モンスター・ハンター

 

「……で、できた?」

 なぜか、死闘を繰り広げた直後のような疲労しきった声で、草一は言った。その祈るような視線の先には舞花がいる。彼女はおずおずと、手に持った一枚のプリントを草一に差し出した。

 それを受け取って目にした途端、草一は糸が切れた操り人形の如く、ばったりと倒れた。彼本来の体力やら元気やら、とにかくそういう要素がチリ一つ分も見られないその表情のどこかで「これでやっと楽になれる」と言っている。彼は、何もかも投げ出して今安らかな眠りにつくことができたのだ。合掌。

 ところが、世の中はそんなに甘くない。邪魔者は草一がせっかくたどり着いた楽園にずかずかと土足で上がりこみ、あろうことか大声で、

「草一君、だいじょーぶ!?」

 安眠を木っ端微塵にぶち壊す、舞花の声。

 心配している気持ちは分かる。自分のせいで倒れたのかと思うといても立ってもいられないという気持ちは、彼女が純粋な優しさの持ち主であると語っている。ただ、こう言っては難だが、

「草一君、起きて、寝たら、寝たら死んじゃうよぉ!!」

 せっかく気持ちよさそうに寝ている人間をガクガクと揺さぶるのは、非常に残念だが愚行以外の何物でもない。いや、起きないと遅刻するとか命が危ないとかなら容赦なく、ひっぱたいてでも起こすべきだろうが、今回は遅刻の心配も命の心配もないし、雪山遭難じゃないんだから寝たら死ぬなどということはありえない。

「草一君……だめだよぉ」

 何を考えているのやら、舞花は涙声にすらなっている。ちなみにクラスメイトその他がいないときは、彼女は草一のことを君付けで呼んでいた。経験が皆無なもんだから人の名前を呼び捨てにすることに抵抗があるのだ。

「草一君、草一君!!」

 ついに涙を浮かべ、舞花は狂ったように草一を揺さぶった。ところで、何回も言ってきたように舞花は人狼である。その舞花の『狂ったように』とは、まあ一般で言うところの『狂犬』が最も近い。おまけに、彼女の力は低く見てもプロレスラーくらいある。落ちこぼれとはあくまで種族内の話であり、人間側から見れば正に『歩く凶器』である。そんな馬鹿力で、過労で倒れた人間が前後にガクガク揺さぶられたらどうなるか……

「きゃー!! そ、草一君!!」

 白目をむいて泡を吹いている哀れな草一の姿に、舞花は悲鳴を上げた。

 

 舞花が神崎家に居候し始めて、三回目の土曜日のことである。一年中が休みであった舞花だが、学校に通い始めてからも休日の重要性を理解していなかった。これまで学校どころか人が大勢いる場所にすら滅多に足を踏み入れていなかったため、そういう場所が珍しくて仕方ないのだ。要するに観光気分なわけである。

 ところで、放課後は何をしているのかと言うと。

 草一にみっちり勉強を教えてもらっている。帰ったら夕飯まで勉強。夕飯食べたら二十分の休憩の後勉強。八時頃に入浴して十時まで勉強。その後一時間だけ遊び、十一時にちょうど眠くなるので就寝。夜更かしさせて疲れさせるわけにもいかないし、ちょっとくらいは遊びだって必要だし、と、神崎姉弟が頭を捻って二分で完成させた舞花専用特別カリキュラムだった。本は好きだと言っていたから国語は問題ないとして、社会も丸暗記すればテストはできるからやらない。つまり実質やるのは数学、英語、物理、化学、であり、予定では一週間で小学校はクリアするはずだった。

……のだが、予定はあくまで予定であり、現実がその通りに運ぶことはまずありえない。

どうやら舞花はあまり勉強が得意ではないらしかった。特に暗記物がひどい。計算はそこそこできるようだから数学と物理はなんとかなりそうだが、社会が大問題であった。なんせ、

「舞花ちゃん、1192年に何があった?」

「1192年……? 確かうちのご先祖様の生まれた年……」

 と、日本人なら九割以上は知っているような年号でさえこの調子である。自分の先祖が生まれた年を知っているというのは、それはそれで凄いが勉強には全く関係ない。

 さっき草一が見て悶絶したプリントも歴史である。しかも世界史。日本史すら全く知らない奴が世界史なんぞ知っているわけがなく、草一はわざわざ特製プリントを作ってそれを試しにやらせたのである。「まあ、これだけ簡単なら大丈夫だろ」なんて思っていた。ところがところが、回答は彼の予想を大幅に越えていた。

 例えば次のような問題がある。

『フランス革命で処刑された王様は誰? 

 A:ルイ16世 B:始皇帝 C:○泉総理 D:デビット・ベッカム』

 この問題で、よりにもよってCを選ぶのだからたまったものではない。しかもうんうん唸って。おそらくニュースで聞いたのを思い出したのだろうが、現代のニュースに出てくる時点で間違いだと判断して欲しい。少なくとも草一は心からそう願っているだろう。

 もちろん倒れた直接の原因は、特製プリントを筆頭に舞花専用のアイテムを作って疲労がたまっていたからである。モンスターハンターも人間である。超能力者は別にずば抜けた体力を持っているわけではない。明け方まで起きていて学校行って、帰ったら家庭教師……そんな生活が続けば、普通は倒れる。ちょっとくらい手を抜いたっていいのに、ずっと真面目にやっていたらしい。意外に几帳面である。

 と言うわけで、家庭教師ダウンのためその日はお休みとなった。草一を診た水穂によると「熱もないようだし、疲れただけだろうから寝てれば治るでしょ」とのことである。

 そして、サボるわけにもいかないと舞花が世界史の参考書(これは売り物)を開きかけたとき、まるでタイミングを見計らったかのように真絵から電話がかかってきた。ちなみに彼女は生まれたときから人間の中で暮らしている。父親はそこそこ大きい企業の中間管理職、母親は郵便局でパートをやっている。もちろん両方とも妖狐だ。

 最初の日から、真絵には何かと世話になっていた。まあ、いい玩具と思われているような感がなきにしもあらずだが、同性の、事情を知っている友達というのはなかなか心強いものがあった。

 なもんだから、草一が倒れた直後のこの電話には洗いざらいをぶちまけてしまった。

「真絵ちゃん?」

『こんばんわー。どしたの? なんか声が暗いけど』

「うん、それが……」

 草一が倒れたと伝える。と、間髪入れずに言ってきた。

『よくやったわっ!!』

「え? よ、よくやったって……?」

 困惑する舞花を無視して、真絵は電話向こうで一人納得している。

『偉いわあんた。さすがあたしが見込んだ女なだけあるわ。で、何を盛ったの? 砒素? 青酸カリ?』

「く、薬なんて盛ってないよぉ!!」

舞花は慌てて否定する。『なんだそうなの』と、あからさまに落胆したような声。この少女がどこまで本気なのか、舞花はイマイチどころか全然分からない。さすがは妖狐、といったところか。

『でもさー。倒れるまで勉強させる必要あるの? どうせずっとこっちにいるわけじゃないんでしょ? いるとしてもあんたはそこで働けばいいんだし』

「わたしに言われても……」

『あんたの問題でしょうが。まあ、たまには休憩とかした方がいいわよ。気分転換だって大事なんだからね。草一が起きたらあたしがそう言ってたって伝えときなさい』

「うん……ありがと」

 どこか救われたような気分になりながら、舞花はお礼の言葉を口にした。真絵にはなんとなく姉御肌な部分があるため、どうしても頼ってしまう。

 そこで終わるかと思われた電話は、しかし続きがあった。

『それでさ。せっかくだから、早速明日にでも気分転換しない?』

「? 多分いいけど?」

 

 翌日。

 舞花はなぜか絶叫マシーンに乗っていた。

 いや、なぜかとは言わないだろう。ちゃんと話を聞いて、草一に絶叫マシーンとは如何なるものかも教えてもらって、水穂からお小遣いまで出してもらって、以前に苦しい家計をやりくりしてなんとか買ったお気に入りの服を着て、そしてたどりついた先がこの『地獄特急・バイオレンス』といういかがわしい名前のジェットコースターだったのである。下から見上げている分には、「きゃーきゃー言って楽しそう」という、非常に好意的な印象を持つことができた。

 しかし。印象と現実が必ずしも一致しないというのは世の中の常識である。この『地獄特急・バイオレンス』。高度は普通のジェットコースターだし、ぶら下がった状態で乗る(乗ると言うのか?)わけでもない。しかし……いくつか異常な点がある。

まず、坂を登ってからのタメが異様に長い。なにしろ止まる。坂のてっぺんで、さあこれから下るぞ、という一歩手前でどういうわけか停止する。故障ではなく意図的に止められ、乗客は坂の頂点からのんびりゆっくり眺めを楽しめるというわけだ。

そして長い。遊園地の外周を一回りするのだから半端ではない。しかも、動力がどうなっているのかさっぱり分からないが200メートルほどの直線をさかさまになって走る場所がある。うっかり荷物から手を離すと落ちてしまうので注意が必要だ。そして最後に一際高い坂があり、この上でも例によってしばらく停止し……後ろ向きに下る。何の予告も兆候もなしに、いきなり後ろ向きにガクンと来る。その後もう一回坂を登り、今度は普通に前から降りてようやくゴールである。

 で、これを始めて味わった者は皆一様に……ちょうど今の舞花のような顔をしているのだ。

 目は虚ろ、口は半開き、体中が弛緩していて呼んでも叩いてもまともな返事が返ってこない。それでも、戻ってきた頃には失神している人間もいるのだから、手を引かれながらとはいえ自分の足で歩ける分、マシな方だと言えないこともない。

「……あー、大丈夫?」

 全然怖くないよとかほざいて舞花を地獄特急に乗せた真絵であるが、さすがにここまでひどくなるとは思っていなかったらしい。と言うか自分が乗っても全然平気だったから、舞花だって大丈夫だろうと思ったのだ。実際、彼女はこれに物足りないという評価を下した。

 しかし、現に舞花はこうして死んでいる。ぶつぶつうわ言を呟く、とまではいかないが、幽体離脱しているような感はある。

「ほら、ジュース飲みに行こっ いつまでも死んでないでさ」

「殺したのは誰だよ……」

 ぼそっと呟いたのは草一である。一晩寝たらあっさり回復したのだが、今日は普段の慰労も兼ねて遊びに来ている。地獄特急には乗らなかった。既に洗礼を受けていたからである。

「人聞き悪いわねぇ。あたしは良かれと思って、」

「問題は勧めた方じゃなくて勧められた方の気持ちだと思うけどな」

「うるさいなぁ……いいじゃん、絶叫マシーンなんだからむしろこのくらいになる方が自然なのよ」

「言い訳にしか聞こえないけど……まあいいや。おーい舞花ちゃん、立てる?」

 声をかけられた舞花は答えず、ただ首を横に振ってかろうじて意志を示す。たかが絶叫マシーン一つでなにを大袈裟な、と思うかもしれないが、侮ってはいけない。元々絶叫系が苦手だった、ということもあり得る。見るからに苦手そうだ。

「こりゃダメだ……買ってくるよ。何がいい?」

 店の中や自販機のある場所に行くのも無理と判断たのだろう。草一は苦笑しながら言った。

「あー、んじゃあたしはコーラ。この子は……」

 舞花を見下ろすが、反応はない。よほど衝撃を受けたらしい。トラウマにならないことを祈るばかりである。

「……なんでもいいんじゃない? 適当に買ってくれば」

「……そだね。じゃあちょっと行ってくる」

 

 その男は表向きは金本重人と名乗っている。もちろん偽名だ。本名を明かす必要はない。その名で名乗る相手など、所詮は仕事上の関係でしかないからだ。

 彼の後ろの奴もそう思っているようで、『金本重人』と最初に名乗った名前については何一つ言ってこない。本名なのかどうか、それすらも聞いてこない。わきまえていると言えば聞こえはいいが、単に関心がないだけなのだろう。それに偽名を名乗っているのはそいつも同じだ。山田太郎なんて、もう少し捻りのある名前を考えられないものかと思う。まあ、確かに名前なんてものはどうでもいいのだが。

 所詮は、仕事上の付き合いでしかない。

 

 そしてその山田は今、金本の後ろでしきりに何か言っている。

「何を考えているんですか、あなたは」

 既にうんざりするほど聞いたセリフをまたぶつけられ、金本は見るからにうざったそうな仕草で振り向いた。

「あぁ?」

 凄みのあるその口調に普通の人間であれば口ごもってしまうだろうが、山田は動じない。こんな調子はいつものことだからだ。

「何を考えているかと聞いているんです」

 金森はめんどくさそうに首を振った。その様子は、明らかに相手を馬鹿にしている。

「決まってんだろ。あの人狼の娘を探してんだよ」

「こんな場所にいるわけがないでしょう」

「探してみなきゃ分からん」

「探さなくても分かります」

 山田の意見ももっともな話である。何しろ、ここは遊園地である。しかも『地獄特急バイオレンス』などという得体の知れないジェットコースターがあるわけの分からない遊園地。逃げたからには、人狼の娘は追われていることを知っているはずである。こんな場所で遊び呆けているわけがない。

 それでも強く反対できないのは、金本が過去何回もこういう場所で標的を探し当てたからだった。去年は海水浴場で悪魔を見つけたし、一昨年は高原の別荘で吸血鬼を捕獲した。こいつら追われている自覚があるのか、と思ったが、とにかく金本の『嗅覚』は侮れないものがある。

 今回の場所も、追われている人狼ということを忘れて若い娘であるということだけを考えればそれほど不自然でもない。少なくとも海水浴場の悪魔や高原の吸血鬼よりは可能性はある。

 どのみち、自分が何を言おうと金本は聞く耳持たない。それならいっそまかせてしまおうと、山田は思った。さっきだって一応言っただけで、本気で止めようとしているわけではない。

「おい」

 突然、金本が声をかけてきた。意外と言えば意外な出来事に山田は少しばかり驚く。

「何でしょう」

「お前、あれ乗ったことあるか?」

 そう言って金本は右側を指す。つられて目を向けると、そこには、

「……いえ」

『地獄特急』が、今まさに彼らのいる場所を通過したところだった。

 金本は、山田の返事を聞いて妙に嬉しそうな顔をした。この男がこういう顔をする場合、何が起こるか分からないが自分にとって絶対に悪いことしか起こらないことを山田は知っている。

「じゃあよ。話のタネに、ちょっと乗ってみないか?」

「遠慮します」

 山田は即答した。彼はどうも絶叫系の乗り物というものが苦手である。ジェットコースターでの恐怖など笑い話としか言いようのない修羅場をくぐり抜けているのに、どうも苦手なのだ。

 もちろん、そんなことを言ったら金本は何が何でも乗せようとするだろうから、山田は絶対に言わない。

「いいじゃねぇか、ちょっとくらい」

「あなたは自分の仕事を分かっているんですか? 我々の仕事は、人狼を捕らえることですっ ジェット―コースターの感想をガイドブックに載せるわけじゃないんですよ!!」

 人狼云々はやや声をひそめたが、その後は思いっきり声を荒げた。ひょっとしてこの男、『嗅覚』にかこつけて遊びたいだけなのではないか。去年と一昨年標的を見つけたのも、単に運が良かっただけなのではないか。

「今こうしている間にも、あの人狼はモンスターハンターの手によって、」

「待て」

 始まろうとした山田の説教を、金本は遮った。口調と表情から真剣さがうかがえ、山田は思わず口を閉ざす。

 静かになった山田から視線を逸らし、金本は近くの自販機に目を向けた。十六、七くらいの少年が缶ジュースを買っている。他に人影はない。

 一体何事かと山田が聞く前に、金本は口を開いた。

「おい、小僧」

 金本が少年に声をかけた。が、その声に子供を相手にする余裕はない。少しでも妙な動きを見せたら……言外にそう語っている。つまり、

 本気になっている。

「何を聞いてる」

 

「何を聞いてる」

 ばれたか、と草一は思った。なるべくさりげなさを装っていたが、さすがに相手は部下を持つような立場の人間。一筋縄ではいかない。

 話から察するに、彼らはまだ舞花がここにいることを知らない。が、顔を知ってはいるだろう。舞花のいる場所はここからさほど離れていない。見つからない保証はない。しかも真絵がいる。舞花一人なら自分が連れてなんとか逃げられるだろうが、二人も連れて逃げおおせる自信はない。

 テレパシー能力があるにはあるが、残念なことに草一のテレパシーはひどく弱い。相手の感情を察するのが精々で、こちらから、明確な意志を伝えるなど不可能に近い。

 手には真絵に頼まれたコーラだけがある。これをよぉーく振って相手の顔に……と考えて、草一は苦笑した。マンガじゃあるまいし、そんな手が通じるような甘い相手ではない。

「こっち向け。ゆっくりな」

 凄みのある声で言ってくる。人目があるから手を挙げろとは言わないが、妙な真似をしたら少々危険そうである。

 さて、どうしたもんか。

 必要以上にゆっくりと振り向きながら、草一はモンスターハンターとして、この状況をどう切り抜けるか考えていた。

 

「名前は?」

 と目の前の男が聞こうとする前に、草一は口を開いた。

「名前を聞こうったってムダだよ」

 誤魔化して切り抜けることも考えたが、どうせ自分の動きは監視されるだろう。それならば、演技をするよりもモンスターハンターということを知らせた方が良い。

 案の定、草一の態度に相手は怯んだ様子だった。向こうとしては、聞き耳を立てている奴がいるから関係者かも、という程度だったのだろう。それがモンスターハンターだったものだから大いに慌てている。そんな感情の動きが草一には手に取るように分かった。

 この状況を例えるなら、ヤクザが絡んだ相手が実は刑事だった、というようなものだ。できれば関わりたくない相手に、自分から近づいてしまったのだ。

 ところが、

「へえ、お前モンスターハンターか」

 向こうの上司っぽい男、金本の返事は、草一の予想を越えていた。部下の方は怯みまくっているが、彼は動じないどころか楽しげな雰囲気さえうかがえる。

 そして、更に彼はこう言った。

「だが、お互いに名前を知らないんじゃ不便じゃないか?」

「それじゃ、少年A」

 明らかに馬鹿にしたような草一の態度にも、金本はまったく怒るような気配も見せない。

「そうか。じゃあAと呼ぶ。俺は金本、こっちは山田だ」

 草一は怪訝そうな顔をした。名前なんか名乗って、一体何の意味があるのか。ただふざけているのか、礼儀とでも思っているのか。

 何にしろ、名乗らせた以上、名乗らないのもどうかと思った。

「……神崎」

「あん?」

「僕の名前。神崎」

「そうか。神崎か。じゃあ神崎、お前に一つ聞きたいことがある」

 それまでと何ら変わらない口調で、金本は言った。

「人狼の娘は一緒か?」

「……だったら?」

 舐めたら危ない。そう感じた草一は、慎重に聞き返した。

 金本はまたしても、物凄い返事をした。

「俺が捕まえる」

 

「あのバカ……どこまで買いに行ったのよ」

 苛々と地団駄を踏みながら、真絵は言った。隣には既に回復した舞花がいる。女の子の二人組みと見て話し掛けようとしていた男二人が、その異様な雰囲気に立ち尽くしている。無意識に発されている真絵の妖気に気圧され、引くに引けず行くに行けず、という状態に陥っている。

「……なに?」

『い、いえ!!』

 ぎろりと睨んだ真絵から逃げるように男二人は全力で走っていってしまう。その様子を、舞花は気の毒そうに見送った。

「真絵ちゃん……何も妖気ぶつけなくたっていいのに」

「え? 出てた?」

 言われて真絵はきょとんとする。無意識にやるのだから、タチが悪い。

「うん。わたしの妖気で抑えてたけど、モロに当たってたらあの二人死んでたよ?」

 真絵の強烈過ぎる妖気を見て「こりゃまずい」と思った舞花は、自分の妖気で包むような感じで真絵の妖気を抑えていたのだ。が、身体能力で勝負する人狼と妖術が専門の妖狐ではどうしても人狼の方が劣る。抑えきれなかった分は外に漏れてしまったが、それでも上出来と言うべきだろう。

「あー、ありがとね。危うく路上にゴミを出すトコだった」

「真絵ちゃん、それ違う……なんか違う」

「冗談よ、冗談。にしても遅いわねあのバカ」

 真絵がそう言って、草一の向かった方を向いたとき、

 その先で、何かが破壊される音が響いた。

 

「……危ないじゃないか」

 地面に突き刺さる街灯を見ながら、草一はあくまで冷静な声で言った。金本は素手で街灯をへし折って草一に投げつけたわけだが、大して動揺もしていない。そのくらいなら、念動力を使えば草一にもできる。方法は違っても、自分にもできることを恐れる必要はない。そう思っている。

 金本の方も、ちょっとした挨拶くらいにしか考えていないのだろう。あっさり避けられても草一が動揺していなくても、それが当然、という顔をしている。

 おどおどしているのは、金本の後ろに控えている山田くらいのものだった。

「なななななんてことしてんですかあなたは!!」

 泣きそうな声で悲痛な叫びを上げる。彼としては、草一がモンスターハンターであると判明した時点で逃げるつもりだったのだろう。ところが金本は喧嘩を売った。それこそもう思いっきり、言い訳のしようもないような方法で。泣きたくなるのも無理はないと思われる。

 草一は、そんな山田を気の毒そうな目で見ている。破天荒な上司を持って、さぞ苦労しているだろう。そう思ったのだ。

 同時に、山田の方は特に注意しなくても大丈夫だと判断した。彼はどうやら金本に振り回されているだけらしい。それ自体はどうかとも思うが、草一にとっては非常にありがたい話だ。

 金本は金本で、どうも山田の存在を忘れているようなフシがある。あまり部下を大事にしない上司のようである。

「自分のしたことが分かってるんですかっ!!」

「分かってるさ。ちょっと黙ってろ」

 山田の叫びをうざったそうに聞き流しながら、金本は草一を向く。良きライバルを見るような、孫悟空がベジータを見るような目をしている。草一からしてみれば良い迷惑だ。あいにくそういう世界に興味はない。

「僕としては穏便に解決したいんだけどな」

 ムダを承知で、草一は言ってみる。

「そういう段階だと思うか?」

「双方の同意があれば不可能じゃないと思うよ」

「悪いが俺は同意しない」

「……」

 やはりムダだった。

「お前の選択肢は二つだ。ここで俺と戦うか、人狼の娘をおとなしく差し出すか。好きなほうを選べよ」

「う〜ん。この際白状するけど、僕は喧嘩が嫌いなんだよね」

「だったら娘をよこせ」

「そんなことしたら姉さんと玉野に殺されるじゃないか。舞花ちゃんにも恨まれるしさ……それもパス」

 金本が呆れた顔をする。どうも草一のことを馬鹿だと思っているらしい。

「だがよぉ、お前に選べるのはどっちかだぜ? さっさと選べよ」

「ん〜、そうでもないんじゃないかな。あと二つくらいあると思うよ」

「ほお。例えば?」

 草一は自信たっぷりに口を開く。敵である人物と対峙しているはずなのだが、どうも緊張感がない。

「一つはずっとここで待ってる。そのうち騒ぎを聞きつけた警備員さんとかが来るはずだから、」

「それまで待っててやると思うか?」

「……んじゃあ、僕が選ぶのはこれだけだね」

 次の瞬間、

「!?」

 金本の目の前で、草一の姿が消えた。

 

「わーっ!?」

 いきなり目の前に現れた草一を目にして、真絵が女の子らしからぬ声を上げた。周囲の人間が怪訝そうな顔をしている。

「なんて現れ方してんのよあんたは!!」

「うるさいな。それどころじゃないんだよ」

「あ、やっぱさっきの音はあんたの仕業!? 何か壊して逃げてきたとか?」

 なぜか目を輝かせて言ってくる真絵を無視して、草一は舞花の方を向く。

「ちょっとまずいことになった。すぐにここから出るよ」

「え!? やっぱりさっきの音は草一君が……」

「違うっ……のかな? いや、とにかく今は急ぐから。説明は後で、」

 する、と言いかけ、草一は咄嗟に真絵と舞花を突き飛ばした。自分も慌てて横に跳ぶ。

 直後、それまで三人がいた場所にベンチが飛んできた。轟音とともに砕け散る。塗装が新しいからおそらくペンキ塗り立てだ。気の毒に……。

「……」

 かなり離れた場所で金本が何か言っているが、聞こえない。彼の後ろで山田が喚いていて、こっちは聞こえた。「ああもう、なんであなたは……」

「……」

 金本が不敵な笑みを浮かべ、何か言いながら歩み寄ってくる。やはり聞こえない。離れているのに普通に喋っているのだから当たり前である。

 が、一応雰囲気だけは伝わってきた。相手が誰だか何となく分かったのだろう。草一は、後ろで真絵と舞花が臨戦態勢に入ったことを感じた。この二人が本気になれば、おそらく小さなヤクザの組なら壊滅させられる。頼もしい限りである。

「…が……ほど……くない……った……」

 言っていることがなんとなく聞こえてきた。それだけ近づいてきている。後ろの人外二人と一緒に戦えば、勝てない相手ではない。

 だが、山田の動きが気になる。仮面を被っているだけで実はとんでもない実力の持ち主だった、という可能性もないわけではない。

 もしそうだとすると、舞花が、妖狐だとばれれば真絵も危険に晒される。そういう状況はできるだけ避けた方がいい。

「……二人とも」

「ん?」

「なに?」

 金森から目を逸らさずに、二人が聞き返す。同じようにしながら、草一は言った。

「あいつは僕がここで止めとくから、その間に逃げて。来るときに寄ったコンビニがあったよね。あそこで落ち合おう」

 その提案に、人外二人は明らかに不満そうな顔をした。真絵などは、はっきり文句を言ってくる。

「あんた置いて逃げろっての?」

「男にかっこつけさせてくれたっていいと思うけど?」

「でも、草一君が負けたらどうするの?」

 文句と言うより素直な疑問を口にする舞花に、草一は苦笑する。その表情をどう受け取ったのか、真絵がここぞとばかりにまくし立てた。

「そうよそうよ。あんたが負けたらあたし達まで捕まっちゃうじゃない。それとも何? 一時間したら勝手に帰れって、」

「大丈夫」

 真絵を遮り、草一は緊張感のまるでない表情で言った。

「僕はね、ああいう奴らの相手をするのが仕事なんだ。負けやしないよ」

「……本当に?」

「まあ、いざとなったらまたテレポートでそっちに行くから。僕が無茶な戦いを挑んでるように見えたなら、安心していいよ。無理だけは絶対にしないからね」

「……それもどうかと思うけど。まあいいわ」

「真絵ちゃん?」

「本人がやりたいって言ってるんだから、やらせてあげてもいいでしょ。頼まれても無茶はしないだろうしね」

「でも、」

「ぶつくさ言わない。大体、あたしはともかくあんたは逃げなきゃいけないんでしょうが。狙われてる自覚あるの?」

 そう言われては反論もできないらしく、舞花は口をつぐんでしまう。少々厳しいかもしれないが仕方ない。

「じゃあ、また後で」

 それだけ言って、草一は金本の足元に意識を集中させる。

 

 草一の後ろ、人狼の娘がもう一人の少女と逃げるのが見えた。ふん、と金本は鼻で笑う。逃げられるとでも思っているのか。

「に、逃げますよ!!」

 ヤケにでもなったのか、山田が叫ぶ。ちなみに山田には魔物を捕まえるような能力はない。事務など、主に頭脳労働を担当する秘書のような役割である。

「分かってるよ」

 冷たく言い返し、金本は走り出そうと構える。が、

「……?」

 足元が揺れている。地震のような揺れ方だが、なぜか周囲の人間は何も感じていない。山田も同様だ。

 おそらく自分を足止めするために残っている草一を見ると……こちらの視線に気づいて目を合わせ、ニヤリと笑いかけてきた。

(まずいっ!!)

 直感でそう判断してその場を離れる。着地後の体勢がおろそかになるが、仕方ない。

 一瞬遅れて、それまで金本がいた場所の地面が爆発した。内側から物凄い力で押し上げられたように、土がアスファルトの舗装を突き破って舞い上がる。

「おいおい……これまさか、あいつか?」

 着地しながら、違っていることをわずかに願って金本は草一を見る。そして、その希望が潰えたことを知った。

 草一はにこやかに笑い、軽く手を振っていた。

「くそっ!!」

 毒づきながらガードのポーズをとる。ダメージ全てが消えるには至らないだろうが、それでも少しはマシになる、はず。

 足元が爆発した。

 

 土に巻き込まれて消えた金本を、草一はいつもと変わらない表情で見ている。殺すほどの威力はないはないから死んでいる心配は不必要である。こけおどしが精々の、いわゆる猫騙しのような技なのだ。超能力は決して万能ではない。

 が、草一がただの子供ではないことを分からせれば十分である。倒す必要はない。今日のことで証拠もできたから、後日に他のモンスターハンターを動員して逮捕すればいい。

 土煙が少しずつ薄れていく。その中にいるはずの金本を更に脅すために、草一はもう一度意識を集中する。

 金本は、砕け散ったアスファルトを投げるところだった。

「うわっ!?」

 まさかそう来るとは思わなかった草一は、飛んできたアスファルトを避けるのに全力を費やした。おかげで無様にも横に倒れる格好になる。

 チャンスと見て走ってきた金本に向かって、さっき彼が投げたベンチの破片を突っ込ませる。一度と言わず二度とも言わず、念動力で操れる限りの破片を全て金本に向かわせる。

「どわぁっ!!」

 金本は慌てて足を止め、上体を逸らしてそれを避けた。勢い余って仰向けに倒れる。そして、草一と同時に跳ね起きた。

『危ないじゃないかっ!!』

 二人同時に全く同じことを言い、両者の間に気まずい空気が流れる。先に口を開いたのは金本だった。

「お前は俺を殺す気か!? えっ!? 地面は爆発させる、破片を弾にして遠慮なく攻撃するっ 親の顔が見たいぞ!!」

「そういうあんただってアスファルト思いっきり投げてきたじゃないかっ!! それに、破片で牽制しなかったら絶対僕を攻撃するつもりだっただろ!!」

「何が悪いっ 俺たちゃ敵同士だぞっ!?」

「だったら文句言うな!!」

 と、二人がそれぞれ言い合ったとき。

「コラお前らっ!! そこで何してる!!」

 ようやく駆けつけた警備員が、怒鳴りながら走ってきた。

「ったく。仕方ねえ、おい山田!! 逃げるぞ!!」

「わ、分かりました!!」

 あっという間に身を翻し、金本は山田を連れて逃げ出した。捨て台詞も何もない。見事なものである。

「……僕も逃げよっと」

 誰にともなくそう言って、草一も金本達とは反対の方向に走り出す。いつの間にかできていた人垣は、素直に道を開けてくれた。

「あー、しまった。超能力ばれちゃったかな」

 口にするほど問題にはしていないような声で、草一は呟く。呟きながら、走りつづけた。

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