oneself hero

 

 視界がぼんやりとしていた。

 ただでさえ暗い場所で、目をまともに開けていられない。しばらくして、自分は泣いているのだ、ということに気がついた。

 なにもない空間、というわけではない。

 窓からは夕日が射しこんできていて、部屋の中の調度品を照らしている。服がある、ベッドがある。そして、さっきまで飲まれていた飲み物もある。

 欠けているものは一つだけ。この部屋の、主の姿。

 泣いていた。

 主のいない部屋で、ただ一人きりで泣いていた。

 なぜだろう。

 とても、偉大なことをしたはずなのに。

 これで、沢山の人が助かるはずなのに。

 何一つ、間違ったことはしていないはずなのに。行ったのは、当然の行為だったはずなのに。

 なのに、なぜこんなにも悲しいのだろう。

 嗚咽を漏らした。声にならない声が、口からこぼれた。

「……許してくれ」

 いなくなった者に向かって、

「……許してくれ」

 ひたすら紡ぐ、謝罪の言葉。

「……許してくれ」

 体の中を巡る、猛烈な後悔。仕方のないことだった。当たり前の行為だった。それでも、悲しかった。

「……ったら……」

 最後の瞬間、交わした約束。

 少しは、励ましになっただろうか。どんなにか細くても、光になり得ることができただろうか。

「……生まれ変わったら……」

 もう一度、誓う。謝罪と、励ましと、祈りを込めて。

「生まれ変わったら、その時は……」



 朝のまどろみというのは、格別に心地良いものである。覚醒でもない、睡眠でもない、中途半端な状態。

 直樹は、今がまさにそれだった。目覚まし時計を黙らせて、毛布にくるまってどれくらい経ったか……それはあまりに突然だった。

「うわぁ!!」

 いきなり冷たいものを浴びせられ、直樹は文字通り跳ね起きた。

「む、起きたか」

 憎たらしいほど冷静な声。向くと、フェイトである。バケツが頭上に浮いていることから察して、あれで水でもぶっかけたのだろう。

「早く起きろ」

「うるさいな……すぐ起きるよ」

 だるそうに言って、のろのろと立ち上がる直樹。眠気は完全に吹き飛んだが、真冬に水を容赦なく浴びせられたのだ。むしろ全身が凍えるように寒い。

「お前、これどうすんだよ。夜ここで寝ろってか?」

 すっかりびしょ濡れになったベッドを見て、直樹。

「そっちの方はなんとかするが……いいのか?」

「なにが」

 フェイトは黙って、尻尾で時計を示す。目を向ける直樹。

 時計は、午前八時十五分を指していた。

 直樹は自転車通学である。ここから学校へ行くには、急いで二十分、ゆっくり行って三十分かかる。

 ちなみに、朝の制限時間は、午前八時二五分だったりする。

「……」

 直樹は、一瞬沈黙した。そして、

「しまったぁぁぁぁぁ!!!!」

 次の瞬間、弾かれたように動き出した。



「あ、直樹さん、おは……」

 足音を聞きつけたスフィがキッチンから顔を出したとき、

「え?」

 直樹は既に、彼女の背後にいた。

「朝飯いらないっ 行ってきます!!」

 言う間にも足は止めず、玄関の戸を壊れよとばかりに開けて閉じ、数秒後には「うおおおぉぉぉぉ」という声が聞こえた。

「なんだ、また寝過ごしたのか」

 食後のお茶をすすっていた一世が言う。

「次はフライパンを上から落とすか。あ、主人、あいつのベッドを水浸しにしたんで、悪いが干しておいてもら……主人?」

 フェイトの声にも反応せず、スフィは呆然としている。

「わたしに……反応すらさせないなんて……」

 感極まった声。

「……さすがですね、直樹さん」

 スフィはそう言って微笑む。その笑顔には、軽い戦慄が混じっている。

『……』

 一世とフェイトは、何と反応すればいいのか分からずにいる。



 自慢ではないが、直樹はそこそこの運動神経がある。体育もクラスで上の中くらい。特に卓球は中学時代ハマっていたこともあって、雨の日なんかで卓球をやるときは、直樹は卓球部員のいない自分のクラスで最強を誇る。

 だが、

 いくらなんでも、朝飯も食わずに、坂の多い通学路を全力疾走するというのは無理な注文である。

 案の定と言うか何と言うか、やっぱり直樹はへばっていた。制服をカゴに突っ込んで、肩で息をしながら、通称『誠心の坂』をとぼとぼ歩いている。名前の由来は、すぐ近くにある誠心高校。直樹の通う学校で、私立みたいな名前だがれっきとした公立高校である。

 遅刻はもう確定事項だった。なぜなら、腕時計が午前八時三十五分を指しているから。「実は休みだよ」とかいうオチでもない限り、直樹の今日の出席簿に「遅」の字がつくのは避けられない。

 よって、直樹はこうしてのろのろと歩を進めている。どうせ急いだってムダなのだから、体力は使うだけ損なのだ。

 それに、こうしてゆっくり考える時間ができたというのも、ありがたい話だった。

 思い出すのは昨日、午後からの、スフィの部屋。



 床が片付けばあとは、楽と言えば楽だった。掃除機やはたきや雑巾を、隅から隅までかければいいだけの話。体力的には午前の何倍もきつかったが、直樹はロボットになったつもりで黙々とやっていた。

 スフィが話し始めたのは、そんな時だった。

「直樹さん」

「うん?」

「今の世の中を、どう思いますか?」

 いきなり何を言い出すのだ、と思った。

「どういうこと?」

「いえ……どんな感じでも構いません。思ったことを、正直に言ってみてください」

 直樹は考えた。考えて考えて、自信なさげに言った。

「まあ、いろいろ問題は山積みになってるけどさ。世界中戦争だらけってわけじゃない分、まあまあ平和……だと思う」

「平和、ですか」

 妙にシリアスになって呟くスフィ。

「……その平和が、近いうちに崩れるのだとしたら、どうします?」

「はい?」

 言葉の意味が理解できず、直樹は聞き返す。スフィは大真面目に、

「もうすぐ、この世界は崩れます。天変地異が嵐のように吹き荒れて、三日ともたずに文明は滅びるでしょうね」

「ちょ、ちょっと待った」

 直樹は片手を上げ、スフィを制する。

「どういうこと?」

「ヤジロベー、です」

「は?」

 スフィは一呼吸おき、話し出す。

「片方が異常に重いヤジロベーは、すぐにバランスを崩して倒れてしまいます。世界も、同じことなんですよ。今の世界は非常にアンバランスです。それこそ、いままでもっていたのが不思議なくらい。でも、そろそろ限界でしょうね」

 そこで、とスフィは直樹を指さし、

「直樹さんの出番なわけです」

「なんでそこに俺が出てくるんだ?」

「直樹さんが、勇者としての能力を持っているからです。五千年前も、危うかったバランスを保つために、直樹さんはわたしにその力を向けました。今回も同じです。再び勇者が必要になったんです」

「人違いじゃないのか?」

「間違いなく直樹さんです」

 自信たっぷりに、スフィ。

「根拠は?」

「直樹さんが、力を持っていないからです」

「?? 勇者ってのは、力を持ってる存在なんじゃないの?」

 スフィは首を横に振り、

「普通の人や魔族が持ってる、オーラみたいなものがない、という意味です。このオーラっていうのはその人が光と闇どちらに属するかを表していて、それが存在しないという事こそ勇者であるという何よりの証なんです」

 微妙に怪しい話になってきたなぁ、と直樹は思う。

「わたしがお願いしたい仕事というのも、その事です」

 スフィは、直樹を真っ直ぐ見つめる。直樹もつられて、真剣な目で返してしまう。

「『今の崩れかけた世界の均衡を、勇者である直樹さんに保ってもらいたい』 これが、依頼する仕事の内容です」

 そう言って、スフィはすっと頭を下げた。そんなことをされては、逆に直樹の方が困ってしまう。

「まず、頭を上げてよ」

 言われて、素直に体を起こす。目が直樹を見つめる。期待する眼差し。直樹は、思わず視線を逸らす。

「直樹さん?」

「……悪いけど、やっぱり人違いだと思う。俺には、そんな特別な力なんて……」

「いいえ、絶対に直樹さんです」

 その、全てを確信した声に、直樹は苛立つ。

「世界中に、人が何人いると思ってるんだ? その中から、都合よく目当ての人間を探し出すことなんて……」

「オーラが見えないんだから仕方ないことではあるんですけどね……その、何人もいる世界中の人の中で、一人だけ周りと全く違う人間が、目立たないと思いますか?」

 そう言われると、反論できない。

「それに、力がない、なんてどうして言い切れるんですか? 明日には目覚めているかもしれませんよ? 目が覚めたら使えるって可能性も、ゼロじゃないんですよ?」

「詭弁だね、そんなの」

「はい、詭弁です。そう思うんなら、覆してみることですね。そうじゃなきゃ、ただの負け惜しみですよ」

 今のは効いた。

 グサリときた。

 さすがに魔王を名乗るだけのことはあり、どう言うのが効果的か、把握しているようだった。

「……少し、考えさせてくれると助かるんだけど」

「いいですよ。待ってます」

 直樹は、がっくりしながら立ち上がった。情けない、いくら得体が知れないとは言え、年下の女の子に、ああも見事に言いくるめられるとは……。

「あの、直樹さん」

 部屋を出て行こうとした直樹に、スフィがなぜかおずおずと言った感じで声をかけた。

「ん?」

「あの……ごめんなさい。ひどい事言っちゃって。でも、断られると本当に困るから、だから、その……」

 分からなくなる。

 目の前の、素直に反省しているこの少女は、何者なのか。

 見た目も言動もどことなく子供っぽいし、十五歳という年齢に思わず頷いてしまうところもある。かと思うと、先程のような、遥かな高みから見下ろすような態度をとることもある。そして、そういう行動に全く違和感がない。

 それに、出会ってまだ一日ちょっと。本来なら、もう少し警戒心を持っていてもいいはず。

 なのに、完全に思っている。彼女は、安全だと。

 ……知っているのだ。

 ……自分は、この少女を知っているのだ。

 どこかで会った。遠い昔、眼下の集落、一面の白い花、微かに残った雪、陽光が照らす場所、

「直樹さん?」

 我に返った。

「どうかしたんですか?」

「い、いや。別に……」

 話を逸らすために、直樹は急いで言った。

「そういえばさ、さっきのバランスって、何と何のバランス?」

 スフィは、「そんなことも分からないのか」という顔をする。

「魔族と人間ですよ。決まってるじゃないですか」

「ふーん、魔族とにんげ……ちょっと待った!!」

「なんですか?」

「一つ聞くけど、今世界のヤジロベーで重いのはどっち?」

 スフィは呆れた顔をして、

「魔族が多いわけないでしょう。当然人間です」

 ちょっと待てちょっと待てちょっと待て。暴走する頭を必死に抑え、直樹は考える。自分に頼みたいのは、確か世界のバランスではなかったか? そんでもって、現在強いのは人間で、弱いのは魔族? ということは……。

「まさか、俺に魔族が増える手助けをしろ、と?」

 恐る恐る、首を横に振ってくれることを願って直樹は聞いた。

 が、

「はいっ その通りです!!」

 力一杯、スフィは頷いたのだった。



「人類の裏切り者になれってか……」

 勇者って確か、魔王を倒すのが役目じゃなかっただろうか?

 スフィが言うには、現在は人間で溢れ過ぎてるから、少し和らげる、とのこと。例えるなら、硫酸みたいなコーラだから普通のコーラに直さなきゃ、という所だろうか。

 しかし、と思う。なんせ魔族である。スフィみたいにほとんど人間な奴ならまだしも、やはり、いわゆるモンスターな奴の手助けということにもなるのだろう。

 頭の中に、黒ずくめの服で焼け落ちていく町を眺めながら高笑いしている自分の姿が浮かぶ。

 直後、勇者の剣によって絶命する自分が見える。どうでもいいが、なんで勇者が綾なんだろう。

 それはそれで、なかなかユニークな人生かもしれないと思えなくもない。まぁ、少なくとも非凡であることは疑いようがない。

 結論を出すには、情報が少な過ぎた。

 帰ったらもう少し詳しく聞こう、と思う。

 ふと、そんな自分を他人が見たらどう思うだろう、という考えが浮かんだ。狂ってるとしか思えない少女の言動を真剣に受け止めて、魔王だのなんだの、マンガみたいな事をくそ真面目に考えている姿。

 滑稽。途方もなく滑稽だと思った。

 それでも、放り出そうとは思わない。

 約束があった。

 大事な大事な約束。仕事も世界も抜きに、守らなければならない約束。

「……あれ?」

 直樹は、自分に疑問を発した。

「約束ってなんだ?」

 思い出せない……と言うかスフィとした約束といったら、服やらの生活用品を買ってやる、といったことくらいだ。強いて言うならオルゴールだが、どうも違うような気がする。

「……?」

 答えが出ないまま、坂を登りきった。自転車に乗り、のろのろと学校へ向かう。



 長い長い眠りだった。目を開ければ、全く知らない風景が、ゆっくりと後ろに流れていた。

 どれくらい眠っていたのだろう、と、期待はせずに調べてみる。予想に反してすぐに分かった。なんと、五千年も経過している。しかも場所まで前にいた所とは違っていた。これでは分からなくて当然だと思う。

 目が覚めて、とりあえず気になるものが二つあった。

 片方は、少し前に復活したらしい。よく知っている。害はない。むしろ、不可抗力とはいえ哀れであった存在。まあ、今回はそんなことはないだろうが。

 問題なのは、もう片方。

 間違いなく危険だった。明らかに害意を持ち、それを異常なまでに信じている。

 無視できる存在ではない。そいつの敵意は、目覚めたばかりの方に向き始めている。

 殺させてはならない。

 かろうじて残っていた命綱を断つような真似は、絶対にさせてはならない。覚醒したのは、正にそのため。

 絶対に、阻止せねばならない。

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