モンスター・ハンター

 

 変だと思った。

 草一の様子がおかしい。コンビニで傘でも買ってくるかと思ったら濡れて帰ってきているし、慌ててタオルを用意しても「ありがと……」としか言わない。とにかく暗い。

 これは何かある、とは真絵の意見である。舞花も異論はない。人が普段と違う様子を見せているなら、何かあったと考えるのが自然なのだ。

 そういうわけで、舞花は真絵とともに、草一を尾行する作戦を立てていた。草一相手ではよほど慎重にやらないとすぐにバレてしまう。

「距離はどのくらい置いた方がいいかしら」

『神崎草一・追跡作戦』と筆で書かれた紙を見ながら、真絵が口を開く。ちなみに紙にはまだ何も書かれていない。

「ちょっとやそっとじゃ気づかれちゃうよね……真絵ちゃんって、誰が誰だかわかるのってどのくらいまで?」

「う〜ん……ここらへんビルが多いし、限界は分からないけど……五百メートルくらいかなぁ」

とんでもない距離をさらりと口にする真絵に、同じくさらりと舞花は返す。

「わたしのちょうど半分かぁ」

「あんた、一キロも見えるの……?」

 バケモノを見るような視線を送ってくる真絵に苦笑して、舞花はおおよその作戦を口にする。

「じゃあ、ちょっとだけ余裕持って四百メートルくらい離れようか。どう? 建物に入ったら、入り口をずっと監視してるってことで」

「うん、いいと思う。それじゃあとは神崎が……」

「僕が?」

『わっ!?』

 突然響いた声に、舞花と真絵は同時に声を上げる。既に退化してしまった尻尾があれば間違いなく逆立たせている。

「か、神崎!?」

『僕の名前が出てたんで聞いてみれば……ストーカーは犯罪だよ?』

 と、普段の草一だったら言うだろうが。

 今回は違った。ただため息をついて、

「……今日は絶対にここを出るんじゃない。分かったね?」

 それだけ言って、出て行った。

 舞花は真絵と顔を見合わせる。彼女は、おそらく舞花と同じ、怪訝さを顔中に表していた。

『……怪しい』

 二人は同時に、そう呟いた。

 

 言ってもきかないであろうことは、草一にも簡単に予想できた。真絵だけでなく、舞花も最近真絵に感化されてきている。あとをつけて来ることは疑いようがない。

 だが、自分と金本が本気になればあの二人など造作もなく撒ける。真絵は走るのはそれほど得意ではないし、舞花の速さも十分許容範囲内だ。

 金本の狙いは、既に舞花から自分に移っている。少しくらい放っておいても危険はないだろう。

 と、草一がそこまで考えたとき、

「草一君」

 舞花ではない男の声。ここにいる自分以外の男と言ったら、

「どうかした?」

 一瞬で普段の表情を作り、草一は山田に顔を向けた。

 彼は、苦笑しながら首を振る。

「僕の前で演技は要りませんよ」

「……」

 無表情に驚く草一に、山田は告げる。

「金本が相当のポーカーフェイスでしたからね。君くらいの演技なら、すぐに見破れます」

「……じゃあ、僕が今何を考えているかも?」

「ええ。『今すぐこいつを殺してしまおうか』でしょう?」

 その言葉を聞いて、草一は苦笑した。心なし好意的な表情になる。

「……当たりです。テレパシーですか?」

「いえ。でも、訓練すれば能力なしでも他人の感情はある程度読めるようになるんですよ。特に、君みたいな顔に出るタイプの人の感情は読みやすい」

「ポーカーフェイスが売りだったんですけどねぇ」

 苦々しくそう言う草一に対して、山田は笑わない。真面目な顔で、言った。

「金本が来ましたか」

「……本当は心読めるんじゃないですか?」

 疑わしげな草一に否定の動作を示し、山田は続ける。

「あの男は少なくとも馬鹿じゃない。あの人狼の娘を狙っているのなら、君に接触するはずがない。今度は君が狙われましたか」

「……十分超能力の範疇ですよ、それ」

 もはや呆れ顔の草一だが、山田は一向に気にしない。あくまでも真面目な顔で言う。

「気をつけてください。彼は過去、何度も魔物と対峙し……倒している。これは推測に過ぎませんが、おそらく彼自身が、」

「分かってます」

 山田の言葉を遮って、草一は言った。笑いながら……どこか凄みを感じさせる笑みを浮かべながら、

「大丈夫ですよ。僕は負けません」

「しかし……」

「大丈夫」

 もう話は終わりとばかりに、草一は足を踏み出す。山田の横を通りながら、小声で、

「その条件に関しては、僕も同じですから」

「え?」

 思わず振り向いた山田に、草一は答えない。

 

「うちの奴は元気か?」

 隣を歩く金本が聞いてくる。まるっきり隙だらけで、家を出てから近所の商店街のここまで、草一なら二十回以上攻撃できている。にも関わらず何もしないのは、もちろん人目があるのも理由の一つだが、

(何を考えてるのか分からない……)

 隙がありすぎてかえって不気味である。山田が嘘をついているのでなければ、この男は魔物以上の実力を持っていることになるのだが、とてもそういう態度ではない。

 よって、導き出される結論が、

(もう少し様子を見てみよう……)

 であり、だから草一はこう答えた。

「元気だよ。反省してるみたいだし、何年かすればまともなトコに就職できる」

「そうか。あいつは役に立ってたんだがなぁ」

 本気で残念そうな口調で、金本が言う。草一は憮然としながら聞いた。

「で、話ってのは何? 英語の課題やらなきゃいけないから、早く済ませたいんだけど」

「ああ……だが、その前に」

 横目を使って後ろを示し、

「あのオマケ二人をなんとかしなきゃいかんだろう」

 かなり後方から、舞花と真絵があとをつけてきている。本人達はばれていないつもりなのだろうが、草一と金本には丸分かりだった。

「そのオマケのうち片方は、この間まで本命だったんじゃないの?」

「もう手を引いた」

 あっさりとした金本の返事は、草一の予想した通りのものだった。

「走るか?」

「そうだね」

 その言葉を交わした直後、二人は傘をたたみ、いきなり走り出した。

 

 前を行く二人の姿が、いきなり消えた。

 舞花の目にはそう映った。一瞬影が揺らいだように思えた直後、二人の姿は消えていた。

「え!? ど、どこ行ったのよ!?」

 真絵も同じように見えたらしい。舞花は返事をせず、ずっと遠くに目をこらす。

 視力の限界近い一キロ先に、それらしい影が猛スピードで走っていくのが見えた。

「いた!!」

 真絵にそう叫んで、舞花も走り出す。路上を走ったのでは通行人を吹き飛ばしてしまう。舞花は隣の建物を駆け上り、草一達の後を追いかけた。

 真絵はおそらくついて来れないだろうが、先日使い方を教わった携帯電話がある。と思ったらいきなり呼び出し音が鳴った。

『ちょっと!! どうしたの!?』

 ついて来るのは即座に諦めたのだろう。後ろを見ても、それらしい姿はない。

「草一君達が走り出したの。今後を追いかけるのに精一杯だから、後で連絡する」

 それだけ言って電話を切り、舞花は追跡に集中する。だが、

「速い……!!」

 人狼である舞花が全力で走っているのに、距離が縮まる気配すらない。それどころか、広げられている。

「あの金本って人はともかく、なんで草一君まで……」

 得体の知れない部分がある金本ならまだ分かるが、草一がこんなに速く走れるとは信じられない。姿が見えるから、テレポートしているわけでもない。これではまるで……

「魔物みたい……」

 呟きながら、舞花は必死に後を追いかける。

 

「意外にしぶといな……さすがは人狼、といったところか?」

「足は速いからね……まあ、体力がないから時間の問題だと思うけど」

 舞花を圧倒する速度で走る二人は、息一つ切らさずに会話をしている。既に場所は隣の市の入り口に移っていた。

「しかし、お前けっこう速いな。こういう勝負はどっちかって言うと苦手だろうに」

「学校の体育はクラスでもトップなもんでね」

「いやー、世界でもトップなんじゃねぇか?」

「そりゃないよ。あんたがいるんだから」

 そう言った草一に、金本は面白そうな視線を向ける。

「俺が何だか分かるのか?」

「……って言うか、遊園地でのアレ見れば嫌でも分かるでしょ」

 金本の方を見ず、ただひたすら前を見ながら、

「あれだけ力が強くて、僕の攻撃にもほとんどダメージ受けてなくて……おまけにこの足の速さ」

「言っとくが、全部本気じゃないぞ」

 金本の嫌な訂正に頷きながら、草一は告げた。

「あんた、ドラゴン種族だね? 魔物の中でも最強に近い戦闘能力を持つ、超少数種族の一つ」

「やっぱりばれてたか」

 にやにや笑いながら、金本はあっさり認める。そして、言い返してきた。

「俺もお前が何だか知ってるぞ? 聞きたいか?」

「聞きたくない」

「そう言うなよ……これでも苦労したんだぜ? お前のことを調べるのは」

「ご苦労様」

 素っ気無い草一の態度に、金本は諦めたらしい。勝手に続けた。

「神埼って名字を聞いたとき、ひょっとしたらと思ったんだよなあ。お前の攻撃方法もそっくりだ」

「……」

「十二年前の資料を苦労して漁ってたら、案の定だった」

「……それが話したいこと?」

 草一の声がわずかに冷たくなっている。金本はまったく無頓着に、言った。

「半分はそうだな。だから黙って聞け……十二年前に、俺達のような奴らに悪魔種族が一人殺された。魔物の中で間違いなく最強だとされている悪魔種族がな。まあ、相応の犠牲は出たらしいが」

「……」

 草一は黙って後ろを振り返る。舞花の姿は、もう見えなかった。

「その悪魔は、人間と結婚して子供を二人産んでた。当時十二歳の姉と……五歳の弟。この弟の方を人質にして、悪魔を商品にしようとしたようだが……身のほど知らずだったんだな。単身で乗り込んできたその悪魔に、連携していた幾つもの組織が潰された……が、悪魔も重傷を負って力尽きた、と。事件はここで終わってる」

「……」

 草一は口を閉ざしている。

「残された姉弟のうち、悪魔の能力を受け継いだのは弟の方だった。まあ、人間の血も入ってるから中途半端なモノになっちまったが……十二年前に五歳。順調に育ってりゃ、今十七歳だな」

「……それが?」

「おい、ここまできて否定するか?」

 苦笑したが、結局金本は自分で言った。

「神崎草一。十二年前に殺害された悪魔、神崎祥子の息子。そして……悪魔種族の落ちこぼれ。何か言うことあるか?」

 金本の問いに、草一はしばらく黙ってから言った。

「舞花ちゃんはとっくに撒いた」

「あ?」

この返答は予想外だったらしく、金本が間の抜けた声を出す。草一は構わずに、

「ここらへんでいいだろ。残りの話もしてくれないかな」

 立ち止まって、傘を広げた。

 

 一応後を追っていた真絵は、しばらくして屋根の上で喘いでいる舞花を見つけた。

「ご、ごめん……見失っちゃった」

 それだけ言うのがやっとらしく、舞花は荒い呼吸を続ける。

「ジュースでも買ってくる?」

「うん……お願い、なんでもいいから」

 というわけで買ってきたコーラを、舞花はぐいっと傾け……

「う……ゲホッゴホッ!! ま、真絵ちゃん何これ!?」

「何って、コーラ。何でもいいって言ったのあんたじゃない」

 平然と返す真絵。「何もコーラ買ってこなくても……」とぼやきながら、舞花はそれでもハイペースで飲み干した。よほど喉が渇いていたらしい。

「は〜……生き返った」

「根性ないわねー。人間の神崎達に負けてどうすんのよ」

 真絵の言葉に、舞花は口ごもる。ついさっき、草一は魔物なのでは、と疑ったばかりなのだ。

「まあ、見失ったものは仕方ないけど。どうする? 帰る?」

「……うん。帰ろ」

「元気ないわね……あ、ひょっとして今言ったの気にしてる? あの二人は十分バケモノの部類に入るんだから、そんなマジに受け取らなくてもいいよ」

「……うん」

 聞いてみる必要がある。

 舞花はそう思ったが、誰に? 水穂は絶対に教えてはくれないし、山田も真絵も知ってはいないだろう。そうすると……

「……同じ犬族だし」

「ん? 何か言った?」

「あ、何でもない。早く帰ろ」

 びしょ濡れで電車に乗るのもはばかられる。舞花は真絵のペースに合わせて、来た道を戻って行った。

 

 父親もモンスターハンターである。ただ、ほとんど会ったことがない。今もどこかで生きてはいるのだろうが、正直言って顔も思い出せない。

 だから、五歳のとき母親が死んで、その時点で孤児になったようなものだった。

 母親からは色々教わった。念動力の使い方、テレポートのやり方。テレパシーはあまり強力ではなかったから、特に何もしなかった。

 悪魔としての能力は、ほとんど使えないと言ってもいい。空も飛べない。エネルギー弾も撃てない。擬似生命体である『従者』を作り出すこともできない。相手を石にしたり魅了したりする目もない。エネルギーを体に纏って『鎧』とするのが精々だった。ちなみにこれは混血である草一オリジナルだが、本物の悪魔なら必要ないほど微力なものだった。

 落ちこぼれとしては舞花を上回る。なんせ『弱い』のではなく『使えない』だ。

 そして、おそらく金本は落ちこぼれではない。悪魔種族は確かに魔物中最強と呼ばれているが、ドラゴン種族も負けず劣らずの力がある。とても勝てる相手ではない。

 そう。勝てる相手ではないのだ。

 それなのに……

 

 殴りかかってくる金本から、草一は必死で距離を取った。接近戦でドラゴン種族に敵う者などいない。たとえ悪魔種族でも、である。最強というのは、あくまで「総合的に見て」という話なのだ。

「くそっ」

 悪態をつきながら、草一は近くにあった一抱えの大きさの石を浮かせる。馬鹿正直に突っ込んで来る金本目掛けて、一切の手加減なしに放った。

「やれっ」

 狙い過たず、金本に命中する、が。

「おらぁ!!」

「!?」

 金本は頭突きで(と言うか頭に当たっただけなのだが)石を粉砕し、変わらぬ速度で草一に突進してくる。

 それをかろうじてかわして、草一は心中で文句を垂れていた。

(くそっ……勝てるわけないじゃないか)

 山田には大丈夫だと言ったが、正直とても自信はなかった。

(馬鹿力だしとんでもなく速いし……本気になったら僕なんて一瞬でやられる。そうなってないってことは……)

 金本が遊んでいるということだ。悔しいが、草一は遊ばれるしかない。

 金本の話とはこれだった。落ちこぼれとは言え稀に見る悪魔種族。何がなんでも戦ってみたいと言う。野蛮なドラゴン種族はこれだから厄介だ。

 誰も来ない山奥に移動して、いきなりそう言われた。あとは……成り行きだ。

(今すぐ回れ右して帰りたいけど……)

 そうなった場合、金本は本気で舞花を狙う。モンスターハンターを総動員すれば決して倒せない相手ではないだろうが……凄まじい数の犠牲者が出てしまう。

(……それに)

 ここで逃げれば、草一自身の問題も解決しない。面倒ではあるがなんとかする必要がある。

 金本が木を根っこごと引き抜いて草一に投げつけてきた。同時に突っ込んで来る。

「ったく!!」

 舌打ちしながら、草一は木を蹴って上へ跳んだ。引き抜かれていない木を蹴って、反対側へ移動する。投げつけた木に自分から突っ込んで、木をへし折っている金本が見えた。すぐに起き上がっている。

(僕……)

 何のダメージも受けていなさそうな金本の姿を見て、草一は思った。

(生きて帰れるかな……)

 

 骨である。

 どこからどう見たって骨である。間違っても金太郎飴ではない。何の骨かは知らないが、とにかく骨だった。

 その骨を片手にゴエモンを買収しようとしている舞花を、真絵はわずかに呆れの混じった視線で眺めていた。

 視線に気づかず、舞花は大真面目に骨を差し出している。

「ほ〜ら、美味しいよ。なんたって人狼族の中で最も重宝されてる珍味なんだから。お父さんに一本だけもらったんだけど、特別にあげちゃう」

 ……帰ってくる前にどこからか手に入れていたから、少なくとも今言ったことが嘘であることだけは間違いない。

「だからさ、わたしのお願い一つだけ聞いて欲しいなー」

「……」

 ゴエモンは、白い目で舞花を見つめ、

「……小娘」

「? なに?」

 きょとんとした舞花の手――骨を差し出している手――に、思いっきり噛み付いた。

「きゃああぁあぁぁぁぁああぁ!? 痛い痛い痛いいたいぃぃぃぃいぃいぃ!!!!」

 ああ、やっぱりなと思いながら、真絵は達観したような表情でゴエモンを引き剥がしにかかった。

 

「うっ……えぐ……えぐ」

「あーもう、泣かないの。骨で買収しようなんて考えたあんたが悪いんだから」

 くっきりと(と言うかブスリと?)歯形のついた手に包帯を巻きながら、真絵は舞花を慰めている。

「うぅ、だってぇ……」

 目に涙を浮かべながら、舞花が何か言おうとする。と、

「仮にもモンスターハンターが飼っている犬ですから……骨ごときでは買収されないのでは?」

 叫び声を聞きつけて何事かとやって来た山田が、横から口を挟んできた。真絵はその意見に一つ頷き、

「もっと言うなら、道を歩いて手に入れられるような骨じゃそこらの野良犬しか買収できないわよ。大体あの骨はどこから手に入れたわけ?」

「ん? ラーメン屋さんのゴミ箱だけど」

「……」

「……」

 そんなもので買収される犬がいるなら見てみたい。真絵と山田は、全く同時に同じことを思った。

「でもどうしよう。ゴエモンくらいしか、草一君のこと聞ける相手いないよ」

「素直に頼めばいいのでは?」

 事情をよく理解していない山田の言葉を、真絵はあっさり否定する。

「なんかねー、素直に頼んでも話してくれそうにないの。神埼って、よく知らないけど相当変態な人生送ってきたみたい」

「変態……」

 舞花が引いているのには構わず、

「あんた知らない? 犬の口を割る方法。いっそ欲情させたままおあずけとか。欲情させる係はもちろんこの子で」

「なんで!?」

「同じ犬だからに決まってるじゃない」

「やだよ、そんなのっ」

「いいじゃない、減るもんじゃなし」

「……あの」

 二人の会話に、おずおずと山田が割り込む。

「僕に任せてくれないかな?」

 真絵と舞花はピタリと口を閉ざし、ゆっくりと山田へ目を向けて、

『……へ?』

 

 さすがに死ぬかもしれないな……

 金本のジャブを必死で避けながら、草一は漠然とそんなことを考えていた。雨に濡れた体は動かすだけでも面倒だし、足元はぬかるんでいて注意していなければすぐに転んでしまいそうになる。

 能力を使えるほどの集中力は出せないし、使うような余裕もない。草一は、とにかく避けることに全力を費やしていた。

 対するに、

「おらおらぁ、どうしたぁ!?」

 金本の声に『疲労』という文字は微塵もない。むしろ、軽く運動した後のように調子がよさそうである。

(バケモノだ、こいつは……)

 もう何回も確認したことだが、草一は改めて再確認した。落ちこぼれとは言え自分は悪魔種族である。ある程度のレベルの魔物(例えば舞花や真絵)が相手であれば楽勝である。

 その自分が手も足も出ない。いや、本当に数回だけだが反撃に出た。人間でもある草一オリジナルの技で、金本の下顎を思いっきり殴りつけた。

 その結果は……今の状況を見れば、誰にでも分かる。

「くそっ」

 悪態をついて、金本から離れる。追ってくることは予想済みだ。

 ……迷う必要はない。遠慮する必要はない。

 草一は自分に言い聞かせる。相手は、金本は舞花を狙っていた張本人だ。ただ普通に暮らしていただけの少女を、金になるからという理由で捕まえようとしていた糞野郎だ。

 そして今は、悪魔種族であるというだけで自分を狙っている。

 草一は自分に言い聞かせる。

 殺 し た と こ ろ で、 誰 も 文 句 は 言 わ な い 。

 力が復活する。体中が熱くなる。

 

 草一の微妙な変化を、金本は敏感に捉えていた。

 それは長年の勘であったのかもしれないし、ドラゴン種族としての本能だったのかもしれないし、あるいはただの偶然であったかもしれない。とにかく金本は『それ』を察知し、『それ』を避けることに成功した。

 ――草一特有の技である『鎧』を纏った、根っこから引き抜かれた大木という弾を。

 ただの木であれば、金本には何でもない。どれだけのスピードで飛んで来ようがそれはただの木に過ぎず、金本にとっての木など人間にとっても発砲スチロールに過ぎない。

 だが、

 人間が発泡スチロールを食らっても平気なのは、食らったのが発泡スチロールだからである。

 決して、発泡スチロールの持っているスピードが平気なわけではない。

 草一がしたのは、そういうことである。つまり、『発泡スチロールを鉄の塊に変えたかのような』ことをしたのだ。

 猛スピードで吹っ飛んでくる鉄の塊を食らって平気でいられる人間はいない。

 それは金本にとっても同じである。『猛スピードで吹っ飛んでくる鎧を纏った大木』相手では、さすがに避けるしかないのだ。

「……やればやれるじゃねぇか」

 そろそろトドメを刺してやろうと思っていた金本は、少しだけ考えを改める。

 刺してやろう、などと考えていては、痛い目を見るかもしれない。

 だから……

 

 いける、と思った。自分の攻撃は十分金本に通じている。

 能力の同時使用はかなり体力と精神力を消耗する。試したことはないが、五分もしないうちに集中力が切れるだろう。そうなったら終わりである。

 だから、五分以内にケリをつける。

 念動力を発動させ、手近な木二本と足元の石を二、三個宙に浮かせる。全てを『鎧』に包み、金本に向かって放つ。

 わずかな衝撃波さえ出している木を、金本は身を捻って避けた。草一の顔に笑みが浮かび、

「んな!?」

 という叫びとともに、金本の顔に驚愕が浮かぶ。

 木に隠れるようにして放った石が方向転換し、金本に襲い掛かった。体勢を崩している今、金本に避ける術はない。

「ぐおぉ!!」

 さすがの金本もこれは効いたらしい。と言うか効いてくれなくては困る。普通の人間であれば体を引きちぎるほどの威力を持っているのだから。

 が、さすがに倒れてはくれないらしい。金本はすぐに跳ね起きて、心なし慎重な動きで草一から離れていく。

 やられてくれるとは思っていなかったが、それでもやられてくれないのは痛い。今のような不意打ちはもう通用しないだろう。多少差が縮まったとはいえ、正面から戦えるほど接近してはいない。また何か不意打ちの手段を考えなければならない。

「時間もあんまりないし……ねっ!!」

 言葉と同時に、拳大の石を宙に浮かせ、金本に向かって放つ。同時に瞬間移動を発動。金本の背後に出現する。拳を固める、出来る限りのタメを込める、金本はまだ気づいていない、ぬかるんだ地面の上で踏ん張って、ありったけのエネルギーを『鎧』として拳に込めて。

(勝ったっ!!)

 金本の背骨に、手加減一切なしの拳を打ち込、

 

 ――その瞬間に起こったことを、草一は全く理解出来なかった。ただ金本の背中に拳が触れるか触れないかの瞬間、何かとんでもない力に阻まれて、

 気がついたら空を飛んでいて、そう思った瞬間頭が真っ白になるような痛みが来て、

 そして、体が動かなくなった。

 

「ぎいいああいあいあいあいああああああああぁぁあぁぁぁ!!!!」

 神埼家から響く絶叫。通行人が「何事か」と立ち止まり、その度に可愛らしい少女が「あ、なんでもないですから気にしないでくださぁーい」と叫んでいる。

 件の神崎家では、今、一つの命が理不尽な暴力を受けていた。燃え尽き……はしないだろうが、何と言うか、生きていく上で決して有益にはなりそうにない苦行を強いられているのだ。

 ……この凄惨な事件の主犯は、山田という。偽名である。本名は不明である。

 共犯者は二人。どちらも少女で、家の中で山田の手伝いをしているのは玉野真絵、外で通行人の介入を防いでいるのが神埼舞花。神崎舞花の方は、名字だけ偽名である。

 そして、非道な殺人犯でさえ涙を禁じ得ないような拷問を受けている者の名は、ゴエモンという。

 現場である神崎家の、飼い犬である。

 

「……ゴエモン、生きてる?」

 死体もどきを棒でつつきながら、真絵が大して心配していなさそうな口調で問い掛けている。同じ部屋の中で、舞花が山田に聞いている。

「何をしたんですか……?」

「いえ。ただ、人狼族の方には拷問に近いことでしたので……舞花さんには見せないほうがいいと思いまして」

「はあ」

 そう言われてもピンと来ない舞花は、生返事を返す。

「草一君について大体のことは話してくれました。後でとびっきりの肉を買ってあげましょう」

 真っ白になったゴエモンを見ながら山田が苦笑する。舞花も一応ゴエモンを気遣っているようだったが、なんだかそわそわしている感じはする。

 それを察したのか、山田は舞花に向き直った。

「それで、何から聞きたいですか?」

「あ……じゃあ」

 なんで草一君が、わたしが追いつけないほど速く走れるんですか?

 わたしが本気で走れば、普通の人が追いつけるはずがないのに。

 山田は一つ頷き、答えようと口を開き、

「うわ!?」

 突然、妙な物体に横から襲われた。

「ゴエモン!?」

「あ、あれをやられて起き上がれるとは……こら、離せ!!」

 舞花と真絵が慌てて駆け寄る。山田が、腕に噛み付いているゴエモンを引き剥がそうと必死に格闘している。

 そのとき、

「っざけんじゃねぇ!!!!」

 

 雷でも落ちたのかと思った。

 部屋にいる誰もが硬直し、一言も発せなくなったのを確認して、ゴエモンは山田から口を離した。そして静かな、だが猛烈な怒りのこもった口調で、

「ったく……よくもまあこんな状況で人の昔なんざ探ろうと思えるもんだな? お前ら、他人の過去を暴く趣味でもあるのか?」

 どうやら死んだフリをしていたらしい。何も言えない三人を侮蔑そのものの目で眺め、ふん、と鼻を鳴らす。

「小僧がどんな気持ちでいるのかも知らないでよぉ……いい身分だよなあ? 刑を免れたロクデナシに、無関係な小娘に、守られてりゃいい世間知らず」

 開かれている扉に向かって歩きながら、一言。

「ああ、さっき俺が喋ったことは全部デマだからな。まあ、NASAが開発した人造人間だなんて嘘を信じてるわけでもないだろうが」

 そしてそのまま、出て行った。

 残された三人はしばらく動けず、顔を見合わせることもせず、

 やがて一人だけが、扉から出て行く。

 

「ゴエモン……」

「……」

 呼びかけても止まらないと感じ、舞花は駆け足でゴエモンの前に出た。下から強烈な視線が見上げてくる。

「あ、その……」

「……どけ。また噛まれたいか?」

 その一言で、舞花は呆気なく怯む。その横をゴエモンが通り抜けようとし、舞花が慌てて前に出る。

「……なんだ?」

「そ、その……」

「さっさと言え」

 しどろもどろになる舞花に、ゴエモンがため息をつく。敵意剥き出しでないのは同じ種族故か、はたまた別の理由か。

「あ、あのね……ごめん、なさい」

「……さっきのことか? なら、許すつもりはないから謝らなくてもいい」

 途端に舞花が泣きそうな表情になる。しかし、それでも気丈に、

「う、うん……許してくれなくてもいいの。それだけのことをしちゃったんだし……だけど……」

「だけど、なんて言ってる時点で許してもらおうと考えてると思うがな……一応聞いてやる。なんだ?」

「……なんでわたしが草一君に追いつけなかったのか、それだけ気になって……」

「答えられると思うのか?」

「……ううん」

 舞花は自分で否定する。ゴエモンは頷き、

「聞きたいんなら小僧に聞け。話していいのは本人だけだ」

「……話してくれるかな」

「今の段階じゃ確実に無理だな。話してもらいたけりゃ、話してもらえるような立場になるんだな」

「……なれるかな」

「なんでもかんでも聞くんじゃねえよ。小僧が帰ってきたら自分で努力しろ」

「……帰ってくる?」

「あん?」

 怪訝そうな声を発して、ゴエモンが顔を上げる。

 舞花の表情からは、不安が一目で見て取れた。

「あの金本って普通じゃないよ……草一君、帰ってこれるかな」

 結局のところそれが聞きたかったらしい。草一が無事に帰ってこれるかどうか、不安だったのだ。それならそうと早く言えばいいのに、とゴエモンは思う。

「大丈夫に決まってんだろ。小僧がそこらの雑魚に負けるわけが……」

「……? ゴエモン?」

 千里眼で、ゴエモンは草一を見る。どうせとっくに相手を倒して、喫茶店かどこかで休んでいるんだろうが……そう思った。が、

「……まずいな」

「え?」

「どういうこった、こりゃ……小僧が、負けかかってる? ……いや、こりゃあ、もう勝負がついたのか?」

「ちょ、ちょっとゴエモン!? それどういうこと!?」

 何も見えない舞花が困惑した声を上げる。ゴエモンは苛立たしげに、

「だから、小僧が負けちまってるんだ!! 今にもトドメをさされかねな、ってオイこら、何しやがっ」

 いきなり持ち上げられたゴエモンが、再び怒鳴り声を発そうとする。が、舞花がそれを遮って、

「場所はどこっ!?」

 

「……行かせて良かったの?」

 様子を見ていたらしい真絵が、ポツンと残されたゴエモンに声をかける。ゴエモンは振り返り、今度こそ敵意剥き出しの口調で、

「何か用か?」

「やーねー、そんな邪険にしなくても良いじゃない。いつものことでしょ?」

「いつもとは訳が違う。いいか、小僧の昔ってのはな……」

「ああ、それなら、どうせあの子に話すつもりなかったわよ?」

「……なに?」

 怪訝そうなゴエモン。真絵はペロリと舌を出して、

「普通の生い立ちなら、神崎があんな変貌するわけないもん。何かあるんだなって思ったから、山田にも言っといたわよ。嘘を教えておけって」

「……」

「いくらあたしでも、興味半分で他人の過去暴くほど馬鹿じゃないわよ。まさか本気だと思ってたわけ?」

「……思ってた。すまん」

「あーあ。あたしって信用ないのねー、ちょっとがっかり」

 一通り大袈裟に嘆いてから、真絵はふと尋ねる。

「で、あの子行かせて良かったの? 足手まといになるだけかもよ?」

「……足手まとい以前に、助ける相手がいないかもしれんがな」

「……ちょっと待ってよ。そんなやばいわけ? あの人外人類が」

「人外人類……? まあ、どうでもいいが。そうだな、かなりやばい。ひょっとしたらもう手遅れかもしれん」

「うっわー、そんなに。信じられない」

「俺もだ」

 なぜか感心したように天井を仰いでいた真絵だったが、その状態のまま、

「……信じられないついでに、もう一ついい?」

「ああ」

「あんたさ、なんであの子にはあんな優しかったわけ?」

「何のことだ?」

 とぼけるゴエモンを睨み、真絵は告げる。

「なにとぼけてんのよ。ネタは上がってんだから白状しなさいよ」

 声は冗談じみていたが、目は据わっている。ゴエモンはため息を一つつき、ポツリと言った。

「似てるんだよ、小僧の母親に

 真絵がきょとんとする。きょとんとした顔のまま、

「似てるって、あの子が?」

「ああ」

「神崎の母親ってあんな感じだったの?」

「いや、性格は全然違ったな」

「? じゃあ雰囲気?」

「いや、それも違った」

「体つき? あんな貧相だったわけ?」

「卑猥な言い方だが、かなりいい身体だった」

「外見とか」

「当然と言えば当然なんだが、ヨーロッパあたりにいそうな感じだったな。背も高かったし、大人っぽかった」

「……」

 じゃあ一体どこらへんが似てるんだ? という真絵の気持ちを察したらしく、ゴエモンが言う。

「小僧が気を許してるって部分が、そっくりだ」

「なにそれ? あの子相手でもあたしと変わらない態度とってたわよ、神崎は」

 意外だったらしく、真絵が疑問の声を出す。ゴエモンはそれに答えない。

 

 体が動かない。痛みだけではなく、何かの力で拘束されているのかもしれない。

「いやー、危なかった。お前もやりゃあ出来るんだな。見直したぜ」

 そんな草一を見下ろしながら、金本は上機嫌に言う。彼の中では、戦闘は既に終わったらしい。

(……実際、終わったんだけどね)

 自分は全く動けない。相手は余裕すら窺える。そして、相手には自分を殺す方法が無数にある。

 完敗だった。

「気分はどうだ?」

 あまつさえ、この男はこんな事を聞いてくる。

「最悪だよ」

「そうか……俺は最高なんだがな」

 知るか、と思う。

「さて、」

 金本は、それまでとまるで変わらない表情のまま、草一に近づいてきた。

「何か言い残すこと、あるか?」

 どうやら殺す気になったらしい。余裕たっぷりの顔が気に食わず、草一はこう言った。

「一回でいいから、あんたを思いっきりぶん殴りたい」

「……なかなか上手いこと言うな、お前」

 苦笑しながら、金本が姿勢を正す。腰を落として拳を引く。

 ……あの拳が放たれれば、多分自分の体は骨ごと吹き飛ぶだろう。

(……結局、ここまでか)

 覚悟を決めて目を閉じる。金本は舞花から手を引くっぽいから、それが救いと言えば救いか。

 金本が動こうとしている。自分の命はあと何秒だろう。こういう場合、他の人はどんなことを言うのだろうか。悪役なら多分「ちくしょう」だろうけど、悪役になったつもりはないし。「くそおおお」、とか。

「じゃあな、楽しかったぜ」

 勝ち誇る悪役そのものというような金本の声。マンガとかならここで助っ人が現れれるはずだ。この場合誰だろう。他のモンスターハンターだろうか。連絡もないのに。

 音が聞こえた。

 多分金本が地面を蹴る音だ。じゃああと一秒も生きてはいられまい。今考えてることだって、最後まで考えれるかどうか……

「な、お前!?」

 変な声が聞こえた。音も聞こえる。何かと何か――多分、人と人――がぶつかった音と、地面に何か、多分人が倒れこむ音。片方は茂みに落ちたらしい。もう片方は、すぐ近くの地面に落ちた。

 なんだろう、と思って目を開け、

「……」

 目を疑った。

「いたたたた……あ、草一君、大丈夫?」

 草一は思う。なんでここに舞花ちゃんがいるんだろう。家に帰ったんじゃなかったのか。あの時は確かに撒いたはずだから、改めて追いかけてきたのか。だったら何でここが分かった?

 目下混乱状態にある草一に、舞花が痛そうににじり寄る。金本に体当たりしたらしいが、その時自分もダメージを食らったらしい。

「ひどい怪我……今のうちに帰ろう。思いっきり体当たりしたから、あいつだってそう簡単には、」

「ああ、けっこう痛かったな」

 という金本の声に、舞花がビクッと身を竦ませる。草一が手も足も出なかった時点で予想すべきことではあるのだが……

「で、何か用か?」

 余裕の笑みを顔に貼り付け、金本が問う。

 舞花はゆっくりと立ち上がり――足が震えていたりするのだが――きっと金本を睨んで、言い放った。

「今度は、わたしが相手ですっ」

 

 金本の元々の標的は舞花だった。これは周知の事実である。

 金本が本気になれば舞花など路上に落ちてるゴミでしかない。これも、少し考えれば予想がつく。

 草一が金本の相手をしているのだから、舞花を行かせる必要性はない……と言うかむしろ、行かせてはならない。

 少し考えれば誰にでも分かることである。舞花が強すぎて止められなかった、などということもあるはずがない。

 つまり、

「行くのを黙って見送った、ってわけね」

 机に肘をついて、ふーっと息を吐きながら水穂は言った。

 かなり怖い。にこやかに笑うでもなく、激怒するでもない……が、彼女からあふれ出ているオーラは間違いなく紅い。レッドゾーンだ。

 出勤していた水穂を電話で呼び出したのが十分ほど前。ゴエモンから水穂が会社で働いていると聞いたとき、真絵と山田は驚いたものである。が、考えてみればモンスターハンターとしての仕事がそう多いわけがない。普通に働かなければたちまち飯の食い上げなのだろう。

 その場の雰囲気に任せて舞花を行かせてしまったが、実はまずかったんじゃないかと思って山田が水穂に電話した。「……そこを動かないで。いい? 絶・対・にっ! そこを動かないこと!!」という返答は彼曰く、閻魔大王による死刑宣告に聞こえたという。

「まずいことになったわね……」

 内面の苦い気持ちを隠そうともせず、水穂は唸る。そのまま沈黙。無言の威圧感が真絵他二名にのしかかる。

 口を開いたのは、ゴエモンだった。

「なあ、水穂……小僧は負けかかってたんだ。だから、」

「あの子が行ったって何も変わらないわよ。草一と同等どころか、守られる立場なんだから」

「……」

「それに、間に合うかどうかも分からない……いえ、確実に間に合わないわね。いくらあの子が人狼でも、そんなに速く走れるわけがないわ」

「……」

「それとも何? 人狼族には速さを上げるような必殺技でもあるの?」

「……いや、そんなものはない」

 渋々ながら認めるゴエモン。生来の身体能力を上げるなど、ドーピングでもしなければ不可能である。

「だったら行かせるだけ無駄じゃない。なんで止めなかったのよ」

 正論である。正論ではある。が、

「……あのさ、ちょっといい?」

 真絵が手を挙げる。促した水穂を半ば睨むようにして、

「さっきから随分冷たいこと言ってるけど、弟が心配じゃないわけ? 殺されかかってんのよ?」

「……心配には心配だけど……」

 怒るでもなく自嘲するでもなく、水穂は淡々と言う。

「基本的に、自分のことは自分で。たとえ殺されても、それが自分の責任であるなら仕方ない……悪魔種族っていうのは、そういう種族なの。私に能力はないけど、その考え方だけはしっかり受け継いでるのよ」

「肉親でも?」

「肉親でも」

 諦めたような表情の水穂に、真絵はあくまで食い下がる。

「冷たいこと言うんだね。弟でしょ?」

「本能みたいなものなの。あなただってあるでしょ? 妖狐族の本能。例えば、頭では納得できない私の言い草に、心が納得しちゃってることとか」

「……まあね」

 悔しそうに呟く真絵。と、そこに、

「話を蒸し返すようで悪いが」

 ゴエモンが口を挟む。

「実際に追いついてるぞ」

「……え?」

 いきなりそう言ったゴエモンに、水穂が怪訝そうな声を上げる。真絵と山田も予想外だったようで、互いに顔を見合わせている。

「今、金本とかいう奴にタックルを食らわせた。危ないところだったようだが、小僧も無事だ」

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待って。何? 舞花ちゃんが追いついたの?」

「ああ」

「そんな……どうやって? いくら人狼でも追いつけるはずが、」

「知るかそんなこと。実際に追いついてるんだよ」

 疲れたのか、ゴエモンは千里眼をやめる。

「ただまあ、不可解には違いないな。あの小娘、いつの間にあんな速くなりやがった?」

「……そんなに不可解なんですか?」

 山田が怪訝な顔をして言ってくる。ゴエモン他二名は呆れた顔をし、真絵が代表で、

「あのね……あの子の足では追いつけなかった二人を上回るような速さで追いついたのよ? 不思議でなくて何なの?」

「いえ……と言うか、そもそもそこで追いつけなかったのが不思議なんですが」

「あんただって無関係ってわけじゃないんだから……は?」

 素っ頓狂な声を上げる真絵に構わず、

「人狼族は前にも追いかけたことがあるんです。大人の個体をね……そのときは金本でも追いつけず、結局逃げられました。人狼とはそれくらいのポテンシャルを持っていると思っていたんですが」

「……それ、ほんと?」

「はい」

 唖然としている真絵達の前で、山田は即答する。

 

「今度は、わたしが相手ですっ」

 そう言った瞬間金本に爆笑され、舞花は顔を真っ赤にして怒鳴った。

「な、何が可笑しいんですかぁ!!」

 金本は答えない。と言うより答えられない。ひーひー言いながら笑い転げて、手の平を向けて「ちょっと待て」のサインを出している。

「むー、バカにして……って、草一君までそういう目してるしぃ!!」

 呆れを通り越して哀れみの目でこちらを見ている草一に気づき、舞花は段々泣きたくなってくる。

「あ、ああ。ごめん」

 涙を堪えているような舞花の仕草に、慌てて草一が取り直す。と言っても体は痛くて動かないらしい。言葉でなんとかフォローしようとする。

「そりゃわたしは強くないけどでもわたしが来なきゃ草一君危なかったじゃない、なのに何なのその目、その途方もないバカを哀れむような目」

「なんだ、自覚あるんだ……じゃなくてごめんごめん。もうそういう目では見ないから」

「いいもんいいもん、どうせわたしは落ちこぼれだもん、『人狼』じゃなくて『人間の凄い人』くらいの力しかない落ちこぼれだもん」

 まだ爆笑し続けている金本の横で、舞花はいじけながら地面にのの字を書く。

「……」

 僕達って何やってたんだっけ? とわずかに思いながら、草一は懸命に舞花に呼びかける。

「だからさ、何もわざとじゃないんだよ」

「じゃあ無意識にってことなんだ……本心からそう思ってるんだ」

「いやだからそれは……あのね、世の中ってのはもっとポジティブに、」

「話逸らそうとしてるし……もういいもん、草一君なんて知らない」

「……えっと」

 言葉が尽きた草一。そのとき、交代するかのようなタイミングで金本が復活した。

「いやー、笑えた笑えた。お前捕まえなくて良かった……ここまで笑かしてもらったの久しぶりだ」

「……もういい。もう誰も信じない」

 人間不信にでも陥ったのか、耳を塞いでうずくまる舞花。彼女と話をするのは骨が折れると見たらしく、金本は草一に聞く。

「で、こいつ何しに来たんだ?」

「あんたを倒して僕を助けるために来たんじゃない?」

「ほう」

 と、地面に向かってわだかまりをぶつけている舞花を見る。

「というこたぁ、俺が今からあいつを蹴っ飛ばしたりしても、誰にも文句は言われないってことか?」

「まあ正当防衛だしね。僕と姉さん達と舞花ちゃんの知り合い以外には文句言われないと思うよ」

「じゃあ蹴っ飛ばしてもいいか?」

「ダメ」

「……本人のいないところで、何をこそこそ話してるんですか」

 復活したらしい舞花が、立ち上がって金本と草一を睨んでいる。金本はそっちに目を向け、

「本人のいるところで話してるつもりだが」

「て言うか、いようがいまいが同じだよね」

「草一君はどっちの味方なの!!」

 金本の後に続く草一に、舞花が怒鳴る。

 そして同時に、金本の足元が爆発した。

「ぬおっ!?」

「きゃっ!?」

 成す術もなく土煙にまみれる金本に驚いて、舞花が短い悲鳴を上げ、直後に肩を叩かれた。

「逃げるよ」

 草一である。ダメージなどないかのようにピンピンしている。

「そ、草一君、体大丈夫なの?」

「動ける程度にはね……っと!」

 いきなり舞花を前に押し倒す。突然のことに声も上げられない舞花の目の前、草一の肩越しに飛び蹴りをかます金本が見えて、

 次の瞬間、周囲の景色は変わっていた。

 

「む、逃がしたか」

 着地してすぐさま振り返り、金本は呟いた。どうやら何の反撃もせずに瞬間移動で逃げたらしい。臆病者と罵りたいところだが、この場合は良い判断だ。相手を倒せない不意打ちをしたところで意味はない。

 さすがの金本も、あんな場面でやられるとは思わなかった。おそらく舞花が来たときからこっそり機会を窺っていたのだろう。悪魔なだけに頭は回るらしい。

「……おもしれぇ」

 壊れたと思った玩具は、まだまだ遊べそうだ。

 金本は壮絶な笑みを浮かべて、適当な方向へ歩き出した。

 

 咄嗟だったからそう遠くへは飛べなかったが、いくら金本でも簡単には見つけられないはずだ。

 一応舞花を見張りに立たせていたが、草一は確信していた。強力な索敵能力を持ってはいるようだが、金本の本業はあくまで戦闘なのだ。

 束の間の安全を得た今、草一には二つの選択肢がある。一つは、体力を回復させて瞬間移動で帰ること。その後、モンスターハンターを動員して数で叩く。

「……いや」

 草一は首を横に振る。それは出来ない。理由などないが、おそらくそれが正しい方法なのだろうが、理屈抜きでそれは出来ない。

 となれば、残りのもう一つ。ここで、自分の力で金本を倒す。

 自分一人では不可能に近いが、幸い今は舞花がいる。まず、彼女を囮として金本に仕掛けさせる。当然やられる。が、金本の注意が一瞬でも逸れてくれればいい。その一瞬を狙って自分が攻撃すれば、

 ……ちょっと待て。

 自分は今、一体何を考えていた?

 草一は頭を抱える。舞花を囮にする? 守るべき相手である少女を鉄砲玉にするつもりだったのか? 間違いなく殺される立場に立たせるつもりだったのか?

 それをしたら、そんなことをしてしまったら、

 彼女を売り物と見なしていた、金本達と何が違う?

 作戦を考えることも忘れて、草一は猛烈な自己嫌悪に襲われた。自分が嫌いになったことは何度もある。些細なことで能力を使って他人を傷つけたとき、水穂と売り言葉に買い言葉の大喧嘩をしたとき、嫌いな奴の足元を爆発させてどえらい騒ぎを起こしたとき。

 しかしそれらも、今回の比ではなかった。

 自分の知り合いの、自分を慕ってくれている少女を、ただの道具と見ていた。

 悪魔種族。

 最強の魔物という称号を持つ、魔物中最も冷酷なことで知られる種族。

 自分にもその血は流れている。親友だろうが肉親だろうがお構いなしに使い捨てようとする血が流れている。恋人も、友人も、親も兄弟も親戚も、皆自分のための道具と見なす血が、

「草一君?」

 我に返った。

 顔を上げると、舞花が心配そうに自分の顔を覗き込んでいた。

「どこか痛いの? それならあんまり無理しないほうが、」

「いや……大丈夫」

 内面を見事なまでに隠して、草一は舞花から顔を逸らす。妙なことを考えた手前、正視できなかった。舞花が気遣ってくれているのが分かるが、こればかりは仕方ない。

(……二人一緒に攻撃しても、絶対に勝ち目はない)

 気分を紛らわすため、草一は考える。今度は妙なことを考えないよう、頭の片隅に理性を残しておく。

(金本の力を100とすると、僕はどう頑張っても20〜40。舞花ちゃんは10あれば上出来……単純に足しても半分にしかならない……)

 違う人格を持つ二人なのだから、実際はもっと低いだろう。正面からの攻撃は無理だ。

(そもそも攻撃が効かないから、不意打ちだろうが何だろうが関係ない……つまり、僕達には一撃で仕留められる方法がない……)

 考えれば考えるほど絶望的になってくる。倒せない相手を倒そうとしているのだから無理もないが、あんまりのんびりもしていられない。ぐずぐずしてると金本がやって来てしまう。

 殺すとか殺されるとか、そういうのはどうでもよくなっていた。

 草一は、ただひたすら勝つ方法を探している。この戦いは負けられない。自分一人ならともかく、舞花が加わった以上負けは許されない。

 守ると決めた以上は、最後まで守り通さなければならない。負けるのは自分のプライドが許さない。

(……何も、致命傷を与えるのが僕達である必要はない。何でもいい、何か、金本に致命傷を与えられる方法は……)

 一つだけ閃いた。が、これには絶対にクリアしなければならない条件がある。

「舞花ちゃん」

「なに?」

 周囲を見回していた舞花が振り返る。本当にこれでいいのかと思う。死なせるつもりは微塵もないとは言え、これでは……

 いや。

 死なせない。

 絶対に死なせない。プライドにかけて守り通してみせる。

「全力で走った僕についてこられる?」

 

 見つけた。

 随分遠くだが間違いない。悪魔に人狼、落ちこぼれ二人が揃ってこっちを見下ろしている。

 さっそく走り出そうとした金本だが、ふと足を止めた。向こうが少し体を屈めて、

 次の瞬間、走り出した。

「正面から来るつもりか……?」

 それで勝てないことなど百も承知だろうに。勝負を投げたのだろうか。

 どちらにせよ、向かってくるなら受けて立つまでだ。

 金本は地面を蹴った。

 

 速い。

 並んで走る舞花を、草一は少し驚きの混じった横目で見ていた。むしろ、彼女は手加減している様子さえある。こっちは全力疾走だというのに。自分達を追いかけてきたときは、話にならなかったはずなのだが。

 自分に追いつけるかと聞いたとき、舞花は自信満々といった表情で「大丈夫」と言ったからこの作戦を採用したが……間違いではなかったようだ。

金本が接近してきた。ここからは、コンマ単位の世界での勝負となる。

 能力を使えるのは、泣いても笑ってもあと三回が限度だ。集中力がもたない。

 草一は舞花にサインを出し、頭の中で呟く。

 アクション、スタート。

 

 一つ目。

 まず草一が金本に突っ込んでいった。拳に鎧を纏って真正面から殴りかかる。勢いも上乗せさせて相当な威力のはずだから、金本は当然これを避ける。

 避けた。

 次に、舞花がタックルをかます。格闘の経験などあるわけないから、下手な攻撃よりは体当たりの方がよっぽど良い。金本はおそらく舞花を素人と見て反撃する。

 反撃した。

 が、こちらの狙いはそれだ。そもそも攻撃を当てるつもりなどないから、舞花は当初の予定通り金本を避ける。

 よくよく考えれば分かるだろうが、今は舞花が攻撃を避けたと思うはず。素人の彼女に避けられるのは、金本にとっては小さくないショックとなる。

 そこで、二つ目。瞬間移動で金本の背後に出る。金本はまだ気づかない。まだ手は出さない。今手を出したらさっきの二の舞になる。

 舞花が体勢を整え、再び金本に向かって行く。今度こそ本気になって、金本は彼女を仕留めようとし、

 三つ目。金本に触れてすぐさま瞬間移動、

 

 ……山の風景が消え、目の前にはひたすら『青』が広がる。

 

 広大な『青』を見下ろして、草一は静かな満足感を感じた。

 

 広大な『青』を見下ろして、金本は奇妙な諦めを感じた。

 

 いきなり目の前から消えた二人を見て、舞花は作戦が成功したことを感じた。

 

 目の前に広がる、『青』。

 それは海である。草一は最後に残った集中力とプライドで、この地上1万メートル……飛行機が飛ぶ高度へ瞬間移動したのだ。

 この高度から落下すればさすがの金本も命はない。ここから海へ落ちるというのは、ビルの屋上からコンクリートの地面へダイブするよりもダメージが大きい。

「……やるなぁ、お前」

 金本が言ってきた。この期に及んで笑っている。この、どこまでも取り乱さない態度だけは尊敬しようと草一は思う。

「まさか飛べるだなんて言わないよね」

「言わん言わん。さすがの俺も打つ手なしだ」

 二人とも落ちながら、なぜか離れない。

「最初っからこれを狙ってたってわけか。やるじゃねーか、さすが悪魔だ」

「そりゃどうも。ところであんた、最後くらい慌てふためく姿を見せて欲しいんだけどな」

「そいつは無理だ。ドラゴンってのは負けを悟ったら素直に死を受け入れる。そういう種族なんだ」

「残念」

 落ちながら器用に肩をすくめる草一に、金本は言う。

「あの人狼の娘、走ろうと思えば走れんじゃねぇか。やっぱり人狼ってのは足だけは天下一だな」

「やっぱりって何だよ」

「前に一度人狼と追いかけっこしたんだよ。まるで大人と子供だったぜ」

「ふーん」

 さして興味もなさそうな草一の呟き。しばらく二人とも黙って、

 しばらくして、金本が真面目な声で聞く。

「おい」

「なに?」

「俺は強かったか?」

 草一が怪訝な顔で金本を見る。が、彼はいたって真面目だ。

 なので、草一も真面目に答えた。

「強かったよ。正直、もう二度と戦うのは御免だね」

「……ありがとうな。ドラゴンにとっちゃ最高の誉め言葉だ」

 そして最後に金本は言った。

「じゃあな。元気で暮らせよ、落ちこぼれ」

 体を大きく動かして、

 あっという間に、草一から離れていった。憮然とした表情で草一は見送る。

「……落ちこぼれは余計だっての」

 それだけ呟いて、草一はため息をついた。

 ……集中力がない。プライドも働いてくれない。

 このままでは、自分もあの海へダイブしてしまう。

 困った。大いに困った。自分が帰らなかったら、海に『激突』してバラバラになった自分を見たら皆は悲しむだろうか。多分悲しむだろう。そうなっては守ったことにならない。そう思ってもプライドは働かない。

「……まいったねこりゃ」

 呟く。あと数秒後には『激突』するかもしれない。四肢がバラバラに弾け飛んで、『海への激突死』という世にも珍しい死人の誕生だ。

「お?」

 ひっくり返った。それまで海を見ていた目が、今度は空を映す。

 吸い込まれそうな、広大な青空。それが視界一杯に広がっている。

 帰りたい、と思った。帰って寝たい。英語の課題なんか知らん。そうして課題を忘れて、厳しいことで有名な英語の教師にたっぷり絞られて、罰として何倍もの宿題を出されて同じように忘れた奴らと協力して宿題をやっつけて、舞花は英語は全然ダメだから真絵と山田を道連れにして深夜まで手伝って、

 いけそうだ。

 そう思った。

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