魔術大全
| グツグツグツグツグツグツグツグツグツグツグツグツグツグツグツグツグツグツグツグツグツグツグツグツ…………………… 描写するのを躊躇うほどの異様なモノをぶちこんで火にかけること三十分。青紫色のドロドロした液体が煮立っている大釜は既に近寄るだけで汗をかくほどの熱量を発していて、まともに嗅いだらこの先一週間くらいは吐き気が持続しそうな異臭の前に、さすがのレンも戸惑いやら不安やらを隠せずにいる。 「飲まなければ人体に影響はないよ。臭いもそのうち慣れる。さ、やってみなさい」 後ずさりそうなレンの背後に立ち、彼女の逃亡をさりげなく防ぐ人影。ネロではない。彼は彼で、琥珀色のキラキラした液体を別の大釜でかき混ぜていた。レンと違ってこちらはドロドロしていない……が、同じくレンと違い、この液体は触れるだけで凄まじく有害である。 部屋の中は暗い。なぜ暗いのかと言えばそれは地下室だからであり、なぜ地下室なのかと言えば魔法薬の調合には地下室が合っているからだ。常温よりも低くする必要があるのと、雰囲気の問題から。 この、ともすれば地下牢に見えてしまうような部屋には、今のところ三人しかいない。 うち二人はネロとレンである。既にお分かりの通り、二人は今魔法薬を調合している最中だった。 そして、もう一人。 ネロの直接の師匠であり、レンの入学を許可し同時に彼女の師匠にもなった、若手魔術師の筆頭格。 『眠れるドラゴン』の異名を持つ天才魔術師、ハドリックである。その名が示す通り専門は攻撃魔術。今ネロとレンがやっているのは授業ではなく、遅れて入学したレンのための補習である。ネロはただの付き添いだったのだが、せっかくいるのだからと足りない魔法薬の調合を命じられたのだった。 ここで一つ断りを入れておく。 魔術師というのは、「魔術を使ってワハハハハ」だけやってる連中ではないのである。その多くは自分達のためだが、色々研究をして新薬の調合や、魔力の付与された武器の製造もしくはグレードアップなどをやっている。精神崩壊の剣などはその代表で、数ヶ月に一度は新型が出ていたりする。 今レンが作っているのは、胃もたれやむかつきを治す胃薬。普通の胃薬よりちょっと高いが効果はてきめんである。 材料がいくらアレでも実態は胃薬なのだ。飲んだって実は大したことはないのだが……まあ、薬はできる限り摂取を避けた方が良い、ということだ。 対するネロが作っているのは、呪いをかけたり逆に呪いを封じたり、といった、本格的な魔術儀式に用いられる薬品である。マンドラゴラだの何だのといった危険極まりない材料がふんだんに使われている。ちょっとでも触れようものなら、材料に含まれていた毒素が体中に行き渡り、感染した部分は一生使い物にならなくなる。最悪の場合脳死も考えられる。 そんな薬品を生徒に作らせるのか? という疑問の声が上がりそうだが、実はこの薬品、危険度はCレベル。「要注意」でしかなく、ちゃんとした勉強をしていれば見習いにも精製可能なものだった。 主な理由は、死ぬだけで済むから。不注意でも、本人が死ぬだけだから。バーサークしたりゾンビ化したりする薬品は、危険度がもっと高い。そういうものはプロでなければ精製不可となっている。メチャクチャながらも一応安全性を検討されてはいるのだ。 ……とは言え、 今扱っている薬品が自分の命を左右するものであることに変わりはない危険度C、「死ぬだけで済む」薬品とか言われているが、それは別の言い方をすれば「死んでしまう薬品」ということだ。検討された安全性というのは「薬品の周囲の」安全であり、「薬品を扱う本人の」安全ではない。 冗談ではない。 せっかく時計台から生きて帰ったというのに、こんなところで死んでたまるものか。ネロは悲壮な表情でそう思い、慎重に慎重を重ねて薬品を調合していく。確か、次に入れるのはヘビの抜け殻…… 「ネロ。その次に入れるのはイモリの心臓だ。ヘビの抜け殻なんか入れたら爆発するよ」 レンを見ているようでさりげなくこちらをチェックしていたらしいハドリックが、かけたメガネをキラリと光らせながら言ってきた。薬品の具合で次に入れる材料を把握したらしいが…… ローブも何も着ていない、傍から見れば完全に町のニイチャンでしかないハドリックだが、こういうところはさすがと言わざるをえない。 「ああ違う違う。それはクチナシじゃなくてマンメの葉だよ。似てるから間違えやすいけど、それ一つ間違えるだけで胃薬が爆薬になってしまうからね。気をつけて」 ハドリックは、レンが危うく間違えそうになったマンメの葉を取り上げ、棚に戻す。葉っぱ一つで胃薬が爆薬に……魔法薬は奥が深い。 (材料は、あらかじめ出しておくべきなんだよなぁ……) 材料を取りに棚と釜の間を行ったり来たりしているレンを見ながら、ネロはひっそりと思う。新入生は、大抵この往復に気を取られ、材料を入れ間違えたりタイミングが遅れたりするのだ。ネロもそうだった。 基本はあくまで無表情だが、それでも焦りや混乱といった感情を隠せてはいない。あたふたしながら慌てているレンは、珍しさも手伝って見ていてなかなか楽しいものがある。ネロの方は既に最終段階。あとは、十分煮だった液体の中に、生きた虫……まあ、クモとかムカデとか、そういう類の……を数匹ぶち込めば完成である。魔法薬は、奥が深いと同時に残虐でもあるのだ。 持っている教科書の胃薬のページを見ながら、レンは必要な材料を必死で探している。一つ、二つ、三つ……時間の方が気になったのか、五つばかり掴んで急いで釜に戻った。脇のテーブルの上に材料を置き、マンメの葉を釜に入れる。 (材料を持ってきたのはいいけど、どれがどれ、って区別してないと迷うんだよね。全部似たようなビンに入ってるし、虫の頭とか動物の内臓とかならともかく、木の実とか葉っぱはパッと見ただけじゃ全然分からないから。一番いいのは、必要な分だけ取って名前書いた紙の上に置くっていうやり方なんだけど……もう無理だな……あ、やっぱり迷ってる) 余談であるが、新入生の魔法薬精製の授業二回目は大体ここでつまづく。 薬の精製では強大な魔力も役に立たない。レンは材料に手をのばし、どれがどれだか分からないことに気づいて愕然とした。面白い。普段が普段なだけに、その表情は何かに残しておきたいくらいに珍しい。これだけ面白い表情が見られるとは……レンに魔法薬の精製を勧めて、本当に正解だったと思う。 ……しかし、焦りを通り越して途方に暮れている顔を見ているうちに、なんだか可哀想になってきた。手伝ってやろうかと思い、ハドリックに顔を向ける。 ハドリックはネロの視線に気づき、首を横に振った。「一人でやらせなさい」の意。 確かに。自分のときも最後まで一人でやらされたし、だからこそ力が身につくものではあるのだが……ああいう状態の心理としては、誰かの助っ人が何よりも欲しいというのもまた事実である。ネロだって、必要な材料が分からなかったりするときは思わず誰か来てくれ、と思ってしまう。 レンだって例外ではない。それは、今の途方に暮れている表情からも察することができる。もし今ネロが手伝いに入ったら、コレ以上ないほど安堵した顔になるだろう。 だがまあ、実際はハドリックに止められているし、そろそろ自分の方にも気を配らなければならない。レンの手伝いをすることはできない。可哀想だが、一人でやるしか…… (……へぇ) 感心する。 レンは、他のことには目もくれず、一心に材料を見分けていた。資料集に書いてある特徴を舐めるように読み漁り、わずかな違いを逃すまいと何度も何度もビンを覗きこんでいる。 集中力というのは、時として凄まじい威力を発揮する。問題であれば解法を、チェスなどであれば逆転の道筋を、この場合であれば、正解の材料を瞬時に見つけ出す。 これ、簡単なようで意外に難しい。特に今のレンのような切羽詰った状態の場合、混乱やら何やらが先に立ってまともな思考が働いてくれない。何かを閃くなど夢のまた夢。何かをしなければと思いながら、何もできないまま時間切れを迎えるのが大体である。 だが、 レンは違った。ハドリックやネロの視線……並びに目の前でグツグツ言っている釜にすら全く意識を向けず、一心不乱に材料を選んでいる。 (さっきマンメの葉を入れたから……今度はトルナの実……レンから見て一番手前の右から三番目……で、その次はシュチャーの根……これは特徴があるからパッと見ただけで分かる、と……お?) 一瞬、レンの目が光った気がした。 そして次の瞬間、レンは一番手前の右から三番目のビンを手に取り、大急ぎで釜へ向かった。世の中何が幸いするか分からないもので、今がトルナの実を入れる一番良いタイミングだった。 (……お見事) 自分の釜の方へ向き直りながら、ネロは密かに拍手を贈った。 ここで一つ説明をしようと思う。すなわち、ネロやレンの通う魔術師育成専門学校について。 魔術師と言うが、そこには三つの種類がある。ウィザード、エンチャンター、アルケミスト。魔術を武器に例えれば、兵士、職人、研究者、という分け方ができる。 学校では、それぞれ自分がなりたい魔術師を目指して勉強していく。だから、自ずとコース分けがなされるのだ。ウィザード志望者の必須科目、エンチャンターの必須科目、というような感じで、何を目指すかによって選択する授業は変わっていく。スタイルは大学に近い。一日数時間、好きな授業を受けるのだ。残り時間は遊んだり予習復習したり……と、学生は思い思いに過ごしている。 ちなみに。 ネロが目指しているのはウィザード。だから、実際に魔術を使って勧めていく授業を多く選択している。魔法薬精製はエンチャンターの授業であるが、これは単にやってみたかっただけだ。 レンが目指すのはエンチャンター。魔術効果を付与した武器や防具や道具を作ったり、魔法薬を精製したりといったことが主な仕事である。道具に魔術効果を付与させるというのはなかなか神経を使う行為で、そういう意味では、驚異的な集中力を持ち、呆れるほどマイペースなレンに向いていると言える……もっとも、彼女の場合、ウィザードだと言っても十分通じるほどの魔術も使えるのだが。 とにかくそういうわけなのだが、目指す職が違うということは当然選択する教科も違うということであり、結果、学校ではネロとレンは離れることが多くなる。昼食はハドリックも入れて三人で食べることが多く、その時の様子を見る限り特に問題はなさそうなのだが……それでもネロは時々不安になったりする。あんな性格で友達はいるのか。ひょっとして、クラスで孤立したりしているのでは…… 親じゃないんだから、と誰もが思うだろう。実際ネロは自分でもそう思っている。自分とレンはただの知り合いであり、恋人とかそういう関係の会話は一切したことがない。そういう話すら出てこない。レンが何も言って来ないのなら、何も心配する必要はないのだ。 (……でもなあ。レンって思いっきり内側に溜め込みそうなタイプだからなぁ……) 「……ネロ」 肘で小突かれたような感触。大して痛くもないので無視する。 (でも、苛められてたりしたらあんな無表情ではいられないだろうし……) 「ネロってばー」 軽く肩を揺さぶられる。今度も無視。 (いや、でも分かんないなぁ……レンだもんなぁ……) 「……」 微かに不満そうな気配。誰かが眉根を寄せている。誰かがボソリと呟く声が、 『……メガ・ボルト』 飛びのいたのが一瞬早かった。直後、それまでネロが座っていたベンチに小さな雷が落ちる。小さなと言うがそれは本物と比べたらであって、ベンチを跡形もなく消し飛ばしてその周囲を黒コゲにするくらいにはその雷は強かった。 「……フィル」 自分に魔術を向けた少女……フィル――本名はフィリアス――に、ネロは殺意にも似た感情を込めた視線を向ける。が、対する少女はあっけらかんと、 「あ、起きてたんだ」 ……ぶち。 「てめぇ……」 恐ろしく凄みのきいた声で、ネロは魔法薬精製の授業に二人が最後まで居残ったことで親しくなった少女に告げる。 「……今のが致死レベルの魔術だってこと、まさか知らなかったわけじゃねぇよな?」 口調まで変わっている。フィルはやや眉をひそめながら、頷いた。 「うん。まあ、ネロならどうせ避けるだろうと思ってたしね」 まるで反省のないその言葉に、ネロの右手に熱き灼熱の魔力が集中し始め、 「……じゃあ、俺が今からお前に向かって全力で『ウイング・フレア』を使っても……いいよな? ど、う、せ、お、前、は、避、け、る、だ、ろ、う、しっ!?」 「……あー、ネロ。エンチャンター希望のあたしとウィザード希望のあんたじゃ、魔術の威力が違うから。それに身のこなしとかだって話にならないくらい差があるから。聞いてる? あんたに全力の『ウイング・フレア』なんかぶつけられたら、あたし間違いなく死んじゃうから……って、ちょっと」 『ゴゴゴゴゴ……』という効果音が聞こえてきそうなネロに、フィルがやや後ずさる。まさか本気で撃ちはしないだろうが、迫力というものはどんなにぶつけても死ぬことはないわけで…… 「……ごめん。ちょっとやり過ぎた」 耐え切れず、フィルは頷くのと大して変わらないような感じで頭を下げた。ネロが構えを解く。 「分かればいい」 右手の周りでゆらめいていたオーラ(魔力)を消し、ネロは憮然としながらも一応は人を相手にする態度をとる。 「で? 何か用?」 「んー、まあ、あたしが用あるわけじゃないんだけど」 「なんだよそれ……」 と言ってから、思い出す。 フィルはエンチャンター志望だ。そして、自分と同い年である……ならば、レンと同じクラスである可能性も高いのではないか。 「あのさ、ちょっといいか?」 何か言いかけたフィルを遮る。 「あんまり良くないような気もするけど……何?」 「レンのことなんだけどさ」 レンのことは、ネロとともに時計台から生還した……また、今になるまで魔術師連盟の目を逃れ続けていたとして、それなりに有名になっていた。そうでなくても、フィルにはレンのことを紹介してある。 「レンが何?」 「……何か問題とか起きてないか?」 フィルが怪訝な顔をする。どういう意味だ? という視線を受け、ネロはもう少し具体的に、 「だからさ、クラスの中で孤立してたり、ひょっとして苛められてたりとか、そういうことはないかと……」 「……ネロ」 話をしばし吟味してから、フィルはむしろネロを心配するような口調で言った。 「……親じゃないんだから」 言われると思った。思ったが、さすがに面と向かって言われるのはまた格別な威力だった。ともすれば「あ、モウイイッス」と言いそうになる心を押さえつけ、代わりに、 「いやまあそりゃ分かってるけどさ、でもほら、ああいう性格だから気になって……」 「……ふーん?」 疑わしそうな目をしながらも、 「問題らしい問題は特にないわよ。それなりに皆と仲良くやってるし」 「仲良く!?」 「そんな驚くことでもないでしょうに……別に明るく朗らかになってるわけじゃないわよ。マイペースだけど合わせるトコはちゃんと合わせてるってこと。それにさ、あの子ただおとなしいだけじゃない。問題ある方が不思議よ」 そんなものか、と思う。 まあ、考えてみれば確かにそうだ。レンは、別に周囲を拒絶しているわけではない。何かあれば自分から声をかけるだろうし、何か聞かれれば素直に答えるはずだ。心配など最初から無用だったのである。 「来週だって、皆と一緒にお祭り行く予定になってるんだから。心配無用よ」 「……お祭り?」 初めて耳にする単語に、ネロは首をかしげる。はて? お祭り? 「あれ? あんた来ないの?」 「……来ないの? つーか……そんなもんがあるのか?」 「あるのかって……あーそっか。あんた去年はレポート三昧だったっけ。だから来てなかったんだっけ」 一人でうんうんと納得し、フィルは可笑しそうな笑みを浮かべる。 「あのね、来週、ちょっと遠くのプッカっていう町でお祭りがあるの。だから皆で行くわけ。ウィザードのクラスにも行く奴はいるだろうから、誰かに話聞いてみなよ」 ああ、だから去年は学生がほとんどいなかったんだな……そんな祭りの存在など全く知らなかったネロは、一年前の不可思議な現象をようやく解明した。 「今年は時間あるんでしょ?」 「ん……ああ、多分」 去年と違って、今年はレポートの量が少ない。もうほとんど提出し終わっていた。 「それならレンと一緒に来なよ。せっかく二人とも師匠の家に住んでるんだし」 学校に寮はないし、二人とも部屋を借りるだけの金がない。というわけで、ネロとレンは揃ってハドリックの家に住みこんでいた。 ネロはお祭りというものを体験したことがない。十年前までいた村にあることはあったが、それはどちらかと言うと儀式に近かった。オクロックでは事態が事態だったので祭りどころではなかった。皆でワイワイ騒いで……というものは、確かに興味がある。 「……ところで、さっき何言いかけたんだ?」 ふと思い出して、聞いてみる。フィルは忘れていたらしくしばし考え、 「ん? 別に大した用事じゃないんだけどね」 と言って、校舎の方を指さした。 「『魔術基礎理論』の講義、始まってるよ? 行かなくていいの?」 魔術基礎理論は、午前十時三十分に始まる。 今は、午前十時五十分。 これをサボるとなると……単位が少々危なくなる。ただでさえついていくのに必死なのに、一時間落としたとあっては…… 「……行ってくる」 言うなり、駆け出す。 「頑張ってね〜」 フィルの暢気な声援が、背後から微かに聞こえた。 |
よろしければ感想をお願いします。