魔術大全
| ――神よ。 ――わたしはあなたに問います。 ――なぜ、望まぬ力は罪なのですか? ――持ちたくもなかった力だというのに、なぜ彼女は咎められるのです? ――神よ。我らが父よ。 ――彼女はもう、許されるべきです。 半年の間、状況は、面白いほどに変化していなかった。 天界からは何も言って来ず、禁忌を犯したネロにも、冥界の王などという物騒なヤツを召喚したクロにも、何のお咎めもなかった。 ウリエルも、あれきり何の音沙汰もない。いくらなんでも、無事でいるならとっくに姿を見せていいはずである。それがないということは…… ネロは、極力そのことを考えないようにしている。 事を起こす力のある者は、その力に見合うだけの精神力を持っていなければならない――半年前に、クロから散々言われたことだ。 力を持つ者は、その力を制御しなければならないのだ。 ……しかし、である。 「にしても、便利な能力だよな」 学校敷地内のベンチ。いつか、ネロがフィルに電撃を食らいそうになったあの場所であるが、今はすっかり修復されていた。ネロはそこに座っている。クロと一緒に。男二人並んで。 ネロに説教をした割には、クロは何かと魔術大全を利用していたりする。そりゃ便利なのは分かる。通常の場合、魔力が動けば学校の教師は全員察知してしまう。これではこっそり魔術を使うことができない。 だが、魔術大全にその心配は不要なのだ。奇蹟を起こすのは、ネロの中に眠る溢れんばかりの魔力である。ちょっと余分に使うだけで、学校どころか世界中の魔術師達の目から隠れることが可能なのだ。確かに便利だ。隠密行動には持って来いだろう。だが、しかし…… 「……今度は何をさせる気だ?」 警戒しながらネロは問う。ひどいものは断るつもりでいるが、いかんせんクロには借りがある。ラストの件を片付けたのもクロだし、それ以前にも色々なことを察してもらっている。あまり邪険にもできないのだ。だから、例えば高価な薬を盗って(採ってではない)きてくれと言われた場合、渋々ながらも頷かざるを得ないときがある。 だが、半年の間に大分借りは返した。犯罪になるようなことは、もう断ってもいいはずである。そう思いながら身構えるが……クロは、苦笑してこう言った。 「今日はそのために呼んだんじゃない。話があったんだ。お前には言っておいた方がいいと思ってな」 ネロは警戒を解かない。なにせ、相手はクロである。話術で人を騙すくらい朝飯前にやってのける……気がする。 疑う気満々のネロに、クロは苦笑をしたまま口を開く。 ――そこから出た言葉に、ネロの警戒心はあっさりと消し飛んだ。 「前に、お前がウリエルを避けてた頃に聞いたんだ。ウリエル本人から」 「なっ――」 ウリエルの話。当たり前だがそんなものは初耳である。驚くが……同時に疑念も沸いた。そんな話があるなら、なぜもっと早く言わなかった? それに答えるように、クロは言った。 「正直、それほど重要な話でもなかったみたいでさ。なんか愚痴みたいな感じだったんだ。そこにあの一件があったから、今まで忘れてた」 「……何を聞いたんだ?」 納得ができたわけではない。だが、それよりも話を聞きたかった。自分が知らない、ウリエルの言葉―― 「聞いたっていうか、俺達――俺とフィルの事だけど、俺達が聞かれたんだ。ハドリックにも聞いたみたいだけど、一応ってことで」 「何を?」 「お前が、一度でも、昔の家に帰ったことがあるかって」 「……昔の家?」 ネロが今まで住んだ家は、二つしかない。今住んでいるハドリックの家と、もう一つ。十年前、ウリエルと共に住んでいた家だ。 「あの家がどうかしたのか?」 そう問いかける。クロは、軽く肩をすくめ、 「さあ。何かあるのかは俺達も聞かされてないけど……ただ……」 「ただ!?」 首を絞める勢いのネロに、クロは軽く身を引く。明後日の方を向き、思い出すような口調で、こう言った。 「何か残してきた、とは言ってたな。手紙だか神聖文字だか……だから――」 そこから先のクロの言葉は、耳に入っていなかった。 あの家に、ウリエルの残した何かがある。十年前に残した物だ。今のこの状況を打破するものとはとても思えない。 だが、それでも、そこに“何か”はあるのだ。 ――行きたい。 今すぐ、あそこへ―― 「だから、もしかしたら何か手掛かりが……って、もういねーし」 振り向いたその先に、ネロの姿はなかった。“行った”のだろう。せっかちな奴である。ベンチの背にもたれ、静かに息を吐いた。バレやしないかと少し不安ではあったが……どうやら上手くいったようだ。 ウリエルに関しての話は、全て出まかせである。ウリエルから何か聞かれたことなどなかったし、その家に何か残したという話も全く聞いていない。それを承知の上でネロを向かわせた。なぜなら、今朝―― その時、隣に誰かが腰を下ろした。何の断りもないその無礼者に、クロは声をかける。 「あれで良かったんですか?」 「上出来だったよ」 ハドリックは、満足そうにそう言った。 ネロに、昔の家へ帰るよう仕向けてくれ――今朝ハドリックにそう言われ、こうして実行に移したわけなのだが。フィルに色々――ご馳走や二人分の生活用品と、脈絡がないにもほどがあるような代物――買わせたり、クロに意味不明の頼み事をしたり。ハドリックは、どうも今朝から行動が怪しい。 クロの疑いの眼差しを感じたのか、ハドリックは口を開いた。 「ウリエルから頼まれたんだよ」 「……は?」 思わず間抜けな声を出した。自分の視線が、疑惑から困惑へ変化するのが分かる。 「今朝のことだ。彼女から連絡が入った。一段落ついた。ついては、ネロと二人きりで話したいから、昔の家へ向かわせてくれ、と」 「連絡が入った……? 本当に?」 「嘘をついてどうする」 それはそうだが、話はあまりにも唐突だった。半年間ずっと音沙汰なしだったのだ。いきなり連絡があったと言われても、正直、ピンと来ない。 「それで……どうなったんです?」 「どうなった、とは?」 「レンのことっ」 連絡をしてくるくらいである。ウリエルの方は、まあ穏便にとはいかなかったかもしれないがとにかく何とかなったのだろう。だが、レンの方は? 彼女がそう簡単に解放されるとは思えない。しかし、ひょっとしたら―― ハドリックは、静かに頷いた。 「彼女は許された。ウリエルがかなり粘ったようでね。ウリエル自身の立場も崖っぷちだったから、かなり冷や汗をかいたようだが」 「……許された?」 と言うことは、レンはもう……? 「ああ。……いや、ただ……」 そんなうまい話はない――そう言うかのように、ハドリックは言葉を濁した。 「何です? 何か条件でも……?」 「いや、条件と言うか……実は――」 ハドリックは語った。レンが許されるようになった経緯。 聞いた後しばらく、クロはただ呆然としていた。 「そりゃ、また……」 「まあ、これのとばっちりはネロに被ってもらおう。元々彼らの問題だしな」 まるで他人事のような言葉である。が、確かにネロ一人に被せられるならその方が得には違いなかった。せっかくなので、便乗してしまうことにする。 「……そう言えば、なんでウリエルはわざわざ昔の家を? 別にこっちでも――」 気を取り直して、そう尋ねた。二人っきりで話せる場所などいくらでもある。思い出の場所と言えば確かにそうだろうが、別にそんな場所を使う必要はない気がした。 ハドリックは、呆れたような苦笑を見せる。 「心の準備がしたいそうだ」 「……は?」 思わず問い返した。やれやれといった感じの口調が、返答してくる。 「ここよりも向こうの方が、自分の気持ちに正直になれるらしい。苦い思い出がない分気が楽なんだろう……思い出の場所であればネロも丸くなるだろう、という魂胆もあるだろうけどね」 「丸くなるって……あいつはもう、ウリエルのことは嫌ってませんよ?」 「僕もそう言ったんだが、自分の目で見るまではどうしても信じられないらしくてね」 ……つまり、多少特別な場所でないと話もしづらいと。だからわざわざ場所を指定したと。そういうことだ。何と言うか……非常に天使らしくない振る舞いであるし、それ以上に―― 「……世話の焼ける」 「全くだ」 しみじみと呟いたネロに、ハドリックがしみじみと同意した。 十年もの間、入る人は一人もいなかったらしい。家の中は十年前と同じまま、ただ埃だけが積もっていた。窓ガラスは曇り、もともと古かった床板は、ところどころ腐っていた。 ウリエルのメッセージなど、どこにもなかった。神聖文字も、手紙の影も形も。クロが自分を謀ったのだろうか? 帰ろうか、とも思った。だが、ここに来るのは実に十年振りである。もう少しくらいいてもいいだろう。ネロはそう考えて、室内をゆっくり歩き回る。埃が積もって真っ白になったテーブル、その上に乗った二つのカップは、最後の晩にココアを飲んでいたものだ。手を触れる。これで一杯飲んだ後、ウリエルにいつも言われた言葉があった。『ネロ。子供はもう――』 「――子供はもう、寝る時間だよ」 ……こいつはいつも、人の意表を突くような登場をする。狙ってやってるのか知らないが、たまにはもう少し普通に出てきて欲しいものだ。 まあ、天使らしいと言えばらしいのだが。ネロは振り向き、言った。 「俺はもう子供じゃない」 ウリエルは、驚いていた。そう言えば拒絶したまま別れてしまっていたのだ。ネロは照れくさいやら何やらで、一つ頷いたまま目を背けてしまう。 視界の端で、ウリエルが安堵したような笑みを浮かべた。 「わたしから見れば、まだ子供だよ」 「そりゃ天使から見れば、人間なんて誰だって子供だろ……」 どうにもやりにくい。なまじ親しかった分、こうなってしまうと溝があるような違和感がある。ましてやネロは拒絶した側。どういう顔をすればいいのか、分からなかった。 ウリエルが近寄ってくる。すぐ隣に立たれても、ネロは彼女の顔を直視できない。 「……お互いに言いたいこと、話すべきことは色々あるけど……とりあえず、それは後に回そうと思うの。ネロ……」 この上なく優しい声で、ウリエルは言った。 「とりあえず、一発殴らせて」 「は? ウリエル、いった――」 目の前に、拳があった。 ネロは一応ウィザードである。当然戦闘訓練も受けている。素人に真正面から殴られたところで余裕で避けることくらい朝飯前なのだが……今回は、相手が悪かった。頭が一瞬で思考を停止させ、ネロは成す術もなく一撃を食らう。 非力な少女の姿をしている割に、威力はけっこう強かった。フィルくらいになら殴られてもビクともしないネロが、思わずたたらを踏むほどには。 「あー……すっきりした」 「すっきりするなっ 何だいきなり! 何か恨みでもあるのか!」 気まずさなどかなぐり捨てて、怒鳴った。ほんのさっきまで見せていたしおらしい態度と明らかに違う。なんだか微妙に騙された気分になり、それがネロの怒りに拍車をかける。 だが、ウリエルも負けてはいなかった。 「恨み!? 大有りに決まってんでしょ! よくもまああんだけシカトこいてくれたわね? 一発で済んだだけでも感謝しなさいよ!」 「するかボケッ 悪いのはお前じゃねーかよ!」 「あんたが妙な力持ってたのが悪いんでしょっ そのおかげでわたしがどれだけ苦労したと思ってるのよ! 挙句にはレンにまで会いに行くし、後先少しは考えなさい!」 「それがどうしっ――なんだって? 後先って……」 怒鳴り返そうとして、ふと音量を下げる。後先考えろということは、そのおかげで何かあったということだろうか? しかし、自分には特に何も……その一瞬の隙を、ウリエルが突いてきた。 そしてネロは、口がきけなくなった。文句など死んでも言えなくなった。なぜなら―― 「あんたはレンに会うし、クロは冥王なんてヤツを召喚するしっ それ揉み消すためにわたしがどれだけ駆けずり回ったと思ってるの! ただでさえ自分の立場危うかったのに! おまけにレンのことまでどうにかしなくちゃならなかったし!!」 ウリエルは、ネロ達の起こしたことを揉み消すために、半年間連絡も寄越さなかったのだ。そんなことをしている暇などなかったから。レンの分身を逃がしたり、監視していた魔術大全は目覚めたりと、ただでさえ不祥事が連発していたというのに。 「ウリエル、その、ごめん……」 ウリエルは、しかし聞く耳を持たない。 「天界の審議会に自分が出廷したときは、寿命が二、三千年縮む思いだったわよっ 分かる!? 周り中神様ばっかりで、その中で審問受けたわたしの気持ちがあんたに分かる!?」 「……いや。ごめん分からな――」 「しかもそこで、あんた達だけじゃなくてわたしとレンについても申し開きさせられるし! 仕方ないからとりあえず無罪だけ主張しといたわよ、望まぬ力は罪なのですかーってね!」 「そ、そりゃ大変だったね……」 「そーよ大変だったの! しかも、これまでの不祥事とあんた達の愚行の償い代理と合わせて、今までコツコツ貯めてきた徳が全部パーになっちゃったのっ 階級も大天使から見習いまで一気に降格! こんなのってある? 納得できる!?」 徳とはつまりポイントのことだ。手柄を立てれば溜まっていき、出世その他の材料となる。ウリエルの場合、この徳を全部没収されて更に階級を最下位にまで下げられた……つまり、完全に振り出しに戻ったのである。悪印象がついているだろうから、下手するとマイナスからの出発かもしれない。 そこまでしなければ、全てを片付けることはできなかったのだろう。ネロとクロは、本来助けなくてもいいはずの相手だというのに。 これでもう、一生ウリエルには頭が上がらないな……そんなことを思いながら、ネロは口を開いた。ウリエルは壁に向かって「あたしの今までの人生って……」とか呟いている。 「ウリエル……その、ありがとう」 「……これ」 ウリエルは向こうを向いたまま、手を差し出してきた。そこにあるのは……天使の羽根。 思わず顔を上げると、目だけこっちに向けて、ウリエルが言ってきた。 「これ、そのまま天界への通行証になるから。早く迎えに行ってあげなさいよ……受け取れないなんて言ったら殺すわよ」 実は言いそうになっていて、慌てて口をつぐんだ。 そして、疑問に思う。 「迎えに行くって……誰を?」 「バカ」 にべもなく、そう言われた。 「言ったでしょ。レンについて申し開きをしたって」 ――望まぬ力は罪なのですかって……ウリエルがさっきそう言っていたことを思い出す。迎えに行けと言うことは…… 「あの子の封印はもう解かれてる。だから、早く行ってあげなさい」 楽園に風が吹く。 レンは不思議そうな顔をしていた。事情を何も聞かされていないらしい。結界は解かれたもののどうしていいのか分からず、結果何をするでもなく事態を傍観するしかなかったらしい。 現れたネロを見つけたとき、レンの顔には驚きと同時に安堵が浮かんでいた。 互いに話のできる距離まで近づき、先に口を開いたのは、ネロだった。 「ウリエルが頑張ってくれたんだ……俺達、もう一生あいつに頭上がらないよ」 それでも分からなかったらしく、レンはきょとんとした表情を浮かべている。 ネロは、手を差し出した。 「出よう」 そして言う。おそらく、彼女がずっと心待ちにしていた言葉を。 「君は許された」 レンの顔に、徐々に理解の色が広がって行く。泣きそうになり、次いで無理な笑顔を作り、 差し伸べた手に、ゆっくりと、もう一つの手が重なって―― |
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