ピース・ブレイカー
| ジュリの目的を邪魔しようと思い始めたのは、一体いつごろのことだろう。クウヤはふと、そんなことを考える。 少なくとも、最初はそんなことは微塵も考えていなかったはずだ。ただジュリの性格に、強さに、ついでに言うと毒舌に圧倒されまくっていた。自分の中の“ジュリ”という存在を把握するまで、クウヤは彼女の目的に構ってもいられなかった。圧倒されているのは今だって変わりはしないが、それでも今はかろうじて、彼女という人間をある程度は把握できている。 そもそも、どうして自分はジュリと一緒にいるのだろう。 彼女の目的を邪魔するため――本当にそうなのだろうか? クウヤはときどき、そういった疑問を持つ。 なぜなら、邪魔をしようとしまいと、世界の平和など乱れようがないからだ。ジュリ一人にできることなどたかが知れている。屋敷を襲撃しているのだって、有名人を襲って世間を混乱させようという浅知恵の下なのだろうが、ジュリだって本当は分かっているはずだ。そんなもので人は動じたりしないと。実際に自分の身に危険が及ばない限り、どんな凶悪なことをしようと、それはただの“事件”としてしか扱われないのだと。 邪魔をするまでもない。勝手にやってくれってな感じである。どうせそんなものでは世界平和どころかお茶の間の平和も乱せはしないのだし、だとすれば、クウヤまで一緒になってお上に立てついている必要などない。全くない。 ……こうしてノコノコついて来て、黒服連中に怯えながら木の上で様子をうかがっている必要もない。 屋敷の息子ども四人は森へ入るなり捨てて、クウヤは高そうな木によじ登り、身を隠していた。その際、体が枝葉に触れてやたらと大きい音を立てたが、幸い黒服たちの怒声と彼らが立てる音にかき消された。追手の脳みそが足りないのは、逃げる側としては非常にありがたい。 だが、今もなお黒服たちは眼下をウロウロしており、とてもではないが、ジュリを止めに屋敷へ行くことは不可能である。クウヤはそれに焦りを感じ、なぜこんなにも焦るのだろうと考える。さっき自分で思ったばかりなのに。こんなところで金持ちを血祭りに上げたところで、平和は全く揺らぎもしない。 ――血祭りに―― その言葉が引っかかった。ほんの少しだけ、自分の感情を理解する。 自分は、ジュリがあの屋敷の主人を惨殺しないかどうか不安なのだ。 普段のジュリならば、相手を殺すところまでは行かない。何だかんだで情けというものを持ち合わせてはいる。大抵の相手は峰打ちで済ませて、それっきりだ。さっき打ちのめした黒服たちも、多分、殺してはいないはずだ。 だが、屋敷の主人相手となると、その事情は違ってくる。 あの後少年から聞いたのだ。彼は、元々この屋敷にいた。つまり、あの少年をあそこまで痛めつけたのは、屋敷の主人に他ならない。 それは、ジュリの怒りを買うのに足る理由となる。 正義感ではない。義務感でもない。もっとドロドロした、憎悪にも似た感情。見せこそしないが、ジュリは確かにそれを抱いている。確かだ。なぜ言い切れるのかと聞かれれば、クウヤはこう答える。以前、同じような場面を何度も見たからだ、と。 過去何度かに渡って繰り広げられた惨劇を、クウヤは止めることができなかった。鮮明に思い出すことができる。真紅に彩られた白い服。血塗られた一本の刀。床に転がった彼女の帽子。この世の物とは思えない、静かで冷たくて、揺らぎのない瞳。 その度に、ジュリの思惑通り、世間は騒ぎになった。残虐な殺人事件。人を人とも思わぬ殺害方法。一体、犯人は誰なのか―― 今度こそ、と思う。今度こそ、ジュリを止める。止めて見せる。 彼女が世界平和を乱したい理由を、クウヤは知っている。知っているからこそ、止めなければいけないのだと思う。 そのためには、まず、 「……」 眼下の黒服どもを、どうにかしなければならなかった。 力で叩き潰されたら自分に勝ち目はない。ジュリは、そのことをよく分かっていた。 だからこそ、より多く動いて、相手の武器に当たらないという戦い方を選んだのだ。当たらなければどんな武器も意味がない。こちらの獲物は刀だから、うまく使ってやれば、それほど力を使わずに斬ることができる。自分が選べる中で、最も良い選択。 結果的に見れば、それは正しい。 正しくなければ、黒服たちをいいように翻弄するなど、できるはずがない。 五人、十人、十五人。黒服たちは少しずつ、だが確実に数を減らしていった。最初のうちこそ屋敷の中から応援が出てきたが、今ではそれも尽きていた。ジュリは密かにほくそ笑む。戦力である彼らをここまで外に引きずり出していれば、その分内部に潜入したときが楽になるだろう。 「っそがぁ!」 意識をほんの少しだけ散らしていたところに、狙ったかのようなタイミングで鉄棒が振るわれた。わき腹を狙われている。それを横目で確認して、ジュリはとっさに判断した。刀での防御は間に合わないし、間に合っても一緒に吹っ飛ばされるのがオチだ。 上か下か一瞬だけ迷い、直後に体勢を低くする。地面に半ば腹ばいになるような格好で、頭上で凄まじい風切り音を聞いた。 「なっ!?」 「いい加減使い古されてますよ、その驚愕の文句は」 割とどうでもいい忠告をしながら、身体を跳ね上げて刀を一閃。峰が首筋にブチ当たる。最後までジュリの方を見ていなかった彼の視線。おそらく、彼にはジュリが消えたかのように見えただろう。 そのまま倒れた巨体を見下ろし、ジュリは呟く。「十八人」 残りは三十人ほど。楽勝のペースだ。 元々運動量を武器にするジュリである。体力にかけては、文字通り底なしなのだ。未知の相手に出会って慌てふためいている彼らなど、いかに頭数が多かろうと敵ではない。翻弄させて、無駄に体力を使わせた後に、ゆっくりと叩く。ジュリが最も得意とする戦法が、最も有効な連中だった。やりやすいことこの上ない。 このまま行けば、クウヤが来る前に主人を仕留めることができそうだ。そのことに少し安堵した。真っ向からやり合えば、クウヤなど自分の相手どころか的にすらならない。手ごたえがある分、そこらの木にでも斬りかかっていた方がマシという、徹底的な雑魚。 だが、彼に邪魔されると、精神的にやりにくくて仕方ないのだった。これまではなんとかやり過ごして来れたが、今回も無事にそうなる保証などどこにもない。彼が来る前に、何としてでも終わらせなければならない。 そこでふと、ジュリは自分が不思議なことを考えていることに気がついた。 クウヤが邪魔なら、どうして一緒に旅などしているのだろう。昔からの知り合いというわけでもない。どこか適当な場所で別れてしまえば、こんなことで悩むこともなくなるのに。 邪魔だ、と思ったことは、一度や二度ではない。 それなのに、なぜか今も一緒にいる。よくよく考えると、これはかなり奇妙なことのように感じた。 自分は、クウヤのことをどう思っているのだろう。 かけがえのない旅の仲間? いや、かけがえのないと言えるほど、自分とクウヤの関係は深くない。 同志? クウヤは自分を邪魔するためにいるのだ。そんなわけがない。 心のどこかで、止めてもらいたがっている? ありえない。これこそ最もありえないことだ。 では、何だろう。 自分にとって、クウヤというのは一体―― 「死ねっ!」 「……っと、危ないですね。人が考え込んでいる最中に」 「戦いの最中に考え込んでんじゃねえよ!」 後ろに跳んで攻撃を回避したジュリの文句に、黒服が反論する。 正論だ。 「それもそうですね。すみませんでした」 ペコリと頭を下げると、別の方向から、呆れたような声がした。 「おいおい。敵に謝るのかよ」 彼らの頭らしい、丸いサングラスの男。夜闇の中でサングラスをかけたら何も見えないんじゃないかと思ったが、まあ、そんなことジュリには関係ない。 それよりも注目すべき箇所が、彼にはあった。 「……鎌ですか。ずいぶんと大きい」 「特注品だ」 鈍く輝く巨大武器。 彼が肩に担いでいる大鎌は、彼の背丈を軽く越えていた。ジュリの倍ほどもある大きさ。死神が持っているとしたら、多分あんな感じのものなのだろうと思う。その迫力と威圧感は、確かに効果があるだろうが…… 「武器として有効とは、はっきり言って思えないのですが。そこらへんは大丈夫なんですか?」 「はっきり言う嬢ちゃんだ。まあ、見てろ」 そう言って、サングラスの男はゆらりと鎌を下ろした。右手で軽く柄を持ち、左手をポケットに入れて、悠然とこちらを眺めている。 サングラスの奥の目が、光ったような気がした。 その瞬間に、ジュリは更に後ろへ跳んだ。防御も受け流すことも叶わない。何に対してなぜそんな判断を下したのか、ジュリ本人にも分かりはしない。ただ、瞬時に身体全体が叫んだ。逃げろ、と。 結果的に見て、それは正解だった。 「――っ!」 サングラスの男が大鎌を振るう。風が巻き起こり、帽子が吹き飛ばされそうになった。風圧の中で、ジュリはそれを見る。 地面に深々と残る、斬撃の爪痕。大鎌のたった一回の攻撃で、小さな地割れのような跡が残ってしまっている。 そして、 「……あなたにはどうも、敵味方という考えがないようですね」 「避けもしない間抜けが悪いんだよ」 向こうの黒服二人が、巻き添えを食らっていた。 一人は、身体をへし折られていた。 もう一人は、首から上がどこかに飛んでしまっていた。 「さあて。お嬢ちゃん、見かけによらず強いからな。俺も久しぶりに全力を出せそうだ……できるだけ楽しみたいから、簡単に死ぬんじゃねえぞ」 楽しそうな笑みを浮かべるその顔見ながら、思う。クウヤのことは、とりあえず後回しだ。 「そうですね。ある一点以外は、全面的に同意です」 「ある一点だ?」 今はこいつらを片付ける。それに専念すればいい。 「わたしはこう見えても忙しいので。さっさと終わらせてしまいましょう」 一応持ってきてはいた銃を見ながら、クウヤはゴクリと唾を飲む。 他人に対して撃ったことなど、一度もない。的に向けたことさえ数えるほどだ。反動は思ったより小さくて、とりあえず狙った場所の付近に当てることはできる。まあ、あまり離れていなければの話だが。 ただ今回は、武器として使うわけではなかった。装填されている六発の弾丸のみで全員を倒すなど、人間業では不可能だ。それに自分の腕では、動く標的には当てることもできない。全弾を撃ちつくして、一人を倒せるかどうかといったところだろう。ひょっとしたら、倒せないかもしれないが。 では、どうするのかと言うと。 クウヤは木を降り、あたりを見回す。黒服たちは周囲にいない。が、どうせすぐに見つかってしまうはずだ。隠れおおせる可能性は低いと思う。ある程度なら見つからずにすむかもしれないが、屋敷に近づくに連れて警戒は厳しくなるだろう。自分が向こうの指揮官ならば、そうする。何を置いても優先すべきは、主人を守ることなのだから。 クウヤ一人の力では、屋敷に入ることもかなわない。 それならば――クウヤはおもむろに銃を空に向け、立て続けに五発放った。 真夜中の森に、銃声がやけに大きく響く。クウヤはその姿勢のまま動かない。足音がいくつも聞こえてくる。 五秒も経つ頃には、クウヤは黒服の集団に囲まれていた。 「……いい度胸だな、小僧」 向こうのリーダー格らしいスキンヘッドの男が、ドスの効いた声で言ってくる。 むちゃくちゃ怖い。震えそうになる身体を、クウヤはあえて抑えなかった。恐怖に任せて、歯をカチカチ言わせ、身体を震えさせる。 そして、銃を投げ捨て、両手を挙げながら言った。 「ご、ごめんなさい! 僕、あの女の子に頼まれて仕方なく……っ」 「それが通るだなんて思っちゃいねえだろうな? ここでブチ殺してやるから覚悟しろ」 狭まってくる包囲の輪。クウヤは半分演技、半分本気で焦った声を出す。 「ちょ、ちょっと待ってください! 僕なんかに構ってていいんですか? こうしている間に、あの女の子が屋敷の中に、」 「はっ! 残念だな! 屋敷にはな、プロの護衛がウロウロしてるんだよ。俺たちと違って、全員傭兵や暗殺者あがりの猛者だ。あんなガキ、今頃は原型も残さずにボコボコにされているだろうよ!」 黒服たちの間に薄笑いが広がる。なるほど、本物の護衛集団は別にいたわけだ。こいつらは表向きの護衛と、屋敷内での雑用担当といったところか。 まあ、ジュリなら心配ないだろうが……そう思いながら、再び声を発する。 「そ、そんな……でも、分かりませんよ? あの子はかなり強いですから……」 「無理だ無理。あのな、そもそも、たった一人で何十人もの集団に勝てるわけねえんだよ。たとえ世界最強の傭兵だって、一般人十人くらいに囲まれたらお手上げなんだぞ?」 確かに、そう考えるのが普通なのだろう。まともに考えて、一人で相手をできる数というのは五、六人が限度だ。それがたとえ屈強な戦士であっても、変わりはしない。それが常識的な考えだ。 だが、 ジュリに関しては、常識など当てはまらない。そのこともまた、クウヤにはよく分かっていた。 「さて。今すぐにでも殺しちまいたいところだが、一つ教えろ。お前、坊ちゃんたちをあんな目に遭わせて、一体何をやりたかった? 身代金を要求してきたわけでもねえし、どうも腑に落ちねえ」 「それを教える代わりに、僕のお願いも一つ聞いてください……ああ、逃がしてくれとかそういうのじゃないです。もう、諦めました」 凶悪な顔をするスキンヘッドに、クウヤは慌てて付け加える。それが功を奏したのか、かなり渋い声ではあるが、 「何だ?」 クウヤは、心の中でほくそ笑む。 「最後に一目、あの子に会わせてください。死体でもいい。どうせ死ぬなら、あの子と一緒にいたいんです」 「……なんだお前。あのガキとできてんのか?」 「いえ、まあ、片思いってやつで……」 自分で言ってから、クウヤはふと思った。 ひょっとして、まさかとは思うが……これなのだろうか。自分が、ジュリの元を離れない理由。 ジュリのことを好いているから。ジュリを愛しく思うから、彼女と離れられないでいる、と? そんなバカな。こんなことを冷静に考えられる時点で絶対に違うと否定してもいいのだが、本当に違うのかと言われると……頷くことができない。確かに可愛いところもあるとは思うし、化け物並に強いくせにどこか危なっかしい感じがしないでもない。何せ遠慮というものを全くしない物の言い方をするので、波乱が起きないかとこちらがハラハラさせられる。横でフォローしてあげなければという気分に、どうしてもなってしまうのだ。 彼女の目的の邪魔というのは、実は単なる口実に過ぎないのでは―― 「……まあ、いいぞ」 一瞬、何がいいのか分からなかった。 自分の要求が通ったのだと知り、クウヤは慌てて返事をする。 「あ、ありがとうございます!」 「ただし、だ。向こうについて娘の死体に会わせたら、その場で殺すからな」 「はい、はい。どうぞお好きなように」 不気味なものでも見るような目をされたが、そんなことは知ったことではない。 何にしろ、“クウヤはこれで屋敷に行ける”のだから。 屋敷の外での抗争も何のその。屋敷の主人、武器商人バルトは、自らの部屋で寝酒を飲んでいた。息子たちはどうやら賊の被害に遭っていたらしいことも、部下の報告で既に知っている。つい数時間前まではそのことで頭を痛めていたが、無事救出した今、もはや心配することは何もない。二人組らしい賊も、起きる頃にはこの世にいないだろうと思った。 ただ、気分が完全に晴れたわけではなかった。 奴隷の少年に逃げられてしまったからだ。奴隷を何人も所有できるほど、バルトは裕福ではない。まだ若いあの少年を買ったのは、この先何年も使っていくことを考えてのことだった。だと言うのに…… とりあえず、あの少年にまんまと逃げられた三人には、制裁を加えておいた。が、それだけでバルトの気分が晴れるはずもない。ワイングラスを握る手に力が入る。 忌々しい。奴隷の分際で、逃げるなどと。 奴隷という存在は、家畜とほぼ同程度の地位しか与えられていない。扱いに関しては家畜よりもひどいだろうか。なにしろ、“なまじ人間に姿が似ているため”、飼い主から蔑みの目で見られるのだから。余計な知恵があるところも、害でしかない。 いっそ家畜になってしまえば、少なくとも侮蔑されることはないだろうに。バルトはそう思う。そういう意味では哀れな生き物だ。“あるべき姿で生まれることができなかったのだから” そのとき、 コンコンという、ノックの音がした。 「入れ」 賊の二人を始末した。そんな報告でもしに来たのだろう。わざわざ来なくてもいいものを……そう思いながら返事をし、ガチャリと開けられた扉に目を向けて、 一瞬、目を疑った。 そこにいたのは見知った黒服ではなく、真っ白な服を着た少女だった。手には白銀に輝く刀を持ち、頭にはつばの広い帽子をかぶっている。そのため、バルトからは彼女の目を見ることができない。 微かに表情を判断できるのは、口元だけだ。 少女は、 笑ってもいなければ怒っている様子もない、冷たい感情を口元に浮かべていた。 「……なんだお前は」 「ずいぶんと分かりきったことを言うんですね」 小馬鹿にしたような口調に一蹴される。 頭に血が昇りかけるが、かろうじて抑えた。なるほど、確かに明確すぎることを聞いた。賊のうちの片割れに決まっている。 「……何の用だ?」 「聞くならまずはそれですよね。回りくどいのは面倒ですので単刀直入に言います。あなたを殺しに来ました」 「なぜ?」 「そんなこと、あなたは知らなくてもいいんです」 「……外の傭兵たちはどうした? あいつらは、全員が一騎当千の凄腕だったはずだ」 どうしたもこうしたもない。少女がここにいるということが、ある一つの事実を明確に物語っている。 だが、それでもバルトには信じられなかった。まさか、という思いがある。総勢五十人近くいたはずの傭兵の集団である。こんな、刀一本しか持っていない、小柄でいかにも非力そうな少女に―― その小柄で非力そうな少女は、食事の内容でも思い出しているかのような口調で、 「ああ、彼らなら、邪魔でしたから――」 「……なんだこれは」 スキンヘッドの男が、夢でも見ているかのような声で呟いた。 その傍らで、クウヤは小さく歯噛みする。勝敗がついてから、かなり時間が経ってしまっているかもしれない。ひょっとしたら、また手遅れになる可能性もある。 傭兵集団は、一人残らず大地に倒れ伏していた。仰向け、腹ばい、壁に頭から突っ込んでいるなど様々だが、共通しているのは、全員意識を失っているということだ。 「が、ガトーさん!」 突然、スキンヘッドの男が叫んだ。さきほどの呟きにも増した、悲痛な響き。 何事かとクウヤが見れば、 「……っ」 壁に、その男はもたれかかっている。 巨大な大鎌で、腹部を串刺しにされている。それで壁に縫い付けられている。他の連中は生きているようだが、その男は間違いなく死んでいた。割れた丸いサングラスが、彼の足元に落ちている。口からは、今も血が滴り落ちていた。 「う……」 「が、ガトーさん……」 クウヤを追っていた黒服連中は皆、言葉を失ってその場に立ち尽くしている。全員顔色が悪い。まあ、無理もなかった。クウヤだって人のことは言えない顔色をしているに決まっている。それほどまでに、衝撃が大きすぎる。 だが、今がチャンスだった。 黒服は、ガトーとかいう男の死体に気を取られて、クウヤのことをまるで意識していない。試しにスキンヘッドの男から数歩遠ざかってみるが、反応すらしなかった。 「……」 一歩、二歩、少しずつ、ゆっくりと歩いて、クウヤは黒服たちの視界から遠ざかる。 そして、全員の死角に入るのと同時、屋敷に向かって一目散に駆け出した。 「……ジュリ」 泣きそうな声だ。クウヤは自分でそう思う。もし、自分が考えていることが本当なのだとしたら。それは、あまりにも悲しすぎる。 ジュリ。 あれは、君がやったのか? 「……邪魔だったから、か。はは、恐れ入った。たったそれだけの理由で、自慢の傭兵部隊がな……」 あまりに非現実すぎる状況に、バルトは笑う。笑わずにはいられなかった。邪魔だったから。まるで、道に落ちていたゴミを片付けるような気軽さで、この少女は五十人斬りをやってのけたのだ。 「はは、はあ、ははあ……それで、お前は俺がこのまま素直に殺されればいいと思っているわけだ?」 「そうですね。余計な手間をかけさせられるのは、面倒ですし」 「そうか……なら、お前が死ね!」 叫ぶと同時に、バルトは懐から拳銃を引き抜き、 ――それを少女に向ける前に、手に軽い衝撃を感じた。 「……? ――あ、な、ばかな!?」 何か起こったのか、すぐには分からなかった。状況を把握したのは、手に持った拳銃を見下ろした後。 拳銃は、シリンダーごと真っ二つにされていた。刀で斬られたらしいというのは頭で分かっていても、心がそれを拒否していた。トン、と少し触れられただけ。そんな軽い衝撃だったのだ。たったそれだけで、鉄製の銃をあっさり切断するなどと……! 「無駄な抵抗です」 淡々とした声で、少女は言ってきた。 「屈強の猛者が五十人がかりで敵わなかったんです。そのわたしに、素人のあなたが勝てるわけがないでしょう」 「……っ お前の目的は何だ!? 金ならいくらでもくれてやる!」 「言ったでしょう。あなたの命です」 「なぜだ? どうして俺は殺される?」 「それも言いました。あなたが知る必要はありません」 「殺す相手に、殺される理由すら教えない気か?」 その言葉に、少女は押し黙った。少し考え、やがて軽く頷く。 「それは一理ありますね。では教えてあげます。あなたを殺す理由は二つあります」 指を二本立てて、一本を折る。 「一つは、あなたが痛めつけていた少年の恨みを晴らすためです。ちなみに彼を逃がしたのはわたしとわたしの仲間です。もうあなたの手は届きません。彼のことは諦めてください」 その言葉に、バルトは部下の報告を思い出す。通行人に騙された、と。嘘の道を教えられたとか言っていたが、どうやらその通行人というのは、この少女の仲間だったらしい。忌々しい。罵詈雑言をぶちまけることもできず、バルトは爪が食い込むほど拳を強く握りしめる。 少女は、残り一つの指を折る。 「もう一つは、わたしの個人的な目的を果たすためです。世界の平和を乱すためにご協力ください」 「世界の……平和、だと? そんなものを乱して何になる?」 少女は、実にあっさりと答えた。 「奴隷を解放するんですよ。世界平和が乱れれば、社会的な地位なんか何の意味もありませんからね。混乱に乗じて、奴隷の立場を覆すんです」 一瞬、何を言っているのか分からなかった。 奴隷の立場を、覆す? 「……何を馬鹿な。奴隷の立場だと!? 家畜が人間より上位になれるとでも――」 「黙りなさい」 首筋に、剣を押し当てられた。今までの無機質な声とは違う。明らかな怒気をはらんだ声。 「家畜? そんなことを言ってよく恥ずかしくないですね。奴隷は立派な人間です。あなたと同じように食べ、眠り、喜び、悲しみ、笑い、怒る生き物です。何の変わりもありません」 こんな人間など、初めて見た。命の危険も忘れてバルトは呆然とする。目の前にいる存在が、非現実的なものに見えて仕方ない。奴隷をここまで擁護するこの少女は、一体何者なのか。 「お前、一体……」 「……」 少女は、おもむろに帽子を外した。 「――っ ……なるほどな。それでか、なるほど……」 それだけで、バルトは理解した。少女が奴隷を庇う理由。奴隷を馬鹿にされて怒る理由。考えてみれば単純なことだ。 奴隷に理解を示すのは、奴隷以外にありえない。 少女の、露わになった素顔。 焦げ茶色の髪が揺れ、青く澄んだ瞳が冷たくバルトを見つめてきている。そして、その額には――見間違うはずもない、十字の烙印。 奴隷の証だった。 「……さて。そろそろいいですか? 早くしないと、厄介な人が来てしまいますので」 少女は静かにそう言って、刀を構える。 「個人的には地獄に落ちろと言いたいですが……それも可哀想ですので、一応祈っておいてあげます。あなたの冥福を」 自分を殺すことに、少女は躊躇うことはないだろう。奴隷が抱く“飼い主”への恨みは、殺意と言い換えても過言ではないほどだ。それは、自分の飼い主であろうと他人であろうと関係ない。 自分たちを虐げる全てを、彼らは憎むのだから。職業柄、奴隷を見る機会は度々あった。だからバルトには分かる。少女が自分に対して抱く憎しみ。 「……っ」 だが、それが分かったところで、諦められるはずもない。何か助かる手立てがないかどうか、必死に頭を巡らせる。金は断られた。慈悲の心など期待できまい。そもそも命を狙っている相手の言葉に耳を貸すはずがない。だが、それでもどうにかして少女を諦めさせなければ。 ちくしょうが。歯軋りしながら、ゆっくりと近づいてくる少女を睨む。 ……と、 少女の表情に、突然変化が生じた。何か、「まずい……」とでも言いたげな顔。バルトの方を向き、慌てたように宣言した。 「時間がありません。すみませんが、さっさと終わらせてもらいます」 少女が、その声と同時に床を蹴る。 そして、それと同時に、もう一つの声と轟音が聞こえた。 ジュリが元奴隷だと知ったとき、驚かなかったと言えば嘘になる。ついでに言うと、蔑むような目で見てしまったことも……事実だ。 その後しばらく、刀を押し付けられて脅されたけれど。階段を一足飛びに駆け上がりながら、苦い思い出を脳裏に蘇らせ、クウヤは苦笑いを浮かべる。 彼女の言っていることも、理解できないではない。ジュリと接することで、奴隷に対しての認識がいかに偏見であるかを思い知った。家畜だの何だのと思われていれば、なるほど、世界をひっくり返してやりたくなるのも無理はない。 だが、それでも、クウヤはジュリの邪魔をする。 世界の平和など、どうでもいい。 そのためにジュリの手が汚れることになるのが、クウヤには我慢ならないのだ。 彼女でなければならないという理由はない。他の誰かでもいい。手を汚すのは、他の誰かでも問題はない。 本気でやろうとするなら、誰かが手を汚さなければならない。それは、クウヤとて承知している。 だが、それがジュリである必要は、どこにもないのだ。 利己的だと言いたいなら言うがいい。自分本位の意見だということも承知している。 彼女の白い服が血で染まる光景など、もう二度と見たくない。 だから、クウヤはその光景を見たとき、真っ先に叫んだ。 「やめろ!」と。それと同時に、主人らしい人間とジュリとの間を狙って、一発だけ残しておいた銃のトリガーを引いた。 君にはもう、絶対に人を殺させない。そう思った。 なぜなら、 僕は、君のことが好きだから。 飛んできた弾丸を、ジュリは咄嗟に刀で弾いた。片足を使って強引に方向を変える。主人の横を通り過ぎ、床を数メートル滑ってようやく停止する。 再び刀を構える頃には、クウヤは主人の前に立ち、ジュリを阻むように両手を広げていた。 その様子を不機嫌に眺めながら、ジュリはポツリと呟く。 「さっきの弾丸、きっちりとわたしの急所が狙われていたんですが、クウヤさんはわたしに何か言いたいことでも?」 「え!? ぼ、僕はジュリとこの人との間を狙ったつもりなんだけど……ひょっとして、危なかった?」 「防いでいなかったら、クウヤさんは瀕死のわたしを担いでここを脱出しなければいけなかったと思います。それから病院へ直行ですね。医者が寝ていても叩き起こさないと、わたしが死んでしまうところでした。それくらいの急所です」 「うわーけっこう致命傷……ご、ごめん。この銃と僕の腕、狙いをつけるのには向いてなくて」 「なら撃たないでください」 「だって、撃たないとジュリは止まらなかったろ?」 それはそうだ。頷きかけて、ジュリはハッとした。いつの間にか、すっかりクウヤのペースに引き込まれている。 「クウヤさん。そこをどいてください」 「何を突然」 「さもないとあなたごと斬りますよ」 脅しではない。目標が目の前にいるのに躊躇うほど、自分は弱くない。どかないならクウヤごと斬ってやろうと、ジュリはそう決意を固めた。 だが、そんな思いなど知った風もなく、クウヤは言ってくる。 「君に僕が斬れるもんか」 「そんなことは分かりませんよ。やって欲しいんですか?」 「やれるものなら」 余裕綽々といった表情に、ジュリはカチンと来る。クウヤが主人と離れていれば、避けるなり何なりして主人だけを仕留めることもできるのだが……主人は、都合よく盾が現れたとばかりに、クウヤの背後へ身を隠してしまった。これでは彼一人だけ斬ることができない。 「あなたはどうして、そこまでわたしの邪魔をしますか?」 「……今は言えない。恥ずかしいからね」 薄ら笑いを浮かべた、クウヤの表情。ジュリはそれを見て苛立ちをつのらせる。本当に斬って欲しいのだろうか、この男は。自分が斬られることはないと、まさか本気で思っているのだろうか。 「最後の忠告です、クウヤさん」 問答をしていたら、クウヤに言いくるめられる。ジュリはそう確信していた。クウヤは臆病で、気が弱い。強く出る相手には、つい下手に出てしまうタイプの人間だ。 だからと言うべきか、彼は下手に出ることで相手を操る方法を知っている。他人を持ち上げて、自分の思うように誘導する。下手に言い合ってしまったら、結果的にクウヤの背後にいる男を見逃すことにもなりかねない。それだけは、避けなければならない。 「今からあなたの後ろにいる男を殺します。巻き添えになりたくないなら、今すぐそこをどいてください」 「頑固だねジュリも。できないよ、君には」 虚勢だ。一目で分かる。 クウヤの足は、震えている。こちらの放つ殺気のためか、自分が言い切っている言葉にも、本当は少し自信がないのか。両方だろうとジュリは考えた。自分は絶対に死なない、殺されない。そんなことを本気で言い切れる人間は、よほどのバカか狂人だけだ。 死にたくない。怖い。クウヤが感じている恐怖は、手に取るように分かる。 それでも、ジュリは床を蹴った。 ――……バカな人です。心の中で冷たく告げる。 しょせん、クウヤは他人だ。家族でも親友でもない。少し長く旅路をともにしているだけの、それだけの相手。 五歳のときに売りに出され、家族とは離れ離れにされた。 七歳のときにできた親友は、飼い主に逆らったという罪で殺された。 その恨みを、悲しみを、ただの他人でしかないクウヤにどうにかできるはずがないのだ。思い上がりもはなはだしい。一体何を根拠に、自分が彼を斬れないと言うのか。迫ってくるクウヤの身体。彼ごと主人を貫く。ほとんど密接している主人には、その一撃は避けられない。 突き立てるために刀を水平に構え、ジュリはふとクウヤの顔を見た。 忘れることができない。 その顔に浮かんだ、恐怖がない交ぜになった、形容しがたい微笑みを。 「君は、僕のことが好きだからね」 耳を疑った。恐怖のあまり気でも違ったか。そんなことまで思った。 だが、 その言葉を聞いた瞬間、ジュリは咄嗟に狙いを外していた。自分の身体は止まらない。でも、彼を傷つけてはならない。なぜ? 分からない。分からないけれど、頭がそう告げてきている。 無意識のうちに、足をわざと踏み外していたのだろう。 ジュリは横に倒れこみ、頭から床に突っ込んだ。衝撃を身体が襲う。今晩初めて怪我をしたなあと、間抜けな思考が頭を飛び交う。 頭上で、ゴンッという嫌な音。それに伴う、猛烈な痛み。 家具にでも当たったのだろうか。 ともあれ、ジュリの意識は、急速に遠のいていった。 「……」 「……いや、あのさ、ジュリ。確かに突拍子もないこと言ったけど、あれは君を止めるためにわざと意外なことを言ってみたりしたわけで……」 「……」 「君にそんな気持ちがないってことは分かってるよ。本気で考えてたわけじゃないってば。邪魔をしたのは悪かったけど……ジュリは、僕が邪魔すること認めてたでしょ? やれるものならやってみろって言ったでしょ!? 何で怒るかなあ……そろそろ機嫌直してよ」 町から少し離れた山道。スタスタと先を歩くジュリの後を、クウヤは言い訳しながら追っている。 結局あの後、主人が放心している隙に、ジュリを担いで屋敷から逃げ出したのだ。屋敷全体が大騒ぎになっていたため、脱出はそんなに難しいことではなかった。 まあ、寿命が二十年ほど縮まったような気はするが。 ほうほうの体で宿屋へ逃げ帰り、何食わぬ顔で朝を迎えた。朝食もそこそこにチェックアウト。生まれ故郷が南にあるという少年と別れ、クウヤとジュリは一路北へと向かっているわけなのだが。 口をきいてくれない。 おはようすら言ってもらえなかった。 ひたすら謝ったり言い訳したりしてみたが、まるで効果がない。少年がひどく怪訝そうな顔をしていたのを思い出す。そりゃそうだろう。つい昨日までパートナー同士だった二人が、一夜明けたらコーヒーカップにヒビが入りそうな剣呑な雰囲気をまとっていたのだから。 「あれだけやれば、十分騒ぎになるよ。あの人もこれに懲りて、二度と奴隷を買うなんてことはしなくなるだろうし……結果オーライってことでいいじゃん。ねえ?」 「……」 「殺すよりもそっちの方が絶対いいって……」 尚も説得を続けようとして、クウヤは思い出した。 昨夜見た、ガトーという男の死体。あれはまさか――、 「ねえ、ジュリ。一つ聞くけど、ガトーっていう人に心当たりはある?」 「……」 ジュリはほんの微かに、興味を持ったような素振りを見せた。 「大きな鎌で殺されていた人。知ってる?」 「……昨夜、一戦交えました。それが何か?」 ポツリと呟かれた答え。クウヤは戦慄する。まさか、ジュリが、彼を……? 聞くのが怖い。だが、聞かなくてはならなかった。 「……あれをやったのは、ジュリ?」 「……」 黙したままのジュリ。肯定の意味とも取れる仕草。クウヤの心に、暗い影が落ちる。 だが、 「……いえ。違います」 ジュリは、否定した。 「しばらく互角にやり合っていたんですけど……事故、とでも言うんですかね、あれは。やり合っているうちに、勢い余った鎌が自分を刺しちゃったんですよ。抜いてあげるべきか一瞬迷ったんですけど……わたしには目的がありました。邪魔されましたけどね」 最後の言葉には、突き刺さるような棘があった。 だが、そんなもの、クウヤは気にもならなかった。 「良かった」 「は?」 「ジュリ、昨夜は一人も殺さなかったんだよね。良かった……」 「……」 再び黙る。機嫌が直ったかのように見えたが、やはりまだだったか。クウヤは微かな諦めとともにそう思う。時間が解決してくれるのを待つしかないのかもしれない。それまでに、自分がジュリに追い払われないかどうか不安だが。 そう考えていると、盛大なため息が聞こえた。 ジュリだ。 そのため息の後、ジュリは不意に歩く速度を落とし、クウヤの横に並んだ。 「……変な人です、クウヤさんは」 つばの広い帽子の下から聞こえる、心底呆れ果てたといった感じの声。 クウヤは、苦笑する。 「そんなに?」 「はい」 「ジュリも十分変な人だよ」 「クウヤさんには及びませんよ」 「これから寒くなるね」 「何ですかいきなり」 この道は、北に向かっている。これから益々寒くなるこの時期、わざわざ北に向かう酔狂な旅人はあまりいない。 だが、自分たちは別だと思う。 何せ、互いに認め合う変人同士なのだから。 「別に」 一言だけ呟いて、クウヤは身を震わせる。 風が、冷たかった。 |
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