oneself hero

 

 町中のカラスが休む間もなく飛び回っている様は、なかなか壮観だった。特に目的地があるというわけではなく、あちこちに一見でたらめに飛び交っている。例え町全体を上空から眺めても、彼らの目的を把握するのは不可能だろう。

 誰が想像できるだろうか。

 魔王に重症を負わせた男の行方を、カラスが総動員で捜索しているなどと。



 上着を引き裂いて傷口に当てた。真冬の夜気に肌を晒す事になったが、寒いとは思わなかった。

 人間、とんでもない場面に出くわすと、それ以外の事は全て無視できるようになるらしい。

「止まらないよ、どうしよう!?」

 両手でスフィの傷口を押さえ、肩で携帯電話を支えながら、綾は電話向こうの直樹に言った。多少は落ち着いてきて、今は知っている範囲内での応急処置の真っ最中である。

 最初は救急車を呼ぼうとしたのだが直樹がそれを止めた。思わず正気かと尋ねたが、どうも事情があるらしい。綾はスフィの事はほとんど知らないも同然で、出会ってたった数日とは言え仕事を依頼されたからには直樹はその事情とやらも知っているかもしれないわけで、そう説得されては綾も多少は詰まる。

 だが、命に関わりそうな大怪我である。事情だのなんだの言っている場合ではないと、一応食い下がってはみた。しかし直樹は、「病院なんかに連れて行ったら間違いなく殺される」などと恐ろしく物騒な事を言い出した。スフィが殺されてもいいのかと言われれば、綾は否定せざるをえない。

 というわけで、なんだかんだと言いくるめられ、現在に至る。血は一向に止まらない。発見してからそれなりに時間が経っている。心なし、呼吸が弱々しくなったような気がする。

「全然止まらないよ!! やっぱりどこかに……」

『やめろ!! そんなことしたらスフィは殺される!!』

「そんなこと言ったって、今現在死にそうな顔してるよ!?」

『もうちょっとで着くから、待ってろ!!』

 お前が来たからどうなるんだと思ったが、口には出さない。例え全くの役立たずだったとしても、いてくれるだけで心強いからだ。

『血は!? まだ止まらないのか!?』

 ハッと傷口に目をやり、

「う、うん。全然止まらない。ねえ、どうしたらいい!?」

『励ませ!!』

「は!?」

『励ますんだよ!! ほら、救急車の中で家族が呼びかけるみたいに!!』

「わ、わたし家族じゃないよ!?」

『いいからやれっ!!』

 いつになく強い口調の直樹に、綾はつい言う通りになる。スフィに向かい、一度深呼吸をし、大声で、

『だぁ!! 待った待った!! ストォォォォォップ!!』

 直樹が叫んだ。

「なによ? せっかくやる気になったのに」

『そんなところで大声出したら周りに思いっきり気付かれるじゃないか。小声で励ませっ 囁くように!!』

 励まし方としてはかなり微妙である。

「それって効果あるの……?」

『知らんっ 知らんけどやらないよりマシだ!! 多分!!』

 直樹ってこういうキャラだったかなぁ、と思いながら、綾はスフィの耳に口を近づける。キレイな子は耳まで可愛いなぁとかどうでもいい思考を巡らせながら、そっと、

(スフィ、スフィ。大丈夫? 聞こえる?)

 わずかに『なんかすごく馬鹿みたい』と考えたが、意味がないので忘れた。



 携帯電話をポケットにしまい、直樹は改めて足に力を入れた。坂道だ。気合を入れて一気に駆け上ろうとしたところで、アルガデスが言い出した。

『自転車など捨てろっ!! 遅すぎる!!』

 直樹は思わず反論する。

「自転車捨てたらもっと遅くなるじゃないかっ!!」

 アルガデスは、呆れたように、

『馬鹿か君は? こういうときに能力を使わないで一体いつ使う気だ?』

「こういうときって、そこまで応用が利くのか!?」

『当たり前だ。世界で勇者のみが持つ神と並ぶ能力だぞ? そんなことくらい朝飯前だ』

 自身たっぷりな口調に多少は不安を覚える。だがまあ、試して損はないと思い直し、直樹は自転車を降りた。

『いいか? コツは念じることだ。技術も知識もいらない。ただ、強い思いが大事だ』

「いかにも勇者って感じだな」

『と言うか、あれだ。目的を達成するには強く気を持たなければいけないだろう? それと同じだ。ほら、スフィのところへ行って動けないのをいいことにあんなことやこんなことをする自分を思い浮かべろ。とりあえず彼女のところへは行ける。彼女にちょっとでもそういう気持ちを抱いたら本来なら即刻死刑だが、今回は特別だ』

「……」

 複雑な気分を打ち消し、直樹は自己流で意識を集中させる。これほど真剣になったのは、前に罰ゲームで授業中にアレな本を読まされたとき以来だ。絶えず周囲に気を配り、誰かに見つかる寸前にさっと隠す。直樹の集中力が極限まで高められた瞬間だった。

 だが、今回はそれを凌駕していた。

 目を閉じると同時に周囲の音がやけに静かになる。聞こえるのは風の音。やがて、それすらも意識の外に追いやられる。

 光だ。

 強く、それでいて小さい光が、閉じた瞳に映る。本物ではなく架空の手を伸ばし、それをそっと掴む。

 暖かい。

 それを握ったまま、思う。

 大切なものは、強い思い。ただひたすら、強く念じる事。

 スフィのところへ……

 スフィのところへ……

 スフィのところへ……!!



「わっ!?」

 聞き覚えのある声に、直樹はそっと目を開けた。

 そこは既に、さっきまでいた場所ではなかった。自転車もない。明日の学校どうやって行こうと少しだけ思うが、それどころではないので忘れる。

 目の前に、いきなり現れた自分に驚いている綾がいた。

 そして、

 その向こうに、ピクリとも動かない少女と、猫がいる。

「スフィ……」

 覚悟していたとはいえ、その存在感は圧倒的だった。

『スフィ!! 大丈夫か!? 怪我はないか!?』

 怪我して倒れているスフィにアルガデスは問い掛ける。直樹が呆然としているため、ボケに突っ込みを入れる者はいなかった。

「まだ……まだ死んでないよな?」

 なんだか寒そうな格好をしている綾にコートを着せてやりながら、直樹。

「うん。でも、やっぱりちゃんと手当てしてあげないと……」

 直樹が来てホッとしたのか、いくらか固さの取れた声で綾は言った。

「小野寺さんのところは? ほら、あそこの先生なら優しいし……」

 小さな頃二人が何度も世話になった家の近所の老医者の名前を言う。だが、直樹は首を横に振る。

「どっかの大きな病院に連絡がいっちゃうよ。個人の病院でなんとかできるレベルじゃないと思う」

「でも……」

「俺に任せてくれ。後はなんとかするから」

 意外な言葉に、綾はやや語気を強める。

「邪魔だから帰れってこと?」

「そう言ったら帰るか?」

 平然と言ってきた直樹に、逆に怖気づいてしまう。そう言われるとは思わなかった。

 驚愕の表情で固まった綾に、直樹は申し訳なさそうな声で、

「ちょっと話せない事なんだ。悪いとは思うけど、できればこのまま帰って欲しい。一段落したら必ず連絡する。だから……ごめん」

 頭を下げる。その様子を見て、綾はため息をついた。

「……分かった。絶対連絡してよ? そこまで言うんだから絶対助けてよ?」

「約束する」

 仕方なく、綾は立ち上がった。服についた埃を払い、一言「じゃ」と言って歩き出す。そこで、直樹から声がかかった。

「本当なら送ってやるべきなんだろうけど……悪い。事情が事情だから」

「そんなこと気にしてないで、なんとかするなら早くしなさいよ」

 苦笑するような気配。

「了解」

 角を曲がった時点で、ふと気になって回れ右した。

「ところでさ。まさかあんたが治療するつもりなの? それだけでも……って、あれ?」

 そこに、直樹の姿はなかった。スフィと黒猫も消えている。念のため目を擦ってみたが、やはりいない。

 綾はしばらく、その場にほけっと突っ立っていた。



玄関の内側に出現した直樹は、とりあえず明かりをつけ、スフィとフェイトを抱きかかえたまま靴を脱いだ。そして、小走りで自分の部屋へ向かう。本当はスフィの部屋へ運びたいのだが、怪しげなお札がまだ健在なのだ。

 片手でなんとか扉を開け、ベッドに横たわらせる。フェイトも横にと向いたとき、

「やれやれ」

 と言いながら、なんと起き上がってきた。

「お、お前やられたんじゃ!?」

「俺はやられた振りをしていただけだ。一撃食らって狸寝入りしてたら、あっさり見逃してくれてな」

「それならそうと早く言えよ」

「細かい事だ。それより、どうするのだ? 言っておくが主人は俺と違って冗談抜きで危ないぞ」

 どこまでも冷静な声だが、わずかに焦りが含まれているようでもある。

「なんとかなる、と思う」

『なんとかなる。自信を持て』

 頭の中のアルガデスが、叫びだしたい衝動を必死で抑えながら言う。

「やるか」

 鼓舞するように呟いて、直樹はスフィの傷口に手をかざした。出血が激しいくせに案外鮮明で、食欲がなくなる光景が嫌でも目に映る。当たり前と言えば当たり前だが、スプラッタ映画の比ではない。

 目を閉じて、意識を集中させた。

 暗い。照明の光が意識から外され、完全な闇になる。その中で、直樹は光明を求めて彷徨う。

 これこそが、直樹の、勇者の能力である。

 光の正体は分からない。分かるのは、とてつもなく強大な何かだという事だけ。

 直樹はそれを捜し求め、願う。そして、願いは奇跡という形で実現化する。願いの範囲は無限大で、落とした消しゴムを探す事から銀河系を滅ぼす事までなんでもござれである。欠点らしき事を挙げるなら光がすぐさま見つかるわけではないから時間がゥかる事くらいだが、そんな事大した問題ではない。

 光が見つかった。遠い。遠い向こうに、本当に微かに光が見える。

 近づいて手を伸ばし、光を手に包み込む。そして、願う。



 目を開けると、かざした手の平から淡い桃色の光が溢れていた。思わず「ホ○ミ」とか叫びたくなるが、ネタの分かる奴がいなさそうなので黙る。

 見ると、スフィの顔色が心なし良くなってきていた。順調に回復しているらしい。

「これは……」

 フェイトが近寄ってきて、感嘆の息を吐き出した。

「ちょっと待ってろ。こっちが終わったらお前にもやってやるから」

「それはいいが……まさかこれほど早く使いこなすとは……」

『基本的に修行の必要がないからね……世界一強力だが、同時に世界一扱いやすい能力でもある』

 色々な意味で反則な能力である。

「しっかし、よく見逃してもらえたよなぁ……ひどけりゃ全身バラバラにされてるんじゃないかって思ってたんだけど」

『え、縁起でもないことを言うなぁ!!』

「ああ。俺も主人も、そういう場合も有りうると覚悟はしていたんだ。だが、なぜかあいつは主人が動かなくなるとぱったり攻撃をやめてしまってな。言葉も目も虚ろだったし。直前に主人に一撃食らっていたから、おかしくなったのかもしれん」

「ふーん……」

「? 何か気になるのか?」

「いや。なんでもない」

 そう言って、スフィに向き直る。傷が癒えていく感じが心地いいのか、スフィは安らかな寝顔を浮かべていた。

「そういや、アランは?」

 はっと思い出して、直樹は聞いた。

「まだ連絡が取れない。お前が吹き飛ばしたりするから……」

「わ、悪かったよ。でもあれは……」

「待て」

 言い訳しようとする直樹を、フェイトは制した。

「なんだよ」

 フェイトは、やはり冷静な声で、

「連絡が取れた」



 場所も方角も分からないので、当てずっぽうに飛んでいた。そうしたら偶然見覚えのある町並みが見えたのである。

 概算しても、五町は向こうまで飛ばされていたようだった。

「あの小僧め……まあいい。能力には目覚めたようだからな。それに免じて許してやる」

 全然許してないような声でアランは呟く。一日中飛び回って、既に全身ヘトヘトである。

「ようやく近づいてきたか……ん? フェイトか?」

 頭の中で、突如声が響いた。

『どこで油を売っていた』

「五町ほど向こうでだ。大した稼ぎにはならなかったがな。何か進展はあったか?」

 これで直樹が目覚めていないようなら、殺してやろうかと思う。

『良い意味で一つ。悪い意味でも一つ。どちらから聞く?』

「良い意味の方は察しがつく。小僧が目覚めたな?」

『ああ』

 処刑は延期になったようである。

「で、悪い方とは?」

『エクソシストがきた』

「!! 確かか!?」

『と言うか、出くわした。主人が重症だ。今、直樹が治療に当たっている』

「小僧は何をしていたのだっ!!」

『ちょっと待て。聞いてみる』

 しばらくの沈黙。やがて聞こえた声は、

『ドラマを観ていたそうだ』

「ドラ……ッ!!」

 やっぱり殺してやろうかと思う。

『まあ落ち着け。勝手に出て行った主人と俺が悪いのだ。それより、早く帰ってこい』

「分かっている。後少しで……」

 突然、言葉が途切れた。

『アラン?』

「少し待て」

 言いながら地上に瞳を向ける。その先には三人の親子がいた。そのうち二人は知っている顔だ。

 昼間傷つけた少女と、その母親である。父親らしい人物はケーキを持って、少女は今出てきた玩具屋で買ったらしい包みを抱えている。包装されているところを見るに、誕生日プレゼントか何からしい。

 もしそうなら、悪い事をしたと思った。めでたい日に怪我をさせてしまったのだ。いや、平日ならいいというわけではないが。

 少しだけその様子を見て、アランは飛び去ろうとし、思いとどまった。

 着れもしない大人の服に憧れたのか、少女は洋服店のショーウインドウを眺めている。両親は気付かない。

「おい……」

 案の定、少女がハッと周りを見たときには、両親の姿はどこにもなかった。

 少女は慌てて駆け出す。歩いていた方向に向かって、遅いながらも全速力で。

 が、

「あ、バカッ そこは左に曲がれ。違う、真っ直ぐ行くな!!」

 とアランが言っても聞こえるはずがなく、少女は両親が曲がった道を通り過ぎてしまった。少しして、顔面蒼白で両親が飛び出てくる。で、今来た道を戻り始める。

「違うっ もうとっくに通り過ぎたぞ!! バカ戻るな!!」

『お前、さっきから誰と喋ってるんだ?』

 なにやらわけの分からない事を叫び始めたアランを怪訝に思ったらしく、フェイトが口を出す。

「〜ッ 悪い、帰るのは遅れる!!」

『なに? おい!?』

 フェイトの声を無視して、アランは一直線に少女の方へ向かう。

 少女は相変わらず、全力で駆けていた。既に半べそをかいている。

 周囲に人のいない遊歩道だ。そんな場所にいるわけないのだが、どうも冷静な判断力を失っているらしい。

 と、

 少女が、男にぶつかった。反動でしりもちをつく。男がやけにのっそりとした動作で振り向く。

「ご、ごめんなさい」

 謝るのもそこそこに、少女は立ち上がって再び駆け出そうとし、

 男に手を掴まれた。よほど強い力らしく、少女はあからさまに顔をしかめる。

「い、痛いっ 離して、離し……ひっ!?」

 男が、少女の顔を覗き込んだ。そのまま呟く。

「……ぶつかるのは、悪い事……」

「だ、だからごめんなさいって……」

「……悪は、葬らねば……」

「え?」

 呆気にとられた表情になる少女。が、直後に腕がミシリと嫌な音をたて、

「ああああああああああぁぁぁぁ!!!!」

 曲がるはずのない方向に、曲がった。

 激痛に、うずくまり、嗚咽を漏らす。しっかりと抱えていたプレゼントの包みが手からこぼれ落ち、

 それを、男が踏みつけた。ニタリと笑って、ゆっくりと少女に近づいていく。

 その光景を、アランは見ていた。言いがたい衝動を必死で抑える。疑うまでもなくあれはエクソシスト。出て行く理由はない。このまま、全て見なかった事に、

「ぅぐっ!!」

 声に、はっと目を向ける。

 男が、少女を蹴り飛ばしていた。そしてまた近づいていく。足を上げる。そのまま、踏み潰すつもりのようだ。

 瞬間、アランは自分でも考えられなかった行動に出た。

「貴様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 叫びを上げながら、一直線に降下する。男を能力の範囲にとらえた時点で、一切の手加減ナシに男を吹き飛ばした。男が遥か向こうまで吹っ飛ばされる。

 男がずざざーっと格好良く滑っていく間に、アランは少女を庇うような位置に降り立った。

『アラン!? 何事だ!?』

 珍しく大声で、フェイトが聞いてくる。

「エクソシストを発見した。只今交戦中」

『な!? バカッ 早く逃げろ!!』

「そうもいかん。事情があってな」

『……どうせ、とばっちり食った誰かに同情して庇っているんだろう? 誤魔化せると思うなよ?』

「……すまん」

 ため息が聞こえる。そして、その後フェイトは言った。

『……よく聞け。まず、そこを離れろ』

「ダメだ。私がいなくなったらまた、」

『最後まで聞け。離れるのは、男にお前の姿を認めさせて、できるだけ近づけてからだ』

「どういう事だ?」

『言う通りの場所まで誘導しろ。そこで迎え撃つ』

「だが、我々では勝てはしないだろう?」

『直樹がいる。俺たちはサポートだ』

「……大丈夫なんだろうな?」

『能力はフルに使えるらしいからな。少なくとも、俺達よりは強い戦力だ』

 その言葉に少しだけ悔しさを覚える。が、すぐに、

「……分かった。場所は?」



 男が起き上がった。こちらをじっと見つめ、気持ちの悪い笑みを漏らす。魔王の眷属を見つけて、喜んでいるのだろう。

 アランはそんな男を無視して、少女を一瞥した。

 あらぬ方向に曲がった腕。苦しそうにうずくまる姿。そして、指先の小さなバンソウコウ。

「……重ね重ね、すまない」

 小さく呟いたときには、男が跳躍してきた。間一髪で空に舞い上がる。男に分かるよう、二階建ての屋根あたりで止まる。

 男は再び跳躍し、屋根に乗った。大したジャンプ力だが、所詮、それだけである。

 アランが逃げるように方向を変えると、思い通りに男は後を追ってきた。

「……そうだ、ついてこい」

 貴様に引導を渡す場所まで。



「出番だ」

 フェイトの声に、直樹は静かに頷いた。

「お前は治さないで平気か?」

「致命傷ではない」

 そういう問題でもないんじゃないかと思ったが、黙っておく。

「でも、ここで待ってろよ」

「そうさせてもらうさ。あまり動けそうにないからな」

「……本当に大丈夫か?」

「だから、大丈夫だ」

 さっさと行けとでも言うかのように尻尾を振る。直樹は苦笑して、部屋を出ようとし、そこに声がかかった。

「……直樹さん」

 スフィが、うっすらと目を開けている。

「大丈夫か!?」

『ああ、良かった!! 君が死んでしまったら僕はどうしようかと!!』

 頭の中のうるさい声はきっちり無視して、直樹はベッドに歩み寄る。

「まだどっか痛むか?」

「いえ……それより」

「?」

 スフィが何か言おうとしたとき、電話が鳴る。既に午前零時近い今、電話をかけてくる人間など一人しかいない。

「多分、親父だ。ちょっと行ってくる」

 部屋を出て廊下の明かりをつける。そして、電話に出る。

「もしもし」

『おう。直樹か』

 案の定、一世だった。

「どうかした? 仕事は終わったの?」

『ああ……まあ一応な』

 珍しく歯切れの悪い言い方である。

「?」

「……直樹さん」

 怪訝に思った直樹の背後から声がかかる。スフィが、壁にもたれながらやって来ていた。

「な、何やってんだよ!? まだ起きちゃ、」

「すぐ寝ます……それより、一世さんですよね?」

 電話の相手を聞かれ、直樹は素直に頷く。

「代わってもらえますか?」

「あ、うん、いいけど」

 スフィに代わる、と言って、直樹は受話器をスフィに差し出す。

「もしもし……ええ……そうですか、やっぱり……はい、分かりました」

 短い会話を終え、スフィは電話を切ってしまった。

「スフィ?」

「一世さんは今から帰るそうです。それで、直樹さん」

 真剣な声と表情。直樹は思わず背筋を正す。

「今から迎え撃つ相手、相対してから少なくとも三十分間食い止めてください。倒しちゃってもいいですけど、無理な場合でも最低三十分は頑張ってください」

「なんで?」

「理由は後で説明します。とにかく、お願いします」

 そう言われても……という心境の直樹に、アルガデスが言った。

『そう言うからには何らかの事情があるのだ。大人しく従え。スフィは、少なくとも君よりは物事を考えて動いているのだから』

 少しだけムッとするが、何も言わないでおく。

 倒さなくていいのなら、かなりプレッシャーが和らいだと思う。非常に喜ばしい事だ。

 だが、

「いっつ……」

「す、スフィ!? どこかまだ……」

「大丈夫です、大丈夫」

 そう言いながらも、顔は苦痛に歪めている。あまり急激な回復は体の他の部分の負担になるので、必要最低限、つまり生死に関わらない程度にだけ回復させたのだ。本来なら、まだ寝ていなくてはならない体なのである。

「……そんじゃ、行ってくる」

「はい。お気をつけて」

 あっさり踵を返し、直樹は外へ出た。随分淡白な態度である。

「……怒っちゃったかな」

「いや。そうではあるまい」

 いつの間にいたのか、フェイトが言った。

「そうじゃないって?」

「別に、怒ったわけではないだろうさ」

「じゃあなんで」

「……鈍感」

「え?」

 かすかな呟きが聞き取れず、スフィは聞き返す。

「なんでもない。それよりあまり時間はないぞ。準備をするなら早くしろ」

「あ、うん」

 話題をすりかえられたことに首を傾げながら、スフィはゆっくりとした足取りで自室に向かう。



 ちょうどその時、家の外で。

「けっこう痛そうだったな」

『あれだけ大きな傷が、痛くないという方が不思議だろう』

「お前はよく冷静だよな」

『わたしが冷静? バカを言え。君の方こそ』

「お前こそバカ言え」

『……』

「……」



 チョコマカと巧みに男から逃れながら、アランは飛び続けた。何度かピンチになりかけたが、アクロバティックな動きは得意分野である。

 予定の場所まで、あと少しだった。

しかし、そろそろ体力が限界に近い。いつ力尽きて墜落してもおかしくないような状態である。

後ろを見れば、男は相変わらずバッタのように跳ねながら、ピッタリと後をついてきている。

もう少しだった。もう少し行けば、後は憎き小僧がなんとかするはずである。

しかし、

「くっ……」

 翼に力が入らなくなる。進行方向が少しづつ下に傾いていく。墜落するだろうか?

 いや、

 その前に、男に握りつぶされそうだった。すぐ後ろに迫ってきている。一見普通の人間の、実はもの凄く凶悪な手が迫る。アランに手を伸ばし、掴もうとして、

 突然、壁にぶち当たったような動作をした。そのまま真っ直ぐ落下していく。ややあってずしゃあという音。アランはアランで、やっぱり力尽きて墜落し、こっちは何者かに受け止められた。

 アランは、それが誰だか一発で分かった。

「よぉ、性悪ガラス。生きてるか?」

「ふん……死んで、たまるか……」

 たとえ死んでも、こいつにだけは弱音を吐きたくはないと思う。

「生きてるなら大丈夫だな。ちょっとそこで待ってろ」

 そう言って、アランを自転車のカゴに入れる。乗り捨てたのがたまたま近くだったので、ついでに持ってきたのだ。

 男がくぐもったうめき声を漏らしながら、よろよろと立ち上がった。こちらは余裕の表情で向く。

「お前か……案外普通だな、見た目は」

「お……おまえ、だれ……なんのよう……」

「誰で、何の用かって?」

 言われて、少し思案し、答えた。

「ま、勇者かな。多分」

「ゆうしゃ……?」

「おう。で、何の用かって方だけど」

 突然、雰囲気が変わった。青から赤に変わるかのように、じろりと相手を睨む。

「仕事もそうなんだけど、個人的に気に入らないんだよな。自分より弱い奴相手にして喜んでる奴」

 男は、しばらく自分の事だと分からなかった。

「で、こういう言い方はアレだけど、他人ならともかくお前は俺の知り合いも傷つけたんだよ。あんないい子を殺しかけたんだよ」

 声に段々怒りが篭ってくる。

「そんで色々考えたけど、殺しはさすがにマズイし、かと言って無罪放免にしてやる気もない……つーことで」

 次の言葉は、男には何故か二人の人間の声が重なったように聞こえた。

 

 直樹は男をビシッと指さして、アルガデスと共に宣告した。

『とりあえず半殺し!!』

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