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魔術大全

 

 学校と言うからには図書室がある。当然である。

 図書室と言うからには本がたくさんあるわけであり、その本もまたいくつかの種類に分けられている。これもまあ、当然のことだ。

 しかし。

 グラウンドが四つまるまる入るような面積の、脚立を使わなければ真ん中にも届かないような本棚で埋め尽くされた場所を本当に図書『室』と呼んでいいのかというと、それはちょっと怪しいのではないかとネロは思うわけである。なんせ、校舎の中にないのだ。でかすぎて入らないのだ。一個の独立した建物として校舎の南側に存在しているのである。

 内容量も半端ではない。普通の小説や文芸誌から、魔術の理論、哲学、歴史。七歳くらいに習いそうな算数から一生かけて一問解けるか解けないかといった超高等数学、著名人の自伝などなど。たまにエロ本も混じってたりする。中をくりぬいて現金や白い粉を隠してある本も、探せば見つかるかもしれない。

 視覚的、精神的な理由から入るだけで威圧感を感じるため、大抵の生徒はこの建物をスルーしている。中にいるのは、よほどのガリ勉か昼寝してる奴か、苛められっ子と彼を連れこんだ苛めグループか。もしくは、どうしても調べなければいけないものがあって仕方なく来ている奴か。そう、ちょうど今のネロ達のように。

 

             

「ホムンクルスの作り方だなんて、無茶言うよなあ」

 脚立に座ってページを繰りながら、ネロは静かにぼやいた。仮にも図書室、大声を出すのはマナー違反なのだ。

『高等魔術基礎』の課題として出されたのが、ホムンクルスの作り方を調べろというものだった。教科書には載っていないので、図書室に来るしかなかったのだ。

 ホムンクルス。

 魔術によって生み出される生命体のことである。人間と変わらないような姿で。力はあまり強くないが、その分魔力は人間より遥かに強力なものを持っている。そして、大体外見は美少女だったり美人だったり、美少年だったり美青年だったりする。ここらへんは個人の感性にもよるが、一般的に見て、という意味だ。

 上手く教育すれば非常に役立つ存在であるが、逆に失敗すると手のつけられない不良になってしまう。正に人間の子供そのもので、教育は専門の調教師が行うことになっている。『可愛い女の子』の姿をしたホムンクルスが『調教師』に預けられて育つという想像をして少し興奮したのも、今では懐かしい思い出である。

 もちろん、調教師はムチを持った鬼のような人物ではない。逆である。怒りなどまるで知らぬかのような、常に笑みをたたえた童話に出てくるお爺さんお婆さんのような人だ。考えてみれば当たり前で、ムチなんかでしばかれながら育ってまともな性格になるわけがない。

 そう考えると、ホムンクルスはある意味人間よりもよほど良い環境で育っている。そりゃ職業選択の自由はないが、将来は奴隷というわけではないし、雇われ先の人間によってはそのまま恋人みたいになることもあると聞く。しっかり子供を作ることもできるので、天使や悪魔とも恋仲になる人間がいる以上、ホムンクルスだけ例外、というわけにもいかないのだ。ただ、人ではないので結婚することは不可能らしい。そこはまあ、教会側の事情というやつだ。

 ……ちょっと待て。ネロは考えを中断する。

 力はあまり強くないが、魔力はバカみたいに強力である。

 見た目も人間と変わらず、しかもけっこう美人だったりする場合が多い。

 ……これは、レンそのものではないだろうか。

 決定的な条件ではないので何とも言えないが、少なくとも満たしてはいる。魔力と見た目に関しては言わずもがなだし、力も決して強い方ではない。エンチャンターのクラスの中でも一、二を争うほど弱いとフィルが言っていたから間違いない。

 レンの正体は、ホムンクルスなのかもしれない。

 ということは、レンも昔『調教師』さんのところに……と、ネロが別の世界へ旅立とうとしたとき、

「おい、ネロ」

 下から声がかかった。慌てて返事をする。

「な、なんだ!?」

 不自然なほどに裏返ったネロの声を訝りながら、クロが言ってくる。

「何ボーっとしてるんだ? 後遺症か?」

 先週の、海での出来事のことだろう。ラストとかいう女性のことは伏せておいたが、それでもケルベロスの痕跡が、ただ事ではないことを十分過ぎるほど示していた。

 魔物があまりに強くて、という説明でフィルは素直に納得したのだが、クロは完璧に信じていない様子だった。クロは元々鋭い部分がある上に、ネロもあまり嘘が得意ではない。ウリエルがそれとなく話を終わらせてくれなければ、ゲロしてしまっていたかもしれない。

 後遺症か? という質問も、おそらくはカマかけを含んでいるのだろう。あれで済んだはずの一件に、まだ何か気になるところがあるのか? と。何の関係もなさそうな質問だが、それとなく漏らしただけでクロは察知してしまう。本気になったクロはそんなこと朝飯前にやってのける。

 どう答えるべきか、とネロは悩む。「いや、別に」では怪しまれるかもしれない。「何でもない」も微妙だ。「ちょっとな」なんて答えた日には拷問にかけられる可能性もある。そうするとどう答えれば……と、クロが再び言ってきた。苦笑しながら。

「そんな警戒しなくても、こないだのことはもう何も言う気はないから安心しろ」

 読まれていた。これはこれで驚くネロに、クロは更に続ける。

「どんな理由であれ、お前は俺に言うべきじゃないって思ったんだろ? ならいいさ。別に無理して聞くことでもないし。言うべき人にまで言わないでおくほど、お前はバカでもないだろうし」

 肩をすくめる。その姿を見るネロは、複雑な思いだった。

 言うべき人とは、おそらくハドリックのことだろう。

 だが、ネロはハドリックにもこのことを言っていない。ウリエルから口止めされたのだ。時期がきたら自分が話す。だから黙っていろ、と。

 そんなことは知る由もないだろうが、クロは唐突に話題を変えた。

「ここはお前に任せるよ。俺はもう一本向こうを見てくる」

 と言って、本棚を指差す。向こうの通路を見てくる、という意味だろう。

「分かった。こっちは俺が見ておくよ」

「頼んだ……あ、そうだ」

 と、向こうを向いて振りかえる。

「何となく今まで言いそびれてたけど。また会えて良かったな」

 それだけ言って、前を向いてしまった。照れている? いや、クロに限ってそんなことはありえない。

 本心からの言葉には違いないだろうが、言うだけ言ったし、時間も惜しいからもう行く、ということなのだろう。

「良かった……んだろうなあ、やっぱり」

 誰にともなく呟く。実は、ウリエルの態度があまりにも変わっていないため、十年間離れていたという感じがしなくなってきているのだ。それに、この十年何をしていたのかと聞いても、「お花を摘んでたの」とか何とか言って本当のことを話してくれない。おまけにまだラストがいる。素直にはなかなか喜べない、複雑な状況だった。

 しかしまあ、ラストもさすがにここまでは来ないだろうし、ウリエルは昔から本が大嫌いである。それでよく天使やってられるなと思うのだがとにかく嫌いなのである。図書室なんぞに来るわけがない。今ごろは、ハドリック相手に遊んでいるか外で遊んでいるかのどちらかだろう。

 つまり、邪魔者は来ない。ゆっくりと調べ物ができるということだ。

 なんだか久しぶりな気がして、そこはかとなく幸せな気分で本を戻した。ホムンクルスのことは載っていなかった。

 隣の本に手をかけようとして、ネロは『それ』に気がついた。

 今読んでいた本と、手をかけた本の間。なぜ気付かなかったのだろう。そこにも一冊、本があった。古ぼけた、他とは書かれた時代が違うような本。左隣の本から手を外して、こちらに手を触れる。

 ――ドクン、と。

 一瞬、体の奥で何かが脈打つような感じがした。

 不審に思って己が体を見下ろすが、特に異常なところはない。首を捻りながらも、ネロは本を取り出した。

 装丁はシンプルなものである。何の飾り付けもされておらず、表紙に素っ気無く『領域を侵した者』と書かれていた。

 領域を侵した者。

 ホムンクルスとはまるで無縁な気もするが、目次だけでも見てみることにする。ひょっとしたらひょっとする、ということがあるかもしれない。

 第一章は、『悠久の砂時計』

 おとぎ話によく出てくるものだった。二つで一組の奇妙な形をしており、片方は上から下に、もう片方は下から上に砂が『落ちる』。それを『落ちる』と言うのかどうかはともかく、そうしておくと、一旦下へ落ちた砂は隣の砂時計によってまた上に上げられ、上げられた砂はまた下へ落ちて行き、再び隣の砂時計から、といった具合に、無限のループを続けることになる。砂は実は一日分の時間であり、このループは『その日』を永遠に繰り返す、というもの。実在などするはずもない、空想上の道具だった。

 第二章は、『夢の迷い子』

 なんだこりゃ、と思う。道具が出てきたと思ったら今度は人だ。しかも、同じ伝説上の。

 夢の迷い子とは、遠い昔、まだ神々の時代であった頃に生まれた一人の少女のことだ。人間とは思えないほどの魔力を持ち、それ故に人々から疎まれ、ついには神によって処刑されてしまうという、救いが何もない物語である。処刑された少女の魂は今も自分の夢の中を漂い続け、誰もいない、花の咲き乱れる楽園で、一人ぼっちで孤独な平和を楽しんでいるという。当然子供からの評価は惨憺たるもので、今ではほとんどの親が知ってもいないというお話だ。ネロはたまたまウリエルからその話を聞かされて、それで知っていたのである。

 どうもこれは、そういうものを集めた本らしい。これではホムンクルスなど出てくるはずがない。軽い失望感とともに、ネロは本を閉じようとして、

 

 

『第三章』

 

 

――魔術大全

 

 

 目を見開いた。閉じようとしていた手を慌てて止め、そこに書いてある文字を凝視する。間違いない。年季の入った紙の上、そこには『魔術大全』とはっきり書かれている。

 ラストの声が脳裏に蘇る。魔術大全の後継者。信じているわけではない。信じられるはずもない。しかし、しかし――

 震える手で、ページをめくった。

 魔術大全。

 この世の全ての魔術が納められていると言われる、究極の存在。

 それでいて、誰も目にしたことがないもの。悠久の砂時計と同じく、伝説上のもの。

 そんなものの後継者など、いるはずがない。頭のおかしい女が世迷言をほざいただけだ。そうに決まっている。

 だが、

 

 

 ラストの言葉を言ったとき、なぜウリエルは戸惑った?

 

 

 はっきりと思い出せる。クロ達を待っているとき、冗談半分に言った。あの女が言った。自分は魔術大全の後継者だと。

 ウリエルが驚く表情など、初めて見た。目を見開いて、口を半開きにさせて、何かを言おうとして途中で詰まったかのような。あれは一体何を表していた? なぜウリエルは驚いた? なぜ返事をするのにもたついた?

 

 

 ひょっとしたらこの本に、その答えがあるかもしれない?

 

 

 なぜだろう。体が熱い。頭がくらくらする。一旦本を置いて休みたいのに、手が勝手にページを繰っていく。止まらない。夢の迷い子の章が終わる。あと三回、あと二回、あと一回、『魔術大全』の章を開く。

 ――魔術大全とは、神々の――

 そこで、ネロの意識は途切れた。

 

 

 虚空から突如として現れた手が、淹れたばかりのコーヒーの入ったカップを取った。そのまま口あのあるらしい場所まで移動し、ずずず、という音を立てる。そして、

「……苦い」

 率直な感想とともに、ウリエルが姿を現した。眉をしかめながら言ってくる。

「苦いよ、これ。ハドリックって相変わらずコーヒー淹れるの下手だね」

 昼休みの間に一息つこうと思っていたハドリックは、静かにため息をつく。もう無理だ。一息など絶対につけない。

「砂糖も何も入れてないんだ。苦くて当たり前なんだよ」

 手を伸ばしてカップを取り返す。後々騒がれるのも面倒なので、ウリエルが口をつけた部分とは反対のところから飲んだ。

「砂糖入れないの?」

 忌々しげにカップを見ながら、言ってくる。ハドリックは素っ気無く言い返した。

「入れない」

「入れようよ」

「僕は入れない方が好きなんだ」

「わたしは入れた方が好きなの」

「君の好みなんか知ったことじゃない」

 にべもない言葉に、ぶすっとむくれるウリエル。見た目以上に幼く見えるその姿は、間違っても天使には見えない。一度聞いてみたいのだが、天使とは皆こうなのだろうか。それともウリエルが特殊なのだろうか。

 個人的には後者だと思うのだが……と考えながらも、ハドリックは別のことを言った。

「それよりウリエル。学校には来るなとあれほど言っただろう」

「いいじゃない。姿は消してたんだし」

「今現してるじゃないか」

「だってこの部屋、ハドリックしかいないし」

 ハドリックがいるのは教師用の個室である。窓から覗くなどという酔狂な輩がいない限りは、確かに見られる心配はない。

 だが、問題はそういうことではないのだ。

「あのなウリエル。君は仮にも天使だろう。おいそれと人間界に来ていい立場じゃないはずだ。そこらへんを分かっているのか?」

 説教するような口調が気に食わなかったのか、ウリエルはムっとした声で返してきた。

「言われなくても分かってるわよ。だから、姿を見られても正体だけはばれないように努力してるじゃない」

「クロ君とフィリアス君には一発でバレたそうだが」

「あの子達はネロの友達でしょ? わたしの特徴くらい知ってても不思議じゃ――、」

「彼らはネロの過去を知っているから、無闇に詮索などしなかった。君については、変な天使がいたらしいってことだけしか知らなかったはずだよ」

「……」

 弾切れらしく、ウリエルが黙る。学校にはもう来るなと、ハドリックはもう一度言おうとして、

「ハドリック先生!」

 いきなり扉が開かれて、ハカリという名の事務員が飛び込んできた。慌てて目を向けると、さすがと言うか何と言うか、ウリエルは既に姿を消していた。

「どうした?」

 落ち着きを装った声で、聞く。ハカリは何度かどもり、途切れ途切れに言った。

「ネロ、さんが……図書室で、倒れたって……」

 姿の見えないウリエルと、思わず顔を見合わせた。

 

 

 本当に倒れていた。

 保健室のベッドの上で、ネロは静かに眠っていた。

「さっきまでは熱があったんですけど。今は何ともないみたいです」

 付き添っていたクロが言った。そして、怪訝そうな表情でハドリックの頭上を見る。ウリエルの気配を察したらしい。

「気にしないでくれ」

 そう言うと、クロは「はぁ……」と言いながら、状況を説明した。

「図書室で調べ物をしてて、途中で離れて別々の場所にいたんです。そしたら脚立の倒れる音がして、行ってみたら、こいつが気絶して倒れてました」

 手短であるが、おそらくクロにもそれ以上は分からないのだろう。しかし、付き添いがクロだけという点が気になると言えば気になった。

「フィリアス君とレン君は? 一緒じゃなかったのか?」

 そう聞くと、クロはなぜか「あー……」と言葉を濁した。

「一緒にいたことはいたんです。別の場所で調べてて、倒れた音でやっぱり飛んできたんですけど……」

 自分でも何がなんだか分からないらしく、しきりに首を捻っている。

「一緒に落ちてたから、多分ネロが読んでた本だと思うんですけど。それ見たら、なんでだかレンがひどく取り乱して。錯乱状態になっちゃって、今外でフィルがなだめてます。なんか、怯えてるように見えましたけど」

「怯えてる? 本を見たら?」

「はい。それなんですけどね」

 と言って、ハドリックの脇を指差す。ちょうど死角だった上クロに気を取られて、気付かなかった。ひどく古ぼけた本が、机の上に乗っていた。何の飾り気もない表紙には、素っ気無く『領域を侵した者』と書かれてある。

 これが一体? と思う間もなく、頭上から物凄い勢いで、ウリエルが本を手に取った。

「これ!?」

「きゃっ」

 まだいたらしいハカリが、突如として姿を現したウリエルに悲鳴を上げる。が、そんなことにはまるで構わず、ウリエルはクロに掴みかかった。

「これ! この本どこで見つけたの!?」

「さ、さあ? ネロと一緒に床に落ちてたから、図書室のどこかにあったとは思いますけど」

 首を締め上げかねない剣幕のウリエルにたじろぎながら、クロが言う。ウリエルは勢いそのまま、眠っているネロに歩み寄った。

「こらっ! 呑気に寝てないで起きなさい!」

 と、手を振り上げて横っ面を張ろうとする。クロとハドリックが慌てて止めに入った。

「ちょ、ちょっと待って! 一応病人なんだし、起きるのを待った方が!」

「ウリエル! こら動くな、待て! そうだ昼飯を食べに行こう! 学食で好きなものをおごってやるから!」

 結局おさまらなかったので、ハドリックの個室に連行し、二人がかりでなんとか動きを封じ込めた。多少落ち着くまでの五分間、その間の身動きを封じるために、天才の名を冠する二人は全精力を使いきったのだった。

 

 

 ――力が欲しいんだろう?

 ――何者にも負けない力が欲しいんだろう?

 ――お前はそれを持っている。何を我慢している?

 ――解き放て。

 ――解放しろ。

 ――お前は手に入れられる。簡単だ。それだけでお前は究極の存在となる。

 ――さあ、殺せ。あの娘を。

 ――殺せ、殺せ、殺せ、ころせ、コろせ、コロせ、コロセ、コロセ、コロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセ――

 

 

「うわっ!」

 跳ね起きた。目に入ったのは、窓からの光で見えているベッドの毛布だった。まばたきすら忘れて、しばし目の前を凝視する。ここが保健室であると理解し、汗だくの全身と荒い呼吸を感じたのは、しばらく経った後だった。

 何だ今の夢は?

 誰かを、殺せ? そうすれば、究極の存在になれる?

 誰を?

 聞いたはずだが、思い出せなかった。それにしてもバカバカしい夢を見たものである。究極の存在などと、ラストの影響だろうか?

「随分うなされていたわね。怖い夢でも見た?」

 ……女性の声だった。

 しかも聞き覚えがある声だった。

 あまり覚えていたくない声でもあった。

 顔を向けたくないが、そうすると彼女の方から回りこんで来そうな気がする。ネロは仕方なく、目だけを声のした方に向けた。できれば自分の勘違いだといいなと、微かな希望を頼りにそう願いながら、

「久しぶりね。と言っても、先週会ったばかりだけど」

 希望は打ち砕かれた。木っ端微塵に。完膚なきまでに。

 ラストが、壁に背をもたれながら立っていた。

「……何の用だ?」

 嫌悪も露わに言いながら、頭の中で考える。ハドリックとウリエルががっちり周囲を固めているから、レンは人質になっている心配はない。そうするとクロかフィルだが、どちらもおとなしく人質になるようなタマではない。怪我の一つや二つは意地でも負わせるはずである。

 そういうネロの思考を読んでか、ラストは言った。

「人質なんかとってないわよ。今日はあなたを誘いに来たわけでもないし」

「じゃあ帰れ」

 冷たく言うが、ラストは動じないどころか、可笑しそうに笑ってすらいる。

「そう言わないで。あなたにとっても有益な話よ」

「話を聞かせたい相手に、無益な話とは言わないだろうな」

 あくまで聞く気のないネロに軽くため息をつき、ラストは勝手に話し始めた。

「今日は、昔話をしにきたの」

「聞くなんて言ってないぞ」

「聞き流したらいいでしょう。勝手に喋るのは私の自由」

 すました顔で言ってくる。そんなら聞き流してやるとばかりに、クロはベッドに横になった。毛布を頭まで被る。子供っぽいが、耳をふさぐ方法と言ったらこれくらいしかないのだ。

 だがそれでも、ラストの声は聞こえてきた。

「内容は、夢の迷い子と魔術大全」

 ……思わず耳を傾けてしまう自分が、どうにも情けなかった。

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