらと言ってすぐに出かけてしまったが、あの顔は忘れられない。仕えている主人とは比べようもないあの精悍な表情。もう一度会いたい……いや、多分会えるだろうけど。そのとき、自分は彼の顔を正視できるだろうか。彼が「お世話になりました」なんて言ったら、自分はまともな返事が返せるだろうか。 「……はー」 至福の表情でハカリはため息をつき、ふとベッドの上の人物に目をやる。 目下、唯一にして最強のライバルである(かもしれない)この、レンという少女。よく眠っている。 二十分前に、出かけたはずの少年がこの娘を連れて戻ってきた。少年と一緒に来たのは覚えていたから特に抵抗はなかったが、部屋が分からないからここで寝かせておいてくれと言われたときには驚いた。何があったのだろう。 自分を追おうとしたらこれを使ってでも止めてくれ……そう言われて渡された荒縄を握り締め、ハカリは思う。 この娘は一体、あの少年の何なのだろう。 恋人だろうか。 まさか、許婚とか。既に一線を越えてしまっている関係という可能性も、全くないわけではない。 もしそうだとしたら……自分が入り込む余地は、どこにもない。 絶望的な想像の中、ハカリは慌てて思い直す。いやいや待て待て。この少女を連れてきたとき彼はこう言ったではないか。「宿がないっていうこの娘を泊めてやってくれ」と。知り合いを泊めてくれるよう頼むのであれば、普通は「宿がないっていうこの娘」なんていう言い方はしないのではないか。知り合いなら「宿がないからこの娘を泊めてくれ」であろう。「っていう」では、まるで「よくは知らないけどそう聞いた」と言っているかのよう。 そうだそうだ。彼は、この町のどこかで野宿でも何でもしようとしていた少女を拾ったのだ。それで不憫に思い、自分の立場と相手の弱みを利用して町長に少女の宿を提供させたのだ。 あまり誉められたやり方ではないが、まあ彼のやることだし……じゃなくて、こんな自分と同じくらいの少女を寒空の中放り出すわけにもいかないだろう。可愛いから、危ないお兄さん達にも目をつけられるかもしれないし…… 「……可愛い、よね。やっぱり」 自分の容姿にはそこそこ自信があるが、この少女も十分可愛らしいと思う。見るからにおとなしそうな感じだから、殿方にはツボなのではないだろうか。 ……まあ、単に暗いだけ、という見方もできないわけではないのだが。それでも、「口数の少ない可愛い女の子」ならそれは普通「おとなしい」もしくは「儚い」と映るのではないか。現に町長も、「この娘は、夜の相手が嫌でも断れないのではないか」と危惧して、この少女の元には誰も寄越さなかった。 「どんな娘だろうが、そんなことしたらセクハラだろうが」というツッコミは入れないでおこう。そういう気の使い方をする奴なのだ。少女を、レンを気遣っただけでも誉めてやらなくてはならない。 とにかく。 この少女は強力なライバルだ。困っているところに手を差し伸べられて……なかなか雰囲気のいいシチュエーションだ。お互いの印象に残りやすいし。それに対して自分はどうだ。ただのメイド。しかも、彼の様子ではまだ自分は顔すら覚えられていない。名前だってどうだか……スタートからもう出遅れだ。こんなことではこの少女には勝てな、 目が合った。 本気でビビった。 「あわわわわわわ!! え、えっとあのえっと、だ、大丈夫ですか!?」 「……何が?」 言われて自分でも「何がだろう?」と思う。単に寝ていただけではないか。 羞恥に顔を赤らめるハカリにレンは首を傾げていたが、ふと周囲に目をやり、目的の物がなかったらしく、こう言った。 「……ネロは?」 一瞬何のことか分からず、すぐに少年の名前であることを思い出して、 「と、時計台に行っています。時間がどうのこうの言って……あ、あの、ちょっと!?」 さっさとベッドを降りて扉に向かうレンに、慌てて追いすがる。 「ど、どこに行くんですか?」 「時計台」 珍しく即答し、感情がほとんどない冷めた目でハカリを見る。別にハカリが気に入らないとかそういうわけでは全然なく、この少女の性格からして誰にだってそういう目を向けるのであろうが、現在の状況ではその目は「何か文句あるの?」と言っているようにも見えるわけで、 「あ、あの……その……」 と、無意味に怯えたハカリを見て、レンがまた首を傾げる。瞳から発せられる本当に微かな感情からレンが自分を心配しているのだと分かり、そのことに勇気付けられてハカリはなんとか口を開く。 「ね、ネロさんが、絶対に自分の後を追ってこないようにって……」 この言い方じゃまるで後追い自殺だと思ったが、幸いレンはちゃんと意味を理解したらしい。レンは一つ頷き、言った。 「構わないで行っちゃえば、へいき」 いやまあ、そりゃそうなんだけど。ネロ自身が監視しているわけでもないし、そんな言いつけ無視してしまえば、野となれ山となれでウヤムヤにすることも出来るだろうけど。 「……すみませんが」 それを認めてしまったら、自分の立場がない。 「行かせるわけにはいきません。ネロさんは時計台の問題を解決しに来た魔術師さんですので」 その魔術師が時計台に向かっていて、自分以外は誰も来させないように、と言っているのだ。彼よりも地位が上である魔術師ならば話は別だが、そうでなければ何よりも優先される言葉である。 「もしもの場合は、あなたを拘束してでも止めろ、と言われています」 そう言って、荒縄を掲げる。 それを聞いてレンは一瞬悲しげな顔をし、ゆっくりと目を閉じた。 観念したのだろうか。 諦めとも取れるその様子はどこか悲しげであり、「何でそんなこと言うの?」とか「そんな悪者みたいに言わなくても……」とか、そう言外に言っているように見えないこともない。 だから、ハカリは少し気の毒になって言った。 「あの、ネロさんはあなたの身を心配してこんなことを心配したんです。あなたに絶対に危険が及ばないようにという配慮から、拘束してでも、なんて言ったんですよ」 その言葉が効いたのか、レンが目を開いた。双眸が潤んでいるが、悲しみはもう感じられな―― あれ? ハカリはふと疑問に思う。体が妙に重い。なんだろう。日頃の疲れだろうか。でもまだ仕事中なのだ。とりあえずこの少女を休ませなくては、とレンの瞳に目を向け、 「……?」 その瞳が、潤んでいるのではなく輝いていることに気づき、 「あ――」 ハカリの意識は、そこで途絶えた。 気を失う一瞬前、「……ごめんなさい」という呟きを聞いた気がした。 倒してみれば何のことはない、予想通りの雑魚だった。どのくらい雑魚かと言うと、学校で、一番最初の模擬演習での相手くらいの雑魚だった。 だが、しかし。 雑魚と言えるのはあくまでも、十匹くらいまでが限度であって、 「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」 総勢五十匹はいると思われる雑魚の大群に、ネロは追い掛け回されていた。 最初の一匹を倒した直後、こんな大群が上から押し寄せて来たのである。慌てて一旦外に出ようとしたが、まるでそれを見越していたかのように、大群はまず扉を封じてしまった。どうやらこいつらを操っている奴は、連絡をさせないためにもここで自分を消してしまうつもりらしい。 まあ、朝になれば自動的に連盟へ連絡が行くのだが。だから別に、自分がどうなろうが実は大した問題ではないのだが。 ネロ自身にとってはこの上なく大した問題である。殉職の際に贈られる栄誉に興味などない。あるはずがない。 変な言葉だが、死んでも生きて帰らねば。 とりあえず自分が魔術師だということはとっくにバレているので(そうでなければこんな大群など使うまい)ネロは何の躊躇もなく『ラージ・ライト』を唱えた。するとまあ、いるわいるわ。でっかいトンボみたいな魔物の群れ。どのくらいでかいかと言うとネロの身長に少し足りないくらいにでかい。ちなみにネロの身長は、168センチである。 更に言うなら、距離を確認するために振り返る度、そいつらの中の一匹と目が合っちゃったりなんかして…… おぞましいことこの上ない。生理的嫌悪を覚え、ネロは階段を駆け上がる速度を上げる。 ここまでの大群となると、あの『精神崩壊の剣』など焼け石に水である。『ラージ・ライト』を使ったのだ。他の魔術を使っていけないはずなどない。ネロは走りざまに振り返り、トンボもどきと目が合って全身にトリハダをたてながら、 『ウイング・フレア!!』 レンに放ったときよりも数倍の大きさと数の炎が、一斉に魔物へと放たれる。相手は突進しか知らないから、炎の羽は何の苦もなく直撃する。 『フルォォォォォォォォォォ!!』 という、よくわからない悲鳴を上げながらトンボもどきが落下する。羽一つで二、三匹倒せたが、まだ半分くらい残っている。 ……魔術一つで半分倒せるなら、もう一回使えば全滅させられる。ネロはそう思い、新たな呪文を口にする。 『フリーズ・ブレス!!』 言葉と同時に、強烈な寒波がネロから放たれる。それを浴びた前の方の魔物は一斉に凍りつき、後ろの方の魔物はその凍りついたやつにぶつかって自滅し、 それでもくぐり抜けて来た数匹を、再発動させた『精神崩壊の剣』で斬り落とし、 あたりを見回して、全て片付けたことを確認した。安堵の息を漏らす。さすがにしんどかった。 刀身を消し、剣を見る。長いこと使ってきたからさすがに寿命かもしれない。帰ったら交換してもらおう……そう思いながら階段を降りる。 もう一度襲われれば、さすがに危ない。いくら雑魚とは言え魔物である。一匹一匹が人間の兵士何人分何十人分もの力を持っている。 一匹二匹ならまだ相手にできるが、また五十匹なんて大群に襲われた日には、命すら危なくなってくる。 もう自分がここにいる必要はない。あんな大群が潜んでいたというだけで十分異常事態である。そのことと一緒に「ひょっとしたら時間が狂っているかも」と言えば、凄腕さん達がすっ飛んできてくれるだろう。千八百秒数えるのは、そんな余裕がなかったので途中で断念したが、そんなことはもう関係ない。どうせ既に三十分は経過している。ずっと前に。 扉が見えてきた。ずいぶん上まで登っていたことに今更ながら気づく。やれやれこれで一安心、という思いとともに階段を降りていき、そのときノブが動くのが目に入った。 「!?」 目を疑った。自分は確かに鍵をかけたはずである。それも、ちょっとやそっとでは開きようのない魔術の鍵を。 それを開けるというのは、自分より力を持った魔術師であるということに他ならない。今更になって通りすがりの凄腕さんが現れたのだろうか。それとも…… ……この時計台に関しての、黒幕か。 降りるのをやめ、魔力を集中させて扉が開くのを待つ。 ギギギギギ、という音とともに、ゆっくりと扉が開いていき、 「……レン!?」 軋む扉を重そうに開く少女を見て、ネロは声を上げた。なぜここにレンがいる? あのメイドさんに止めてくれるよう頼んでおいたのに。 と、レンが顔を上げた。ネロの顔を見て、わずかに嬉しそうな表情を見せる。普段のネロであれば可愛らしいと思うところだが、 「何やってんだこんなトコで!!」 そう言って駆け寄ろうとする。メイドさんは何をやっていたのだ。そう憤慨しながら早足に階段を降り、 「あ……!!」 というレンの小さな叫び声を聞く。彼女は自分ではなく自分の後ろを見ている。何かあるのか、と思って振り向き、 真っ白な閃光を目にした。 やった、と思った。 完全な不意打ちである。まず生きてはいまい。自らの放った魔術に魔術師の少年が飲み込まれるのを見て、彼、フィクスは歓喜に震えた。 魔物の大群を退けられたときはどうしようかと思ったが、どうやら少年もそれが限界だったようだ。明らかに消耗していた少年を見て、これはいけると踏んで攻撃した……結果はこの通りだ。 「さて」 首を巡らす。こうなってしまっては、少女の方も生かしておくわけにはいかない。自分にロリコンの毛はないし、悪いが即刻死んでもらおう。そう思って扉の方へと目をやり、 「……?」 少女の姿が、消えていることに気づいた。 閃光が見えたとき、ああ、死んだ、と思った。咄嗟に何ができたわけでもなく、ただあの人を殺すには十分な威力だと思われる魔術を食らうだけ。死なない方がおかしい。 だが。 自分は生きていた。何でだろう、とネロは視線を泳がし、螺旋階段の斜め上にいる男を見つける。おそらく自分に魔術を放った張本人だろうが……気が変わったのだろうか。 と、向こうもこちらに気づいた。あまり良くない顔色の顔面一杯に浮かんだ、驚愕の表情がありありとうかがえる。 彼の視線が微妙に自分から逸れていることに気づいて、ネロは視線を巡らして、 「……レン?」 しりもちをついた自分の隣に佇むレンを見つけた。彼女は首だけをネロに向け、淡々とした声で、 「……大丈夫?」 「あ、うん……いや、それより」 君が、守ってくれたのか? あの一瞬でここまで来て? そういうネロの問いに、レンはあっさりと頷いた。 ちょっと待て、と思う。そんな芸当が普通の人間にできるものなのか? 一瞬でここまで来るのは……まあ、極限の更に極限まで体を鍛えればなんとかならないこともないかもしれないが、 魔術を防ぐのは、魔術師にしかできないはずだ。 「レン……」 君はひょっとして、 魔術師なのか? とネロが聞く前に、レンが動いていた。一歩前へ出て、早口にボソリと呟く。 『……エア・シールド』 周囲の空気が集まって、男がまた放ったらしい炎をいとも簡単に受け止める。数秒と経たないうちに、炎は消え去った。 ネロは我が目を疑う。 ……『エア・シールド』は、砂ぼこり避けが精々の超弱小呪文であるはずなのに。 断じて、今のような完全な攻撃魔法を防げる呪文ではないはずなのに。 一体、この少女は何者だ? 一体、あの少女は何者だ? 自分の放った炎が簡単に防がれるのを、フィクスは信じられない思いで見ていた。あれは、自分が仕える中でも最大級の呪文のはずなのだ。自慢ではないが魔術師としての力は少年より数段上だ。それを、それを、 たかが『エア・シールド』ごときに防がれるとは、絶対に信じられない。紙の盾で大砲の弾を防ごうとするようなものなのだ、本来ならば。 「……ちぃっ」 舌打ちをして、作戦を切り替える。 それならば…… 男が、今度は強力な攻撃呪文を連発してきた。 三発、四発、五発……限界知らずの攻撃に、さすがのレンも苦しそうな表情をしている。 ネロはそれを不思議な思いで眺めていた。なぜ『エア・シールド』しか使わないのか。他のもっと強力な防御呪文を使えば、レンのバケモノじみた強さだ、あんな攻撃など物の数ではない、そんな盾が出来るはずなのに。 あまりに不思議で、一瞬手助けするのを忘れていたくらいだ。 「……」 レンの何かを求めている表情にようやく我に返り、ネロは慌てて呪文を唱える。手に例の増幅装置、『精神崩壊の剣』の柄を持ち、時計台内に高らかに呪文を響かせた。 『ウイング・フレア!!』 はっきり言って、男の攻撃相手に自分の拙い防御呪文が役に立つとは思えない。それほど男の攻撃は凄まじい。それならば、得意分野である攻撃呪文で男を倒してしまった方が早い。増幅装置が壊れる感触。同時に、今までにないほどの強力な魔術が自分の手から放たれる。この時計台くらいなら跡形もなく吹き飛ばせるだろう。これだけの威力なら、攻撃しながら防ぐことなど出来はしな、 「嘘っ!?」 ネロの放った『ウイング・フレア』は、男の攻撃呪文の余波にあっさり弾かれてしまった。改めて男の攻撃の凄まじさを思い知り、それに耐えているレンに尊敬に近い感情を覚える。 が、さすがにそろそろ限界なようだった。レンの苦悶の表情を見、手の中の増幅装置が完全にイってしまったことも確認する。 「……くっそ」 出来ればあまり使いたくないのだが、そうも言っていられない。ネロはポケットに手を突っ込み、切り札を握り締め防御呪文を唱えようと口を開き、 レンの『エア・シールド』が、突破されたのを見た。 「……よし、やった!!」 ぜぇはぁと息を吐きながら、フィクスは攻撃の手を休めた。少女の『エア・シールド』は突破した。あんな弱小魔術でよく耐えたものだが、所詮は限界があったのだ。 これで邪魔者はいなくなった。内部がぐちゃぐちゃになっているが、それは時間を遅らせてその間に片付ければいい。 しかし、と思う。あの少女は何者だったのか。防御系最弱の『エア・シールド』で、上級攻撃魔術の連撃を防ぐほどの力。 惜しいことをしたかもしれない。あんな神がかりめいた才能を持っているのだ。成長すれば間違いなく世界最強の魔術師になる。いや、知識をちょっと増やすだけでいい。それだけで、現存する全ての魔術師を軽く凌駕するだろう。 ……まあもっとも、それは自分にとって、最大の脅威に他ならないのだが。 そう。自分のような、魔術師の法に真っ向から逆らっているような人間にとって。 むしろ倒して良かったのだ。そう思い、残っているはずのない少女の遺骸を見ようと目を向け、 生きている彼女を見た。銀色のシールドに守られ、こちらを見ている。 ――少年が創りだした、盾に守られて。 間一髪だった。もう少し遅れていたら、死んでいた。 盾を消し、ネロは安堵のため息を吐き出す。後ろを見てみると、レンも無事なようだった。 ――そう。ネロには『これ』があるのだ。 十年前ウリエルという天使から渡された、天使の羽。 それは魔術師にとって、世界最強のお守りであり武器なのだ。それ自体に強力な魔力が付与されている羽は、ある程度の攻撃なら自動的に防いでくれる。ある程度と言うが、それは家一軒吹き飛ばすほどの『ある程度』である。 魔術師が魔術を使う際に用いれば、それはあの『柄』を含む増幅装置など比べ物にならない効果を発揮する。あらゆる意味で、魔術師にとっての理想アイテムなのである。 ではなぜ最初から使わなかったのかと言うと、ネロにとってこの羽は、目下唯一のウリエルとの繋がりなのだ。下手に乱用して壊れたりしたら、それこそ一大事である。『柄』はいくらでも代わりがきくが、この羽は一つしかない。 まあ、後はこの羽を使うまでもない。勝利を確信できるほどの攻撃を二度も防がれ、男は半ば放心状態になっている。ネロは階段を上がっていき、ぼんやりとこちらを見上げる男に、 『スリープ・ダウン』 男の体が崩れ落ちた。それを見届けてネロは自分も座り込む。ふと、下のほうにいるレンと目が合いため息をついた。ついてくるなと言った相手に助けられては……これではあまり強く叱れないではないか。 まあ、とにかく。 終わった、と思った。 フィクスというらしい男を護送する馬車を見送って、ネロは大きな欠伸をかました。 結局、時計台を出たのは夜が明ける寸前だったのだ。町長宅へ帰る頃には凄腕さん達が既に到着していて、犯人らしい人物を連れたネロはその凄腕さん達から、昼の今まで尋問まがいの事情聴取をされた。 事態が事態だからピリピリするのは分かるが、そんな「お前が犯人だ」とでも言うような目で睨まなくてもいいじゃないか。尋問……もとい事情聴取の間、ネロはずっとそう思っていた。 つまるところ何が言いたいのかというと……まあ話の流れからなんとなく予想はついているだろうが……ネロは寝ていないのである。アクションばりばりの戦闘を演じて、その上事情聴取まで受けて、ネロの精神は既に限界が近い。 まあ犯人は捕まったわけだし、時計台の中は専門家が隅々まで調査しているし、ネロのやることはもう何もない。町長にはもう一泊頼んでおいた。凄腕さん達のヘッドである人物にも口添えしてもらったおかげか、町長は仕方ない、といった様子で承諾した。凄腕さん達のヘッドがたまたま『魔術基礎理論』担当の教師で本当に良かった。いつもは遅れに遅れまくっているレポート、今度は早めに出してあげようと思う。 町長宅に入る。もう寝る。誰に何と言われようと寝る。誰も自分を止められない。ふらつく足取りで階段を上がり、二階のあてがわれた部屋の扉に手をかけ、 「……ネロ」 誰に何と言われようと…… そんなこと、出来るわけもないのだった。ネロは眠気で半眼になった顔をレンに向ける。 「なに?」 「……わたし……どうなるの?」 一瞬何を言っているのか理解できなかった。が、直後に、事情聴取の合間に『魔術基礎理論』担当教師と、レンについて話したことを思い出す。どうやら、どこからかそれを聞きとめたようだ。 ネロは軽い――体力消耗のため、かなり憔悴している笑みを浮かべ、言った。 「別にどうもなりはしないよ。ただ、レンの魔術ってほとんど我流だろ?」 コクン、と頷く。そうだと思った。おそらく、小さい頃に近所のまじない師か誰かから簡単な魔術を教わり、それを我流で発展させたのだろう。強さの割に弱い魔術しか使えなかった理由も、おそらくそこにある。 「だからさ、学校へ来てちゃんとした魔術を勉強しない? 魔力が暴走する危険も減るし、今までよりずっと多くの魔術を使えるようになる」 「……べんきょう?」 例えば? と瞳で問われ、ネロは人差し指を立てる。それを壁に持っていき、 「こういうの」 空中を人差し指でなぞっていく。と、銀色の文字がそこに出現した。今ネロが書いた通り、『レン』と書かれている。 驚いた表情のレンに笑いかけ、 「どこにでも書ける神聖文字は、見た目の地味さの割に案外レベルが高い魔術だからね。レンに魔術を教えた人も、これは教えてくれなかったんじゃない?」 正確には教えられなかった、が正しいのだが。レンが頷く。そして、言った。 「……書けるようになる?」 「もちろん」 どうやら興味が湧いたらしい。心の中でほくそ笑みながら、聞いた。 「どうする?」 答えは既に出ている。 「……行く」 レンと別れて部屋の中に入る。と、お世話をしてくれているメイドさんが掃除をしていた。 「や、どうも」 「あ、あああああの……ご、ごめんなさいあの、言いつけも満足に守れなくて」 「いやまあだから、仕方ないよ」 レンの魔術で眠らされていた彼女を発見したのは、帰ってきた後のこと。目覚めた後ひたすら恐縮した彼女は、ネロに何度も「魔術師が相手では仕方ない」と言われたのだが……まだ引きずっているようだ。 おろおろしている彼女……確かハカリという名前だったか……に苦笑して、ネロは告げた。 「俺、しばらく寝たいんだけど……」 「あ、ははははい分かりました……そ、それじゃあ」 と、不必要に慌てて部屋を出て行く。顔が妙に赤い。熱でもあるのだろうか。 「……まあ、いいか」 呟いて横になる。目を閉じ、意識が泥沼のごとき睡魔に侵食される感触を楽しむ。 レンは、学校に行きたいと言った。 良かったと思う。なぜなら、彼女が断った場合『無理にでも教育を受けさせる』……早い話、監禁して洗脳やら何やらをしなければならなかったのだ。ほんのたまにだが行われている、魔術師の裏の話である。 確かに誉められたやり方ではないが、魔術師とはそうしなければいけないだけの危険性を秘めている。一個人が軍の大隊やら中隊やらと渡り合えるなどということは、本来あってはならないのだ。 だからこそ、魔術師の連盟は素養のある子供の捜索にかなり力を入れている。素質がある子供は十歳かそこらで才能を現し始めるから、そのときにはもう連盟が存在を察知して、学校へ連れてくるのだ。ネロの場合も、師匠に連れられて十歳のとき学校に入学した。 そうなのである。普通は、十歳かそこらには発見されているはずなのだ。 それなのにレンは、今に至るまでまるで存在を感知されていなかった。このことは連盟の間でも必ず問題になるだろう。 まあ、監禁して実験台にするなどという真似はしないだろうが。それでもそれとなく試験は受けさせられるだろう。性格検査とか何とか言って。 しかし、と思う。 どうしてレンに魔術を教えた人物は、レンを魔術師の学校に入れようと思わなかったんだろう。 ちゃんとした知識を得られるし、社会的な立場もあるし、モグリの魔術師など国際手配されて重い刑が待っているだけだと言うのに。 どうして…… ……寝た。 判決は間違いなく死刑だろう。時間を操作するというのは、それだけの重罪なのだ。 が、同情する気にはなれない。それだけのことをした人間なのだ。そんなことを思いながら御者台を降り、扉の鍵を開ける。中には屈強な見張りが二人いて、その二人の間に挟まれるように、フィクスがいるはずだった。 扉を開き―― 見張りの片方が、いや、片方だったものが、転がり出てきた。 絶句した。 その見張りも、フィクスも、向こうに座っているもう一人の見張りも、三人とも全身を切り刻まれて殺されていた。 唖然としてその光景を見守る彼の元に、他の魔術師達が集まってくる。 ――フィクスの胸に刻まれた『愚か者には罰を』という文字には、まだ誰も気づかない。 |
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