魔術大全

 

 レンの入学は、決して万事円満に運ばれたわけではない。それどころか、問題が問題を生むような有様で、見切り発車ならぬ見切り入学だった。野放しにするわけにもいかんし、とりあえず目の届くところに置いて様子を見よう、という案しか浮かばなかったのである。

 レンという少女は、それだけ異質だったのだ。

 常識では考えられないほどの魔力を有しているにも関わらず、その存在は風の噂にすら聞こえなかった。連盟に見つからなかったということだけではない。

 史上稀に見るどころではない大天才であるはずなのに、世界中の誰もレンのことを話題にしなかったのだ。ただでさえ希少な魔術師である。少なくとも生まれ育ったところでなら、それなりの話題となるはずなのだ。

 出身地の確認も容易ではなかった。才能云々の他にも、身元保証人となる人物が必要である。まさかネロにハンコを押させるわけにもいかないので、書類作成の際、ハドリックは一度レンに聞いた。生まれた場所は、どこなのか。

 レンは、

 ひどく怯えた表情のまま、講義の時間だからと逃げていってしまった。それ以来、無言のうちにこの話を拒否し続けている。

 そしてそのまま、現在に至るわけなのだが……

 

 さすがにいつまでも延期にしておくわけにもいかないだろうなぁと、ハドリックは教師用の個室にて考えていた。保護と監視のために一応入学許可は下りているが、きちんとした書類はなければならない。

 とは言え、ハドリックはもう警戒心を抱かれている。そう易々とは解いてくれまい。

 とすると、ネロに遠まわしに聞いてもらうしかないわけだが。

「何と聞くか。それが問題だ」

 下手にストレートに聞くと、今度はネロまで警戒されてしまう。今のところレンから一番の信頼をえている切り札を、そう簡単に失うわけにはいかない。聞き方には十分注意しなければならなかった。

「まず自分の昔話をして、それから……あ、ネロもあまり良い思い出はないんだったな」

 最後の数ヶ月だけは、ハドリックの顔見知りでもあった天使、ウリエルと一緒に生活していた。だから、ネロのことは多少話に聞いていた。

 彼女は冗談めかしながら、こう語っていた。

『もう、とにかくアレね。不幸な少年の典型って感じ。両親は死ぬわ、周囲からは疎まれるわ、妙な力……いや、魔力なんだけど……を怖がられて友達は少ないわで。本当にこんな人間もいるんだなぁって、かえって感心しちゃった』

 人の人生を何だと思ってやがると思わず言いたくなるようなセリフだが、これがウリエルのノリなのだ。天使と言えば、空から陽光とともに降りてきて、何かこうありがたそうな言葉で語りかけてくる、といったイメージが一般的である。ハドリックも以前はそう思っていた。が、ウリエルが特別なのかどうかは分からないが、少なくとも彼女にはそのイメージは全く合わなかった。そして、だからこそネロとウマが合っていたのかもしれない。

 とにかく、その彼女が語ったように、ネロは決して良い思い出を持っているわけではない。どちらかと言えば過去は忘れたいタイプである。話題にすることは不可能だった。

「そうすると……何気ない会話の中にそれとなく……うん。これはいけるかもしれないな」

 独り言を呟きながら、白い紙に質問事項を書きこんでいく。だらだらと喋っている中で「そう言えばレンってどこで生まれたの?」みたいに聞けば、ひょっとしたら答えてくれるかもしれない。

 ……「何でそんなこと聞くの?」と返されるのがオチだという気もするが。まあ、そう返される可能性は常にあるから考えるだけ無駄だ。そうなったときは、適当に逃げさせればいいだろう。

「ふむ……そうすると、今度のお祭りなんかが狙い目だな。さすがのレン君も、お祭りに行けば気分は開放的に……なるだろう、多分」

 イマイチ自信が持てないが、まあ普段よりは多少マシだろう。学生は大抵行くから、レンも誰かに誘われているはず。そうでないのならネロに誘わせればいいだけの話だ。

 書類一つで何を大げさな……と思うかもしれない。

 だが、相手はただの学生ではない。レンなのだ。神をもかくやと思わせるような、人間にはありえない力を持っている少女なのだ。不明では済まされない。

「……と、よし、できた」

 ネロに聞かせる質問を書き上げ、紙を持ってハドリックは立ち上がった。今は……魔術基礎理論の講義がある。サボりでなければ出席しているはずだ。

 仕事も一段落しているし、休憩でもしようかと思った。少し早いが、食堂へ行って何か食べるのもいいかもしれない。

「そう言えば……」

 最近、事務室の方に一人入ったらしい。今まではオクロックの領主の館に勤めていたが、ちょっとした理由で辞めたと聞いた。向こうでネロがお世話になったメイドさんだったらしく、どんな感じだったか人事課の担当者に聞かれていた。それで何となく覚えていたのだ。

 会って、ネロがどんな感じだったかを聞いてみるのも悪くない。抜き打ちテストだ。頼りないとかそういう印象を与えたのであれば……少々鍛え直す必要がある。

 扉を開けて外に出る。さてどこへ行こうかと少し迷い、抜き打ちテストも可哀想だから今回は食堂へ行こうと考えて、

 ――声がした。

 

 

 レンには、ネロ以外の男友達がいない。エンチャンターは男子学生にはあまり人気がないし、そうでなくても接する機会などさらさらないからだ。

 これではいかん、とはフィルの言である。器量はそんなに悪くない、むしろなかなか良い方なのだから、出会いのチャンスだって一つや二つではないはず。そうでなくても、ネロみたいな凡人としか知り合いでしかないというのはレンにとって不幸以外の何物でもない、とのことだった。

 凡人のくだりは少しムッとする部分もあったが、友達が少ないというのは確かにあまり良いことではない。レンのことを知っている学生は数多いだろうが、友達になるというのはまた別な話だ。

 というわけでネロは、レンに会わせても問題ないようなヤツを選ぼうと、魔術基礎理論のメンツを眺めているわけだが、

(ロクなヤツがいない……)

 なんと言うか、個性的である。いやまあ、個性的と言ってもそこはたかが学生。周囲から注目を集めるとか、そこまで強烈なものではない。だが、

(レン、だしな)

 この一言で全ての事情が変わる。相手はレンである。出会いの関係からおそらく一番信頼をえているネロに対してでさえ、必要以上の口をきかない人物。ある意味一番個性が強いとも言えるが、下手なヤツと会わせたりしたら逆効果である。

 無難そうなヤツもいるにはいるが、ネロはあまりそいつらと親しくない。自分の交友関係の偏りを恨みながら、ネロはふと後ろにいる人物を思い出した。そーっと振り返る。

 ネロよりも少し小柄な少年である。教科書もノートも、広げていないどころかそもそも出されていない机に突っ伏して、気持ち良さそうに寝息を立てている。これでネロより成績が良いのだから、世の中というのは実に不公平にできている。

(クロ)

 ちょんちょん、と、頭をつつきながら呼びかける。反応はない。

(おい、起きろ)

「……ん」

 わずかな反応。身じろぎし、クロは眠たげに顔を上げた。

「……なんだよ。用があるなら後にしてくれ」

 言って、また顔を伏せる。少しムッときて今度は強く頭を殴打。

(オイコラ。起きろって言ってるだろ)

「後にしろって言ってるだろ」

(いいから起きろ。今すぐ起きろ)

「い・や・だ。意地でも起きんぞ」

(返事してる時点で起きてるだろ。いいからちょっと顔上げろ)

「……ネロ君」

 ネロでもクロでもない声が混じってくるが、ネロはそれを無視した。クロも聞こえなかったように言ってくる。

「俺は命令されるのが嫌いなんだ」

(あ、そうだ。この間食堂で昼飯代貸してやったろ。あれチャラにしてやるから起きろ)

「その代わり夕飯は俺のおごりだっただろ。都合の良いことだけ覚えてんじゃねぇ」

「……クロ君」

 二人とも、また無視。

(分かったよ、もういい。起きないでいいからそのまま聞け)

「嫌だ。寝る」

(おい寝るな耳ふさぐな。大した用じゃないからさ)

「なら後でもいいだろ。昨夜全然寝てないんだから邪魔するな」

「……」

 周囲の空気が微妙に変化する。それは「あーあ。この、馬鹿」とか「ったく。また授業止まるじゃねーか」とか「よっしゃ。授業止まるな」とかいった雰囲気だった。

 自分にはあまり関係ないように思えたので、ネロはそれも無視してクロを揺さぶる。一方、クロは何かに気づいたように身を起こして周囲を見まわし……渋い顔をした。

「お。ようやく人の話を――」

 と、満足げにネロが言いかけたところで、

「……ネロ君。クロ君」

 何と言うかまあ、とてつもない怒りを必死に抑え込んだような声が、教壇の方から聞こえてきた。あえて確認するまでもない。魔術基礎理論の担当、ヴェル教師の声だ。

 目の前でクロがさっさと荷物をまとめるのを見て、ネロは何となくこの後の展開を予想しながら、前を向く。

「やる気がないなら出ていきなさい……今、すぐに」

 逆らえるわけがなかった。

 

 

「あーあったく。追い出されちまったじゃねぇか」

 教室を出てしばし。声を出しても差し支えない場所まで来てから、クロはいきなりそう言った。

「お前どうせ寝てたじゃないか。どっちにしたって関係ないだろ」

「バカ。寝てるにしても、とりあえず顔を出してるのと途中退室とじゃ扱いが全然違うんだよ。試験の方はどうとでもなるけど、ヴェルの奴の印象は絶対悪くなったな」

 恨みのこもった視線を向けてくるが、寝てたヤツに何と言われてもネロはあまり気にならない。それよりも、

「ところでさ。さっき言ってたことだけど」

「……お前、よく俺にそんな話できるよな。雰囲気とかタイミングとか、そういうの一瞬でも考えたか?」

 呆れ顔のクロ。まあ、元々彼の成績は学年トップを独走しているのだ。史上稀に見る才能の持ち主とまで言われている彼にとって、教師の印象が悪くなることなど、本当は些細な問題でしかないのだろう。だから、

「悪かったよ。今日の昼おごるからさ」

 というネロの言葉に、あっさりと機嫌を直した。

「で、話ってのは?」

「ああ。お前さ、今度プッカっていう町でやるお祭り、行くか?」

 意外な質問だったらしく、クロは一瞬怪訝そうな顔をしてから、答えた。

「特に予定はないから、行ってもいいけど。なんだよ、一緒に行こうってか?」

「いや、そうだけどそうじゃないって言うか。お前さ、レンっていう女の子知ってるか? エンチャンター志望の新入生なんだけど」

「レン? ……ああ、お前がオクロックで見つけたっていう天才少女か。知ってる知ってる。えらい評判だったからなぁ」

 一人腕を組んで、クロがしきりに頷く。自分を超える天才の存在にも、嫉妬とかそういう感情はまるでないらしい。

 そりゃそうだろうな、とネロは思う。クロという人間は、ある意味物凄いエゴイストなのだ。要は、自分がやりたいことをやれればそれでいいのである。レンが邪魔になるようであれば全力で排除するだろうが、今のところそうではないから「何か凄いヤツがいるなぁ」くらいにしか考えていないのだ。

 羨ましい、とは素直に感じる。魔術師としての素質も、頭の切れも、運動能力に至るまでクロはネロを数段上回っていた。ネロが勝てるものと言えば、ウリエルやハドリックにあっちこっち連れまわされたおかげで身についた魔物に対する心構えのようなものくらいだが……これもすぐに抜かれるだろう。要は経験の差でしかないのだから。

 幸いなのは、クロがそういう「差」を周囲に意識させない人間だということだった。なにせ本人がまず意識していないものだから、周囲の人間にも「あ、こいつ凄ぇ」くらいの印象しか持たせないのである。ある意味、これがクロの持つ一番の才能だった。

「で、そのレンがどうかしたのか?」

 ネロの心中など知る由もなく、クロは言う。ネロは慌てて気を取り直し、

「レンは、さ。エンチャンター志望だろ? それにまだここに来てあんまり経ってないし。男友達が俺以外に一人もいないんだよ。だから、」

「俺に、レンの友達になれってか?」

 先回りしてクロが言った。頷くネロを見て、やや声をひそめながら、

「俺なんかでいいのか? なんかえらい不釣合いな気がするぞ?」

「別に、恋人になれってわけじゃないんだから。お前で不釣合いなら俺はどうなるんだよ」

 真面目に言ったネロの言葉。自分でもいいのなら、クロが拒否される理由などどこにもないと思ったのだ。

 しかし、

「お前なら良くても俺じゃダメだってのは、世の中にいくらでも転がってるさ」

 わずかに諭すような響きを持たせながら、クロは告げた。

「俺とお前は違うんだから。お前が簡単に解決できることでも、俺には一生かけたって無理だってこともあるはずだ。むしろそういうことの方が多いはずだぞ。だって、」

 いったん言葉を切り、わずかに言いよどむような様子を見せる。しかし、躊躇は一瞬だった。

「お前は、俺なんか足元にも及ばないほど凄いものを持ってるからな」

「……は?」

 突然の説教に唖然としながらも、ネロは最後の言葉にだけはなんとか反応した。自分が、クロが足元にも及ばないようなものを持っている?

 逆じゃないのか? 自分はいつも、何ででも、クロに負けているというのに?

 お世辞や冗談を言うような雰囲気ではない。どういうことなのかと確かめようとして、クロに先を越された。

「いやま、会うだけ会ってはみるさ。プッカの祭りのときだろ?」

「あ、ああ」

 流されるまま頷いて、とにかく話はつけたということに、後になって満足した。

 だが、はぐらかされたような気分は、その後しばらく消えなかった。

 

 

 そしてまあ、何だかんだで一週間後。もちろん今日も学校はちゃんとある。祭りへ行くのは学校が終わった後だ。

 いつもよりも少し早く起きたネロは、顔を洗っている途中にハドリックに話しかけられた。

「ネロ。機会があったら、昔のことをレン君に聞いておいてくれ。機会があったらでいい。さりげなくだぞ、絶対に無理して聞くな」

「はぁ……でも、師匠が直接聞けばいいんじゃないですか?」

「そう思ってストレートに聞いたおかげで、僕はもう彼女に警戒心を抱かれている。だが、ネロなら信用されてるからきっと話してくれるはずだよ」

 その根拠のない自信は一体どこから……と聞く前に、ハドリックは「頼んだよ」と言い残して去ってしまった。どことなく、逃げるような感じだった。

 まぁ、聞けなければ聞かなくていいと言われたのだから、特に意識する必要はないが。レンの昔に何かあるのだろうか?

「実は、神様とかの隠し子とか。何かありえそうだなぁ」

「……誰が?」

「いや、レンが……」

 振り向けばそこにレンがいた。

「うわあぁぁあぁ!?」

「……?」

 突然大声を上げたネロに、レンが小さく首を傾げる。かわいらしい仕草ではあるが注目すべきなのはそこではない。レンが入ってきたときの気配などまるで感じなかった……と言うか、今自分は唯一の入り口を向いていたはずではなかったか?

「れ、レン。今、どこから入ってきた?」

「……そこ」

 何を言っているのか、という表情で、当たり前ながら指さすのは入り口。

「俺の目の前を、通った?」

「……」

 コクン。

 とすると、彼女に気づかなかったのは単に自分がボケていたからだろうか。ネロは考える。多分そうなのだろう。姿消しの魔術はよほど訓練を積んでいないと使えないし――レンの場合、使えそうで怖いが――家の中でそれをやっても意味などない。

 目の前を誰かが通るのを、気づきもせずに見過ごしていたとは……いくら普段から存在感の薄いレンとは言え、あまりにあまりなことである。自戒の念を込めて、ネロは壁に軽く額を打ち付けた。

 レンが、その様子を不思議そうな目で眺めていた。

 

 

 プッカの町は、歩いて二時間走って一時間半、馬車なら一時間足らずで行ける場所に存在する。決して近くはないが、行けないほど遠くでもない距離である。

 魔術師なんだから、適当な乗り物を召還でもしたり自分で空を飛んだりできるんじゃないか。一般の人は普通そう思っている。魔術師とはあまり縁のない人……魔術師と普段接することがない人であればなおさらだ。彼らにとって魔術師というのは、「未知そのもの」であり「未確認生命体」であり、「一番身近なSF」であるからだ。

 だから、

 いくら卵とは言え、魔術師の学生が普通に馬車使ったりして来る姿を見ると、彼らはかなりの驚きを見せる。個々が思い描いていた魔術師像が音を立てて崩れていくのが、手に取るように分かるのだった。

 

 

「……ったく毎度毎度。魔術師だって人間なんだってのに」

 日が暮れて夜に突入している町の中、風物詩とも言える一般ピープルの驚愕の表情を眺めながら、フィルは不機嫌そうに舌打ちした。かなり多くいる人の四割方(つまり一般観光客だ)がこちらを向いて驚いている。この反応を見た魔術師は大体が「愉快だ」というのと「不快だ」という二つに分かれ、どうもフィルは後者らしかった。

「まあ、そう言うな。いいじゃねぇか、誤解したけりゃさせとけば」

 きっちり前者なクロが、「あの間抜け面がたまらん」と一杯に書いてあるにやけ顔でフィルをなだめている。おそらく彼は「え? 魔術師って殺し屋じゃないの?」と言われても同じ顔をするのだろう。お得な性分である。

 そういう意味ではかなり損なタイプのフィルは、半ば八つ当たり的な怒りをクロではなくネロに向けた。

「ちょっと! そんなトコで呆けてないで。さっさと行くわよ!」

 言うなり、一人でずんずん歩き出す。何でクロじゃなくて俺なんだと思わないこともなかったが、ま、分からないでもない。クロよりはネロの方が相手にしやすいからだ。

 肩をすくめて、後ろにいるレンを促す。早足で歩くフィルを半ば駆け足で追おうとして、クロに止められた。

「あいつはしばらく収まりそうにないし。あいつのお守りは俺がやるから、二人だけで楽しんで来いよ」

「いや、でも」

 断ろうとするネロを、クロは遮った。

「お前ら二人とも祭りは初めてなんだろ? それが怒り狂った同級生と一緒だなんて、お世辞にも絵にゃならんだろ。いいから楽しんで来い」

 と、そう言ってクロはさっさとフィルを追いかけてしまった。待ち合わせ場所も何も言われなかった。

 そう言えば、当初の予定であった、レンに新しい男友達――クロを紹介するという目的も果たしていない。町で落ち合おうという話になっていたからだ。

「……え〜っと、今のが俺の友達の、クロって奴。頭良くてスポーツ出来て魔術を使うのも上手くて……まあ、いわゆる天才。良い奴だよ」

「……」

 だから何だ? と、無言のうちに言われているような気がした。

「まあ、ひょっとしたらレンの友達になるかなぁと思って連れてきたんだけど。どう? 印象は?」

「……分からない」

 そりゃそうだよね、と頷くしかなかった。レンがクロを見たのは、彼がにやけ顔でフィルをなだめ始めたのが最初である。その直後にこうして彼はいなくなってしまったわけで、判断しろと言う方が無理な話だった。

「……でも、悪い人じゃなさそう」

 ネロが内心がっくりしているのを察したのか、レンは慌てたように付け加えてきた。

「そう?」

「……たぶん」

 多少元気になる。クロの、敵対意識を持たせない雰囲気が効果を発揮したのかもしれない。レンにも効くことは効いたのだ。

「じゃまあ、せっかくだから見て回る?」

「……ん」

 せっかくクロが楽しめと言ってくれたのだ。ならば、言われた通り楽しんでやろうと思った。レンを促して、人ごみの中へ入る。

「うわっ」

 入った途端、人の壁に阻まれた。道の両脇には露店が並んでいるはずなのだが見えない。見えるのは、やたらと多い人、人、人、人――

「レン。ついてきてる?」

「……う、ん」

 同じように人の壁にもがきながら、レンがなんとか返事を返してくる。こりゃダメだ、とネロは瞬時に判断した。自分はともかく、これではレンの身がもたない。祭りというものを少々甘く見ていた。

「レン――! 教会の方で何か出し物やってるらしいから、そこ行こう、そこ」

「…………わ、かった」

 人ごみの中歩き回るのでは、それだけで疲れてしまう。ならば、劇でも見ていた方がよほどマシだと、ネロは咄嗟にそう判断した。

 間違いだった。

 教会の劇というのは、この場合祭りの目玉と言っても過言ではないメインイベントなのである。そんなものに人が集まらないわけがない。実際に、人の流れは教会の方へ向きつつあった。

 更に更に混み合ってくる人に辟易しながら、祭りってのはもっとゆったり楽しむものではなかったのか、とネロは思う。聞いた話と違うではないか。オクロックでも酔っ払いが時計台に入ろうとしてとてつもなく迷惑だったし、祭りって実ははた迷惑なだけなのでは、

「ね、ネロ、さん?」

 と、

 自分を呼ぶ声が聞こえた。だが、ネロ『さん』? 知り合いに、自分のことをさん付けで呼ぶような人物などいただろうか?

 訝りながら向くと、どこかで見たような少女が、驚きと歓喜が合わさったような表情でこちらを向いていた。そんなに昔ではない。どこかで会った。どこかで……

「お久しぶりです。あの……覚えてないですよね。オクロックにネロさんが来たとき、」

「ああ、あのときのメイドさんか」

 思い出した。確かハカリという名前の、ネロの世話をしてくれた人だった。

「覚えていてくださったんですか?」

 なぜだかとても嬉しそうに、ハカリ。

「いやまあ、その……言われるまで忘れてた。ごめん」

「あ、そうですか……」

 今度はがっかりした声。そんなにショックなことを言っただろうかと、少し疑問に思う。

 しばらく俯いた後顔を上げ、ハカリは聞いてきた。さりげなさを装っているが、何かを意識した声だった。

「レンさんは、お元気ですか?」

「ん? レンならここに――」

 と言って後ろを振り向き……ネロの顔から血の気が引いた。真っ青になった自分の顔が、鏡なしで確認できた。

 レンが、いなかった。

 

 

 ネロと見覚えのある少女が話し始めたのは、いいきっかけだった。レンは気づかれないようにそっと、二人から、祭りから離れた。

 ネロに連れられてこっちに来てからは、毎日が新鮮だった。まるでやったことのない勉強。他人であるはずの自分に親しげに話し掛けてくる人々。そして……周囲に常に、人がいる生活。オクロックでネロと出会うまでは、考えもしなかった生活だ。

 自分は幸運だと思う。望んで手に入れられるほど、この生活は安くない。

 だが、

 考え事……他人には打ち明けられない考え事をするには、この幸運は邪魔だった。だから、離れた。誰もいない場所へ。

 少し歩く。と、すぐ目の前に公園があった。誰もいない。もともと手入れもされていないらしく、あちこちが荒れ放題だった。

 うってつけだった。中へ入って、半分壊れかけたベンチに腰を下ろした。

 ――考える。

 ネロと出会うまでの自分は、何かを探していたはずだった。だから、そういう話があっても一箇所に定住はせず、あちこちを放浪していた。

 だが、

 ネロに出会った途端、その気持ちが消えうせた。今まで頑なに旅を続けていたのが信じられないほど、あっさりと。

 では、自分の探し物とはネロのことだったのだろうか?

 会ったことも聞いたこともない、同じ世界に生きているということすら初めて知ったような相手が?

 否、だ。そんなことがあるはずがない。

 だが、現実に自分の心は落ち着いている。探さなければ、という焦燥がまるでない。

 考える。

 そもそも自分は、なぜ旅に出たのだろう。

 何かを探さなければ、という衝動?

 違う。確かにそれもあるが、それは本当の理由ではない。

 逃げたのだ。あそこから。一瞬の隙をついて、何も持たないままとにかく逃げた。

 思い出す。手が、自然に自分の肩を抱いた。

 地獄だった。死なせてくれと何度も頼んだのに、それすらも適わなかった。もう二度と、あんな思いはしたくない。過去を話せない理由もこれだ。

 過去を話せば、自分の出自がバレてしまう。

 連れ戻されるかもしれない。地獄へ。そうなれば、今度はもう逃げられない。

 耐えられなかった。考えたくもなかった。

 頭では分かっている。ネロもハドリックも、フィルも、今日会ったクロだって、自分がどんな目に遭うか知れば全力で守ってくれるはずである。身に覚えのないことで責められ、苦しめられるようなことを、彼らは決して許しはすまい。

 ……ただそれでも、もし、という可能性が捨てきれない。もし彼らが自分を見捨てたら? 自分が遭わされる目が、当然のことだと感じたら? いくら強大な魔力を持っていても、専門的な訓練を受けてきた彼らを相手に勝てるはずもない。自分は捕まって、死ぬまであそこで暮らさなければならない。

 嫌だ。

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。あそこに戻されるなら死んだほうがマシだ。多少整った容姿、強大な魔力。そんなものが何の役に立つ? そんなもの、あそこでは何の意味も持たない。いや、前者に限れば、絶望にも近い意味を持つ可能性だってある。

 ――背後に、気配。

「いやぁ!」

 叫び声を上げて、転がるようにしながらベンチから立ち上がる。捕まる、戻される、この二つの単語が頭の中を駆け巡って、

「……ごめん。そんなに驚くとは思わなかった」

 だいぶ聞き慣れた声は、申し訳なさそうに言った。

 湯気の出ている紙コップを二つ持って、ネロがそこに立っていた。

 

 

「探したよ? 何だってまたこんな分かりにくいトコにいたの?」

 そう聞いた自分を見るレンの目には、明らかな安堵が浮かんでいた。一体どうしたのだろう。慣れない人ごみで、少しパニックになっていたのだろうか。

「ま、いいや。あ、これそこで買ったカフェオレ。飲むよね?」

「……ん」

 多少落ち着いた様子のレンに紙コップを渡す。彼女が一口飲むのを何となく確認した後、後ろにあったベンチの損傷が激しい方に腰を下ろした。ベンチにはあと一人、詰めれば二人分の空きがある。

 少し躊躇いながらも、レンはおずおずと隣に座った。多少距離が開いているのは、偶然なのか故意なのか。

 祭りよりは、こちらの方がずっと良かった。静かだし落ち着くしレンもいるし……と、考えたところで思い出す。

(そう言えば、レンに昔のこと聞けって言われてるんだったよな)

 しかし、ハドリックの話を聞く限り、レンはあまりこの話を語りたがらないらしい。ストレートに聞いたら、ムダどころかかえって逆効果だ。

 ならば……

 

 

「十年くらい前にさ」

 突然、ネロがそう話し出した。驚いて向くが、ネロの視線は斜め上を向いていた。

「天使に会ったんだ。って言ってもよく神話に出てくるようなヤツじゃなくて、うるさくてノーテンキで騒がしくてお気楽思考で……とにかく、イメージを色んな意味で壊してくれる天使に」

 そう言いながらも、ネロの表情は楽しげだった。きっと、それは良い思い出に違いなかった。

 羨ましい。自分には、そんなものは一つもない。

 ……ところが。

「自分で言うのもアレだけど、俺、それまではもう不幸のどん底にいてさ。両親は死ぬし、魔力があるおかげで周りからは化け物扱いされるし。魔術師のまの字も出てこないような田舎だったから、俺のことが怖かったんだろうけど……とにかく、明日にでも首くくろうかって毎日のように思ってた」

 意外だった。ネロに、そんな過去があるとは。

 話は、まだ続いていた。

「で、そんなときに、さっき言った天使と会って。向こうの性格も性格だったからさ、色んな意味で助けられた。自殺しようとも復讐しようとも、いつの間にか考えなくなってた」

 でも、と続ける。そうだろう。そんな予感がしていた。

「出会ってから三ヶ月くらい後だったかな。一緒に生活してたんだけど……とんでもないモンスターが、俺の住んでた地方を襲ったんだ。ひどいときには、一晩で村一つが滅ぼされてた」

 結果は何となく予想がついた。が、レンはあえて何も言わず、ネロの話に耳を傾けた。

「やめてくれって、何度も頼んだんだけどね」

 そう言うネロの表情には、どこか悲痛な色があった。

「結局、その天使……ウリエルっていうんだけど、そいつはモンスターを倒しに行った。俺は途中で師匠のところに送られたから、結果がどうなったかはわからない。ただ、それ以来モンスターが出たって話はなくなって……ウリエルの姿も、一度も見てない」

「ネロは、どう思うの?」

 思わず聞いていた。これがハドリックに言われたことであること、この後「レンの昔はどうだったの?」と聞かれることも何となく予想はついていたが、それでも聞かずにはいられなかった。

「ウリエルのこと?」

「そう」

「……生きてると思うよ。あいつ気まぐれだったから、今ごろどっか遠くの空でも飛んでんじゃないかな」

「……」

 ネロは、本気で言っていた。本気で、ウリエルという天使を信じていた。

 そして、おもむろに言ってきた。

「レン」

 来た、と思った。そして用意する。「何でそんなこと聞くの?」 これでネロは引き下がる他ないはず――

 

 

「一度ウリエルに会ってみるといいよ。色んな意味で個性的だから、絶対退屈はしない。保証する」

 

 

 拍子抜けした。用意したセリフと覚悟をどうしていいか分からず、しばらく呆けながらネロを見る。彼は、してやったりという表情でこちらを向いて、

「俺が、レンの昔のこと聞くと思ってたでしょ? で、何でそんなこと聞くのとか、そういうセリフを用意してた」

 まさにその通りなので、レンは黙るしかない。ネロはさも可笑しそうに、言った。

「そんなことしないよ。話したくないなら、それはそれでいいんだ。もちろん話してくれてもいい。全部レンに任せる」

「でも」

「師匠のことなら気にしなくていい。『聞けるようなら』って言われただけだもんね。俺は『聞けなかったから聞かなかった』。こういうことだから、口裏合わせといて。分かった?」

「う、……うん」

 ネロは、レンと同じくすっかり温くなっているであろうカフェオレを一気に飲み干し、立ち上がった。時計を確認している。

「そろそろ戻ってもいい頃だね。行こう」

「……ん」

 自分のカフェオレを飲み、レンも立ち上がる。早くしないとまたフィルが怒り出すかもしれないので、多少急ぎ足で祭りの方へ歩いていく。

 

 

 ……話したくないなら、話さなくてもいい。全部レンに任せる。

 今まで誰にも言われたことのない類の言葉が、レンの中にずっと残っている。

 前を行くネロの背中をチラっと見て、ほんの少しだけ考えた。

 ひょっとしたら、

 ネロになら、話せる日が来るかもしれない。

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