魔術大全

 

 その少女は、はっきり言って綺麗だった。十六、七歳という見かけからして、美女と言うより美少女である。そして、そう言われても100人中99人までが確実に頷く。残りの一人は、よほど美的感覚の狂った男か嫉妬の炎燃え盛る女かのどちらかだろう。

 喫茶店の一角。待ち合わせの相手でもいるらしく、少女は二人がけのテーブルに座って外を見ている。注文したケーキにも、自分の容姿が少なからず影響を与えている店内の空気にも、自分に見とれていたせいで彼女にとっちめられている青年にも自分に声をかけようかと悩んでいる少年グループにも興味はないらしい。ただぼーっと、往来の人通りを眺めていた。

 時折、通る人影を見るたびに反応する。

 魔術師……の卵。学生の姿を見かけるたびに、少女はわずかに反応を示していた。些細なものでしかない。ほんの少し目を見開く、少しだけ注目する、その程度。だが、その仕草は真剣そのものだった。

 まるで、誰かを探しているかのように。

「……何をしてるんだ?」

 そして、

 声をかけられ、少女は店内に目を戻した。待ち合わせの相手が来たようだった。

「別に。ただ、ひょっとしたら歩いてないかな、と思って」

 軽く肩をすくめ、答える。未練があるようにもう一度外を見て、首を振って相手を向いた。二十五、六歳の青年。ハドリックだ。

 彼はコーヒーを注文して、からかうような笑みを少女に向けた。

「ネロなら今はここにいないよ。ちょっと遠くの町へ出張させている」

「また? この前行ったばっかりじゃない」

 呆れたような声に、ハドリックが弁解する。

「実地練習は多い方がいい。それに、今回は旅行を兼ねてるんだ。友達と一緒に四人で行っている」

「旅行ねぇ……て、四人? そんなに友達できたわけ? 生意気な……」

 と、言いかけ、少女はふと首を傾げた。心なし声を潜めて、聞く。

「ね。ひょっとして、その四人の中にあの子もいるの?」

 ハドリックは一瞬きょとんとし、ああ、と頷いた。

「ちゃんといるよ。随分打ち解けたようだ」

「そう。良かった……」

 嬉しそうに微笑む。そんな少女を見て、ハドリックが思わず苦笑した。

「君も相当なお人よしだな。あの子のせいで、君は十年も――、」

 と、言いかけ、ハドリックは口をつぐんだ。少女が少しだけ睨むような目をしていることに気がついたのだった。

「あの子のせいじゃないよ。あれは、あくまでわたしの自由意思」

「……すまない。そうだった」

 謝るハドリックに、少女は分かればいいの、と頷く。そして、笑いながら付け加えた。

「それにね。十年なんてのは、わたしにとっては早いものなの。大したことじゃないわよ」

 別に励まそうとしているわけではない。慰めようとしてもいない。ただ、この少女はこういう言い方をするのが好きなのだ。

「……変わらないな。十年前と」

「それは、進歩がないって言いたいの?」

「いや、まあ……うん。確かに進歩してはいないようだ」

 この言葉に、少女は明らかに機嫌を損ねたようだった。ムッとした表情で、何事か……「そりゃパッと見じゃ分からないだろうけどさ」とか呟いている。

 そんな少女を見ながら、ハドリックが静かに言った。

「だけど、変わらないことの方が良いときもある……以前君が言っていた言葉だ」

 少女が虚を突かれたように顔を上げ、やがて徐々に笑みを浮かべていった。

「人の言葉を、本人の前で説教に使わないでよ」

「これは失礼」

 おどけた言葉。少女は更に笑みを深くし、

「……おかえり」

 ハドリックの言葉に、満面の微笑みで頷いた。

「ただいま」

 

 

 天気は快晴である。

 雲一つない晴れ渡った空。澄んだ空気の下に、白い砂浜と真っ青な海。遠くに見えるのは湾の反対側である。小さな無人島もいくつかあって、夜な夜な恋人同士の妖しい儀式に使われていたりする。露店で売っている様々な料理は、これを食べるためだけに来る人がいるほどで、そこは正に地上の楽園と呼ぶに相応しかった。

 ――夏ならば。

 

 

 天気は確かに快晴である。だが、冬の海水浴場が晴れ渡っていて喜ぶ人間がいるとは、ネロにはとても思えなかった。おかしいとは思ったのだ。ハドリックが珍しく有名地へ行く仕事を持ってきたから。いつもは、絶滅したはずの猛獣とか槍持った原住民とか、そういうのがいそうな場所にしか来させないのに。

 嫌だとも言ったのだ。オクロックから死ぬ気で帰ってきたばかりなのだからしばらくは休みたい、と言うか何か嫌な予感がしてたまらなかったから。絶対に、確実に、ロクな目に遭わないと思ったから。

 だと言うのに……

「冬に海水浴なんて、できるわけないじゃない!」

 馬車を降りた田舎道。海からの寒風に身を震わせながら、フィルが怒鳴っていた。町まではまだ少し距離があるのだが、馬車はここまで来て折り返してしまった。おそらく海水浴場の入り口がここだからだろうが、何も冬にまでそうしなくてもいいのに、と思う。

「一体誰よ、観光地なんか何度も行けないから引き受けようなんて言ったのは」

「お前だ」

 冷たく言い返す。彼女が横から引き受けたりしなければ、今ごろはベッドの上で惰眠を貪っていたはずなのだ。

 と、ネロの言い方が癇に障ったらしく、フィルが鬼の形相でこちらを向いてきた。

「話を振ったのはあんたの師匠でしょ! 大体、観光名所なんて言われたら普通行こうと思うに決まってるじゃない!」

「俺は思わなかったぞ」

「あんたは変人だから、普通の中には入らないのよ!」

「……だとコノヤロ、言わせておけば」

 こちらもカチンときて、戦闘態勢に入る……前に、二人の間に人影が割って入った。

「まあまあまあまあ。落ち着け二人とも」

 クロである。顔に苦笑を貼りつけ、下手に出ながらも断固とした態度で二人の仲介をする。得をしたとは全く言えないが来てしまった物は仕方ない、とでも思っているのらしく、特に怒ってはいなかった。

「今更何言ったって仕方ないだろ。それにほら、泳げないだけだ。飯は魚とか出てくるはずだ、多分。それで我慢しろ」

「そりゃ、そうだけど」

「俺、生魚はあんまり好きじゃないんだけどな」

 まだぶつくさ言っている二人を見て、クロが嘆かわしい、とばかりに首を振る。そして、

「お前らな。レンを見てみろ」

 言われて、ネロはレンを見た。そして……驚いた。

 クロもフィルも見てるだろうが、無表情の中のわずかな違いである。その微かな変化はおそらくネロにしか分かるまい。

 レンは、楽しげだった。

 と言ってももちろん満面の笑みで大はしゃぎしているわけではない。あーだこーだ揉めていた三人から少し離れた場所に突っ立っているだけだ。が、表情は確かに驚きを表しており、静かな興奮で頬を紅潮させていた。

 しかし、良く考えてみる。楽しいことなど何もないはずなのだ。素晴らしく寒い海の風に、見事に誰もいない寂れた砂浜。名所と言うより迷所な景色。それでも楽しんでいるということは、おそらく……

「……レンってさ」

 と、ネロは呼びかけた。レンがこちらを向く。

「ひょっとして、海は初めて?」

「……」

 コクン。

 頷いて、すぐに海へ目を戻す。よほど珍しいようだった。

 まあ、その気持ちも分からないではない。初めて見る分には海はさぞ珍しいだろう。他のものとはスケールが違う。

 海に夢中になっている姿を見て、思う。

 喜んでいるようなら、少しは来た甲斐があった……かもしれない。他の二人はどうだか知らないが少なくとも自分はそう思う。全員が不平不満の嵐では目も当てられない。一人くらいは喜んでいるべきだ。

「……あー、取り込んでるトコ悪いんだけど」

 と、

 後ろから、クロが何かニヤニヤしながら言ってきた。フィルはなんだか呆れた顔をしている。なんだこいつら? と訝るネロに、

「荷物置きに行かないか? 暗くなる前にさ」

 もっともなことだった。冬は日が落ちるのが早いし、ここから町へはまだ少し歩かなければならない。早く行かないと休む間もなくなってしまう。

 それに、とクロは付け加えた。

「どうせ、海は後で飽きるほど見れるだろうし」

 今回の仕事は、この海に出没している魔物を退治することだった。具体的な被害も出ているので、人員は四人と多め。戦闘タイプのウィザード二人に、補助タイプのエンチャンター二人。そして、その条件を満たしているグループが学校内に一つだけ存在していた。

 つまり、ネロ達だ。経験や知識の点ではレンが少し心もとないが、強大な魔力は十分それをカバーし得る、と判断されたのだろう。

 そして、そういう観点では、真冬という今の時期は理想的だった。

 ……観光客など、一人もいないだろうから。

 

 

 夕飯は魚だった。

 刺身の盛り合わせがメインだった。

 そしてネロは、生魚が食べられない。以前刺身を食べて猛烈な腹痛に襲われて以来、トラウマにも似た苦手意識がある。

 結果……

 

 

「刺身をわざわざ魔術で焼いて食べる奴って、世界で何人いるのかしらね?」

 指先に炎をともして刺身をあぶっているネロを見ながら、フィルがからかい半分に言っている。反論はしない。珍しい光景であることは事実だから。それに、そろそろ焦げ目がついてきた。

 小さな部屋ではあるが、一応これで四人部屋らしかった。何でも、寝るときは今出ているテーブル(にしては脚が短い)を片して布団なるものを敷くとか。そうするとピッタリ四人寝られる場所ができるらしい。若い男女なのだし、てっきり二人部屋を二つ取ってくれていると思ったのだが……学校側は、学生の不純異性交友についてどう考えているのだろうか。

 これを食べたらとりあえず海を見て回ることになっている。凄まじく寒いことはわざわざ予想しなくても明白だったが、町からの要求は「できる限り早く」。夕飯食ってさぁ寝よう、とはいけない事情がある。そのため、無理やりにでも体力をつけなくてはならないのだ。ご飯と汁物だけでは心もとないし味気ない。そこで、急ごしらえの焼き魚を作ることに相成ったのだった。

「ネロ。この魚は今朝とれたばかりだって言ってたから大丈夫だ。食ってみろよ、美味いから」

 刺身に舌鼓を打ちながら言うクロに、ネロは、今度は静かに言い返した。

「お前は、『形はマンドラゴラだけど実はただのニンジンだから食ってみろ』と言われて、得体の知れない植物の根っこを食えるのか?」

「……いや。食えない」

「それと同じだ」

 そうか? と呟くクロは置いておいて、ネロはふとレンに視線を向けた。手が全く動いていない。

「レン。どうかした?」

 その言葉に、それまでネロの奇妙な光景に目を奪われていた二人もレンを向いた。三人に同時に注目され、レンがわずかに戸惑ったような色を浮かべる。

「食べとかないと夜回りはきついよ? 多少嫌いでも無理やり……」

 と、そこまで言いかけて気づいた。

「……俺が食べてないからって遠慮することないよ? これが焼けたら食べるから」

 と言って、皿に盛ってある焼き済みの魚を示す。全部で十切れほどある元刺身の山を見て、レンはきょとんとしたような表情を浮かべた。慌てて頷いて、ハシを取る。

 やれやれ、と魚に目を戻すネロに、再び声がかかった。クロだ。

「ほら見ろ。お前が好き嫌いするから」

「マンドラゴラ食えないヤツは黙ってろ」

 食えないも何も、ありゃ毒じゃねーか……という呟き声。それを無視して、ネロはほど良く焼けた最後の元刺身を皿に乗せた。一口食べてみる。

「美味しい?」

「……味がしない」

 フィルの問いに短く答え、今度は塩に手を伸ばす。女の子の微かな笑い声が聞こえる。フィルの奴、と思って顔を上げ、

「お前な、俺はこれでも真剣に――、」

 気づいた。

 フィルは笑っていなかった。ただ呆けたような表情で、横を向いていた。クロも同じような顔をしているに違いない。自分だってそうなのだから。

 目を向ける。

 レンが、楽しそうに笑っていた。

 

 

 思わぬ光景を目にした後、程よく腹もふくれたところで外へ出た。どうせ冷えるのだから風呂は後回し。やるべきことを先に済ませておく。

 夜の砂浜は、昼間の比ではないほどの寒さだった。魔術師のローブだけではとてもとても。四人ともその上に防寒用の厚いコートを着込んでいて、しかもそれでもまだ寒いという有様である。さっさと終わらせて帰ろう、という意見で満場一致となった。

「いいか。ここが、今俺達がいる場所」

 クロが、砂浜に描いた三日月型の絵の中心を指しながら言った。

 しゃがみこみ、全員で作り出した火球でなんとか寒さを凌いでいる。ありがたいのは、レンが作り出した火球が凄まじくでかいことだった。おかげで凍死は免れている。比喩ではない。火球がなければ本気で死にそうなほどだった。

「ここから左右に二人組みに分かれて、半分ずつ見て回ろう。間違いかもしれないし、おかしなことがあるだけなら、可能な限り二人だけで対処すること。もし目標を見つけたら、音でも光でもいいから、すぐにもう片方に知らせる。これでどう?」

 クロが振り向いて聞いてくる。異論などあるはずもないので、ネロが代表して言った。

「分かった。で、組み分けは?」

 クロは一つ頷いてから、説明する。

「遭遇した場合を考えると、俺達……ウィザードは固まってないほうがいいと思う。だからバランスを取って、俺とフィル、お前とレンでどうだ」

「バランス……取れてるか? レンはまだ入学したばっかりだぞ? お前の方が強いんだし、俺よりも――」

「バカ」

 一蹴される。あまりと言えばあまりのことに、呆然とするネロにクロは呆れた口調で言う。なぜか耳元に口を寄せ、小声で。

「俺よりお前の方が信用されてんだよ。ペアの場合はお互いの信頼が命だってことは分かるだろ。それに」

 ここからは、本当に囁くような声だった。ネロは、風と波の音で聞き逃さないよう、懸命に耳をそばだてる。

「……お前には切り札があるだろ。それを使えば、俺なんか足元にも及ばなくなる。ちゃんと持ってきただろうな?」

「ああ、持ってきたには持ってきたけど」

 ウリエルの羽根は、新しい精神崩壊の剣と一緒についてきた専用ホルスターに収まっている。ハドリックが特注してくれたものだった。

「ならいい。文句はないだろうな? あるって言ったって、俺は意見を変えないぞ」

 半分脅し文句な言い方だが、少なくともネロに反論は思いつかない。それに、自惚れているようだが確かに、クロよりは自分の方がレンの信頼を得てはいるだろう。

「分かった」

「よし。で、お前らも反論はないな?」

 クロは立ち上がり、フィルとレンに聞く。

「あったって聞く耳持たないんでしょ?」

「誰が持つか」

 かえって気持ち良いほどに断言するクロに、フィルはやれやれという風に立ち上がった。ネロの方を向いて、からかうように言った。

「まあ、いいわよ。適切な組み分けだとは思うしね。レンもあんたと一緒なら文句はないだろうし」

 と、横できょとんとしているレンを見る。言葉に含まれた意味を分かっているのかどうかは疑問だが、とりあえず異論はないようだった。

「さっさとやって終わらせよ。寒いんだしさ」

「よし……じゃお前らそっち行け。俺達はこっち行くから」

 言うが早いか、クロはさっさと歩き出した。火球は新たに作り出している。待ちなさいよと言いながらフィルが後を追いかける。と、いったんネロを向いて、大声で、

「いいかっ できる限りは自分達でが基本だけど、やばいと思ったらすぐに連絡しろよっ 音か光か、両方かだぞっ!」

「分かってるっ!」

 いつになく厳しいクロの言葉に、ネロは同じように緊張した言葉で返す。背を向けて歩み去るクロを見送ってから、ネロも新たな火球を作り出した。そして、

「行こう」

 と、レンを促す。彼女は一つ頷いてから、同じように火球を作り出した。自分の比ではない大きさに少し劣等感を感じるが、それを振り払って思いなおす。

 レンは、対魔物用の訓練を受けていない。魔力は強大であっても、実戦で戦えるかどうかは怪しいものである。

 何かあったら、彼女を守るのは自分なのだ。忘れてはならない。

 覚悟を決め、歩き出す。後ろからついてくる気配。振りかえるまでもなく、巨大な火球の生み出す明かりで分かった。

 真夜中の海は寒い。が、それ以上に暗い。

 魔物の一匹や二匹、どこにでも潜んでいそうだった。ひょっとしたら、今過ぎた場所にいたかもしれない。自分達が過ぎるのを待って、背後から――

「ネロ」

 嫌な想像を浮かべたとき、レンが自分を呼ぶ声がした。

「あ、なに?」

「緊張、してる?」

 下から覗きこまれるようにして言われ、ネロの顔が赤くなった。守るべき相手に心配されてしまっている。

「いや、大丈夫だよ」

「そう」

 と、

 ふと気づいて、ネロは聞いた。

「レンさ、何か話す前に黙ることなくなったよね」

 彼女が物を言う前の「……」である。無口なのは相変わらずだが、黙る癖はほとんど消えていた。

「そう?」

「うん。ほら、今だってさ」

 驚いたような表情。自分では全く気づかなかったらしく、目を丸くしている。思えば、初めて会ったときに比べ、随分感情を表すようにもなってきた。さっきだって――

「笑った、よね」

「?」

「宿屋でさ。笑ったよね? 何か楽しいことでもあったの?」

「……」

 元来の性格故か今度は黙り、レンはしばらくしてからボソボソと言った。

「面白かったから」

「何が?」

「……ネロが」

「……は?」

 何を言われたのか分からず、聞き返した。レンはやや顔を伏せている。頬が少しだけ紅潮していた。

 考える。

 ……つまり、自分の言動やら行動やらが面白かったから笑ったと、そう言いたいのだろうか?

 他の相手であれば、それは不自然には思えないだろう。だがレンである。笑顔よりもまず感情があるのだろうかと、当初は思わず疑いを持ってしまったほどの相手である。

 意外だった。失礼だとは思うが本当に意外だった。

 レンも、そんな理由で笑うことがあるのだ。

 

 

 もうすぐ終点である。結局、収穫は何もなかった。

「向こうは何かあったかな?」

 というネロの言葉に、レンは首を傾げる。分からない、という動作だろう。

「どうする? 戻る?」

 レンは少し考え、言った。黙る癖はやはりない。

「一応、端まで見た方がいいと思う」

 それもそうだと、ネロは歩くのを止めない。海には相変わらず異常は見られなかった。

 と、

「誰だ!?」

 前方に人影が見えた。わずかに緩んでいた心を再び緊張させ、レンを背後に庇うように体の位置を変える。ウリエルの羽根に手を伸ばしながら、火球を大きくさせ、高度を上げて相手を照らし出す。

 そこにいたのは、女性だった。二十五、六だろうか。なかなかの美女だが、なぜか黒いロングドレスという格好で、見ているだけで寒そうだった。

 町の人間かもしれないが、それにしたってこんな時間にこんな場所へ来るのは普通ではない。緊張は一向に解かず、声音だけ優しくしてネロは声を張り上げた。

「誰ですっ? こんな時間に、どうしてこんなところへ?」

 女性が、振り向いた。

 ――ゾクリ、と、

 一瞬、背筋に悪寒が走った。女性は普通だ。特に睨んでくるわけでも、死人のような顔をしているわけでもない。それなのに、なぜか……レンも同じように感じたらしい。邪魔にならないようにと配慮はしているらしいが、それでも服の袖を掴んできた。

「……ああ。あなた達が、呼ばれてきた魔術師さんね。ずいぶん若いけど……新人研修も兼ねてるのかしら」

 声も特に何もない。怒るでも脅すでもない、普通の声だ。それなのに、ここから逃げ出したいという衝動が抑えられない。

「……あなたは、誰です? 町の人ですか?」

 声に若干の敵意が含まれるのを、ネロは自分で聞いていて感じた。

 女性は、質問には答えなかった。代わりに、こう言った。

「今夜は月が出ていない……だから、世界は闇の中」

 何を言っているのか。分からない。ただ、嫌な予感だけが体中を駆け巡っている。

「……魔物というのは、こんな夜に出るものよ」

 女性は、そう言った。

 驚きで目を見張るネロに、いたずらっぽく笑いかける。からかうような口調。その口調のまま、

「……気をつけないと。後ろの女の子が危ないわよ?」

「なっ!」

 咄嗟に振り向く、その寸前。顔の横を、何かが凄まじいスピードで横切った。

 かろうじて見えた。

 魔物と思しき触手に捕まったレンが、何が起こったのか分からないといった表情でこちらを見ている。口が開き、「ネ――」と自分の名前を呼ぼうとして、

「レンッ!?」

 触手もろとも、その姿が海の中へ消えた。

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