oneself hero
| その少女は、あらゆる意味で怪しかった。関わらずに済むものなら関わらないでいたいし、どうしても関わってしまったならせめて早く縁が切れることを、まともな人間だったら祈るだろう。 直樹は、自分はまともな人間だと思っている。 少なくとも、目の前でにこにこ笑っているこの少女とお近づきになりたいとは、露ほどにも思っていない。 風が強い日だった。今日が休みで良かったと、影山直樹は心から思った。 空は晴れている。人間にゴマでもすってるんじゃないかと思うほどの快晴だ。なのに、風の方は人間にケンカ売ってるんじゃないかと思うほどの強風である。木々がしなろうが洗濯物が飛ばされようが直樹の知ったことではないが、やはり置いてあるコーヒーの缶が風に煽られて倒れそうになるのを見ると、なんで風なんか吹くんだ、と思わずにはいられない。冬には珍しくもないことだが、だからと言って納得できるとは限らない。 直樹がいるのは、人は一人しかいない公園である。一人とはつまり直樹のことだから、精神的にもかなり寒い状況である。ここに可愛い彼女の一人もいれば気分は常夏の楽園なのだろうが、男一人きりの今は、どちらかと言うと南極物語である。 これからどうしようかな、と直樹は思った。 別に深い事情を抱えて旅をしているとかそういうわけではない。本屋も電気屋も行ったし、ゲーセン行く気分じゃないし……と、要するに何して遊ぶか考えているのだ。『家に帰って予習復習』という選択肢は、端から頭にないらしい。 直樹は空なんぞを見上げながら、缶コーヒーを口に含む。コンビニでパンと一緒に買ってきたもので、食べてる間に何するか決めようと思ったのだが、そろそろ袋の中身が尽きるというのに予定は一向に思い浮かばない。 コーヒーの缶を横に置いて、袋から焼きそばパンを取り出す。一口かぶりつく。あまり美味くない。あそこで焼きそばパン買うのはやめようと決心する。 どこへ行こうか。 先程からそればっかり考えているが、実は何も考えていない。どこへいこうかと頭の中で繰り返しているだけで、場所の候補を挙げることすらしていないのだ。これじゃいつまで経っても決まるわけないのだが、本人はそれに気付かない。そうして時間が過ぎていく。 焼きそばパンを半分食べ終わる。 ふと、電線の上に数羽のカラスがとまっているのに気がついた。ただの思い過ごしかもしれないが、揃って直樹の方を見ている気がする。 「……」 なんだか怖くなって、焼きそばパンを半分残して袋の中に入れた。狙われているような気がしたのだが、どうも違ったらしい。カラスは、まったく動かずにじっと直樹の方を向いている。 ナァーオ 「わっ」 思わず上げた悲鳴と同時に慌てて振り向くと、黒猫が一匹、いつの間にか背後の草むらにいた。 その金色の瞳が、直樹に向けられ、固定される。自分が見つめているからかと思い、直樹は薄ら寒いものを感じて黒猫から目をそらし、 寿命が確実に数年縮まった。 正面やや上方向、目を向けた電線の上。 先程とは比べ物にならないほどの大量のカラスが、次から次へとやってきて、一羽の例外もなく直樹の方を見ていた。 本気で怖くなった。直樹はコンビニの袋を引っ掴んで、コーヒーの缶はそのままに、転がるようにして留めてあった自転車に向かって走った。ポケットから鍵を取り出して、焦る手で差し込む。だが、手は震えていて何度も失敗する。 「くそっ、くそっ」 それでもやっと成功して、袋を籠に放り込み、直樹は急いでペダルを踏んだ。目的地などどこでもいい、とにかくカラスのいないところ、人がたくさんいるところ。 最初から立ち漕ぎで、直樹は公園から逃げ出した。 その姿を、電線の上のカラスは、一羽の例外もなく見つめていた。 そして、直樹の姿が見えなくなった数秒後、一羽のカラスが公園に降り立った。 それを迎えるように、黒猫が中央まで歩いてきている。 二匹の黒い動物は、広場の中央で対峙した。そして、 「あの男に間違いないのか?」 カラスが喋った。人の言葉を。しかも渋い。 「ああ。確認した。間違いない」 黒猫まで喋りだした。こちらは若い男の声である。 「しかし、どうにも情けないな。我々の姿を見ただけで逃げ出すとは……本当に大丈夫か?」 「それは仕方ない。おいおい慣れるだろうさ、根は決して臆病ではないのだから」 「ま、お前がそう言うなら別にいいが……主はなんと言っている?」 黒猫は返事をしなかった。瞑想でもしているかのように目を閉じて、身動き一つしない。カラスはカラスで文句も言わず、ただじっと返事を待っている。 ややあって、黒猫が目を開いた。 「……自分で確認したいそうだ」 どこか疲れたような、声。 「まぁ、そうだろうな。あの人は何事も自分の目で確かめないと気が済まないタイプだから……それで、我々はこれからどうすればいい?」 「あいつの行く先をつきとめてくれ。で、判ったら俺に連絡。その後は主人が接触するから、なにかあるまで待機。あと、あいつの尾行は気付かれないように高空からやってくれ。また逃げられたら面倒だ」 「了解」 カラスは一度大きく翼をはためかせ、一気に上空へ舞い上がった。 黒猫はそれを見送り、やがてふらりと、それでも直樹が逃げ去った方へ歩き出した。上空にはカラスが一匹飛んでいる。おそらくは、連絡係。 「五千年ぶりか……」 黒猫は呟いて、短いため息をついた。落胆ではない。どちらかと言うと、それは感慨のため息だった。 直樹は走った。走って走って走って、人がうんざりするほどいる駅前のデパートでようやく自転車を止めた。もう大丈夫だろうと思ったし、なにより疲れ過ぎてペダルをこげない。 駐輪場に自転車をとめて、直樹はデパートの中に入った。セールでもやっているらしく店内は人で溢れ返っているが、そんなところに用はない。目指すは一階にある軽食コーナーである。 中も親子で一杯だった。ガキどもがぎゃーぎゃー騒いでうるさいことこの上ない。子供は嫌いではないが、苛ついている今はその声が無性に気になる。 だが、怒鳴り散らすわけにもいかないので、直樹は黙ってアイスコーヒーを注文する。この寒いのにわざわざアイスコーヒーを頼む直樹を女性店員は訝しげに見ていたが、肩で息をしている姿に納得したのか、なにも言わずにカップをトレイに乗せてくれた。 持ってきたコンビニの袋を右手の手首にかけて、トレイを持って移動する。あたりを見回すが、空いている席が見当たらない。席が空くまで待ってなきゃいけないかと思ったが、運良くカップルらしい二人連れが席を立った。すかさずその場所に座る。 コーヒーを一口飲んで、ようやく落ち着いた。振り返ってみると滑稽だったと思う。たかがカラスに見つめられたくらいで、いくらたくさんいたからって、たとえ一羽の例外もなく直樹を注視していたからって…… 再び背筋が寒くなった。一体あれは何だったのだろうか、と思う。まるで意志を伴っているかのように、じっと直樹に向けられた幾つもの視線……。 思考を誤魔化すようにコーヒーをもう一口飲んで、コンビニの袋から食べかけの焼きそばパンを取り出した。かぶりつくことをしないで、少し齧ってのろのろと噛む。そうしているうちにいつしかカラスのことを忘れ、別のことを考え出していた。 考えているのは、やっぱりこの後の予定である。さっさと帰ればいいのに、懲りもせずどこへ行こうかと、しかも相変わらず場所の候補すら挙げずに。 天気はどうだろうと、直樹は窓の外を見上げた。相変わらずのゴマすり快晴。そして、こちらも相変わらずのケンカ強風。煽られてしなる木々と、揺れる電線が目に入る。 その電線の上に、恐怖の権化がいた。 カラスだ。思わず直樹は腰を浮かせる。いや落ち着け、まだ一匹だ、きっとただの偶然だ、ほら俺の方なんか見ていない、なんかキョロキョロしてるけどとにかくこっちは見ていない、あ…… カラスが直樹の方を見た。 直樹はその目に、獲物を捕らえた野獣の光を見た。 席を立って、急いでこの場を離れようとする。コンビニの袋を持って、焼きそばパンをそのままに、椅子に座った状態から足を一歩踏み出して、そこで、 「大丈夫ですよ」 という声がした。 カラスと正反対の方、足元を見ていた直樹の目に映ったのは、スニーカーを履いた白い脚だった。それに沿って視線を徐々に上げていく。ふくらはぎあたりのところで、足がスカートに覆われた。よって、性別は女性。清楚な感じのするロングスカート。今度は白いセーターと、その上から羽織った洋服。茶色に見えるがどうも金髪らしい髪は、腰の少し上あたりまで伸ばしている。両手で、オレンジジュースの乗ったトレイを支えていた。 更に顔を上げ、ようやく相手の顔を見る。 幼さを残した、しかし整っている顔立ちの少女だった。直樹と同い年か、少し下と思われる。にこにこ笑って、呆けた顔をしている直樹に語りかける。 「あの子達は、危害は加えませんよ。ただちょっとわたしが頼んだだけで、あの子達は悪くないんです。憎まないでくださいね、怒らないでくださいね、悪いのは全部わたしなんですから」 唐突に言われた言葉に、直樹の頭がストライキを起こす。憎むな怒るなは分かる、悪いのはわたし、なにが悪いのか知らないがそれも理解できる、ただ、『あの子達』とは一体何を指している? ここで騒いでいる子供か? いや、それとこの少女は関係ない、すると、すると…… 「カラス……?」 思わず口をついて出た言葉に、直樹は自分で苦笑した。それこそなんの関係もないではないか、と思いかけたとき、 「そうです。あの、ごめんなさい。怖がらせちゃったみたいで……でも、ああでもしないとあなたを見つけることはできなかったから」 少女が言った。 直樹は思わず少女を見つめた。 「君が……あのカラスを?」 「はい」 自分でもなにを言っているのか分からない直樹に、少女は即答した。 「あの……」 頭がフリーズした直樹に、少女が声をかける。 「座っても、いいですか?」 そう言って、直樹の向かいにある無人の席に視線を向け、また直樹を見る。 完璧に思考停止状態であった直樹は、ただ首を縦に振った……このうえなく機械的に。 直樹が我を取り戻したのは、それから数秒経過した後のことである。 最初に聞いたのは「君は誰?」ということではなかった。 「冗談だよね?」 「ふぁふぃが……」 ストローを口にくわえて返事をしようとして失敗し、少女は飲むのをやめて改めて聞き返す。 「なにがです?」 「さっきの、カラスがどうのこうのって」 「いえ、冗談なんかじゃないですよ」 その顔は、微笑んではいるが嘘をついているようには見えない。 「だって……」 「信じられないんでしょう? カラスを操るなんて」 先手を打って、少女が言う。素直に頷く直樹。 「それじゃあ……あの電線の上を見てください」 そう言って、少女は窓の外を指さす。 「今から十秒後、あの上に二十羽のカラスを呼びます」 きっぱりと言い切った。頭がおかしいんじゃないかと、思わず少女を見る直樹。だが、少女はなにをするでもなく、ただオレンジジュースを飲んでいる。 「呪文とか唱えないの?」 半分馬鹿にしたような直樹の言葉に、少女は律儀に答える。 「いりません。召喚するわけじゃないんですから」 @妙に自信たっぷりである。オレンジジュースを飲み干し、満足げな顔を見せる。狂った感じの欠片もない、平和な表情だった。だが、その顔でこんなことを言う。 「そろそろ十秒ですよ?」 仕方なく、直樹は窓の外へ目を向け……腰を抜かした。 少女が指さした電線の上では、カラスが群れをなしていた。その数、一、二、三……十八羽、いや、今十九羽目が飛んできた。集まってきたカラスは電線の上で微動だにせず、直樹と少女のいる方に熱い視線を送っている。そして、 「……」 二十羽目が、やってきた。 直樹は数えていなかったが、少女が宣言してから、ぴったり十秒後だった。 茫然自失の体で、直樹は少女を見る。少女はにっこり笑って、窓の外のカラス達に目を向けて一言呟いた。 「ごめんね。行っていいよ」 その一言で、カラス達は一斉に飛び立っていった。黒い羽根が、空に舞い散る。 「……そんな化け物を見るような目つきしないでくださいよ〜」 少女が困ったように言う。文字通り化け物を見るような目つきで少女をみていた直樹は、慌てて頭を下げる。 「あ……ごめん。でも……」 「まぁ、確かに普通の人は怖く感じて仕方ないですけど……でも、あれくらいならあなただってできるんですよ?」 その言葉に、幾分頭がマシになってきた直樹は、自分なりの答えをようやく出した。 これは、宗教の勧誘だと。ひょっとしなくてもさっきのカラスは、よ〜く教え込んだやつに命令しただけなのだろう。それをあたかも異能の力のように見せて、教徒にしようとしているのだ。 その手に乗るか、と思った。 「悪い、俺そういうの興味ないから」 「?」 「うん、さっきのは凄かったよ。でも、俺別にそういう力を使いたいとは思わないから。いいもん見せてもらって、ありがと。それじゃ」 「ちょ、ちょっとちょっと」 引き止めようとする少女を無視するように、直樹はトレイを返却して早足でその場を離れた。ちらと後ろを振り返ると、少女が慌ててトレイを返却しようとしている。大当たりだったか、危ない危ない、と胸を撫で下ろす。 「あ……」 観察していると、直樹を追いかけようとした少女がなにもないところで転んだ。顔から床に突っ込んで、鼻の頭を痛そうに抑えている。ドジなところはけっこう可愛い……いや、早く逃げなければ、と直樹は自分に言い聞かせて、半ば駆け足で駐輪場へ向かった。もうさっさと帰ろう。帰ってゲームでもやってよう。 この期に及んでも、『予習復習』は頭にない直樹であった。 顔を上に向けてタバコをふかしている彼の名は、城山一世という。変わった名前だが、本人はインパクトがあって良いと思っている。 ちなみに、彼こそが直樹の父親である。だが、血は繋がっていない。幼い頃に両親に先立たれた直樹を引き取ったのである。依頼十二年、彼は直樹を育ててきた……と言っても、彼は根っからの放任主義である。成績も友達付き合いも、全て自分で解決させた。手を貸したことと言えば、書類にハンコを押したり集金袋に金を入れてやったりしたくらいだ。直樹が高校に入った最初の成績発表で、家庭科と物理が赤点すれすれであったときにはさすがに口を開いたが、出てきた言葉が「すげーなこれ、俺よかひでーじゃねーか」だけだったというのだから、只者ではない。 今日は土曜日だ。自営業者のほとんどが、サラリーマンのほとんどが、日本の明日を支えるために汗を流している。にも関わらず、一世は呆けた表情でただただタバコを吸っている。 彼を責めてはいけない。これでも仕事中なのだ。どこが仕事だと言われれば、多分彼はこれが仕事だ、と答える。 一世は待っているのだ。仕事を持ってくる客を。 待ちが仕事と言うなら、仕事なんてほとんどそんなものなのだが、一世はその中でも本当に待って待って待ち続ける職業に就いている。 探偵? 違う。 弁護士? これも違う。 刑事? ある意味近い。 一世の仕事。 それは、世に言う霊媒師である。魑魅魍魎を退治し、世の中を霊的に安定させる人々。それって職業か? と聞かれたら普通の人々は閉口するが、一世は書類の職業欄に堂々と『霊媒師』と書く。それで何の文句も言われないのは(もちろん多少は言われるが)彼が住んでいる場所とそこでの彼の立場故である。 済んでいる場所。それは、一般的に教会と呼ばれる建造物である。 彼の立場。それは、一般的に神父と呼ばれる立場である。 そう、彼は神父なのだ。例えまだ三十二歳だろうが粋なメガネをかけた切れ長の瞳の美青年だろうが、ロレックスをつけてポルシェを乗り回していようがとにかく彼は神父なのである。 一世は、静かに煙を吐き出した。口をまん丸になるように開けている。どうやら煙をドーナツ状にしたいらしいが、見通しは暗そうである。 不意に、体を起こした。正面の入り口を見る。瞳に、鋭い光が宿る。 彼が見守る中、扉が音を立てて開いた。その向こう側に人はいない。いるのは……一匹の、黒猫だった。 黒猫はトコトコ歩き、一世のいる机の上に飛び乗る。そして、金色の瞳で真っ直ぐ一世を見つめた。一世は黙っている。 時間にすれば数秒の、長い沈黙が流れた。先に口を開いたのは、黒猫の方だった。 「気付いて、いるのだろう?」 一世はそれを聞いて、ニヤリと笑った。 「化け猫が何の用だ?」 「化け猫とは失礼な。これでも俺は立派な魔族だ」 「どうでもいい。何の用かと聞いているんだ」 本当にどうでもいいらしく、一世の口調は気が抜けていた。 「依頼を持ってきた」 「ほう? 仲間を売りにきたか?」 「そうではない」 黒猫は首を横に振る。変に人間っぽい猫である。 「あなたの息子についてだ」 それを聞いて、一世の顔に面白がっているような笑みが浮かんだ。 「……話してみろ」 |
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