oneself hero

 

 死に物狂いで自転車をこいだ。なぜなら、まだカラスが視界の端にチラチラと映っていたからである。少女のトリックだと分かってはいても、やはり不気味であることに変わりはなかった。

 投げ出すように自転車を留めて、チェーンをかけてダイヤルを適当に回し、そこで軽食コーナーにコンビニの袋を忘れたことに気がついた。

「あっちゃー」

 中身に未練はないが、店の方に迷惑をかけたと思う。今度お詫びも兼ねて金を使いに行かなければ。

 直樹は駆け足で、教会に隣接している自宅へ向かった。隣接と言ってもほとんど教会の一部になっていて、そのことで調子に乗った一世は教会の礼拝堂をそのまま仕事場にしている。合理的と言うか、無神経と言うか……。

 直樹は家の扉を開けて、自室へ向かった。中学入学と同時に与えられたのである。その際、一世は「まぁ、いろいろある年頃だしな」と、当時の直樹には意味不明なことを言っていたが、今の直樹はその意味がよく分かる。

 中に入る。パイプベッドに机、タンスとクローゼットという顔ぶれだけで、もう床は人が二、三人座れるか否か、という状態である。そこに最近本棚まで加わったので、人は入れて二人が限度という状態になっている。はっきり言ってかなり狭いが、それでも直樹はこの部屋が気に入っていた。

 その部屋の中央に、奇妙な先客がいた。

 黒猫である。首輪もなにもつけていない猫が、金色の目でじっと直樹を見ている。

 カラスの次は猫か、と思った。なんとなく嫌な感じだが、放っておくわけにもいかない。

「なんだお前、どっから入った?」

 どこからもなにも、扉は閉まっていたのだ。一世が入れたに決まっている。そう考えている直樹は、当然黒猫の返事など期待していない。

 だが、声は返ってきた。

「影山直樹だな?」

「は?」

 抱き上げようとしていた手を思わず止め、直樹は黒猫を凝視する。

 今の……こいつか?

 一瞬そう考え、直樹は急いで首を振る。猫が喋るわけがない。どうせ一世のタチの悪い冗談に決まっている。

 だが、そう思い込もうとする直樹に、黒猫は無情にも再び人の言葉を発した。

「また逃げられるのも厄介なのでな……悪いが、主人が来るしばらくの間、眠っていてもらうぞ」

 その言葉を聞いた直後、

 直樹の意識が、ぷっつりと途絶えた。



 そして目覚めたとき、窓の外はすっかり暗闇だった。

 起き上がって、時計を見る。完全な暗闇ではないから、どうにか文字盤は読むことができた。午後七時四十分。

 しかし、と直樹は寝ぼけた頭で考える。自分はいつの間にベッドに横になったんだろう。布団にもぐりこんだ記憶はない。家に帰ってきた後は、部屋に入ってそれから……

 跳ね起きた。慌てて室内を見回した。

 黒猫の姿は、どこにもない。念のため立ち上がって照明をつけていたが、やはりいなかった。

 夢だったんだろうか、と考える。どうにも頭がぼんやりしている。

 水でも飲もうと、直樹はふらふらと部屋を出た。

 と、キッチンから楽しげな笑い声が聞こえた。一つは一世だ。もう一つは……どうも聞いたことがあるような気がするが思い出せない。女の子である。

 近所の子でも来ているのだろうと、直樹は勝手に解釈した。そういうことは、決して多くないが皆無ではない。一世の立場と外見のおかげであろう。

 そう言えば腹が減ったと思いながら、直樹はキッチンへ向かった。

 だから、

 机の上に置かれたコンビニの袋に、直樹は最後まで気付かなかった。



 案の定、夕食の真っ最中であった。やはり来客のようだ。直樹や一世では作れない、豪勢な料理が並んでいる。

 一世はビールで晩酌をしていた。コップの中の液体を一気にあおり、空にする。いつもなら「神父が酒飲むな」と言うところだが、今回はその一言が出なかった。

 なぜなら、

 一世が空にしたコップに笑顔でビールを注ぐ少女に、見覚えがあったから。

「な、な、な……」

「あ、目が覚めましたか」

 軽食コーナーで会ったあの少女である。エプロンを着ていることから察して、豪華な料理は彼女の手によるものだろう。それはもちろん大歓迎だ。だが、だがしかし、

「教会まで来て勧誘するか!?」

 呆れるあまり、声が裏返った。

「かんゆう?」

 少女がハテナマークを浮かべる。口に人差し指を当てて少し考え、結局なにも思い当たらなかったのか、直樹にこう言った。

「何の話かわからないけど……ちょっと待っててくださいね。今ご飯よそいますから」

 そう言って、直樹の茶碗を手に炊飯器へ向かう。直樹はわけが分からない。

「おう、随分寝たな。日頃夜更かしなんかするからだ。おねぇちゃんの裸を見るのもほどほどにしとけよ」

 一世がご機嫌な様子で言う。彼の、あたかもこの状況が当然のような顔に、直樹はつい怒りを覚えた。

「やかましいっ!! それよりなんだよこれどうなってんだよ!!」

「なにが」

「だから、なんであの子がここに当然のようにいるんだよ!!」

 一世はなにを分かりきったことを、という顔をする。

「決まってるだろう。ここにいるのが当然だからだ」

「答えになってねぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 直樹、席を立って絶叫する。

「うるさい奴だな。説明してやるからまぁ座れ」

 うざったそうに言われてムッとくる直樹。が、それでも一応座りなおす。それを確認して、一世は口を開く。

「いいか。健全な男女が愛を確かめ合うときはだな、まず女の方をベッドなり布団なりに横にして……」

「何の話だっ!!」

 唐突に性教育を始めた一世に、直樹は声を荒げる。

「冗談の通じない奴だな」

「あんた、どう考えても神父じゃねぇ……」

 そうこうしていると、少女が茶碗を持ってやってきた。

「はい。どうぞ」

「あ、どうも……」

「別にお礼なんていいですよ。取り引きなんですから」

 不意に、耳に飛び込んだ言葉。

「取り引き?」

「あれ? 今聞いたんじゃ……」

「いや、こいつが前置きに茶々を入れてな」

 何の前置きだ……と直樹は口の中で呟く。

「まあ本人も来たことだし……一言で言うとだな、その子は仕事の依頼人だ」

「は?」

 一瞬、言葉の意味が理解できなくなる直樹。

「だから、依頼人」

「あ、ああ……って、それじゃ説明になってないじゃないか」

 まぁ待て、と言うように、一世は直樹に手の平を向ける。

「まぁ、初めから説明してこうか。そもそも最初はその子じゃなくて、」

 一世は、背後を振り返る。すると、一世の椅子の脚の間から、一匹の黒猫がぬぅっと出てきた。

 直樹には、その猫に見覚えがある。

「げ、こいつは……」

「そこらへんは後でゆっくりやってろ。だからな、最初はこいつが、俺のところに来たんだ。仕事を頼みたいってな」

 それを聞いて、直樹は思わず黒猫を見る。

「仲間を売る気か?」

 返事するな〜、と祈っていた直樹だったが、それを聞いて黒猫は呆れた顔をした。そして、無情にも返事をする。

「親子揃って同じ事を聞くな」

 諦めにも似た感情を覚えながら、今度は一世に顔を向ける。苦笑する一世。

「違う、だそうだ。で、そんなら何の用だと聞いたら、主人から聞けなんて言いやがる。だからこいつの主人である、」

 少女に目を向ける。彼女もいつの間にか椅子に座って、一世に軽く頷き返す。

「その子をここに来させたんだ。ここまではいいな?」

「うん」

「よし、じゃあ次。丁度お前が眠らされた直後にその子が来てだな。仕事の内容はさておき、支払い能力はあるのかどうか聞いたんだ。だがまあ、見事なもので、ポケットに小銭が入ってるだけときた」

 少女が困ったような照れたような、曖昧な笑いを浮かべる。

「とてもじゃないがそれっぽっちじゃ仕事は受けられん。ボランティアじゃないからな」

 直樹は黙って頷く。一世は、ボランティアと仕事ははっきり区別している。無料奉仕の場合は報酬は飴玉一個受け付けないが、代わりに仕事の場合はビタ一文まけることもない。

「それで、悪いが他を当たってくれって言ったんだが、なかなか諦めなくてな。雑用でもお使いでもよと……まぁ、なんでもやるから頼まれてくれと言ってきかんのだ。で、そんなら家事でもやってくれるか、と言ったら即OKしてくれた」

 そして今に至る、と一世は締めくくった。

 直樹はひとまず安堵した。とりあえず自分を追いかけてきたわけではなさそうだ。が、ここでふと思う。

「でも、そろそろ帰らないとまずいんじゃないの? もう時間が……」

「ああ、それなんだがな……」

 一世は少女に目を向ける。そして、少女の方が口を開いた。

「わたし、恥ずかしながら住むところがなくて……だから、家政婦みたいな形でここにしばらく置いてもらうことにしてもらったんです。あ、家賃はちゃんと仕事から棒引きされれるらしいんで」

「い、家がない!?」

「はい」

 そういうことを笑って言われても困る。

「まぁそういうわけだ。幸い料理は美味いし、家事全般は一通りできるらしいんでな。こちらとしても願ったり叶ったり、ってわけだ。なにか質問、あるか?」

 直樹は考えた。少女がここにいる謎は解けた。慣れるには大分時間がかかるだろうが、美味い食事にありつけるのは確かに大歓迎である。思えばここの男二人は揃って料理が苦手だからな……と思わず回想にふけりそうになる。が、一つだけ、今まで無視してきたが、どうしても聞かねばならない事があった。

「一つ、いいかな」

「言ってみろ」

 直樹は恐る恐る視線を床に向けて、

「なんでこいつ喋れるの?」

 と、黒猫を指さしながら言った。黒猫はそれを無視して餌を食べている。食事を中断するつもりはないらしい。

 そして、この疑問には一世も真面目に答えた。

「まあ、喉の構造がどうなってるのかはさっぱり分からんがな。本人曰く『魔族だから』 気にするな、大した問題じゃない」

「ま、魔族?」

「ああ……そうだな。お前はそこらへんよく聞いておいた方がいいかもな」

「な、なんで?」

 だって、と直樹を見る。

「仕事を頼まれるのは、お前なんだから」

 直樹はしばらく、何を言われたのか分からなかった。



 物を動かせば埃が舞い、天井の隅には蜘蛛の巣が張ってあった。曇ってしまって中が見えないガラス戸の棚に、確実に数年はそこに置かれているであろうぼろぼろの本。あとは、よくわからないガラクタがゴチャゴチャと。

 そこが、少女にあてがわれた部屋だった。

 身売りされた子供だってもう少しマシな待遇だろうに、と直樹はその部屋を見て思わずにはいられない。足を踏み出すのにも一苦労、横になって寝るなんて夢のまた夢。

 さすがに、一世がここを示したわけではない。仮にも神父、そこまで鬼ではない。毛布持って居間で寝るなり、直樹を部屋から追い出すなり、とにかくまともに寝れる環境を考えてはいたのだ。直樹も当然そうすると思っていた。

 つまり、この部屋を希望したのは、他ならぬ少女自身なのである。

「やっぱりやめた方がいいんじゃない? これ、とても人の住む環境じゃ……」

「いえ、すっごく気に入りました」

 直樹の提案に、少女は本気で嬉しそうな口調で答える。

 せめて片付けを手伝おうとついてきた直樹だったが、まさかここまで汚いとは思わなかった。これじゃどう頑張っても丸一日は確実に潰れる。

「じゃあ明日手伝うからさ、今日だけは我慢してよ」

「……む〜、分かりました」

 渋々といった感じだったが、少女は今日のところは居間で寝ることを承諾した。

「じゃ、仕事の話でもしましょうか」

 早くも自分を切り替えて、少女はにこやかに言う。

「それはいいけど……本当に俺に頼む気なの?」

「もちろんです。そのためにカラス達に頼んで世界中を捜してもらったんですから」

 不気味なことを言う。

「わたしはここでも構わないんですけど……」

「俺は大いに構う。居間で話そう」

「いえ。できればあなたの部屋で……」

 そこで少女は、思い出したように照れ笑いを浮かべた。直樹が怪訝な顔になる。

「なに?」

「いえ……そういえば、わたし達まだお互いに名乗ってもいなかったんだ、って」

 言われてみれば、そうだった。

「んじゃ、改めて。俺は影山直樹。影山でも直樹でも、好きな方で呼んでくれ」

「じゃあ、直樹さんって呼ばせてもらいます」

「分かった」

 少女は屈んで、足元で待機していた黒猫を抱き上げる。黒猫は嫌そうな表情をしたが、なにも言わない。

「この子は、ポチです」

「ポ、ポチ!?」

「主人。変な名前を勝手につけないでくれ。俺の名前はフェイトだ」

 憮然とした声で言う黒猫、フェイトに、少女はつまらなそうな顔をする。

「ポチの方が良いのに……」

「どこがだ」

「……むぅ。ま、いいや。あ、わたしの名前はスフィです」

「了解。そう呼べばいいんだよね」

「はい」

 どうぞよろしく、と、スフィは丁寧にお辞儀をした。



 一世は一人、居間で野球中継を見ていた。ジャイアンツがボロ負けしている。アンチジャイアンツの一世としては、非常に喜ばしいことだ。だが、一世はどちらかと言うと険しい表情をしている。食卓で見せた、満面の笑みが嘘のように引っ込んでいる。

 考えているのは、スフィとフェイトのことである。

 直樹の前では完全に受け入れているように見せていたが、実のところ、一世は彼女らを全くと言っていいほど信用していない。当たり前と言えば当たり前で、黒猫を使役する女性というのは、キリスト教の敵である魔女や悪魔の類である可能性が最も高い。自分で霊媒師を名乗っているだけあって、一世はそういう相手には容赦しない。いざとなれば、彼女らを全力で倒すつもりでいる。

 一世が様子を見ているのは、スフィの目的が直樹であったからである。一世と違って、直樹には悪魔祓いの能力などない。にも関わらず、直樹には昔から、ごくたまにではあるが、何か、得体の知れない力を感じることがあった。吉と出るか凶と出るかは分からないが、スフィという存在が絡むことによって、それが何なのかあるいは判明するかもしれないと、一世は考えたのだ。結果はもちろん運任せだが、出来る限り方向を吉に向かわせようとは思う。一世は、別に直樹を不幸にしたいわけではないのだ。

 テレビ画面の向こうで、ジャイアンツの名前も知らない外野がエラーをした。対戦相手であるヤクルトに、また一点入る。

 一世はその様子を、険しい視線で見つめている。



 直樹の部屋には来客用の椅子どころか、座布団の一つすらない。男友達は床で十分だし、女の子を呼んだことなんか一回もないからだ。仕方ないので、ベッドの端に腰掛けてもらうことにした。

「で……」

 自分は椅子に、椅子の背を前にして座り、直樹はスフィに向き直った。

「仕事ってのは、なに? 先に言っとくけど俺には出来ることと出来ないことがあるよ?」

 実際には、多分出来ることなどほとんどないと思う。

「俺が出来ないことだったら、悪いけどただの働き損ってことに……」

「いえ。その可能性はありません」

 スフィは、はっきりと言った。

「もう確認しましたから」

「確認? なにを?」

「求めた相手が、あなただという事を」

 なにを言われているのかさっぱり分からない。やっぱり勧誘なんじゃ、と頭に再び疑念が湧く。それを知ってか知らずか、スフィは言葉を続ける。

「わたしが頼みたいのは、ある役割を負ってもらうことです」

「役割?」

「はい」

 なに? と聞いた直樹に、スフィは確かにこう言った。

「勇者になってもらいます」

「……は?」

「だから、勇者です」

 直樹は、いよいよ危ない世界になってきた、と思った。

「その前に、わたしが誰なのか、教えておく必要がありますね」

 スフィはそう言って、直樹と視線を合わせる。

「……!!」

 戦慄した。

 彼女が初めて見せるそれは、どんな化け物も裸足で逃げ出すような、凄まじい光を湛えた瞳だった。

「わたしは、魔王です」

 スフィが言う。直樹は、迫力に飲まれて何も言えない。

「覚えていませんか? わたしは、五千年前に、勇者であったあなたに封印された魔王です」

 覚えているわけがなかった。五千年前のことなど、教科書で見るくらいだった。

 それなのに、

 直樹の頭が、奥底にある本能が、彼女の言葉が真実であると認めていた。

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