生者のたわごと
| 誰が考えたのか知らないが、頭が白くなるというのは本当に上手い表現だと珠樹は思う。 窓から差し込む光が朝の訪れを告げていた。かけられていた毛布と、猫となってその中に潜り込んで来ている遊刃が、昨夜の彼女の小さな親切を物語っていた。幸せそうに眠る黒猫を感謝の意を込めて軽く撫でながら首を後ろに向けて、その先にあった時計の文字盤が午前七時四十五分を告げていた。 遅刻確定。 頭が白くなるという表現を思いついた人は天才だと思うが、そんなことを悠長に考えている場合ではなかった。さぁーっと顔から血の気が引く。時計がついに壊れたのだろうか。しかし射し込む朝の光は紛れもない現実のものだ。 一回くらい起きようよ。 泣きたくなる思いで自分にそう訴えかけるが、今はとにかく支度である。 遊刃を起こさないようにそーっとベッドから降り、両足を下ろした時点で扉目がけて床を蹴った。制服は着たままだから着替えはいらない。やるべきことは洗顔、歯磨き、朝ごはんその他色々――と思った瞬間、下着を換えていないことに気づく。 本当に泣きそうになった。 慌てて引き返し、箪笥から下着を引っ張り出す。破り捨てるかのように制服を脱ぎ、下着を換えてまた着込む。ほとんど体当たりの勢いで扉を押し開け、階段を駆け下りようとして鞄が机の上に置きっぱなしであることに気づいた。滑る廊下の上で転びそうになる。「わっ、とっ、と」とたたらを踏みながら机の上の鞄を引っつかんで、今度こそ階段を駆け下りる。 開け放たれた扉から、朝の冷たい空気が珠樹の部屋に流れ込む。 「……騒がしい子だ」 ドタバタという物音と階下から聞こえる怒鳴り声で目を覚ました遊刃が、欠伸とともにそう漏らした。 オレンジジュースだけを胃に流し込み、行ってきますの掛け声も皆まで口にせず、家の扉を蹴り開けて駆け出した。午前八時十分。八時二十分までに教室に着いていないといけないから、普通に歩いて三十分の道のりを十分で走破しなければならない。 最初から最後まで全力疾走すれば、あるいは間に合うかもしれない。 が、あいにくそれを実現するほどのスタミナが珠樹にはなかった。五分も経つ頃には息が切れ、走っているのか歩いているのか分からないペースでの登校となる。 十分の半分が過ぎたのに、まだ半分も来れていない。 足を止め、膝に手をついて立ち尽くす。ぜぇぜぇ息を吐きながら思った。もう無理だ。もう走れないし間に合わない。 四十五分から始まる一時限目に間に合えばいいのだ。授業を受けられればそれでいいのだ。自分に言い訳をしながら早々に諦めて、珠樹は鞄を両手で持ってとぼとぼと歩き出す。どうせ遅刻するのだから、急いだところで良いことなどない。 歩きながら思い出す。昨日の出来事。空也と樹里の姿。 霊。紡ぎ手。滅刀。力。 ――君は、どんな紡ぎ手になりたいの? そんなことを聞かれても答えられるはずがない。そもそも珠樹には紡ぎ手になるつもりなどないし、遊刃の主となる気もないのだから。 どうしても答えろというのなら、何をどうしても紡ぎ手とならなければいけないなら、珠樹はこう言う。自分が滅刀を持つのは、理不尽に斬りつけられる霊を少しでも減らすためだと。 自分が遊刃の主となってしまえば、それだけ紡ぎ手の絶対数は少なくなる。そうすれば必然的に、鎮められる霊の数も減る。 理不尽。 空也には結局言わないでおいたが、昨日の樹里を見て浮かんだ感想はその一言に尽きた。悲鳴を上げ、逃げ惑う人たちを片っ端から斬りつけていく。挙句の果てには、まだ幼い少女すらも手にかけようとする。 目の前に広がっていたのは、どこまでも弱肉強食、力を持つ者が全てと言わんばかりの世界であって。理不尽だと、柱の陰で珠樹はひたすらそう思っていた。 最後の最後で自分を叱咤して飛び出したのに、結局あの子も樹里に鎮められてしまった。そのことが、珠樹には悔やまれてならない。 あれが樹里なりの救い。あれが樹里の信念。 そんなことを言われたからといって、納得などできるはずがない。 あそこで樹里の手を逃れていれば、別の形の救いの手が、あの少女に訪れていたかもしれないのに。 昨夜はそれどころではなくて、自分がそう思っていることを空也に伝えることはできなかった。だが、それで良かったのかもしれないと今では思う。 紡ぎ手になろうなどとは欠片も思っていない珠樹だが、霊と関わることまで拒否するつもりはなかった。そもそも拒否することなど不可能だ。見えるものはどう足掻いても見えるのだから、これはもう仕方ない。自分なりのやり方で、彼らと付き合っていかなければならないのだ。 鈴人はもとより、空也や樹里、遊刃と関係を持っていることは、決して悪いことではない。わざわざ関係をぶち壊すことなどない。 なんかボクって卑怯かなぁと、少しだけ思った。 思っただけだったが。 頭の中に彼らの顔を思い浮かべる。とにかく、誰かと話がしたかった。対象は四人。樹里と空也と遊刃と鈴人。樹里の連絡先は空也に聞いているが、彼女が来るなら空也も一緒に来るだろう。二人で一組と見た方がいい。 だが、少なくとも今は、樹里と話す気にはなれなかった。紡ぎ手コンビの顔にバツ印をつける。 残りの二人のうち、遊刃は出かけるときには家にいた。今から帰るわけにもいかないし、彼女ならおそらく今夜もあの部屋にいるだろう。そのときにでも聞けばいい。 というわけで、とりあえずの目標は鈴人だ。昼休みにでも会って、姉のことを聞き出そう。 作戦決定。珠樹は一つ頷いて、ふと目を横に向けた。 公園が、そこにあった。 見紛うことなく公園である。幼い頃は鈴人や姉とよく遊びに来ていた、珠樹にとっても思い出深い場所だ。遊具の数こそ少ないがその分だけ広く、よく三人でサッカーをやったり、遊びに来ていた他のグループと一緒に鬼ごっこをして遊んだりしていた。 中学生になったくらいから、ほとんど来なくなっていた場所。 どうせ遅刻だという思いも手伝って、珠樹は歩みを遅らせて目を細めた。 懐かしい場所。 そして、泣きたくなる場所。 砂場、シーソー、滑り台にブランコ。本当にそれしかなく、公園というよりただの広場といった方が正しい。昔はそれだけで十分だった。遊具を利用して遊びを考えつくことなどしょっちゅうだったし、そうでなくても、ボール一つ、小石一つがあればそれで良かった。何の変哲もないそれらが、使い方一つで何にも勝る遊具になった。仲間だっていた。三人だけで遊ぶときもあったし、他のグループに入れてもらうこともあったし、今みたいにベンチに座って寂しそうにしている子を誘うこともあったし―― ベンチに、誰かが座っていた。 あ、幽霊だ。 即座にそう思った。 遊刃の言う通り、珠樹の霊を見る能力は日増しに鋭敏になってきている。一昨日美弥香を見たときは彼女が死んでいることすら分からなかったのに、昨日、あのデパートの七階で見たときは何か人間とは違う雰囲気が感じられた。 そして今日は、こうして一目見るだけで幽霊かそうでないか判別することができる。明確に見た目が違うわけではないのだが、幽霊は皆、まとっている雰囲気に特徴があるのだ。 暗いわけではない。 悲愴的なわけでもない。 町を歩いているだけでも幽霊の二、三人はすぐに見ることができるが、彼らに共通するのは悲しみでも苦痛でもなく、終幕。 彼らは終わった人間なのだということ。 彼らはもう、“終わっている”のだということ。 言葉に言い表せるものではない。漠然とそう感じるという、ただそれだけの感覚だ。 ベンチに座っている少女は珠樹よりも幼い。たぶん、まだ十歳かそこらだろう。寿命で死んだということはありえないから、病気か、事故か。何にしても気の毒なことだった。あまりじろじろ見ない方がいいと、そう思って珠樹は目を逸らそうとし―― 「……」 逸らす前に目が合った。 不意に顔を上げた少女と、彼女の方を見ていた珠樹の視線が、がっちりと交錯した。 樹里にとって澪は、ただの紡ぎ手の先輩ではなかった。 二人が出会ったのは、空也が樹里の滅刀となる少し前のことだ。身近に霊能力者がいなかった樹里にとって澪は初めての理解者であり、年上ということもあって良き相談相手でもあり、また頼りになる姉でもあった。妹と幼馴染がいるから年下の扱いには割と慣れている。そう言って笑っていた澪の表情は、確かに妹を可愛がる姉のそれだった。 一度あんたと珠樹を会わせてみたいなぁ。樹里の頭を撫でながら澪がそう言っていたのを、ふと思い出した。結果としてその願いは叶えられた。あの屋上で、あのデパートで、樹里と珠樹は確かに出会った。 あまり感動的な出会い方ではなかったが、少なくともお互いの印象には強く残っているだろう。細い路地をアテもなく歩きながら、空也はそんなことを考える。 樹里が中学校に行っている間、空也は基本的に暇である。そういうときは鳥になって小銭を探すか、懐に余裕があるときは街を適当にぶらついていたりするのだが、今日はそのどちらでもなかった。ある相手を探して、街ではなく町をうろついている。 美弥香から珠樹を守るのと引き換えに遊刃から教えてもらった情報の相手。澪の仇である霊。 理由はもちろん仇を討つためなのだが――本音を言うと、空也は澪の仇をどうしても討ちたいとは思っていなかった。それなりに親しくはあったがしょせん澪は他人であるし、仇討ちなら樹里よりも妹である珠樹が行うのが筋だという気がするからだ。 珠樹が仇を討ちたいというなら、まあ全く無関係というわけではないし力を貸してやらないでもない、くらいには考えていたが。自分たちの手で仇をという思いは、空也の方はまるでなかった。 それがこうして澪を殺した相手を探しているのは、当然樹里の意思である。 ある意味では家族以上の関係だった澪を殺されたのは、樹里にとってそれほどの痛手であり、その相手に持つ恨みも強かったのだ。 紡ぎ手として霊を鎮めるのは、君にとっては救いなのではないか。問いかけたその言葉に対する返答を、空也は頭の中で反芻する。 存在自体が、許せない。 この世にそいつがいることが許せない。自分が滅刀を振るうのはそいつを救うためではなく、そいつの存在をこの地上から消し去るためだ。 口調こそ冷静ではあったが、あれは相当怒っていた。 そしてその結果、空也はこうして町を彷徨っている。どうせ暇だろうから、自分が学校に行っている間、件の霊を探していろ。何か情報を仕入れるまで帰ってくるな。樹里にそう頼まれたのだ。 頼まれるというより脅迫されるといった方が近い気もするが、そこらへんはあまり深く考えないでおく。乗り気にはなれないが、他ならぬご主人様の命だ。期待に沿えるように頑張らねばと、冗談じみた思いを巡らすのだった。 しかし、探し回るのはいいが、どこらへんにいるのかという情報も何もないのは辛かった。そもそも澪がどの辺りで殺されたのか、それすらも空也は知らない。遊刃に聞いておけば良かったと後悔するが、遊刃は電話も何も持っていないから連絡を取ることもできない。 珠樹なら知っているだろうが、さすがに肉親に聞くのは躊躇われた。 吹きすさぶ寒風に身を震わせながら、空也は正直こう思う。 今のままでは、見つけることなど不可能だ、と。 都会などとは口が裂けても言えない場所ではあるが、それでも一応、都市を名乗っても差し支えない程度の面積と人口密度はあるのである。アテもなく歩き回っていても、仮に鳥になって空から探し回ったところで、特別巨大だったりするわけでもない見た目は普通の人間と変わりない幽霊を探し出すことなど不可能だった。 独自の情報網――単にそこら辺の幽霊や知り合いの霊能力者に聞き込みをしまくったというだけだが――を使っても、得られたのは相手がまだこの町にいる『らしい』という、何ともあやふやな情報だけだった。しかもその情報さえ、そういえばそんな感じの奴を見たような、程度のものなのだ。 澪を殺して逃走するくらいだから、少なくともその霊は、まだ消えたくはないのだろう。遊刃は、相手は自分が霊であることを自覚しているようだと言っていた。それはそれなりに長いこと幽霊をやってきた証拠だが、よく頑張るものだと思う。 幽霊となった人間には五感も何も存在せず、この世のあらゆる“感覚”を失う。日の光を浴びて暖かいと思うこともなければ、そよ風を心地良いと思うこともない。 生きているという実感が消える。 かつては生きていた人間だからこそ、それらが失われるというのは耐え難い苦痛のはずだ。最初のうちはいいとしても、時間が経つうちに段々と自覚するようになる。命ある者の世界から弾き出された、自分という存在を。 その苦痛を背負ってまで紡ぎ手から逃れようとするとはよほどの未練があるのだろうが、もしその幽霊が『この町に』未練を残しているなら、あるいは見つかる可能性もないわけではない。この周辺にいる紡ぎ手は樹里と珠樹の二人だけ。知らない間に鎮められるようなことはない。根気よく探せば、いつかは見つけることができる。 だが、特別この町にこだわっているわけではないのだとしたら――見つかるとはとても思えなかった。澪に襲われた(と感じてるだろう)ことに懲りて、早々にここから離れてしまっているはず。樹里の元を何日も離れてどこにいるかも分からない霊を探しに行くつもりなど空也にはないし、樹里が自ら探しに行くのは不可能だ。どこにいるとも知れない幽霊を探して全国を回るほど、“生きている人間”というのは暇ではない。 見つからないなら、それでもいいと思った。 澪を殺したのなら、そいつは樹里を殺そうともするだろう。大事な少女を危険に晒してまで仇討ちをするつもりなど、空也には毛頭ない。樹里にはもちろん言っていないが、場合によっては滅刀になることを拒否するつもりでいた。 自分は樹里さえ守れればそれでいい。仇討ちなどは、珠樹でも誰でも、他の誰かがやればいいのだ。 しかし、空也はそう思いながらも、一応真剣に取り組んではいるのだった。やる気がないのとサボるのとは違う。結果的には何の違いもなくても、例えば自分が探す振りをして街に行って適当に遊んでいたりしたら、真剣に仇を討とうとしている樹里があまりにも不憫だ。相棒の自分がそれをやってはいけない。それはやる気以前の問題だ。 どうせやるなら、樹里の喜ぶ顔が見たいと思う。澪の仇討ちには気乗りしなくても、樹里を喜ばせるためだと思えば少しはやってやろうという気になれる。 いきなり相手を見つけることはできなくても、せめて新しい情報の一つくらいは、できれば仕入れておきたいところだった。 一番手に入りやすそうなのは、澪が殺された場所の情報。 しかし遊刃は音信不通だし、珠樹に聞くわけにもいかない。他に誰か知っていそうな人間はいないだろうか。珠樹の家族。澪が生きていた頃に命を助けてもらったからぜひお礼をしたいと言えばひょっとしたら……と、そう考えた直後に空也は首を振る。自分の外見は十五、六の少年であり、澪は裏で紡ぎ手をやっていることを除けば、特に変わったところがあったわけでもないごく普通の人間だった。命を助けられたというのはいつ、どんな状況だったのか。それを深く問い詰められることは必至だ。 それに、珠樹に対して遠慮するのなら、家族に対しても遠慮すべきだろう。 物を聞ける相手が一人もいないじゃないかと、空也は首を振る。 ――首を振ってから、思い出した。澪が紡ぎ手だったことを知るのは、遊刃と樹里と自分と、もう一人いたはずだ。 霧崎鈴人。 霊に触られても平気でいられるという特異体質を持つ少年。あの屋上で珠樹を助けに来た彼だろう。彼とはあれが初対面だったが、一目見てすぐに分かった。 彼との繋がりを確保するだけでも、大きな収穫なのではないか。 澪と彼は幼馴染。ということは当然、珠樹と彼も幼馴染である。珠樹を通じて鈴人と会うことができれば、たとえ今回は用がなくても今後の大きな助けになる。かもしれない。 一瞬でそこまで考えて、空也は早速公衆電話を目指して踵を返した。普段から使っているので、町にある公衆電話の位置は大体頭に入っている。 ここから一番近いのは――さっき通り過ぎたコンビニ。慌てて駆け戻って電話ボックスに飛び込み、懐から十円玉を一枚取り出す。 電話ボックスの中から店内の時計を覗き見る。九時二十二分。珠樹はおそらく授業中だろうが、物は試しだ。それに公衆電話からの連絡は自分だということも教えてある。珠樹は着信履歴を見て樹里に連絡を入れる。樹里の学校の休み時間は把握してあるから、あらかじめ決めてある待ち合わせ場所で落ち合って、珠樹に折り返し連絡を取ってもらう。 完璧な作戦だ。 受話器を耳に当て番号を押す。とりあえず何回か呼び出し音を聞いて切ればいいやと考えて―― 三回目のコールで、 『もしもし?』 出た。 完璧な作戦が一手目から崩れ去った。思わず唖然とするが、しかし珠樹と連絡がついたならその方が話は早い。 『あの……?』 「あ、ごめん。僕だよ。空也」 『空也さん? 昨日はどうも』 「いやいや、こちらこそ。ところで、あれ? 今学校じゃないの?」 『え? いや、その……や、休み時間だよ、うん。と、ところで、どうしたの?』 なぜか誤魔化し笑いで話を逸らす。珠樹のその声の向こうから、何とも言いがたい違和感が飛び込んでくる。怪訝に思ったが、とりあえず聞きたいことを聞いておくことにした。 「あのさ、霧崎鈴人君っているよね? 君の幼馴染の」 『鈴人くん? 鈴人くんがどうかしたの?』 「一度彼と会っておきたいんだけどさ、ちょっと話をつけてもらえないかな?」 『? いいけど、なんで?』 「聞きたいことがあるんだ」 『……聞きたいこと?』 君のお姉さんが死んだ場所。 などと言ったら、この少女はどんな反応をするのだろう。 「……。鈴人君ってさ、霊に触られても平気でしょ? ちょっとそのことでね」 『ああ、なるほど。分かった。伝えとくよ』 「うん。お願い」 礼を言って切ろうとしたところで、空也はふと思い立った。慌てて声をかける。 「あ、そうだ。珠樹ちゃん」 『ん? なに?』 「あのさ、鈴人君と会うとき、できれば一緒にいてもらえないかな。ほら、初対面同士じゃいきなり込み入った話もしづらいし。できれば仲介役っていうか、そんな風にいてもらえると助かるかなって」 霧崎鈴人という少年について、自分はほとんど何も知らない。向こうも自分については名前くらいしか聞いたことがないだろう。いきなり面と向かい合っても、お互いに言葉に詰まる可能性が高い。 澪が死んだ場所は何も今日中に聞き出す必要はない。鈴人の電話番号でも聞いておけば、いつでも聞くことはできる。それよりも今日は、鈴人と打ち解けることが重要だ。 珠樹がいてくれれば、本当に助かるのだが。 『……』 「嫌なら別にいいんだけど……」 『えーと……ごめんなさい。今日はちょっと予定があって』 「昼休みでもいいんだけど、それでもダメ?」 『昼休みもちょっと。ごめんなさい。昼休みが十一時四十五分からだから、それくらいに屋上にいて。鈴人君行かせるから』 残念ではあるが、予定があると言うなら仕方なかった。 「ん、分かった。お願いするよ」 『はーい。それじゃあ』 頼んだよ。そう言う間もなく、電話が切られた。 受話器を置きながら空也は首を傾げる。 妙に急いでいた風だったが、何かあったのだろうか。 十一時五十分。 空也が鈴人を見て受けた最初の印象は、『甘党』だった。 あんぱん、メロンパン、クリームパン。その上シュークリームまで持参している。飲み物は温かいミルクティー。ここまで甘いものを揃えておいて辛党と言い張る人間はそう多くないだろう。 実際、空也の第一声である『甘いもの好きなんだ?』という問いに対して、鈴人は『悪いか?』と堂々と認めてきた。 それが、二人が交わした最初の言葉。それ以降は両者全く声を発していない。鈴人はとっくにあんぱんを食べ終わって、メロンパンも半分以上を平らげようとしている。それなのに、空也は聞きたいことをまだ一つも聞けていない。 それというのも、何だか知らないが鈴人が不機嫌そうなのだ。 目つきが悪いのはおそらく元からなのだろうが、それにしたって纏う雰囲気まで不機嫌である必要はあるまい。鈴人は怒っている。理由は不明だが機嫌を損ねている。その原因が自分にあるのか別の誰かのせいなのかによって、空也の取る選択肢は変わる。 「あの、さ」 「あん?」 あからさまに不機嫌そうな声。返事くらい普通にしてくれたっていいじゃないか。そう思いながらも、勇気を振り絞って再度尋ねる。 「なんでそんなに怒ってんの?」 メロンパンを口に運ぶ鈴人の手が止まった。じろりと睨み上げてくる。鈴人は屋上の扉に背をもたれて座り込み、空也は立ったままそれを見下ろしている格好なのだが、精神的な上下はどう考えても逆だった。 「寒いな」 唐突に、鈴人はそう言った。 「は?」 「寒くないのか?」 「いやまあ、寒いけど」 そう。ここは非常に寒い。用がなければ一刻も早く立ち去りたいほどに寒いが、しかしそれとこれと何の関係があるのだろう。 「俺はな、昨日もここにいたんだよ」 「はぁ」 「遊刃に呼び出されて、昼休み中くだらない話に付き合わされて、その上学校終わった後も……いやまあこれはいいとして、それで今日は別の滅刀がやって来て話があるから屋上に来いとか言われて、来てやったら来てやったでなかなか話が始まらない。おまけに話を振った本人はいやがらねぇ。今更で悪いが俺は短気だ」 何か色々な愚痴が混じっているような気がしたが、要するに早く用件を話せということらしい。それならそうと言ってくれればいいのに。 「それじゃ、さっさと聞くけど」 「そうしてくれ」 「澪さんが死んだのってどこだか分かる?」 鈴人が、手にしたメロンパンを落としかけた。 「……はぁ?」 「いや、はぁ? って言われても困るんだけど」 「ンなこと聞いてどうするんだよ、お前」 もっともな疑問を口にする鈴人に、空也は肩をすくめて答える。 「いやね、ウチの紡ぎ手が澪さんの仇を討つんだって躍起になっててね。躍起になるのはいいんだけど何の手がかりもないんで、せめて犯行現場だけでも知っておきたいなと考えた次第で」 「犯行現場って……まあいいが、遊刃に聞けばいいだろ、そんなこと」 「遊刃さんが普段どこにいるのか、知ってるなら教えて欲しい」 「……」 言葉に詰まったのか、鈴人はメロンパンを齧ってミルクティーを一口。 しばらく待ったが、パンが小さくなっていくばかりで言葉を発しようとしない。教えないつもりだろうか。それならそれで構わないが、その理由くらいは聞いておきたい。再度尋ねようと空也が口を開いたとき、ようやくポツリと、 「珠樹にはもう会ったのか?」 「え?」 「あいつはもう、お前らのことを知ってるのか?」 「うん」 「……。それなら、あいつに聞けばいい話だろ」 呆れた風にそう言う鈴人に、空也はわずかに眉をひそめた。 「お姉さんが死んだ場所だよ? 思い出すのだって辛いだろうに、そんなこと聞けるわけが――」 「お前はあいつを何歳だと思ってんだ。姉貴が死んだ場所聞かれたくらいで泣き出すほど子供じゃないだろ」 「いや、そりゃそうだろうけどさ。何て言うか、こういうのは周りが気を遣ってあげないと」 「考えすぎだと思うがな。……つーか、実は俺も詳しい場所までは知らないんだよ。お前じゃないけど、澪姉さんが死んだのはどこだ、なんてのは聞きにくかったし」 だったら最初からそう言えよ。内心憤慨する空也をよそに、鈴人はミルクティーを口に運ぶ。 「やっぱり珠樹の奴ここに来させれば良かったな。最初からあいつに聞けば、こんな風に無駄に寒い思いしないで済んだだろ、俺もお前も」 だから、珠樹に聞けないから君に聞いてるんだってば。人の話を全く聞いていない鈴人に内心呆れながら、空也は電話口の珠樹の言葉を伝えた。 「でも珠樹ちゃん、昼休みは都合が悪いって」 「都合が悪い、ねえ。でもあいつ別にクラス委員でもないし、部活に入ってるわけでもないし。昼休みは基本的に暇なはずだぞ」 ――なんでそんなこと知ってるんだろう。 まさかこいつ、ストーカーなんじゃ……と、一瞬そう思って直後に首を振った。ストーカーならもっと危ない情報も知っているだろう。同じ学校の幼馴染がクラスでどんな立場にいるのかくらいは、全然知っていてもおかしくない情報だ。 その目の前で、鈴人はポケットから携帯電話を取り出して操作をし始めた。怪訝に思い、尋ねる。 「鈴人君?」 「電話かけてみる」 「いや、都合が悪いんなら出れないんじゃ――」 「出れないんなら出ないだけだろ。これで出たら面白いけどな」 淡々とそう言う鈴人のことを、空也は呆れ半分、感心半分の眼差しで見守った。何やらボタンを押していた鈴人の手が、携帯電話を耳に持っていく。メロンパンを一口。ミルクティーを一口。ゴクリと小さく喉が動いて、その直後に鈴人の目が細められ、 「お前、今どこにいる?」 『お前、今どこにいる?』 もしもし、すら言い終わらないうちに投げかけられた言葉に、珠樹は一瞬言葉を失った。 「え? あ、う、す、鈴人くん?」 『学校じゃないな? サボりか? 何してんだ?』 「えっ? ち、違うよ。ボクちゃんと学校に――」 『本当に学校にいる奴はちゃんと学校にいますなんて言わねぇよ。それにお前、さっきどこにいるって聞かれたとき何て答えたらいいか迷ったろ? どこにいる? 白状しろ』 即座に嘘を見破られ、頭の中がパニックになる。 昼休みも放課後も都合が悪い。ひょっとしたらこのことに鈴人が疑問を持つかもしれないと思って用意していた言い訳は、最初の一文字を口にすることなく潰えてしまった。 「え、えと……」 『……。静かだな』 「え?」 『外じゃないな。どこかの部屋……つーか、自分の部屋か。学校休んだのか?』 全くその通りで、珠樹は今、自分の部屋にいる。 なんでこの数秒のうちにそこまで分かるんだろう。超能力でもあるんじゃないか。そう思わずにはいられないほど、鈴人はあっという間に珠樹の現在位置を特定してしまった。 まずい、まずい。 何とか言い訳しなければ。 「う、うん。そうなの。ちょっと……えと、お腹痛くて」 『腹が痛い? 生ゴミでも食ったのか?』 「なんでボクが生ゴミ食べるんだよ! そうじゃなくて、ちょっとその……月に一度の、その……」 言ってて顔が赤くなるが、手っ取り早く黙らせるのにはちょうどいい口実だ。 案の定、鈴人は呆気なく押し黙った。 「つらかったから休んだの。実は今もちょっと痛いんだ……。だから、ね。鈴人くん、悪いけど……」 『……。ああ、悪かった』 ぃよしっ! と、思わずガッツポーズ。 「ううん、いいの。それじゃ――」 『あ、ちょっと待ってくれ。空也がここにいるんだが』 続いたその言葉にガッツポーズのまま一瞬固まるが、空也の名を聞いてほっと息を吐いた。嘘がバレたわけではない。 「うん。なに?」 『聞きたいことがあったらしいんだけど、俺じゃ分からなくてな。ひょっとしたらお前が何か知ってるかもしれん』 ――……空也さんの聞きたいことって、鈴人くんの体質のことじゃなかったっけ。 怪訝に思いながらも、珠樹は電話の向こうに向かって頷く。 「うん。なに?」 が、直後に鈴人はこう言ってきた。 『……ああ、いや、やっぱりまた今度にするな。今つらいんだろ? 悪かった』 「えっ!?」 思わず声を上げた。 まさか、鈴人がこんなことを言ってくれるとは思わなかった。予想外の事態に珠樹は慌てて言葉を返す。騙しているというだけでも罪悪感があるのに、この上心配までされたのでは申し訳なさすぎる。 「だ、大丈夫。ちょっとくらいなら平気だよ」 『長い話になるぞ。無理すんな、別に急ぐ用じゃないみたいだし』 「ううん。本当に大丈夫だから」 『そうか? でも、頭痛いんだろ? いいから休め』 「へーきへーき。ちょっと頭痛いくらい何ともないから」 騙してごめんなさい。嘘ついてごめんなさい。珠樹は焦っていた。 だから、口にしてすぐには気づかなかった。 『ところで珠樹』 「ん?」 『お前、頭も痛いのか?』 さりげなく問いかけられたその言葉。 「えっ? あ、それ……は……」 ――しまった。そう思う以外になかった。 「あ、え、と……」 ――……ばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばか、ボクのばかっ!! 穴があったら入りたい。どんより沈んだ心に、ため息混じりの鈴人の声。 『……。珠樹』 「……はい」 『今ならまだ許してやらんでもない。全部吐け。何もかもだ』 判決を待つ被告の気分。だが、珠樹はそれでも諦めきれず、尋ねる。 「一つよろしいでしょうか」 『何だ?』 「ここでまた隠し立てしたりすると、具体的にどんな措置を……?」 『試しに想像力を駆使してどんな真似をされそうか言ってみろ』 言われて考える。が、珠樹もドがつくほどのバカというわけではないし、鈴人との付き合いもそれなりに長い。ここで下手に真面目に考えて、それを言ったりしたら、鈴人は『分かった。じゃあそうしてやる』とか言うに決まっているのだ。 彼とて鬼ではない。想像を超えるような無体な真似を、幼馴染相手にするはずがない。 だが逆に、想像の範囲内での行為なら遠慮せずにやるに違いない。例えば、同じ部屋で向かい合って、じっと黙したまま延々と睨み続ける、とか。 想像するだけでも怖かった。 「えーっと、例えば真夜中にボクの部屋に押し入って、ボクを裸にひん剥いて、十八歳以上でも一歩引くようなえげつない行為に及ぶ、とか……」 冗談でごまかそう。そう思ってわざと無茶苦茶なことを言う。 と、 『分かった。じゃあそうしてやる』 即答。ほらやっぱりボクの予想通り……と、内心で少しだけ喜んだ後に、幼馴染の少年が口にした言葉の意味を理解する。 待て。ちょっと待て。 そこはあれだろう、『アホか』とか『お前俺を何だと思ってる』とか、そんな感じで突っ込むべきだろう。顔から血の気を引かせながら、珠樹は慌てて鈴人に言う。 「ちょっと待って、鈴人くんそれはちょっと待って。冗談だよね? 冗談だよね?」 『嫌なら吐け。何もかも』 「いやあの、冗談だよね?」 『本当にやられたいのか?』 淡々と尋ねてくる鈴人の声は、本当にちょっと怖かった。 まさか本気じゃあるまいとは思う。いやしかし、それと同じくらいのことはするかもしれない。いやいやいや、鈴人はまさかそんな変態ではないし、仮にも幼馴染の女の子相手にそんな無体な真似をするはずが―― 『珠樹』 「え?」 『一ついいことを教えてやる』 「……なんでしょう」 『俺も男だ。いつでもどこでも我慢できるわけじゃない。理性飛んじまったら何するか分からないかな。ちなみに俺はどっちかって言わなくてもサドだ。縄とかムチとか用意されないようせいぜい神に祈っとけ』 ――……冗談だとは、思う。 思うが、何かとんでもないことをされるらしいという思いだけは、強く強く珠樹の心に焼きついた。 「……あの、鈴人くん」 観念する。これ以上粘ると逆に鈴人の機嫌を損ねかねない。 『何だ?』 「一つ、お願いがあるんだけど」 だが、一つだけ、どうしても譲れないことがある。 『何だよ』 空いている方の手を傍らに伸ばす。 頭がふらふらする。体調が悪いから休みたい。電話で母にそんな嘘をついて、学校へ向かう途中で引き返してきた。遊刃の姿は部屋の中にはなく、今ここにいるのは珠樹一人だけである。 命ある存在は。 伸ばした手に伝わるのは、凍てつくように冷たく、ほのかに温かく、膜ごしに触れているような奇妙な感覚。美弥香のそれと同じ、死者の肌の感覚だ。珠樹は頭を撫でる。小さな手が伸びてきて、くすぐったそうに珠樹の手を除けようとする。 「……この子を、鎮めようとしないでほしいんだ」 人形のような女の子。 長い黒髪。病的なまでに白い肌。整った顔立ちは、しかし力のない笑みを浮かべている。 そして、季節を無視した浴衣姿。 あの公園で出会った十歳前後と思しき少女の霊に、珠樹は横目で笑いかける。 鈴人が仏頂面で通話を終えた。 「……なんだって?」 携帯電話をポケットにしまう鈴人に、空也は恐る恐る声をかける。 横目でこちらを一瞥しながら、しかし鈴人は口を開くことなく、メロンパンの残りを黙々と片付けた。次いでクリームパンに手を伸ばす。大口を開けてそれも三口ほどで平らげ、ミルクティーで流し込む。ごくりと飲み下しながら、最後に残っていたシュークリームの袋を破って、中身をやはり一気に口の中に押し込んだ。 もしゃもしゃと咀嚼し、ミルクティーをぐびぐび飲む。 あまり上品でない食べ方で昼食を終え、そして鈴人はようやく、怪訝に思う空也に言葉を返してきた。 携帯電話を投げて寄越しながら。 「電話しろ」 「は? 誰に?」 「お前のご主人様に」 空也は一瞬何のことだか分からなかったが、すぐに樹里のことだと理解する。 「紡ぎ手は別に、滅刀の主人ってわけじゃないよ」 「知ってるよそんなことは。いいから早くやれ」 だったらなんでそんなこと言うんだよ、と思わず返しそうになった。が、ここで問答しても仕方ないし、口論の果てに殴り合いになったりしたらまず間違いなく負けるのは自分だ。 痛いのは嫌いである。 捻くれた言い方をするのが好きな性格なのだろう。そう思いながら、空也はポケットからメモ帳を取り出し、 「電話してどうするの?」 そう尋ねた。 鈴人はひどく不機嫌そうな顔で、ミルクティーを飲みながら用件を口にする。 「珠樹の部屋に霊がいる。そいつを鎮めてもらいたい」 一瞬、頭が白くなった。 「霊?」 「霊」 「鎮めてもらいたいって……なんで?」 怪訝に思ってそう尋ねる。珠樹とて遊刃という滅刀を手にする身。鎮めるのなら彼女自身が鎮めればいい。樹里がわざわざ出張る理由は何もない。 鈴人は問いに答えず、更にこんなことを言ってきた。 「部屋から連れ出すのは俺がやる。お前らは俺が言った場所で待っててくれればいい」 「いやだから、僕らが行かなくても、鎮めたいなら珠樹ちゃんが自分で鎮めるでしょ」 「珠樹は鎮めたくないって言ってる」 いけしゃあしゃあと言われた言葉に、さすがに眉をひそめた。 「……あのさ。珠樹ちゃんがそう言うなら、僕らが鎮めるのだってまずいでしょ。それに珠樹ちゃんだってもう紡ぎ手の一人なんだよ。鎮めたいと思うなら自分でやるだろうし、そんなことを言うからにはそれなりの理由が――」 「長い黒髪」 空也の言葉を遮るように、鈴人はそう言う。 「――え?」 「青白く見えるほど白い肌。少しやつれた表情。浴衣姿」 聞き覚えのある特徴。最初はなぜ鈴人がそれを口にするのか分からず、しかしすぐにある考えが頭をよぎった。まさか。そう思う空也に、鈴人は駄目押しの一言を口にする。 「十歳くらいの女の子の霊が、今、珠樹の部屋にいる」 睨むようにこちらを見る鈴人の目は、怖いほど真剣だった。 「他の奴なら自分でやらせるさ。いちいちお前らに出て来てもらおうなんて思わねぇよ」 「……」 「でも――あいつだけは話は別だ。違うか?」 その声にこもっているのは、紛れもない怒りと怨み。 遊刃は実は、珠樹の部屋にいた。 部屋の扉が開いたときは、母親が入ってきたのかと思ったのだ。見つかるのはまずい。咄嗟にそう思って、ベッドの下に飛び込んだ。 だが、わずかな隙間から見上げた先には、母親ではなく大慌てで学校に向かったはずの珠樹がいた。 ――どうした。学校へ行ったんじゃなかったのか? おどけてそう言いながら姿を現そうとしたが、その直前に身体が固まった。 珠樹は、一人ではなかった。 小さな女の子を連れていた。遊刃にはそれが幽霊だと一目で分かった。 だが、それだけなら別に問題はない。霊能力者が彷徨う霊の話し相手になったり、逆に話し相手になってもらったりすることは、実はそれほど珍しいことではない。相手は別に倒すべき魔物というわけではない。家に連れ込むのはさすがに稀だが、意思の通じる相手として、普通の人間のように霊と付き合う霊視能力者はいないわけではない。 珠樹もまた、自分だけでは抱えきれない思いを打ち明けてしまおうと、どこかから霊を連れてきたのかもしれない。遊刃は最初そう思い――次の瞬間、その全てを忘れた。 黒い髪。 病的なまでに白い肌。やや疲れたような、やつれた表情。 浴衣姿。 出来損ないの日本人形のようなその少女に、遊刃は確かに見覚えがあった。 なぜ。 どうして。 頭の中を疑問が駆け巡り、言葉を発することも身動きすることもできないまま、遊刃は呆然と、ベッドに腰掛けたらしい珠樹の靴下を眺めていた。少女の霊の足は見えない。おそらく頭上にあるのだろうが、首を出して確認する気にはとてもなれなかった。 珠樹は知っているのだろうか。 少女が、自分にとってどういう存在なのかを。 |
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