冷たく笑う

 

 北高といえば県内では一番学力の高い高校であり、生徒は全員学校が終われば家に直帰して予習復習……というわけではないものの、それほど遅くまで遊び歩いたりはしない。個人で多少の差はあるものの、全体としては生徒全員、真面目で大人しい少年少女である。

 しかし、中にはやっぱり例外もいるわけで。

「……で?」

 その例外は今、繁華街の裏路地でたむろしていた不良五人をちょっと痛めつけて、リーダー格の頭を掴んで壁に打ちつけてようとしているところだった。

「うちのクラスの佐藤から、何万盗ったんだって?」

 一応の手加減はしているらしい。その証拠に、リーダー格は鼻血こそ盛大に出しているものの、それほど悲惨な状況には陥っていない。しかし、それでも人の頭を掴んで壁に打ちつけるという行為は、格好だけでも十分に陰惨なものがある。

「……ご」

「ご?」

「……ごめ、ん……な、さい……」

「別に謝らなくていいっての。金さえ返せば何もしねぇよ。ほら、大人しく出せ」

 見方によらなくてもカツアゲ以外の何でもないが、しかし言葉を信じるなら、彼はクラスメイトの金を取り返そうとしているのである。手段はどうあれ、やっていることのみを見るならば、正義の味方に分類されるべき行為だ。

……とてもそうは見えないが。

 リーダー格が震える腕で懐から財布を取り出し、紙幣を数枚抜き取って渡す。彼は片手でそれを受け取り、闇の中に目をこらして枚数と種類を確認。間違って千円札を掴まされる可能性を考えているのか、やけに熱心だった。

「全部で三万?」

「……そう、です……」

 彼は一つ頷き――物凄く楽しそうな笑みを浮かべて、こう続けた。

「おかしいな。俺が聞いた金額は、三万より少し多かったはずなんだが」

「なっ……!?」

 驚愕の声をあげるリーダー格。

「そ、そんなわけ……」

「いやいや。確かだから。三万といくらだったかなぁ。四万だったかなぁ、五万だったかなぁ。もう少しお前の頭を殴れば思い出せそうな気がするんだが、そこらへんお前はどう考える?」

「……っ!」

 この外道が! 彼が言いたいことを悟ったのか、一瞬そんなことを怒鳴りそうな顔をしたリーダー格。だが、直後に諦めたような表情になって、財布をまさぐり始めた。殴り合っても勝てないことは現在の状況が嫌というほど明確にしている。せめて被害の少ないうちに……とでも思ったらしい。

「……ごめん、なさい。今、これだけしか……」

 差し出すのは五千円の紙幣一枚。

「もう何枚か入ってるみたいだが?」

 財布を覗きこみながら手の中の頭を引く彼に、リーダー格は泣きそうな顔で訴える。

「こ……これは勘弁してください。これがないと今月、昼飯食えなくなっちまう……」

「……ふん」

 勘弁してくださいと繰り返すリーダー格に小さく息を吐いて、彼は無造作に頭を離した。力尽きて倒れ伏すリーダー格に言葉を向ける。

「思い出した。そう、三万五千円だ」

 別にわざわざ言わなくても、誰も文句など口にはしないのに。

 三万円を左のポケットに、五千円札を胸ポケットに入れながら、彼は立ち去りかけてふと振り向いた。

「ああ、それから、ここでお前らが吸ってた白い粉。ばっちり記録してあるから、俺に仕返ししようとするならそれなりの場所に行くことは覚悟しろよ」

「んなっ……」

 愕然とするリーダー格に、宥めるように告げる。

「なに、安心しろ。俺はお前らの頭がスポンジになろうが腐ろうが全く気にしない。お前らが俺や俺の周りの奴らに何かしようとしない限り、ここでの出来事は永久に闇の中だ。忘れようぜ、お互いによ」

 馴れ馴れしくポンポンと肩を叩き、

「じゃあな」

 言葉も出ないリーダー格をそこに残して、彼は悠々とその場から歩み去る。

 闇討ちなんかが日常茶飯事的に行われていそうな裏路地を通り抜け、その先にあるのは光溢れる大通り。返り血がついていたりしないかどうか一通り確認してから、出口に座って待っていた人影に声をかけた。

「待ったか?」

「……少しだけ」

 そう言いながら振り返ってくるのは、彼と同じ北高の制服を着た一人の少女。背中まで伸ばした黒髪が揺れる。光に照らされた白い顔に、無感動という描写がよく似合う表情を乗せている。

 無表情なのではない。

 情動があるにはあるのだろうが、非常に淡白で見えづらい、そんな雰囲気。

「もう少し早く終わるかと思いましたが」

「思ったより数が多かった。返り血とかついてないか?」

「……。ええ、大丈夫です」

 彼の身体をしげしげと眺め回して少女は頷き、尋ねる。

「お金は無事取り戻せましたか?」

「ああ」

 そう答えてから、彼はふと思い出したように尋ねる。

「なあ。佐藤が盗られたのって三万だっけ?」

「そう聞きましたが」

 それが何か? と首を傾げる少女に、彼はいかにもしまったと言いたげな顔で、いけしゃあしゃあとこう言い放った。

「あいつら何を勘違いしたのか、五千円多く寄越しやがった」

「……返せばいいのでは」

「今ノコノコ顔を出したら、俺は復讐心に燃えるあいつらの餌食になっちまうだろうが」

 元気一杯だった連中を思う様ボコしておいて何を言う。その突っ込みを入れられるのは彼の目の前にいる少女しかいなかったが、彼女は小さく首を傾げただけだった。

「では、どうします?」

「迷惑料として受け取っておく」

「……。下手な言い訳ならしない方がマシだと思います」

 ポツリと呟く少女を横目で眺め、彼は一言、

「この金で飯でも奢ってやろうかと思ったけど、やっぱやめた。じゃあな」

 別れを告げて踵を返す。……が、後ろから発せられる意味ありげな視線に立ち止まった。

「……」

 振り返る先。無表情は相変わらずだが、どことなく捨てられた子犬のような目をして少女は立ち尽くしている。

 しかしそれは、決して自分を捨てていく主人に哀願するような目つきではなかった。大半がその色ではあったが、その中にこんな場所に放置したら命果てるまで呪い続けてやるとでも言いたげな、怨嗟と非難が入り混じったような念を押し込めていた。

 彼はため息をつきながら、

「ファミレスでいいだろ?」

 無表情に変化はないが、少女の鋭かった目の色がその言葉で少しだけ柔らかくなった。

「はい」

 カクリと頷く少女の横をすり抜けて、彼は近くのファミリーレストランへと足を向ける。歩いて五分もかからない場所。振り向いて、

「行くぞ、御月」

「はい、紫焔さん」

 氷室御月。

 法光院紫焔。

 それが、二人の名前である。

 

 何しろ大層な名前であるから、法光院紫焔という一年生の存在は四月の時点で学校全体に薄く広く知れ渡ってはいた。そして五月。初めての中間試験の結果が発表された現在、その名は今まで以上に存在感を強めることとなる。

「全教科満点って、普通にありえなくないですか……?」

 控えめな驚きの声で発せられた疑問に、紫焔は言葉を返す。

「あんなもんで満点取れない奴の方がありえないと思うがな」

 掲示板に張り出されている順位表の一番上。一位、法光院紫焔。

 二位以下に大差をつけての、ぶっちぎりの首位である。

「紫焔さんの言葉を認めると、この学校の一年生は紫焔さん以外皆ありえない存在ということになってしまうのですが」

「うるせぇな。ちなみにお前は?」

 紫焔の問いに、隣で張り紙を眺めていた少女――御月はすっと指を伸ばした。一番上の紫焔の名前からつーっと指先を横にずらし、そのまますーっと下げていく。

「……四百八十二位……」

「自分としては頑張った結果かと」

「……なあ、一年生って何人だ?」

「張り出されている名前の数が一年生の総数ならば、五百八人です」

 淡々と言葉を紡ぐ御月を半眼で眺めながら、紫焔は尋ねる。

「思ったことを率直に口にしていいか?」

「どうぞ」

「馬鹿」

「どうも」

 淡々と頭を下げる御月に、紫焔は小さくため息をつく。

 点数がある以上そこに順列が生まれるのは当然のことだし、一位がいれば最下位もいる。御月の順位が明らかに低迷していること自体は、あまり喜ばしいことではないが仕方ない。次回頑張らせればいい。

 問題なのは、

「どうしてそんなに平然としてるんだ?」

 まるでこの結果が当然のものであるかの如く、御月の表情は凪いだ海のように穏やかだった。

「学校の試験の順位など、今のわたしには何の価値もありませんので」

 少しは気にしろよ、と思いながら、

「別に授業聞いてないわけでもないだろうに、なんでこんなに点数が低いんだ?」

 頭の中で概算するが、可能な限り都合よく計算しても平均点は二十点にも届かない。同じ教室の前の席に座る御月が居眠りしているところなど紫焔は見たことがない。この学校に入学してきたからにはそれなりの頭は持っているはずなのに、どうしてこんな結果が生じるのか。

 眠ってはいないが、実は授業の内容がさっぱり理解できていなかったとか。

 そんな可能性を考える紫焔に、御月は相変わらず淡々とした声で、

「わたしの頭の中は、常に紫焔さんのことで埋め尽くされていますから」

「……」

「紫焔さんに関する試験なら死に物狂いで満点を狙うでしょうが、そうでなければ特に高得点を狙う理由はありません。そのための知識を詰め込むくらいなら、紫焔さんとの桃色ライフを想像している方が何倍も有意義です」

 表情一つ変えることなく、御月はそう言って押し黙る。

 頬がわずかに赤いのは何の冗談だろう。呆れつつ嘆息しつつ、紫焔は告げてやった。

「一つ言っておく」

「何でしょう」

「俺は馬鹿な奴は嫌いだ」

 よく観察しなければ分からない程度に目を見開いて、御月がこちらを向いてきた。普段は完全な受け身である彼女にしては珍しく、わずかに焦ったように口を開く。

「学校の成績一つで他人を馬鹿か否かと判断するのは早計かと思いますが」

「桃色ライフの想像に興じて学校の成績一つ満足に取れない奴が馬鹿じゃない理由を、言えるものなら言ってみろ」

「……」

 言葉に詰まる御月の表情は、悲しげでもあり、悔しげでもあり、そしてくすぶる炎のような危ない光を宿していた。

 横目で数秒それを観察してから、紫焔は息を吐いて口を開く。彼女の目に宿る炎が燃え上がれば一体どういうことになるか。それはよく分かっている。

「期末まで評価は保留だ。次はこんなみっともない結果は残すな」

「……はい」

 反省したように頷く御月から目を離し、紫焔は教室に目を向ける。

「さて。佐藤に金を返しに行くか」

「はい」

 紫焔と御月のクラスである一年C組は掲示板のすぐ傍にある。御月を従えて足を踏み入れながら、紫焔は佐藤の席に目を向ける。

 いた。

 眼鏡をかけたひ弱そうな少年。休み時間は大抵本を読んでいる、存在感の薄いクラスメイト。今回のことがなければ名前も覚えることがなかったであろう相手だが、話してみればまあ悪い奴ではなかった。

 そんな佐藤は何やら忙しく周囲を見回していたが、入り口付近にいる紫焔と御月に目を留めて、

「あ、法光院くん」

「おう」

 片手を挙げて応えながら、ポケットから昨夜チンピラたちから奪還した紙幣三枚を取り出す。目の前に差し出して、

「ほれ。三万で合ってたよな?」

「う、うん。本当に取り返してくれたんだ……ありがとう、本当にありがとうっ」

 まるで本当に返ってくるとは思っていなかったような口調にわずかにカチンとくるが、心底感謝している様子なのでとりあえず許しておいた。旧札の福沢諭吉三枚をまるで家宝を崇めるように見ている佐藤に言う。

「約束は覚えてるな?」

「あ、うん。大丈夫だよ。何かあったらいつでも遠慮なく呼んでよ」

「言われなくてもそうするさ」

 ありがとう、ありがとうとひたすら感謝の言葉を口にする佐藤に背を向けて、紫焔は己の席へと足を向ける。窓際の前から四番目。机に突っ伏したところに、前から三番目の席に座った御月の小さな声が降ってきた。

「彼、紫焔さんのことを信用していませんでしたね」

「ん? ああ」

「……こらしめて来ていいですか?」

「駄目だ」

 底冷えのする声で呟く御月に即答に、顔を上げて睨みつける。

「今はもうあいつは俺のことを信用してる。それでいい。お前は余計なこと考えてないで、一限目の予習でもしてろ」

 不服そうな御月に「分かったな?」と念を押し、紫焔は今度こそ腕の中に顔を埋めた。問答をする気はない。その意思を表明するようにポケットからMDプレイヤーのイヤホンを取り出して、耳に装着。聴きなれた音楽が周囲の雑音を遮るように響き出す。

 ホームルームが始まるまでこうしているつもりだった。

 途中一回だけ薄目を開けて御月を見れば、素直なことに、数学の教科書を開いて本当に一限目の予習をやっていた。

 

 昼休み。

「あの、法光院くん」

 御月の作ってきた弁当を食べ終わったところに、佐藤が声をかけてきた。

「……」

 今日のおかずの感想を尋ねてきているところだった御月が露骨に――普段無表情な彼女にしては露骨にムっとしたような顔をする。

 元々表情の変化が乏しい娘なので、佐藤がその表情に気づくことはなかったが。

 いちいちフォローするのも面倒なので、紫焔もまた御月への言葉を一旦置いて佐藤の方に顔を向ける。

「あん?」

「あの人が、話があるって」

 そう言って佐藤が示す先。教室の入り口のところで、上級生らしい女生徒がこちらを見ていた。

 初めて見る顔である。

「御月。知ってるか?」

「いえ」

 不審そうに首を振る御月。佐藤に向けていた鬱陶しそうな雰囲気が女生徒に向けられて、瞳の色が一気に危険信号へと変化する。瞳の奥に生まれた火種が徐々に炎へと変化していく――前に、紫焔はそれを制した。

「お前はここにいろ」

「なぜですか?」

「いても何の役にも立ちそうにないからだ」

 有無を言わさずそう告げて紫焔は立ち上がる。怪訝そうに紫焔と御月を見比べている佐藤に礼を言って、入り口で待つ女生徒の元へと歩み寄った。

「お食事中にごめんなさいね」

 口ではそう言いながらも、大して申し訳ないとは思っていなさそうな声だった。嘆息しながら紫焔は答える。

「食べ終わったところなんでいいです。何か用ですか?」

「ここでするのはまずい話だと思うけど」

 そう言いながら、女生徒が差し出すのは一枚の写真。

「これが何か?」

「見れば分かるわ」

 長い黒髪を揺らしながら、切れ長の瞳を笑みの形に歪めて笑う女生徒。嫌な笑い方である。警戒心を強めながら受け取った写真に目をやり、

――驚かなかったといえば、嘘になる。

「……場所を変えましょうか?」

「そうですね。誰にも話を聞かれない場所がいい」

 警戒心はもうなかった。

 上級生と思しき女生徒に対して抱くのは、完全な敵愾心だった。

 

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