oneself hero

 

 なんせ、魔王がいるくらいなのだ。

 鬼がいたって、別に不思議なことではない。

 最近物事に寛容になったなぁ、と、わけの分からない思考を巡らせながら、直樹は目の前で仁王立ちしている綾を見上げた。

 同じクラスなのである。十年の間に作られた腐れ縁はなかなか強力で、小学校から今まで、違うクラスになったのは一度もない。

 結局二十分の遅刻で担任にこってりと油を絞られ、ようやく開放されたのは一時間目が始まる五秒前。自分の授業があるはずなのに、担任の山口先生は愛を込めて、ぎりぎりまで時間厳守が如何に重要か、を説いた。

 五秒前に職員室に向かって、時間厳守できるんだろうか、と思う。

 そして、直樹は一時間目を見事に寝て過ごした。

 教科は国語、内容は古典。これが六時間目で前の授業が体育ならもう核爆弾並の威力なのだが、あいにく一時間目だ。威力は精々マシンガン。

 だがまあ、どちらにしても人は死ぬ。

 で、せっかくだから二時間目まで寝て過ごそうと思っていた直樹を、綾が叩き起こしたのである。

「起きた?」

 固くも柔らかくもない、普通の声。とても、たった今一人の人間の足を踏んづけた者の言葉とは思えない。

「起きたよ、起きたとも。随分効果的に目を覚まさせてくれるじゃんか」

 たっぷりと嫌味を込めて、直樹。

「そう。そんなに感謝してるんだったら、今日購買で何か買ってね」

「感謝してない」

 綾は、そんなことはどうでもいい、とでも言いたげに首を振り、本来の用件を口にする。

「こないだ貸したCD、コピーするとか言ってたけど、もう終わったの?」

 先週の話である。直樹が割と好きなアーティストのアルバムを綾が買ったと言うので、コピーさせてくれと直樹が頼んだのだ。著作権がどうのこうのと言う綾を「売らなきゃ大丈夫」と言い聞かせ(本当に大丈夫かは直樹もよく分かっていない)次の日に持ってきてもらったのである。

「あ、あれね……ごめん。まだなんだ」

 冷や汗をかきながら、直樹は言った。

 なぜに冷や汗などかいているのか。

 理由は簡単。そのCDはもう永遠に聴くことのできない状態になっているからである。おそらく、スフィが大暴れしたときだろう。気がついたときには、CDは見事に真っ二つになっていた。ボンドでくっつけるなどという安易な修復方法が可能なわけもなく、結局直樹は、見なかったことにするという愚行に走ったのである。

 その結果がこれなのは、言うまでもない。

「早くしてよ。わたしだってあんまり聴いてないんだから」

「あ、ああ。うん、分かった」

 幸い、CDはサイン入りとかそういう特別なものではない。

 後日、こっそり新しいものを買い、それで誤魔化すしかなかった。

「それと、はいこれ」

 そう言って、綾は直樹の机の上にどさっと紙袋を置く。

「なにこれ」

 中を覗いた直樹は、そこで意外なものを見る。

 あったのは、服や下着や洗面用具。前二つは、どちらも女の子用である。

「あんまりジロジロ見ない」

「あ、ごめん」

 下着を見てつい赤くなっていた直樹は、慌てて目を逸らす。

「で、どうしたの? これ」

「スフィに、と思って」

「スフィに?」

「そ。趣味とかはともかく、そういうのはないと困るんじゃないかと思って。あ、服はお古だけど、下着はちゃんと新しいやつだから」

 歯ブラシもね、と綾は付け加える。

「よく分かったな。こういうのが足りなかったって」

「スフィは、まだ住み着いて間もないみたいだからね。三日かそこらじゃない? で、住み込みってことは当然帰る家なんかないってことでしょ。部屋覗いてみたけど荷物もなさそうだったし、そうすると服とかあんまりないんじゃないかって」

「……ほんと、探偵になれるよ、お前」

 感心したような直樹。綾が今言ったことは、全て当たりである。

「ただの勘よ」

 感心されることがむず痒いのか、視線をあちこち彷徨わせる。と、その目が窓の外の一点で固定された。

「ねえ、あれ」

「うん?」

 直樹は綾が指さした方を見て、絶句した。

 カラスである。

 それも、かなりアランに似たカラス。カラスの個体の違いなんか分かるのかと言われると、多分直樹は返事はできないだろうが、なんと言うか、目が似ている。

 あの、人を見下したような、鳥類の分際で、と思わず言いたくなるような目。

「なんか、スフィのペットのカラスに似てない? 目がなんとなく……」

 どうやら、綾も同じことを思ったらしい。

「……カラスの目なんて、どいつも同じようなもんだろ?」

「まあ、そうだけど」

 まだ気にはなっているようだが、綾はアラン似のカラスから視線を外す。

「あ、俺ちょっと、花を摘みに行ってくる」

 トイレの意である。綾は眉をひそめ、

「男が言うと気色悪いわよ」

 直樹はそれをさりげなく無視して、同じようにさりげなく窓の外に「ちょっとツラかせやコラァ」的視線を送り、席を立った。



「……はぁ〜」

 居間のソファにて緑茶をすすりながら、スフィはご満悦の表情で息を吐いた。

「新茶って美味しい」

 断っておくが、彼女が今飲んでいるのは断じて新茶ではない。おそらく、ちょっと言ってみたかっただけだろう。

「フェー君も飲む?」

 ホットカーペットの上で丸くなっていたフェイトに、湯飲みを軽く勧める。

「主人。俺が猫だということを知ってのことか?」

「うん。もちろん」

 にやにや笑いながら、スフィ。

「猫舌という言葉は、知っているか?」

「当たり前だよ、そんなの」

「そうか」

 フェイトはよっこらしょと身を起こし、スフィをちらっと見て、

「そんなに痛い目に遭いたいか」

「え?」

 とスフィが声を発する間に、

「あうっ!!」

ガインッという擬音と共に、テーブルの上に置かれていたコーヒーカップが見事にスフィの顎に命中した。反動で上を向き、上体を逸らし、

「ふにっ!!」

 更にもう一発上からお見舞いされ、ひっくり返る。

「おうっ!!」

 床で頭でも打ったのか、断末魔の悲鳴を上げるスフィ。ソファの背ごしに見えていた白い足がピクピクと痙攣し、動かなくなった。

「主人。生きてるか?」

 自分でやったくせに、ぬけぬけと声をかけるフェイト。しばらくして、地獄の底から響いているかのような声がした。

「フェ〜く〜ん、ひ〜ど〜い〜よ〜」

 のそのそと床を這い、スフィが顔を出す。フェイトを恨めしそうに見る目は、案の定涙目。

「人をからかったりするからだ。俺がそういう冗談は嫌いだというのは、前にも教えたはずだが?」

「五千年前だもん。覚えてないもん」

「……だったら、今からみっちりと、体に教え込んでやろうか?」

「たった今、はっきり思い出しました!!」

 冗談に聞こえないフェイトのセリフに、スフィは慌てて跳ね起きる。一応、フェイトはスフィの使い魔のはずなのだが、そういう主従関係はまるでない。

「フェー君、最近苛々してない? あんなので怒るなんて」

 キッチンにタオルを取りに行きながら、スフィが言う。手にしていたお茶は、とっくに床に飲まれている。幸い湯飲みは無事だった。

「苛々もするさ」

「なんでー?」

「本気で言ってるのか? それは」

 間延びした声に、やや険の増すフェイト。

「……直樹さんのこと?」

 こちらも、ガラリと変わった真剣な声。

「ああ。力に目覚めないどころか、見つけてから全く進展がないじゃないか。最初はそのうち目覚めると思っていたが、その兆しすら見えないとは」

「そのうちって、まだ三日目だよ? フェー君の気が早いんだよ」

 タオルを手に戻って来て、床を拭きはじめる。

「なにも、今すぐ目覚めろとは言ってない。だが、兆候くらいは現れても……」

「現れてるよ」

 フェイトを遮って、スフィ。

「少しずつだけど、記憶は戻りつつあるんだと思う。常識じゃ考えられないようなわたし達の存在を受け入れてるのが、いい証拠だよ。ほら、初めはアラン達を見ただけで怖がってたじゃない。なのに、今は全然普通に接してる」

「……」

 フェイトは、無言。

「フェー君」

 スフィは手を止め、フェイトを抱き寄せる。フェイトは特に抵抗しない。

「五千年に比べれば、すぐだよ、きっと」

「……ああ」

 一応は納得したらしいフェイトに安堵し、スフィは改めて床を拭く。

 が、

「しかし、あまりのんびりもしていられないと思うぞ」

 スフィは不満げに顔を上げ、

「フェー君、しつこい」

「真面目な話だ。あいつが目覚める前に、主人がいなくなったのではどうしようもない、ということだ」

「わたしが? なんで?」

 小首を傾げるスフィに、フェイトは一言、

「エクソシスト」

 その一言で、スフィの顔に緊張が走った。

「もう来てるの?」

「いや、まだだが……時間の問題だろうな。まあ、しばらくは見つかることはないと思うが」

 なにせ、ここは腐っても日本のエクソシスト、一世の家である。まさか同業者の所に隠れているとは思うまい。

「だが、戦いとなればあいつの能力は必須だ。全開のときならいざ知らず、今の状態ではとても勝てないだろう?」

「……うん」

 五千年の間に、スフィは能力を大幅に低下させている。言ってみれば、寝起きで体が今一つ本調子ではない、というところ。ポルターガイストを引き起こすくらいが精々である。

「ま、急かしたところでどうにかなるような事でもないが……あまり派手に動かない方がいいな」

「派手になんか元々動いてないよ」

「そうか? 一昨日の夜に思いっきり力を使っていた者の言葉とはとても思えないが」

 スフィ、うっと詰まる。

「そういうことだ」

「は〜い」

 お説教を受けた子供のような声で、スフィは返事をする。

 

 屋上。

 昼休みになれば、初々しい男女や熟年男女(監視の先生)が弁当をつついたりする所である。たまにタバコの吸殻やムカデなんかの死骸があったりするが、そういうものは皆無視している。

カメラを仕掛けておけば、放課後の告白シーンや、あるいはもっと凄い場面が撮れたりするかもしれない、そんな場所。

そんな場所だが、現在いるのは恋人でも教師でも不良でもなく、一人の男子生徒と一羽のカラスである。

「なにか用か?」

 カラスが口をきいた。男子生徒こと直樹は、やっぱりアランか、と肩を落とす。そして、

「なにか用か? じゃねーよ、学校まで来てなにしてんだよお前は」

「答える義務はない」

 相変わらず、人を馬鹿にしたような態度である。

「スフィの命令か?」

「……」

 あくまでシラを切るつもりらしい、が、直樹とてカラスにここまで馬鹿にされて黙っているほど、お人好しではない。

「……お前には一度、鳥類としての立場っつーもんを自覚させてやる必要がありそうだな」

「? なにを……」

 皆まで言わさず、直樹はアランのくちばしをぐいっと引っ張り、胴体をガシッと掴んだ。

「離せ、離さんか!!」

 直樹に逆さ吊りにされ、喚くアラン。

「人権損害だ!! 弁護士を呼べ!!」

「やかましい!! カラスの分際で人権語るな!!」

 売り言葉に買い言葉であるが、体勢的にアランは分が悪い。

「貴様、いい加減にしろよ? 昨日は無関係の女だからおとなしくしていたが、わたしは魔族だぞ?」

「だったらどうし……うわっ!!」

 突然の不可視の圧力に、直樹は吹っ飛ばされる。

「ふん。それ見た事か」

 勝ち誇ったように、アラン。力がまだ働いているらしく、直樹は身動きがとれない。

「さあ、負けを認めるか? 『申し訳ございませんでした、アラン様』と言えば、許してやらないこともないぞ?」

「だ、誰が……うぐぉ!!」

 押し潰されそうな圧力に、直樹は声すら出せなくなる。アラン、勝利の雄叫び。

「ふはははははは!! 覚えておけ、わたしに命令できるのは、この世に主ただ一人だということをっ。大体貴様は図々しいのだ。大した力もないくせに主と対等以上の立場などと。あの一世という男は家の主なのだからいいとして、貴様はそれすらもないではないか。ほら、なんとか言ったらどうだ」

 相手が喋れないことをいい事に、罵詈雑言を浴びせかけるアラン。無論、これら全てを本気で言っているわけではないのだろうが、言われている直樹にはそんなことは関係ない。

「……」

 たった今、

 直樹の中で、何かが切れた。



「……ーんだよ」

「? なんだと?」

 何かを呟いた直樹に、アランは段々エスカレートしてきた悪口を止める。

「今、なんと言った?」

 そう言われて、上げた直樹の顔。

 スフィの十分の一にも満たないとは言え、アランは人の寿命の軽く倍は生きている。

 そんなアランが、戦慄を覚えた。

「聞きたいか?」

 ボソリ、と直樹。できれば聞きたくないが、そうも言えないアランは、

「ぜ、ぜひとも聞きたいな」

「あのな……」

 直樹は、大きく息を吸い込んで、



「うっせーんだよこのボケガラス!!!!」



 その瞬間、



 学校中の窓ガラスが、一斉に割れた。



 湧き上がる怒号に悲鳴、廊下にうずくまっている生徒の姿。中には体の一部を押さえて苦しんでいる者もいる。ガラスの破片で傷ついたらしい。

 そんな光景を見て、直樹の顔色は、真っ赤から真っ青へ、一気に変化した。

「お、俺のせい?」

 どうもタイミングが良すぎるような気がするが、いや、しかし、

「でもな、怒鳴ったくらいでガラスが割れるわけないよな。気のせいだよな、うん、気のせい」

 自分を無理矢理納得させ、直樹はやや震える足で扉に向かう。が、そこで、

『やれやれ……とんでもないことをしたものだな』

 という声が、どこからともなく聞こえた。

「あ、アランか?」

『いや。違う』

 驚きに漏れた疑問は、即座に否定される。アランは今の衝撃で、どこかに吹っ飛んでしまったらしい。

「じゃ、じゃあ誰だよお前!? どこから喋ってる!?」

『名前はアルガデス。君の、頭の中で喋らせてもらっている』

 いよいよ終わりだ、と思った。電波少女に毒されたのか、とうとう電波を受信するようになってしまった。

『電波少女とは随分だね。彼女は嘘も狂言も、一言も言っていないのに』

 心が読まれているとは……しかもスフィのことまで知っているなんて。

『ふむ……すっかり混乱しているようだから、分かりやすくいこうか』

「頼んます」

『まず僕の正体だが……そうだな、前世の記憶、というものが一番近いかな』

「は?」

 思わず聞き返す直樹。

『だから、僕は君の前世さ。五千年前スフィを封印した、勇者アルガデスだよ』

 そんなこと言われても、余計に混乱するばかりである。

『目覚めたのは本当についさっきなんだ。安心したよ、スフィが元気そうで……君は大分迷惑を被っているようだがね』

 そう言って、声で笑う。

「自分が封印した相手なんか、気にするのかよ?」

 屋上の扉を開きながら、直樹。普通、封印する相手というのは憎い奴のはずなのだが……。

『そりゃ気にするさ。なんせ僕と彼女は、結婚する予定だったんだからね』

「け、結婚!?……あだ!!」

 思わぬ言葉にバランスを崩し、直樹は階段を転げ落ちる。

『大丈夫かい?』

 階段から落ちようが痛くも痒くもないらしく、淡々と聞いてくる。が、直樹もそれをきっぱり無視して、

「結婚ってなんだよ!?」

『愛し合う男女が同じ家に住んで生活を共にすること、かな?』

 まあ、間違ってはいない。

「そーゆーことを聞いてんじゃねぇぇぇ!!」

『分かってるさ。でもまあ、その話は後にしよう。今は、もっと話さなければならないことがある』

 いきなり真剣味を帯びた声。

「話さなければいけないこと?」

 直樹は言葉を反芻する。

『そう。一つは僕が持っていた、そして今は君が持っている能力の事。そして、もう一つは、』

 声に若干、他者を案ずる気配が混じる。

『すぐそこまで来ている敵について』

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