魔術大全

 

 動けなかった。

 突然のことに、体がついていかなかった。今も真っ白な頭の中で疑問だけが飛び交っている。今のは? 魔物? 人一人を軽々と持ち上げるようなデカブツ? 海から直接襲うのか? 自分では手の出しようがない海から? そんな、そんな相手に、

 レンが――捕まった?

 混乱する頭が自我を取り戻したのは、おそらく魔物を使役している女性の声だった。

「冬の海は人間に優しくないわよ? あの子、何分保つかしらね?」

「な――っ」

 我を取り戻してまず思ったのは、こいつを倒すことだった。

「ふざけるなっ!」

 跳躍。女性との距離を一足飛びで一気に詰めて、空中で精神崩壊の剣を取り出す。起動。漆黒の刃が出現し、ネロは何の躊躇いもなく斬りかかった。夜闇の中で微かにしか見えない刃が、確かに女性の体を真上から通りぬけた。人間の最たる弱点である脳を死滅させ、これで女性は完全な廃人になるはず――

「ふーん……魔術以外でも結構やるのね。案外速いじゃない」

 平然とした声だった。

「そ、んな……」

 呆然とする。この剣が効かない生物など、この世には存在しないはずなのに。

 そんなネロの心を見透かしてか、女性は嘲るように言った。

「でもね。残念ながら、私にその剣は効かないの……そろそろ意識がなくなる頃かしらね」

 ハっとなった。こうしている間に、レンは少しずつ死んでいく……

「くそっ」

 背を向けるには恐すぎる相手だが、仕方ない。ネロは女性から海に目を移し、一目散に駆け出した。女性には効かなくても魔物には効くはずである。少なくとも、レンを捕らえている触手だけでもどうにかしなければならない。

 だが、

「あなたには海に入られちゃ困るのよ……『イラスティック・ボール』!」

「うわっ」

 女性が先回りしてきたと同時に、ネロは後ろへ吹き飛ばされた。『イラスティック・ボール』 相手を弾き飛ばすための魔術だ。

 本来の衝撃は大して強くないはずだが、術者、つまり女性の実力がケタ違いなのか、砂浜を転がり終えたときネロは女性から十メートル以上離れていた。

 急いで立ち上がり、体勢を立て直した。中途半端な攻撃は通用しない。使うなら、より強力な詠唱呪文。自分の使える最大の攻撃呪文を、小声で囁き始める。

「『住みしは闇、食らいしは魂』」

 言葉とともに、体の奥が熱くなる。周囲の闇が濃くなる気配。この場の空気が、これから呼び出す化け物に呼応し始めている。女性はまだ気づかない。余裕の態度でこちらの出方をうかがっている。

「『護りしは地獄の門、魔獣の覇者にて黒き炎の申し子。咎なき者に咎を与え、罪なき者に罪を見る者』」

 風が、

 吹き荒れた。強大な力が風となって溢れている。漆黒の気配が身近に感じられる。体中が火であぶられているように熱い。

「……ちょっと、まさか」

 ようやく気づいたらしい女性が、わずかな驚きを含んだ声を発した。だが、もう遅い。

「『命に応えよ、声に参じよ、汝の名は、』」

 両手を突き出した。方向を示すためのものだ。両手で足りるほど生易しい“相手”ではない。これは召喚呪文だ。地獄の門番、黒き炎の二頭犬、

 

 

『ケルベロス!!!!』

 

 

 叫んだ。

 周囲から凄まじい熱気。熱いなどというものではない。今、まさに自分が焼き殺されているような感覚。全身が燃え上がり、水分が蒸発し、崩壊した肉体に続いて魂までもが灼熱に晒されて、

 二頭犬の形をした巨大な黒い炎の塊が、砂浜を抉りながら、

 ――それが見えたとき、文字通り世界を揺るがす爆発音が響き渡った。

 

 

 砂煙の舞う中、目の前にはもう砂浜がない。完全に抉られて、浅い海となっていた。

 そこを中心に、おぼろげながら吹き飛ばされた砂で砂丘が築かれているのが見える。言ってみれば、ここは小さなクレーターだった。夜のために見にくいが、全てが黒く焼け焦げていた。おそらく下の方の砂だろう。表面近くは消し飛んでしまっているはずだから。

『ケルベロス』

 ネロが使える唯一の詠唱呪文であり、同時に炎系では最大最強の攻撃呪文である。地獄の番犬の召喚。未熟な者が使えば、術者自身がケルベロスの餌食となる。これを制御するためだけに、ネロは自身の持つ魔力のほとんどを使う必要があった。

 たった一度きりの必殺技。ウリエルの羽根よりも使い辛いものの、間違いなく切り札の一つだった。

 へなへなと地面にへたり込み、手元に目をやる。

 精神崩壊の剣は、新品故か壊れずにいた。が、刃は既に消えている。維持する力すら、自分には残されていないようだった。

 だが、女性はこれで倒したはずである。いくらなんでもケルベロスを食らって生きていられるはずがない。そう思って前に目を向け、

「……まさかケルベロス召喚を使えるなんてね。やるじゃない。ちょっと見直したわ」

 相変わらず、余裕しゃくしゃくといった声だった。

「そ、んな……」

 思わず、声が漏れた。

 そこだけ切り取られたように存在する砂浜の上。怪我一つ負うことなく、女性がそこに立っていた。声の出ないネロに、言ってくる。

「でも、状況判断に関しては減点せざるをえないわ。実力が違いすぎるものだから焦ったんでしょうけど」

 言葉とともに、女性の後ろの海が盛り上がる。

 出てきたのは魔物だった。一言で言えば巨大なタコ。ただ、本当にでかい。ケルベロスも家一軒分くらいの大きさはあるが、その魔物はそれより二回りも大きかった。

 そして、

 そのタコが空中に掲げる足の一本。その先に、ぐったりとして動かないレンが捕らえられていた。全身に力が入っていない。まさか――

「まだ生きてるわよ。かろうじてだけど」

 ネロの胸中によぎった恐怖に、女性が答えた。そのまま続ける。

「『ケルベロス』なんて物騒なもの召喚したりして。私が防げなかったら、あの子も一緒に吹き飛んでたわよ? そうなったらあなたどうするつもりだったの?」

「あ……」

 どうするもこうするもなかった。まるで歯が立たないという事実に焦り、とにかく女性を倒すことにばかり気を回し、レンのことを完全に忘れていたのだ。

 覚悟を決めたはずなのに。

 何かあったらレンを守るのは自分だと、それを忘れてはいけなかったのに。

 猛烈な自己嫌悪に陥る。他に方法がなかった。女性に他の魔術など効きそうにないからそれは確かにそうだ。だがそれがどうした? そんなものはただの言い訳だ。自分がレンのことを忘れていた、その事実は変わらない。そして、レンを守ったのは自分ではなく、女性だった。

 ……その女性の声が聞こえた。

「反省してるとこ悪いけど」

 呆けた顔を上げる。今の自分はさぞ惨めな表情をしているだろうと、何となく思った。

「少し状況を考えてみて。最強の切り札も私には効かなくて、大事な彼女は人質として捕らわれている。あれだけの爆発音ならクロ君達にも届いたでしょうけど、ここに来るには相当時間がかかるでしょうね。助っ人の予定も今のところなくて、あなた自身の戦闘力も無いに等しい。対して、こっちはいつでもあなた達を殺せる。つまり事実上そっちの負け。何か反論はある?」

「……いや」

 わざわざ言われなくても分かっていた。自分達にはもう、勝機の欠片も残されてはいない。この後どうなるかは、女性の考え次第だった。そしてかなりの確率で自分達は殺されるだろう。許可なく魔物を使役することは罪であり、そういう者にとって自分達は邪魔者でしかない。

 せめてレンだけでも助けたかった。だが、どうやって? 自分はもう何もできない。クロとフィルが来たところで、この女性相手では勝負にならないだろう。レンが目覚めても同じだろう。彼女の使える攻撃呪文でケルベロスを凌ぐものはない。強大な魔力を持ってはいるが、使える呪文の数が少ないのだ。空間転移は使えるわけがないし、どうにか抜け出しても下は海だ。泳ぐだけの体力が残っているはずもない。

 それでも、何か方法は……そう考えていると、女性が静かに言ってきた。

「そこで、一つ提案があるの」

 後ろを向いて命令し、どういうわけかレンを受け取った。地面に寝かせ、火球を出して暖めている。

 混乱するネロに、女性が告げる。

「私はあなたと話がしたいの。その間、この子の命と身の安全は保証するわ。話が終わればちゃんと解放もする。ただし……ちょっとでも妙な動きを見せたら、この子の命はないわ。どう?」

 どう? と言われても困った。要するに、レンを人質として話がしたいということだろうか? そして、それが終わればレンを解放する、と?

 そんな上手い話があるとは思えないが、現に女性はそう言っている。他の解釈など思いつかない。

 悩みはしたが、一瞬だった。話を聞くだけで解放してくれるなら、それに乗らない手はない。それに、どのみちこちらに選択権はないのだ。女性の言うことを聞くしかない。

「分かった」

 ネロはそう答えた。

 女性は満足げに頷き、口を開く。

「まず自己紹介をするわ。私はラスト。剣が効かないことから疑ってはいたでしょうけど、人間とは少し違う存在よ」

 そうだと思った。人間でないのなら、剣が効かない理由が思いつかない。確かに魔術師であれば剣を無効化できるが、それは別に効かないわけではないのだ。まともに食らって平然としていられる人間などいない。

「と言っても、天使や悪魔とも違うの。そうね……世界の異分子、っていう感じかしら。私はどこにも、何にも属していないの」

 そんな存在がいるのかどうか疑わしいが、現に女性はそう言っている。まあ、嘘などいくらでもつけると言えばつけるのだが。

 そんなネロの思考は、ラストの次の言葉で消し飛んだ。

「私の目的は、世界を壊すこと。壊して、私の手で作りなおすこと。天界も魔界も、もちろんこの人間界もね」

「な……」

 バカバカしいにもほどがある。滑稽ですらある絵空事だというのに……感じたのはなぜか呆れではなく、戦慄だった。

 ラストは、本気なのだ。本気でそう言っているのだ。

「でも、作りなおすにしてもそんな方法は分からないわ。可能性があるにはあったけど、それに賭けていたんじゃ人生を何回繰り返せばいいのか見当もつかないし。だから、手始めに今は禁じられて使われていない魔術を試すことにしたの。魔物の召喚、古代の詠唱呪文……それに、時間を操る魔術。私自身の手じゃなくて、その分野に興味のあった人間をそそのかして実験していたけれど」

「……時間?」

 覚えがあった。時間の操作。禁じられたはずの術を試していた場所。

「じゃあ、フィクスを殺したのは」

「そ、私。けっこう上手くやってたから、殺すつもりはさらさらなかったんだけどね。でも……彼はもう必要なくなったから」

 あっけらかんと言い、ラストがネロを見た。冷たい、氷のような笑みを浮かべていた。

「あなたが現れたからよ、ネロ君。あなたとこの子が」

「俺と……レン?」

「そう」

 ラストは頷き、言い換えた。

「魔術大全の継承者と、鍵の持ち主が」

 

 

 魔術大全。

 知らないわけではない。ケルベロス召喚の呪文を調べている時に、その言葉は何度か目に入ってきていた。問題は、その言葉が指す意味だ。

 魔術大全。

 それは、この世に存在する全ての魔術が納められているという究極の存在である。書物ではない。そんな本はこの世に存在しない。何なのかは誰にも分からない、ただそこにあるというだけの物。

 要するに、ただの伝説であり物語だ。存在しない存在。当たり前だ。そんなものがあったら、今の世界は全く違ったものになっているはずなのだから。

 しかも自分がその継承者とくると、夢物語ですらありえない。

「何を言うかと思えば……」

 思わずそう呟くが、ラストは特に怒った様子も見せなかった。

「まあ、それが自然な反応でしょうね。別に信じてくれなんて言うつもりはないわ。伝説の存在でしかない魔術大全。しかも自分がその継承者。私としても、そんな話を信じる奴なんか願い下げだもの」

「変わったこと言うな」

 自分の話を信じない奴が当然で、信じる奴など願い下げ、とは。

「誉め言葉と受けとっておくわ。とにかく、あなたは別に私を信じなくてもいいの。ただ……私と、手を組んで欲しいの」

 その言葉は、ネロの緩んだ気を再び緊張させるのには十分な内容だった。

「……嫌だって言ったら?」

「分かってるでしょう?」

 ラストがレンに目を向ける。人質は結局人質、ということか。

「手を組むっていうのは、やっぱり世界を壊す手伝いをしろってことか?」

「作り直す方も含めてよ。どっちにしてもあなたは必要なの」

「……なあおい。普通に考えろよ。そんなの無理に決まって、」

 ネロがそう言いかけたとき、ドンッという音がした。

 眠っているレンのすぐ横に、ラストが攻撃魔術を撃ちこんでいた。

「人質がいるってこと、忘れちゃだめよ?」

 ぐっと詰まる。これでは説得は難しい。かと言って、協力するわけにもいかない。無理とかどうとか以前に、ラストは完全な犯罪者である。その手下になる気には、どうしてもなれなかった。

 しかし、自分に選択肢はない。レンを見捨てるなどというのは論外だ。とすれば、協力するしかない。この場は一応頷いておいて、などという方法が通じる相手とも思えなかった。

 分からない。

 頷くべきなのか、断るべきなのか。判断できない。クロ達はまだ来ないのだろうか。彼らが来たからどうにかなるとはとても思えないが、それでも一人よりは――、

 

 

「――人質を取った上でっていうのは、フェアな話し合いじゃないと思うなぁ」

 

 

 場の緊張感をぶち壊す、えらく間延びした少女の声。フィルでもレンでも、もちろんラストでもない。それでいて、聞き覚えのある懐かしい声。

 突然聞こえたその声に、ネロは安心感と驚愕を同時に覚えた。忘れるはずもない。だが、信じられない。まさか、まさか――

 ラストには当然誰だか分からなかったらしい。訝しげな表情で辺りを見回し、それでも『そいつ』の接近には気がつかなかった。

 白い矢。

 速すぎて白い矢に見える『そいつ』は、ラストの上空から迫ってきていた。文字通り真上。いくらラストでも、ここだけは死角らしかった。

 気づいたときには、遅かった。

『そいつ』は猛スピードでラストのすぐ横に着地し、また猛スピードで離陸した。立ちこめる砂煙と突然の出来事に、ラストは戸惑いを隠しきれていない様子だった。

 一方ネロはと言えば、戸惑いなどしていない。予想通りの相手であれば、あれくらいで普通なのだ。人の意表を突くのが大好きだったから。

『そいつ』は上空で方向転換し、ゆっくりとネロの方へと降りてきた。両手にしっかりとレンを抱きかかえている。借り物だろうか、魔術師のローブを羽織ってはいるが、着ているものはワンピースだけという、ラストに負けず劣らずの寒そうな格好である。が、そのことで驚きはしなかった。

 服装など、些細な問題でしかない。

 レンを抱きかかえたままネロの目の前に降り立ち、『そいつ』は場に全くそぐわない能天気な声で言った。

「やっほーネロ。元気だった?」

 声も、口調も、姿も。おそらく性格もそのままなのだろう。

 そこにいるのは、十年前と全く変わらない、天使ウリエルだった。

 

 

 預けられたレンは、静かに寝息を立てていた。顔色もそんなに悪くない。ラストの火球でずっと暖められていたし、ウリエルも少し回復させたのだろう。命に別状はないようだった。

「ここでこの子と一緒にいて。あいつの相手はわたしがするから」

 有無を言わさぬ口調で、ウリエルはそう言った。この天使相手にネロが逆らうことは不可能に近い……と言うか、言われなくてもそれ以外にネロにはやれることがなかった。剣すら出せず、魔術も使えず。役立たずそのものだった。

 ひっそりと涙するネロの胸中は無視して、ウリエルがラストを向いた。さすがに天使相手では分が悪いのか、ラストはこちらを睨んでくるだけだった。

「で、戦う? わたしは別に構わないよ?」

 強気なウリエルの言葉に、ラストが薄い笑みを浮かべる。

「ここで? 私達が?」

「うん」

 あっさりと頷くウリエルを鼻で笑い、小馬鹿にしたような声で、

「そんなことをしたら、そこの二人はただじゃ済まないわよ?」

 ネロとレンを示す。確かに、巻き込まれたらネロ達にはそれを回避する術がない。そう思って、ネロがウリエルを見ると、

「それはないと思うなぁ。今のあなたなら、ネロ達を守りながらでも十分勝てるし」

 ……いちいち勘に触る言い方をする奴である。案の定、ラストは機嫌を損ねたようだった。

「……何ですって?」

 怖い。恐ろしい。自分が言われたわけでもないのに、なぜか土下座して謝りたい気分になってくる。にしても、ラストのペースを一瞬でここまで崩すとは……さすがウリエル。万人の認める規格外天使。

 当たり前だがそういうネロの心中など知ったことではないらしく、ウリエルは淡々と説明した。

「いくらあなたでも、ケルベロスを防ぐのには骨が折れたはずでしょ? その後で、ネロ達相手ならともかくわたしを相手にするのは、ちょっと無謀だと思うなぁ」

 ラスト、痛いところを突かれたらしい。思わず黙り込んでいる。

 そしてウリエルは、ネロにも予測できなかったことを平然と言った。

「両者痛み分けってことでさ、今回は退いてくれないかな?」

 ネロも、ラストも、その言葉を理解するのに数秒を必要とした。

「は?」

「え?」

「いや、『は?』じゃなくて。こっちも痛い目見たけどそっちもチャンスを潰したってことでさ。今回はお開きということで、」

「ちょ、ちょ、ちょっと待てウリエル。それは、」

「負け犬は黙ってる」

「……はい」

 ボディーブローような言葉に、ネロはあえなくダウンする。痛い。古傷と言うか出来たばかりの傷を、深く深く深く深く抉るような言葉だった。

「あ、その魔物は消しといてね。いちおーネロ達の仕事だし」

「……あなた」

 疑うようなラストの眼差し。

「何を企んでるの? あなた達、と言うべきかもしれないけれど」

「別にー?」

 のらりくらりとかわす、能天気な声。ラストはしばらく睨んでいたが、効果はないと思ったのだろう。やがて「分かったわ」と呟いた。魔物の姿が消えた。

 ラストの目がネロを向き、口がゆっくりと開かれる。

「……答えは、今はまだ出す必要はないわ。でも、いずれ来るわよ。答えを必要とする日が」

 意味が分からない。出す必要がないも何も、答えなど決まっていると言うのに。

 が、ネロがそれを口にするのよりも早く、ラストは目を逸らした。ウリエルを不満げに睨む。

「私を逃がしたりなんかして。後で後悔するわよ」

「させてみれば? 無理だろうけど」

 やたらと勘に触る言い方に、ラストの顔が更に歪み、

 直後、彼女の姿は消えた。

 

 

 動くのも億劫なので、クロ達が来るまでここで待つことにした……が、

 いざ二人になると、妙に気まずかった。

 ネロが、である。ウリエルの方は、ネロの放ったケルベロスの痕を見て回っている。時折「よくまぁこんな……」とか「使う場面間違えてるよねぇ」とか呟いている。余計なお世話である。

 やがて飽きたのか、ネロのところに戻ってきた。立つ気力もないネロは、座ったままウリエルを見上げる。

 やはり、変わらない。十年前に見た姿そのまま。天使というのは、寿命があってないようなものだから当然と言えば当然だが……妙な感じがする。自分だけが成長したからか、あのときは大人びて見えた表情が、やたらとあどけなく見えた。

「……あのさ」

 そんなことを考えていると、憮然とした声でウリエルが言ってきた。

「十年ぶりに会ったお姉様に、何か言うことはないの?」

 誰がお姉様だと即座に思ったが、そう言えば自分は彼女に何も言っていない。確かに誉められたことではないと思い、

「久しぶり」

 殴られた。

「いてっ! お前、今ちょっと力入れただろ!?」

「当たり前じゃない! 次にロクでもないこと言ったら全力でいくからね全力で!」

 理不尽この上ないが、同時に恐ろしさもこの上ない。彼女に全力で殴られたら、文字通り吹っ飛んでしまう。今の状態では命すら落としかねない。

「まったく。師匠の方は一発で言ったっていうのに。ムードを考えなさい、むーどを!」

「ムードつったって……」

 考える。久しぶりではダメらしい。ムードを考えろということはつまり、小説みたいなセリフを期待しているのだろう。「また一緒だね」? いや違う。そんなベタな恋愛話は彼女の好みではない。「お前が来なくたって、俺一人でもどうにかなったさ」 殺されること間違いなしだ。と言うかハドリックも言ったというのだから、そんなに特別なセリフではない。何気ない言葉でいいのだろう。そう、例えば――

「……おかえり?」

「正解。よくできました」

 ほっとした。もし違っていたら「いや、違う! 口が滑った!」とでも言うつもりだったのだが。

「ただいまネロ。またしばらく、よろしくね」

「ああ……てオイ。またしばらくってどういうことだ?」

 頷きかけて、聞きとがめる。ウリエルは「ん?」という表情をして、言った。

「わたしもハドリックのトコに居候するの。姿消して学校の方にも行くつもりだから」

「ま、待て。ちょっと待てそれは、」

「……何? わたしがいると嫌なの?」

 当たり前だ――などと言えるはずもない。

「いや……でも、授業受けてるトコとかは見ないで欲しい。そういうのは何か嫌だ」

「へー。そういうもんなの?」

「そういうもんなんだ」

「へー」

 珍しげに頷きながら、ウリエルは、

「じゃあ、ネロの時間割をハドリックに教えてもらわないと」

「オイ!?」

「あははは。冗談だよ」などと言ってはいるが、信用できない。この天使は来る。間違いなく来る。寝ていれば容赦なく起こすだろうし、何か間違えるたびに耳打ちでもしてくるだろう。

 地獄だ。

 家では家で何事か言ってくるだろうし。気の休まるときは寝るときくらいになるかもしれない。早々に別の生贄を探す必要がある。例えば……そう、今自分の横で眠りこけている、レンとか。

「……ん」

 そんなネロの思考を悟ったわけでもないだろうが、

 レンは小さく身じろぎをして、寝返りをうった。

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