ピース・ブレイカー
| 武器商人で、家は町の最南端にある豪邸。使用人は総勢で五十人ほど。そのうち護衛は二十人。武器はそれぞれ拳銃を一丁持っているくらいだが、何しろ武器商人なので、本気になったら何を持ち出してくるのか見当もつかない。 間取りは一応聞くことはできたのだが、広すぎてとても憶えていられなかった。とりあえず男の父親の部屋だけ分かれば十分だったので、他の部分は省かせた。その代わりに、家の周辺の状況、庭の詳細に庭から屋敷までの距離を尋ねた。犬はいるか。走ったらどれくらいかかるか。敷地の外でも近づいたら気付かれるのか……その他細かいことを色々。 さすがに怪しいと思ったのか、男は途中で答えるのを渋ったのだが……ジュリの「最近この子に血を吸わせてませんねえ」という、刀と男を交互に見つめながらの言葉に青くなって、それから後は素直に全て答えてくれた。賢明な判断だったとクウヤは思う。ジュリは、冗談に聞こえることは言っても本当の冗談は決して言わない。あのまま黙秘を続けたら、本当に刀に血を吸わせていたに違いない。 それと、これは別に聞いたことではないのだが、どうやらあの四人は兄弟だったらしい。四人揃ってホモだというのも何だか悲しいものがあるが、まあ、そこらへんは特に口出しすべきことではないので黙っておいた……クウヤは。 結局、用ができるまで埋められることとなった四人。不憫である。家を失うかもしれない境遇もそうだが、それ以上に心の傷が大きいだろう。ちょっとした悪戯のつもりだっただろうに、後悔しても決してぬぐえない、一生モノのトラウマを背負うことになってしまった。これから彼らの脳裏には、身体が性的行為を求めるたびに、ジュリの嘲笑が浮かぶに違いない。 ……ジュリも少しは手加減してやればいいのに、と思う。 襲われそうになったクウヤがそんなことを思うのも、おかしな話ではあるのだけれど。 夕暮れの日が、海をオレンジ色に染めている。 とりあえず宿をとって、夕飯がてらそこら辺を物色しようと、クウヤはジュリと共にぶらぶらと散策をしていた。夕日は少々赤の分量が多く、そのため海が血の色一歩手前あたりになってしまっている。おまけにジュリは当然のように刀を持っていて、それだけならまだしも布で隠そうともしないものだから、注目を浴びて仕方ない。 ベタな恋愛小説であれば「綺麗だね」「そうね」などと語り合う時間帯と場所なのだが、どこをどう間違ったのか、はっきり言ってムードは皆無だった。 それらしい風景でもあれば、自分とジュリも少しは絵になっていたかもしれないのに。そんなことを考えていると、 「何をいきなり黄昏モードに入ってますか。クウヤさん、起きてください」 顔の横に、突然の風圧。 「……ジュリ」 咄嗟に体を傾けた状態のまま、クウヤは横目で突き出された刀を眺める。鞘は一応ついているが、分かる。刀のこの位置は……首を狙っていた。 「何で君はそんな簡単に手を出すかな?」 「口も出しましたが」 「いや、そういう問題じゃなくてね。そもそも手を出す時点でどうかと思――」 「そんな話はどうでもいいんです。キザったらしく哀愁を背負ったところでクウヤさんには欠片も似合いはしないんですから、しっかりかっくり前を向いて歩いてください。と言うか人の話を聞いていない時点で言語道断です」 どうやら、ジュリは自分に何か話しかけてきていたらしい。考え事をしていたら、聞き逃してしまっていたようだ。 だからって何も首を狙って直突きしなくてもいいじゃないかと思いつつ、クウヤは口を開く。 「ごめんごめん。で、何?」 「だから、夕飯は何を食べましょうかと。港町って言ったら定番はお魚ですけど、この町はどういうわけかお野菜も有名だったりしますし。クウヤさんはどっちがお好きですか?」 「僕? そうだな、どっちかと言うと……野菜の方が好きかな」 「じゃあお魚にしましょう」 何でだよ。それなら何のために聞いたんだよ。さすがにムっとし、クウヤが尋ねようとして、 「――うわっ、この……っ」 怒りを押し殺したその声は、しかしクウヤのものではない。 見ると、初老の道行く男性が、背後を振り返って、あからさまに嫌悪の色を顔に浮かべていた。その視線をたどる。 先にいるのは、一人の少年。十歳くらいだろうか。息を乱しながら、背後を何度も振り返りながら、必死な顔で走っている。ぶつかった男性のことなど気にしていないどころか、気付いてもいない様子だ。 何かから逃げているようだが、少なくとも万引きが見つかった程度の必死さではない。命に関わると言われても、その表情を見れば納得してしまいそうになる。クウヤは首を傾げて、「何だろう」とジュリに話しかけようとして、 しかし、そのときにはもう、ジュリの姿は消えていた。 「――え? あれ? ジュリ?」 いきなり通りに取り残され、クウヤはきょろきょろと周囲を見渡す。小柄なジュリであるが、人通りはそれほど多くないし、帽子から靴まで真っ白な彼女ならさすがに目立つはずである。それ以上によく目立つものを、片手にぶら下げてもいるし。 だが、いない。 マンホールにでも落ちたんじゃ――なぜかほんの一瞬そう思い、下に目を向けて、 「いて」 頭に何か当たった。おそらく、石でも投げられたのだろうが。 飛んできたと思しき方角に目をやる。さっきまでいたのと同じような路地裏の入り口があり、ジュリが、さっきまで走っていたはずの男の子の口を塞ぎながら、こちらに一つ頷いてきていた。あまりと言えばあまりの光景に、反射的に周囲の目を警戒する。幸い、通行人は誰も気付いていないようだった。 改めて目を戻す。さっきは表情に目を奪われて気付かなかったが、男の子は見るに耐えない格好をしている。ボロ雑巾を縫い合わせたかのような、ボロボロの服。当然のように裸足で、身体も何日洗っていないのか。小さな傷をあちこちにこしらえているようでもある。 それを見た瞬間に、クウヤもジュリの言いたいことを理解した。実は、こういうことは初めてではない。頷き返し、何気なさを装って古時計屋の中を覗き込んだりする。 ちらりと見ると、ジュリは暴れる男の子を引きずって、路地の奥に消えていくところだった。 しばらく時間が経ち。ジュリの姿はもう入り口からは見えないだろうと安堵し、同時にまだ来ないのかとわずかに苛々しながら考えていると……ドタバタと忙しく足を動かす音が聞こえてくる。一人ではない。 待ちかねた足音だ。クウヤはそっと古時計屋を離れ、さりげなくその集団を待ち構える。 「くそっ どこ行きやがったあのガキ……っ」 「早く見つけねえと……おい、この辺で、十歳くらいの小汚いガキを見なかったか?」 三人組の、いかにもといった感じの黒服である。どこから走ってきたのか、息も絶え絶えの様子で、おそらくビシッと決めていたであろうスーツも崩れきってしまっている。それでもまだ焦り足りないのか、目を血走らせながら聞き込みをしまくっていた。よほど重大なことをしでかしたらしい。 「お、おい。見なかったか? これっくらいのガキをよぉ!」 中でも一番若い男が、クウヤに尋ねてきた。クウヤの脇腹あたり――つまり、ジュリがさらって行った少年と同じくらいの背――を示して、泣き出しそうな顔をしながら声を震わせる。 「男の子……ですか?」 ポツリと呟くと、若い黒服は文字通り、地獄に神を見たような顔をした。 「あ、ああ。知ってるのか? どこだ? どこ行った!?」 ジュリが入って行った路地を示すのは、簡単である。ここで、おそらく彼らが探しているであろうあの少年を見失ったとあれば、下手すると彼らの首が飛んでしまうだろう。それよりは、ジュリにぶちのめされた方が、まだ弁解の余地もありそうなものだ。 ジュリならば、こんな奴らを一蹴するのは朝飯前のはず。その点については、過去に十分過ぎるほど証明されている。彼女や少年の安否を考える必要はない。そして、黒服の形相は、同情を誘うのに足る悲壮感をかもし出している。 ここまで半秒の黙考。結論を出し、クウヤは口を開いた。 「ああ……見ましたよ」 「本当か!? どこへ行ったか分かるか!?」 「ええ」 と、ジュリと少年がいるであろう路地裏の入り口に人差し指を向け―― ――それをスーっと動かして、クウヤは通りの向こう側を示して、指を固定した。 「あっちの方に走って行きましたよ。何か凄い顔してたから、よく憶えてます。ボロ雑巾をツギハギしたみたいな服を着た子ですよね?」 「あ、ああそうだ! 助かった、ありがとな!」 そう言うなり、一転して顔を輝かせた黒服は仲間を呼び、クウヤが示した方向に駆け出していく。その背中に向かって、クウヤは問いかけた。 「すいませーん! あの子は何ですか!? 奴隷ですかー!?」 「ああ、そうだー!」 周囲をはばかることなく、叫ばれた黒服の言葉。 それに驚く者も、怒る者も、興味を示す者すら一人もいない。「ああ、そうなんだ」という空気が場を支配し、黒服たちが一時的に乱した日常は、再び元の形を取り戻していく。 「……ああ、そうだ――ね」 やっぱり、騙して正解だったかもしれない。 ついさっき抱いた同情を早くも捨てて、クウヤは静かな呟きとともに、そう思った。 奴隷制度というのは、一部地域を除いて、この大陸では当たり前のように存在している。 どの地域のどの民族の生まれなら奴隷――そういった区別こそ存在していないものの、逆に言えばそれは、どこの生まれであっても奴隷として生きる可能性を持っているということに他ならない。捨て子や孤児がその大半であるが、ごく稀に、誘拐されて奴隷になる子供もいると言う。 そう。奴隷の九割方は、子供――大きくても十歳程度のときに、その人生を決められるのだ。 一度奴隷として見なされた身で、生きて奴隷から解放される人間は非常に少ない。皆無と言ってもいいかもしれない。何しろ、奴隷から解放されるというのはつまり、行方不明者として世界を逃げ回ることを言うのだから。 例えば、非常に器量の良い、天与の美貌を持った奴隷がいたとしよう。 その彼だか彼女だかは、当然どこかの金持ちに見初められる。器量の良い奴隷は総じて値が高い。少し裕福な家なら普通の奴隷くらいは買えるが、見目も良いとなると、買えるのは金持ちに限られてくる。 さて。金持ちに買われた彼もしくは彼女だが、その金持ちが運良く理知的な紳士だったとする。奴隷などという身分から脱け出して、ともに家族として生きよう、と言ってくれたとする。本当に稀にだが、そういうことを口にする金持ちもいるのだ(九割方は、己の慰み者として買うのだが)。 結論から言うと、それは不可能である。 奴隷として一度位置づけられた者は、死ぬまで奴隷をやめることはできない。たとえ本人が、周囲が、悪魔に魂を売る覚悟でそれを願ったとしても。 奴隷は、奴隷として定められたそのときに、女も男も差別なく、額に烙印を押される。決して消えることのない傷。奴隷であるという証。これがある限り、奴隷は一生奴隷のままなのだ。 行方不明者にならなければ奴隷をやめられないというのは、つまりそういう意味だ。行方不明者は、ほとんどの場合死者と同じ扱いになる。死ねば奴隷という身分からは解放される。家族、友人、知り合いとの全ての縁と引き換えに。 奴隷制度に異を唱える者が一人としていない今の世の中、奴隷たちの希望は、一度社会的に死ぬ以外にないのである。 クウヤがそっと路地に入ると、ジュリは暴れる少年を地面に組み敷いていたところだった。小柄なジュリだが、さすがに五、六歳も歳が離れている子供よりは大きい。おまけに、彼女は相手の力を受け流す術に長けている。少年がどれほど抵抗しようが、そんなものは全くの徒労でしかない。 「離せ! 離せよ!」 「騒ぐと人が来ちゃいますよ。いいんですか? こんな姿を人に見られても」 裸にひん剥かれているわけでもなし、見られても全然構わないと思うのだが。この娘の言うことはときどき分からない……クウヤは軽く頭を押さえて、少年を屈服させようと頑張っているジュリに声をかけた。 「こっちは終わったよ。あいつらは当分ここへは来ない」 「ああ、はい。ご苦労様でした。追手の必死さに同情してこの場所を教えるんじゃないかと思いましたけど、さすがにそこまでバカではなかったみたいですね」 少年から一旦手を離し、代わりに刀をチャリと言わせながら、ジュリ。一瞬だけ教えちゃおうかなと考えたクウヤだったが、どうやら、教えていたら命の危機に晒されるところだったようだ。実に賢明な判断だったと、我ながら思う。 「で、まあ拉致するくらいだから気付いてるとは思うけど、その子やっぱり……」 「わたしもさっき確認しました」 そう言って、ジュリはさりげなく少年の額を示す。髪に隠されているが、そこにはあるはずである。奴隷の証である、十字の焼印。 それはそうと、まだ少年はジタバタと暴れている。まるで、わけも分からないまま見知らぬ人間に捕まった子供のように……いやまあ、実際その通りなのだが、味方であるジュリに対してここまで抵抗しなくてもいい気がする。 と、 「あーもう。少しは静かにしなさい。危害を加えるつもりはありませんから」 「今この状況が十分危害加えてるじゃねぇかよぉ!」 もっともな言葉である。なかなか賢い子供だ――クウヤが見物を決め込みながらそう考えていると、ジュリはなぜかおもむろに刀を抜き、 ヒュンッ 次の瞬間には、クウヤの喉元からわら半紙一枚分手前のところに、刀の切っ先がピタリと固定されていた。砂粒程度の面積にも関わらず、切っ先から金属の冷たさが伝わってくる。 「危害を加えるというのはこの状況で刀を押し出すことを言います。怪我させないようにしてあげてるんですから大人しく言うことを聞きなさい。別にあなたを雇い主……いえ、“飼い主”のところへ戻しはしないし、別の人に売りつける気もありません。あなたが逃げるのを手伝ってあげたいんですよ」 「……」 奇妙な生物でも見ているかのような目で、少年はジュリを見上げる。 クウヤとしては、そろそろ喉元で死のオーラを発しているシロモノを退けてもらいたいのだが、ジュリは刀を微動だにさせないまま、少年に向かって続ける。 「これから幾つか質問をします。嘘をついても仕方ないことですから正直に答えてください。お腹は減ってますか?」 「え? な、何なんだよあんた――」 「答えなさい」 「……減ってる。朝から何も食べてないから」 「お金は持っていますか? 持っているとしたらどれくらい?」 「何も持ってない。見れば分かるだろ……」 「家族はいますか? どこにいるのか分かりますか?」 「……今は、もう……」 「うまく逃げられたとして、誰か頼れる人はいますか?」 「いるわけないだろ! 何なんだよさっきから!」 無遠慮な質問に、少年がたまらず声を上げる。ジュリはそれにピクリとも反応せず、質問を続けた。 「身を守る手段はありますか? 武器が扱えるとか、体術の心得があるとか」 「うるさいな! 関係ないだろ、あんたには!」 ジュリの手を振り払い、少年は路地から出て行こうとする。クウヤは条件反射で道を塞ごうとして、 それよりも早く、ジュリが自らの帽子を取った。焦げ茶色の髪が流れる。 そしてそのまま、少年の瞳を見据えた。少年の目が見開かれる。幽霊でも見たかのような、不安を伴った驚きの顔。 「……あんた……」 「身を守る手段は?」 うめく少年に、やはりジュリは何の反応も見せない。帽子を被りなおし、淡々と質問を繰り返す。 少年は、今度は素直に答えた。 「……何もない」 「もし一人で旅をするとして、そのための知識はありますか? 買い物はできますか? 野宿は? 自分で食料を得る方法を知っていますか?」 「それはまあ、なんとか……買出しはよくやらされたし、野宿も狩りも、小さい頃に何度か……」 今より小さい頃とは、一体いつごろのことなのか。そんな幼少期に、この少年は野宿や狩りを経験していたらしい。よほど悲惨な環境だったのか、それともそういう生活をする民族の生まれなのか。どっちだろうとクウヤは一瞬考え、すぐにどっちでもいいか、という結論に至る。少年の過去を詮索しても仕方ない。 「そうですか……では、最後に二つ質問です。この二つは適当じゃダメです。よく考えて答えてください」 「あ、ああ……」 不安そうな少年に、ジュリはまず、一つ目の質問をする。 「生きるためなら、殺せますか? 人を、動物を。自らの命を守るために、力を振るうことができますか?」 「え? そ、そりゃ――」 「考えもせずに答えてはいけません。殺すというのがどういうことなのか、自分の頭の中にしっかり描けますか? 動物ならば経験があるかもしれません。では、人は?」 そう言って、ジュリは少年の手を取り、自らが片手で支えている刀に近づける。それは、今もまだクウヤの喉元に切っ先を突きつけている。しっかりと握らせて、その上で尋ねる。 「この刀を押し出す覚悟が、あなたにありますか?」 「だ、だって、この人は……」 別に自分に危害を加えるわけではない。そう言いたいのだろうが、ジュリがクウヤに向かって頷く方が早かった。まさか本当に押し出させたりしないだろうね? と、わずかに不安を感じながら、クウヤは懐に手を入れる。 「見なさい」 「……っ!」 クウヤの手には、拳銃が握られている。 その銃口は真っ直ぐに、少年の額に向けられている。 「あなたは武器を向けられています。このまま黙っていたら、頭を撃ち抜かれて終わりです。どうします?」 十歳の子供に、ずいぶんと酷なことを聞くようであるが。 これに答えられないようであれば、一人旅はとてもできない。少なくとも答えは知っておく必要があるのだ。でなければ、どこかで野垂れ死ぬことになる。それでは助けた意味がない。 「もう一度聞きます。あなたは、生きるために殺せますか?」 「……」 少年は答えない。あるいは答えられないのか。瞳を揺らし、呼吸を荒くし、刀を握る手がカタカタと震えている。見開かれたその目の先には銃口がある。クウヤの指は引き金にかかっていない。が、しっかりと弾は装填されているし、掃除も整備もほぼ毎日行っている。クウヤさえその気になれば、いつでも少年を殺すことができる。 「答えられませんか?」 「……だって」 ジュリの声は、どこまでも淡々としていた。言葉に詰まる少年に、呆れるでもなく、諭すでもなく、告げる。 「それではダメです。いずれどこかで、あなたは死んでしまいます。それでは助ける意味がありません。いいですか? 今からわたしが言うことを、しっかりと、頭に、胸に、刻みつけておいてください」 コクコクと頷く……こともできず、少年はただ呆然とジュリを見る。そんな彼に、ジュリはあくまで容赦しない。 「生きるためなら、殺しなさい」 少年の体が、ビクリと震えた。 「何よりも自分の命を優先しなさい。他に優先するべきものなどありません。逃げられるなら逃げた方がいいでしょう。でも、逃げられなくなったとき、力を振るうのを躊躇わないように。力というのは、使うべきときに使うために存在しています。使うべきときに使ったなら、誰もあなたを責めはしない。それは自分を守る行為なのだから。……よく憶えておいてください。最後まで自分を守ることができるのは、自分自身に他ならないんです」 述べられる言葉の、おそらく半分ほども理解してはいないだろう。いっぺんに言われても分かることではないし、人によっては反感すら覚える内容なのだから。それでいい。理解などする必要はないし、しても意味がない。 大切なのは、最初と最後の一言のみだ。生きるためなら殺すこと。自分を守れるのは、自分以外にないということ。 それだけ頭に置いておけばいい。残りの部分は、実際に体験すれば嫌でもそう思うことになる。 ジュリはしばらく待ち、そして、静かに口を開いた。 「最後の質問です」 少年はもはや、茫然自失の体である。 それでもジュリは、慰めや励まし言葉の一つさえ、口にしない。 「あなたはお金を持っていない。家族も頼れる人もいない。身を守る手段もなければ、生きるために殺す覚悟もない。はっきり言って絶望的です。逃げるよりも奴隷でいる方が、まだ生きられる可能性は高いです。それを踏まえた上で答えてください」 帽子を再び外す。少年の瞳をじっと覗き込む。少年は目を逸らすこともできず、ただ喉をゴクリと鳴らす。 「それでもあなたは、逃げたいですか?」 相手が十歳程度の子供だろうが、齢九十のご老人だろうが、ジュリは絶対に同じことを口にするだろう。 生きるか死ぬかの瀬戸際に立っている人間にとって、「大丈夫だよ、なんとかなるよ」などという無責任な励ましは、迷惑以外の何でもないのだから。 そして、必死になって生きようとしている人間にそんなことを言うのは、その相手に対する最大級の侮辱であるのだから。 ジュリは答えを待つ。少年が答えない限り、何時間でも、何日でも、何ヶ月でもこうして待つつもりなのだろう。途中で放り出すような真似を、するわけがない。 時間にすればほんの数秒。クウヤにとってはかなり長い時間に感じられたが、実質そんなものだろう。 少年は静かに、だがはっきりと頷いた。 ジュリはそれに微笑み返す。頷き返し、帽子をかぶって、ようやく刀を納めてクウヤに向き直った。 「クウヤさん。今から言うものを、大至急用意してもらえますか?」 子供服を一通りに、靴と帽子。リュックを一つ。防寒具兼寝袋代わりとして、割と厚手のコート(子供用) その他小さなものを多数。食料や水は後ほど調達するとして、必要なものは大体これくらいだ。 それと…… 「小さめのやつだけど、一応ね」 そう言って、少年に見せてから、リュックの中に放り込んだブツが二つ。 ナイフと拳銃である。 ナイフの方は色々と使い道があるが、銃の使い道など一つしかない。それが分かるからこそ、少年はわずかに顔を青ざめる。 それに気付きつつ、クウヤはあえて触れないでおく。 「狙った場所に当てようなんてのは、プロでもない限り無理だから。とにかく相手の体の真ん中を狙うように。そうすればどこかに当たる可能性が高くなる。ナイフの方も同じ。使うときは、とにかく当てることだけ考えて」 「……うん」 「……さっき、生きるために殺しなさい、とは言いましたけど」 横で見ていたジュリが、ポツリと言い出した。 「そうでない場合は、極力使わないように。具体的に言うと、変な奴に襲われたときはどんどん使っていいですけど、気に入らない誰かをどうにかするために使ってはいけないってことです。分かりますね? 自分が襲う側になっちゃダメですよ」 「うん。分かってる」 何かの覚悟を決めた様子で、少年はしっかりと頷いた。ジュリは、ほんの少しだけ満足そうに口元に笑みを浮かべる。 「――さて。それじゃあ、着替えが終わったら三人で食事に行きましょうか。いい感じに日も暮れてきましたし」 闇色に変わろうとしている空を見上げながら、ジュリはそう言った。 |
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